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ヤンデレの小説を書こう!@避難所 Part07
680
:
罰印ペケ
:2020/03/22(日) 21:50:31 ID:gB/0iUQo
>>676-678
感想ありがとうございます、励みになります。
進捗報告ですが『高嶺の花と放課後』13話は今日か明日投下できると思います。続くエピソードも実は並行して書いているので、それも直に投下できると思います。もうしばらくお待ち下さいm(__)m
681
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:09:33 ID:UGcGjuLg
投下します
682
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:10:29 ID:UGcGjuLg
第13話
「皆、さっきも言った通り、私高嶺華と不知火遍は実は正式なお付き合いをしています!」
違う
「へー、おめでとう!!」
「やるじゃん不知火!」
「華ー!お幸せにー!」
誰も彼も同じ目だ。
誰一人歓迎していない。
ーーーなんであいつが?
ーーー相応しくない
ーーー見る目がない
やめてくれ、そんな目で見ないでくれ。
そんなことは僕が一番分かっている。
そうだ。
太一。
太一だけには分かってほしい、誤解なんだ。
多くの人に誤解されたままでいい、たった一人の理解者がいればいい、僕は親しい友へ救いを求める。
「遍っち、お前…どこにいたんだよ」
助けを求めた友人の目は、裏切り物を見る目だった。
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
「っ…」
夜明けも迎えずに目が覚める。
昨日の朝が最悪の目覚めだと思っていたのに、たった今いとも簡単に更新された。
隣に目を向ければ、ややはだけた姿の義妹が、すぅすぅと寝息を立ててきた。
今のところ起きる様子もない。
綾音の寝付きの良さに関して、今ばかりはありがたいものだった。
誰かと話す気分ではない。
それにしても、ここまで現実に起きたことと酷似した夢を見ると、如何に自分にとってあの出来事が衝撃的なものであったか嫌でも分らされる。
深い眠りについているだろう綾音を起こさないように、ゆっくりとベッドから抜け出す。
少しずれてしまった布団を、綾音に掛け直し、既に宵闇になれた目で、部屋の時計を確認する。
時刻は深夜三時を過ぎたあたりだった。
起床時間にはあまりにも早いと呼べる時刻ではあったが、二度寝する気分には到底なれなかった。
机の位置まで移動し、椅子へと腰を下ろす。
机の上には、ここ数日で書き溜めた原稿用紙が束になって置かれている。
何もせずに夜明けを待つわけにもいかないと、物語を書き進めようかと筆を取る。
しかしどうにも筆を進める気分にはなれない僕は、五秒にも満たない内に手に取った筆を机に置く。
「…本でも読もうかな」
本棚にある本は認識できるが、タイトルまでは見えないため、適当に選んだ本を取り出す。
このままでは本のタイトルどころか本文すら見えないため、卓上のデスクライトを付ける。
あまり強い燈ではないが、それでも宵闇に慣れた瞳では一瞬眩んでしまう。
…。
何の因果なのであろうか。
明順応を終えた瞳で、手に取った小説を確認すると、『夢少女』と書かれた本であった。
先日のデートをきっかけに購入したものだ。
夢でみた少女のことを忘れたいがために、手に取った本の題目が『夢少女』であり、さらには彼女の思い出が強く染み付いたその本が今僕の手にあるのは、皮肉以外何物でもない。
読書する気すら萎えてしまった僕は、本すらも机の上に置いてしまった。
「…はぁ」
溜息を一つ吐き、天を仰ぐ。
こうなると何もする気が起きないが、何もしなければただただ昨日のことを思い出してしまう。
さらに気分が萎えて、思い出さないように他のことに没頭する気も起きなくなる。
悪循環だ。
目蓋の裏には、昨日の出来事が焼き付いている。
683
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:11:44 ID:UGcGjuLg
そもそも何故あんなことになったのか。
僕は高嶺華に別れを切り出した。
そして彼女は言った。
"そう。…分かった"
今になって思い返してみれば、彼女の"分かった"という一言は、きっと僕の別れ話に対してではなかったのだろう。
あの後、一体全体何故皆に関係を公にしたのか、いやそもそも僕は別れたはずだと問い詰めると彼女は答えた。
「私はあなたの別れ話なんて戯言、受け入れた覚えなんてないわよ。それに遍、あなたは私との約束を破った。その上、別れようなんてふざけたことを言った。それなのに私だけ、律儀に"約束"を守るなんて不公平だとは思わない?」
それにね、と彼女は続けた。
「私がここで貴方と交際をしていると宣言すれば、きっと有象無象供はそれを強く認識する。貴方がいくら別れたなんて口にしても、私が、そして周りが交際していると強く認識さえしていれば、貴方が私と別れるなんてありえもしない事実を作ることは不可能なのよ」
とはいえ、とさらに彼女は続けた。
「遍、貴方が口にした事は、到底赦される
ものではないわ。私の心も相当痛むのだけれどこれに関してはかなり厳しいお仕置きが必要ね。貴方が愛し愛され合うべき相手を骨の髄まで分らせないとね」
「い、いい加減にしておくれよ!一体僕の何が君をそこまで執着させているんだ!?」
我慢ならず、叫ぶ。
「何が?執着?分かってないね、分かってないよ遍。私と遍は運命の赤い糸で結ばれているの。ほら見えない?私には見えてるよ、私の心臓と貴方の心臓を結んでいる赤くて紅くて緋くて赫い、その血脈にも似た糸が。だからね、私達が結ばれるのは運命なの、定めなの、絶対なの。これほどまでに美しい愛に逆らうなんてもってのほかだよ」
恐ろしいことを言う。
「…例えばだ。君が何かに襲われているとしてそれを僕が助けた、君が何かに絶望しているとしてそれを僕が救った、君と僕が昔からの知り合いだとしてずっと一緒に育ってきた。僕らの出会いがこれらのようであれば確かに納得はするかもしれない。だけど違うじゃないか!!僕が小説を書いていて、君が偶々それを読んだ。僕らの始まりのそんな色気のないものだったじゃないか!そう、運命と呼ぶには程遠い…」
「偶々じゃないよ」
「またお決まりの運命ってやつかい?何度も返す言葉で申し訳ないけども僕にはそれが運命とは思えない」
「ああ…そっか。うん、そういうことか。何で気がつかなかったんだろう。そういえば話したことがなかったね、私と貴方が運命で結ばれているって根拠」
「聞いたところで僕と君との価値観は違う。僕が納得のいく回答は得られないと思うよ」
「それは聞いてからの話にしようよ。そもそも私たちの物語の始まりはあの日だと、遍は思っているのでしょう?それが間違いなんだよ」
あの日がどの日のなのかは、もはや説明不要だったが。
「間違い?何を言っているんだい?僕はあの日初めて君と言葉を交わしたし、それ以前に君に関わったこともないし、そもそもの話クラスも異なっていた」
「まだ気付かない?遍、小説家なんだからそろそろ気付いて欲しいんだけどなぁ…」
「僕はまだ小説家ではないし、それとこれとは関係のない話だろう」
「私が言いたいのはどんな物語も"プロローグ"が存在するってことなのよ」
「…プロローグ?」
「ほら聞かせてあげる。まずは私の事から話さなきゃね。あれはーーーーー」
684
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:12:51 ID:UGcGjuLg
そこから彼女から次々と告げられる信じられない事実の数々。
僕は目の前の女の子の恐ろしさを理解した。
彼女が話終えると、僕は言葉を失い彼女は満足そうな笑みを浮かべた。
「だから貴方と私は運命の赤い糸で結ばれていたの。それがやっと今、結ばれたのに離れ離れになるなんて死んでも嫌だよ」
「…華、違うよ。違うんだよ。君が思っているほど周りの人たちは、悪い人ばかりじゃあない。世界はそこまで悪意に満ちてなんかいないんだよ」
「嬉しい」
「…何がだい?」
「また" 華"って、私の名前を呼んでくれた。それが堪らなく嬉しいの」
「…兎に角、僕が言いたいのは君はもう少し他人を赦してあげるべきだ」
「赦す?何を?私怒ってなんかないよ?」
僕の言っていることがまるで分からないと、そんな表情を浮かべる。
「いや心の底では、君はまだ怒っているんだ。だからそんなにも他人に対して関心も価値も見出してないんだよ。本当に君と過ごしてきた友人や君に想いを伝えてきた人たちはそんなに悪い人たちなのかい?」
「ええ、まぁ、…そうね。心底どうでもいいとは思うわ」
「…小岩井さんとか、あんなに仲良さそうにしていたじゃあないか。今、こんなにも学校を休んでて心配だとか思わないのかい?」
「…私の前で、他の女の名前を出さないでくれるかなぁ?…本当に殺したくなる」
蛇に睨まれた蛙。
蛇は華、蛙は僕。
殺したくなるという言葉が嘘でも、冗談でも、聞き間違いでもないことを、気迫が語っている。
嗚呼、この女の子は本当に誰にも心を開いてなんかなかったのだ。
「華、君はおかしいよ、狂ってると言ってもいい。結局君だって、僕じゃなきゃ駄目な答えを持ち合わせてはいないじゃないか」
「…どういうこと?」
「君の興味を引く出会い方であれば、別に何でもよかったんだろ?僕が放課後、小説を書いていたのが気になったからという出会い方は、その内の一例でしかないんだよ」
「でも出会った。これを運命と呼ばず何て呼ぶのかな?」
「僕が言いたいのは、君にとって唯一になり得る存在は僕以外にもいるってことだ。運命とかそういう話をしているんじゃあないんだよ」
「うん、確かにこの世界のどこかにはいるかもね。でも保証は?」
「え?」
「その人に会えるっていう保証は?遍、私の話ちゃんと聞いてた?私はこの世界にいる運命の相手と出会うために学校なんてものに通っているのよ?そして私と貴方は出会った。だから貴方は、私の唯一なのよ」
話が平行線を辿り、一向に交わらない。
水掛け論。
「遍、私今日ね、結構傷付いたんだよ?愛する人から別れ話なんてもの聞かされて。心臓が引き裂かれそうな思いだったんだぁ。私は愛し愛され合いたいだけなのに、私の想いだけが一方通行。だからね、私頑張ろうと思うの」
「頑張るってなにをさ…」
「どんな手段を使ってでも、遍に私を愛させる。身体に、頭に、心に、貴方が愛するべき人間が誰なのか、徹底的に刻み込んであげる」
冷や汗が止まらない。
彼女の両腕が、喉元まで迫る。
これは知らない記憶だ。
なんだこれは。
「…っはぁ…っ」
また悪夢を見ていた。
記憶の復習とも言い換えてもよい。
気が付かない間に、昏睡の浅瀬に迷い込んでいたみたいだ。
時刻は五時四十六分。
夜の帳は、青白く染まり始めている。
それを眺めると、最低な夜でも明けないものはないと、少し救われた気分になる。
昨日は少し色々なことが起きすぎた。
それでも、昨日の今と比べれば、悩みは随分と単純明快なものになったのではないか。
途方も無い、答えもない、悩みに頭を抱えていた時よりも、道筋がはっきりした方が幾分か気分がマシだ。
高嶺華と別れる。
綾音を諦めさせる。
どちらも簡単なことには思えないけど、ふと気がつくことがある。
委細抜きにして考えてみると、三人の女性から想いを寄せられて、それらを全て押し除けた。
恋愛小説が好きな癖に、恋愛をしようとしない。
現実よりも空想が好きな奴。
この果ては何だ?
685
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:15:28 ID:UGcGjuLg
「…また難しい事考えてるか、その時はその時。今は今だ」
「なにがぁ〜?」
背後から腕が伸びてくる。
「綾音…」
「おはよぅ、おにいちゃん」
「おはよう。少しくっつき過ぎだと思うよ、綾音」
「ん〜?」
聞こえないフリをしつつ、腕を僕の前で組みより身体を密着させる。
「綾音」
名前を口にするだけだが、言霊に僕の想いを乗せる。
すると耳たぶから鋭い痛みが走る。
「痛っ」
「おにいちゃんの意地悪。あたしがおにいちゃんをどう想ってるか、もう知らない分からないとは言わせないよ」
吐息まで伝わる距離で囁かれる。
「嗚呼、知りたくなかったさ、分かりたくもなかったさ。綾音、どうしたら僕らは普通の兄妹になれるんだい?」
「それをあたしに聞いてどうするの?答えが得られるとでも思ってるの?逆に教えてよ、おにいちゃん。どうしたらあたしたち、普通の夫婦になれるの?」
綾音も同じだ、話し合いの着地点が見えない。
もどかしさに苛立ちを覚えそうだ。
「昨日でも分かったと思うけど、僕は綾音をそういう対象に見れないんだよ、大事な妹なんだ」
「あたしこそ、お兄ちゃんを"兄"だと思ったことなんてない。あたしはずっとお兄ちゃんを"そういう目"で見てきた」
686
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:16:20 ID:UGcGjuLg
確かに生まれながらの兄妹ではなかった。
だからこそ、僕は他の誰よりも"兄"になろうと努めていた。
なのにその結果が、無意味だったとそう言われたのが非道く哀しい。
どうしてこんなにも想いがすれ違うのだろう。
「…それに昨日上手くいかなかったのは、結局今まで通りだったから。だから今までとは違うことをすればいいだけ」
僕の前で組まれていた腕を解くと、喉、胸、臍と、一つずつ順番に撫でていく。
そしてその手は、さらに下へ…
「っ!綾音!」
不意な感覚に、思わず身を引く。
「クス、逃げないでよお兄ちゃん」
「こんなの兄妹でやることじゃない!」
「そうだよ、だからやるんだよ。兄妹を辞めたいから。気持ち良かった?」
とんでもない。
その逆だ、悍ましさしか感じない。
「…うーん、そうでもないみたいだね。ごめんねお兄ちゃん、あたしお兄ちゃん以外でこういうことしたことないからさ、下手くそだったよね」
「下手だとかそういう話じゃない。兄妹でこういうことやるのがおかしいって言っているんだよ」
「おかしくなんてないってば。おかしいのはお兄ちゃんの方だよ。あたしたち血、繋がってないんだよ?根本的な雄と雌であることから目逸らしすぎだよ」
「僕らは本能で生きる動物とは違う。理性のある人間だ。こんなことをするのはおかしいし、僕はしたくない」
「…ふふ、あはは」
「何がおかしいんだい?…」
「…お兄ちゃん、キスとか胸当てとかは反応しない癖に、少し触っただけでこんなにも性を意識してるんだもん。これでも反応しなければ流石に困ってたけど、思ってた以上の反応だったからお兄ちゃんの倫理観を壊せそうで嬉しいんだぁ」
僕に対して優位に立ったと言わんばかりに、綾音は余裕の笑みを浮かべる。
「僕の倫理観を壊す…だって…?綾音、自分で言っていることの意味が分かってるのかい…?」
「分かってるよ。お兄ちゃんの倫理観をドロドロに溶かして、グチャグチャにかき混ぜて、メチャクチャに仕立て上げて、あたしっていう存在を妹から恋人に上書きしてあげる」
溜息すら出ない。
息が詰まりそうだ。
辛抱強く説得を続けさえすれば、いつかいつの日か、分かってくれると覚悟をしていたつもりだった。
けれども所詮それは、今ここにいない僕が明日の僕に無責任に押し付けているだけ、格好つけて誓った張りぼての覚悟なんてものは甘ったれた戯言だということを、愚かな僕は漸く理解した。
そうだ。
結局僕は明日の自分を他人と決めつけ、面倒事を押しつけて、現実から目を逸らしていただけじゃあないか。
でもじゃあ、どうしたらいいっていうんだよ。
「…もしそれで僕が綾音を異性として見るようになっても、決してその想いは受け入れないからな」
これが僕にできる精一杯の抵抗。
他人である未来の僕に、無責任に責任を押し付けるだけ。
「そんな怖い顔しないでよお兄ちゃん。別に今すぐ襲おうなんて思ってないよ。お兄ちゃんに嫌われるのは本意じゃないしね」
僕だって本当であれば嫌いになんてなりたくない。
ただ仲の良い兄妹になりたいだけなのに、どうして。
「あーあ。珍しく早起きしたしシャワーでも浴びて来ようかな」
綾音は一つ伸びをすると、僕の背後にある部屋の扉へと歩き始める。
綾音が僕の隣を通り過ぎる。
頬に触れる柔らかな温もり。
「クス」
何が起きたか分からない僕を横目に、綾音は部屋を後にした。
「…嗚呼、そうか…」
頬に触れた感触を理解した途端、そこから急激に体温が奪われていく。
今はただ己の悲劇を嘆くしかなかった。
687
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:18:03 ID:UGcGjuLg
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
文化祭二日目。
昨日と変わらず、否、昨日よりも学校へと行きたくないという気持ちが強まっていた。
しかしそれと同様に家に居たくない気持ちも強くなっていた。
居場所がない。
「行ってきます」
「行ってきまーす」
今日は日曜日だ。
本来ならば学校へ行かず、家で本を読むか小説を書くか、あるいは出掛けるか。
嗚呼、行きたくない。
「兄妹で朝から一緒に登校なんて随分と仲がいいのねぇ…?遍」
「…!」
重い気分により頭が自然と俯いて家を出た僕の頭先から、声がかかる。
そんな、まさか。
「おはよう」
彼女は静かに、綺麗な笑みを浮かべ朝の挨拶を掛けた。
僕は彼女に挨拶を返す前に、共に家を出た綾音の方へと視線を向ける。
「…なんであんたが?」
決して大きな声ではなく、ただの呟きなのにやけに鮮明に聞こえた。
加えて状況が理解できていない様な表情を浮かべる。
余裕、焦燥、当惑。
三者それぞれの感情が交錯する。
一秒にも一分にも思える沈黙の後、雁渡しが余裕な彼女から吹き抜ける。
酷く冷え込んだ風が肌身に染みる。
綾音はスンと一度鼻を強く鳴らす。
すると当惑して表情は、見る見るうちに憤怒、あるいは憎悪といった表情へと移り変わる。
「…ぁあ、ああ…。そうか…、そうか。お前だったんだ、お前だったんだ…お前が、お前がッッッ!」
「おはよう、はじめまして。妹ちゃん。私は貴女のお兄さんとお付き合いしている高嶺華っていうの、よろしくね」
出来過ぎた笑みを貼り付け、軽快に自己紹介をする。
信じられないと言った表情で今度は、僕に迫る。
「…どういうこと?…ねぇ、お兄ちゃん?別れたんじゃないの?別れたって、言ったよね?ねぇ!どういうことッッッ!!!?」
どういうことと言われても僕にも、理解し難い。
そもそもこんな強引な行動を取ってくるなんて思いもしなかったのだ。
こんな状況だ、いつかは僕の口からではなくて誰かの口から綾音に伝わるのは時間だと覚悟はしていたつもりだ。
しかしこんなにも早くそれが訪れるとは思ってもみなかった。
どうしてそんな油断をしていたのだろうか。
後悔が津波の様に押し寄せる。
「まぁまぁ、遍を責めないであげて、妹ちゃん」
昨日の余裕のない表情や、本音を吐露する時の表情とは違う、高嶺の花の高嶺華がそう応える。
「ふざけんな、お兄ちゃんの彼女面すんじゃねーよ、ブス」
綾音の煽りなんてまるで効いていないのか、よく出来た仮面には罅はおろか、傷一つさえ付いていないように見える。
「あはは、すごい嫌われちゃってるみたいだねぇ。多分昨日は喧嘩しちゃったから遍も別れたなんて誤解を生むような言い方を妹ちゃんにしちゃったんだね。でも無事仲直りしたし別れてなんかないよ」
「お前なんかには聞いてねぇよッッッ!…ねぇお兄ちゃん、嘘だよね?昨日別れたってそう言ったもんね?」
確かにそう言った。
それは事実だし、彼女の嘘なんて到底受け入れ難い。
しかし今朝の出来事が、今一番鮮明に脳裏に焼き付いていた僕は、高嶺華よりも先に綾音を諦めさせる方が容易なのではないかと、天秤が傾いた。
「ごめん綾音…昨日はそう言ったんだけど、あの後すぐに復縁…したんだ」
朝日が照らす高嶺華の影が、酷く歪に嗤ったような気がした。
688
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:18:56 ID:UGcGjuLg
これで、いい。
十年も可愛がってきた妹だ。
どちらが大切か比べるまでもない。
まずは適切に、綾音の気持ちにけじめをつけさせるのが先決だ。
「…嘘だよね…?お兄ちゃん…。違う…違う…お兄ちゃんはあたしに嘘なんかつかない…絶対あの女に脅されてるか…騙されてるんだよね?タチの悪いストーカー女なんだよね…そうだ、そうに決まってる…」
「酷いなぁ、そんな悪いことなんてするわけないじゃない。正真正銘、彼氏彼女の間柄なんだよ?」
「黙れッ!大体なんでお前がよりにもよってお兄ちゃんと付き合ってんだよ!?幾らでもそこら辺の男が寄って集ってきてんでしょ?!そいつらと付き合えばいいじゃないクソビッチ!!」
「わぁ…本当に酷い言葉使い。お兄さんとは似ても似つかないね。…まぁ、血が繋がってないみたいだしそれもそうかな」
火に油を注ぐ様をこれ以上見てられない。
「華。話は後で幾らでも聞くから、それ以上綾音を煽るのはやめてはくれないか?」
根本的な話、この状況を招いたのは華だ。
少し問い詰めたい気分にもなる。
「ごめんね!別に煽るつもりもなかったんだけど、そう捉えちゃったとしたら私が悪いね、あはは…」
余裕のある笑みから少し困ったような笑みへと変える華。
しかしそれも違和感のある仮面にしか、今は感じない。
「でも彼女としては、彼氏の妹ちゃんにもちゃんと認められて祝福されたいしさ。…だって私たち、結婚を前提にお付き合いしてるもんね?」
チキ、チキ、チキ。
何の音だ?
「…しね」
綾音は一歩ずつ前に出る。
一歩足を出すごとに次の一歩を踏み出すまでの間隔が早くなる。
加速度的に華へと近づく。
僕の背後から通り抜け、綾音を司会に捉えた時、先の音の正体を知った。
まずいっ!
689
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:20:04 ID:UGcGjuLg
「よせ!綾音!」
それを持つ右手を、正確には右手首を僕は素早く捕らえる。
さらに持ち替える手を塞ぐ為に左手首も捕らえる。
「離して!お兄ちゃんンッ!!こいつを殺すからさぁ!!!」
「そんなことさせられるわけないだろう!?」
「きゃあ!怖いよ、どうしてカッターなんて持ってるの?!妹ちゃん!」
「おまえみたいな泥棒猫を殺す為に決まってるでしょ!?こっちこいよ!!その喉笛切り裂いてやるッッッ!」
「わー怖い。まるで仔猫がにゃあにゃあ鳴いてるみたい…。…ふ、ふふふ、あはははははははははははははは」
ついに仮面が剥がれる音がした。
華の様子が変わるのを見ると、綾音の瞳孔はさらに強く広がる。
「駄目ね、駄目だ。やっぱり駄目だ。ずっと前から貴女のことは目につけてたけど、駄目ね。こんな害虫が何年も何年も遍の側に居たなんて考えるだけで吐きそう。殺す?あは、それはこっちの台詞よ。仲良くしたいだなんて一ミリも思ってないよ。むしろ大ッ嫌い」
より一層、綾音に力が入る。
普段運動していないとはいえ、歳の差がある、男女が差がある、なのにあと少しで抑えきれないほどの力があった。
「あんまり認めたくはないけどこれが同族嫌悪ってやつなのかな。好きな人を奪う存在がいれば躊躇うことなく殺せるところ。脅しでもなんでもない本当の殺意ってやつ。なおさら遍の側には置いておけないなぁ」
「お前とあたしがおんなじな訳ないだろッッ!クソッ死ねッッ!」
綾音は抑えてた手首のスナップを利かせ、カッターを華へと投擲した。
まずい!
