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【論理】本気で討論するスレッド【理屈】

123名無しもぬ:2003/05/08(木) 22:46
そうです。そういう主張です。だから、その思考体系の在り方をどう捉えるか。そこが問題。

結局は君が言うように「他所から貰った要素の寄せ集め」というように、周りからの受け売りだと言ってしまえばそれまで。
けど、「どういう要素がどのように集まっているか」で違いが出てくるとすれば、その違いを個性という事も出来る。
「個性」というものを、自分で1から立脚するものだと定義すればそれは存在しない。
個性の定義の違いじゃないの?

個性や思考体系と本能はまた別問題だと思わん事もないけどねぇ。

124ろいろい:2003/05/08(木) 23:06
「どういう要素がどのように集まっているか」というのは俺がさんざんいってきたネットワーク的発想に他ならない。

個性というものの定義かぁ。単に「他とは違う」という現象として定義すればいいんじゃないの?とりあえず難しく考えないで。
そいつの人生が個性を決定付けているのなら、そいつの人生が確率的なものとすれば、個性というのは確率的なものになる。
だから逆にその確率的な差異を「個性」と呼んでしまう、という定義もありだろうな。多分。
そうすると天文学的な確率の上ではおんなじ個性の持ち主が複数存在しうるということになるけど…。微妙。

君は以前「人間の欲望や嗜好は結局は本能に依存する」みたいなこと言ってたからさ。一応罠にはめるような論調よりも露骨に道を塞いだ方が紳士的だと思っただけだよ。

個性の定義はちょっと言葉の使い方が難しかったかな。ま、俺的主張は明日と言う事で。
ちなみに、言葉の理解の仕方では「個性」は1から立脚するものだ、ととれる主張デスよ。お楽しみに。

125:2003/05/09(金) 00:37
天文学的な数字でも同じ人生を歩むなんてのは有り得ない話だ。
それぞれの親が違って住む所が違って。細かい話で言えば、いつもどの時間の電車のどの車両に乗っているかだってそれぞれで違うわけだしな。
それに、人生を確立で括るには余りにも偶然の要素が多すぎると言っておこう。

欲望・嗜好の話で言えば・・・
例えば食欲・物欲・性欲などは誰もが等しく持っているモノであり、これは『本能』だと考えられる。
が、同じ食欲でも『甘い物』『辛い物』等の違いは嗜好の違いから生まれる物であり、嗜好の違いは人それぞれ。
性欲でもそう。性欲自体は誰もが持つが(そうでない人もいるのか?分からんが・・・)、どういうプレイ、またどういう対象ををお望みかは人それぞれ。
これらの違いは個性と同じように育つ過程で差異が出てくるんじゃないのかな?
一番顕著な例が、「幼い頃のトラウマ云々」とかでしょ。人生の経験が基で人格形成されてる例として適当かと。

じゃあ俺も主張待

126ろいろい:2003/05/15(木) 22:34
えぇっと、言いたい事は分かってるんだけど、説明の仕方を決めていたのに迷ってしまいました。

とりあえずだな、再び赤ちゃんの話。
確かに、経験から思考体系が作られるのは多分事実だろう。
でも、経験をいくら積み重ねても、それが「分かる」という状態になるにはもう1段ジャンプが必要だろう?
君の挙げた例で言えば、親から「これは良い事」「これはやっちゃだめ」って教わったとしても、極論を言えば毎回状況は違うんだから、行動指針としては確立されていない。
でも、いつかは「やっちゃいけない事っていうのはこういう事だ」という抽象的な命題を発見する事になるはずだ。
なんでこういうジャンプが可能かっていうのは古今東西の哲学者や心理学者が諸説展開していらっしゃるので俺の出る幕ではあんまりないんだけど、敢えて俺の意見を言うならば、こういう能力は多分あらかじめ持ってる物だ。
人間だけが持ってる能力だって主張する人もいるけど、多分生き物全般が持ってる能力じゃないのかな?専門用語では「認識」とか言ったりするのかな?知ったかは良くないから止めとくけど。
それでも、人間が動物と違う点っていうのが、おそらくそういうジャンプをパターン化できるって事だと思う。それが言葉が可能にした芸当の1つだ。

今まで回りくどくネットワークなんて言ってきたけど、俺が言いたい事は大体ここに集約される。
沢山の経験が集まって、それを記憶にストックしていくと、それを自然と整理しようという働きが生ずる。
それを全部まとめて「こうだっ!」って言える時、人は「分かった!」って言うわけ。
そういうのはつまり、経験というノードの間に抽象的なネットワークを「見い出す」って事だと、俺は言い換えたい。
もっと言えば、「見る」でもいい。(「認識」でもいい。)

人が何かを「見る」時、物理的にも、心理的にもなんらかのバイアスが生じている。
だから、「見る」ことによって「分かる」なら、「分かる」にもバイアスが掛かる。
よって、分かるの集まりである思考体系にもバイアスが掛かる。よってこれが個性。QED。

ま、人によって細かい所に関しては前提の差って物があるので、補足。
まず、宇宙観として、「世の中は自分が見ている世界が全てで、物事は知覚してる物が全てだ」と割り切っちゃってる人と、「みんな見てる物が違うように思えるけど、ホントは『その物自体』っていうのが存在して、それに気付いてないだけ」みたいな人がいる。
前者には「個性」っていうのは「自分だ」って事だし、後者にとっては究極的には個性というのも『それそのもの』とやらの集合体だから、分解可能で無意味な概念って事になる。
でも、実際はどっちでも無くて、なんか中間みたいなもんなんじゃないだろうか。
これは哲学の究極問題なんで、言明は避けるけど、極端な後者以外には個人的な「認識」が認められるから、そこに上の議論が食い込む余地がある。

あとは赤ちゃんの時「見る」ことにバイアスがあるか無いか。
もし、物理的なバイアスをここに認めるならば、個性は生まれながらに運命付けられている、とでも言えようか。
もし、バイアスが無いというならば、「認識」をいくつか経験するうちに、認識のパターンをまた「認識」するって事で(クラスター化)、要するに考え方に得意不得意が現れる。
だから、まぁ人生で形作られるって言ってもいいんだけど、それをどう認識するかというのも関係あるから、うーん複雑だ。
でも、なんかとにかくまったく同じ経験をしても、違う「認識」があり得るという事から、違う「個性」や「嗜好」が生まれ得るって事がこの場合分かる。
これって、平たく言えば、「考える事で個性を作る」って言えないだろうか?ま、考えようである。

とりあえずここで一旦ストップ。

127:2003/05/27(火) 21:55
同じ赤ちゃんでも、その境遇によってどういう経験をするかは異なる。
それまでの経験の違いから同じ現象を見た場合でも見解の違いや偏り(=バイアス)が生じるのは自明の理。
生来バイアスがあるんじゃないと。

経験がバイアスを生み、バイアスによって更なる認識の違いを生み、それが人をそれぞれ異なる経験へと導く、それがバイアスを生む・・・という鶏が先か卵が先か論みたいにする事も出来るわな。

128ろいろい:2003/05/27(火) 22:44
ま、とりあえず先が深い話しだと分かってくれれば結構。俺も結論が出したいわけじゃ無いし。
ただ、安易に「要素の組み合わせ」などと言って済まされる話では無いという事は分かっておいて欲しい。

さてと、そろそろヲタクの話の方にベクトルを向けていかなきゃいかんのだが、ちょっと趣味に走って一言だけ。

散々こだわってたネットワークにまつわるお話は、インスピレーションとかアイディアとかいろんな形で高名な哲学者の皆さんのパクリの様相を呈してはおりますが、一応ボクのオリジナルです。
というわけで、俺のオリジナルたるゆえんを1つお話して、一区切りでもしようかなと。ただ単に自説を展開したくてうずうずしてるだけなんですけど。

