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【論理】本気で討論するスレッド【理屈】
24
:
ろいろい
:2003/02/15(土) 23:16
待たれいっていうから待ってるのだけれど、まだですかー?
補足でもしておくか。主観でキモイと思うのはそれこそ個人の勝手だけど、それを人に言うとなれば話は論理的にならないと困る、と言う事だ。
もちろん、キモイと思ってるのに陰口だけ叩いたりしてるのはかっこわるいし、悪いと思う事ははっきりいうのがお互いのためってもんだ。
だからこそ、自分の価値観をときにはひっくり返してみるのも悪く無いんじゃ無い?ということさ。
で、降参ですか?
25
:
ゑ
:2003/02/16(日) 00:56
降参ったってさ。主観を論理で説明せいってのがムリなハナシなんだ土台。
もちっとさ、一般性のある議題にしようぜよ。←逃?
ってか、人に言うには論理的でないと困るのは何故?別に自分の主観を話して何の問題もないんじゃないの?ってか、むしろ「キモイなぁ・・・」と思う理由として、自分のフィーリング以外何があるって問題なのだが。
俺は色んな人に「キモイなぁ」と公言しまくって「お前に言われたくないわ」とバッシングされてますが何か?
・゚゚・(つД`)・゚゚・
つーか、「ヲタクはキモイ」といちいち陰で言ってる奴はいるのか?
ただ、一つ思った。
君がヲタクスレかどっかで「新谷良子キター」と言ってるのは世間から見ればキモイんだろうが、別にグラビアとか見てるのと変わらないよね。対象が声優ってだけでバッシングされんのもね。まぁ声優の顔を知ってる人=ヲタクという恒等式があるからなわけだが。
26
:
ゑ
:2003/02/16(日) 01:01
ねぇねぇ、いっつもsage忘れる俺あぼーんだよね。
27
:
poco
:2003/02/16(日) 01:55
主観って人によっちゃあ納得しかねるから駄目なんじゃないの?俺は主観で「ヲタクはキモイ」って言われても「どこが?むしろ偏見でしょ?」としか思わないし。
ただ主観と言えども多く集まれば誤った思い込みとなりうるわけで。そうなったら論理的な文章でも聞き入れられないってのはあると思うのだが。
まぁ、論理的には「ヲタクはキモくない」んだけど、今の現状じゃそれに納得できる人間はそこまで多くないと。
具体例で悪いのだが、私と同レベルのヲタクであるM川氏なんかはクラスでヲタクであることを公言してたけど、嫌われるどころか人気あったし。結局はその人次第。まぁ、ヲタクは社交性に欠ける人間が多いのかもしれないけど。俺も傍目から見たら社交性ないだろうし。
まぁ、M川氏みたいのが増えれば論理的な「ヲタクはキモくない」ってのも納得されるんじゃないかな。
と、なんか論点ズレてる気もするがここらへんで。
28
:
ゑ
:2003/02/16(日) 03:05
>>27
言いたい事はよく分かるんだけど・・・
主観でキモイと言っているという事実をそれ以外に説明しようがない。というのが俺の結論。
それで納得出来ないと言われても・・・汁
主観=その人の根本に根付く考え だから、ちょっくら尤もらしい論理(敢えて悪く言えば小理屈)を並べ立てた所でそれが揺らぐ事などないと。
そうなのだよ。何故M川氏はあーゆー事が出来るんだろうね。結構レア種か。
というか、ヲタク自身が自分がヲタクだという事を隠したがるから、ヲタクというステータスがマイナスイメージになってキモイという結論に達するんじゃないの?そうだそうに違いないそれが真理だ間違いない。
29
:
ろいろい
:2003/02/16(日) 07:19
>>28
えぇっとちょっと古典的西洋哲学論争にありがちなテーマに流れていきそうですね。
まず、君の主観は君が生まれてから持っていたものではないだろ?身近にいた人やら世間常識なんかを組み合わせて作った集合体と言えるわけだ。
そんなものを「その人に根本に根付く考え」と言われると、君は考える事を放棄しているとこちらでは判定せざるを得ないな。
昔の誰かが「我思う、故に我あり」とおっしゃいましたが、要するにここが結局の所重要なテーマになっちゃうわけだ。
俺に言わせれば主観が揺らがないなんてほうが小理屈だな。
主観はのっぺらぼうな論理を跳ね返すぐらいパワフルな直感や天才的思考の根源になる事もあるけど、事実をねじ曲げるただの色眼鏡になる事もある。
だから色眼鏡をはずす事は出来なくても、時々論理という対抗理念で綺麗に掃除しておいたほうが良いと思いますけど。
何度でも繰り返すけど、主観なんて全ッ然絶対的なものじゃない。
同様の理由で自我が自分の中だけに存在するという概念も間違ってると言っても過言ではないのだが関係ないな。
主観と言ったって何層にも積み上げられているもので、自分でも知らず知らずのうちに中に矛盾を溜め込んだりしてるもんだ。
主観が揺るがないというなら洗脳もマインドコントロールもされないのだね君は。
主観が指事することならどんな事でも最終的には自分にとって真とするような人なのだね君は。
喧嘩腰な言い方になるけどさ、悪い事言わないから、たまには自分の主観を総入れ替えしてみろ。
主観が入れ替えられる事は、事実が既にそれを示している。
主観が入れ替えられないならば、犯罪者は100%更正しない。
主観が入れ替えられないならば、文化は進化も退化もしない。
主観が客観と対比されるように、主観なんて相対的なもんだ。絶対的とは程遠い、ぐらぐらとしてる物だ。
スマートな思考は、直感によってもたらされる事が多いが、真の思考者はその発想を論理によって補強する。
論理によって主観がよしとしない事も認めることができてこそ、人間と呼べる。
ま、これを幼稚園児的言い方をすれば、「嫌な事でもやらなきゃいけない事はあるんだよ」ってところだ。
ヲタクが自分を隠すからマイナスイメージになると言うのは真。だからヲタクこそ「ヲタクはキモい」というバイアスを捨てなければならない。
人によって妥協したりして世間と付き合ってる場合もあるけどね。初対面の人に毎回「ヲタクはキモクない」ことを説明して回るなんて非効率だし非現実的だからな。
そのMさんがレアかどうかは知らないが、ヲタという属性はその人の形成要素の一部にすぎないんだから、まるでその人の本質全てを決定する事は出来ない。
ヲタクだろうとサラリーマンでもお笑い芸人でもヒッキーにでもなる。人気者かどうかはもっと別にその人個人が持っているほかの要素の総体によって判定される。
朝っぱらから疲れた。
30
:
ゑ
:2003/02/16(日) 15:43
何か勘違いしてるかもしれないが・・・
主観ってのは勿論生来の物じゃないさ。その人が育ってくる過程でちょっとずつ自分の常識世間の常識自分の経験を基にして成り立っていくものだから。
例えばヲタクがキモイってのは世間がヲタクはキモイと言う事実とデブがハフーハフーと汗かきながらグッズを漁る姿を見た経験等を基に「ヲタクはキモイ」と思うようになるわけだ。それこそ何年もかけて。
だからこそ、一度持ってしまった主観は簡単に揺らがないって事よ。
論理で導かれる結論と主観が食い違ったり、論理で判断する所の真とは違うイメージが主観としてあったりする事もままあるでしょうよ。
別に俺は主観で判断された事実(ヲタクがキモイという事)が正しいとは言ってない。絶対的な物だとも思ってないし言ってない。
ヲタクがキモイと考える人に、君のような論理を何回も何回も説いて、君がヲタクはキモくないのだという事を言動で示し続ければ、ヲタクはキモくないとその人に思わせる事が出来るっていうのが論理でしょうよ。
君はB君に対してヲタクはキモくないのだと説いて納得させる事が出来るっていうのが論理だろうが…俺にはB君を納得させる事が出来るとは到底思えない。それが主観の力。B君の心の内には「ヲタクはキモイ」という主観思い込みが根付いているから、それに反する論理なんか聞く耳も持たないよ?それが主観だという事。
別に主観=正義・絶対的なんて言ってない。長い間かけて作り出されたイメージであり思い込みが主観の原動であるからこそだ。
そのイメージや(悪い意味ではなく)思い込みが色眼鏡であり事実を歪めていたとしても、それがその人の中の常識だから。
理論的には、その主観を形成してるイメージや思い込みを超える論理・理屈で攻めたてれば考えを変える事は十分可能さね。1回誰か被験者立ててやってみたら?
31
:
poco
:2003/02/16(日) 18:48
でもね、歪んだ主観って、そのことについて詳しい人からすると説得力がないんだよね。
そういう間違った認識を持った人間が思い込みを曲げようとしないからヲタクみたいな少数派人間がイジめられるんでしょ?
「ヲタクはキモイ」って確かにヲタク側にも責任はあるかもしんないけど、基本的にそういう偏見って多数派の誤った思い込みによるものだと思うのよ。
M川氏みたいなのが増えることも大事だし、偏見を持ってる側の歩み寄る姿勢も必要なことだとも思うよ。でも、多数派は「ヲタクなんかをわかる必要はない」とか言い出すんでしょ?それじゃ理論なんか通じない。不毛な説明になるんだよ。
そういう状況にある限り、「ヲタクはキモイか?」って話は平行線をたどるだけでしょ。って気がします。
32
:
ろいろい
:2003/02/16(日) 23:20
あのさ、だから主観が揺るがない理由が全然わかんない。
俺なんかは「あ、これいいかもっ」っていう意見を聞いたり読んだりしたらさっさと乗り換えちゃうほうだからさ。
まぁ未経験者にはわかりにくい例だろうけどさ、ちょっと俺の空手の話でもしよう。
俺が空手をはじめたのは6歳の時、まぁ軽く10年はやってるわけだ。
はじめは理由も考えずに先生に言われた事をそのままやるわけ。それから「なんでこの時この足はこの角度なわけ?」とかいうような事を真面目に考えはじめる。
でも、今の空手っていわば「スポーツ空手」であって武術性は失われているんだ。だから今伝承されている形を真面目に検証すると齟齬が出てきてしまう。
つい最近までは「試合で勝つ事」だけを目標にしていたから部分的には目をつぶってきていたんだけど、それが最近急に気になってきたんだ。
それで、「本当の武術」の探究が始まったわけ。最近って2ヶ月ぐらい前の話だよ。
手がかりは本でいくつかゲットして、そこから思考を始めるわけなんだけど、その時俺は「6歳から体に染み付いてる空手の常識」を全部えいっと捨てないといけないわけだ。
俺はそれをやってのけて真理の片鱗に触れるところまできたんだけど、その解説は長い上にオカルティックなのでやめとこう、本題じゃないしな。
そのとき、本で読んだ「真の術者のコメント」をいくつか頭ん中に入れといて(それも全員違うこと言ってるんだぜ)、それで自分で実際に体を動かしてみる。
それである時「もしかしてっ?」って思う事がある。それを上手くつかまえられたら、今度それを論理のレールのゴールにおいてやるわけだ。
常識をとっぱらっただだっぴろい頭ん中でスタートからゴールまで論理を組み立てる、となればもうそんなに難しい事じゃない。
最後にこの論理を用いて、もともとの常識を破壊してやればよいわけだ。
こうして「主観の入れ替え」は完了する。すまんね具体例を出してやれなくて。ただでさえ言葉で説明するのがむずかしいのでね。
とにもかくにも「主観の入れ替え」は俺は出来る。少なくとも自分の「やる気」があれば出来ると断言できる。他人の強制ではどうかわかんないけど。
それが特殊な能力だとは思わないから「お前もやったら?」と言ってるだけ。やならいいよもう。
主観と論理が相反している状態で放置しておける精神状態も俺は納得できない。
なんとしてでも俺は落ち着けたいけどね。
33
:
ゑ
:2003/02/16(日) 23:42
>>31
説得力がない=全くもってその通り。だって主観ってその人の思い込みで説得しようとか納得させようとかいう理論の要素を含んでいないもの。
ヲタクの例で言えば、「ヲタクはキモイ」という世間的な常識にもなってしまっている主観(ヲタクさん達の立場から言えば偏見)が根付いてしまってるからイジめられるんだね。
>>32
【多数派は「ヲタクなんかをわかる必要はない」とか言い出すんでしょ?それじゃ理論なんか通じない。不毛な説明になるんだよ。】←だから、主観が深く根付いてしまうと理論では意見は簡単には変えられないんだよ。
別に変えるのは不可能だとは言わない。ただ、ヲタクの例に関しては最早個人レベルの主観云々じゃなくて、「世間の常識」化・・・集団における主観になってしまってるから、簡単には変えられないって話。
他の意見を見聞して意見を変えようとするかしないかってのは個人の問題じゃないの?意見をコロコロ変えるってのは悪く言えば変節漢ってな事になるし。
34
:
ろいろい
:2003/02/17(月) 22:27
多数派の話なんか聞いて無いよ。俺はたんにあんたは自分の意見を変える気があるのかと言いたいのだ。
あくまでこっちの立場から見た話だけどね、君の言ってる事を聞いてると、やっぱり君は自分が少数派になることを怖がってるようにしか見えない。
人間は自分が生まれてから「文化」とか「宗教」とか「法律」とかいろんな物にプログラミングされていることに余り自覚的でない。
俺はプログラミングされていることが悪いとは思わない。俺自身もプログラミングされていて、なかなか手出しできない領域がある事を知っている。
要はそれに対して自覚的であるかどうかなんだよ。
なぜそれから人間は目をそむけるのか。ただの個人的推測に過ぎないけど、少なくとも西洋哲学においてそういう論争がほとんど起こらなかった理由は検討が付く。
それは、「自我」の取り扱いに関する問題だ。
もし、自分の心が「誰かにプログラミング」された物だとしたら、「俺は一体何者だ?」ってことになるわけだ。
「アインデンティティー」と言ってもいい。だから「我思う、故に我あり」は圧倒的な支持を得た。論理的に自我が存在しうることを示したからだ。これにおいて人々は安心して暮らせるようになったわけだ。
俺から見ると、君は「偽アインデンティティー」にとりつかれてるように見える。
「意見をコロコロ変えるのは変節漢」というのも既成文化によるプログラミングだ。
「みんな個性的であれ!」と盲目的に主張する理由は何だ?