決して速くはないが危険であることは変わりない。
しかし華は冷静に反応し、鞄で投擲されたカッターを防いだ。
勢いを失ったカッターは、鞄に刺さることなく、華の目の前へ落ちた。
「死ね?殺す?思い上がらないでよ。貴女だけが殺意を抱いてるなんて思わない事ね。逆に…」
目の前に落ちたカッターを、革靴の踵で踏み付ける。
パキッと破損音が鳴り、そのまま華はカッターを踏みにじる。
690
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:20:50 ID:UGcGjuLg
「殺される覚悟、あるの?」
暗く深い瞳で、綾音の激昂した瞳孔を覗き込む。
その殺意は、直接向けられていない僕にも鋭く伝わり、冷や汗が止まらない。
けれど綾音は決して怯んでる様子はなく、今もなお両腕には力が込められている。
「…ふぅん。分かったよ。私は別に今すぐ衝動に身を任せる程、愚かでもないし…、かといっていつまでもこの気持ちを抑えられるほど私の殺意も易くはないから。もう一つ然るべき準備しなきゃね」
華は脚を上げると、カッターだった二つの破片をつま先で弾いた。
「もし仮にただの妹だったのなら表面上だけは仲良くしてあげてもいいかなって思ってたけど、全然駄目。ある程度予想はしてたけど、反吐が出そう」
「そんなのこっちから願い下げだ!二度とお兄ちゃんに近づくな売女!!」
「煩いなぁ、思っていたよりずっと酷いね。まぁいいや。じゃあ遍、私やることあるから先に学校に行くね。また、後で」
いつになれば終わるのかと思っていた問答は、想定よりずっと早く終わるようだ。
華はもう一度出来過ぎた笑みを浮かべると、そのままスカートを翻し、僕らに背を向け遠ざかる。
それでも綾音の力は抜けることなく、未だ緊張感が抜けない状況だった。
「くそっ、クソッ、糞ッッッ!!」
想いの海に溺れていたところを、なんの考えもなしに目の前の舟に乗ったが、これが吉と出るか凶と出るか。
やがて華の姿が見えなくなるが、それでもまだ綾音は力は抜けなかった。
けれど華の姿が見えなくなって安堵したのは僕の方で、綾音を抑えることを続けられなくなってしまった。
「…はぁ、はぁ、はぁ。…ねぇお兄ちゃん。一つだけ聞かせて。お兄ちゃんにとってあの女は、…何?」
もう一度だけ、天秤にかけて考える。
やはり傾く方は同じだ。
「…彼女だ」
「…」
綾音はうんともすんとも返事はしない。
変わりに頬に一筋の涙がつたう。
「…赦さない」
それは華に向けた言葉なのか、あるいは僕に向けた言葉なのか。
昨日の晴天とは違う曇天の空模様は、今にも雨が溢れそうなほど、厚く暗く空を覆っていた。
691
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:22:44 ID:UGcGjuLg
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
無言のまま、彩音と共に朝の通学路を歩く。
空模様と同じく、お互いの口は重く閉ざしたままだ。
さらには学舎に近づくにつれて足取りが重くなっていくのを感じる。
僕の学生生活には、もう平穏は訪れないのだろうか。
どうしたって悪いイメージが付き纏う。
僕はいつもの通り、あの教室に入れるのだろうか?
永遠に辿り着かなければいいのにと祈れば祈るほど、学舎はさらに早く近づいてくる。
いつもはあんなにも退屈な道のりだというのに。
嗚呼、どうしてこんなにも早く辿り着くのだろう。
足取りはいつもより遅いはずなのに、体感時間で言えばいつもの半分にも満たない時間で学舎の入口まで辿り着いてしまった。
僕の胸中など知らない綾音は、そのまま決して早くはない足取りを続ける。
一瞬躊躇ってしまった僕は、それに半歩遅れる形で付いていく。
お互いの最後の別れ道である下駄箱まで辿り着いても、結局綾音は一言も喋ることはなく、僕の傍を離れていった。
形だけ開いた僕の口からは、何も声などでなかった。
少しでも気持ちが軽くなるように、鬱を溜息に乗せて吐き出し、己の下駄箱へと向かう。
もう慣れた仕草で、己の下駄箱から上履きを取り出そうとする。
「痛っ…」
指先から不意な痛みを感じる。
手を返して、痛みの原因を見てみる。
痛みを感じる指先には赤い斑点がいくつかできている。
次はさらにその原因を見るために、下駄箱へと視線を向ける。
「…嗚呼、"もう"なのか…?」
僕の上履きには、踵部分に画鋲が丁寧に貼り付けられていた。
あれだけ大勢の想いを退けてきた高嶺の花の、こんな奴が彼氏だなんてよく思わない人もいるとは思っていた。
いずれかはどこかの誰かがやるんじゃあないかと思っていた。
けれどこんなにも早いなんて思いもしなかった。
僕は今度こそ、注意しながら上履きを取り出して、丁寧に画鋲を一つずつ剥がしていく。
ちゃんと靴の中まで細工が施されていないか確認して、もう一度確認して、さらにもう一度確認してから履く。
流石に、画鋲以外の細工は施されていないようだった。
安堵と悔しさが込み上げる。
「調子乗んなよ、隠キャ」
俯いた頭先からまた声が掛かる。
けれどさっきとは違う声、聞いたこともない声だった。
ゆっくりと、頭と視線を上げていく。
視界に映ったのは一人の男子生徒の姿だったが、すぐに曲がり角に消えていった。
誰かも分からない。
画鋲を仕掛けた犯人なのだろうか。
そんなことは最早どちらでも良いことだった。
「…ははは、情けないぞ」
目には見えない敵に、挑発をかます。
692
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:23:38 ID:UGcGjuLg
けれど本当に情けないのは僕の方だ。
彼女の隣に相応しくないから。
分かってるさ、自分でも分かっている。
周りもそう思っている。
指先に滲む血が、その証拠だ。
なのに
なのに何故、高嶺華は僕に執着するんだ。
起きてしまった事実は、鬱と不安を痛みと恐怖に変える。
教室に行くのがこんなにも怖いと思ったことはない。
教室へ向かう階段の一段一段踏み締めるたび、帰ってしまいたいと心が叫びを上げる。
それでもここで逃げ出したら、奴らの思い通りだろうと、逆の足を踏み出す。
その繰り返し。
心臓は早く脈打ち、過呼吸に近づいていく。
それでも何とか教室の前まで辿り着く。
教室の扉に手を触れる、手が震える。
「開けないの?」
不意な声に、心臓を撃ち抜かれる。
「…華」
「おはよう遍、ってさっきも挨拶したばっかだったね、えへへ。…入ろうよ、教室」
また悪い方向に話が進んでいく。
そんな二人して同時に教室に入れば、僕のことをよく思わない連中の目にどう写るのか。
そんなの考えるまでもなかった。
「行こうよ」
僕の判断が下されるのを待たずに、華は教室の扉を開ける。
僕らに視線が集まる。
祭り気分で賑やかになっていたクラスは、確かに一瞬凍りついた。
しかしそれはあくまで一瞬だけの話。
教室は直ぐに喧騒を取り戻す。
けれど空気と共に凍りついた僕の心臓は、未だ解けずにいた。
「ほら、行こうよ」
今度は静かに僕にそう囁く。
脅されるように教室を見渡すと、昨日とは異なり既に学校に来ていた太一を見つけた。
背後に退路はない、僕は太一の元へ行くことにした。
クラスメイトたちの間をすり抜けていく。
その間にも感じる意識的な無関心、誰も僕の様子を気にする様子はない、不自然なまでに。
空気がへばりつくようだ。
693
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:24:56 ID:UGcGjuLg
「おはよう、太一」
空気に釣られて僕の挨拶も不自然なものになる。
「…ああ」
太一は返事は、明らかに素っ気ないものだった。
危惧していたことが、夢に見ていたことが、現実に起こり得そうな予感。
「…あはは、今日はあんまり元気ないね。具合でも悪いのかい?」
「…別に。普通だよ」
「ど、どうしたの太一?今日は変だよ?」
「そっちこそ変だと思わないのかよ。ずっと俺っちに黙っててさ。俺っちが高嶺さんの話をするとき、どういうつもりで話聞いてたんだよ」
心がどんどん衰弱していく。
たった一人の親友すら、僕は今失いかけている。
「…ち、違う。そういうつもりじゃあなかったんだ。太一、僕の話を聞いてほしい」
「悪いけど多分今は遍っちの話聞いても信じられないわ。日を改めてくれ」
「たい…ち…。ごめん…」
太一の瞳が、あの日の小岩井さんの瞳と重なる。
ああ、そうか。
そうだったのか。
僕は親友の気持ちにさえ気がつかない、愚か者だったんだ。
そして漸く理解した、僕が孤立してしまったことを。
希望の見えない絶望の淵に今僕は立たされている。
高嶺の花との関係を公になった今の気分は、想像よりも遥かに最低なものだった。
帰ってしまいたい。
否、此処じゃないどこかであれば、何処でもいい。
さっさといなくなってしまいたい。
「…い、…らぬい、不知火!」
「は、はい!」
「いるならちゃんと返事しなさい。次、須佐島」
いつの間にか、担任による点呼が取られていた。
そんなことも気が付かないほど今は視野は狭く、声が遠く聞こえる。
五感が正常に働かない。
何も聞こえない、何も見えない、何も感じない。
自分が集中している時とは、似て非なる状況に陥っていた。
戻りたくても元に戻らない。
溺れそうだ。
694
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:25:36 ID:UGcGjuLg
「遍」
藁をもすがる思いで、その声を曖昧な感覚で拾い上げる。
「遍、大丈夫?」
「…え、ああ。大丈夫だよ」
もう彼女は僕に話しかけるのに躊躇いもない。
「遍、昨日は一緒に回れなかったからさ。今日は一緒に回りたいんだけど、いい?」
こんなものはお願いではなかった。
「…いいよ」
「やった。じゃあ点呼も終わったし行こっ!」
しなやかな手で僕の手を取り、先導していく。
どこへ向かってるのか、問うてみようかと思ったが、行き先がどこでも構わない今の自分であれば、それは愚問だと気づく。
黙って連れていかれるがまま。
やがて立ち入り禁止という札を掲げられたビニールテープで繋がれた三角コーナーを踏み越えていく。
昨日とは違う、屋上ではない。
そもそもどこへ連れていかれているのだ?
頭が段々と冷静さを取り戻していく。
「華、一体どこに向かってるんだい?」
「…」
先ほどまで愚問だと決め付けていた質問に、答えることはなかった。
足が止まる。
「…社会科教室?」
「入って」
「いや、でも」
「入って」
有無も言わせない迫力がある。
そもそも立ち入り禁止の教室に何の用があるのだというのか。
鍵すら開いてないだろうという予想は、すぐに間違ってたと知る。
扉を開けば、今日が祭りの日であることを忘れるような静寂が広がっている。
695
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:26:27 ID:UGcGjuLg
「ここになにがあるって…ッ!?」
突如として頸筋に形容し難い痛みがはしる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
「ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアア嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!!!!!!!!!!!!!!」
なにがおきたの
わからない
いたい
いたいよ
「…フィクションにあるような簡単に人を気絶させる手段って現実的じゃないらしいよ。クロロホルムとか、コレとか」
これってなに?
わからない
まえがみえない
いきがくるしい
「スタンガンで気絶させるには高い電圧で長時間やんないとダメみたい。でも痛みと感電でしばらくは動けないでしょ。それで充分。それに気絶させたところで人一人運ぶのだって簡単じゃないし、ここまで来てくれないと」
どっちがうえ
どっちがした
どっちがみぎ
どっちがひだり
「こっちの方はもう準備できてるから安心して。あとは遍がこの椅子に座るだけ」
いきがつまりそう
いたい
たえられない
くるしい
「って言っても、まだ立てそうもないね。いいよ、私が座らせてあげる」
なにを
なにをされているのだ
これからなにをされるのだ
「んっ…しょ。確かに重たいけど持てないほどじゃないかも。遍はちょっと痩せすぎかな。よいしょっ…と」
あれ
ぼくはなにをされているんだ
いきをととのえろ
ととのえろ
「あとは手足に手錠するだけでよしっと。うん、これで動けないよね」
めのまえがみえてくる
はいにくうきがいってくる
いたみもすこしずつひいてきた
「おーい、遍。大丈夫?」
めのまえでてをふっている
痛みもひいてきた
状況がわかってきた
いや違う、なんだこの状況は
696
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:27:14 ID:UGcGjuLg
「少しずつ感覚取り戻してきたみたいね。別にこれはお仕置きでもなんでもないんだからこんなのでギブアップなんてやめてよね」
「…お仕置き?…ギブアップ?」
何を言っているんだ?
「なんで分からないみたいな顔してるの?言ったでしょ、昨日。厳しいお仕置きが必要だって。遍は今すごく痛そうにしてるけど、私が昨日負った心の痛みはそんなものじゃないからね。そんなのはお仕置きですらないから」
先ほどの痛みがまるで大したことのないと言った口振りだ。
とんでもない。
少なくても今のは今まで生きてきた中で最も痛かった記憶だ。
「さて、これから遍にはこれから幾つか罰を与えるから。ちゃんと、罪を、償ってね。それと同時に、またちゃんと私の事を"心の底の底"から愛せるよう更生させてあげる」
「い、一体、何をするつもりなんだ」
「まぁ折角の社会科教室だし、歴史の勉強しようか遍」
「歴史…?」
「そう歴史。それもかつて人間たちが発明してきた拷問の歴史」
「拷問だって…?正気か!?」
「正気だよ。まぁ続けるとね、人類の拷問の歴史は紀元前六世紀、古代ギリシャ時代から始まってるのよ。その人類最古の拷問器具とも呼ばれてるのが『ファラリスの牛』よ。これはね、牛を模した空洞の青銅の像の中に人を入れて、火で炙りつつけるんだって。これの恐ろしいところは熱を伝えやすい青銅による灼熱地獄と、空洞の中にいるから拷問を受けた人は煙による一酸化炭素中毒で楽に死ぬことも許されない」
恐怖が少しずつ体を支配する。
漸く、己が拘束され動けないとの恐ろしさを理解し始めた。
「…まぁ、ここにはその像もないし、火も起こせないんだけどね。拷問ってさ色々種類があって、有名なやつだと『鉄の処女』、あるいは『アイアンメイデン』なんかがあるよね。他にも痛いもの、苦しいもの、精神的におかしくなるもの。それらって本当に残酷で、残虐なものばかりだし、拷問後に身体が欠損するようなものも少なくないんだよね」
今朝とは違う、歪な笑顔を浮かべる。
「だから安心して。そういうのは模倣して拷問したりしないから。専用の道具もないしね」
「…じゃ、じゃあ一体どうするつもりなんだ」
「拷問自体は真似しないけど、エッセンスは取り入れる。『ファラリスの牛』だったら、火傷。『アイアンメイデン』だったら串刺し」
華はそう言うと、やおら何かを取り出す。
「それは…?」
「理科の授業で使ったでしょ?アルコールランプ。これでこの金属の棒を熱して、貴方の背中に焼印を押していく」
「なっ!?」
「この棒もそんなに太くないから、一点一点、何度も何度も、焼き付けていく。更生は後回しにするとして、先ずは謝罪からだよ。ごめんなさいって、二度と別れようなんて言いませんって、そう謝って。私は心の底からそう言ってると判断するまで繰り返すから」
にわかには信じ難いことを説明している間にも、アルコールランプには火が灯され、金属棒を熱していく。
「本当に正気じゃないぞ!?こんなのは犯罪だ!!」
「煩い。そんなことを言うなら、貴方こそ犯罪者だよ。私の心をズタズタに引き裂いてさ」
華は熱した金属棒を持って、動けない僕の背後へ回る。
そして僕の制服をたくし上げる。
「嘘だろ?!こんなのは狂気の沙汰だ!おかしいよ!!」
「…これはまだ始まりに過ぎないから。いっぱい、いっぱい謝ってね。それじゃあ始めるよ」
「ッッ!!ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああかああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!!!」
ーーーここは
ーーーココハ
地獄だ
697
:
高嶺の花と放課後 第13話『タンジー』
:2020/03/23(月) 20:34:17 ID:UGcGjuLg
以上で投下終了します。
前回の投稿から一ヶ月経ちました。疲れましたw
大したエピソードにするつもりはなかったんですけど、書きたいところまで書いたら文字数最多になってました。タンジーの花言葉は「抵抗」「敵意」「あなたとの戦いを宣言する」とかです。昨日も少し言ったんですけど、もう一話並行して書いてたんで遅くなりました。なので多分次は多分早いと多分思います、多分。また次もよろしくお願いします
698
:
雌豚のにおい@774人目
:2020/03/24(火) 16:02:00 ID:okt9oCy2
乙です。面白いね
699
:
雌豚のにおい@774人目
:2020/03/28(土) 00:01:24 ID:qDRUD3B.
乙乙。盛り上がって参りました()
700
:
雌豚のにおい@774人目
:2020/03/31(火) 01:58:06 ID:muNCiKro
>>699
701
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:46:05 ID:eeQ7Fw8c
投下します
702
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:47:03 ID:eeQ7Fw8c
「以前から好きでした!付き合ってください!」
一体いつから私の事が好きだったの?具体的に言ってみなよ
「絶対に幸せにしてみせます!だから僕と付き合ってください!」
私の幸せが何だか分かっていっているの?
「高嶺さんは可愛いのはもちろんなんだけど、周りに気を配れて優しくて、その上明るい人で、高嶺さんのそういうところに惹かれました!俺とお付き合いしてくれませんか?」
気を配れて明るい人なんて他にもいるじゃない、何でその人じゃないの?
分かっている。
どうせ私の顔なんでしょ。
だから嫌いだ。
顔しか見てない薄っぺらい男達も。
『高嶺の花』と呼ばれるこの名前も容姿も。
全部嫌いだ。
昔からよく周りから可愛いと言われていた。
よく男子にちょっかいを出されていた。
よく女子に嫌がらせを受けていた。
今になれば分かるが、男子のは下らない照れ隠しであり、女子のは下らないやっかみであった。
幼い頃の私は、兎に角周りの同年代の人間が嫌いで嫌いで仕方がなかった。
だから、悪循環のように周りと私との溝は深まり、私は孤立していった。
だけど私だって、一人の人間だ、女の子だ。
孤立を何とも思わなかったなんて言わない、言えるわけがない。
苦しかった。
辛かった。
寂しかった。
周りとの溝が深まるたびに、私の心は愛に植えていた。
そんな孤独の穴を埋めるのは一人でもできる読書と両親の存在だけだった。
読書を繰り返す日々を過ごしていたある日、私は美しい物語を目にした。
とても尊い愛の物語。
真実の愛。
運命の赤い糸。
永遠の誓い。
いいな。
欲しい。
周りの人間なんてどうでもいい。
私のことを愛してくれて私が愛してあげる、愛と愛で結ばれた、決して切れない絆。
私ともう一人で完成する世界。
いいなぁ。
孤独や迫害を感じるたびに、私の心の中にある器にいつも黒くてドロドロしたものが注がれて溜まっていた。
その物語を見た時、私の中にある器から黒くドロドロしたソレが溢れて止まらなかった。
やがて私がこんなにも苦しい思いをしているのは、いつか出会う私だけの王子様に会うための試練なんだと、そう思うようになっていた。
703
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:47:44 ID:eeQ7Fw8c
そんな日々が続いていたある日、迫害を受ける私を助けるヒーローのような男の子がいた。
私はその時、疑いもせず、ソイツが運命の人だと思ってしまった。
けれど騙されても仕方がなかったと今では思う。
なにしろ、私の周りの人々全員に敵に回し、私の味方をしたからだ。
嬉しかった思いをしたのは覚えている。
私にとって初めての味方。
その時に思った、来た、と。
待っていた甲斐があった、と。
私はすぐにソイツに心を開いてしまった。
程なくしてソイツは、私に「好きだ」と言ってきた。
騙されていた私は、まんまとそれを喜んで受け入れた。
私は興奮しながら私のどこが好きなのかと聞いた。
するとソイツはこう答えた。
「か、可愛いところ」
そっぽを向きながら照れ臭そうに答えていた。
あの時の、興奮が急速に冷めていく感覚は忘れない。
可愛かったら誰でもいいの?
じゃあ私が可愛くなかったら助けなかったの?
違う
違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
そんなのは真実の愛とは言わない。
そんなものは運命の赤い糸とは言わない。
違うでしょ?