今まで出てきた「認識」って言うのは、言葉で考えるから(あるいは分類という処理系統を使用するから)成り立つ議論なんだけど、これをどんどん繰り返すとどうなるか。
学問の枠を乗り越え、より大きな世界の仕組みを「見い出し」て、それを「認識」した瞬間に、それはノードへと再び成り下がる。
ひょっとすると単なるイメージ論に留まっているかも知れないけど、ここから見い出される結論は、「言語というツールに頼っては世界の真理を記述する事は出来ない」という事。

俺的にはこれに気付いた時には結構衝撃だったけどな。科学の限界だぜ!おねがいだから驚いて。

さて、ここからもう1歩進めようと思うと、ぱっと2通り思い付いた。
1つは、(背理法で)真理なんて無い、あるいは無いに等しい、とする。
1つは、言葉とか理屈とかで考えないで、フィーリングで考えたり悟りを開いたりするのが唯一真理へ進む道である。

雑談だから気軽に読んでね。
武道の世界に、「守・破・離」という言葉があるんだ。
これは修行における3段階を表していると言われている。
守:師匠に教わった方法を守り、それがきっちりできるようにする。
破:師匠の教えを破り、自分に一番合っていて、自分が一番正しいと思う方法を考え出す。
離:この段階では「方法」自体から離れて、無の境地に至らんとする。
「破」の段階をクリアしても、弱点や盲点は必ず存在する。だから、方法に頼っていては臨機応変に対応も出来ないし、全ての敵にまさる事は無い。

考えるって事もこれと通じる所があるんじゃ無いかとおぼろげながらに思う。
多分最初はたくさんの事を「これはA」「これがB」って教えられて、そこから知識や理屈を抽出する。
しばらくしてませて来ると、「こんなのは論理的に間違ってる!」とか言ってみたりして、自分なりに感覚に沿った論理体系を構築できるようになる。
でも、そういう論理体系もかならずどこかに矛盾をはらんでいるのだろう。
物事をあるがままに受け入れる姿勢が、一番真理に近いのかも知れない。

ま、だからって座禅を組め、とか全然言いません。
大体真理を捕まえてどうしようってんだって話もあるし、人生をそれにかけるべきかはびみょー。
ただ、ホントに悟りを開いちゃったら「真理」なんて概念もやっぱり無いから、やっぱり真理は掴めないかも。
そして、人間が真理を掴めないのは、どうしても自分が自分であるからなんだろう。
今読んでる本で言えば、「『自我は自我だ』という命題は、最高の希望と最悪の絶望を我々にもたらしたのだ」。
ここまで考えて無いやつは、考えてると言えない、絶望が足りない。

129名無しもぬ:2003/05/28(水) 21:00
「言語の限界が私の世界の限界である」
byL.ウィトゲンシュタイン
「ヒルベルトプログラムは不完全性定理により頓挫した」
byゲーデル

130ろいろい:2003/05/28(水) 23:28
また出たよ。字面で分かってる気になってる厨房が。
ウィトゲンシュタインの言語ゲームとかある意味当たり前すぎて嫌いなんだよね。

結局哲学ってのは「汝自身を知れ」って事らしい。「無知の知」の真逆を逝く自称賢者のみなさんは放っておこう。

131名無しもぬ:2003/05/29(木) 00:02
前期ウィトゲンシュタインの『論考』を引用したのですが、オッタータール時代以後の後期ウィトゲンシュタイン
を持ち出すのはいかがなものですか。後期の思想は前期の自らの思想の論駁の上に成り立っている。

132名無しもぬ:2003/05/29(木) 00:04
それとソクラテスの「無知の知」とはまたまたいかがなものか。
岩波書店『思想』5月号の納富先生の論文でも読んでください。

133名無しもぬ:2003/05/29(木) 00:08
ちなみに荒らしや喧嘩目的で書き込んだわけではありません。

134:2003/05/29(木) 16:54
>>岩波書店『思想』5月号の納富先生の論文でも読んでください。
いつのですか、と・・・今年の物とすれば今月号ですかな?

俺自身は無知の無知なのでよぅ分からんし、その納富先生の論文読んでないからどーにも言えんのだが・・・
「無知の知」が誤ったものだとすれば、知には終着点(限界)があるって事だよね?
俺にはそうは思えんのだが。

135ろいろい:2003/05/29(木) 22:08
>>133
まぁ、そう言うなら信じますけど、いきなり無言でコピペってのはどうかと思うぞ。一応謝っておく、すまん。

すいませんねつい好き嫌いでいろいろ書いて。ソクラテス好きなんですよハハハ。

えぇっと真面目に返答しますと、いきなり文脈無しに「言語の限界が私の世界の限界である」と言われても返答のしようが無い。
だって「もし言語の限界があるとすれば、それが私の世界の限界です」ってことだろう?
俺って邪道だから高名な哲学者の原著って全然読んで無いのをここに告白しておくけど、俺の解釈ではそれってただのトートロジーだと思うんだけどなぁ。
ゑ の為に簡単に解説しておくと、トートロジーてのは「同じ事の繰り返し」って意味で、「AならばA」みたいに「どんな世界でも絶対に真な命題」なんかを指したりする用語、かな。形式的真理、ってやつ。
多分「言語の限界がある」と主張してるんだろうけど、それが何か、が重要なのであって、俺にとってはそこが世界の限界があるのは自明なので、言語の限界の方を解説して欲しかったなぁ。

あと、結論を皮肉りたかったんなら、「神は死んだ」の方がウィットが効いてる感じ。

無知の知だって自分の限界でしょ?結局ロジックは違っても結論は大差ないんじゃない?
後は「無知なフリの要領の良さ」と混同すると見当違いな批判をする事になるんで。どっちにしろ「おとぼけ」の類いではあるが。

>>134
「無知の知」と知の限界の繋がりがよく分からないので説明よろしく。

もう一度わざと言うぞ。「汝自身を知れ」。あと「〜でも読んで下さい」って酷いなぁ。解説してくれたっていいじゃない。

136:2003/05/29(木) 22:32
「無知の知」→自分が無知である事を知っているだけ知がある
という事は、言い換えれば自分が知を得ていくと同時に、自分が無知である事を悟っていくに他ならない。

これを否とするならば、知を得ていけばいずれ無知の部分を失くす事が出来る、と解釈出来ると思うのだが。
とすると、無知がなくなる時→知の限界に辿り着く時

別にこれはどっからのモンでもなく俺の勝手な解釈だから深く気にしないでくれ。


で、「解説してくれたっていいじゃない」については俺もそう思った。
参考文献の名前まで出すんだったら内容のサワリくらい、ねぇ。

137ろいろい:2003/05/29(木) 22:43
あぁ、限界=究極って事ね。
なんかいかにも穴が有りそうな論理だけど(失礼)面白いので好感が持てる。褒めてるよ?

あぁ、とりあえず「知を得ていけば無知が減る」が嘘かも。と直感で思ってみるもののどう嘘なのか良く分からん。
世界の「知」が有限で限りある集合だという前提が密輸入されてるのかな?「知の限界」が許容できないのは「知」が無限集合だという暗黙の理解があるからっぽいので、そうすると自己矛盾だなぁ。

「汝自身を知れ」はいろんな解釈ができるのでかなり好きなんです。無知の知はふつーにかっこいい。だから趣味だって。

138:2003/05/29(木) 22:49
パッとした思い付き理論に穴がなければ単なる一高校生やってません。
という事で逃げ。

139名無しもぬ:2003/05/29(木) 23:19
論文の内容はソクラテスが実際に「無知の知」と言ったのかどうかについてであり、「無知の知」の解釈
についではありません。ということで文献学的であり、つまらんということです。
それと「無知」とは意識されるものではなく「状態」であると思う。

140:2003/05/30(金) 01:06
別に無知の知という子と場が本当に発せられたか、誰が発したのかという事はどーでも良い事。
要は内容。それが文献学的であろうとなかろうと。

自分が無知である状態を(意識的に)意識するんじゃないのかな?