そもそも人から貰った意見を他のに変えても本質的にはなにも変わらないんじゃないか?
なんでもかんでも疑ってかかると精神衛生上よく無いし、ロジックの罠にハマるからお勧めできないけど、目をそむけてはならない。
君には(俺の個人的統計上)平均以上の「本質を見抜く目」を持っている。それは俺が保障する。
要は、ただちょっとした勇気を持つことだ。
「個性的になれ!」という命令に従う事こそ非個性へのハイウェイだ。
ちょっと目を見開けばそんなバカな連中は町中に転がってる。
真に個性的な人間は個性的になろうとなんかして無い。最初から個性的なんだ。
35
:
ゑ
:2003/02/18(火) 00:25
いつの間に一般論じゃなくて俺の話になってんだよ。まぁいいや。
で、だ。俺が少数派になる事を怖がっている、と。かもしれない。しかしそうでもないかもしれない。
俺も一応半年ちょっとくらいその道に入りかけたわけだ。少なからず。一時はその足で頻繁にゲマズやメイトに通った事もあったと。
しかし、どういうワケか高2になってからヲタク系の道に対する情熱っつーかそっちへ行く気が段々失せてきた。これは何故だろうと今でも分からん。何となく冷めた、それだけ。少なくとも高1の2月の時点ではまだその道の上だったが。
冷めてきた理由の一つとして、某ワンゲルG君からビーマニを借りてそっちにハマったのが時期的に一致すると自分で考えてるが。その為にヲタクベクトルのやる気が萎えたのかな、と。
しかし、君が言うように少数派・バッシングされる側になるのが怖かった面もあったのかなかったのか。それは俺自身も分からん。
で、君の言うプログラミングについて。
別に俺は宗教家でも何でもないが、俺は性善説でも性悪説でもない性白紙説。生まれた時は善でも悪でもなく真っ白で、そっから育ってく環境で良い事も悪い事も学んでいくわけだ。(君で言うプログラミングの過程)そのプログラミングのせいで思考が限定されたりしてることはあるでしょう。
しかし、君はそれを自覚している、と言っているが、突っ込むと「自覚している」と思っている事がプログラミングだとは考えないの?そういう可能性だって大いに有り得る。
君に反対する立場から言えば、君は大衆意見から脱却した「つもり」で、自分の中に植え付けられたプログラミングに敢えて反抗した「つもり」になって、大衆よりも一歩先の考えを持っているのだ、という思い込みをプログラムされている、という事は有り得ないと言い切れるかい?
君が言うようにプログラミングが人の思考や行動に大きな影響を及ぼすならば、君が言っているその意見さえもプログラミングである可能性だって否定出来ない。
滑稽な例でいうと、釈迦の掌で騒いでいる孫ゴクウ、みたいな、ね。
「意見をコロコロ変えるのは変節漢である」というのが既成文化によるプログラミングとするならば
「意見をコロコロ変えるのは人間として当然の行為である」というのが既成文化によるプログラミングでないと?
そもそも、人から貰った意見を他のに変えても、というが。
この世の中において自分で考え、編み出した意見を基に自分のアイデンティティを確率するなんてのは不可能じゃないの?
もう既にこの世の中にありとあらゆる意見思想が蔓延してる中で育ってだよ?
俺は、個性的であるにしても、最早既成の文化思想から自分に合ったモノを選ぶ事しか出来ない世の中だと思っているけどね。本当に独自であり個性でありアイデンティティなど存在し得ないよ。
別にだからといって大衆意見の中に身を埋めて流れに身を任せましょうね、というのが俺の意見ではないので悪しからず。
あくまで君に反論する立場による意見なので。
若干俺自身の意見が交じっている感もあるがね。
36
:
ゑ
:2003/02/18(火) 00:27
誤植
>この世の中において自分で考え、編み出した意見を基に自分のアイデンティティを確率するなんてのは不可能じゃないの?
自分のアイデンティティを確率→自分のアイデンティティを確立
37
:
ろいろい
:2003/02/18(火) 22:41
うんうん。それくらい食いついてきてくれないとつまんないよ。
さてと、順番に行きましょうか。
まず1つ目。「俺はプログラミングされてないと言い切れないか?」答:思いっきりされてます。
俺が言いたい事の1つ目が、ここで「されてる!」と言い切れる人が一体どれだけいるかと言う事だ。言い切れる(つまり認める)事が第1歩だ。
君はそれを断言できる勇気を持っているか?持っているなら先へ進もうではないか。
さて、ここで人の心に入り込むプログラムはウィルスみたいなもんだ。
ウィルスの生存競争に関係あるのは、「毒性」ではなく「感染力」だ。
今現代社会に生き残っているプログラムたちは、時間の流れによって淘汰されてきているのは疑いの余地はないが、それは「良い物が残った」という意味ではない、という事だ。
単に人の心に浸透しただけで、「資本主義」が「社会主義」より優れた思想というワケではない。
もっとも「優れた」という言葉の意味を定義するのはやはりプログラムだから…というループにハマるので、これだけで何か結論が導けるわけではない。
ただ、これは重要な事実だから良く覚えておいて欲しい。
プログラムは実際とてもウィルス的な使われ方をする。
国をまとめ、人民をそそのかし、戦争をし、平和を保つためにプログラムを媒介として指導者は人々を操作する。
この時指導者はプログラムの「正当性」や「質」ではなく、「感染力」のみを重要視する。
今日においては、この手を使うのは国家ではなく企業のほうが目立つ。
これは俺が言った「ヲタク企業のプロパガンタ」の根本だ。
論議の方向上あまり関係ないが、この「感染力」は、その人がすでに持っている(感染している)プログラムと、「動物的本能」に依存する。
つまり、優秀なプログラムは本能に直接アクセスして侵入するのだ。
まだ先が長そうなのでちょっと休憩してネタ探ししてきます。
38
:
ろいろい
:2003/02/18(火) 23:36
さてと、脇道にそれるのはこのへんにしておいてだ。
俺個人の考え(←ホントか?)では、こんな風に「個性的」である事を考えている。
まずさぁ、単純なロジックなんだけど、1個1個のプログラムは既成品でも、その組み合わせである「個人」総体はある程度バラエティーに富むことが論理的に可能だろ。
これが第1。つまり、取捨選択に「個性」があらわれる。
その2。よくさ、「自分で考えろ!」「自分の意見を持て!」とか言われるだろ。
それってどう言う意味かって考えてみると、そもそも「考える」ってどういう状態かなって思うわけ。
何か知りたい事があるわけだけど、答が「どういうものか」わかってるものは、論理のよる同値変形によって到達出来る。
でも、「自分で考えろ」って言われるようなことって、そんな簡単な問題じゃなくて「ひらめき」とかを必要とするものなわけ。
この「ひらめき」とか「自分(!)のアイディア」みたいなもの。こいつの出所はどこだろうか?
良く言われるのはこんな感じ。
まず、問題に関係あるデータをかたっぱしから収集する。そしてそれを解析し、頭に溜め込む。
そんでもって、それをシェイクするみたいしていろいろ組み合わせてみる。うまくいくとここで答にぶつかる場合もあるな。
それでもダメなら、そのデータの固まりを頭の中から出して、ぼーっとする。
すると、関係ない一般的な物に出くわした時に、突然問題のデータとリンクしたりする。
つまり、「ひょっとして!?」「これなら…」って事。
その1、2に共通する事は「組み合わせ」という要素だ。
組み合わせは回数制限なく、何度でも行われるから、理論上は無限に生み出せそうな気もする。
でも、「A+B」という要素をCとしても、「A+C」は新しい要素とは普通は呼ばれない(例外は当然ある)ので、有限な気もする。
まぁ観察により新しい事実が加わることが続くかぎり、組み合わせの創出を続ける事が出来る。
俺が自分の事を「個性的」だと信じて疑わないのは、ここだ。
他の誰よりも、いろんな分野の学問を勉強して、頭に溜め込んでいく。
普通に人は別々にファイルに保存するけど、俺は暇さえあれば「リンク」をばんばん貼っていく。
無理矢理切った貼ったを繰り返していくと、そこに「オリジナル」な俺の考えが表れる。
もはやそれが既出だとしても、その考えを生み出しのは俺だという事を「俺は知っている」。
だから、俺は自信満々でいられるのだ。それが良いとは言わない。どーみたって自信過剰だし。
で、普通の人は「個性的」になるために「自分の個性」を自分の中に探そうとしちゃうんだよね。
それって、多分西洋謹製の「自我」という概念のせいだと俺は思ってる。
でも、自分の個性は自分の中じゃなくて、外にある。「自我」もまたしかり。
東洋においては、「自我」のような概念はなかったと言われるが、最新の説では「自分の中と周囲の人の中にある認識の総体」と言う物を「自我」みたいに扱っていたらしい。
この根拠は単純で、「他人がいなければ自我は存在しないから」。
東洋文化のほうが精神的に発達してたと、俺はかなり真面目に思ってる。
まだまだ書ける事はいくらでもあるけど、一度にたくさん書いても反論するのが大変になるだけだしやめとこう。
39
:
ろいろい
:2003/02/18(火) 23:43
追記:「組み合わせ」を決定するのは「プログラム」ではないのか?という反論をすぐ思い付いたので。
えぇっと、そこがやっぱり個性的になる難しさの現れだ。でも、「力ずく」で片っ端から組み合わせを試す頭の回転の早さや時間を持っているひとがいれば、「善し悪し」はともかく、確実に個性的になれる。
だから、普通の人のアイディアって、「とりあえずケータイにカメラ」「とりあえずケータイに赤外線」みたいに、明らかに「自分で思い付いた」事でも「みんな同じ」になる傾向がある。これは確かにプログラムの影響だ。
でも、それを「力ずく」で打ち破る事は絶対に可能なはずだ。
精進するのだ。それこそ学生時代にやっておくべき事だ。
40
:
ゑ
:2003/02/19(水) 00:22
おぃ、3つもレスんのかよ。読むだけで鬱だよ。
ってかヲタクに関する話題が消えたな(藁 派生しすぎだw
>>37
何だ。プログラムに優劣がない事が互いに分かってるってか認識してるんならこれは良いや。
俺の言う「予め用意された道から選ぶ事しか出来ないんだよ」っていうのが、既にプログラミングされてる云々を内包していると思ってくれれば。
>>38
個性について。
繰り返しになるが、人生では既成の道から選ぶ事しか出来ないというのが俺の持論。「人生は無限の分岐であり無限の取捨選択である」
とすると、「個性」という物を定義しようとすると、それは君が言うように「取捨選択の違い」「分岐の違い」「組み合わせの違い」でしか得られない事になる。
個性というと簡単だが、アンデンティティなんて日本語訳がなく自我なんて無理矢理言ってみてるくらいだし、「何ぞや」という事を問うと難しい問題だね。西洋的であるとか東洋的であるとかも含め。
ただ、「他人がいなければ自我は存在しない」ために、突き詰めて考えると「個性」や「自我」という物もある程度相対的でしかない。自分の中にだけそれを求めるのはいささか見当違いだと言わざるを得ない。
>>39
段々俺個人の意見とカブってきてるんだけど。
俺は前から、個性を出そうとしてんのか知らんが、誰もが好んで茶髪に揃えルーズソックスを履いている事に対して疑問をもってる。
個性を出すべきファッションで同調性を求めるというのも世の流れかなんて年寄りのような事を思っているのだが。
ただ、これも俺個人の意見として、同調性を求めるか敢えてそれに反するかというのに優劣はない、という事。
俺は「みんなカメラ付き携帯にしてるし、俺もしとくかなぁ」という動機のみにおいてカメラ付きに変えるつー行動は理解出来ないが、それを否定する気はない。
その流れに乗ろうとするか打ち破ろうとするか、それに優劣はない…と置き換えて貰って構わない。
41
:
ろいろい
:2003/02/19(水) 23:28
>>40
まずさぁ、俺は「個性が生じる可能性」を論理的に示してるのに、君は「既存の道を選ぶ事しか出来ない」と思う理由を少しは説明しろよ。
それからぁ、流れに乗るか降りるか自体には優劣が無いのは事実だが、俺はプラグラム自体に優劣は存在していると主張している。
あと、流れに乗るって事は企業の金稼ぎの片棒を稼ぐ事になるってことに分かって無い輩が多い。それとか「売れてるから良い物だ」とか思うのは止めて欲しい。
これだけを言ってもダメだろうから、話をヲタ方向に戻していくためにも、ちょっとゲーム談議でもしようっと。
えぇっと、だいぶ前から私はFFシリーズを相当毛嫌いしてるのはのぶるは知ってると思うけど、その理由をちょっとしっかり話そうかなと思います。
まず、「ゲーム性」って物が無いとゲームはクズだと思うのだ。前に君がふっかけてきた「音楽性」っていうのと通じるところもあるけど、これって普通の方法じゃまず定義できない。
少なくとも言える事は、「ゲーム性」はメディアに依存しない要素であるはずだ、と言う事。
具体的には、ゲームと言ってもカードゲームやらTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)やらTVゲームやらいろいろある。
でも、ゲームの面白さは「どのジャンルか」には関係ないはずだ。面白い物は面白い。
で、「ゲーム性」の優劣はとりあえずおいておくしても、ゲームの良さの元が表に出てこない良く見えない物である、っていうのは感覚的に分かるだろうか。
ところが、一般的に物(正確には財・サービス)をつくり出す「クリエイター」さんたちは普通専門分野を持っている。
TVゲームを作るひとは「プログラマ」と呼ばれる人たちだ。彼らは「処理スピードをあげるようなスマートなプログラムを作る」ことや「すげーCGを作る」ことが専門であって、「面白いゲームを作る」事は基本的には出来ない。
FFチームには素晴らしいプログラマは揃ってる。CGレベルはかなり高い。でも「ゲーム性」はほぼ皆無。だから俺は嫌い、とこうなるわけだ。
これって、「ドラマつまんない」「マンガつまんない」「小説つまんない」と基本的に同じ構造だ。
これらの面白さをきめるのは今度は「ストーリー性(物語性)」であるが、それぞれのクリエイターは「ディレクター&監督(だいたい演出家出身)」「絵描き」「作家(つまるところ言葉の美しさを追求するのが仕事)」なのだ。
だからつまらない。一応「ストーリー」の専門家として「ストーリーテラー」という言葉はあるが、職業では無いし、そんなのを名乗る人はかなり稀だ(そのかわりそれなりの信念を持ってる事は多い)。
で、まぁそれとは別にもう言い飽きたけどドラマやFFはマーケティングで本来の価値とは無関係に売り上げを挙げてる。
何が言いたいかっていうと、君が「好み」で片付けるような事も、深く考えて説明する事は可能だって事。
それから、一見「優劣」は完全にプログラム依存のように思われても、ある要素が「存在するかしないか」によって明確に区別可能だって事。
もう1つ、しばしば物事の本質っていうのは「物語」や「ゲーム」のように表面に全然表れてこない。
マーケティング戦略はそういうまどろっこしい価値観を無視して行われるから、企業の推薦はまず外れてる。
以上の理由から、一般常識は劣っている。
ただ、むやみに常識の逆を採れば優っているというのは偽であることは間違い無い。
42
:
ゑ
:2003/02/21(金) 23:05
>>35
より抜粋
もう既にこの世の中にありとあらゆる意見思想が蔓延してる中で育ってだよ?