君が答えなければならないのは、世界中の人間から私を選ぶ唯一の答えなんだよ。
オマエは私の待ち望んでいた王子様ではない。
「嘘つき」
私は、偽者にそう言い残し、その日を境に小学校へ行くのをやめた。
704
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:48:46 ID:eeQ7Fw8c
学校へ通うのが辛かったことを素直に親に打ち明けると、「無理して行かなくていい。それよりもよく打ち明けてくれたね。よく頑張ったね」と頭を撫でてくれた。
すると私は涙が溢れて止まらなかった。
両親の愛、愛の尊さを更に感じることとなった。
対人恐怖症になったのではないかと恐れた両親は、家庭教師を雇わず私にパソコンを買い与え、自宅でも学習できることできる体制を整えた。
私は親に与えられた愛を無駄しないように勉強にそれからの日々を費やした。
それから一年と数ヶ月後。
周りは中学生になろうという時期になっても私は、学校というものへ通う気は起きず、勉強をするか自宅または幼い頃からよく両親へ連れていかれた喫茶店『歩絵夢』で読書をしていた。
「陽子さん、こんにちは」
「あらこんにちは、華ちゃん」
八千代 陽子さん。
私が唯一、好意的に思っている他人。
学校へと通っていない私になんの偏見もなく接してくれていた。
紅茶を頼むときに少し、紅茶を持ってきてもらう時に少し、紅茶のおかわりをお願いするときも少し。
その少しずつの会話を積み重ね、今の関係ができている。
「たまには紅茶じゃなくて、コーヒー飲んでみない?」
「いやですよう、苦いですもんあれ」
「やれやれ、まだ華ちゃんはおこちゃま舌かぁ〜」
「ひっどーい!紅茶美味しいんだからいいでしょ!」
「本当は紅茶おかわり無料じゃないんだからね?もう華ちゃんは子供なのに常連だからマスターも可愛がっちゃってさ。…まぁ最初に頼んだのは私なんだけどさぁー」
「ありがとう!陽子さん、大好き!」
これは本当の気持ちだ。
陽子さんがいるから私はまだ他人との接し方を忘れずにいられる。
「おーい、マスターは?」
陽子さんに咎められる。
「マスターも大好きだよ!」
寡黙な初老のマスターは、一つ笑顔を浮かべるだけでそれ以上は何も言わない。
「ったく、調子いいんだから。JKになったらおかわり有料にするからね」
「…いいよ、どうせ学校なんて行かないし」
「…まぁ学校行くのが必ずしも正しいとは言わないけどさ。JKってだけで得することもあるよ?」
「はぁ…」
学校に行くことになんの意味があるのだろうか。
どうせ下らない連中しかいない。
勉強ならちゃんとやっている。
大好きな人の言葉といえど、私の心を説得するには些か不足だ。
そうして日々をまた積み重ねること数ヶ月。
今度は思春期と呼ばれる時期に差し掛かり始める。
身体つきが丸みを帯びたものになり、第二次性徴と呼ばれるものが次々と身体中に見られるようになっていく。
身体に変化が起きれば、心にも変化が起きる。
この頃になると、私は焦っていた。
他人嫌いを拗らせ、人と関わりを持つ事を拒み続ける生活で、いつになったら私の運命の相手に出会うのだろうか。
単純な話、出会う人の数が少なければその分、機会損失をしていることとなる。
運命の相手はきっとこの世界のどこかにいる。
けれどそれは出会わなければ意味がない。
未だ見ぬ愛しき人もきっと私のことを待っているはずだ。
灰色の日々を積み重ねていく中で、私は学校というものに再び足を運ぶ気持ちが芽生え始めていた。
単純な話、人と多く出会える環境がそこにはあるからだ。
あんなにも行きたくもなかった場所なのに、今では焦燥感に負けてしまっている。
再び学校に通う決心がついてから羽紅高校に合格をしたのは、数ヶ月後のことだった。
殊の外嬉しかったのか両親は涙し、陽子さんにも伝えにいくと
「華ちゃんもこれでJKか。これで紅茶のおかわり無料はお終いね」
そんな意地悪なお祝いをしてくれた。
705
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:50:10 ID:eeQ7Fw8c
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
入学して一ヶ月が過ぎようとした頃。
最初、どのように振る舞うか、その選択肢が私には二つあった。
一つは前と同じように極力他人と関わらないこと。
もう一つは嘘の仮面を貼り付けた生活を送ること。
初めは前者を想定していたが、そもそも入学した動機が変化を求めてのことだったため、振る舞い方にも変化が必要だと思った私は、後者の生活を選んだ。
なるべく明るく、なるべく優しく、なるべく気を遣う。
誰も彼も絵空事に思い描く良い子を演じる。
心底どうでもいいと思う有象無象共にも、わざわざ丁寧に対応する。
するとどうだ。
「…なにこれ」
いつものように下駄箱を開ければ、一通の手紙が入っていた。
いちいち細かい内容なんて覚えてなんかいないが、放課後に屋上に来いとのことだった。
仕方ないと、指定通りに屋上へ向かうことにする。
「あ、良かった!高嶺さん来てくれたんだ」
邂逅してようやく、差出人の名前と顔が一致した。
同じクラスの男子生徒だった。
「どうしたの吉原くん?話があるって」
白々しい質問だ。
こんなところに呼び出す用件を想像できないほど、私は鈍くない。
「単刀直入に言います。高嶺さん、あなたに一目惚れしました、付き合ってください」
男子生徒は手を前で組み、そう言ってのけた。
その瞬間、背筋に嫌悪感が走った。
気持ち悪い。
「…あはは、ごめんね。吉原くんのことはかっこいいとは思うけど私は吉原くんのことよく分からないし…」
当たり障りのない言葉で断ろうとする。
「だったら、友達からでもいい!俺のことが分かってくれたらその時に返事をしていいから!」
しまった。
当たり障りのない言葉を選んでしまったがために、断る理由が弱いものとなってしまい、相手が食い下がる。
一目惚れ、なんて気持ちの悪い理由で、告白するような男が運命の相手な訳がない。
そんな奴と、演技でも仲良くするには無理がある。
なんとかして断りたいという気持ちでいっぱいになる。
心が先走り、理性が働かない。
「…あの、それもごめんなさい。今はその、誰とも付き合う気がないの」
相手がこれ以上、食い下がる前に私は踵を返し、その場を後にする。
相手から見えなくなった事を確認すると、私は女子トイレに駆け込んだ。
「…ぅっ、ぇぇぇ…」
凄まじい嫌悪感は、吐き気を催した。
やっぱり嫌いだ。
学校も有象無象も。
挫けそうになる。
だけどもしかしたら、この学校にいるかもしれないのだ。
私の運命の相手が。
また不登校になるわけにはいかない。
気を強く持ち直し、仮面を付け直す。
そこから一年近くは、精神的に堪える日々が続いた。
最初の嫌悪感が凄まじい告白は、始まりの合図でしかなったのだ。
告白される。
嫌悪感が走る。
断る。
嘔吐する。
その繰り返しだ。
身も心もどんどんすり減っていく。
そうやって雨と紫陽花を疎ましく思いながら、蝉の音を聞き過ごし、落ち葉を踏みつけ、降り積もった雪を踏み越えていく。
もうこの頃になると、一日の中で何度も学校辞めようという考えが浮かんでいた。
ここまで過ごしてきて分かったが、長期休み前に告白する人が多いという事だ。
春休みを目前にした今、おのずと告白される頻度も増えていた。
辟易とする。
706
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:51:01 ID:eeQ7Fw8c
胃液で焼きついた胸をさすりながら、さっさと帰ろうと廊下を歩いている時だった。
忘れもしない。
この時、二月二十九日、四年に一度の閏日。
私と愛する貴方の運命が交わり始めたんだ。
閑散とした教室に一人、机にしがみ付いてひたすら筆を動かす貴方がいた。
初めは勉強をしているのかとでも思い、そのまま通り過ぎようとするが、一つの疑問が後ろ髪を引く。
机にあるのはどうみてもノートと筆だけ。
そしてただただ凄まじい集中力で勢いよく、筆が走る。
果たして本当に勉強しているのか?
勉強しているのであれば、教科書あるいはプリントも、机の上にあってもよいのではないか?
気になる。
何故こんなにも疑問と好奇心が浮かぶのか。
この時は分からなかったが、今になって思えばこれも運命だとしか説明のつけようがなかった。
私は自分の心に従い、入ったことも無い教室へと踏み入れる。
その様子にも気づくことはなく、相変わらず筆を走らせてる。
そして息を殺して覗き込む。
すぐに分かった。
小説だ。
彼は小説を書いている。
物凄い勢いで綴られていく物語を追っていく。
否、物語に惹き込まれる。
背筋に何かが走る。
嫌悪感ではない。
ーーーーーーーーゾクゾクゾク
走り去った何かの感覚を追いかけるように鳥肌が走る。
こんなに美しい物語を見たのは二度目だ。
その筆先で語られた物語は、尊いそれはもう尊い愛の物語だった。
この人は私と同じ"愛"の価値観持っている。
価値観は重要なことだ。
何者だろうか、この男の子は。
私が男子に興味を持ったのは、生まれて初めての事だった。
私がその物語から動けないでいると貴方はいきなり筆を止め、一つため息を吐いた。
私はその時、まずいと思って、固まってしまう。
覗き見した言い訳が一切思いつかなかった。
緊張感が血液を加速させ、灼けた喉の不快感がさらに増していく。
けれどいつまでも背後にいる私に気付く様子はなく、もう一度筆を取り、再び物語を綴り始めた。
すっかり萎縮した私は、彼の集中力が続いているうちにその場を後にした。
その後。
帰り道をふらふら、ふらふらと歩く。
あの人はいつもあそこで書いているのだろうか?
本当に私に気がつかなかったのだろうか?
愛についてどう考えているのか?
あの物語の結末はどうなるのだろうか?
溢れ出す疑問が止まらない。
波のように押し寄せる疑問が、好奇心となって押し返される。
けれど翌日から始まる学年末試験によるものか、その日以降姿を見る事なく、結局春休みが始まってしまった。
これらの問いの答えは一切分からずじまいだった。
707
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:52:16 ID:eeQ7Fw8c
学年を跨ぐ春休みの間、私は悶々とした日々を送っていた。
分かっているのは彼の顔と同学年ということだけ。
あまりにも不足した情報。
知りたい。
好奇心が日に日に増していく。
終いには、早く登校を再開したいと思うまでになっていた。
今までの積み重ねきた日々より、一日一日が長い。
早く学校始まらないかな。
…。
やがて春休みが終わると、私は気持ちが急いてしまい、いつもの登校時間より遥かに早い時間に辿り着いてしまった。
温暖化の影響からか、すでに桜は散り始めている。
校舎へ足を踏み入れれば、掲示板に『新クラス分け』と書かれた用紙が何枚も貼られていた。
自分の名前を探す。
「…あった。A組、ね」
クラス分けも重要なことだ。
もし彼と同じクラスになれれば、それだけ彼のことを調べやすくなる。
けれども、彼の名前を分からない私は、今それを調べる術は持ち合わせていなかった。
A組からE組まであるので単純な話で言えば、五分の一の確率で同じクラスになるという計算になる。
正直、確率としては低い方だろう。
あまり期待を持たないほうがいいのかもしれない。
同じクラスになることも、そもそも彼が特別な存在になりうることも。
あれだけ好奇心に急かされていたことが、嘘みたいに冷めていく。
仕方ない、早く着き過ぎた分は読書で潰すことにしよう。
そう思い、新しい教室の扉を開ける。
その瞬間、目に入ってきた光景に心臓が掴まれる。
彼だ。
彼がいた。
同じクラスメイトだったんだ。
この間とは違い、彼はただ静かに読書していた。
しかし集中力は相変わらずのようで、教室へ入ってきた私に気が付かない様子だった。
私は黒板に貼られている新しいクラスでの、席順を確認する。
私の席を確認するのもそうだが、彼の名前が知れる。
やっとだ。
不知火 遍。
これが彼の名前。
頭の上で、運命という文字が踊る。
高鳴る気持ちを抑えつつ、自分の席に着き、私も読書をすることにした。
二人だけの教室。
同じことをする。
感覚が繋がっていくような、そんな感覚。
心地良くも感じるその時間は、永遠に続くわけなく、あっという間に次々と現れるクラスメイトたちによって終わってしまった。
苛立ちを感じざるを得ない。
良い子を演じるため、クラスメイトと談笑しているうちに、全校集会の時間が訪れる。
彼をちらと確認すると一人の男子生徒と会話をしているようだった。
話し相手の男子に特段興味は湧かないが、彼は別だ。
不知火くん。
君のことが知りたい。
愛についてどう思う?どう考えているの?
あの物語の続きが知りたい。
教えてほしい。
そんなことばかり考えてしまい、朝礼の言葉など入ってきやしない。
長くも短くも感じる全校集会が解散し、教室へ戻る。
そして担任となる太田先生が教室へと入ってきて手短に話を終えると、その流れで自己紹介をすることになった。
心底どうでもいいと思える自己紹介を、幾つも幾つも聞き流し、ただその時を待つ。
まだかな。
まだかな。
きた。
708
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:54:49 ID:eeQ7Fw8c
「えっ…と不知火 遍です。好きなことは読書です。よろしくお願いします」
間違いない。
彼は不知火 遍。
もう忘れない。
…。
それからの日々は私にとって初めて満たされた学生生活だった。
あれだけ気持ちの悪かった告白も、今では何とも感じなくなっていた。
それどころか、放課後に告白をされた後、教室へと戻れば、いつも物語を書いている君がいる。
私は静かにそれを眺める。
貴方は集中力が凄いから私に気づかない。
でもそれでいい。
完成された心地の良い世界を享受する。
不知火くんの指先から紡がれる物語はなんて美しいのだろう。
まるで読んでいる私が、物語の中の恋をしているような、そんな錯覚に陥る。
私も毎日放課後に残るわけでもないから、物語は私の中で断片的なものになっている。
けれど、自然と私の中で補完できてしまう。
同じ"愛"の価値観を持っているから。
分かる不知火くん?
私たち、繋がっているんだよ?
しばらくは、その心安らぐような放課後を積み重ねることで満足していた。
けれど、私も貪欲な生き物なんだろう。
もっと先へ関係を進めたい。
不知火くんの為人を知りたい。
価値観が同じなのは重要なことだけれど、それだけが全てではない。
最も大事なのは相性だ。
私の心に空いた穴を塞ぐほどの相性の良さであれば、不知火くんは私の運命の人かもしれない。
どうすればいい?
どうすれば自然に私たち"知り合える"かな?
私に気付いて。
お願い。
そんな欲望が積もり、もはや唇が触れ合いそうになる距離まで顔が自然に近づいてしまう。
ドキドキする。
こんな気持ちは初めてだ。
胸の高鳴りを必死に抑えようとしていると、また不知火くんは溜息を吐く。
これが何を意味をするのか、今の私なら分かる。
彼の集中力が切れたのだ。
すると彼は何気ない視線の移動で私の両眼に合う。
709
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:55:38 ID:eeQ7Fw8c
「わぁぁ!!!」
「きゃっ」
彼はとても驚いたようで、私の想像を超えるような声を上げた。
「あ、あ、ご、ごめんなさい高嶺さん。驚かしてしまって」
けれど、彼はすぐに私を気遣った素振りを見せる。
「ううん、ごめんね不知火くん?私の方こそ驚かしちゃったよね?」
癖になってしまった良い子の仮面が勝手に喋る。
「えええと、どうしたの?」
彼が精神的に乱れているのはあからさまだった。
「えーっと私、自分で言うのも恥ずかしいんだけど今日、告白のために呼び出されていて教室にかばん置いたまま校舎裏で受けてそれが終わって教室に戻ってきたら不知火くんがいて、勉強してるのかなー偉いなーっと思って近くまで寄って後ろから覗き込んでたらこうなっちゃった」
我ながら良くもここまで簡単に嘘をつけるなと感心してしまう。
「あのさ、高嶺さん。見た?」
やはり彼にとってあまり見られたくないものらしいのか、そんなことを聞いてくる。
「うん。あっ、もしかして…」
ごめんね不知火くん。
本当はもっと前から君の小説を、君のことを見ていたんだよ。
「うん、そのもしかして」
「ご、ごめんね?そんなつもりはなかったんだ!なんの勉強してるか気になっただけで…!」
初めはそうだったかもしれないけど、今日は違う。
私は確信犯。
「えっともういいんだよ。見られちゃったものは仕方ないし」
「ごめん…」
「確かにさ、あんまり見られたくないものだったけどいつかは人に見せないといけなかったしいいきっかけになったと思うよ、うん」
「見せないといけないって、不知火くんもしかして…」
「うん、そのもしかして」
思わず笑みが溢れる。
なんだか同じやりとりの繰り返しが面白かったのだけれど、彼はどうやら彼の夢を私が笑ったと捉えたのか、不快感を示すような顔をする。
「あ、違うの!その夢がおかしいんじゃなくて同じ会話繰り返してなんだか面白くておかしいなっておもっただけで…!」
貴方の夢を笑ったりするわけない。
「確かにそうだったね」
彼は私の意図を汲み取ったのか、愛想笑いを浮かべる。
「それにしても私のクラスに作家さん志望がいたんだねぇ」
「意外だったかい?」
「なんていうか不思議。あの作家さんと同じクラスだったんだよーって将来起こるってことでしょ?」
「いやいやいや、僕がまだ作家として売れるとは限らないし…」
いいえ。
あんな美しい物語が書けるのであれば、小説家として大成するのは間違いないよ。
「ううん、私はそう思う。だって私普段あまり本は読まないけど今の不知火くんの文章はすごくひきこまれたもん!」
「世辞でも嬉しいよ。ありがとう高嶺さん」
世辞だと思われないように半分嘘をついたのだが、逆効果のようだった。
「あ!信じてないなぁ?」
「いやいや、信じてるよ」
「ならよろしい。じゃ、せっかくのところ邪魔してごめんね?私はもう帰るから」
「またね高嶺さん」
またね。
再会の挨拶をかけられたのが嬉しくて
「またね!不知火くん!」
思わず大きな声で返事をしてしまった。
恥ずかしさを誤魔化すように教室から急いで出る。
胸がきゅぅぅと締め付けられる。
またね。
これはきっと不知火くんは、私と仲良くなりたいって捉えていいんだよね?
彼から話してくれるのを待ってもいいんだよね?
期待の蕾が、今か今かと花開くのを待つのを感じる。
今は六月。
あと一月程で向日葵が咲く時期だった。
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
710
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:56:14 ID:eeQ7Fw8c
高校二年七月初旬。
苛立ちが募っていた。
待てど暮らせど件の彼、不知火遍からの接触はなく、話しかける気配すら感じなかった。
加えて、初夏と梅雨の暑さと湿気が苛立ちを助長している。
いつになれば彼は私に話しかけてくれるのだろうか。
またね。
あの言葉は、どういうつもりで言ったのか。
色々と問い詰めたい気持ちはあるのだが、こちらから話しかける勇気を持ち合わせていなかった。
拒絶されたらどうしよう、そんなことばかりを考えて一月の間、動けないでいた。
臆病者だ、私は。
どうでもいい奴らとは簡単に表向きの関係を築けるのに、たった一人の気になる人とは関係を築けない。
もどかしい。
そう一ヶ月が経ったのだ。
我慢の限界だった。
だから私はもう一度、同じやり方で彼に接触をすることを図った。
今度は気づきやすいようにあえて彼の正面で待つ。
「終わったぁ」
彼はおもむろに筆を置き伸びをする。
「おつかれさま。その顔を見るとどうやらやっぱり私に気づいてなかったんだね」
「た、高嶺さん、どうして…」
「先月と同じ理由だよ」
「そっ、か。なんていうか久しぶりだね」
「うん!久しぶり、って同じクラスなんだけどね」
いざ話始めれば思わず笑みが溢れる。
嘘偽りのない笑みが。
「そうだよね、変だよね」
そして彼も釣られて笑う。
「本当は仲良くなりたかったんだけど…ほら、急に不知火くんと仲良くなったら不知火くんの本のことみんなにバレちゃうかもしれないしなんていうか話しかけづらかったんだよね」
嘘をつく、臆病者。
「…そっか、僕も同じ理由だよ」
「でも1ヶ月で書き上げちゃうんだね。すごいな不知火くんって」
「いやいやノート1冊分くらいの短編小説だしプロの人たちに比べたらまだまだだよ」
「ね!」
「?」
「読んでいい?」
実の所、要所要所で覗きはしているのだが、彼に正式に見せてもらうということに意味がある。
「駄文だけど読んでくれるかい?」
「やったぁ」
彼の承諾が得られる。
彼から世界史と書かれたノートを手渡される。
思わず息を呑み込む。
彼が紡ぎ出した美し世界が、今まさに私の掌にある。
勿論、断片的となった物語を完璧に補完できる。
そのことに喜びを覚えるが、もっと喜ばしいのが彼に拒絶されなかったこと。
それだけで、この一月で溜まっていった嘘だったかのようにストレスが一気に消え去っていく。
物語を追っていく。
ここはもう知っている。
ここは知らない。
嗚呼、こういう風に物語が綴られていくのか。
答え合わせのように、私の妄想と不知火くんの物語を照らし合わせる。
711
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:56:55 ID:eeQ7Fw8c
暫く物語に夢中になっていた私だが、不知火くんの様子が気になって、ふと視線を移す。
すると彼は本を読んで集中しているようだった。
…面白くない。
自意識過剰なのは分かっているが、もっと物語を読んでいる私に興味を持って欲しかった。
私じゃなくて本に夢中になってる彼を見て、不快感が増していく。
「不知火くん」
少し刺のある言い方で呼びかけてしまう。
しまったと思ったが、それでも彼は私に気がつかずにそのまま読書を続けてる。
面白くない。
面白くない面白くない面白くない。
「不知火くん、不知火くん」
もっと私に興味を持ってよ。
なんでどうでもいい奴らからは散々言い寄られて、距離を縮めたいと思ってる人に限って、こうも関心を持たれないのか。
私を見てよ。
「不知火くん、不知火くん、不知火くん!」
呼びかけでは、まるで反応しない彼に苛立ち、とうとう手を出して揺さぶる。
「うわ!」
すると、彼はとても驚いたように本の世界から、こちらの世界へ戻ってくる。
「ごめんね、何度呼んでも反応しないからさ」
ごめんね、でも何度も呼びかけてるのに気付かない貴方が悪いんだよ?
「いやいやこちらこそ気がつかなくてごめん」
彼は申し訳なさそうに私に謝る。
そして今一度、姿勢を立て直し私に尋ねてきた。
「それで、読み終わったかい?」
「ううん」
完全には読み終わってないのは事実だが、あと10分もあれば読了を終えるのも事実だった。
「だからね、これ持って帰ってもいい?」
しかし、その事実を伝えはしない。
「え?」
「だめかな?」
彼との接点を手放さない、話しかけるきっかけになる。
「いやだめじゃないけど…」
「やった。じゃあもう暗くなって来たし帰ろうよ」
「え?」
私が帰路を共にすることを誘うと、そんな返事がきた。
「僕は羽紅駅とは逆の方だけど、高嶺さんは?」
「私も途中まで一緒だから、ね?いこ?」
違う。
私は本当は駅の方、電車で通学している。
けれど私は今、好奇心が絶頂に達しているのだ。
この機会を逃すわけがない。
712
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:57:18 ID:eeQ7Fw8c
その帰り、私はひとつひとつ質問を重ねていくことにする。
彼のことをひとつひとつ理解する為に。
私は、彼の好物がきんぴらだということ、妹がいること、そして毎日放課後に残って書いているということを聞いた。
前者ふたつは初めて知ったことだが、最後に問うた質問に関しては、正直半分わかってた上で聞いた。
理由は明日彼に会うための口実作り。
「分かった!じゃあまたね不知火くん」
「うん、またね」
再び交わす別れの挨拶。
けれど前回の形だけの再会の約束とは違う。
私には今、彼と"小説"という繋がりがある。
口実もある、繋がりもある。
私は翌日の放課後、すぐに彼に会いに行った。
まだ彼のことを知らない、分からない。
だから彼と言葉を交わし、勉強を教えるという名目で、次の約束を取り付ける。
そうやって会うたびに次の約束を取り付け、初めの失敗を繰り返さないようにする。
何日も話をするうちに、すっかり私は彼に夢中になってしまった。
彼は少し変わった人だ。
喋り方も独特だ。
でもその個性が私を魅了してやまない。
楽しい。
彼に勉強を教える日々を過ごすうちに、頭の片隅で思ってきた疑問と不安が徐々に大きくなるのを感じた。
彼は一体私のことをどう思っているのか。
もし。
もしも。
彼が私のことをただの高嶺の花としか思っていないのであれば。
忘れられないあの、心の燈が消えて急速に冷えていく感覚が、全身を恐怖で包む。
不知火くんも偽物なの?