141名無しもぬ:2003/05/30(金) 01:22
「私は日本の首相が小泉純一郎であることを知らない」(現在形であるところが重要)と自ら意識することは果たして可能だろうか?

142:2003/05/30(金) 01:52
「私は日本の〜〜であることを知らない」≠「自分自身が無知である」
何か一つの事象に限定された具体的な話じゃなくて。
「自分が無知である」というのは非常に抽象的な概念を敢えて意識するという意味で、前者後者は激しく異なる。

143ろいろい:2003/05/31(土) 22:26
えぇっと、俺なりに>>141が言わんとしてる事を解釈すれば、「〜を知らない」という命題を言える、あるいはもっと拡張して否定された形の命題を言う場合には、そこには「〜を知っている」とか肯定された形の命題が意識されているのでは、という事。
つまり、「私は〜を知らない」と言っているときにはもう「〜」を「知っている」。
だから>>141にとっては多分「無知」を知覚するというのは逆立ちしても出来ない事、なんだろう。

それで、俺としては一理あるとは思うけど、それこそ「無知の知」の本質だと思うんだよな。
「『何が分からないか』が分かれば、それはもう『わかった』ようなもの」とはよく聞く逆説だけど、それを一般化して、ついでにぐっと短く言ったのが「無知の知」の1つの解釈だと俺は思ってる。
だから、>>142の言ってる事はちょっとおかしくて、直接「自分は無知である」と認識するのはちょっとおかしいんだよな。

要するにだ、「無知の知」っていうのはいわば悟りの境地なわけで、普通の人が「分かってみれば」で認識する事を、「あらかじめ」しかも「一般的に」悟っちゃうという荒技なわけだ。
単に「ぼくはバカです」と開き直るのとは根本的に質が異なる。
と言ってる俺が「悟りの境地だから」という逃げで開き直ってるけど、そこは勘弁。

もう1つの「無知の知」っていうのは「どんなにがんばったってそれが正しいなんてわからないじゃん」的な意味で使われる場合もあるね。

144:2003/05/31(土) 22:34
悟りの境地と無知の知ってのは違うと思うんだけどねぇ・・

悟りの境地はそれ以上はないが
無知の知ってのは未だ発展途上、というか終わりというモノの存在自体を示唆していないような言い回しだし。

悟りまで行くと、自分が無知であるとか知があるという以前の問題になってしまうと思うんだが。

145ろいろい:2003/06/02(月) 21:41
う〜ん、悟りという言葉を使ったのが間違いか。

まぁ、無知の知っていうのが発展途上という気持ちもわからんでもないが、一方でやっぱり「オレは無知です、おしまい」的な面も存在する。

あと、前述したように、「自分が無知であるとか知がある」という問題について自分で扱う事はやっぱりある程度のナンセンスさが伴うんだよ。
「自分は無知だ」って思ってる時は、(フツーの人は)ただ単に妥協してるだけだったりする。
真の無知の知はもっと紳士的態度が必要なわけですが。
どっかの懐疑的哲学者じゃないですけど、「自分が無知だ」ということに対しても無知である可能性を意識しないとなんて考えちゃったりしてキリがない。

オレにはいろんな悟りがあってイイという「悟り」という言葉の定義があるから、この懐疑無限ループから抜け出すことも「悟り」って言っちゃうわけなんですが、なんか他の言葉で言ってももちろんイイです。
でも、君が(逆説的に)指摘したように、「無知」も「知」も無くなっちゃうかも知れん。
しかし、オレにとってはそこまで到達しなけりゃやはり単なる妥協だろうと思うのだよ。
ま、価値観の問題も伴うわけだが。

ところで、荒らしともなんとも判別のつかぬナゾキャラは消滅したのか?オレはよう分からんなぁ。

146ろいろい:2003/06/09(月) 22:14
復活の保全age。

さて、いいかげん本筋に戻るかなぁ(いやぁ寄り道長かった
司会の居ないディベートほど危ない物は無い、という事を思い知ったのだった(荒しうんぬん含め

とりあえず、最初検討していたのは一応「ヲタクはキモい」という命題の真偽であったわけだが、敢えてこの命題の意味の検討から始めようと思う。

なんでこんな話をするかっていうと、俺「キモい」って言葉の意味が全っ然わかんないからさ。
少なくとも、「ヲタクがキモい」って言う時と、うちの某部員にゑさんが「キモい」って言う時と、女子高生が正義感の強い親父に注意されて「何こいつキモーい」って言う時は、全部キモいの意味が違うとおもうんだわさ。
とりあえず3つめのやつは「気持ち悪い」と訳すよりは「ウザい=うざったい」と訳すべきである。
だから、別に「キモい」の包括的意味は定義する必要は無いけど、「ヲタクがキモい」という文全体の意味ははっきりさせておいた方が良いと思いまして。

何となく思うのはキモいは多分気持ち悪いの略だからイイ意味ではないだろうという事だけだ。
変に定義っぽくしなくてもいいし、君個人の感覚だけでとりあえずかまわないから、ニュアンスを教えてみそ。
俺はそんな事これっぽっちも思わないから考えようが無いんだよな…。予想しても所詮こちらからだから無駄っぽいし。

147ゑ</b><font color=#FF0000>(WVxl1lXc)</font><b>:2003/06/09(月) 22:36
>>146
>>16
こーゆーと君は一般概念がどーたらこーたらと言い始めたんしょ?

148ろいろい:2003/06/10(火) 22:25
>>147
そうすると俺はそれにどう返すかと言うと、「ヲタクはキモい」という発言はなんにも述べて無い、強いて言うなら「ヲタクなんか嫌いだ」みたいな意味にしかとれないんだよな。
マイナスイメージである事は確かであるにしても、ヲタクのキモさがどうもはっきりしない。

まぁヲタクはそんなデブでもひきこもりでも無いというのは100歩譲ったとしても、それでキモいという事にはならないんじゃない?
少なくとも「ただのデブ」や「ただのひきこもり」に即「キモい」とは言わないだろうし、もし言ったとしたらそれはヲタクに対して言うより100倍失礼だ。
デブやひきこもりにはどうしようもない理由があるかも知れないからね(まぁ、そうじゃ無い人の方が大半ですが

結局「ヲタクのキモさ」と「萌えるという行動」には歴然とした相関関係が認められる。
だから「ヲタクがキモい」と言われても、上のごとき解釈(並びに最初に導入したここでの「ヲタク」の定義)を行うと、「ヲタクはヲタクだ」というただのトートロジーだと思っちゃうんだよなぁ。
「マンガやアニメのキャラに異常に(しばしば性的な)熱をあげる」という行動がキモいか、という問題一点に結局集約される、という事でいいだろうか?