俺は、個性的であるにしても、最早既成の文化思想から自分に合ったモノを選ぶ事しか出来ない世の中だと思っているけどね。本当に独自であり個性でありアイデンティティなど存在し得ないよ。
流れに乗るか降りるかってのがプログラムによって決定されてるんだしょ?同じやん。
で、前から思ってた事。君は異様に企業の戦略とか思惑とかいう事を口にするが…俺にしてみれば、自分の判断で流れに乗る事が結果的に金稼ぎの片棒を担ぐ事になっていたとして何の問題があるんだ?企業の戦略だと自覚してるのは良いが、無理してまでそれに抗おうとしているようにしか見えない…
と言っても、俺はルーズソックスを履き茶髪に染める女子高生の心理まで擁護する気は毛頭ないがね。
あと、俺自身は「売れてるから良い物」とは思わないが、「良い物だから売れてる」という側面が存在する事を無視し過ぎている。
君のFF嫌いな理由は読んだが、理解出来ない。
何でゲームクリエイターにはプログラマとCGクリエイタしかいないんだよ。
シナリオライターは別にいるだろ?キャラデザイナーはいるだろ?別にスクウェアのプログラマがマップから戦闘システムからイベントからストーリーから全部考えてるわけじゃないでしょ。
ただ、「CGが美しい→CGに凝りすぎて本来の面白さの追求を忘れている」とか歪曲した意見があるだけだ。
実際、FFと殆ど売れもしなかったRPGとを比べれば大体はFFの方が面白いという意見の方が多いと思われる。先入観とかなしで、ね。別に名もないRPGが全てつまらないというわけではなく。
ドラマ小説漫画がつまらないという理由も全く分からん。
ディレクターだって番組を作るれっきとしたプロだ。
漫画を作るのが「絵描き」という偏見はどこから?自分で面白いストーリーを考えてそれを絵に起こすのが漫画家だろ。ストーリーと作画を別担当にしてる漫画もあるが。
小説家は字を書くだけか?一流の小説家ってのは美しい文章を書くだけで売れるか?それに伴う面白みのあるストーリーがあってこそだろ。
余りにもそれぞれを小さく捉えすぎだ。
ドラマやFFが本来の価値とは異なる所でマーケティングしているのは良く分かる。
が、それがそれらの存在価値商品価値を下げる物だとする理由がない。他ン所でマーケティングしたから…というのは短絡的思考に過ぎない。
つー事で、俺は余り説明された気がしない。
マーケティング戦略してるのはあくまでスクウェア。ゲームそのものの面白さとは何ら関連性がない。グッズを売り出したからシナリオライターの創造性は低くなりますか?
43
:
ろいろい
:2003/03/01(土) 23:27
うぅ〜んとなぁ、少なくともFFの開発チームはメインスタッフがプログラマ(しかもCG専門)なんだよ。それは映画を作ろうとしたところで分かるだろ?前も言ったけどゲームFFは映画製作の為の資金源なんだから。
番組の作るプロって言うのは「視聴率を取るプロ」ってことで良いものを作る人とイコールでは無い。
とか一個一個に切り返しても根本解決にならないからっと。
まず、大体の人が本当に求めているのは「ゲーム性」や「ストーリー性」だと、仮定しよう。
ところが、それだけだと誰も見向きもしない。これは単に「見てくれの悪い料理は食べたく無い」っていうのと同じで、よほど勇気のある人でないと、見た目がダサい物に手出しは出来ない。
趣味でやってるならともかく、プロを目指すなら、とりあえず「見てくれ」を良くしないと「一流」にはなれない。
だから、見てくれを良くするのは「必要条件」だ。
一方、「ストーリー」を良くしても見てくれが悪くちゃ売れないし、「ブランド」を確立さえしてしまえば以後は「内容は無いよう」でも売れてしまうのはある程度事実だ。
だから、プロにとってはストーリーやらゲーム性は「必要条件でも十分条件でも無い」。
で、結果としてプロはまず見てくれを強化する。
44
:
ろいろい
:2003/03/01(土) 23:30
さて、書き込んどいてなんだけど、これを書いたのってスキー前なの。
なんで書き込まなかったのかっていうと、話が終わらない根本原因に気付いたから。
でもその原因を断とうとするとまた長文になっちゃうからなぁと考え中。
下書きでもすればなんとかなるかな。
とりあえず参考:
http://www.blog.net/nerds-jp.htm
アメリカの話なんで一言だけ補足。
学校の状況は日米だいたい共通といって良いだろうけど、大人社会はアメリカと日本はだいぶ違う。言いたい事わかるだろ?
45
:
ゑ
:2003/03/02(日) 23:55
ゲームと映画の製作スタッフは全く同じなのか?
例えメインがCGプログラマでも、シナリオライターのいないスタッフなんてねぇって。
ゲームが映画の資金源というが、傍から聞くと無根拠な意見にしか聞こえん。
映画を作ったのはⅩが出るか出ないか辺りだろ?Ⅰ〜Ⅸについてはどうなんだよ。全く関係ない。前々から構想があったとか言うかもしれんが、1作品毎に数年のブランクがある中で、果たしてⅦやⅧの頃から映画構想はあったか?ありえない。その頃からゲームFFが世間に認知され人気があったけど?
「視聴率を取る」=「人々に受け入れられる内容を作る」=「面白い物を作る」=「良い物を作る」
全く同じ事とはいえないが、悪い物を作っていては視聴率も取れないし人気も出ないのは自明の理。
見てくれの話は理解した。
が、やはり君の中に無理に「人気のある物」=「内容が伴ってない物」という潜在的な前提がある事に疑問が残る。
確かにFFなんかは「CGに凝りすぎ」なんて言うが、ストーリーってのはどんなハードでも進化しようがないが、CGは進化する。そこだけを見て批判する奴も多いようだが、俺は決してCGが良くなった代わりにストーリーがショボくなったなんて思わん。それは、CGがキレイになったという一点にだけ着目した一面的な批判に過ぎない。CGがキレイだという観念にとり憑かれて正しくストーリーの良し悪しを判断出来なくなっている、と俺は考える。
確かに、ブランドを確率する→内容がなくてもある程度売れる これはある意味真実だし、俺もそう思う。
しかし、内容がなくてもある程度売れる→内容がない ではないという事。
大ヒットして、世間が良い良いと騒いでるけど、見た目だけで内容がなさそうだなぁ、と食わず嫌いしているのが俺から見た君の姿。
君はDQは7、FFは8をやったみたいだが、ハッキリ言って、この2作品は余り世間的に評価を受けていないと言って過言じゃない。それだけで内容が伴っていないと言われちゃあ心外だ。
まぁ…とりあえずDQは3と5、FFは45679(大体名前が挙がるのがここら辺だが、特に79辺りは評価が割れる)くらいをやってみて、まだ自分の意地やらナシでそんな意見が言えるのなら俺もまた考えたいけどね。
46
:
ろいろい
:2003/03/03(月) 15:04
DQでやったのは3デスよ。
それはともかくだ。君と俺がいつまでも平行線議論を続けている表面的理由は、お互いにある程度強情だからだと言えるだろう。
俺は「見てくれの良さ=内容のなさ」を無理に強調しているし、君はその逆をとらざるを得ない。
ディベートという形態を採ってる以上、この構図はある程度しょうがないし、真実がその間にあるのはほぼ自明だ。
ただ、俺はそういうディベートのせいではなく、「人間の個性」に関する論議に関していえば、本音トークでも譲る余地はない。
これを上手く説明できて無い理由として気付いたのが、「俺は概念の総体を説明せずに、要素を抽出して説明している」という事だ。
要素1つ1つには賛否両論あるだろうが、俺はその次元の上の高度な(?)概念の総体を扱っている。
まぁ平たく言えば、君の言ってる事が間違って無く見えるのは分かるし、俺も通った道、みんなが通る道だからなと。
その反対を俺が示して、「必ずしもその通りじゃないだろ??」と言っても、君はいまいち納得しない。
俺のホンネはあくまでその両者でもなく、しかも中間でも無い、まさしく「高次元」な概念なのだ。
これについては下書きをして後日書き込みますが、最後に一言だけ。
君の見てくれに関する主張は的を射ていて、かつ論理的に正しいが、まったく現実を見ていない。
FFに関しては君が疑おうと事実であることに変わりは無い。君の疑問に答えておくと、チームの中にも偉いやつとそうじゃ無いやつがいて、偉いやつはCGクリエイターだって事。
ちなみに映画のシナリオやら監督やらをやったやつらはまったくの下っ端。
理由はまぁなんというか、
>>43
で言ったのを突き詰めれば分かるんだけど、「絵やプログラムがなきゃストーリーやゲームは伝えられない」って事さ。
売れるためではなく、もっと根本的な次元でも「絵やプログラム」などの見てくれは「必要条件」なのだ。
そんな感じ。小出しにするとまた君をカリカリさせるだけなので止めておく。
47
:
ろいろい
:2003/03/03(月) 15:06
ああぁ、ついにあげちゃった。
48
:
ゑ
:2003/03/03(月) 15:31
>>46
じゃあ高次元の概念とやらを待つコトにしよう
しかしFFに関して言う事についてはまだ理解出来ない事が多い。
偉いヤツがCGクリエイター→CGクリエイターがシナリオも担当 なハズない。ある程度影響力があるだろうが。
ゲームが映画の資金繰りだとすれば、スクウェアの本命は映画なんだろ?その映画に何で下っ端を使うんだ?矛盾してないか?