教えて欲しい。
応えて欲しい。
そんな思いが、彼のために作っていた模擬問題に、一つの問いを加えた。
『問24 あなたは高嶺 華に対してどのような印象もしくは高嶺 華がどういう人間だと思うか。答えよ』
仮にこの問いに有象無象たちと同じ答えをするのであれば、私と不知火くんの関係はそこまで。
けれど…それ以外の答えであれば。
「…ねぇ、不知火くんはどっち?」
713
:
高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』
:2020/03/31(火) 14:58:46 ID:eeQ7Fw8c
以上で高嶺の花と放課後プロローグ『アネモネ』の投下を終了します。『アネモネ』の花言葉は『君を愛す』『真実』『期待』等です。13話書いてる途中で思い付いたのでこういう形でプロローグを書くことにしました。そろそろ佳境に入っていきます。実を言うと最終話が8割方書き終わってます。あとはゴールに向かって書いていきます。それではまた第14話で
714
:
雌豚のにおい@774人目
:2020/04/01(水) 22:09:03 ID:oCGexBFI
結構前から存在を知っていたのね。納得。
また続き楽しみにしてます。
715
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:25:22 ID:PT2Ypp.E
投下します。
716
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:25:40 ID:PT2Ypp.E
高校2年 11月上旬
誰よりも早く学校に来る。
誰よりも早く教室に入る。
誰よりも早く入った教室で本を読む。
以前から繰り返していた特に意味を持たなかった習慣は、今や他人から悪意を受け取らないための防衛策となっていた。
授業と授業の間も、本を読む。
周りの声を無視することが、今僕にできる唯一の心の救済だった。
けれど流石に昼休みになれば、1人の無視できない存在がこちらへ向かってくる。
「遍。今日もお弁当作ってきたから一緒に食べよ?」
「…うん」
この瞬間だけは、周りの声も視線も無視できない。
嫌なものを見る目で僕を見る。
ふたりきりになりたいと、彼女は屋上へ行くことを望む。
僕も同じく、ふたりきりになりたかった。
「んー!いい天気だね遍!」
「うん、そうだね」
空を見上げれば見事な秋晴れが広がっていた。
風が少し冷たいが、その分日差しが心地よく感じる。
「でもちょっと風が冷たいし、日差しで食べよっか」
彼女も同じことを考えていたようだ。
「そうしよう」
僕が同意したのを見ると、彼女は布に包まれた二組の弁当箱を取り出し、中身を僕に見せるように開ける。
「じゃーん。今日は遍の好きなきんぴら作ってきたの!」
そのまま箸を取り出し、きんぴらを掬い上げる。
「はい、あーん」
僕は言われるがまま、雛鳥のように口を開き、好物を口に含む。
「…どう…かな?」
少々不安げな表情を浮かべる。
「うん、美味しいよ」
少し塩辛い気もするが十分美味しいと言えるものだった。
僕がそう答えると、彼女は不安げな表情から嬉しそうな表情へと綻んでいく、
「えへへ、良かった。遍の好きなものなのに口に合わなかったらどうしようって不安だったんだぁ。愛情もたっぷり詰まってるからいっぱい食べてね」
咀嚼が止まる。
順調に回していた歯車が、ギシギシと音を立て、途端に噛み合わなくなる。
「…どうしたの?」
再び不安げな表情で僕に尋ねる彼女。
しかし先とは違う、味に関する不安ではない。
きっと彼女の望む日常が壊れてしまうのではないかという恐れからの、不安。
その表情が、その目が、全身の痛みを思い出させる。
「い、いやなんでもないよ?」
歯車をすぐに修繕して、日常をまた回し始める。
全身がズキズキと痛む。
もう五日も前のことなのに、生傷のように痛みが走る。
余計なことを考えるな。
彼女が望む生活を営む。
もう、足掻くのは無駄なことだと充分、理解した。
それに彼女の愛を受け入れることに、なんの問題があるのだろうか。
…ない。
問題など無い。
考えるな、考えるな。
余計なことを考えれば、痛みが全身を苦しめる。
彼女の愛を素直に受け入れれば、痛くも無いし幸せじゃあないか。
余計なことを考えるな。
さっきは悪意から必死に守っていた心を、今度は声を上げなくなるように殴り続ける。
本心が分からなくなるまで殴り続ける。
もう本音なんて喋る必要はない。
人にも、己にも。
「ごちそうさまでした」
僕は高嶺華と日常を過ごす。
それだけだ。
717
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:50:27 ID:BHazLbKo
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ーーーーー
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「ただいま」
前回の期末考査と同じく、放課後ふたりきりの教室で勉強をし、帰宅する頃にはすっかり夕飯の時刻となっていた。
革靴を脱ぎ、廊下に足を乗せたところでリビングから義母が顔を出してきた。
「おかえり、遍くん」
「…綾音は?」
「…」
義母は口を閉ざし、静かに首を横に振る。
今日で五日目。
あの日以来綾音は、部屋に篭っていた。
最早、生きているか定かではない状況だが、どうやら食事だけはちゃんと取っているらしい。
「…あの子本当にどうしちゃったのかしら」
義母はまだ事の顛末を知らない。
言うべきか言わないべきか正直分からなかった。
否、本当は言うべきなのかもしれない。
母親として娘を案ずる気持ちはよく分かるのだが、然りとて面と向かって「貴方の娘は近親愛願望の持ち主でした」と言える勇気はとてもじゃないけど持ち合わせてはいなかった。
それに僕も日常を維持するのにいっぱいいっぱいになってる。
やっとの思いで均衡を保っている。
自分以外に気を使う余裕を持ち合わせてはいない。
「…先にお風呂に入ってくるよ。夕飯は先に食べてて」
そんな器の小さい自分が情けなくて、家族とすら顔を合わせたくなくなる。
「…待ちなさい、遍くん。綾音も確かに心配だけど、あなたも最近少しおかしいわよ」
何日も連続して、夕飯を共にすることを避けてれば、あまりに不自然なのは少し考えれば分かることだった。
「…僕?僕は大丈夫だよ?」
嘘つきの笑顔を浮かべる。
けれど義母はただ悲しい顔をするだけだった。
「…遍くん。私そんなに頼りないかな。確かに私達は血の繋がりがないけど、私はあなたのことを本当の息子だ思ってる。遍くんは私のことを本当の母親のように信頼するのは難しい?」
「まさか。そんなこと…」
「…じゃあどうしてそんな、誤魔化したような笑いをするの?」
二の句が告げられなくなる。
義母は泣いていた。
例え家族だとしても、その笑顔が本物か偽物かなんて、判断をつけるのは難しいはず。
それなのに、僕の笑顔が嘘だと気付き、それを悲しんでいる。
きっと義母は本当の母親になろうと、相当な努力をしてきたのだろう。
「…ごめんなさい。先に夕飯を食べることにするよ。話はそこでもいいかい?」
「…分かったわ」
「荷物、置いてくるよ」
罪悪感に髪を引かれながら、自室のある二階へと登る。
階段を登りきってまず目に入ったのは、彩音の部屋の前の廊下に置かれているお盆と食器だった。
けれど僕は足を止めずにそのまま、自室へ入る。
「…なにしているんだろう」
自分でもおかしいのはわかる。
いつもの自分であれば、妹の異変の心配をし、荷物を置くより先に綾音の部屋に様子を伺いに行くというのに。
「駄目じゃない…、綾音ちゃんの心配しちゃあ」
「!?」
華が耳元で囁く。
慌てて振り返る。
けれど華の姿はどこにもなく、自室の扉がそこにあるだけだった。
718
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:52:37 ID:BHazLbKo
「…はぁ」
あの"教育"以来、時折こうして華の幻が僕に警告してくる。
「分かっているさ…。君以外は愛さない」
そこに華はいないのに、僕は華に誓いの言葉を捧げる。
華も言っていた。
中途半端な愛情を注ぐから彩音も苦しむのだと。
綾音を真っ当な道に戻すなら綾音が諦めるまで徹底的に距離を置くべきと。
初めは納得できなかったが、今ではそれが本当に正しいやり方なのではないかと思い始めている。
近過ぎず遠過ぎないから近づきたくなる、近づけるかもしれないと思わせないほど遠くなればきっと綾音も…。
制服から部屋着へと着替え、自室を後にする。
今度は部屋から出る時は、一度も綾音の部屋を見ずに階段を降りた。
意図的に見なかった。
リビングへ足を運ぶと机の上には、煮物や焼魚といった二人分の食事が置いてあった。
家族は四人いるのに、その半数しかない。
「父さんは?」
「剛さん、仕事で遅くなるんですって」
ということは、恐らく僕の分と義母の分なのだろう。
綾音の分は、と聞くのは余りにも野暮というものだ。
「じゃあ食べようか…」
四人分の座席、誰がいつ決めたかも分からない決められたいつもの席に座る。
「いただきます」
「…いただきます」
いつもの半数の食卓は、いつもの半分以上に静寂なものだ。
否、ここに父がいても変わることはない。
不在が存在を強く認識させる。
綾音がどれだけ不知火家に必要か、今ならよく分かる。
義母も口を開かない。
これは元よりそうだということではなく、あくまで僕が口を開くのを待っている、そんな状態のように思える。
では話すと言っても、僕が一体なにを話せるというのだろうか。
義妹が、貴女の娘が僕を恋慕の対象として見てました。
或いは。
彼女が、交際相手が僕を…僕を。
僕を?
アイシテクレマシタ
悪寒が全身を包む。
719
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:53:27 ID:BHazLbKo
少しでも彼女の事を悪く思えば、思考が固まり、その先が考えられなくなる。
心が悲鳴を上げているのは分かっている。
風でも吹けば、すぐに崩れてしまいそうなほど危険で歪な精神のバランス。
「遍くん…顔色悪いわよ…」
今にも心が壊れてしまいそうな最低な気分は、義母の口を開かせるほどの表情を写し出してしまった。
話せない。
話せるわけがない。
自分自身の心にさえ、話せないのに。
「その…さ。綾音が…」
そう考えていたら、口が勝手に言葉を選び始めた。
「どうやら僕の事を、好いていた…みたいなんだ。兄としてじゃなくて…その…」
ここから先は流石に言いにくいと口にブレーキがかかる。
それでも義母は察したようで、目を少し開いた後、空気が漏れるようなため息を吐いた。
「そっ…か。そっか。…そうだったのね。そう…なっちゃったのね」
義母としても複雑な心境なのだろう。
上手く言葉が見つからないと言った様子だった。
「僕が言ったのは、到底綾音の想いは受け入れられないといった旨だよ…」
「それっていつの話?」
「五日前、文化祭二日目の朝だ」
「…」
言葉を見つけるのが容易ではない、そういった様子だった。
当たり前の話だ。
義母の思いも、綾音の想いも、僕の憶いも、簡単なものじゃない。
僕らは皆、一言で表せられるような、そんな単純なものを、心の内に飼っていない。
何が正解で、何が間違いなのか。
そもそも正解も間違いもあるのか。
分かるはずもない。
「僕としては受け入れられないと綾音に伝えたんだ。元よりそんな気は持ち合わせてはいなかったし、僕には今…彼女が居るから」
「…そうよね。遍くんは何も悪くない、ただ…当たり前の事を言っただけ」
無理な笑みを浮かべる。
それだけで義母の胸中にどれだけ複雑なものが渦巻いているのかが分かる。
「…いつか私にも紹介してね、遍くんの彼女」
「うん…」
何の気兼ねもなく華を家に連れて来れる日がやってくるのだろうか。
何の希望も見出せない中で食べる夕食は、酷く薄味なものだった。
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
いつもの通学路を歩き、いつも通っている羽紅高校に着く。
けれど今日はいつも通う学舎が目的地ではなく、その先。
羽紅駅での待ち合わせ。
歩くたびに駅の姿が大きくなり、間もなく到着する頃には待ち人を視認できる距離だった。
720
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:54:04 ID:BHazLbKo
待ち人はどうやら誰かと話していたようだった。
その誰かも分からない男の人が去るまで待とうかと思ったが、あいにく集合時間を過ぎようとしていた。
仕方無しに僕は彼女に挨拶をすることにする。
「お待たせ、華」
「…ほらね」
彼女は一度僕を見ると、直ぐに話していた人に冷たい視線を向ける。
「…ちぇ、本当にいたのかよ。しかも…。見る目ないんだな」
男は明らかに悪意を僕らに向け、そのまま立ち去っていく。
「…知り合いかい?」
明らかに違うことはわかり切っているのに、そんな野暮な質問をする。
「違うよ、ナンパ」
つまらなさそうに吐き捨てる。
そのまま華は溜息を一つ吐いて、僕に体を向け直す。
「遅いよ遍。時間ギリギリに来るから貴方の愛する彼女がナンパされるんだよ?」
「ごめんよ、思ったより支度に手間がかかってしまってね」
途端に彼女が抱きついてくる。
「会いたかった」
熱の帯びた囁きが、肩を湿らす。
「…昨日別れてからまだ半日しか経ってないよ」
「半日"も"離れてたのよ?遍に会えない時間は1分でも1秒でも苦痛なのに、半日も会えないなんて気が狂いそう」
彼女の強い想いに僕は返す言葉を出せないでいた。
「ねぇ」
「?」
「嫉妬、…した?」
先程とはうって変わって酷く冷めた声で、囁く。
間違いない。
間違えてはいけない。
僕は"正解"を答えなければならない。
「…うん。華は誰の目から見ても魅力的だから、仕方ないとは思うけど」
「あいつらから魅力的に見えるかなんてどうでもいいの。…遍から見て私は魅力的?」
「うん。僕には勿体無いほどの自慢の彼女だよ」
「…もう。そうやって直ぐ自分のことを物差しで測るんだから」
華は少しだけ体を離して、薄桃色の唇を僕の唇に合わせる。
「…その癖、治してね」
大丈夫、しくじってない。
どうやら僕の回答は及第点のようだ。
「じゃーあ。早く行こっ。早くお家デートしよ!」
「今日はお家デートじゃなくて勉強会だからね」
「今日だけじゃなくて明日も!もう遍ったら。どうしてそんな色気の無いこと言うのっ?」
「ははは、明後日からテストだし、流石に無視できないよ」
「今週凄い勉強したし、今の遍なら今日明日やんなくても絶対いい点数とれるよ」
「流石にそれは過信しすぎだよ」
「むぅ、遍のいけず」
「…別に一日中、勉強だけするわけでもないんだろう?」
華は一度目を大きく開くと、向日葵のような笑顔を咲かせる。
「うん!早く行こう!」
僕はあまり慣れない仕草で券売機を操作する。
721
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:54:58 ID:BHazLbKo
「華の家の最寄駅ってどこなんだい?」
「二つ隣の夜鳥町(よるとりまち)ってところ」
言われるがまま、二番目に安い切符を買う。
「そもそも、華の家は僕の家とは同じ方向どころか反対側、しかも電車を使うじゃあないか」
「あはは…。どうしても遍と一緒に帰りたかったから嘘ついちゃった。ごめんね?」
「いや、怒ってはないんだけれども…」
怒ってはない。
怒ってはないがそもそも出会いの時点からそんなにも想い寄られてるにも関わらず、その気配を一寸も感じ取れなかった己の鈍さに、呆れてものも言えない。
「最近は遍にお弁当作ってるから、どうしても朝早く出る遍に間に合わないんだよねぇ…」
不満が漏れる。
券売機からも切符が漏れる。
「ま、でもいいんだ。もう遍は四六時中私のモノだもんね」
「…そうだね」
改札機に切符を喰わせる。
別の口から不味いと吐き出される。
電車なんてものに乗るのは随分と久しい。
電光掲示板で次にやってくる電車の時刻を確認しようと上を眺めていると、左腕にスルリと蛇のように華の腕が絡みつく。
「なぁに?」
無意識の内に左にいる華を見やると、そんなことを聞いてくる。
出来れば人の目につく時はやめて欲しいと言おうとしたが、上手く言葉が舌に乗らない。
「…今日も可愛いなと思っただけさ。ナンパする彼の気持ちもよく分かるよ」
代わりに出てきたのは気障ったらしい台詞だった。
「えへへ、嬉しい。…私ね、実はあんまり人から可愛いとか言われるの好きじゃなかったんだ。昔からみんなそう言うの。まるで私の存在意義が可愛く在り続けることだけのように。私は人形なんかじゃない。…いつも思ってたの。もし私が可愛くなければ、この人達は同じ様に接していたのだろうかって、ね。私が思うに、答えはノーよ」
「…容姿抜きで接し方を決めるなんてことは無理な話だとは思うさ。容姿はその人の魅力の内の一つなのだから」
「それは付加価値であるべきであって、存在価値を決定付けるものであってはいけないの。けど残念ながら心の底で、そういったふざけた考えを持ってる人間が殆ど。本当に嫌になるよ、人は心が一番大事なのにね。そういう意味でも本当に世の中、下らない人間が多すぎる」
感情が昂ったのか蛇の様に絡んでいた腕があっという間に解かれる。
「だから私に"可愛い"とか言ってくる人間は、『嗚呼、この人は私の心より容姿を見てるんだな』って、凄く嫌悪感が湧いてくるの」
「…もしかして、僕がさっき言ったこと気に障ったかい?」
「ううん、違う違う。遍は特別。そもそも遍が私のことを可愛いって言ってくれたのは付き合い始めてからだし、私のことちゃんと見てくれてるってことも知ってる。それにやっぱり好きな人に可愛いって言ってもらえるのは、本当に嬉しくなるんだね」
華が頬が紅色に染まる。
「好きだよ、遍」
心の底から笑っている様な、そんな幸福に包まれた表情を浮かべる。
それを見て僕は僅かに、ほんの僅かに、心の内にも幸福が芽生えるのを感じる。
これは僕の中の誰の感情なんだ?
戸惑いを感じざるを得ない。
722
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:55:31 ID:BHazLbKo
「?どうしたの遍」
僕の戸惑いが華にも伝わったのか、そんなことを聞いてくる。
この気持ちを素直に伝えるのは悪いことでないのではないか。
そう思い、言葉に表そうとする。
「華、僕ーーーーー」
しかしその声は、突如やってきた通過列車のけたたましい音に遮られる。
列車が通過するまで一度口を閉じる。
十秒もすれば、電車は通り過ぎていった。
「ごめん遍。なんて言ったの?」
もう一度面と向かって、言うには少し恥ずかしい台詞だ。
「僕、華と付き合えて良かったよ」
確かに苦しいこと、辛いことがあった。
随分と非道いこともされた。
けれどそれも全て彼女の想いの強さ故。
この一週間は本当に孤独と悪意が強く僕の心を折ろうとしていた。
それでも折れないでいたのは、少なくても僕の隣で、花が咲いたように笑う可憐な少女が居たから。
そもそも孤独になった原因は彼女なのだが、その原因の原因を作り出したのは僕だ。
ちょっと嫉妬心が強いだけ、ちょっと独占欲が強いだけ。
そこに目を瞑れば、見る人を魅了してやまない美しい少女。
僕の初恋だった相手。
人は誰しも短所の一つや二つはある。
もうどうしようもないのであれば、せめて肯定的に受け入れよう。
「ぁぁぁ…ああ…嗚呼!嬉しい…、嬉しい!!」
華は目を大きく開き、恍惚とした表情を浮かべる。
でも僕はこのまま、彼女に依存してしまって良いのだろうか?
もし彼女が僕に愛想を尽かしたら?
支えを失った心はどうなってしまうのか。
文字通り、身体に刻まれるほど彼女の愛を教えられたというのに、まだそれを信じ切れてない。
愚か過ぎて言葉が浮かばない。
ーーーーまもなく一番線に電車が到着いたします。
自己嫌悪に浸っている僕を、構内アナウンスが引き上げる。
「あっ…これに乗って二駅で着くからね」
「さっき言ってたばかりだから忘れるわけないだろう」
「えー?どうかな。遍、おっちょこちょいなところあるからなぁー?」
「そんな、…心外だ」
「そういうところも含めて、好きだから安心してね」
可憐な笑顔を浮かべる。
嗚呼、彼女はなんで美しいのだろうか。
彼女が僕にしてきた仕打ちなど、帳消しするほどに。
しかしその考えは、彼女の嫌う有象無象の考え方。
もしこれが彼女にバレてしまったら?
忍び寄る恐怖の程が、知らず知らずのうちに僕が彼女にどれだけ依存し始めているか、その様子を無様にも写し出していた。
723
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:56:08 ID:BHazLbKo
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
他所の家に上がるのは、初めてではないのだが、それでも片手で数える程度の回数の上、随分と久しい出来事だった。
「どうぞ」
どんな家なのか色々と想像はしてみたが、豪邸でも何でもなく団地の一角の部屋だった。
少し古めかしい玄関の扉を開けば、清潔な廊下が真っ直ぐと奥の部屋まで伸びていた。
「…他人の家の匂いだ」
思わずそんな感想を零すと、彼女はクスリと笑った。
「一番最初の感想がそれ?」
「嗚呼、いやごめん。凄く綺麗なお家だね」
「一応、彼氏が来るんだもん。頑張って掃除したんだよ?あっ、コレ使って」
そう言って彼女は、下駄箱にあったスリッパを僕に渡してくる。
「ありがとう」
先にスリッパに履き替えた家主の娘は、奥の部屋に先導するように歩き始めた。
廊下には多くの写真が飾られていた。
「これ全部、華?」
「そうだよー。うちは両親が溺愛しててね、よく記念に写真撮っては飾ってるの。ちょっと恥ずかしいな、えへへ…。ここがリビングだよ」
廊下を抜けると、他所の暮らしがそこに広がっていた。
「荷物はソファに置いていいよ。遍、まだお昼ご飯食べてない?」
「朝ご飯は食べたけれども、お昼ご飯はまだ食べていないよ」
「じゃあ先にお昼ご飯作ってあげるね!適当にくつろいでて!」
「適当に…か」
適当にと言われても、一体全体どう過ごせばいいのか、不器用な僕は思いつかない。
生憎、本当に勉強する気で来ているため、文庫本などは持ち合わせていない。
仕方なしにと、鞄の中で着替えなどに埋もれている参考書を手に取る。
「もうっ、くつろいでてって言ったのに」
少し僕を咎めるような口調で現れてきたのは、エプロン姿の華だった。
「くつろいでてって言われても、何をしたらいいのか分からないんだ」
自嘲気味に笑う。
「遍、本は?」
「持ってきてないさ。だって勉強するつもりで来たんだから」
「もー、変なところで真面目なんだから」
そう言うと、彼女は廊下の方へ歩いて行き、何処かの部屋に入ると直ぐに出てくる。
「いいよ、私がご飯作ってる間好きなの読んでて」
部屋から戻ってきた彼女が持ってきたのは、数冊の文庫本だった。
「これ華のかい?」
「ん?そうだけどどうしたの?」
渡された本はどれも、映画化やドラマ化して世間で話題になったようなものではなく、本屋を数時間散策して漸く見つけるようなものばかりだった。
「華、あんまり本読まないって言ってなかったかい?」
「んー?そんなこと言ったっけなぁ」
彼女は僕に背を向けたまま、そんな事を言う。
まぁさして気にするような事でもないかと、思い直し渡された本をいくつか吟味する。
正直どれも見たことない題名、作者の本だ。
『コウノトリの子供達』
『鵺の式神』
『esper』
取り敢えず、気になったものを手に取り、僕はそれを読むことにした。
目次を開くうちに聞こえてくるのは、コンロに火がつく音。
僕も何度も聞いている音なのに、随分と新鮮に感じる。
続けて、包丁が小気味よく何かを切る音が聞こえる。
それだけで彼女がどれだけ手馴れているのかが分かる。
僕もその音を背景に、読書を始めることにする。
二人だけしかいない空間で始める読書は、すんなりと集中の海へと潜り込んでいった。
724
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:56:43 ID:BHazLbKo
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
「ご馳走様でした。凄く美味しかったよ」
腹八分目ならぬ腹十分目に達し、これ以上食べられないと判断した。
「お粗末様でした。えへへお口にあってよかった」
少々味付けが濃かった気もする。
彼女は濃い味が好みなのだろうか。
僕が読書に夢中になっている間に、作られてきたのは、これでもかという程の種類の料理だった。
肉じゃが、角煮、おひたし、きんぴら、炊き込みご飯。
普段料理をしている僕は、否、普段料理していなくても大変手間のかかっているものというのは一目瞭然だった。
どう考えても僕の読書の時間で出来上がる程度のものじゃあない。
事前に準備してあったのは明らかだ。
「遍は、もう少し食べてくれると嬉しいんだけどなぁ」
当然食べきれない量の食事だったため、華は口を尖らせながら残った分をラップに包んでいた。
「確かに僕は少食なのかもしれないけれどもさ、それでもこれは中々普通の人でも食べきれないと思うんだけどなぁ」
「うーん、張り切り過ぎちゃって作り過ぎたのは認めるけど、少食すぎると心配になっちゃうよ」
「そんなに心配になる程、少食だって自覚は無かったなぁ」
「これから体力使うんだし、ちゃんと食べないとね」
体力を使うとは勉強のことを指しているのだろうか?