ならば、なぜキモいのか、君の意見はあるのだろうか?俺はキモいとか思(以下略

ちなみに、俺が敢えて「キモいって褒め言葉」とか言ったりするのは上のような解釈をした結果だったりする。
ヲタクが悪いと思って無くて、キモい=ヲタクだ、ならばキモいは褒め言葉でしょ?
屁理屈とか言うなよ。本気じゃないんだから。

149ゑ</b><font color=#FF0000>(KFNobleU)</font><b>:2003/06/10(火) 23:10
その点に関して言えば 俺はキモイというだろうな
ただし、コレはアニメだからとか漫画のキャラだからとかじゃなく、前にも言ったようにモー娘。やら松浦亜弥に熱をあげているのも同様にキモイと思う

アニメとか漫画キャラとかモー娘のヲタの何がキモイって、そりゃそれに熱中してるからなんだけどさ
熱中してるのがキモイんじゃないんだよ。熱中してるが故に取っている行動がキモイの。
色んなアイテムを多数携帯してたりとか。ヲタグッズの代表の一つでフィギアってのがあるけどさ、キャラとかの人形買ってどうするのかと。それを見てハァハァしてる姿を想像してキモイと思うなというのがムリがある。
モー娘ヲタだったら、部屋中モー娘のポスターで埋め尽くして何をしてるのかと。壁や天井見てハァハァするのを想像してキモイと思うなというのがムリな話。
あと、話題が一般人に理解出来ない分野であるという事が大きい。人間誰でも自分の分からない分野についての話題は、その会話のレベルや程度がどれくらいなのかというのが分からない。
要するに、何にも分からない人にとってはガンダムもエヴァもサクラもGAもコミパもぴたテンも声優も一様にキモイわけ。

前に君が「一般的な概念を個人に〜」と言ったが
それが深い話なのか浅い話なのかが分からない以上、自分の持っているイメージで判断するのが普通。
分からない人にとってはエヴァだってキモイ対象だし、キモイと言えばデブヲタヒッキーがハァハァしてるのがイメージであり、そこに結びつけるしか仕方がないという事実。

実際、ちょっとドラゴンボールや忍玉やコナンやタッチやらを見た人なら、田中真弓さんがとか高山みなみがとか日高のり子がとか、ある程度の名前は知識として入るが(あのB君でも知ってるレベルだし)
見た事ない人にとっては、やまとなでしこやみっくすじゅーすやらと同じ声優であり。実際は全然レベルの違う話でもね。

ぅわ。少しだけのつもりがいつの間にか長く・・・

150ろいろい:2003/06/11(水) 23:33
えぇっと、つまる所「ヲタクの言っていることが分からない」というのと「人生がそれに支配されているような生活感」がキモいと思う、のかな?

「言ってることが分からない」というのはおっしゃる通りで、理解不能は当たり前だけど、それってやっぱり「キモい」というとはちょっと違うような気がするんだよなぁ。
それってアホなアメリカ白人がイスラム人を「キモい」って言ってるのと同レベルだと解釈していいのかな?
分からないことは譲歩しても良いけど、分かる気がないやつに文句言われる筋合いはない。

後者については、パッと反論できねぇなぁ。なんだろ、それは「性的な」反応だからキモいの?
それならそれで、語るべきことがあるけど、そうじゃないんなら、どんなものにも均等に興味を示すやつなんかいないわけで、何かに特に興味を示すのが普通なわけだ。
だとしたら、「ヲタク的なもの」というのは「キモい」という前提がなければ上の議論は成り立たないと思うのですが…。

151:2003/06/13(金) 00:44
じゃぶっちゃけよう

よーするに、熱心になってる対象が「女」だからキモイんだってばさ
ガンダムヲタはそこまでバッシングされないが、GAがバッシングされるのはそれ
その点ではモ娘も2次元も同じ
ただ、2次元の女に入れ込む男と3次元の女に入れ込む男、どちらが比較的世間の目として受け入れられるだろうかといえば
当然3次元
何故なら、2次元に入れ込む=「現実逃避」とか「2,3次元の混同」(←実際のヲタクはそうじゃない!という反論は受け付けない。これが世間の目であり、ヲタクがどう反論しようと変わりようのない、既に常識化してるともいえる考えだから。それが本当に正しいのか間違っているのかは別問題

152ろいろい:2003/06/14(土) 22:37
誘導尋問終了。
「〜という反論は受け付けない」って。それが君が「キモい」と思う理由だ、という発言に対しては反論はしないけど、それで「ヲタクがキモい」という事にはならないだろ。
それを確かめるための議論なんだから。
もっと言えば、俺からすれば君が「キモい」と思っている「誤解」の元を発見し、それを正すためにやってるとも言えるわけだから、そこにどんどん突っ込むわけだ。
それを「無意味」と切って捨てるなら、人の話を聞く気無し、と言われてもしょうがないと思うけどな。

まず、「女」だから、について。
それは純粋に、古来から性的な話をおおっぴらにするのは「タブー」だったからに過ぎない。
その理由はここで論じるまでも無いが、簡単に言えば宗教が何か強い欲望を「タブー」にする必要に迫られて、その時一番手っ取り早かったのが「性欲」だったのだろう。
それについて善し悪しを論じるのは行き過ぎてるし、それはヲタク、非ヲタクにかかわらず共有している概念だからわざわざ論じる必要も無いだろう。
堂々とエロ本を読んだりすると世間からの眼が有るしね。

でも、それが即キモいとはならない。世の人はみな性欲を持ってる事はみんな認めてるからね。
結局は、キモさがAV<アイドル<2次元となっているのは、「現実さ」とかいう概念が関係してるらしいっぽい。
というわけで俺が一番語りたかったのはこの「現実さ」という(俺からすれば)まやかしの概念についてである。
君がもっと正直に語ってくれれば(ぶっちゃけてくれれば)早くここまで辿り着いたのに、とか言ってもしょうがない。
そういう「たてまえ」を崩す、というのも目的の1つだからな。
常識なんかくそくらえ。

153名無しもぬ:2003/06/15(日) 23:40
分からんかなぁ・・・
(二次・三次の)女の子にハァハァするのがキモイと見られるってのは良いんだろ?
女の子にハァハァする=ヲタク → ヲタクはキモイ

性欲とここで論じてるキモイはまた違うでしょ。
エロ本見てるのとアイドル写真集や萌え漫画を見てるのとはビミョウに違う。
場合によってはそれに性欲を感じたり同人誌に走ったりとリンクするが。

常識なんてクソくらえというが、誰かがキモイかキモくないかを判断するのは常識からだ。

154ろいろい:2003/06/16(月) 22:19
普遍的な常識など存在しない。常識的な常識が無い以上、常識というのは「ある集団の(暗黙の)了解事項」である。
その了解を不服とする輩が居て、「常識だから」って斬って捨てるのはおかしい。

>>153の意味がいまいちよく分からんが…。
性欲とキモいが違うというのはまぁ当然だろうな。それじゃみんなキモくなるもん。

だからなんでハァハァ=キモいになるんだ?それがわからん。っていうか「ハァ」じゃよくわからんから具体的に言え。

分からない事を無視して続けるならば、とりえあず異性に感じる欲求っていうのは2つあって、「性欲」と「恋愛感情」である。
性欲に関しては多くは語らない。恋愛感情っていうのは規定が難しいけど、普通は「自分が必要としてる人に必要とされたい」云々。
つまり、前者については肉体的、後者については精神的な欲求である。
この2つが(普通は)不可分に結びついている事が話を複雑にするわけで、(暗黙の了解として)この2つの欲求は同一の1つの異性に向けられるべきで、向けられるのが当然だとされている。
善悪を無視すれば、これはあまり現実を突いて無い(特に中世)。
ところが、最近の若者というような人たちがこの建て前すら無視しはじめているわけで、それがヲタクの行動原理とも関係あるっぽい。
でも、今日はやめ。

155:2003/06/16(月) 23:15
>>「ある集団の(暗黙の)了解事項」
何の問題もないやん。多くの人がその常識を物差しにしてる以上、それが不服だからどーのこーのというのもどうかと思うが、それを議題にしてるのなら言うまい。

要するに「萌え」がキモイという事だ。
つーか、「○護ちゃんいい!」とか「さくらたん最高!」という人の言動がキモイと思わなければ、根本的な思考回路が違うんだろうな。
別に論理じゃないだろ。何かをキモイと思うか思わないか。別にキモイに限った話じゃないが。
その感覚は論理で凝り固まった常識から来るといえば、君と俺の体験してきた論理が全く違うのだろうな。