「絵やプログラムがなきゃ…」について
有り得ず。じゃあゲームはPS2やらX箱でしか成り立たない?いーや、粗雑な絵・音楽・プログラムによるゲームでも(ファミコンとか)名作は名作だし駄作は駄作。
ゲームの面白さという要素の中にシナリオがあり音楽があり絵があり、というのを、キミはまず絵がありき、その付加として音楽・シナリオがあると考えている。
俺からすれば全く的外れな意見でしかない。
49
:
ゑ
:2003/03/03(月) 15:51
補足
ちょっと前レスでも触れた事だが・・・
最近やけに君だけじゃなく世間においても「CG」が良くも悪くも注目されているか、という事だが。
シナリオライターの書くシナリオやゲームミュージックの質(再生可能な音源・和音。トラック等での違いはあれど)については、左程変わる事はない。
しかし、CG、また絵についてはハードによって再現可能範囲が限りなく違う。
たとえ鳥山明がDQ3の勇者等の絵を原画として描いたとしても、ゲームの中でそれが生かされる事はまずない。数ドット×数ドットで描かれる世界では全く意味をなさない。
が、FC→SFC→PS→PS2とハードが上がるにつれて、CGでの絵の再現が格段に可能になってくる。
その為、設定段階からキチンとキャラやその他の絵を固めておく事が重要視されてくるようになったし、また有名なイラストレーターの絵をまんま再現出来るまでの技術発達により、原画や作画を担当する人の重みも増してきた。
が、シナリオライターが書くシナリオや作曲家が作る音楽については依然変わらないままのため、どうしても絵やCGの進化について目が行ってしまう。
その為、当然世間の評価も絵・CGについてのものに集中する。
絵やCGが良くなっても、音楽シナリオは不変化の為、相対的に悪くなったようにさえ思える。
と、これがカラクリ。
50
:
ろいろい
:2003/03/03(月) 22:25
あぁ、また誤解されてる。
「絵やなにかがないと〜」というのの意味は、「ゲーム」「ストーリー」という概念だけを抽出して提供することは出来ないってコト。
なんらかのメディアを媒介にしなければ存在し得ない。
カードでもコンピューターでもGMでもいいんだけど、とにかく何かの助けを借りなければゲームは存在できない。
文字や映像や音がなければストーリーを人に伝えることは出来ない。
これは「心とは脳とイコールではないが、脳がなくなったら心はなくなる」っていうのと同じで、「絵とゲーム性にはなんの関係もないが、グラフィックがなければコンピューターゲームは出来ない(いや、ホントは出来るか」という意味。
これなら受容できる?つまり俺はむしろCGは良くなるべきだと思ってるのだ。と書くとまた文句言われそうだなぁ。小出しにするのって悪いクセだなぁ。
えぇっと、偉いCGクリエイタが決定権を担ってる、という意味である。その人たちがテキトーにシナリオライタに注文をだし、テキトーにOKを出すの。
映画についてもしかり。監督に任せてるんじゃないの。逆なの。表向きはえらそーにしてるけど。
えぇっと、シナリオは悪化した、なんて一言でもいったっけ?
オレはもとから良いとは思ってないし(もちろん悪くない、というのもあるが)、もっと広く「物語」と呼ばれるもののうち「真のストーリー」を持ってる物は数えるほどしか触れたことはない。
最新ので良いなぁと思ったのはイギリス発の某ファンタジー(もちろんハリポタでは無い)。
51
:
ゑ
:2003/03/04(火) 00:50
媒介になるのは分かったけど、それなら別に「CGの質」だけの問題じゃないじゃん。
別にCGが良くなっていく事に関しては何の問題もない。が、それに目を引かすぎて他を見失うとこりゃアカンと。
因みに参考として、昔サターンで「サウンドオブリグレット」というソフトがありーの。音だけで絵は一切ないというゲーム。
なにやら、「俺は裏事情を知っている立場から言ってるぜ」的な事を言われるとこっちも言いようがないのだが。
要するに、ぶっちゃけFFのストーリーなんてショボだと。いうわけか。ふむ。そう思っているのならもう俺が言う事は何もないねぇ。言っても仕方ないだろうし。
52
:
ゑ
:2003/03/04(火) 00:51
あぁage・・・
53
:
ろいろい
:2003/03/04(火) 23:40
もちろんそんな単純な問題じゃ無い。ただ「何らかの媒介」を必要とするという事実だけを押さえておいて欲しいという事。
のちのちこれが重要になるんだ。
そうだ!とりあえず君には我慢してもらってパーツを1つ1つ見せていくことにしようかな。
音だけでっていうか「Rogue」なんかは絵も音もねーけど?なにせ愛想のないUNIXで動くゲームだから文字しか使って無い。しかしこれが面白いのなんの。
基本的には今で言う「不思議のダンジョンシリーズ」の難しい版みたいなもん。いまだにクリアしてない罠。
そこで仕方ないと引き下がられても困るけど。
それなりに頭の中がまとまってきてるけど、自分の探索欲が首をもたげはじめたので、中途半端だけど書きはじめようかと思ってます。
もちろん俺が高次元といいはってる話だって完成型じゃないからしりきれとんぼみたいになってはいる。そこんとこご了承くだせえ。
54
:
ゑ
:2003/03/06(木) 01:00
で、そのゲームは湘南藤沢キャンパスなの?ってかSFCなの?ってかスーファミなの?
話を聞く限り余り興味をそそられないのだが。
だって。君は裏事情を知っている風な、謂わば高みから話してるカッコウなわけで。
そこに俺がどうこう言ったって、「実際そうなんだもん」とか「君が知らないだけで」とかいう雰囲気になったらどうしようもないでしょ。
現に俺が「FFの映画作ってるのは下っ端なんかじゃねぇよ」と言ったとしても君は「実際下っ端が作ってるんだししょうがない」と言うでしょうに。
つー事で高次元待
55
:
ろいろい
:2003/03/06(木) 22:56
もうちょっと出し渋ってみる。
だから、RogueはUNIXのゲームだってば。ゆにっくすって分かる?OSの名前だよ!分からなかったら巨匠に聞けスレにでも逝け。
Rogueはマップを文字で出すという形態を採っているわけだけど、昔のコンピュータゲームなんてテキストゲームしか無いんだよ?
君が知ってるかどうかわかんないけど、「ゾーク」というゲームがあるだろう。SSでも出てるけど。
あれってSS版ではグラフィックや音楽が付いてるけど、元はテキストのみのゲームなのだ。
知らなかった時の為に簡単に解説すると、東西南北に移動して宝を集めるゲームなんだけど、ポイント1つ1つでテキストで情景が説明される。その説明文から単語をトレースして動詞を組み合わせ自分が挙動を文章として入力して進むゲーム。
ある意味TRPGの強みをコンピューターゲームに取り入れる事が出来かかっていたのはこのゲームだけなんだな。その後のRPGはねぇ。
以上ミニ解説終わり。
56
:
ゑ
:2003/03/06(木) 23:42
ゾーク?知ってるし。
おもっきし持ってるし。
57
:
ろいろい
:2003/03/07(金) 00:06
いや、威張られてもな。
この方向でゲームについて28時間ぐらい討論してもいいけどさ。なんでもいいけど媒介が必要な事に変わりは無く、ゲームの良し悪しと関係ある場合もあるし無い場合もあると。それだけとりあえず押さえとけ。
58
:
ろいろい
:2003/03/11(火) 10:24
というわけで書き込み遅いのを謝っとこう。
1つだけ気付いた事を書いておこう。
無名(?)なRPGとFFなどとの違いは、「シリーズ化」されている事だ。
前の書き込みで俺は「売れるためには見てくれのほうが優先だ」という話を書いたけど、シリーズ化されていれば見てくれを余り気にしなくても収益についてはある程度確保できる。
つまり、「良いゲーム」を作ろうと思ったらシリーズ化してブランド力を利用するという方法論もあり、一概にブランドが悪いとは言えねえなぁと思われたのである。
これはゲームだけでなく、一般的な話としても通用するでしょう。
以上。これからゲームします(エー
59
:
ろいろい
:2003/03/11(火) 23:26
高次元かぁ。がんばってみます。書き出しを一番悩むんだよこういうの。
俺が世界を見渡す時に一番前提にしてる仮定は「真実は存在する。それはつくり出すものではなく発見する物である」という事だ。
これは科学(というか学問全て)が共通して持っている(いたはず)の前提とイコールだ。良し悪しは抜きにして一般的な見解である事は事実だ。
さて、同じ前提(まぁ目標と言えなくも無いか)を持っていても、俺は現代科学より数歩先をいっているという自負がある。それをちょっとお話してみたい。
そもそも今の学問体系がこうなっちゃった理由から話さなければならない。
さっきの前提には続きがある。「真実は全てに共通する。全ての事象に平等に存在する」みたいな感じ。これには俺は同意している。っていうか真実っていう言葉の定義みたいなもんだなこれは。解釈だから人それぞれだけど、こういう物が真実と定義したと思ってくれ。
その次もある。「真実が全てに共通するならば、事象を分割していっても真実はやはりそこに存在する」。
現代科学の多様化はここを拠り所にしている。確かに論理的にあっている(ように見える)。だから科学は物質を切り刻み、学問を細分化していった。最後に「真実」が残ると信じて。
もっと実生活に即した例を出せば、職業が専門化したって事だ。深く知る事によって真実に近付き、力を得ようとしたのが科学の歴史だ。
はっきりいって、俺はこの第2の前提をひっくりかえそうとしている。
話がつながらないような気がしても辛抱すること。この方が多分わかりやすいから。
60
:
ろいろい
:2003/03/11(火) 23:54
ひっくりかえすのはいいけど、いきなり結論を言うとつまんないからちょっと面白い話をしよう。
最近ホットな科学の分野と言えばやはりゲノムでしょうか。
遺伝学の歴史をひも解けば、まずは人々の観察から始まったんでしょう。遺伝という事象が観察されたワケだ。
次にその根拠が求められた。その結果、想像上の遺伝の原因「遺伝子」が「染色体」の振るまいと似ている事が発見され、染色体が遺伝のモトだと考えられた。
そのあとさらに染色体の中身を調べて、人間の設計図らしきものがある事が突き止められた。
その名はDNA。具体的にはDNAの塩基配列からタンパク質が合成され、そのタンパク質で作られる酵素のはたらきによって生物が活動するというわけだ。
ところがどっこい。一般的には知られて無いけど、DNAの解析をいくらしたところで、何にも分かりゃしない事が分かっている。
何故か。どんな酵素ができるか、っていうのとどんなヒトがうまれるかっていうのの間には飛躍が多すぎるって事。
専門的な事はよく分からないけど、酵素同士が相互作用を起こして、別の酵素を合成したりもするし、そもそもDNAの複製や転写や翻訳をしているのだって酵素なんだから入れ子関係になってるよな。
シロウト考えだけど、酵素には働きが活発になる「至適温度」っていうのがあって、酵素ごとに違うんだから、個体の発生過程での温度とかその他諸々だって当然関係あるだろうし。
これらのあさはかな議論を裏付ける事実は存在する。発生個体の形質とDNAの関係を調べて、形質の違いとDNAの違いをトレースすれば、どのDNAがどの形質に関係あるか、がわかるよね。
その結果、ある形質との関係が疑われるDNAのポイントは20数カ所確認されたという。
はっきりいって、何にも分からないという状況に等しい。
現段階でのゲノムの課題は、人体内での分子レベルでの化学反応の「関係性」を明らかにする事だ。
酵素とほかの物質とのかかわり、環境とのかかわり、他の酵素との関わり、etc。
俺はこの「関係性」に目を付けている。
明日に続く!!
61
:
ろいろい
:2003/03/12(水) 23:48
一回ぐらいageたほうがいいような気もする。
さて、一気に話を進めよう。
関係性の話なんだけど、
>>59
の2つめの推論の欠陥はここにある。
ある事象が小さい(1レベル階層が下の)要素の集合体だとしても、それが単なる「組み合わせ」か、要素1つ1つが関連性をもって結びついている「ネットワーク」かでは推論の真偽は違ってくる。
なぜなら、「真実」が要素同士の「リンク」にこそ存在する可能性があるからだ。
そして、俺はそうだと確信している。
何ゆえにこんな話をしているかと言うと、1つは「人は個性的足り得るか?」という問いへの解答の準備。
ひいては「ゲーム性」や「ストーリー性」の定義、今それらが存在しないという証明。
最終的には「ヲタクのキモさ」にも関係する。
関係性に真実が存在しうる、という可能性が開けたとしても、そっちが正しいという証拠は無い。あくまで直感だが、状況証拠が俺を援護している。
1つは
>>60
のDNAの話。他にも枚挙にいとまが無いけど、科学ネタでもう1つお話をしておきたい。
量子力学という分野がある。原子レベル、さらにそれ以下でのつぶつぶの振るまいを思考実験を主な武器として調べる学問だ。
その中でも特に光についての考察はすごいことになっている。
長年、光は波であると考えられていたが、量子レベルでは光は粒子の振るまいをする事も分かった。
この不可思議な現象について与えられた解は、「光は波で、且つ粒子だ」。常識人が聞いたら、「バーカ」とか言いたくなる。
それから、ほかの電子やら陽子やらにもおんなじことが分かってきて、さらにそれぞれの粒子が次に何処にいるかを予測することは(たとえずっと観察していても)不可能だというのだ!!
そのへんの専門知識は他の方に譲るとして(ゴメン、記憶があいまいなんだ)も、こんな非常識な結論が出てきた結果は分かる。
粒子同士の関係性を切り離して考えたからだ。
普段の生活でもわかるけど、単一の事象ではランダムな事も、たくさん集めてやれば秩序が見出せるっていうのは当たり前の話だ。
要素同士がしっかりとした関係性を持っていれば、必ず秩序は見い出される。そして、1つ1つに「秩序」があるのではなく、「ネットワーク」にこそ「秩序」は存在する、と考えてもいいんではないだろうか?
62
:
ろいろい
:2003/03/13(木) 00:08
ここで、俺が最近読んだ「新ネットワーク思考」という本に登場してもらおうと思います。
といっても用語を拝借するだけですけどね。
ネットワーク学において、つながるもの1つ1つを「ノード」と呼び、つながりを「リンク」と呼びます。
ノードがリンクによって連結されネットワークが形成される。分かった?