それならば彼女の意識も、先程とは打って変わって本格的に中間考査に向けられたことになる。
「あんまり食後の余韻に浸っていると日が暮れてしまいそうだ。勉強はここでやるのかい?」
ここ、とはリビングを指して訪ねたものだ。
「んーん。私の部屋でやろうよ」
頭の片隅で予測はしていたことだが、いざ年頃の女性の部屋へと招かれると、多少なりとも高揚するものを感じる。
ほんの少しだけ下半身に血流が加速するのを感じて、己のはしたなさを感じる。
幾らなんでもそれは節操がないと、羞恥心と困惑が入り乱れる。
何を考えているんだ僕は。
高揚した心は直ぐに冷静さを取り戻したが、身の方は落ち着きが戻らない。
次第に戸惑いの気持ちが強くなる。
「そ、そういえばご両親は居ないんだね」
今更聞く質問でもなければ、今の心境で聞く質問でもない。
自分の中で"それ"を強く意識してしまっている。
分かっているのに無理に意識を逸らそうとして、意識的な質問をしてしまった。
「だーかーらー、今日はお父さんもお母さんも仕事だって、先週言ったじゃない。夜まで帰ってこないよっ」
対する彼女の方はというと、期待に胸が膨らむといった様子。
それ程までに勉強会を楽しみにしているということになる。
「そ、そっか。夜になったらきちんと挨拶しなきゃね」
「私からはもう話してあるんだけどね、でもやっぱりそういうしっかりしてるとこも好きだよ」
725
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:57:59 ID:BHazLbKo
好き。
付き合い始めてから幾度も伝えられてきた言葉だが、付き合い始めてから最も胸が高鳴るのを感じた。
否、出逢ってから最も、だ。
先程から、一度火がついた感情はより大きく燃え上がり、鎮火する様子がまるで無い。
「あー…、僕も好き…だ…よ」
好意を伝えるのに何故こんなにも照れ臭い感情が湧いてくるのか。
自分らしくない。
なんだこれは?
「…嬉しい。じゃあ荷物持って部屋…行こっか」
彼女の様子もなんだかおかしく見えてくる。
美しい花で魅了する何時もの彼女とは違う、花の奥、蜜の匂いで誘うような妖艶な気配。
彼女がおかしいのか?
「…うん」
違う、おかしいのは僕の方だ。
「じゃあ荷物持って、…こっちきて」
自らの異変を理解してても、僕は蜜蜂のように花へと誘われてしまう。
玄関からリビングを結ぶ廊下、その途中にある扉、そこまで歩いて華は止まる。
「ここが私の部屋だよ」
部屋の主が扉を開く。
再び気持ちが、大きく高揚する。
最早、冷静ではなくなってしまった頭では、ぬいぐるみが置いてある可愛らしい部屋などを妄想してしまう。
しかし目に飛び込んできたのは、シンプルという一言に尽きる部屋だった。
白い壁紙に黒い家具がある部屋。
モノクロな印象を与えられる部屋。
無機質な部屋とも言い換えて良いものだった。
内装を見て、僕の先程までの妄想が、如何に気色の悪いものだったかを理解し、自己嫌悪に陥る。
再び先ほどの高揚した気持ちは沈められる。
感情の山と谷が繰り返される。
726
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:58:28 ID:BHazLbKo
「取り敢えず、荷物はそこに置いてベッドに腰掛けていいよ」
「え?いや僕は立ったままで良いというか…」
今こんな状態で彼女のベッドに座ったら恥ずかしさと罪悪感に押し潰されてしまいそうな気がする。
「言い訳ないでしょう、いいから座って。ね?」
「な、なんなら床で僕は大丈夫だからっ」
「く、ふふふ」
問答をしてる最中だというのに、突如として彼女は笑い出した。
「ど、どうしたの?」
「ふふ、ねぇ遍。今どんな気持ちかな?」
「ど…んな気持ちと、言われても…」
もう先程から感じている違和感は、身体にも明らかに影響が出ていた。
心拍数は異常なまでに高まり、呼吸は荒く、視界が狭い。
正直考えたくないが、僕の陰茎ももう肥大してしまっている。
答えに詰まっている僕の様子を見て、華は僕に対して距離を詰めてくる。
彼女から発せられる蜜の匂いが、今はひどく辛い。
彼女はそのままそっと耳元まで口を寄せる。
「興奮…してきた?」
残り僅かな理性が、必死に状況を理解しようとする。
この身体の異変と彼女は関係しているのか?
駄目だ、蜜の匂いに酔ってしまいそこから先が考えられない。
そんな僕の様子を満足気に眺めると、彼女は頰に手を寄せ、そのまま待ち合わせの時と同じように僕と唇を合わせにいく。
いつもと同じ柔らかな感触、いつもと違う気持ちの高揚、いつもと違うのはそれだけじゃなかった。
突如として、生暖かい呼気が流し込まれる。
突然の事に驚いた僕の後頭部をすかさず抑え、今度はドロッとした唾液が流し込まれる。
彼女の舌が触手のように口腔内で暴れまわり、僕の舌を捉えると執拗なまでに絡みつく。
その間にも何処かへと誘導するように彼女の柔らかな身体を強く押しつけてくる。
僕はそれを受け止めきれず、徐々に徐々に後退していく。
一歩、二歩、三歩。
やがて踵は何かに躓き、そこを支点にして彼女が僕に全体重を押し付けてくる。
支えきれない僕はそのまま後方へ倒れ込むと、背中に柔らかな衝撃が広がる。
727
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:59:18 ID:BHazLbKo
彼女が上。
僕が下。
彼女から大量の唾液がもう一度、流し込まれる。
これでもかと流し込まれる。
終わりがない。
溺れてしまう。
堪えきれず、僕は彼女の唾液を嚥下する。
その様子を見て、目を細めた彼女は、舌を引っ込め唇を離す。
何本もの銀色の糸がひかれる。
「くふふ、くふふふ。しちゃったね、ディープキス」
「けほっ、けほっ、けほっ」
酸欠となり、呼気を多く取り入れようとした時、口の中に残っていた唾液が気管に入り込み、むせ込んでしまう。
ベッドに倒れ込んでいる僕に彼女は馬乗りの姿勢になる。
「ねぇ遍。この一週間どうだった?」
「けほっ、けほっ」
「辛かった?寂しかった?私が今までフってきた男たちに嫌がらせをされた?」
「けほっ…、はぁっはぁっ」
「周りの有象無象たちが貴方に悪意を向けているのは分かっていた。でも私はそれを分かってて止めようとしなかった。何故だかわかる?」
「はぁっ…はぁっ」
先程からの身体の異変に加え、酸欠によって、思考がまともにまとまらない。
「貴方に有象無象が如何に最低で汚い生き物かってことを教えてあげるため。私の気持ちを理解してもらうため」
僕の両腕は、彼女の両腕に強く抑えられる。
「正直に言うとね、私。今遍がクラスから孤立して凄く嬉しいんだぁ。私も昔、孤立してたって話はしたよね?だから孤独の辛さは私もよく知っている。そして孤独が愛に飢えを与えることもよく知っている」
獲物がかかった、そんな蜘蛛のような捕食者の目を僕に向ける。
「そしてついに孤独が私達を強く愛で結びつけた!心が繋がった!こんなに幸せなことってあるのかなぁ?こんなに心が満たされることがあっていいのかなぁ?!もう幸せ過ぎて怖いよ、あはははは!」
恐怖を感じるまでに美しい笑顔を浮かべる。
「それにもう遍が他の女に関わることもない。ふふ、あはは。心が繋がった。魂が繋がった、運命が繋がった!遍、あと私たちに足りない繋がりが何か分かる?」
「つな…がり?」
「肉体と血、だよ。この繋がりさえあれば私たちは完璧な存在になれる。共依存の番いになれる」
彼女は再び上体を倒し込み、僕の耳にそっと囁く。
「赤ちゃん、つくろっか」
馬鹿な僕は漸く、彼女がしようとしてることを理解した。
「あ、赤ちゃんってまさか本当にそんなことをするのか!?」
「するよ、セックス。そのためにご飯に精力剤とか興奮剤とか混ぜたんだから。遍もシたくて堪らないんじゃない?」
身体の異変の原因をさらっと述べられたが、それよりももっと重要なことがある。
728
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 13:59:58 ID:BHazLbKo
「ま、待っておくれ!百歩譲って今性行為に及ぶとして、避妊はしなきゃ駄目だ!まだ高校生の僕にそんな責任負えない!」
「お金の心配なら必要ないよ。出産一時金っていう補償制度もあるみたいだし、本当にお金が足りなくなったら、私は学校辞めて働くよ」
「お金の話もそうだけど、このまま生まれてきた命が健やかに育つ環境を僕らまだ持ってないじゃあないか!そもそも付き合ってからまだ一ヶ月だ!」
「付き合い始めてからの日数なんて関係ないよ。大事なのはどれだけお互いがお互いを愛しているか、でしょ。それに一ヶ月で肉体関係持つのは妥当だよ」
彼女は僕の両腕と上半身から離れると、自らのセーターを脱ぎ去る。
季節に対して、薄着な格好になったがそれでも彼女は、それだけでなくその薄着な格好も脱ぎ去る。
彼女の上半身に残っている衣は、もはや下着のみになっていた。
彼女は僕の手を取ると、上体を引き起こすように引っ張る。
半ば無理矢理起こされる形になり、僕らは向かい合うような姿勢になる。
「最後は遍が外して」
そのまま僕の手を背中へと回す。
「お願いだ、華。避妊だけはしよう、僕は君を愛してる、逃げも隠れもしないから、それだけは…」
「大丈夫。子供ができればきっと遍も受け入れる。私たちは幸せな家族になれるよ」
傀儡人形のように僕の手を操り、彼女は下着のホックを外す。
重力に負けてそのまま下着が落ちていく。
初めて見る、女性のあられもない姿。
人生を左右しかねない状況だというのに、気持ちの昂りが抑えられない。
これも薬の影響だというのか。
「どうかな、私の身体。今まであんまり気にしなかったけど遍に出逢ってからは少しずつ気を使うようにはしてたんだよ?」
「凄く綺麗だと思うけど…けど」
「嬉しい…。じゃあ遍も脱ごっか。私だけだと恥ずかしいもん」
もう僕の主張は聞かないと言わんばかりに、彼女は僕の洋服のボタンを一つ一つ外していく。
「ほら、脱いで」
なんとか抗いたいというのに、彼女の言葉がどうしても簡単に頭に染み込んでしまう。
自分の気持ちをコントロール出来ていない。
理性が崩れていく音がする。
729
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 14:00:32 ID:BHazLbKo
「こういうのは段階を踏んでやるものだよ…僕たちには早すぎる」
もはやこの台詞に中身などない。
覚えている知識を吐いているだけ。
しかしそれが彼女の逆鱗に触れてしまった。
「煩いなぁ…また"お仕置き"して欲しいの?」
僕の反抗の意志はここで失う。
嗚呼、逆らえない。
「ごめんなさい」
謝罪と共に、脱衣を済ませる。
残すはお互いの、下半身の衣類のみとなった。
「ほらやっぱり。肋骨が浮き出てるじゃない。痩せすぎも良くないよ」
僕の肋骨を一本一本確かめるように、脇腹を撫でていく。
そのまま臍を辿り、僕に残された最後の衣服にも手をかける。
「こっちも脱ごっか」
僕は彼女の言葉に従うしかない。
黙って脱ぐ僕の姿を見ると、彼女もそれに合わせるように残ったスカート、下着を脱ぐ。
これでお互い一糸纏わぬ姿になってしまった。
「ふふ、遍はもう準備万端だね。安心して私ももう大丈夫だから」
相手を気にする余裕がなかったからなのか、今になって漸く、彼女の頰や瞳が赤くなっている事に気がついた。
「まさか、華も…」
「うん、飲んでるよ興奮剤。お互い初めてだしなるべく気持ちを高めた方が失敗しないと思ってね」
華は腰を浮かし、僕の陰茎に手をかけると、彼女への入り口に先端を当てがう。
「ぁぁあ…やっと繋がるんだッ、やっと…やっと!」
背筋が凍るほどの笑顔を浮かべている。
駄目だもう後に引けない。
彼女はゆっくりと腰を下ろし始める。
「痛ッッッ」
「うっ…」
薬の影響で陰茎への血流が加速しているため、初めて感じる感触がより敏感に知覚される。
先端から根元へゆっくりと、ゆっくりと彼女が覆っていく。
快楽が背筋を貫く。
彼女と僕が完全に繋がるまでそう時間はかからなかった。
730
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 14:01:18 ID:BHazLbKo
「これで…これ…で、私たちは肉体の繋がりが出来た。後は…血の繋がりだけ…」
血、と言われたからなのか鼻腔に錆びた鉄の臭いが届く。
気のせいかと思ったが、彼女の苦痛に歪む表情を見てから、結合部へと視線を移すと、それが気のせいでもなんでもなく、本当に流血していることに気付く。
噂では聞いたことがあるけれど、実際に目の当たりにすると自らがとんでもないことをしてしまった気分になる。
「…華、大丈夫かい?」
「うぅ…ごめん。思ったより痛くて暫く動けそうにないや。痛い…痛い!」
「そんなに無理しなくてもいいじゃないのか…日を改めよう」
「馬鹿な事を言わないで!ここまでしておいて日を改めるなんて有り得ない!あと少しだから…あと少しで動けるからッ…」
その言葉通りとは思えない様子で、僕を掴んでいる彼女の手は力み、痛みが伝播する。
そうして一分、二分、或いは五分かもしれない時間、お互いは動かず痛みに耐える時を過ごした。
痛みはまだ治らないといった様子だが、僕の腰にかかっている体重が少しずつ軽くなっていくのを感じる。
「…ごめん、待ったよね。今からッ…動くから…」
敏感になっている陰茎で感じる膣内の摩擦は、ほんの少しの動きだけで強烈な快楽をもたらしてきた。
今にも果ててしまいそうな程に。
それでも自分の中に僅かに生き残っている責任能力がそれを堰き止めている。
数センチ彼女が腰浮かせたところでピタリと止まり、再び重力の通りにゆっくりと腰を下ろし始める。
血が滲むほど爪が食い込んでしまった肩からはもう痛みなど感じず、ただただ一点から感じる快楽が脳を麻痺させていく。
彼女は腰を下ろし終わると間髪入れずに、腰を上げるしなやかな腰使いで、膣を上に擦り上げていく。
そのまま僕の陰茎が抜けてしまうのではないかというまでに引き上げると、今度は強く一度腰を下ろした。
パンッ
互いの肉体がシンバルのようにぶつかり合う音が、無機質な音に響き渡る。
「痛ッ…たい…」
苦痛に歪む彼女の顔は相変わらずで、目頭には涙すら浮かんでいる。
731
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 14:01:54 ID:BHazLbKo
それでも彼女は腰を止める事なく、またしなやかな腰使いで、膣を引き上げる。
そして落とす。
パンッ
再び無機質な部屋に、淫らな音が響き渡る。
間髪入れず腰を引き上げる。
降ろす。
パンッ
淫らな音が鳴る。
引き上げる。
落とす。
パンッ
音が鳴るたびに快楽が、全身に衝撃となって駆け抜ける。
引き上げる。
落とす。
パンッ
引き上げる。
降ろす。
パンッ
引き上げる。
落とす。
パンッ
引き上げる。
落とす。
引き上げる。
落とす。
引き上げる。
落とす。
パンッ、パンッ、パンッ
三度続けて、淫らな音を響かせる。
732
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 14:03:38 ID:BHazLbKo
視界は点滅し始め、今にも決壊してしまいそうなものを、上っ面だけの責任という防波堤で抑えるには限界が、近づいてきた。
引き上げる。
落とす
引き上げる。
落とす。
引き上げる。
落とす。
パンッ、パンッ、パンッ。
津波のように何度も何度も、快楽が押し寄せる。
丹田に力を込めて、果てまいと我慢するにも、限界がすぐそこまで来ていた。
「んッ!?」
丹田に力を入れることに注力していた僕はもう余裕がなく、彼女に唇を奪われたことに気付くのに数秒の時間を要した。
「ン…チュ…ッ…ハァ、ハァ。ン…ンンッ」
痛みに耐える中、必死に快楽を得ようと僕の口の中を貪欲に貪っていく。
腰の動きは止まらない。
苦痛と緊張でこれでもかと固く締まられた膣内を、愛液と血液が潤滑油となって、暴力的な快楽になる。
彼女の獣のような粗い呼吸が、僕の肺を激しく襲う。
息もできない。
苦しい。
気持ちがいい。
助けて。
もう我慢できない。
無責任。
パンッ、パンッ、パンッ、パンッ、パンッ、パンッ、パンッ、パンッ、パンッ、パンッ
何度も何度も、互いの性器が擦り合う。
もう駄目だ。
理性が殺される。
出るッッ
「ンンッッ!」
視界が飛ぶ。
弾ける。
目眩がする。
ホワイトアウト。
気持ちがいい。
多幸感が全身を包む。
嗚呼…やってしまった…
性欲を彼女の中に吐き出してしまった。
眠気が襲い掛かる。
嫌だ。
そんな責任僕には負えない。
でも気持ち良かった。
嗚呼、彼女はなんて、素敵なのだろう。
脳味噌が焼き切れる程の絶頂を迎え、同時にあってはならないことを起こしてしまった重責がのしかかり、僕は現実逃避するように、夢の世界へと身を投じた。
733
:
高嶺の花と放課後 第14話『スグリ』
:2020/04/12(日) 14:22:33 ID:BHazLbKo
以上で投下終了します。いつもスマホで小説書いてるんですがスマホでコピペして投稿するのは少し面倒だったのでパソコンから投下することにしました。IDが変わっているのはそういうことです。第14話『スグリ』の花言葉は「あなたの不機嫌が私を苦しめる」「私はあなたを喜ばせる」など…です。
まああれです。よくあるえっちなやつです。正直こういう描写書くかは迷いました。僕はヤンデレ=セックスみたいな安直な方程式があんまり好きじゃないんですが、まあ華がヤりたいって言ってたので書きました()
その代わり、初体験はくそ痛くしてあげたのでお相子です。ではまた第15話で
734
:
雌豚のにおい@774人目
:2020/04/13(月) 22:10:30 ID:FJ8bZSR2
乙。綾音がどう出てくるかwktk
735
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 16:53:47 ID:iWJxOaSw
テスト投下します
736
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 16:55:05 ID:iWJxOaSw
目を覚ますと、カーテンの隙間から刺す茜色の光が波打っていた。
「おはよう」
僕のすぐ隣には、優しい笑みを浮かべる彼女が居た。
布団の隙間から見える彼女の裸体、そして肌から感じる肌の感覚で、己の置かれた状況を改めて理解した。
「!」
そうだ、僕は…。
結局、責任から逃れたいと寝てしまっても、逃げる事など叶うはずもない。
色々と思うところもあるが、まずは彼女の心配が先に浮かんだ。
「華…その、大丈夫かい?」
「ん…何が?」
「ほら…血が…さ、かなり出てたように見えたんだけれど」
「心配してくれてるの?嬉しいなぁ…。大丈夫、って言いたいところなんだけど、動くとまだ少し痛いかな」
嘘偽りなど感じない、優しい声色。
過ぎたことは戻せないのだから、一々頭を悩ませてても仕方がない。
まずは自分の落ち着きを取り戻そう。
少しだけ頭痛がするが、薬の症状はかなり緩和されているように思える。
「…シャワー浴びる?」
「そうさせてもらおうかな…」
ベットは乾いた精液と血液の匂いで、微かな不快な感覚が嗅覚を擽る。
「お風呂は廊下に出て左前の扉の先あるからシャワー浴びてていいよ。私は少し後始末するからさ」
「僕も手伝うよ」
「大丈夫よ、こういうのは家主の方に任せて」
確かに部外者の僕が手伝っても、かえって邪魔になることもあるかもしれない。
「ごめん、ありがとう」
素直に言葉に甘えることにして、申し訳なさと感謝の気持ちを口にする。
「いいのいいの。夜にはお父さんとお母さんも帰ってくるからそれまでに清潔にしとかないとね」
「ああ…そうだね。じゃあシャワーお借りします」
「はーい」
華の部屋をそのまま離れるが、疑問が幾つか引っ掛かった。
そういえば、当たり前の話だけれど華のご両親は当然いるわけで、夜に帰ってくるのも当然の話である。
それまでに帰れば、鉢合うこともないだろうが、既に宿泊するという約束をしているし、そのための荷物は持ってきている。
そもそも華のご両親は、僕が今日来ることを知っているんだろうか。
言われた通りに廊下を出て左前の扉を開くと、目の前に洗面台が高嶺家の生活を映していた。
洗濯機、洗濯籠、体重計、バスマット、半透明の扉。
その扉の先に浴室があるの想像に難くない。
服を脱ごうと思ったが、そもそも脱ぐ服がないことに気がつき、己の間抜けさに呆れてしまった。
半透明の扉を開き、浴槽への足を踏み入れる。
「他人の家で、シャワーを浴びるなんて初めてだな」
下らない感想が漏れる。
今は何も考えずに体に付き纏う汚れを落とす。
全身の汚れを落としたら、早々に浴室を出る。
737
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 16:57:39 ID:iWJxOaSw
「あっ…」
目の前には丁度、華がバスタオルを抱えていた。
「あの…これ使ってね」
「ありがとう」
華からバスタオルを受け取ると、濡れた全身を拭く。
その間も華はそこを離れず、僕の体をじっと見ている。
「えっ…とそんなに見られると恥ずかしいかもしれない」
「へ?ああごめん」
謝りつつも決して目を逸らすことなく、寧ろ僕に触れてくる始末。
「華…?」
「嗚呼、この。私が付けた愛の印」
目を細め、恍惚とした表情で、僕の"傷跡"をなぞる。
「遍は私だけのもの。誰にも渡さない」
「…僕はどこにも行かないよ」
「うんうん。それでいいんだよ」
僕の返事に満足気な笑顔を浮かべる。
その後。
僕と入れ替わるように華はシャワーを浴びて、何事もなかったかのように本来の目的である勉強会を2時間ほど行った。
窓から見える景色はすっかり暗くなり、腹の虫も鳴きそうな頃に、玄関がガチャリという施錠の音が鳴る。
誰かの来訪、否、帰宅に少し緊張が走る。
もう一度、ガチャリと施錠の音を響かせると一歩また一歩と廊下を踏みしめる音がする。
そして音が最も大きくなったところで、二回部屋の扉がノックされる。
「ただいま、っと。嗚呼君が娘の彼氏かな?」
ワックスで髪を固めた紳士服の男性だった。
あまり華とは顔つきは似ていないように思えるが娘と言ったあたりこの人が華の父親で間違いないだろう。
「あの…お邪魔しています。華さんとお付き合いをさせて頂いている不知火遍と申します」
「娘からは話を聞いてるよ。よく来てくれたね、歓迎するよ」
右手を差し伸べられたのでそれに応じるように僕は握手をした。
「小説家になるのが夢なんだってね」
「あの…はい」
「今日は遍くんの書いた小説は持ってきているのかい?」
「すみません、その明後日から中間考査なので勉強道具しか持ってきていなくて」
「あっはははは。真面目だね遍くん。それは残念だけれど、今度私にも読ませてほしいな」
「そんな、こちらこそお願いしたいくらいです」
「娘から聞いていた通り、随分と好青年のようだ」
ちらりと背後に目を向けると誇らしげに、華は笑みを浮かべる。
「そうだ、遍くん。一つだけどうしても聞きたい事があるんだ」
「はい、何ですか?」
「君は、他人を虐めたことはあるかい?」
不気味な笑顔を浮かべる。
「い…じめ?」
「娘はね、昔虐めにあっててね。そういった連中が私は心底嫌いなんだ。子供の頃だろうが関係ない、一度でもそういったことをした事があれば私は君を認めるわけにはいかないんだよ」
嗚呼、この人は間違いなく華の父親なんだと強く認識させられる。
この黒い瞳に覚えがある。
「その…、僕は昔から本の虫でした。友達と遊ぶよりも読書するのが好きでした。だから一人でいることも多く、どちらかといえばいじめられる側にいたと思います。はっきりとしたいじめというものにはあった覚えはありませんが、そんな僕が他人を虐めた記憶はありません」
「それは良かった。せっかく娘が惚れ込んだ男なのに私が認めないわけにもいかないからねぇ」
満足げな笑顔を浮かべ、顎に手を当てる。
「それに君は虐げられる側の気持ちがわかる良い青年の様だ。これからも娘を宜しく頼むよ」
「…はい」
「さあ夕飯を食べよう。話したい事が山積みだ。改めて遍くんを心から歓迎するよ」
この時になってようやく気付いた。
最初は僕のことを歓迎なんてしていなかったことを。
738
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 16:58:10 ID:iWJxOaSw
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ーーーーーーー
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ーーー
ー
「はい、試験終了。筆記用具を机の上に置いておくように」
「えー中間考査お疲れ様。このままホームルームして解散をしようと思うんだが、一つみんなにやってもらいたいことがある」
「これだ。一回目の進路調査を行う」
これ、と言って太田先生が取り出したのは小さな用紙だった。
「君たちの高校生活はもう折り返し始めている。正直まだ入学してから間もない気分でいる者も居ると思うが、もうそんな時期に入っているんだ」
「君たちは永遠に高校生ではいられない。必ず将来の別々の道を歩む事になる。その歩む道を今の内から少しずつ一人一人が考えなくちゃならない」
「大学へ進学する者、就職する者、色んな人が居ると思う。高校を卒業して進む先によって人生が決まるとはそんな大袈裟なことは言わない。人はいつだって人生を変えられる」
「ただし、今この瞬間が大きな転換点を迎えていることをよく覚えておいてくれ。今一度、小学生の頃の夢、中学生の頃の憧れ、そして今の自分のやりたい事。それらよく考え思い出し、自分の道を決めてもらいたい」
手元に配られてきた用紙には、上から第一希望、第二希望、第三希望と書かれており、それぞれの隣は空白の欄となっていた。
決してそう書いてあるわけではないのだが、まるで大学へ行く事が当然であるかのようなレイアウト。
如何に僕が異端な存在かを、まざまざと表している。
太田先生の言う通り、まだ入学してから間もない気分でいて、自分が物書きを目指す未来を、どこか遠いものだと眺めていた。
けれど、趣味が小説の高校生で居られるのよも、もう半分しかない。
「まだ一回目の調査だから漠然としたもので良いんだが、それすらも考えていなかった者は、一旦うちに帰って改めて考えても良い。また、これはプライバシーに関することでもある為、直接私に提出して欲しい」
それなのに、未だ作品の一つも公募に出さず、なんの実績もない今のままで、果たして僕は小説家になれるのか?