156ろいろい:2003/06/17(火) 21:29
えぇ、君のその発言には矛盾が含まれる。

もちろん、人がヲタクをキモいと思う事を俺がどうこう言うつもりも無いし、権利も無い。
人の感覚に正しいも間違いも無いからね。
でも、それが「常識」には全然なり得ない。
結局君らの言ってる事は、白人の論理にしか見えない。
それに、所詮フィーリングのレベルと「みんながそういうから」という理由でキモいと思ってるだけなのに、もっともらしい理由をつけるあたりタチが悪い。

別の言い方をすればこう。
それが常識として存在する価値があるとすれば、次の2種類しかあり得ない。
1:その概念が(個人の価値観とは関係なく)正しいものである事。「正しい」という言葉の規定するところはその社会によりけりだろうけど、要するに「効率が悪くてバカバカしい事でも、これは守らなくちゃいけません」というような概念の事。つまりその正しさには何らかの論理性が求められる。「バカバカしい」と思う人を説得する必要がある。
2:その概念が(真偽に関係なく)社会にとって有用である場合。「人間として正しいとはちょっと言えないけど、それで社会がよくなる」というような概念。心理的な物も含める。極端な場合、常識を共有するだけで社会の維持に貢献する場合も大いにあり得る。

つまり、「役にも立たず、正しくも無い」常識なんてものがあり得るのか?
常識を共有しようとして成り立ったのが社会である以上、その社会の構成員はその常識にメリットを見い出さなければならない。
それが見出せないなら、異義を申し立てる権利は有るべきだし、それが認められないならば、彼にその社会にいる価値が無い。

君がそれを常識だと「俺に」主張するならば、その常識の「正しさ」か「有用性」を訴えるべきである。
君はもうほとんど「正しさ」を証明することを放棄しているから、ならば「有用性」を示してみよ。
俺に言わせりゃ、「自分よりもダメな人間を作っておく事で精神的な安定を得る」「ヲタク相手に商売してる人が客を確保できる」というぐらいのメリットしか思い付かんな。
ならば、そんな人間はヲタクよりずっと「キモい」と思うし、でもなきゃ本気で「キモいは褒め言葉」と思うしか無い。
それでもダメなら、社会を捨てるしか無い。それはテロリズムって事だ。
アメリカが戦争の原因を作っているのは明白だし、ヲタクがキモいままなのもヲタクをキモいと言う連中の方に多くの原因があるのは疑いの余地が無い。

157:2003/06/18(水) 22:49
常識の定義からして違うから無意味だな。
「世間的に広く汎用性のある考え」という意味だったのだが伝わらなかったか

そもそもキモイという言葉に捕われるからややこしくなるんじゃないか?
要するに、ヲタクがキモイと言われるのが何故か、論理的に説明してみよ、って事でしょ?

俺も含め、世間一般の人はヲタクと見るや「キモイ」と思う。
別にキモイじゃなくても、「近寄りがたい」「雰囲気が怪しい」とかでもいいさ。
それが一般的にキモイという言葉で形容されてるだけ。

何故そう感じるかについては何度も俺は言ってるのだがそれでは納得されないようで
主観 というか フィーリング という言い方では。

主観やフィーリングがどっから生まれてくるのかはまた難しい問題で、これを語る内に話がオカシイ方向へ逸れたと。

むしろその常識の定義は狭義に思われてならないが。(悪く言えば一人善がりって所か

158ろいろい:2003/06/18(水) 23:39
その「世間」っていうのは「社会」なのだから、「汎用性のある考え」はその「社会」のなかでしか生きないんだろ?
どう考えても、社会が出来てから常識が出来たのでは無く、考え方を共有する物が自己防衛の為に社会をつくり、その考え方が常識になったのである。
社会を作る前にはみんな「自分の為」になることしか考えて無いはずだから、常識は「自分の為」になるものしか存在しなかったはず。
ただ、その「常識」を守るためにつくられた自己保身のための常識は存在しうるが、それは見苦しいと俺は思うね。
そして、ヲタクがキモいという常識は自己保身にしか見えない。なにしろヲタクは社会の外からではなく中から出現したのだから。

だから、君のフィーリングは否定しないって。
じゃあ、敢えて誤解を恐れずに極端な話をしてみようか?
先天的な病気や、火傷とかで顔に「できもの」や「ただれ」が出来ている人がときどきいるだろ?
そういう人を見たら、普通の人は「キモい」と思わずには居られない、と思う。
その理由は「普通の人間と違うから」「(遺伝的プログラムで)生存競争に敗れる恐れのある形質を持つ個体を本能的に避ける傾向がある」云々考えられる。
俺も、多分そう思う。

でも、その「醜い顔」の人は「醜い」顔の人では無いし、キモくもない。
少なくとも、「常識」ではそうなっている。

こういう人たちと、ヲタクとの違いはなんだ?
統計をとったわけじゃないから断言はしないけど、ヲタクをキモいと思う人より上のような人たちに生理的な嫌悪感を感じる人の方がずっと多いはずだ。
汎用性、という点では完全に矛盾している。

だから、個人の主観と常識は違うって言ってるんだよ。

159:2003/06/19(木) 00:06
そこでも意味の取り違え。
グロがキモイのとヲタクがキモイのは異義である。

グロは見てゾッとする、おぞましい、気持ち悪い(≠キモイ)という意味。
ヲタクは関わりたくない、イメージ的に引き篭りetc...。

てか、死体を見て気持ち悪いと言う奴はいてもキモイと言う奴はいないと思うが。
例えいたとしても、それは女子高生が秋葉原に通うデブに向かって投げかける「キモーイ」という言葉と同意だと思う?

個人の主観=常識 と言ってるつもりはないが
俺はただキモイっていうのは個人の主観から来る非論理なものだ、と言うと君が非論理だと思っていても、それは自分の中に根付いてる常識から来るのでありそれは論理的に云々と言ってくるかなと思い釘を刺しただけ。

160ろいろい:2003/06/19(木) 12:44
ヲタクにたいするキモいと上でのキモいが同義だといったのではない。
単に主観と常識が相容れないパターンを提示しただけだ。
だから、君が「ヲタクはキモい」と思ったのとしても、俺が「ヲタクは(実際は)キモくない」と主張することは許されるはずである。

君は、主観的な判断としてキモいだけでなく、常識としてキモいといいはったのだから、それについての解説を求める。

161:2003/06/19(木) 22:01
だ〜か〜ら〜
常識っつーのは君が思ってるようなパリパリの定義じゃなくて、世間的に(多数の人に)通説とされているもの、と思えばよかろうに。

君がキモくないと主張する事を俺がいつ口を挟んだか?
君がキモくないと思うのは自由。それは君の中の物差しで判断された結果。

162ろいろい:2003/06/19(木) 22:27
俺の思う常識の不備が良く分からない。君の定義から出発して特性を導いてるつもりなんだが。

俺はキモくないと思い、君はキモいと思う。
だけど、それで事実としてキモいのかどうかは判定出来ない。
事実としてはキモく無いのに、何故それでヲタク達は攻撃されなければならないのだ?