そんでもって、他にいくつか用語を導入しておきます。
一部のノードは多数のリンクを他のノードに比べて異常に沢山もっている場合が良くある。その場合そのノードを「ハブ(日本語で軸)」と呼ぶ。
実際のネットワークは、小さいネットワークが密にリンクしていて、それが外の世界と繋がっていて全体のネットワークが出来上がる、と言う事が良くある。
その小さなネットワークの事を「クラスター構造」と呼ぶ。
具体例を出せば、対人関係が分かりやすい。
友達付き合いが異常に上手くて、非常に沢山いるやつって必ずいる。世渡り上手って感じで。その人は「ハブ」だ。
そして、絶対学校とかだと、10人前後で構成される「仲良しグループ」みたいのがある。
それが集まって「クラス」とか「部活」、さらに集まって「学校」、「地域」、「国」というように段々高いレベルのネットワークの一部となっていく。
その鉤カッコでかこった物は全部友達付き合いネットワークの「クラスター」だ。
これらの用語をこれから使うから、頭に叩き込んでくれ。まだ準備は終わらないんだけどな。
63
:
ろいろい
:2003/03/13(木) 23:06
今日はゲームしたいから早くおわらせよ。
まずはクラスターについて補足。
まず「ネットワークが密」という意味は、友達の例で言えば、そのグループの中でお互いどれくらい知り合いかって事。仲良しグループでは当然全員が知り合いだろう。クラスや部活もたいていそうだろうけど時々影が薄いやつがいたりするよね。学校全員が知り合いって事は普通はまず無いけど、世間の知り合い度に比べれば知り合いの比率がずっと高い。
これが密だって事の意味。
だから、クラスターは小さなネットワークって事だ。クラスターが取り込まれている1段上のネットワークの平均の「濃度」に比べて、有意に濃度が高い集団はクラスターだ。クラスターの中にもう1段低いレベルでのクラスターも当然存在するっていうのもわかるよな。
ここで、ちょっとラフに考えると、クラスターはノードだ、と言えると思う。
正確にはそうでは無いけど、普通に生活している感覚ではこの考え方は正しいんじゃないだろうか?
国際問題を語るときに都市レベルで物事を考える人はあんまりいない。国というのは実体としては地球という星の中のクラスターであって国民の集合体だけど、人間はそれをラフにみなして国をノードと捕らえる。
極端な例を出せば、コンピューターのソフトを開発する時に、CPUの働きとかは考えない。ホントはCPUのオンオフがノードで、そのクラスターとしてとプログラミング言語があって、それをさらに連結した物がソフトという「ネットワーク」になるんだけど。
でも、これってちょっと考えれば普通の事だ。っていうか、こういう事をラフに判断できるから人間は考えられるとも言える。
64
:
ろいろい
:2003/03/13(木) 23:42
どういう事かっていうと、人間は物事を考えたり認識するときに、言葉を使って分類する、という事をする。
その時、"desk"と"table"の違いは英語圏にいなきゃ普通は考えもしないように、物事を理解するのは言葉がベースになってる。
でも、どこまでが机かってことを考えても、デスクとテーブルのように用途が違うでしょっていわれると机ってなんなのかってことは難しくなったりする。
ひょっとしたら物を書く時に絶対に椅子に座るような文化が主流になっていたら、「机と椅子」を指し示す単語だけが存在するかもしれない。
そんな人に、どうやって「机」を説明したらいいだろう?
こんな風に、僕らが単一要素と思っている概念も、実体は他の人にとってはそうじゃないという事がある。
それって、ノードとクラスターの関係と似てないかなぁ?
今日はおしまい。
65
:
ろいろい
:2003/03/16(日) 23:15
今回は保全age。
のぶるさん、無視されるとやる気をそがれるので相槌ぐらい打ってください。
さて、話は少しジャンプします。
とある人によると、考えるという事は究極的には分類すること、らしい。
当然、世界をあるがままに見ていたら考える事は出来ないような気がするだろう。
もっと正確に言えば、「考えなけりゃ分類できない」という事だ。
前の例を引き合いに出すなら、机と椅子を分類する時には、それぞれの「役割」をはっきりさせる必要がある。
机という言葉を説明するには、「物を載せて、その上で作業するための台」みたいな言い方で、使用方法や目的を示す必要がある。
それを敢えてもっと砕いて言うならば、「物と環境や他の物との関係性を示す」とも言えるのでは?
さらに言い換えよう。
机は1つ1つ違うけど、みんな机だと認識する。これって
>>63
で言った「ラフさ」と通じる所がある。
で、我々は何をみて机を判断しているかと言うと、物と環境とのネットワーク構造では無いだろうか?
66
:
ゑ
:2003/03/16(日) 23:23
無視してたんじゃない。普通に存在を忘れていた。
ってかまだ話は続くんだろ?
結論を出し渋って長引かせてるのかホントにそれだけの内容があるのかはわからんが。
途中で突っ込みようがない。
67
:
ろいろい
:2003/03/19(水) 23:52
さて、数日のゲーム疲れで書き込む気も失せているのだが、一言だけ言っておこう。
俺が結論を出し渋っているように見えるのは自覚してるし、ある意味では事実だ。ただ、それは目的を持ってやっている。
俺が導きだしたい結論(まぁ議題から見れば準備だけど)は「ノードよりもネットワークの方が大事」という事なんだけど、それをハッキリ言葉で言ってもそれはまたただのノードに過ぎないから、全然訴えかけるものが無いと私は考えるのだ。
故に、沢山の例を盛り込むことによって、その間に見えかくれする真実を自分の眼で観て感じて欲しいと思うので、このようなマターリな形式となっております。
一応、意味わかるかなぁ?
そんなこんなで、方針発表(?)でした。
68
:
部外者(塾高生)
:2003/03/21(金) 12:41
このスレ、受けるわ。ホントに。
量子力学とか、ゲノムとか、話の内容が高校生のレベルだと思えません。
中学生が入門書読んでしゃべってるレベルです。
ゲノムについても、一応バイオインフォマティックの話がしたいらしいんだけど
もう少し勉強ちゃんとしたら?
光についての波動と粒子の二重性というのは、量子力学の礎石ですよ。
何十年も前の話です。それこそ古典。
しかも不確定性原理を出してみたりしてんのが笑える。
そういう奴に限って、アインシュタインはすごいとか言っちゃって、
実は何をやったのかを文学的にさえ説明する出来ない奴が多い。
あとさ、論理的云々言う前に、公理系とか論理学の基礎から勉強したら?
(俺も基礎論はやってないから人の事言えないけど)
とりあえず、浅はかな知識を出さないほうがいいよ。恥かくから。
君ら塾高生だろ?暇なんだからモット勉強しろよ。
69
:
ゑ
:2003/03/21(金) 22:37
↑消す?消さない?判断はろいに任せよう。
70
:
ゑ
:2003/03/21(金) 23:20
改めて
>>68
読むとなかなかウケルな。
ネタか?ネタだよな?このレス…釣られでおくべきか…藁
71
:
poco
:2003/03/21(金) 23:31
>>68
は大真面目だろ。ネタとか言って煽っちゃかわいそうだと思うよ(藁
72
:
ゑ
:2003/03/21(金) 23:44
マジレスなのか。じゃあむしろ煽る。
>>68
よ…おまいにこの言葉を捧げる。
とりあえず、浅はかな知識を出さないほうがいいよ。恥かくから。
君も塾高生だろ?暇なんだからモット勉強しろよ。
73
:
名無しもぬ
:2003/03/22(土) 02:02
ほう。そこまで言うならこれぐらいは余裕だな。
まず、ゲノム云々抜かしたやつは、当然シークエンシングには詳しいんだから、
PCR法や転写シークエンシング法については間単に説明できるよね。
次に、量子力学云々抜かしたやつは、当然微分位相多様体とかリー群には詳しいんだから
「Lie群Gが多様体Mに推移的に作用するとき、その等方群はすべてGのある部分群Hと共役で
dimG=dimM+dimHの関係が成り立つ」ことを証明してみそ。
74
:
ハァ?
:2003/03/23(日) 01:11
なんか主観の議論を上のほうでやっていらっしゃるようですが、何も分かってないですね。
主観が揺らぐ、揺らがないじゃなくて、それを言うならアプリオリ、すなわち先天的な感覚のことでしょう。
それと、いわゆるデカルトの方法的懐疑論を持ち出してるけど、何か勘違いしてるだろ。
あれは主観云々に対する考えじゃなくて心身二元論を哲学の第一原理として思索するために考えられたんだ。
まあこんなのは可愛いほうで、一番痛いのが「主観は入れ替えられる」っていう主張だね。
「Aという考えがBという考えに変わった」というのを「主観の入れ替え」と勘違いしているんだね。
まあ主観が入れ替わるっていうのは他人と意識の交換が実現しても無理だ。というわけさ。
まあ、指摘されないよりもされる方が有益なんだから我慢しろな。
75
:
それとさ
:2003/03/23(日) 01:19
ギャラリーや対戦相手の質問をさばけなくなったら、是非降参して下さい。
76
:
ゑ
:2003/03/23(日) 02:01
そんな物知りな
>>73
=74=75さんに聞きたい。
「ヲタクは(論理的に)キモイか?」
77
:
poco
:2003/03/23(日) 02:06
sage
78
:
名無しもぬ
:2003/03/23(日) 12:41
とりあえず、俺の言ってることが理解できない>76はキモい。これは自明。
79
:
ゑ
:2003/03/23(日) 13:23
>>78
(´_ゝ`)フーン で?
敢えてマジレスは控えておこう。
80
:
名無しもぬ
:2003/03/23(日) 15:24
かわいそうに。何も分かってないね。
「で?」とか言っちゃってる。自分の愚かさに気づかない奴ってかわいそうでしょうがない。
81
:
名無しもぬ
:2003/03/23(日) 15:45
よって、このスレは終了。
82
:
poco
:2003/03/23(日) 15:46
sage
ネタとか釣りに言っても無駄か。
私も
>>79
もネタやら釣りにマジレスするほど暇じゃないんだよ。
83
:
名無しもぬ
:2003/03/23(日) 17:00
君らは勉強してないんだから、十分暇だと思われ。
84
:
名無しもぬ
:2003/03/23(日) 19:41
みなさん、はやく 氏 ん で く だ さ い
慶応の恥さらしです。
85
:
ろいろい
:2003/03/23(日) 21:13
あらま。1日来て無い間に議論は決裂か。
最初のレスは見てけど対応を管理人に一任しようと黙ってたら俺任せですか。
この状況なら削除、拒否が妥当でしょうね。
>>83
こんな仲良しグループの内輪掲示板のレスを全部読んでわざわざ叩く暇がある人に言われたかねーなぁ。
一言だけ言っておくけど、名無しさん(仮)の言ってる事はまず「何が間違ってるのか」を述べて無い、文脈の本筋を読めてない時点で筋違い。
これに普通にレスつけなかったら残念だけどさようならです。
86
:
ゑ
:2003/03/23(日) 22:08
じゃあ俺から一言だけ言って、その後の状況を見て拒否するかどうか判断しますか。
>>哀れな名無しへ
ここが何のスレだか知ってるか?「討論するスレ」だ。
お前は討論していない。流れも無視して言いたい事だけバラバラ言うだけの文盲には何も言う事はない。
相手して欲しいのならちゃんと流れを汲んで討論の形で発言するんだな。
87
:
ゑ
:2003/03/23(日) 22:08
という事でケチが付いてしまったな。これからどうしよう?
88
:
名無しもぬ
:2003/03/23(日) 22:16
これが討論だとは大笑いだな。
89
:
名無しもぬ
:2003/03/23(日) 22:18
主観が揺らぐ、揺らがないじゃなくて、それを言うならアプリオリ、すなわち先天的な感覚のことでしょう。
それと、いわゆるデカルトの方法的懐疑論を持ち出してるけど、何か勘違いしてるだろ。
あれは主観云々に対する考えじゃなくて心身二元論を哲学の第一原理として思索するために考えられたんだ。
まあこんなのは可愛いほうで、一番痛いのが「主観は入れ替えられる」っていう主張だね。
「Aという考えがBという考えに変わった」というのを「主観の入れ替え」と勘違いしているんだね。
90
:
名無しもぬ
:2003/03/23(日) 22:20
↑ お前らに言わせると、これを間違いを指摘しているとは言わないわけだ。
もうそろそろ馬鹿をからかうのも飽きたから、もう来ないよ。
91
:
ろいろい
:2003/03/23(日) 22:42
あぁぁ。まったくそういうのは間違いを指摘してるとは言わないんだって。
君と我らの間で「主観」という言葉の定義が違っていた、と解釈するのが紳士的な人間のスタンスってもんだ。
論理的うんぬんも同じ。専門用語で討論してないから討論自体が無意味とは聞いてあきれる。
論理学の基礎ぐらいはかじったことあるわ。
ただ自然科学領域は中学生からずっと遠ざかっていたんで付け焼き刃である事はある程度認めようか。
相対性理論を理解してないって?あはは、そんなもん分かった気になってるやつなんて今時の高校生いくらでもいるわな確かに。
文学的にすら説明できないって物言いが気になるな。文学的に、正しく説明できるなら数式なんかを持ち出してくるよりよっぽど本質を見抜いてるって事だと俺は思うがな。
ただ、文学的という(君にとっての)意味は知らんから断言はしない。
バカをからかうのは暇人がやる事だと煽ってみるテスト。
92
:
poco
:2003/03/23(日) 22:59
春厨帰った。ワショーイ!