今更になって、己の怠惰している現状に気付く。
739
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 16:58:43 ID:iWJxOaSw
「あーまねっ」
ホームルームが終わり放課後になれば、一目散に彼女は僕の元へやってくる。
僕らの関係が公になってから十日ほどが経とうとしていたが、僕に向けられる悪意は徐々にではあるが減りつつあった。
中間考査があったというのもあるとは思えるが、恐らく暖簾に腕押し、糠に釘、打っても打っても響かない僕に対して悪意を向けるのが、段々面倒になってきたというところだろうか。
とはいえ、まだまだ気が済まない連中は多く、今朝一人でいるところにつけられた、至るところの青痣が痛む。
「どうしたんだい?そんな嬉しそうな顔をして」
「んー?どうしようかなぁー、言っちゃおうっかなぁ〜」
対する彼女は、何やら嬉しい事でもあったのか何か言いたげな様子だった。
ここで聞かなければ、意地が悪いとでも言うだろう。
「何か嬉しいことがあったら、是非とも聞かせて欲しいな」
「もーしょうがないなぁ〜。そこまで言うなら…」
「高嶺さん!」
僕も気になり始めたその内容は、突然クラスに響く華の姓を呼ぶ声で、途切れてしまった。
声がした方を向けば、見慣れない一人の男子生徒が教室の出口に立っていた。
クラス中の注目が彼へと集まる。
彼もそれをプレッシャーに感じつつも、気合と覚悟を持ってこのクラスの中を突き進む。
確かな歩みを進めながら、やがて僕らの元へと辿り着く。
「…。…なに?」
今の今までの声とは違う酷く冷めた声で睨め付ける。
御機嫌だった彼女は、一気に不機嫌へと様変わりした。
男子生徒は異常とも呼べるその様子に一瞬怖気付くも、直ぐに己の芯を立て直したように見える。
「なにって、昨日も、一昨日も、その前の日だって!呼び出しの手紙を下駄箱に入れておいたのに、一度だって来てくれないじゃないか!」
呼び出しの手紙、の一言で彼が一体何者なのか、大体見当がついた。
「嗚呼、その事。どうせ告白でしょう?私この通り、彼氏が居るから受ける必要なんてないわよ」
この通り、と言って彼女は僕の背後から、首の前で両腕を組む。
その様子を見て、彼は如何にも納得いかないといった様子で僕を見る。
「彼氏が居たっていい!一度で良いからこの気持ちを伝えたかった!」
「じゃあ何で今更、伝えようと思ったのかしら?同じクラスだった時にでも告白すればよかったじゃない」
同じクラス、ということは彼は一年生の頃のクラスメイトだったのだろうか。
「正直、誰とも付き合わない様子の君を見て玉砕する覚悟が出来ないでいた。どこか高嶺の花の君を、皆んなで眺めることに満足してしまっていた」
華から発せられる空気が、明らかに一段階尖ったものへと変わる。
きっとこの男子生徒は気付いていないのであろうが、『高嶺の花』の一言が彼女の機嫌をさらに悪くした。
「ああそう。じゃあ遠くから眺めてるだけで良かったじゃない。今更何の用よ」
「だけど、けど…。未だに納得できない!多くの人たちが君に想いを伝えてきたというのに、君が選んだ人が"コイツ"だってことが!俺だけじゃない!皆んなそう思ってる!」
『嗚呼、随分と失礼な奴だな』と思いつつも、そう思う彼の気持ちも分からないでもない。
けれど流石にここまでハッキリ言われると、内心辛いものが込み上げる。
「遍を"コイツ"ですって?本当にむかつくなぁ、お前」
僕を"コイツ"呼ばわりした彼は遂に、華の逆鱗に触れてしまったようだ。
「…どうしたんだよ高嶺さん。君はそんな言葉使いする人じゃなかっただろう…?明るくて優しくて天真爛漫な君が…どうして…?」
漸く敵意が向けられていることに気が付いた彼は、動揺が隠せないと言った様子。
ざまあみろ
僕はそれを見て、遂思ってしまった。
もう僕には、態々悪意を向けてくる"有象無象"を気遣う余裕なんてものはなく、華がこうして僕のことを守り、支えて、愛してくれることだけを頼りにしている。
「天真爛漫…?高嶺の花…?笑わせないでよ。そんな外面しか見てないから本当の私に気が付かないんでしょう。挙げ句の果てに私の愛する人を"コイツ"呼ばわり。よっぽど死にたいのかしら」
「死にたい…って、そんな…」
「…目障りだからさっさと消えてくれるかな?二度と私たちの前に現れないでね。残念だけどお前らが見てた"高嶺の花"は、有りもしない空想なの。分かったらさっさと消えて、これ以上私を怒らせると何するか分かんないよ?」
その場に似つかない笑顔を浮かべる。
それを向けられていない僕にも、恐怖が伝わるほど、悍しく美しい笑顔だった。
「…君は変わったよ」
最後に僕のせいだと、言わんばかりにこちらを睨み、踵を返す。
そのまま彼はこちらを一度も見ることなく教室を出ていく。
740
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 16:59:04 ID:iWJxOaSw
「…非道い」
「なにもあそこまで、言わなくても…」
「…本当に最近変わったよね、あの子」
クラスの端々から漏れる不満。
そう、これが僕に向けられる悪意が徐々に減っている理由でもあった。
"高嶺の花"の変貌。
最初は誰しもが戸惑いを感じていた。
僕に洗脳されているなんて噂さえ立っていた。
誰しもが思い描く、優しく明るい美しい少女という像とは、あまりにかけ離れた姿。
その姿は、僕に対する嫉みや妬みといった類のものを、鞘に収めるには充分過ぎるものだった。
このクラスの中においてはもう殆どがこう認識している。
『僕らの知っている高嶺華は死んだ』
華の豹変をそのまま受け止めた奴らは、僕に対する悪意を引っ込め、僕が洗脳したなんて馬鹿げた噂を本気で信じてる奴は、より過激に悪意を向けるようになった。
簡単に言えば嫌がらせの量は減ったが、質が悪くなった。
それを知って華もより周りとの溝を深める。
そしてより一層、僕に愛を向ける。
僕ももう覚悟は出来ている。
この孤独な世界を二人で生きていく覚悟を。
「…それで話って?」
これ以上機嫌の悪い彼女を見てられないと、先程機嫌が良かった理由を聞き出す。
「…うーん」
彼女はその黒い瞳で周囲を見渡す。
「ここじゃあ、少し煩いから場所を変えよっか」
彼女は周囲の人が鬱陶しいとでも言いたげな様子で、そんな提案をしてくる。
「…分かった」
正直、僕もこんな注目を浴びた状況は、好ましくないから賛成する。
お互いに荷物をまとめて教室を出る準備をする。
「あ…」
「…」
教室を出る際にすれ違った太一が、何か言いたげな顔をしていたが、敢えてそれを聞き出すことはしない。
もう"有象無象"と関わる日々には戻らないと決めたのだから。
741
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 17:00:15 ID:iWJxOaSw
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場所を移そうと言われて、僕らがやってきたのは中庭だった。
教室から離れるたびに、彼女の機嫌は取り戻され、中庭に着く頃には先程の機嫌通りになっていた。
「…ラブレター貰ってたんだね」
対する僕は、先程の彼に与えられた胸のモヤモヤから、そんな彼女の機嫌を損ねてしまうような質問をしてしまう。
きっとこれが嫉妬と呼ばれる感情なのだろう。
「え、いやっ!貰ってたっていうか…。私はいらないのに勝手に下駄箱に入れられてて…。勿論、中身なんて見ないで捨てたから安心して」
先程の冷酷な笑顔とは違う、暖かなダンデライオンのような笑顔。
胸のモヤモヤが晴れていくような感覚。
不安が取り除かれていく。
「ははは…、ごめん似合わない嫉妬なんてしてしまった」
嫉妬する男なんて、情けない。
ふわりと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「…私こそ不安にさせてごめんね。でも私が愛するのはこの先どんなことがあっても遍、貴方だけだよ」
彼女の温もりに包まれる。
中間考査終わりの放課後、閑静とした屋上とは違い、多少の人目がつく中庭だが、それでも彼女の抱擁を享受する。
「嗚呼…、僕もだ」
彼女の愛が沁み渡る。
心臓が脈打つ。
左胸だけじゃない、右胸からも鼓動を感じる。
両胸で感じる鼓動が、僕は一人じゃないと教えてくれる。
暫くの間、人目を憚らずに抱き合っていたが、時間と共に幸福よりも羞恥心が勝り始める。
抱擁の手を緩めると彼女も抱擁の手を緩め、少し照れたような笑顔を浮かべる。
「えへへ、なんだか照れてきちゃった」
「あはは、僕もだ。…そういえば話って?」
「ん?ああそうだったね。あのね遍、お父さんとお母さんが、遍が18歳になったら結婚して良いって言ってくれたの」
「結…婚?」
「そう結婚!もうこの間のことでお父さんもお母さんも遍のこと気に入っちゃって、法律が許す年齢になれば直ぐにでも結婚していいよって!私嬉しくって!やっぱり親が理解あると幸せなんだねぇ」
今の今まで同じ感覚、同じ気持ちを共有していたと思っていたのに、あっという間に彼女は次の段階に、想いを進めている。
彼女は未来を見ている。
僕は今しか見ていない。
だからこそ僕は進路調査を直ぐに提出することが出来なかった。
「…どうしたの遍?」
「いや…、僕は正直、今を生きるだけでいっぱいいっぱいになってしまっててね。結婚なんて未来の話、考えてなかったんだ。僕らの将来だけじゃない、自分の将来も考えきれていなかった。だから進路調査も僕は直ぐに提出できなんだ。そんな僕が君を幸せに出来るのかなって心配してしまったんだ」
「…なんだそんなこと。大丈夫、私は今充分幸せだよ。幸せすぎて壊れちゃいそうなくらい。…って遍、進路調査出してないの?」
「うん、そうだけどそれがどうかしたのかい?」
「遍のことだから"小説家"って書いてもう提出してるもんだと思ってた」
「いや、僕もそう書こうとしたんだけどね、未だに父親の賛同を得られていないことと、公募に作品を出せていないことを考えると、直ぐにはそうは書けなかった」
「そっか。でも私は誰がなんて言おうと遍の夢を応援してる。もっと自信持って。私を信じて。最期まで支えてあげる」
「ありがとう。君が理解して応援してくれるから僕は救われてる」
それに、と僕は付け足す。
「華が最初の読者で良かった」
僕がそう言うと、華は満足そうに笑う。
「私ちょっと御手洗行ってくるね」
「ここで待ってるよ」
中庭から校舎を姿を消すと、寂しさが身に染みる。
742
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 17:01:42 ID:iWJxOaSw
「お兄さん」
女子生徒の声が聞こえた。
「あの、綾音ちゃんのお兄さん」
綾音、の一言で背後からかかった声は僕に対するものだということを理解した。
「君たちは確か…」
「お久しぶりです。綾音ちゃんの友達の鈴木久美です」
「瀬戸真理亜です」
振り返れば見覚えのある二人の女子生徒が、そこに立っていた。
「やあ久しぶりだね。夏休み以来かな」
友人の兄に話かけるということで、どうやら二人は緊張しているようにも見えた。
少なくても夏休み、綾音がいた時のような喋り方ではない。
当たり前だ、仲良くもない上級生相手にそんな普段の様子を出すことはしないだろう。
「あの…あやねん、綾音ちゃんはどうしたんですか?」
どうやら綾音は友達想いの友人を持ったらしい。
「二人とも綾音の心配をしてくれてるんだね。ありがとう。正直に言うとね、僕もあまり詳しい様子は分かっていないんだ。部屋に篭りっぱなしで様子を伺うこともできない、そんな状況だ」
「その…なんでそうなっちゃったかはお兄さんは分かってますか?」
気のせいだろうか。
きっとこの子は僕に『何故そうなったか』という事態の原因を聞いているはずなのに、『自分がしたことを理解しているのか』という罪の意識を問うものに聞こえてしまう。
「うん、分かっているよ」
真意を聞くことを恐れた僕は、どちらの答えにもなる曖昧な返事をする。
「…そう、ですか」
僕の曖昧な返事と同じく、彼女の反応もまた曖昧なものであった。
「綾音が元の生活に戻れるように手は尽くしてみるからさ、もしまた戻ってきたら綾音と友達のままでいてくれるかい?」
「はい…」
「当たり前です。そもそも友達ってこんなことで縁が切れるほど安いはないです」
素直に返事をする久美ちゃんとは違い、真理亜ちゃんの方は、随分と耳の痛いことを言ってきた。
やはり僕は責められているのだろうか。
「ははは、そうだよね。僕友達居ないからさ、ちょっとわからなかったよ」
返す刀のつもりで吐いた自虐は、彼女たちの中の感情に憐みと気まずさを生み出しただけだった。
「あ…はは。ごめん、今のは忘れておくれ。変なことを言った。それよりも綾…」
「…ねぇ」
その瞬間、息が、全身の筋肉が硬直する。
これ以上言葉が発せられるなくなる。
743
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 17:02:08 ID:iWJxOaSw
「なに…してるの?」
背後から底冷えするような声を震わせている。
「なにしてるのって聞ィてるの!!!!!」
怒号が火山のように爆発し、心臓が悲鳴をあげる。
恐る恐る振り返れば、激昂に染まる華が居た。
「また…約束破ったんだ…。私以外の女と関わらないでって…、さんっっっざん言ったのにまだ分からないの?ねぇ?」
「…ち、違うんだ。この子達は」
「何も違わないッ!!!例外はないと言ったはずだよ遍。ぁぁぁぁもう、貴方がそうやって私以外の女と関わるたびにイライラして、本ッ当に頭がおかしくなりそう」
「聞いてくれ華!この子達は…」
「煩い」
「痛ッ」
信じられない様な握力で僕の手首を握りしめると、久美ちゃんたちから引き剥がすように僕の腕を引っ張った。
「貴方も話したいこともあるようだし、まずは二人きりなれる場所に行かないとね。私も貴方に教え込まないといけない事がまだまだあるみたい」
そのまま連れ去られるように右腕を引っ張られるが、それを左腕を引っ張る力で抵抗する。
突然の感覚に僕も華も振り向く。
僕の左腕を掴んでいたのは真理亜ちゃんだった。
「あの…まだ話終わったないんですけど」
右手首の痛みが消える。
指先に血が巡るのを感じる。
すると華は僕の隣を通り過ぎていく。
ドンッッッ
「「!?」」
華は突如として脚を上げ、真理亜ちゃんの鳩尾へと蹴りをいれた。
僕の左腕を掴む感覚もなくなり、真理亜ちゃんは地面へと倒れ込んだ。
「かはっ、けほ、けほ」
「まりあん!」
「…遍に触るな」
手加減なんて一切ない、本気の蹴りが内臓まで響き渡っている様子だった。
「行くよ」
あまりに凄惨な光景に釘付けになってしまいそうな僕を、強引に引っ張っていく。
「遍…自分が罰に値する罪を犯したってこと分かってる?」
早歩きの中、僕に問う。
「はい」
「償ってもらうから」
「…」
この日、僕の身体には数十を超える新たな生傷が刻まれることとなった。
744
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 17:02:46 ID:iWJxOaSw
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ーーー
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幾日か経つ頃。
ここ最近は、放課後に期日が迫る公募の小説を書き進める日々が続いていた。
華も、僕の傍らでそれを見守り続ける。
遠くから届く、部活動に勤しむ者たちの小さな音が、静寂な教室に響き渡っていた。
「不知火、高嶺。丁度良かった」
そんな中、そういって、僕らを呼び掛けたのは担任の太田先生だった。
「二人に少し話したいことがあるんだが、この後、時間空いてるか?」
「僕は大丈夫ですけど…」
「話って何ですか?」
少し刺のある言い方。
彼女のその徹底した、周りとの拒絶の姿勢は、時折心臓に悪い。
今がそうだ。
担任の教師に向けて、放って語気ではない。
けれどその話の内容が気になるのは、べつに華だけに限ったものではない。
そもそも僕ら二人に話って何を話すつもりなのか。
丁度良いとはどういう意味で言ったものなのか。
僕と華が丁度良いと言われれば、僕らの交際絡みの話と予測してしまうのが順当であろう。
嫌な予感がする。
「ああ、この間進路調査出してもらっただろ。まぁそれについて二人にそれぞれ話したいことがあってな」
てっきり僕らの交際が良く思われていないだとか、最悪の話別れろなんてことを言われるじゃないかと思ってたため、少々拍子抜けした。
「これはプライバシーの問題があるから一人ずつ、10分程度だけ面談のようなことがしたいんだが時間あるか?」
進路調査といえば、僕も数日前に『小説家』とだけ書いた紙を提出していた。
何事もなく、通り過ぎることを願ってはいたが、向こうも教師。
流石に夢一つ書いた紙を、おいそれと見逃してはくれなかった。
僕の夢にまた新しい壁ができてしまった気がする。
話というのも十中八九、僕の夢に関する、どちらかといえば否定的な意見を聞かされることだろう。
最悪な予感は外れたが、結局嫌な予感は外れてなかった。
745
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 17:03:57 ID:iWJxOaSw
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幾日か経つ頃。
ここ最近は、放課後に期日が迫る公募の小説を書き進める日々が続いていた。
華も、僕の傍らでそれを見守り続ける。
遠くから届く、部活動に勤しむ者たちの小さな音が、静寂な教室に響き渡っていた。
「不知火、高嶺。丁度良かった」
そんな中、そういって、僕らを呼び掛けたのは担任の太田先生だった。
「二人に少し話したいことがあるんだが、この後、時間空いてるか?」
「僕は大丈夫ですけど…」
「話って何ですか?」
少し刺のある言い方。
彼女のその徹底した、周りとの拒絶の姿勢は、時折心臓に悪い。
今がそうだ。
担任の教師に向けて、放って語気ではない。
けれどその話の内容が気になるのは、べつに華だけに限ったものではない。
そもそも僕ら二人に話って何を話すつもりなのか。
丁度良いとはどういう意味で言ったものなのか。
僕と華が丁度良いと言われれば、僕らの交際絡みの話と予測してしまうのが順当であろう。
嫌な予感がする。
「ああ、この間進路調査出してもらっただろ。まぁそれについて二人にそれぞれ話したいことがあってな」
てっきり僕らの交際が良く思われていないだとか、最悪の話別れろなんてことを言われるじゃないかと思ってたため、少々拍子抜けした。
「これはプライバシーの問題があるから一人ずつ、10分程度だけ面談のようなことがしたいんだが時間あるか?」
進路調査といえば、僕も数日前に『小説家』とだけ書いた紙を提出していた。
何事もなく、通り過ぎることを願ってはいたが、向こうも教師。
流石に夢一つ書いた紙を、おいそれと見逃してはくれなかった。
僕の夢にまた新しい壁ができてしまった気がする。
話というのも十中八九、僕の夢に関する、どちらかといえば否定的な意見を聞かされることだろう。
最悪な予感は外れたが、結局嫌な予感は外れてなかった。
「僕は…大丈夫です。時間あります」
かといって面と向かって、逃げれるほど肝は据わっていない。
素直に面談に応じることにする。
「私も大丈夫です」
華も最悪な予感が外れたことに関して、少し苛立ちが鎮まったように見える。
そういえば、華は進路調査になんて書いたんだろう。
日々を過ごすうちに、いつの間にか聞きそびれてしまっていた。
746
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 17:04:27 ID:iWJxOaSw
「そうか、良かった。じゃあとりあえず不知火から始めるか?」
「はい」
これは僕の返事。
「高嶺は少し廊下で待っててくれ」
「はい」
これは華の返事。
華も特に反発することなく教室の外へと向かっていく。
あとでね
声には発せず、口の動きだけでそんなメッセージを残す。
こんなさりげないやりとり一つが、頬を緩めてしまう。
「不知火と高嶺は付き合ってるのか?」
華が教室を出たのを確認すると、太田先生はそんなことを尋ねてきた。
「えっ…、ああまぁそうです…はい」
薄々聞かれるのではないかと思ってはいたが、厳格な担任からそんなことを聞かれたため、情けない返事をしてしまう。
「そうか…。高嶺からやるべきだったかな」
「え?」
意味の分からないことを呟かれ、反射的に聞き返してしまう。
「いやなんでもない。気にするな。それより彼女は大切にしてやるんだぞ」
僕らの交際を否定的に思うどころか、そんな背中を押すようなことを言われ、先程疑ってしまったことに罪悪感が芽生える。
「さて、不知火。進路調査のことなんだが…」
太田先生はそれ以上僕らについて触れる様子はなく、抱えていた荷物の中から一枚の『僕の夢』を取り出す。
「不知火は小説家になりたいのか?」
疑うわけでもなく、馬鹿にするわけでもなく、覚悟を問うようなそんな目で、真っ直ぐ捉える。
「はい」
「本気か?」
「はい」
「何か賞は取ったことはあるか?」
「ありません、けれど今公募に出す作品を書いています」
緊張が僕の中に張り詰める。
そんな様子を見て、太田先生は少し目を細める。
「勘違いしないで欲しいんだが、俺は今日お前のその『小説家』になりたいという夢を否定しにきたわけじゃないんだ。むしろ応援している」
「え?」
思っていたこととは真逆のことを言われ、動揺が隠せない。
「こういった進路調査は大抵の奴が行きたい大学を書く。お前のような自分の夢を真っ直ぐ書く奴は珍しいんだよ。けどそれは決して悪いことじゃない」
少しずつ緊張が解れていく。
じわり、じわりと太田先生の言葉が胸に染みていく。
「それに俺も昔、目指していたからな。小説家」
「えっ…」
まさか太田先生に作家志望があったなんて、担任の知られざる過去を知り驚愕する。
「大学に通いながら小説家を目指してたんだが、単位のために取っていた教職課程が中々に面白くてな、結局教師になってしまった」
「俺は教師だ。生徒が小説家になりたいって言ってはいはいお好きにどうぞとも言えない立場なんだ、分かるな?」
「はい」
「これは適当に言うわけじゃないんだがな、不知火。お前大学に行ってみる気はないか?」
「大学…ですか?」
「ああ。大学ってのはな、自由がある。時間がある。出会いがある。その一つ一つがお前の人生に貴重な経験をもたらしてくれる」
「はあ」
「きっと今のお前は、そんなことよりも良い小説を書くための努力をした方がいいって、そう思ってるかもしれない」
僕の思ったことを見透かしているようだ。
747
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 17:04:53 ID:iWJxOaSw
「小説を書いてる不知火なら、分かるかもしれないが、自分が感じたことのある感情、風景を描写するときと想像だけで書く描写だと、前者の方が圧倒的に筆の説得力が違うんじゃないのか?」
思い当たる節は、…ある、
それこそ華に出逢ってから、恋愛感情の辛さ、悲しさ、喜びの繊細な表現が出来るようになっていた。
「大学生になって、様々な経験をすることで、きっと不知火はもっといい小説を書けるんじゃないのか、そう思うんだ」
小説家になるために大学に行く。
今まで考えもしなかった発想だった。
自分の中でそれぞれ分かつ道だと思っていたからだ。
「あの…先生」
「ん?」
「今までそういうこと、考えもしていなくて。正直、今すぐ大学行くとまでは考えられませんが、かといって大学に行かないという決断をするのも早計なのではないかという気もしてきました」
僕が考えを改めたのを見て、前傾姿勢だった太田先生は、椅子の背もたれへと体重をかける。
「少し考えさせてください」
「ああ、これはまだ一回目の進路調査だ。よく考えて自分の道を決めなさい」
話は以上だ、とだけ言うと、廊下で待っているであろう華を呼んできて欲しいと言われた。
「華、太田先生が呼んでいるよ」
「もう終わったの?10分どころか5分も経ってないじゃない」
「それだけ簡単な話だってことさ。多分華もすぐ終わるんじゃないかな」
「…。だといいんだけど」
何かに憂いているような、そんな表情だった。
僕と入れ替わるように華は教室へ入っていく。
「なんだったんだろう…」
教室の扉を閉めると、ついそんな呟きを吐いてしまう。
すぐ終わるであろうという予測の元、待ってみることにした。
1分。
2分。
3分。
5分。
10分。
長い。
既に僕の予測が間違っていたことを理解し始めている。
一体何の話をしているのだろうか。
今日は尽く予想が外れる日だ。
想定より遥かに長い時間話し合いをしているみたいだ。
そこまで話し合う、華の"夢"とはなんだろう?