散々俺がこんな話をするかというのは、歴史的事実を踏まえているからだ。
ゲルマン人がユダヤ人を、移民がアメリカ原住民を弾圧した時、そこでの常識は「奴らは劣っている。同じ人間では無い」というものだった。
が、彼等は劣ってるどころかいくつもの点でヨーロッパのおめでたい白人達より優れていた事が後に明らかになった(あるいは、そういう常識になった)。
なぜ彼等は弾圧されたのか?その実、単に文化が、習慣が、感覚が違うからに他ならない。

ヨーロッパ人が犯した過ちは、「人を自分の価値観で裁いた事」。
個人の価値観で「げっ、こいつ何か違う、理解不能」とか思っても、それは勝手。
でもそれが「常識」になる時、(常識は守ることを強制されるものだから)実質裁いてるのと同じ事になる。
だから、「常識」なんてくそくらえ、って言ってるんだ。おぉ、神よ、罪深い彼等をお許しください。

もう1つ。
「バカって言った方がバカ」って良く言うけど、そのホントの意味、分かるだろうか。
「バカにバカって言ったって無駄、すなわちそんな事言うお前もバカ」という意味では無い。
俺の解釈では「人を罵倒する事によって、自分の位置を高くしようという行為によって、そいつは実は罵倒された人間と同ランク、あるいはそれ以下である事を露見している」という意味だ。
つまり、俺にとっては「キモいって言った方がキモい」。本気である。
ハッキリ言って、俺が君を見てて一番嫌悪感を抱く場面は、人にキモいと言ってる時である。
限定的に、人をネタで罵倒する事もあるだろうけど、君はしばしばかなり本気で某Jをキモいと思って発言してるだろ?
キモいと思う事と、キモいと言う事とは全ッ然違う。
そして、常識がその2つをつなげちゃうのである。繰り返すが本気である。

だから、キモいと思う人と、キモいと思わない人が共存する社会に、「ヲタクがキモい」という常識がどうして存在出来ようか?
なんかおかしくないか?

163:2003/06/19(木) 23:02
何故ヲタクがキモイのが定説になるのか→キモイと思う人が多数派だから

別にだからといって俺はユダヤ同様俺の考えが絶対的に正しいなんてこれっぽっちも思っちゃないぞ。
ただ、俺はキモイと思った。それだけの事実。

今まで皆がキモイと言ってるという常識があるからキモイと思ってしまうみたいな流れだったが
実際にキモイと思う人が多いからそれが定説になったのであって
他の人がキモくないと言っても俺は独りでキモイと主張してるかもしれない。そうでないかもしれない。これは今ヲタクがキモイという全員に当てはまるからな
これに関しては卵が先か鶏が先か理論になるのであまり触れたくないが

俺にとっては、人が抱いた「キモイ」という感覚に対してイチャモンをつけているようにしか見えんのだが
何だかんだ理由をつけて、キモイと見られている自分を含む同属(この場合ヲタク)を罵倒された事に対して無理矢理正当化しようとしか。

でさ、某Jって何?

164イッツー:2003/06/20(金) 23:07
某Jは一人しかいないだろ…(笑
ところで、「キモいって言った方がキモい」はおかしいだろ。
別にキモくはないぞ!それをいうなら「キモいって言った人はヴァカ」と。
でもそうすると、きみが皮肉っぽく言いたかったことが崩れていきますね。どんまい。

常識というのは、その内容を肯定する人が世間の人の大半を占めるという事実が根底にあると思います。
ごめんなさい、自分はその大多数の流れの中の一人です。
でもだからといって、「おいあいつキモいぜ、イヂメちゃえ」という内容になるのはいささかヴァイオレンスですね。
そう、他人の価値観によって弾劾を受けるということは現代の社会においてはあってはならないことです。
非ヲタは心の中でヲタをキモいと思っても、それを理由に攻撃したり、目の前でキモいという権利はないし、
それは道徳的にブブー!
逆にヲタは万一キモいと言われてもそんなん気にせずシコシコとヲタる強さを持ちなさい、と。
キモと言われたからといって、ヲタ同士つるんで「なんだよアイツ、ブー!」と言うのも間違ってる。
俺が言わんとしてるのは、ヲタも非ヲタも同じ人間、そんなイガみ合うことが間違ってるのだと。
ちょっと話がそれたかな。

165:2003/06/20(金) 23:38
今考えたのだが
ヲタクがキモイと非難される原因の中に

「ヲタクがキモイと言われても、ヲタクの大多数は『何だあいつ等、何も知らずにキモイとだけ言いやがって。いいさ、俺等は俺等の中で楽しむから』とか考え、自分達の市民権を獲得しようとする動きが余り見られない」
とか
「ヲタクは非難されるのを恐れてヲタクを隠したがる傾向にある」
というのも一因?

そういう行動も「それが余計にキモイと言われるから」といわれればそれまでなんだが・・・

166:2003/06/20(金) 23:41
あっ・・・∧||∧

167poco:2003/06/21(土) 00:51
なんとなく書き込んでみます。過去レスあまり読んでないんで筋違いだったらすいません。
目についた所にボチボチレスを。
>「キモいって言った方がキモい」
まぁ、これについてはなんとも。極論過ぎな感じも受けます。
>キモいと思う事と、キモいと言う事とは全ッ然違う。
これは同意。前述の通りキモいって言うことがキモいかどうかはわからない。しかし、自分の価値観で物をはかって、悪印象を持つ。人の価値観はそれぞれだから、それはしょうがないことであるとも思う。だからって、それを多数派だのそういう優位な立場を盾に根拠もなく軽々しく発言するのは誉められたものではない。
>人が抱いた「キモイ」という感覚に対してイチャモンをつけているようにしか見えんのだが
イチャモンの意味が良くわからないのですが、これが討論じゃないの?ディベートって価値観・考えが違う人に自分の考えを理論的(過去のろいろい氏の発言が論理的であったかは知らないが)に納得させる。そこで
>ただ、俺はキモイと思った。それだけの事実。
これは違うだろう。それだけの事実じゃディベートでは何の力も持たない。世論だの個人の価値観だのはディベート・討論では何の説得力も持たない。価値観のぶつけあいはディベートじゃない。それならまだ君が批判してる無理矢理なこじつけの方がまだマシだと思うが。
で、>>165
この話はディベート内の話じゃないからね。価値観が大きく物を言うの。
ヲタクに対してヲタクに嫌悪感を持つ者(それがただの感覚的なものでも)の方が圧倒的に多い。
ここにゑ氏の言う常識ってものが出来る。
こういう状況で異端になればイジめられる。多数派だから自分達が正しいという固定観念にとらわれた人間に理論など通じない。
そこでヲタクだとひけらかすなんて大げさに言えばユダヤ人がナチスに対して自分がユダヤ人だと踊り出るようなもんだ。
そこで多数派の意見を捻じ曲げられるか、自分が白い目で見られるか。このリスクを考えたらヲタクが前に出たがるとは考えにくい。
>「ヲタクは非難されるのを恐れてヲタクを隠したがる傾向にある」
>というのも一因?
この状況を作ってるのは多数派の常識(ゑ氏の定義における)だろう。
極論、君のような考え(「ただ、俺はキモイと思った。それだけの事実」みたいな)の人間ばかりだから、ヲタクは市民権を得るなんて夢のまた夢だと思うのだが。これすらもヲタクの弱さかい?そんなに強い人間はごく少数だと思うが。

最後にもう一度言うがここはディベートの場だろう。価値観や通説で反対派が納得させられるわけがない。無理矢理なこじつけなら簡単に反論できるだろう。それすらもしないでディベートに勝つのは不可能だと思うよ。
推敲しないで寝るんでツッコミどころはツッコんで下さい。

168poco:2003/06/21(土) 01:03
あ、そういえば前の発言の引用ってご法度だったのですね。
すいません、文章まとめる能力ない上、いくつかのレスに一気に反応したので、こういう形式にしてしまいました。
次からは控えます。

169ろいろい:2003/06/21(土) 22:47
>>168
全然OK。二人だけだと無意味に熱くなるからそれよりずっと良いよ。

えぇっと、全体的には「ヲタクはヲタクである事を隠すからキモいのでは?」という問題提起がなされたので、それに対してだけレスっておきます。

ヲタクがキモいのは、世間の常識に適応出来ないからだっていうのは大体明らかになってきた。
それなら、ヲタクが自分がヲタクだって事を隠すのは、せめてもの「常識への適応」だと思うんですけど。
ヲタクが開き直ったら、キモいって余計に言われるとは目に見えてるよ。
それを「ヲタクがキモいのは引きこもってるからだ」なんていうのは、自分達に無い物を要求してるだけだと思う。
常識はずれな事を臆病になって出来ないのは一般人の方なんだから。