煽りはこの程度にして(むしろ見てないからどーでもいいが
この春厨についての考察を書きます。ラジオ聞いた後で。完全にマジレスです。1回だけ釣られてやります。
でも難しい話ではなく、私のような一般文系塾高生から見た考察です。つーか、全く化学とか哲学とか関係なく。
これを書いたら俺の中で春厨騒動は決着。本人もいないし、ろいろい氏やゑ氏の意向であぼーんして良いかと。
じゃあ、ラジオラジオ〜。
春厨の去った今はsage進行の方が良いかと。
93
:
ゑ
:2003/03/24(月) 00:37
じゃあsage進行で。
も一つ哀れな厨房に忠告しておいてやるか。見てるかどうか知らんが。
>>「とりあえず、浅はかな知識を出さないほうがいいよ。恥かくから。」
浅はかな知識?じゃあお前が持ってる知識は浅はかではなく完璧なものか?
量子力学やアインシュタインの主張した論理を他の誰よりも深く論じられるのか?
その点に於て、俺等が持っている知識を半端とした上で自分は博識だと言い張るか?
>>73
も用語出して知った気になってるのか知らんが、それも誰かが書いた文だか本だかを読んで得た単なる二次知識に過ぎん。
もし本当に俺等よりもお前が頭が良かったとしよう。知識が豊富だったとしよう。
それでも、お前のしている行動とは「俺、掛け算出来るんだぜ」と自慢している小学校1年生と何ら変わりのないレベルなんだよ。
得てして、中途半端に知識を得た奴程それをひけらかしたがるな。
何より、文面を読む限りお前の精神年齢の低さが伺えてならん。
まぁ帰ったのならもう何も言うまい。
94
:
poco
:2003/03/24(月) 00:43
さぁ行ってみようか(実はもうやる気が微妙ですが、やるからには全力で
まず
>>68
まぁ、そのゲノムとかの話はスルー。知らないもの。しかし、最後2行は完全に春厨レベルの煽り。あと、まさかマジレスだったら文章全体が「俺はこんなことまで知ってるんだぜ。お前らはバカだから分からないだろ」という救いようのない自慢しいな雰囲気を醸し出してる。これは激しく痛い痛しい。
そして
>>72
の煽りに対して
>>73
のレス。
これを読んだ瞬間、私の感想は「こいつ春厨だ」
>>72
はまず煽りでこんなのに釣られてバカみたいに自分の知識ひけらかしてるあたりで寒い。その上、私から見れば
>>72
の勉強しろってのはゲノムとかの話ではなく「
>>68
みたいな痛々しいレスするなら国語力(作文力)をつけろ」という意味に映ったが。それで
>>73
のレスじゃ国語力皆無と思われても仕方がない。
そして
>>74
>>75
>>74
は俺が読んでも一目でわかる。釣りだ。マジレスならただのアホ。
論理とか理屈を言わずに結論だけ出して勝ったつもりでいる。相手をバカ呼ばわりする割にそのバカに説明するにはあまりに説明不足。言ってることがあってるあってない以前に自分の国語力のなさをひけらかしてるだけ。相手がバカだと思うならそれにあわせた説明を。説明しない(出来ない)ならそれで勝ったつもりになるのは大間違い。
>>75
わざわざ
>>1
の文章をコピペしてる割に「sage進行推奨」は完全無視。この時点でマジメに討論する気もない春厨決定。これ以降も私がsage推奨をほのめかしてるのにシカト。ネタレスする気マンマンだ。
>>80
何もわかってないのはあなた。自分の国語力のなさ、煽りなら煽りのヘタさに気づいて下さい。
>>83
>>84
寒すぎ。何?結局自分の春厨っぷりをそんなにひけらかしたいの?
>>84
なんか完全に苦し紛れで言うような煽りよ?どこでそんなアホな煽りにかかる人がいるの?字間にスペース空けて何が楽しい?(うわぁ言ったそばから自分が煽られてるよぉ
そして
>>86
がいいこと言った。文盲。的を射すぎ。
この春厨は国語力なさすぎ。そしてイタイ。人に読ませる文章が全く書けないらしい。
>>88
>>90
コメントすら避けたい。もう無理。煽りをしっかり勉強してください。こんなんじゃ誰も相手にしませんよ、マジで。
結論。
ゲノムとか哲学とかそーゆーのに関しては私なんかよりよっぽど博識ですね。
しかし、国語力とかそーいった日本人がもっとも基本的に持ってないといけないものが欠如しすぎ。
あなたは私たちに「勉強しろ」とか「俺は勉強してる」とか言ってましたが、勉強してそんな頭でっかちで人とのコミュニケーションが取れないような人間になるのはまっぴらゴメンです。
ここらへんは人それぞれでしょうが、私は間違ってもあなたのような人間にはなりたくないし、なれる自信もない。
終わり
あとがき
まぁ、こんなもんで。完全に釣られてみました。煽りならこれで満足でしょう。
あと、このレスがこのスレに不適当なことは重々承知してるのであぼーんして頂いて結構です。
95
:
poco
:2003/03/24(月) 00:45
そして
>>93
はかなりいいこと言った。これぐらいの作文力はあると困らないと思うよ。
96
:
ろいろい
:2003/03/24(月) 20:46
みなさん御苦労さまです。どうやらアホも逝ってしまったようですので。ちょっと休憩…。
97
:
ゑ
:2003/03/24(月) 21:59
で、このスレはこらからどうなるの?
98
:
ろいろい
:2003/03/25(火) 22:00
えぇっと、今日は早く寝るつもりですので、山から帰ってきたら何ごともなかったように再開したいと思います。では。
99
:
ろいろい
:2003/03/25(火) 22:22
と思ったら山から帰ってきたらスノボに行くんでした。再開は4月の5日頃と思われ。
100
:
ろいろい
:2003/03/25(火) 22:23
100
いっぺんこういうバカな事してみたかったんです。許して。
101
:
ろいろい
:2003/04/03(木) 23:44
うーんよい具合に下がってきましたね。
さて、どこまでやってたんだか忘れちゃったなぁ。
小ネタを出すとまた厨房に粗探しされるので、もうやめよう。
で、結論を一言で表すと、
1:世の中は大体ネットワークで考える事が出来ます(まぁ当たり前と言えば当たり前
2:ノード1つ1つもその実体はクラスターとしてのネットワークである(要素はどんどん分解できるということ
3:物事を分類するという事は、ネットワークをばらしてノードにする、ということと複数のクラスターの中に同じネットワーク構造を見い出す、という二面性を持つ(他との関連性や共通点をもって分類されるため
一言じゃないじゃん。
これで納得できれば先へすすめるんだけど、無理ならそうレスして下さい。丁寧な解説をしますので。
今日はこれだけ。
102
:
ろいろい
:2003/04/07(月) 23:46
さて、また忘れられてるぞと。
上の3つをまとめて表すと、世界はネットワークが何層にも重なりあってできてる入れ子構造だという主張だ。
同様に、人間が自分で作った(あるいは見い出した)ネットワークがクラスター扱いされて、ノードに成り下がってしまうという現象も存在する。
科学のもう1つの側面がここにあって、上の3で言った事と重複するけど、クラスターとして認識した時点で、それはもうノードになってしまうと俺は思うのだ。
ちょっと具体的に言えば、不思議な現象を発見して、いくつも事例を調べ(ネットワークの共通性探索)、そういう現象が起こる理由が解明され(ネットワークは解体され、ノードが新たに現れる。同時に、その理由からその現象の最低条件のネットワーク構造が明らかにされる)、それが「公式」とか「定理」とかになる。
もう「定理」になっちゃうと、その中身(ネットワーク構造)を気にせずに考えるための「道具」として扱えるようになる。
これは有限な人間の頭を有効活用するための戦略で、正しいと思うけど、こりゃもう完全なノードとして扱われているに等しい。
ネットワーク考察定理その4:ネットワークに共通点が見い出された時、最終的に思考が熟すると、そのネットワーク群は同種のノードとして認識される(はずである)。
さて、ここには身近な問題点があるよな。
人間はさらに有効活用を徹底するために、時間連続体としての「社会」を1つの脳として扱おうとした。
要するに、人間は蓄積した知識を子孫に伝達することで、「種」としての生存戦略を発達させてるわけだ。
でも、親にとってはノードでも、子供にとってはちんぷんかんぷんって事が良くあるわけだ(当然だよな)。
親の説明能力(広く言えばコミュニケーション能力?)が劣っていれば、ネットワーク内部の説明をせずに「いいから覚えろ」みたいな話になっちゃう。
子供に才能が無い場合も当然あるだろうけど、この手の伝達ミスがずっと続くと、中身がすっぽぬけたノードが世の中に氾濫する事になる。
ま、ぶっちゃけて言えば、「この公式は覚えましょう」とか言ってる教師をなんとかしろよと。
公式覚えればテストを乗り切れると思ってる生徒もなんとかしろと(正確に言えばそういう社会をなんとかしろよ)。
これは本題ではないが、関連事項なので一応。
103
:
ゑ
:2003/04/10(木) 00:03
(・∀・∀・)ヌッヘッホー
完全に忘れてたさ
とりあえず続きをどうぞ、と
104
:
ろいろい
:2003/04/10(木) 23:02
>>103
いや、放置されてると次のステップに進んじゃうよ?
でも、一応ひとつだけ例を出してみたくなった。ネットワークがノードになる話。
突然ですが、道徳とは何だと思うでしょうか?人それぞれ意見があるでしょうが、とりあえず無視して(笑)とある本から引用してみます。
「道徳とは、その場での個人的、かつ直接的な(即物的な)欲求や価値だけでなく、社会全体にとってや長期的な視野に立った時の欲求や価値を満たすための方法である」
嘘。引用じゃなくてうろ覚えだ。自分に都合良く改変されてる。
そんな物にもめげずに、解説します。
この定義に異論がある人はいるだろうか?わかんないけど、平易に言えば、「道徳っていうのは誰かの自己中によってみんなが不幸にならない為にあるんだよ。それが長期的には君の利益になるのさ」という事。
これならわかるかな?
で、これをネットワーク的に解釈すると、「道徳とは、なるべくたくさんの個人(あるいは時間)においての価値観というノードを矛盾なくリンクさせ、社会(1個人)というクラスターをつくり出すための指針である」とでも言えるんじゃないだろうか?
ところで、道徳的な人ってどういう人だと思う?
同意するかどうかを聞きたいんだけど、「将来的に得をするから」とか「みんなの評価があがるから」とかいう理由で「道徳的」行動をとる人間は道徳的な人ではないような気がする。
道徳的な人はそれが「道徳的だ」という理由だけでそれに従わなければならないんじゃないの?
つまり、道徳はそれ自体に従わなければいけない(はずだった)のに、上で挙げたような「存在理由」を解明されると、それ自体が1つの価値観になってしまうのだ。
事実、俺のあげたネットワーク的言い換えの最後に「指針」という単語を用いているけど、これは価値観という言葉と共通性がある。
そして、今の普通の人は道徳という物をいろいろ比べてみる価値観群の1つとしてしか見て無い。
ついでに言えば、この状況では道徳はもはや本来の用を果たさない。
全員が「無条件で」従うという前提で道徳って成り立ってるんだから。
105
:
ろいろい
:2003/04/12(土) 23:19
最近は違う本を読んでるので話がそれないように自己管理するのが大変だ。
前回に補足。
数学の公式の例えは、きちんと理解しているという前提において、高い次元へどんどん進めるという効果がある。
一方道徳の方は価値観の関係性という「メタ価値」的な存在であった道徳がただの価値へと「堕落」している。
このように、人間が獲得した「考える」機能は条件において概念を昇華することもあれば堕落させることもあるのだ。
雑談はいくらでも続けられるし(そしてこの先が俺が好きな話なんだけど)ここらで本題の方へ軌道修正しようか。
まずはストーリーやゲームの良し悪しについての小競り合いに決着をつけようかな。
ここで重要になるのは、まさに今指摘した「堕落」構造がはっきりと(特にストーリーにおいて)認められる。
106
:
ろいろい
:2003/04/13(日) 22:46
とりあえず、ヲタクの話をする前に、ストーリー性、ゲーム性について俺なりの定義、そして現状への問題点を指摘しておく。
どーしてもFFが好きになれない理由が多少は分かっていただきたく。
まずはストーリーについて。
今までの事を総合して、ストーリー性を私はこう定義する。
「登場人物、環境(世界観などの設定が含まれる)などのノードのかかわりあい」。
そっけないとかいうな。
さて、この定義は何も述べて無いように見える辺り正しそうに見えるのは俺だけか?
このあたりからそろそろ「討論」をしたいから君の意見をいってくれ、のーぶるすかぁれっと君。
107
:
ゑ
:2003/04/13(日) 23:28
何?俺なの?俺が何か言うの?俺もう既に余り付いて逝けてないモソ。
じゃぁまぁ一言討論っつーか疑問を。
ストーリーをキャラと環境の関わり合いっつーのは分かったけどさ
ゲームやってない君が何でFFのストーリーに付いて語れて、更にそれが好きになれない、と分かるわけ?
キャラと環境の関係なんて実際やらない限り分からないんじゃないの?