『高嶺さんも将来の夢あるのかい?』
いやあったじゃないか。
一度だけ、彼女の夢を問うた時が。
『あるよ』
彼女は僕の方を真っ直ぐ見ながら、そう即答した。
彼女の中にそれは、確かに存在するもの。
待たされて蓄積された好奇心は、教室への扉に体を一歩近づける。
と同時に、突如として扉が開き、大きく心臓が跳ねた。
748
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 17:05:16 ID:iWJxOaSw
「不知火、ちょっと入ってきてくれ」
出てきたのは太田先生だけだった。
中の様子を伺うと、華はまだ席についており、面談は終わっていない様に思えた。
「はい」
それなのに、何故だかは分からないが、太田先生は僕を教室へと促した。
「遍…」
「何で不知火は呼ばれたかは分からないだろうが、高嶺の進路がお前にも関係するんだ」
「僕に…ですか?」
「本当はこういうのは他人に見せるべきものではないとは分かっているんだが、高嶺も不知火を交えて話したいと言ってたんだ」
そう言って、太田先生は小さな紙を、高嶺華の夢を、僕に見せてきた。
『結婚』
「他の教師は何年かに一度こういったことを書く奴がいるとは言っていたが、自分の受けもつクラスで実際に目の当たりにするのは初めてでな」
「これって…」
「高嶺はお前と"結婚"するとの一点張りだ。お前たちは若い、苦労することもあるし、そんなに急ぐ必要はないと言っているんだが」
この先は『聞く耳を持たない』と言いたげそうな様子。
「何度も言ってますけど、親の許可ならもう出ています」
「許可を得れば直ぐにしてもいいというわけではないだろう。人生は長い。高嶺も成績が良いんだから良い大学を目指せるんだぞ?」
「大学、大学って。私大学なんていくつもりありませんから」
「何故だ?」
「必要性がないからです」
「それは必要性がないと決めつけているだけだろう。大学には勉学以外にも学ぶことがたくさんできる貴重な場なんだぞ」
「別に…学ぶとかそういうのはもういいんですよ。私はもう目的を達成しましたし」
視線が隣の僕へ向けられる。
749
:
高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』
:2020/04/27(月) 17:05:37 ID:iWJxOaSw
「何を訳のわからないこと言っているんだ。そもそも結婚というのは不知火も承知の上か?」
「えっ、あの結婚については一応話は聞いてましたけど、まだ具体的に僕は考えていなかったです…」
「とのことだが?」
「遍…」
ギリッ…と歯軋りが鳴る。
「それに不知火は先程大学へ進学するか否か今一度検討するとさっき言ったばっかりだ。結婚が悪いものとは言わないが、学生生活に少なからず支障はきたす。それは不知火の将来の道を狭める結果にもなり得るんだぞ」
「遍…大学…行くの?」
信じられないものを見るような目だ。
「いやまだ考えてないというか、さっき太田先生に言われて大学に行かないという選択肢を決めつけるのは早計なんじゃないかとは思ったんだけど…」
「わかりました。もし遍が大学に行くというなら私も行きます」
「え?」
随分とあっさりと主張を変更したことに驚きが隠せない。
それでも太田先生は華のことを訝しげに見つめる。
「それはあれか?不知火と同じ大学ならということか?」
「当たり前じゃないですか」
「はぁ…」
太田先生は困ったように頭を抑える。
「分かった。一旦高嶺の進路については保留しておく。まずは不知火、お前が今後どうしたいのかよく考えてくれ」
「はい」
「…少し時間を取って済まなかったな」
それだけ言うと太田先生は荷物を片手に教室を出て行った。
「…何でわざわざ有象無象がいる所に行くの遍?」
これはきっと、僕が大学へ行くことを検討している件について咎めているのだろう。
「その…太田先生に言われたんだ。小説を書くための必要な知識を学べる場なんだって」
「それ本当?本当に必要な知識を学べるの?」
「分からない。だから一通り調べてから行くか行かないかを決めたいってそう先生に言ったんだ」
「そう…。もし大学行くって決めたらまず最初に私に言ってね」
「え、うん」
「有象無象がうじゃうじゃ居る所に、遍一人で行かせるもんですか」
言葉が見えない鎖になって僕を締め付ける。
「あと大学行ってもいいけど一つだけ条件があるから」
「…なんだい?」
「誰一人とも仲良くなるなんてことは許さないから。遍は私だけいればいいって態度で示してもらうからね」
「うん…」
太田先生が示した大学へ行くことで人と出会い、学びなるということは僕には初めから存在しないようだ。
このギリギリのバランスを保った生活はいつまで続けられるのだろうか。
もう一度、紙と筆を取り出し、公募に向けて物語を綴っていく。
遠くから届く、部活動に勤しむ者たちの小さな音が、ただただ静寂な教室に響き渡る。
何か。
何かが限界に近づいている。
華か、綾音か、僕か。
これは漠然とした感覚だ。
嫌な予感がしているだけだ。
けれど、どうしてもそう遠くない日にこの歪な生活が壊れてしまう、そんな予感がする。
いつだってそうだ。
幸福な時間は永遠に続きはしない。
この歪な生活を幸福と呼ぶのであれば、間もなくこの身に不幸が訪れるだろう。
750
:
罰印ペケ
:2020/04/27(月) 17:23:58 ID:iWJxOaSw
以上で高嶺の花と放課後 第15話『ジニア』の投下を終了します。『ジニア』の花言葉は「不在の友を思う」「注意を怠るな」「幸福」などです。
段々終わりに近づいてきてプロットも具体的に書けるようになったのであらかじめ宣言しておきます。
高嶺の花と放課後は第20話で最終回です。なので今回で3/4終わったことになります。転載しているカクヨムの方でも読んでくださる人がいて何とかモチベーション保ててます。
あとは起承転結の【結】ができるよう頑張りますのでもうしばらくお付き合いください。ではまた第16話で
751
:
雌豚のにおい@774人目
:2020/04/29(水) 00:14:49 ID:WpRin5Yg
乙乙。華の本性(?)が表に出てきて変わっていく様が良かった。
752
:
雌豚のにおい@774人目
:2020/04/29(水) 00:15:00 ID:WpRin5Yg
乙乙。華の本性(?)が表に出てきて変わっていく様が良かった。
753
:
雌豚のにおい@774人目
:2020/05/03(日) 07:11:51 ID:c1Qq02E6
数年ぶりに開いたらスレが復活していて嬉しい。
全部読ませて頂きます。
754
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 18:58:51 ID:4HTiHH1c
テスト投下します
755
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 18:59:39 ID:4HTiHH1c
高校2年11月中旬
早朝、いつも通り登校し下駄箱へ向かうと見知った顔があった。
「よう、不知火」
「…」
「ちっ、無視かよ」
この間、『他の女に関わるな』と怒られたばかりなのに、過ちを繰り返すほど愚かではないと自負しているつもりだし、華の"仕置き"も甘いものではなかった。
「遍」
「!」
「ははっ、似てんだろ。口調が似ても似つかないからあんまり指摘されねぇけど実は結構声似てんだぜ」
「…おはよう、萩原さん」
「やっと口を開いたな。単刀直入に言うが、お前に少し話があんだわ」
どうすればいいのだろう。
そもそもこんなところを華に見られたら、また僕は"罰"を受ける。
自分が取るべき行動が分からないままでいると、それを肯定だと勘違いした萩原さんは話を続ける。
「何か、色々と引っ掛かってるんだよ。こうモヤモヤするようなさぁ。いくつか聞きてぇことがあるんだけど、まず文化祭の朝の時に居た"彼女"。そして、今荒れに荒れてる高嶺の花こと高嶺華。どっちが本当の彼女だ?あるいは二股か?」
こうなってしまったら、さっさと答えてしまった方が華に見つかる心配もないと考える。
「…僕の彼女は初めから華だけだよ。萩原さんが出会った彼女を自称したのは僕の妹だ」
「なるほどな。つまりお前の妹の嘘に騙された私は、そのまま本当の"彼女"に伝えてしまって怒らせたってところか」
「…まぁ、そうだね」
「今思えばあの日から華の様子はおかしくなっていった気がするけど、お前らは一体いつから付き合ってんだ?」
「僕らが付き合い始めたのは10月初めの頃だ」
「10月初め?そうか…じゃああの時茶番を演じていたわけだ」
「あの時…?」
「お前と桐生が華に仮の告白した時だよ」
そうか、その時か。
あの時は、萩原さんの"せい"で痛い目を見たな。
頬に痛みこそは蘇らないが、熱が少し帯びる。
756
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:00:52 ID:4HTiHH1c
「ああ、そうだね。あの時はもう既に交際をしていたよ」
「じゃあなんだ。あたし達全員、一月弱の間も騙されてたってことか」
「騙すなんて人聞きが悪いなぁ。世の中、秘密裏に交際をすることはそれなりにあることなんじゃあないのかい?」
「まぁ確かに騙す…、は言い過ぎだったかもしれないな。…なんでみんなに黙ってたんだ?」
「それは、今の惨状が答えにならないかな?」
「…。くだらない嫉妬でお前に八つ当たりしてる奴は正直あたしもどうかしてると思うわ。けど、お前らが隠してる間、精一杯気持ちを伝えてた奴が居るんじゃないのか?華はもちろん、…不知火。お前にもさ」
急に頭が冴える感覚を覚える。
「…知ってたのかい?」
「あたしが今日、こんな朝早く登校してまでお前と話がしたいって言ったのは、いわばこれが本題だ。…お前、奏波に、小岩井奏波に告白されたよな?」
「…それは、間違いないよ」
「そして断った。お前には彼女がいるから」
ようやく忘れかけていた罪悪感が、また掘り起こされる。
「別にそれを責めるつもりもないし、むしろお前はある意味正しい選択肢を取ったとも言える」
「じゃあその本題ってのは、一体なんなんだい?」
「あたしが思うに、お前の彼女、高嶺華は相当嫉妬深い奴だと考えてるんだが、合ってるか?」
嫉妬深い。
それは紛れもない事実だ。
「華は、随分と嫉妬深いとは思うけれども…」
それとこれと一体何の関係があるのだろうか。
「やっぱりな。ここ最近の態度、そして最初のあたしの勘違いで怒った姿。あれはどう見てもそういう類だと思ったね」
萩原さんはもしかしてそういう類に関しては鋭い人なのだろうか。
757
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:01:29 ID:4HTiHH1c
「そこで不知火、お前に聞きたいのは嫉妬したアイツが、何をするのかということだ」
「何を…する?」
「ちょっとわかりにくい質問だったか?もっと具体的な質問にするなら、嫉妬に狂ったアイツはなにか嫌がらせや暴力のようなことをしたりしなかったか?」
なんて鋭い人なんだろう、この人は。
「…」
僕の口からは答えにくい。
制服の袖口を捲り、数多の切り傷を見せる。
それが僕からの回答だと言わんばかりに。
「…それは彼女に付けられたやつか?」
「勘違いしないで欲しいんだけど、これはあくまで嫉妬させた僕が悪いんだ。彼女は悪くない」
「彼女が彼女なら彼氏も彼氏だな。歪んでるよ、お前ら」
自分も彼女も歪んでると言われ、怒りを覚えないわけにはいかない。
「…話したいことはそれで終わりかい?」
話を区切り付けるように、目の前の萩原さんの隣を通り過ぎる。
「その傷が、自分以外に向けられた可能性を一度でも考えたことはあるか?」
思考と脚が止まる。
「僕以外に…?」
「お前に告白した奏波が、どういう目にあったか想像できないか?」
「…いや、そんな…まさか」
「私も憶測でモノを喋ってるから、あくまで可能性の一つを言ってるだけなんだけどな。奏波が学校に来れなくなったのは華のせいなんじゃないのか?」
馬鹿げた推測だと、否定することができない。
あり得る話だ。
758
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:01:56 ID:4HTiHH1c
「奏波はあたしの大事な友達なんだ。どうして学校に来れなくなったのか、知りたいんだ」
「…これ以上僕から話せることはないよ。それに…僕はあくまで高嶺華の彼氏なんだ。自分の恋人がそんな非道いことするなんて信じない」
「…自分は散々痛めつけられてるのにか?」
「…僕はいいんだよ。華は僕に強い感情をぶつけてるから僕の身体に跡として残っているだけなんだ」
「はぁぁ、どうしたらそう捻じ曲がった思考回路になるのかね」
「歪んでるとか、捻じ曲がってるとかそんなの僕には分からないよ」
「…なぁ不知火。こんなことただのクラスメイトに、ましてやあたしに言われたくないかもしれないけどさ」
「…なんだい?」
「お前の心は本当にそれで大丈夫なのか?」
急所に入れられたような錯覚が起きる。
必死に回してた歯車を回す手が止まる。
僕の心が大丈夫かだって?
そんなの…そんなの…
「ごめん、変なこと言った。忘れてくれ。聞きたかったことは聞けたしさ、…まぁ気になってるところもあるけど、答えてくれてありがとうな」
それだけ言って、萩原さんはそこから立ち去って行く。
「…分からないよ…そんなの」
苦し紛れに吐いた独白は、誰の耳にも届かなかった。
759
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:02:36 ID:4HTiHH1c
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
『私はその骸を拾いあげ、咽び泣いた』
「…これで完結?」
筆を置くと、華はそんなことを尋ねてきた。
「うん」
「…」
納得いかないといった様子。
「…何かまずかったかい?」
「…ハッピーエンドじゃない」
「え?」
「ハッピーエンドじゃないよ、これ」
「まぁ、そうだね。ハッピーエンドと言える終わりじゃないけれども、僕としてはこれが一番味のある終わり方だと思ったのだけど」
凄く切迫した様で、僕を視線で射抜く。
「私たちは…、私たちはハッピーエンドになるよね?」
この場合は、僕ら二人の関係の果てについて言っているのだろうか。
「…当たり前じゃないか」
「ごめん…、不安になっちゃった」
「別に華を不安にさせるつもりはなかったんだれども。兎に角、これで何とか公募に作品を提出できそうだよ」
「うん、頑張ったね遍」
彼女は微笑みながら、僕の頭をそっと撫でる。
『お前に告白した奏波が、どういう目にあったか想像できないか?』
今朝の萩原さんの台詞が、ノイズとなって突如、脳内を掻き乱す。
「…どうしたの?」
聞けるわけがない。
聞いたところで『他の女』を心配するような真似は、間違いなく罰の対象だ。
760
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:03:15 ID:4HTiHH1c
「はは…いやなんでもない。人に撫でられるのって少し気恥ずかしいものなんだと思っただけさ」
「照れてるの?可愛い」
頬を紅に染めてる。
「…からかうのはよしておくれよ」
唇に柔らかい感触が重なる。
「からかってなんかないよ。本当に愛おしくてたまらない」
結局、僕に出来ることは自分の彼女を信じることだけ。
今となっては真相などどうでも良いのだ。
「…全く君という奴は。そういえば明後日、日曜日だろう?」
「うん…、そうだけどそれがどうしたの?」
「試験も終わったことだし、デートに行かないか?」
「え…?」
「嗚呼、勿論華の都合さえ良ければなんだけど…」
「行く!」
「はは、即答だね」
「当たり前でしょ?貴方からの誘いを断るなんて有り得ないよ。この世の何よりも貴方が大事。それに」
「それに?」
761
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:03:47 ID:4HTiHH1c
「貴方から誘ってきたことが何より嬉しい」
「…この間はテスト前でちゃんと遠出が出来なかったしね。それにいつも君が支えてくれたから作品が完成したんだ。そのお礼をしたい」
「…別にお礼なんていつでも"ここ"にしてくれたっていいのに」
ここ、と言って薄桜色の唇を指差す。
「それは…、お礼とはまたちょっと違うんじゃあないのかい?」
「もうっ、もっとキスしたいってこと。遍は奥手だから全然してくれないんだもん」
「じゃあ…」
「えっ?」
彼女の要求に応えるように、唇を重ね合わせに行く。
「これでどうかな?」
「あ…うん、えへへ」
幸福に包まれた笑顔を浮かべる。
こんな僕でも、彼女を幸せにすることができるのかもしれない。
笑顔一つでそんな自信が漲ってくる。
萩原さんの話で一々惑わされる必要なんてない。
僕は目の前にいるこの少女を幸せにすることだけを考えるべきなんだ。
「それじゃあ、あとでラインで集合場所と時間の連絡をするよ。今度こそちゃんとしたデートプラン、考えてくるから」
「うん!楽しみにしてる!」
考えろ。
考え続けろ。
どうしたら僕は高嶺華を幸せに出来るのか。
僕はこの日と翌る日を合わせて二日間、彼女を幸福にする方法を考え抜き、ある一つの"答え"を導き出した。
762
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:04:12 ID:4HTiHH1c
ーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー
ー
約束の場所に約束の時間の、さらに1時間程前から待ち始めて5分。
僕の彼女である高嶺華はやってきた。
「待ち合わせまでまだ1時間近くあるよ」
「そっちこそ、1時間前にいるじゃない」
「ふ」
「「あははは」」
お互いに笑いが込み上げる。
「考えること一緒だね」
「きっとこうなるんじゃないかって思って少し集合時間遅めにしたんだ」
「なによそれ。じゃあ本当はもっと早く一緒にいられたってこと?」
「いやいや、そんなことを考え始めたらいたちごっこになってしまうよ。取り敢えず行こうか」
「そういえば、今日どこ行くか聞いてない」
「そりゃあ言ってないからね」
「正直、服装とか凄く迷ったんだからね?」
「はは、ごめんよ」
「それで今日どこ行くの?」
「色々…さ」
「むぅ、まだ隠すの?」
「行ってからのお楽しみってやつだよ」
…。
今日のデートのコースは全部自分で考えたものだ。
先ずは最初の目的地へと辿り着く。
目の前の長く長く続く、急な階段を見上げる。
「ここって、羽紅神社だよね。ここ登るの?」
「うん。調べたらさ、ここ縁結びの神社らしいんだ」
「へぇそうなんだ。私も知らなかったなぁ」
「今日ここにきたのは祈願したかったからなんだ」
石段を登り始める。
763
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:04:40 ID:4HTiHH1c
「二人でここに来るのは久しぶりだね」
「確か…夏休み以来の時かい?」
「そう…。あの時は二人一緒だったのは下りの時だけ。今は二人で登ってる」
「それにしても…夏祭りか。あの時は桐生君にみっともない嫉妬をしてたな」
「どういうこと?」
「ほら、華は桐生君たちと夏祭りに来てたじゃあないか。あの時はてっきり華と桐生君が交際してるんじゃないかって思ってた」
「前にもそんなこと言ってたね。お似合いだとか、不釣り合いだとか、そんなの関係ないじゃない。大事なのは今、私が貴方を愛して、貴方が私を愛する。それだけだよ」
「そう…だよね」
「それで私は凄く満たされてる。…だけどいつも不安が付き纏ってるの。私の愛が尽きることはないけど、私の遍が何処かの誰かに奪われてしまうんじゃないかって」
「ははは…物差しで測る人たちには僕はそれほど魅力的には映らないからその心配は大丈夫なんじゃないかな」
「遍がそうやって自分のことを軽く見てるから私が余計に不安になるの」
「あ…、ごめん」
「それに…されたよね?」
「されたって?」
「告白だよ」
心臓が金縛りにあう。
「隠したって無駄だよ、私知ってるから。一度でも起きてしまったことがもう二度と起こらないとどう信じればいいのかな?」
知ってた?