ま、でもヲタクが地位を向上する唯一の手立ては開き直る事だと言うのは事実だ。
そういう英雄が出現するのを待つしかないのかなぁ。

「ヲタクが現実と虚構の区別がついて無い」っていう批判はいろんなレベルで間違ってる。
そのうちのひとつがこれで、すなわち「自分が非常識人だと自覚している」レベルで、彼等は自分の世界と社会をきっちり線引きできている。
それをキモい理由なんて言われたら、こちらの立場がねえよ。
最低、言い訳するなら理屈が通るようにしようぜ。

170:2003/06/22(日) 17:06
ん、ちょっと待て。根本から見て良いか?
これが当てはまれば、問題提起からしておかしかった可能性が。
個々のレスは後で。

>>価値観や通説で反対派が納得させられるわけがない。
これ読んでハッとした。

キモイというのはどこから来るのか→個人個人の主観、また社会の通説から
つー事は、そもそも、キモイというのは理論で量れる物じゃないよな。
じゃあ「ヲタクは論理的にキモイか?」という問題提起からして矛盾という事になる。

前々から不審に思って、ここでも「キモイと思うのはその人の主観だから」と言ってきたが
どうも噛みあわないのはそーゆーワケじゃないのか?

そもそもヲタクってのがさ、一方向(この場合アニメとか)ベクトルに入れ込む人って事でしょ?
要するに趣味の延長線上でしょ?その趣味とする対象が個々で違うわけだ。
その対象とする物がキモイか否かというのが今回の問題。

じゃあ、だよ?
【理論で】【趣味の対象Aが】【キモイ】と証明する事が出来るか?
答えは否。
何故なら、何かをキモイかキモくないかを決定付けるのは理論ではないから。
故に理論では証明出来ない。
逆に【理論で】【趣味の対象Bが】【キモくない】と証明する事が出来るか?
一見可能に見えるがこれも否。
理論で出来るのは、【キモイ】という事を否定するだけで、【キモくない】事を証明している事にはならない。

趣味の対象が多くあって、その対象一つ一つは個々に存在している全く関連性のないただの【対象】
それ自体は何も性質は持たず、【キモイ】【キモくない】という性質付けをするのはあくまで個人(社会)。

要するに、俺の考えとしてだ。
【キモイ】【キモくない】の定義付け、はたまた議論を【理論】で解決しようと糸口を探っていた所にあると考える。

変な例を出せば、【ピタゴラスの定理】で【微分を解け】と言っていたようなもんだと。

皆に問う。どうだろう?

171ろいろい:2003/06/22(日) 21:03
>>170
それは本質的には趣味の問題以外にもあてはまるんじゃない?
究極的には、客観的真理を証明なんて誰にも出来ない。
あくまで、「自分にとっての真実」を追求することだけがかろうじて可能なだけだ。
でも、他人の意見を聞く事にとって、自分への問題提起とするべきでは?

えぇっと、もう1つ。
「Aが〜では無い」という命題がどういうニュアンスなのかは時による。
君が言うような意味の場合も十分あり得るけど、単に「Aが〜だ」というのを否定している、という場合もある。
一応ちょっと論理学をかじった立場から言っておくと、命題には「真か偽か」の2通りしかあり得ない物と、「真・偽・どちらとも言えない」の3通りあり得る物がある。
3通りになるパターンを許す条件は、「人によって判断が異なる」or「未来について言及する」命題を許す場合など考えられる。

君の>>170での主張は「『Aが〜である』が偽である」は証明出来ない、という事だ。
でも、「判断不能である」という判断は可能だ。あるいは「『Aが〜である』が真だとは言えない」でもいい。同時に「偽だとも言えない」かもしれん。
それは意味の有る討論だと思う。それが「キモいと思う」事と「キモいと言う」事の違いだ。

ま、もっとぶっちゃけたレベルで言えば、社会的「真実」は「矛盾が一番少ない解釈」を指すわけだ。
ヲタクがキモいという主張には矛盾が有るように思われるが、ヲタクがキモく無いという主張は矛盾を含まないと思うんだわさ。
だから、ディベートは大概相手の矛盾をほじくりかえす形式を採るわけだが。
それがpoco氏が言いたかった事だと勝手に解釈して終わり。

172poco:2003/06/22(日) 23:11
>>170
それを言ったら詰まるところ討論なんて大半が無駄なものだという話になると思うが。
「死刑制度を〜」という題で討論が行われることがしばしばあるが、罪人に死を与えることが正義か悪かというのは人の価値観によるものじゃないのか?ってことはこの討論は不毛か?意味がないか?俺はそうは思わない。
俺的には討論というのは客観的・普遍的に命題を証明することが目的ではないと思うのだが。
むしろ客観的に証明できるものにそれ以上の討論の余地などないだろう。
価値観はその人間がそれまでに得てきた知識などによって構築されたもの。討論っていうのは相手ないし第3者の価値観に理論的な意見な実例を与えて、価値観自体を変えてしまうことを目的とした物だと思う。
証明できなくとも納得させることは出来るのだと思うが。それが討論だと俺は思う。
要するに人の持つ根拠なき価値観を理論でもって曲げて納得させる。しかし、これは価値観のぶつけあいではない。理論と理論をぶつけて最終的に相手の理論の壁を破り、根拠を失った価値観を曲げた方の勝ち。
「価値観が人それぞれ違うからそこで討論はムリ」ではなく、「その価値観を捻じ曲げりゃ俺の勝ちだろ!」ってことじゃねえの?
ピタゴラスの定理も微分も客観的かつ普遍的なものだからムリなのは当然だ。
しかし、人の価値観なんて主観的・流動的なものだ。理論で変えることは容易(少し言い過ぎだが、ピタゴラスだの微分だのに比べれば)だ。
主観的なものを変えるのに完全に客観的な証明なんか必要ないんだよ。もし、客観的な証明だけで価値観が構築されてるなら人の価値観なんてみんな似たりよったりになるだろ?理論が完全な証明にならなくてもいいんだよ。相手を納得させりゃ。
しかし、これも双方が相手の意見・理論をきちんと聞くという前提がなければ成り立たない。これも討論の条件。
>ただ、俺はキモイと思った。それだけの事実。(これだけ引用させてください)
こんな態度じゃ討論にならないのは当然だと思うよ、俺は。
なんか思いつつままに書いたから重複とか変なトコとかあったらツッコミよろしく。

173poco:2003/06/22(日) 23:42
補足:
「価値観を曲げる」という表記は「相手の価値観を曲げる」ということです。
改めて読んでたらわかりにくかったんで。
あと、ちょっとわかりにくい文章だなぁと思いましたが、質問・反論出ましたら説明させていただきますので。

174名無しもぬ:2003/06/23(月) 20:31
理論で説明出来ない事を無理矢理に理論付けて喋るのが討論なら、俺は討論という物自体に「?」と言いたい。

「一般的には」松嶋奈○子は美人と言われ、久本雅○はそうでないと言われる。
じゃあ、果たして松嶋奈々○子が美人だという事、または美人でないという事を理論で説明出来る?
目の位置・形、髪型、スタイル、鼻の形、口、顎、頬・・・等々判断するべき材料はいくらでもある。
しかし、「これが美人の素材」「これが不美人な素材」というのは存在しない。

poco氏には分からんネタでスマンのだが、某J氏がカワイイというメ○ッサ嬢だが
これに関して、目の位置が悪いとか顎の形がオカシイとか口元が歪んでいるとか(あくまで例)指摘して不美人だという事を説明しようとしても、それで納得させるのはムリというもの。
誰かが可愛い、可愛くないというのは理論で討論して決着の付く物だろうか?