まさかそこら辺に溢れてる論評なんかを持ち出すんじゃないでしょうね?
108
:
ゑ
:2003/04/13(日) 23:29
書き込むボタン押した0.01秒後に粗相に気づきブラウザの戻るボタンを押したものの手遅れだった。
回線切って吊ってくr
109
:
ろいろい
:2003/04/15(火) 22:47
ま、確かにFFのストーリー(特に昔の)はよく知らんさ。だからFFのストーリーを攻撃はしないよ。
哲学者ぽい補足をしておくと、物語含め芸術というものは、自分が見た(感じた)「真実」を直接言葉で伝えられないから、その真実の構造をかたどった物を指すんじゃ無かろうか?
自然の真実がネットワーク構造に存在するなら、芸術の本質はネットワークにあると言える。
でだ。ストーリーをネットワークで定義できたとすると、ストーリーの面白さはネットワーク構造に依存する。
以前、「面白い物語は決まった構造をとる」という話をしたのを覚えてるか?勇者とお姫さまと賢者と敵と味方と云々。
これはもちろん一例にすぎず、ほかにもいろんなパターンが存在している。
俺が言いたいのは、これらの構造はこういう分析を経てしまった以上、いまや「クラスター」化してる、と言う事だ。
別にだからこの手の構造を使ってはならない、という事にはならないが、内容も無く構造そのものを持ってきてノードやら重箱の隅をつついて見せるのはいくらなんでも酷いと思うのだ。
結局は作家のポリシーとそのポリシーを読み取れる読者の能力にかかってるわけだが。
真実は誰かに教わるもんじゃなくて見るものだ。作家はその構造を抽出して、より無駄を取り去った物を物語の上に投射する。
世界観やキャラクターのようなノードは非現実的でも許されるが(むしろその方が良い場合が多い)、ネットワークは現実的でなきゃならない。
弱気な主人公が理由も無く悪の親玉に立ち向かう気になったりしてはヘボだ。
創作活動は模倣から始まるのが普通だけど、物語の本質を見失うとただの「情報の寄せ集め」になってしまう。
せっかくポリシーさえあれば良かったかもしれないものが、「みなしごハッチ」+「セーラームーン」+「ナディア」とか言われてしまうのは非常に情けない。
こういうのを「動物化するポストモダン」における「データベース」の集まりといってもいい。
この状態が「虚構の大きな物語」に対応しているとも言える。
そのうち、高いレベルのネットワークの欠如から、ノード内部のクラスター構造の欠如にまで症状は進行するわけだ。
それが、キャラクタのデータベース化(すなわち萌えキャラ化)に他ならない。
データベースの寄せ集めのキャラしかつくれないような連中にまともな物語が描けるはずが無いから、「見るまでも無くFFはカスだ」と言ったりするのだ。
理屈の上ではデータベースの集積である「非現実的な」キャラクタでも、まともな物語は描けるかもしれない。
でも、どうやってそのまともさを判定できるのだろう?ノードがまともじゃ無いのに?
FFXー2でユウナのキャラが変わってるとか話題になってたけど、それって単にキャラクタが非現実的なだけだ。
データベースの集積だから、職業も性格もテキトーに変えられちゃうのだ。その組み合わせにはポリシーが無いから。あるとしたら「流行」だけ。
結局作家は「自分の見た」真実しか語る事が出来ないから、それに共感できる人は一部だ。
故に、「全ての人にとって面白い物語」は存在し得ない。
でも、共感できなかったとしても、「誰かの真実」を述べている物語ならば、俺は存在価値があると思う。
それが、自分の真実への足掛かりとなるならば。
110
:
ゑ
:2003/04/15(火) 23:10
全部に一々反芻するのは面倒くさい。掻い摘もう。
でだ、要するに、ガイシュツの寄せ集めだってんでしょ?
ぃゃでもね、考えてみんさい。前に俺が世界はもう既成の選択肢の連続でしかないような雰囲気を醸し出す意見を言ったのだが・・・それと同じ。
もうね、ゲームやら漫画やらアニメやらが溢れてしまってる世の中なわけだ。
数多くの作品が出たわけだ。
だから、どんな「個性」を出したとしてもそれはただのガイシュツの要素にしかならなくなってしまってるっつーわけだ。
強気な主人公、引っ込み事案なヒロイン、破壊願望丸出しの悪の親玉、甘えん坊の妹、生意気な幼馴染、いつも邪魔するライバル、優しい母親、厳格な父親、元気一杯の天使、謎めいた悪魔・・・
どんなキャラを作ったとしても、「どこかで聞いた事がある」モノでしょうょ?
じゃあ、FFだけに限らず、今の時代に「こ、これは!」と思える画期的な要素オンリーで作られてるゲームやアニメや漫画があるかい?ないよ?絶対。100%。
要素の組み合わせに過ぎないのは全部同じ。
じゃあどこで差が付いてるのかっつーと・・・これがまた微妙。
で、ユウナのキャラが変わった事についてギャータラ言ってるヤシが多いというが
それはぶっちゃけゲームを楽しもうとしてないからだ。そんな奴は、ユウナのキャラが変わらなかったら変わらなかったで「マンネリなゲーム出してんじゃねぇよ」と叩く。叩き屋を例に出すとキリがない。
ゲーム当初でこそそんなことを喚くヤツもいたが、今になってもまだホザいてるヤシは少ないぞ。
キャラが非現実って、現実なキャラがどこにいるというんだ。
111
:
ろいろい
:2003/04/17(木) 00:05
はいはい、その既成事実の寄せ集めと言われると思ってましたよ。
君の思考パターンも3年付き合うと大分読めてくるからな。
そしてそれは違うんだな。
要素が斬新である必要性は無い。むしろ要素が斬新でないと「没個性」だという思想が没個性を呼ぶ…ってこれも前に書いたな。
だから、概念の総体を要素の「組み合わせ」だととらえるからいけないんだよ。あくまで「ネットワーク」なの。
物語の秩序はネットワーク構造に依存する。だから分割したキャラやら世界設定は物語の秩序を全く引き受けない。
ストーリー性の斬新さすら要素として扱われているようになっているという現状は確かにあるし、昨日そう書いた。
でも、それは模倣(偶然同じという可能性もあるが)作品が増える事で読者がその構造をトレースできるようになったからなんだ。
当然、お話それ自体をそのまんま要素とはとらえられないだろ。それだから物事は要素の組み合わせだという前提自体を拒否すればこの論理は破綻する。
そのためにネットワークの理論をわざわざやってみせたんだが…ダメか?
ただ斬新なキャラクタが重宝される理由は、(人々が我々の世界との共通点に眼を向けてくれる事を期待しているので)物語の本質へ眼を向けやすくさせるためでしょう。
ゲームを楽しもうとしてない、という発言は次回の「ゲーム性の本質」で詳しく述べるが、ある意味では正しい。でも「FFのウリはゲームだ」という命題を受け入れるならそう些末な問題とも言い切れない。
キャラが非現実という指摘も言葉の使い方によっては真。現実に存在しないのは当たり前だからな。
現実的なキャラというのは「行動が普通の人間の行動原則に従っている」という事。ま、誤解を恐れず言えば、特殊能力とかはどーでも良くて性格設定が問題って事だ。
ま、今ここの全てを納得しなくても良いよ。ストーリーとゲームの関係はいわば雑談。この話で多分君が譲れない「既成概念の集まりでしか思想は成立しない」という命題を論破するという予定です。
112
:
ゑ
:2003/04/18(金) 00:19
ふーん、論破されちゃうんだ…
まぁちょこっと言っておくと、ネットワークを構成している一つ一つの要素やその相互関係が俺の言う既成の組み合わせにあたるという事じゃないのかと。
まぁ、あと一つ。
俺から言わせると、「要素が斬新でないと没個性だ、という考え方が没個性」とかそれ以前に、最早個性やらがほぼ存在意義をなくしかけてる世界ってのが今だと思ってるんだが。
個性がなければ没個性もない。と。
113
:
ろいろい
:2003/04/20(日) 22:22
当分やる気ないんですけど、申し訳ないので少しだけレスを。
まず、組み合わせとネットワークの違いですけど、一言でいうと、組み合わせは要素の性質が総体の性質にかなり直接的に関わる状態を指すのに対し、ネットワークというのは要素1つ1つはリンクを貼る際の条件を決定するに過ぎなく、総体の特性はネットワークの構造にのみ依存するって事だ。
原子の特性は電子や陽子の特性が直接反映されるわけではなくて、何処にいくつ電子があるか、で決定される。
同様に、分子の特性は、炭素やら水素やら酸素やらの特性ではなく、それらのつながり方によって決まる(安定だ、とか高分子を作りやすいとか)
っていうかこの場合は特性自体が化学反応性を指してるわけでやっぱり他とのかかわりあい方なんだけどね。
微妙にはぐらかしではあるけど、ネットワークのイメージってこういう事。
個性の存在異義を現代がなくしてるという意見については条件つきで賛成だ。
むしろ、僕らの世代から個性に対する執着を無くしたという表現の方が誤解が少なく、分析もしやすいと思うが。
それを大雑把にまとめると「今どきの若いやつは夢が無い」とか「向上心が無い」とか言われるわけですが。
だから没個性という概念が存在しなくなるというのは事実だ。そして俺はそれに危惧しているわけだが。
とりあえず、現代文の教科書の「今日と明日の芸術」(だっけか)という評論でも読むと考えるネタぐらいにはなるだろう。
俺の意見とは食い違う点もあるが、「自己」(まぁ個性に対応する使い方をされている)の定義の仕方がなかなか味わいがあるので、是非読んでみて欲しい。
すると俺の説明もまたやりやすくなるかも。
114
:
ろいろい
:2003/04/24(木) 22:54
ひさしぶりです。
さて、物語論は一区切りに(勝手に)させてもらって、ゲーム論を少し。
ゲームをネットワーク的表現をすると、「プレイヤー(単数or複数)とルール(審判を含める)のかかわり合い」とでも言いましょうか。
ここで考えて欲しいのは、RPGというゲーム体系についてだ。
ロールプレイングゲームとは直訳すればすなわち「なりきり遊び」ってことだ。
コンピューターでのRPGとの比較のためTRPG(テーブルトークRPG)と呼ばれているが、その原形は複数のプレイヤーと、一人のGM(ゲームマスター)が集まって遊ぶもんだった。
ゲームマスターっていうのは大筋のシナリオを決めておいたり、戦闘のパラメータの割り振りとかが主な仕事だ。
コンピュータRPGと比較すれば、GM=ゲーム機、って事でしょう。
一方違う点は、GMが人間であるため、TRPGはプレイヤーの自由度が格段に上昇する。その場の状況に応じて、でっちあげでテキトーな事をやってもGMが許可すればOKなのだ。
例えば、学園ものなシナリオならば、「掃除用具入れからモップを取り出してぶん殴る!」とか言うことが出来る!
そうするとその場でGMがモップという武器のステータスを設定するわけだ。
エンディングすらアドリブで変わってしまう可能性もありけりだ。
もう一つはプレイヤーの数。TRPGでは協力とか小競り合いとか自由だけどコンピュータではそうはいかない(ただ、これは原則で例外は存在するな。ま、王道は1P専用だろ?)
さて、こんな感じでネットワーク構造を洗い出してみたんだけど、RPGというゲーム体系にとってこれ以上に重要なのはストーリー(のよう)だ。
最近までオレはそんなふうに思って無かったんだけど、FFの人気の理由を聞いたり、『MOTHER』が好きな理由を考えてみたら、意外にこっちの方が重要みたいだな。
ストーリーの定義をおさらいすると、「キャラクター(達)と世界の関わりあい」だ。
ゲームという媒体でストーリーをあらわしている物だとRPGを捕らえるならば、キャラクター=プレイヤー、世界=ルールだ。
さて、何が言いたいのかというと、TRPGならばこの二重構造が存在できるんだけど、CRPG(略しました)では不可能だって事。
だってプレイヤーが一人だろ?キャラクターは(普通)複数なのに。
要するに、ストーリー主導でRPGを作った時に、AというキャラとBというキャラが何か関わるわけだ。
でもプレイヤーにとってはどっちも自分(or自分の手駒)なわけだ。
ストーリーに引っ張られてキャラが動いてしまったら、プレイヤーはゲームとしての楽しみを奪われることになる(さらに自由度が低下する、とも言える)。
逆にゲーム性を全面に押し出せば、秩序だったストーリーはなかなか存在出来ない。
もっと些末な問題点もキリ無く挙げられるけど、一気にまとめると、こういうこと。
「ゲーム性とシナリオの良さは(そう簡単には)共存できない」。
ま、補足はまたそのうちするけど、君の現時点での意見をどうぞ。
115
:
ゑ
:2003/04/24(木) 23:58
それはFFだけに限らず現存する全てのRPGにおいて同じなんでしょ?