小岩井さんのことを?
でもあの時の告白と呼べるものは、放課後の喧騒の中で、静かにされたものだ。
近くに華がいた記憶はないし、たとえ近くにいたって分かるはずがないのに、どうして…。
「私はね、遍…貴方が他の女に奪われるのが絶対に許せないし、何よりも恐れていることなの。誰かの隣で笑う貴方を想像するだけで…、嗚呼もう…滅茶苦茶にしたくなる。私以外の女と幸せを築こうものなら絶対に壊す、壊してやる」
気がつけば石段の上で止まっていた。
今一度、覚悟を問われているように思えてくる。
この先を登って縁を結ぶか、引き返して下るか。
嗚呼でも、こんなこと考えるだけ無駄だ。
結局、引き返すことなんて出来やしないんだから。
もう壊れてしまった日常と心は帰ってきやしないのだから。
764
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:05:04 ID:4HTiHH1c
「…落ち着いて華。そんな事がないように今日はここに来たんだから。行こう」
爪先の向きは変わらず、上へ上へと登りつづける。
もう登り切る脚に迷いはない。
長い長い石段を登り終えると目前には、古びた社が建っていた。
「ここで縁結びをしよう。何があっても最後には二人でいられるように」
「うん。懐かしいねここ」
「あの時は暗くてよく見えなかったけど、今は流石によく見えるね」
「ねぇ」
「ん?」
「さっき桐生君に嫉妬した、って言ってたよね」
「うん」
「その時、遍は私の事好きだったの?」
揺れる瞳で僕に問うてきた。
今更隠したってしょうがない。
「うん、あの頃から華を…いやもっと前から好きだったよ」
「なんだ…私達、前にここに来たときには既に両想いだったんだ…」
「僕はてっきり、バレているものだと思ってたよ」
「どうだろう…。あの時の私は遍が好き過ぎて、どうしてもフラれたらどうしようとか不安で余裕がなくなってたからなぁ」
「はは…僕は"運命の相手"って思ってたんだろう?それなのにフラれると思ったのかい?」
「フラれたらどうしようというか、"運命の相手"じゃなかったらどうしようって感じかな。結果的に私たちは結ばれたけど、もし遍が拒んでたら私、何してたんだろうね?」
あんな激情を拒む方が難しいは思うのだが。
「そんな有りもしない未来を想像したって仕方がないじゃあないか」
「それもそうだね」
話しているうちに賽銭箱の前まで辿り着いていた。
765
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:06:01 ID:4HTiHH1c
「えーっと、二礼二拍手一礼、だっけ?」
「そうだね、まずはお賽銭を入れる。そしたら鐘を鳴らす。そこで二礼二拍手一礼さ」
華と僕はお賽銭を投げ入れる。
コトン
硬貨が木箱に跳ねる音がする。
次に鐘を鳴らす。
カランカラン
二礼
二拍手
そして一礼
「…。さて、参拝も済んだことだし、次は祈願しに行こうか」
「縁結びの祈願って何するの?」
「色々あるみたいだけど、絵馬が一番分かりやすくて、祈願しやすいものかもね」
「じゃあ絵馬書きに行こっか」
賽銭箱から離れ、少し歩くと御神籤や絵馬が売られている小屋が見えた。
「…。遍はここで待ってて。私が絵馬貰ってくるから」
「え?…あぁ、うん。分かったよ」
突然、よく分からないことを言われたと思ったが、なるほどそういうことか。
御神籤や絵馬を売られている所には、巫女さんがいた。
僕から女性の接点を少しでも減らしたい故だろうな。
遠くから黙って見守ってると、華が絵馬を一つ貰ってきた。
「この絵馬に二人の名前を書いて、奉納すれば縁が結ばれるんだって」
絵馬と一緒に油性ペンも貰ってきた様子。
「それじゃあ早速、名前を書こうか」
「あ、待って。ここに書くのはお互いの相手の名前みたいなの。だから私は遍を、遍は私の名前を書いて」
「へぇ、自分ではなく相手の名前か」
「そう」
華からペンと絵馬を受け取り、名を刻む。
『高嶺華』
何か誓約書を書いてるような錯覚に陥る。
「はい、次は僕の名前を書いておくれ」
書き終わった油性ペンの蓋を一旦閉じ、絵馬とペンを華へと再び返却する。
「うわぁ…遍は字が綺麗だから緊張するなぁ」
「はは、緊張することなんてないのに」
本当に緊張しているのか、そのしなやかな指先は僅かに震えてるが、それでもしっかりと丸みの帯びた文字で僕の名を刻んでいく。
『不知火遍』
「良かった、書き間違えてない」
ひとまずは安堵した様子。
766
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:06:39 ID:4HTiHH1c
「そしたら、これを奉納しよう」
「奉納したら次はどうするの?」
「とりあえず折角神社に来たんだから御神籤引いたり、一通り境内を見て周ったら、また少し移動することになるけど『歩絵夢』に行って一休みしようか」
「うん分かった。けど御神籤引くために遍を他の女とは接触させたくないなぁ…」
「無人の御神籤もあると思うからそっちに行こう」
「それなら良いね。じゃあ早く絵馬奉納しようよ」
華も縁結びに随分と乗り気な様子。
良かった。
一つ目のデートプランは上手くいったようだ。
沢山の絵馬が奉納されている場所へと向かう。
二人の名前が刻まれた絵馬を括り付ける。
「これで祈願できたのかな」
「できたと思うよ。きっと僕らの願いは届いているはずさ」
「それじゃあ御神籤を引きに行こうか」
「あそこかな?無人で御神籤引けるところ」
あそこ、と指した場所には戸棚の様なものと漆塗りの六角柱があった。
近づいてみれば、案の定御神籤であり、『一回百円』と書かれた側には硬貨を入れるであろう小さな穴があった。
「ここに100円入れればいいみたい」
「それじゃあ早速やってみよう」
チャリン
100円玉を穴に落とし、六角柱の小さな穴から棒を取り出すべく振るう。
ジャラジャラ
小さな穴から一本の棒が出てくる。
棒の先端には『八十七』という漢数字が書かれている。
「僕は八十七みたいだ」
続いて全く同じ動作を華が繰り返す。
チャリン
ジャラジャラ
「私は三十七だって」
漢数字の書かれた棒を六角形へ戻す。
視線を目の前の戸棚に移す。
小さな引き出しが幾つもあり、それぞれに漢数字が書かれている。
恐らく該当する漢数字の引き出しを開けるべきなのだろう。
僕と華は黙って、各々の引き出しを開け、紙を一枚取り出す。
767
:
高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:07:01 ID:4HTiHH1c
「あ…」
「あっ」
お互いにそんな呟きが漏れる。
「遍、何だった?」
「あはは…、僕は凶だった」
「嘘…私も凶」
そう、引いた紙には大きく"凶"の文字が書かれていた。
しかも華の手にある紙にも同じく"凶"の文字。
お互いに違う番号なのに、二人とも"凶"を引いてしまうなんて、ある意味運が良いとも言える。
「折角のデートなのに、ショックだなぁ…」
「…まぁ考え方を変えてみようよ。今の僕らの状態を"凶"と呼ぶのであれば、これからはもっと良くなるということだよ」
「それもそうかも。うん…、そういう考え方の方が良いな」
「御神籤も引いたことだし、軽く散策したら『歩絵夢』に行こうか」
「うん!」
この時は気付きもしない。
この時の御神籤が言い得て妙だと気付くのはもっとずっと、ずっと先の話だった。
768
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高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:07:31 ID:4HTiHH1c
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「はい、遍くんは『マンデリン』だったわよね?」
「ありがとうございます陽子さん」
「で、華ちゃん相変わらずミルクティーっと」
「なんか、含みのある言い方だなぁ…」
「別にぃ?まぁでもあなたたちがあまりにも青春を謳歌してるから少し意地悪もしたくなるわよ」
「陽子さんって彼氏とかいないんですか?」
「女性に向かってその質問を堂々とする度胸は認めてあげよう遍くん」
「あっ…ごめんなさい」
「謝るのもまたデリカシーのない行動だよ。君は作家になるんだからデリカシーの一つや二つは学んだほうがいいよ」
「あ、いやまだ作家になるとは決まって訳じゃあ…」
「あれ?さっき言ってたじゃない公募に作品出したって」
「いや確かに出したのはそうなんですけど、当選するかどうか…」
「彼氏がこんなこと言ってるけど彼女はどう思うの?」
「遍は自信がないからこんなこと言ってるだけだよ。私は何にも心配してないよ。だって確信を持ってるからね」
「あーあー、本当にあなたたち見てると相性良く思えてきて虚しくなってきた」
「ふふん、陽子さんも早く彼氏作ったら?」
「はぁーあ、コーヒーも飲めないお子様にそんなこと言われちゃあたしももうお終いね」
「ちょっと!」
「あははは」
769
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高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:07:57 ID:4HTiHH1c
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「水族館?」
「まずデートというもので、パッと浮かんだのがここなんだ。…定番すぎたかな?」
「ううん、大丈夫だよ。私は遍と一緒なら何処だっていいの」
「君ならきっとそういうと思った」
「そういう遍はどうなの?」
「同じさ。実は華と一緒ならどこでもいいんだ。だからこんな定番なところしか思いつかなかった」
「定番も大事だよ。行こう、遍。私水族館初めてなの」
「えっ…そうなのかい?」
「…なんてね」
「あ!ひどいなぁ」
「ふふ」
770
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高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:08:19 ID:4HTiHH1c
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「見て遍、このクラゲすごく綺麗」
「本当だね。華、クラゲって漢字で書くとどう書くか知ってるかい?」
「え、どう書くんだろう…」
「ヒントは小学生で習う漢字だよ」
「え〜、それってヒントになるのかなぁ」
「海の何かと書いてクラゲと読むんだ。何に見える?」
「んー、海星?」
「惜しいなぁ。星だとヒトデって読むんだ」
「あーヒトデかぁ」
「正解は海の月と書いてクラゲと読むんだ」
「月かぁ…確かに惜しかったなぁ。悔しい」
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高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:08:38 ID:4HTiHH1c
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「楽しかったね遍」
「うん、華に楽しんでもらえて良かった」
「…すっかり夕暮れだね」
「まだ時計で言えば16時過ぎなんだけどね。冬至が近くなってきてるから日が沈むのが早いね」
「そうだね。この後は予定あるの?」
「うん、あるよ」
「え?あるんだ」
「意外だったかい?」
「意外というか今日は結構色んな計画してくれたんだね」
「少し前に情けないデートをしたからね。挽回しようって思ったんだ」
「もう、変なところで真面目なんだから。でもいいよ。今日はどこまでもついて行くよ」
「ありがとう、そこが僕が行きたい最後の場所なんだ」
「そっか。じゃあ日が沈む前に行こっ」
「うん」
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高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:09:12 ID:4HTiHH1c
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日が沈む前には辿り着きたかったのだが、辿り着いた頃にはもうほとんど日が沈んでいた。
「ここが最後に来たかった場所?」
「うん」
「遍、今日は神社行ったり、ここ…"教会
"に来たり、宗教に拘ってる人なら怒られちゃうよ?」
「あはは…どうやら僕は困ったら神頼みするタチらしいね」
教会の敷地へと足を踏み入れる。
「縁結びの神社なら分かるんだけど、今度は教会に来て何するの?もしかして遍って、キリスト教徒?」
「僕は生まれてこの方無宗教で生きてきたよ。自分にとって都合の良い神様を信じる、都合の良い奴さ」
「じゃあ…教会に来たのはどうして?」
どうしてかと問われると直ぐには答えられない。
教会の敷地から教会の中へ入る。
中では美しいステンドガラスが張り巡らされており、日が沈んで暗くなってしまった教会の中を蝋燭が小さく灯りを灯している。
「神父さんはいないみたいだね」
「うん…」
「今日ここに来たのはどうしても伝えたいことがあるからなんだ」
「伝えたいこと?」
奥に張り巡らされたステンドガラスを背に向け、華と向き合う形になる。
「僕はね…子供の頃からずっと小説家になりたかった。けれどそれは誰にも理解してもらえないものだと決め付けて自分の心の内に仕舞い込んでいた」
「小説を書く以上、読み手がいるということに目を背け、一人で毎日空想を夢見てた」
「そこに華…君が現れてくれて僕の中の物語は劇的に変化した。自分の夢の難しさ、自分の覚悟の甘さ、そういった目を逸らし続けていた大事なことを、君が気付かさせてくれた」
「君は僕の夢を笑いもせず、真剣に一人の読者として僕と向き合ってくれた。そんな放課後の毎日が僕にとって、とても素敵なものだったんだ」
「いつの日からか小説家になることだけじゃなくて、君が僕の隣で笑ってくれたらなってそんなことまで愚かにも夢を見ていた」
「二兎を追う者は一兎をも得ずだと、分不相応の恋だと、自分に無理を言い聞かせて、君への想いは秘めたものにして、小説家になることに集中しようって何度も何度もこの想いを殺してた」
「だからか僕の中で酷く歪な二律背反な感情が生まれてしまって、君が好きなのに君を嫌いになろうって、破綻にも似た感情の矛盾が生じてしまってたんだ」
「本当に自分のことを愚か者だと思う。それにこんな中途半端な気持ちが、君を苦しめてるんじゃあないかって今更気付いたんだ」
「だから愚か者の僕なりに考え抜いて、一つの答えを見出したんだ。僕はね、華…君の言う通り、金輪際君以外の女性とは触れないし、喋りもしないし、関わりのしない。君とだけ、この先の人生を永遠に歩いていきたい」
「僕にはまだ資格も指輪も無いけれど…」
覚悟を決める。
「高嶺華さん。僕と結婚してくれますか?」
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高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:09:34 ID:4HTiHH1c
「え……えっ?」
困惑の様子が隠せない様子。
それもそうだろう。
まさかこんなところで指輪も無いプロポーズをされるなんて思いもしなかっただろう。
これが僕ができる彼女への誓い。
けれどいくら気持ちがあろうとも、形になるものは必要に決まっているし、こんな指輪も渡さないプロポーズ、受け入れてくれるとは限らない。
不安になり、華の様子をもう一度伺う。
「え?…華」
困惑の表情は変わらない。
しかし、彼女の瞳からは小さな涙が、止まることなく流れ落ちる。
「嬉しい…」
その一言が僕の胸を安堵をもたらす。
「じゃあ…」
「はい!不束者ですがこれからもよろしくお願いします!」
神父のいない僕の誓いは、蝋燭だけ灯された仄暗い教会で、煌く涙を美しく彩られる可憐な花に受け入れられた。
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高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:09:59 ID:4HTiHH1c
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「また明日」
「うん、またね」
すっかり日が沈み、夜空にオリオン座が描かれている。
明日からまた月曜日が始まるのを考えると、あまり遅くならないうちに解散するのが妥当と考え解散することにした。
とはいえ冬至まであと一月程。
時計の上での時間は遅くなくとも、辺りはすっかり闇夜に包まれていた。
駅のホームで彼女が電車に乗るのを見守ると、見送るために買った入場券を改札口に喰わせてやる。
ただ寒空の下、家へ向かって歩き出す。
静かな街に静かな足音を鳴らしていく。
家へ近づくたびに、今日の疲労が脚へと溜まっていく。
やりたかったことはできたはずだ。
今日一日の出来事を噛み締めてると、自宅の影見えてくる。
そして一人の影が立っていた。
「綾音…?」
暗い玄関先で顔は見れないが、十年という時間を共にした妹の姿は何となく分かる。
「綾音!」
とはいえ、その姿を見るのは実に半月ぶりの事で、思わず声を掛けてしまう。
僕の声がかかると、僕から離れるように歩き始めた。
「…こんな時間にどこへ行くんだ?」
帰路に向かっていた脚は、目的地である家を通り過ぎ、義妹へと変わっていく。
その差を埋めるよう急ぎ足で向かうが、曲がり角でその姿を失う。
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高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:10:28 ID:4HTiHH1c
しまったと思いつつ、曲がり角までさらに駆け足で向かうとその先遠くで綾音は立ち止まっていた。
僕を視認すると綾音はまた歩き始める。
綾音の意図が掴めない。
近づけば離れていく。
けれど離れ過ぎれば僕を待つように立ち止まる。
一定の距離を保ち続ける。
気がつけば僕も無我夢中で、綾音の足跡を追っていた。
住宅街を抜け、街灯一本一本の間隔がどんどん広がっていく。
こんな闇夜の中、どこへ行こうというのか。
背後の華の幻が『行くな』と何度も警告してきても、その脚は止まらない。
そうしてひたすらに義妹の姿を追い続け、彼女に追い付いたのはとある山道への入り口でのことだった。
「…はぁ、はぁ。綾音、一体こんな時間にこんな所に来て、何をするつもりなんだい?」
「…」
返答はない。
半月ぶりに姿は見れても、声は聞けないようだ。
するとまた綾音は暗い山道へと歩き始めた。
「お、おい」
その腕を引こうと思ったが、華の"言葉"が呪いとなって、触れられない。
物理的に綾音を止めることは叶わず、ただ身を案じて付いていくことしかできない。
酷く不気味な木々と山道。
幽霊の類なんてもの信じちゃあいないが怖いものは怖い。
木々の隙間を吹き抜ける風の音がやけにうるさい。
そういえば、山道に入ってから華の幻が喋ることもなくなった。
くそ、脚が重たい。
デートの疲労がここに来て、表れてくる。
「綾音、帰ろう。獣が出るかもしれないし、危ないだろう?」
僕の声は一切届いていないかのような無反応。
綾音はただ道を進んでいく。
このまま登頂するまで止めないのか?
そんな馬鹿げた不安が過ぎると同時くらいに、道なりに歩いていた綾音は突如としてつま先の向きを変える。
その先は道なんてない森の中。
776
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高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』
:2020/05/09(土) 19:10:47 ID:4HTiHH1c
「おい!」
綾音の意図が全く見えない。
けれどこのまま放っておいたら死んでしまうのではないか?
そんなことを考えてしまう。
でもどうしてだろう。
こんな道なき道をさも分かっているかのような足取りで木々の隙間を抜けていくのか。
適当に歩いているわけではなく、どこかを目指しているような。
雲に隠れていた月灯りが森を照らし始める。
暗順応の終えた目では、普段気にもしない月明かりですら充分な灯りだった。
紅葉の季節を超えた後の大量の落ち葉を何度も何度も踏みしめてくと、やがて少しだけ開けた場所へと辿り着く。
「家?」
開けた場所の中心には時と共に廃れてしまったであろう、古民家が一つ建っていた。
「…なんでこんなところ、…綾音?」
綾音がいない。
古民家に目をとられた一瞬で彼女の姿を見失った。
「綾音、どこーーー」
激痛が身体を貫く。
「ああぁぁぁぁぐっ」
この痛みに覚えがある。
二度目の経験だとしても、耐えることなんて容易ではなくそのまま地面へ倒れ込んでしまう。
「ゥゥゥあああああああああが」
痛みに終わりが訪れない。
気を失いたい。
いやだ、痛い。
目眩が引き起こされる、息が止まる、激痛が走る。
目の前が何も見えなくなる。
暗い。
初めての時とは違う。
長い。
長い。
終わりなんて訪れないとも思われる激痛に、身体が防衛本能を利かせる。
感覚が、意識が、遠くなっていく。
薄れゆく意識の中、一言だけ僕の耳に届いた。
「お兄ちゃんはあたしのものだから」
777
:
罰印ペケ
:2020/05/09(土) 19:14:40 ID:4HTiHH1c
以上で高嶺の花と放課後 第16話『ブラックローズ』の投稿を終了します。ブラックローズの花言葉は「あなたはあくまで私のもの」「決して滅びることのない愛」「永遠」です。終わりに向かっていくようなそんな演出というか雰囲気を書きたかったのですが
上手く表現できてるでしょうか?あと4話頑張ります。ではまた17話で
778
:
雌豚のにおい@774人目
:2020/05/25(月) 00:08:45 ID:cbZcOXuU
久しぶりに覗いたら面白くて最新話まで読んじゃいました
続き待ってます
779
:
罰印ペケ
:2020/05/31(日) 11:19:07 ID:l17.YzuE
投下します
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