マザー含め。
TRPGを主体として考えたらそうだが、普通にCRPG主体に考えたらまた違った視点になると思われ。
116
:
ろいろい
:2003/04/26(土) 22:39
別にTRPGを主体にしたつもりは無いのだが…。また違った視点を語ってくれないと分からないよぉ。
もちろん全てのRPGについて語ってるつもりだ。
結局、プレイヤーはストーリーかゲームかどちらを手に入れようとしてるか、って事が問題になる。
ゲームが欲しいなら、RPGという媒体自体があまり適しているとは言えない、と言いたいわけ。
そういや、ゲーム批評50号記念「ゲーム批評大賞!」の総評にあったけど、「『商品』でも『作品』でもない『ゲーム』を作って欲しい」。
『商品』に関しては言うまでも無いと思う。『作品』っていうのはここで言っているストーリーに加え、CGとかだよな。
極端な話、ある意味ストーリーとゲームが一番共存できているのはギャルゲーだ、とでも言いたくなる。
何故って、ギャルゲーのストーリーとは主人公と女の子との恋愛で、ゲームの目的は女の子を落とすことだからな。
ま、それがギャルゲーがゲームとして優秀だってことにはならないけどね。
あと、ストーリーとゲームの齟齬という点で重要なのは、レベルアップという概念だろうな。
ここでレベルアップというのは、RPG的なキャラクターのステータス上昇はもちろん、プレイヤーの技能上昇も含める。
レベルアップを容認して、ゲームの面白さを保とうとすれば、敵(課題)は徐々に強く(難しく)ならなきゃいけない。
でも、ストーリー的にはラスボスが最強という点以外はその限りでは無い。
俺はラストダンジョンのザコキャラが四天王の1人より強かったりすると萎えるけどな、結構。
GAのゲームのレビューで「途中に異様に難易度が高いステージがあり、疑問だ」という批判があったけど、ストーリー重視の視点に立つならば、これはむしろ当然と言えるのでは無いか?
それよりあんなのが難易度高いって言われちゃ世も末だって話もあるんだけどねぇ。
117
:
ろいろい
:2003/05/06(火) 22:27
欄外に出たからあげるしか無いと。
えー、最後にFFがギャルゲーと呼ばれる俺なりの理由を書いて、ゲーム論をひとまずおわりにしちゃおうと思います。
劇場版FFが公開された時に一番多かった批判的な意見は、「いじれないゲームのFFを見ている感じだった」という物だ。
これって裏を返せば、「ゲームのFFっていじれる映画みたいなもんだ」ってことになる。
つまり、シナリオが展開する方がメインで、戦闘とかの部分は「いじる」程度だ、って思ってる人がいるって事。
一方、ギャルゲーは今まで論じてきたように、シナリオが重要で、ゲーム性があんまり重要じゃ無い。
選択肢はエンディングに直結するけど、それぞれの選択肢が何を意味するかは明らかで(誰かの好感度をあげる、さげる)、ゲームと呼ぶよりは単なるシナリオの分岐にすぎない。
だから、シナリオ主導なゲームは、(恋愛という要素にこだわらないければ)ギャルゲーに非常に近い存在だと呼べると思うわけ。
ま、ふつーはそういうのは「SLG」とか言ったりするけど。そういや「やるドラ」とかいうゲームもあったね。
FFはシナリオが命だというスタンスに立つなら、それなりにギャルゲー的である事を許容しなきゃだよ。
そこへきて、てんつーが女キャラめじろ押しの媚び売りまくりだから、「こりゃ完全にギャルゲーだろ」という論調になっちゃうわけだ。
俺が思うに、RPGというジャンルはもはや存在しないような物だ。「ロールプレイング」という概念はハナカラ無くなってるし、戦闘システムが多様化する中では具体的な構造を指摘するのも難しい。
SLGというジャンルの方が、何を指しているのかまだ分かりやすいし、的を射ている。
まぁ、広範囲を指し示してる曖昧な言葉だからだっていわれりゃそれまでですが。
おまけ、マザーがいいと思う所。
FFは戦闘が面白いとか(俺からすれば)バカみたいな事言ってる人がいるけど、マザーシリーズに関して言えば、戦闘は面白くは別に無い。
特に戦術がいろいろ組めるというわけでもなく、むしろ2の最後の方はオート戦闘にしないと死ぬぐらいの有り様だ。
それで何が良いのかというと、シナリオ主導と言う事をトコトン徹底している所だ。
まず、戦闘(主にボス)の勝利条件みたいな物が、あくまでシナリオとしての面白さを重視して決められている事だ。
純粋なゲーマーの皆さんにはお気に召さないかもしれんけど、シナリオと無関係に淡々と敵のHPをゼロにする作業をするよりは面白いし、勝利条件が明らかで無い場合にはよっぽどゲーム性があるとも思われる。
もう1つは、演出的な問題かも知れないけど、部分的にロールプレイングしていると言う事。
全部のキャラを自分が操作するという矛盾(あるいはSLG的な)状況を打開する方法として、主人公を複数人設定したりする方法がある。
いろんなキャラの役を別々にやるわけだ。
マザーはそれと同じような事をやるのだけど、そこにシナリオ的な必然性を持ってきたという周到さが偉いと思う。
マルチ視点システムみたいなのは、ゲームとしての面白さを高める場合があるけど、システムがとっつきにくかったり、シナリオが途切れたりして分かりにくかったりする。
それがないから、好きなんです。
118
:
ゑ
:2003/05/06(火) 22:42
終わりにすんならオレも一言だけ
FF10−2だが、どう考えても「シナリオ重視ではない」
女キャラ目白押しで媚びを売っているのは事実。
が、ギャルゲーであるか否かのポイントはそこじゃないんだよ。
制作側が何を狙おうと、判断を下すのはプレイヤー。前にも言ったが、いくらその要素があったとしても、プレーヤー側がそれを求めてなければ意味がないんだよ。
FF10−2レビューで、「ギャルゲみたいで良かった」という意見があったか?むしろ「ギャルゲみたいでイヤだった」という意見の方が多いのではないのか?
事前情報である程度プレーヤーにゲーム性の如何が伝わるわけだが、世間的に「ギャルゲみたいだから買おう」という動きが少しでも見られたかい?
ゲームを買った・買わなかった人の殆どが、それがギャルゲなのか違うのかという所で判断したのではない所に注目するべき。
ギャルゲだから・・・なんて的外れな意見を言うなら、まだ「FFの新作だから・・・」という理由だけで買う人が多いと言った方が余程説得力があるってもんだ。
ま、別に俺だってそこまで面白いと思ったわけじゃないからあんまゲーム性については弁護したくないんだが。
マザーは分からん。
119
:
ろいろい
:2003/05/08(木) 00:26
なんかまた誤解が発生している罠。
終にすると言った後でなんだけど、ギャルゲだと言ってるのはFFをこきおろしたい連中が言ってる事でギャルゲだというのは褒め言葉じゃないだろう普通。
むしろ俺は単にヲタク擁護の一貫として「名作RPG(といわれている物)=ギャルゲ」の方程式が成り立つならば「FFファン=ヲタク」が成り立ってこちらが有利ってだけの話だ。
ファンがそれを求めているかいないかはもちろん重要だ。上の話でも1番目の式から2番目の式が論理的に実は出てこないけど、その理由はそこにある。
でも、FFがキモくないなら、ギャルゲがキモくないという論理なら成立するから、プレイヤーの意図から切り離してこの話をしても意味はある。
さて、「個性などと言う物は存在しない」「新しい要素と言う物は本質的にはあり得ない」「既存の概念によって我々は支配されている」みたいな話に移行しますか。
俺の意見を言う前に、ちょっとそっちを尋問してみたいと思います。
1:もし我々の思考がよそから貰った要素の寄せ集めで出来ていて、且つ新しい要素に判断を下すのもその思考に依存している、としよう。じゃあ、今の思考も何かの思考に依存して出来たって事だよな?そこで質問。最初(何も無い状態)ってあるの?あるいは生まれたての赤ん坊はどうやって思考体系を獲得したわけ?
2:君は他の話で「それは個人個人の好みの問題で」みたいな戦略で追求を逃れてきて、あえて何も言わなかったけど、その好みもまた上の話にあてはまるんだよな?なら、前提さえ一致するなら(あるいは仮に一致させれば)そこから好みに関しても何らかの合意を得られるのではないのか?この命題を認めるか反駁せよ。
全然関係ないけど、ここに書くのが一番妥当かと思ってちょっと感情的な事を追記しておきます。
規則を違反した悪さも、規則違反して捕まる要領の悪さも、別に俺にとってはどーでもいいんだけど、それで教師に対してキレてみたり、しかもそれをweb日記にぐだぐだ書くのはどういう了見だ?
くわしいいきさつを知らなかったんであえて今日まで何も言わなかったんだけどさ、そういう子供っぽい反応を見てると頭にくるんだよね。
その行為自体の悪さじゃ無くて、規則を違反しているという自体だけで捕まることは分かってて、捕まる事を回避する事も十分可能で、それで捕まってるのは自分が悪いという判定しか下せないだろう。
それで規則を破りたいなら、規則を変えたり特例を認めさせたりするか、捕まらないようにするか、捕まったら大人しく諦めるかしか無いと思う。
教師は君らを捕まえるためや君らの楽しみを中断させる為に行動してるわけじゃない(、と思いたい)。
例えそうだとしても、君らが規則違反を犯さなければ最初から起き得ない状況に対しては自分以外に責任を求めようが無い。
それを教師の人間性やらを引き合いに出してくるのはただの甘えだ。バカはそっちだろう。
こういうこと書くとまた決めつけだとか言うかとか思うけど、決めつける以外にどうしようも無い物は、怒りの鉾先を向ける方がバカだ。
最後にもう一度繰り返す。もし100歩譲って教師がバカでどうしようも無いヤツだったとしても、その教師にバカな行動をとらせたのは君らだ。
だから俺にしてみれば君らの方が100倍バカだ。少しは大人になれ。
結局自分の昔を見ているようで腹立たしいだけなんだけどね。気分が悪くなったのなら許して。でも是非冷静に検討して欲しい。
長レススマソ。
120
:
名無しもぬ
:2003/05/08(木) 09:49
>>まずは規則云々に対してね
あのー、ネタにそこまで反応して頂いても困るんですが・・・恐縮で。
俺が規則破ってたのは1000承知。更にそれを捕まえるのが正しい行為であるという事も10000承知。捕まった上で諦めて神妙に(´・ω・`)となれというのも100000承知。
その上で、「あぁ、教師って麻雀(雀荘)についての知識ってのは皆無に等しいんだなぁ・・・」というのを俺なりにネタにしただけなので、そこまでキレられても。
↑の文読むと、まるで俺が『規則破って何が悪い(゚Д゚)』『規則破ったくらいで何捕まえてんだ(゚Д゚)』『何であんくらいで罰則なんだ(゚Д゚)』みたいな厨房じゃねぇか。
121
:
名無しもぬ
:2003/05/08(木) 10:03
で、
>>119
また深く考えたらレスるが、今ん所パッと浮かぶ反芻だけ吐いておこう。
まず、思考体系が白紙の状態なんてのは有り得ないという事。ムリに例を引き出せばそれが赤ん坊。
で、赤ん坊がどういう経緯で思考体系を獲得していくか、についてだが・・・育つ過程で、周囲の人間と関わる事によって学ぶ(叩き込まれる)んでしょう。
分かり易い例で言えば、赤ん坊は最初善悪の判断がつかない。これは思考体系以前の問題で、「こんな事しちゃダメでしょ」とか親に言われる事によって善悪の判断がついてくる。という事は、その赤ん坊が何が「善」であり何が「悪」であるとするかはそれを教える人間に依存するわけだ。
思考体系然り。毎日食卓で討論会を開く家庭に育てば、そりゃぁ論理的なお子さんが育つでしょうよ。家に置いてある本、学校で習った先生、周りの友達・・・色んな要素が絡み合って、更に長い年月をかけて自分の経験から養われるのが思考体系なんじゃないの?
だから10年生きればそれなりの思考体系が、70年生きればそれなりの思考体系が出来るでしょう。絶えずその人が周りから情報を得続ける限り。
ただ、好みに関してはどうとも言えん。
(ほとんど)同じ環境に育った双子でも好みが一緒とは限らないし、性格が正反対の人同士でも好みが同じだったり・・・
例えば、同じ漫画を2人に見せてそれぞれから「面白い」「つまらない」という意見が返って来たとしても、それぞれの人の意見の相違はどこから来たのか、というのを立証するのはほぼ不可能だと思われ。
また何か思いついたらレスっとくよ
122
:
ろいろい
:2003/05/08(木) 22:34
って言う事はさぁ、人間の思考体系はその人の人生に依存するっていう主張だろ?
ならあれだ。人生はみな違うんだから思考体系にずれが生じて、結局やっぱり個性が存在するって事の証明になっちゃうんじゃないのかなぁ?
というのがこの質問の意図。
好みの質問の意図は、1つ目の質問の解答として「人間の本能は万人共通だからそこから体系的に思考していくと解釈すれば良い」という道を封じるため。
とまぁこんな感じだ。ただ君の主張の矛盾を出そうとつっついてるだけだから、後で俺なりの証明(らしきもの)を披露しよう。
とりあえず何か思いつき待ち。
123
:
名無しもぬ
:2003/05/08(木) 22:46
そうです。そういう主張です。だから、その思考体系の在り方をどう捉えるか。そこが問題。
結局は君が言うように「他所から貰った要素の寄せ集め」というように、周りからの受け売りだと言ってしまえばそれまで。
けど、「どういう要素がどのように集まっているか」で違いが出てくるとすれば、その違いを個性という事も出来る。
「個性」というものを、自分で1から立脚するものだと定義すればそれは存在しない。
個性の定義の違いじゃないの?
個性や思考体系と本能はまた別問題だと思わん事もないけどねぇ。
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