繰り返しになるが、主観で決まる物を理論で述べてもそれは無意味に近い。(命題によるが
そういう意味では、俺は2年の時にやった安楽死のディベートだって無意味だと思ってたな。肯定派は「生命の質」・否定派は「生命の尊厳」についてそれぞれ主張し、ただの水掛け論に成り下がっていたからな。
むしろ俺に言わせて貰えばこういう場合両方真であり、両方偽である。個人がどちらかを選択するだけ。

もうちっと書きたい事があったんだが何やら混乱してきた。またね。

175poco:2003/06/23(月) 22:26
理論で説明できること?そんなものがどれだけある?
というか俺は簡単に理論で完全に証明できるものについて討論する意味を見出せないのだが。
じゃあ、今の俺らにできる討論ってあるのか?完全な理論を見出せるような議題があるのか?
俺らで証明できるようなことならそれはもう普遍の原理になってるんだよ。
そして君がそういう認識を持っているなら何故この話し合いがここまで続いた?
ろいろい氏が言ってきたことも君の言ったことも俺が口をはさんだことも全て君にとっては無駄な労力・時間だったんだろ?価値観の違いで片付けるべきことだったんじゃないのか?
しかし、俺は根本的に討論ってのはそうじゃないと思うがね。価値観って完全に理由なきものなの?他人のそれとは相容れないものなの?じゃあ、君の価値観は何によって構築されてるの?外的要因じゃないの?
人の価値観なんて少し理論的な考えをすれば変わってしまうかもしれないんじゃないの?次の瞬間「オタクはキモくない!」って言ってる可能性はないの?自分の価値観が絶対だと思ってなきゃ討論が無駄だなんて言えないと思うんだが。
理論に出来ないことを無理矢理理論にするんじゃない。理論にできる部分を表現することによって相手の理解を得るんだ。価値観って理論が含まれてないわけないだろう。
本気で完全な証明ができないことに関する議論が無駄だって思ってるの?じゃあ、結局証明ができないことは討論もせず、なんとなく多数決で決定?というかその時の価値観すらどこから来るの?君なら理由のない、なんとなくのものでしょ。そこに理論的な理由はまったくないんだよね。結局話し合いに意味はなく、世界中でそんな不毛な話し合い+絶対的な多数決が行われてるってことか。そうだよね?そうじゃなきゃ討論が意味持つものね?
ちょっと、話の筋が自分でも見えにくくなっているのでいったん休憩します。
とりあえず、完全な証明ができるなら討論の余地はない。
完全な証明ができないことが山のようにあるから、そこに討論の余地がある。
俺から言わせれば安楽死も死刑のディベートも無駄じゃないと思うよ。水掛け論になる?生命の質とか生命の尊厳について理論的な立論(完全である必要はない)は不可能なのかね。ま、ちょっと考えてみるよ、いろいろと。

あと、?が異様に多いのは本気で>>174の意見が理解しがたいからです。本当にわからないのですが。

176ろいろい:2003/06/23(月) 22:49
>>174
美人の例えは別にいいんだけど、今俺がこの討論を通じて実現したい事はそういう事では無い。

美人に見えるのはなんか理由があるからじゃなくて、単にその人は「好きだから」だ、と前に別のスレで言った気がする。
それで「えぇっ!こんなの不細工だろっ!」って他のやつに言われると、いろいろ「ここがかわいい」とか「こんな仕草が魅力的」とかいろいろ言ってみるわけ。
でも、「そりゃあお前の思い込みだよ」って事になって、結局「いいだろ!好きなんだから」ってなっておしまい。

これによって、美人にとりこになってた人は「俺は美人だから好きだったんじゃ無くて、もともと好きだったんだ」って事が明らかになる。
すると、彼は「ホントに俺はアイツが好きか?」ということについて冷静に対話する機会を「不細工だ」っていった人によって与えられるのだ。

俺は一般人の「ヲタクはキモい」という主張が、もっともらしいいろんな理由で論理武装してるから気に喰わないだけなんだよ。
矛盾してるのに。
なんで論理武装してるかって言えば話は簡単で「他人に押し付けようとしてるから」です。
押し付けられた人たちに、俺は「冷静になれっ!」と言いたいだけ。
以上終わり。

177名無しもぬ:2003/06/23(月) 22:56
>>そして君がそういう認識を持っているなら何故この話し合いがここまで続いた?
むしろ水掛け論になってるから続いたのかと。
安楽死を例に取れば、問題にしている物(立論=自分側の主張の拠り所としてる物)・・・言い換えれば自分が立っている舞台が違う限り、それは永遠に交わらないと思うんだがな。

価値観が構築される過程には理論はあるかもしれないが、既に構築された価値観は理論では説明が付かないかと思うが。
既に自分の中に出来てしまった価値観を自分で敢えて意識し分析しようとしても、ある面では不可能では?悪い言い方をすれば君が言った「何となく」になってしまう。

「俺ってトランスが好きなんだよね」『アレって単純なリズムの繰り返しじゃん』「そこが良いんだよ」『なんで?飽きるだけじゃん』「何でって言われても…」
最早理論なんかどこにも存在しない。心理の奥底に何かしらの要因があるのかもしれないが、口先で語る理論では説明がつかない。ま、極端な例だがね。

>>本気で完全な証明ができないことに関する議論が無駄だって思ってるの?じゃあ、結局証明ができないことは討論もせず、なんとなく多数決で決定?
理論での議論が無駄→多数決とは言ってない。自分の選ぶ意見が少数派だって一向に構わない。
そういう意味では、ヲタク=キモくない も立派な主張だと思うぞ。

>>結局話し合いに意味はなく、世界中でそんな不毛な話し合い+絶対的な多数決が行われてるってことか。そうだよね?
事実上そうだと思うが。国会・国連でも実際には話し合いは殆ど影響を及ぼさず、実力行使or多数決が大きな力を占めているのが実情だと思うが。

178名無しもぬ:2003/06/23(月) 23:01
>>俺は美人だから好きだったんじゃ無くて、もともと好きだったんだ
前から君が言ってたこの言葉、イマイチ同意しかねていた。
じゃあ初めて会った人に一目惚れするのは・・・?
「もともと好きだった」というのも分からん。会ったその瞬間から好きだったのか?ってかそれって一目惚れでは?
俺の中では「好きだから美人」というチャートは存在しないし、また理解が出来ない。

矛盾した論理武装が気に入らないというのなら、何の根拠もなくただ「ヲタクって何となく感覚的に受け付けない。キモイ」と言われれば納得?

179poco:2003/06/24(火) 00:00
とりあえず、
>ヲタクって何となく感覚的に受け付けない。キモイ
自分でそう思って殻に閉じこもるなら別にいいよ。討論にならないだけだ。しかし、口に出すとなると別。論拠のない価値観の分際で人を迫害するならそれは分別のない人間のすることだ。自分の愚かさをさらけ出している。
要するに「僕はヲタクがキモい理由なんかわかんないけど、とりあえずヲタクだからキモイ」って言ってるんでしょ?それって実際理解できないよ、言われてる側は。そんなこと偉そうに言われても「え・・・、この人・・・(はっきりとした表現は避けるが)」としか思えない。

で、>>177
>今の俺らにできる討論ってあるのか?
これに対する君の答えは明確にないし「ない」でいいんだよね?とりあえず、俺には思い浮かばない。
>>そして君がそういう認識を持っているなら何故この話し合いがここまで続いた?
つーか、そこまでわかってて何故続けたのかと聞きたいのだが。僕らにとっては意義のあるもの。君にとっては水掛け論で意味のないもの。何故君がそれを説明して止めない?無駄だということをさっさと述べて止めりゃ良かっただろ?そこらへんもまず理解できない。始めは意味のあるものだと思ってたんじゃないのかとか憶測してしまうんだが。
>価値観が構築される過程には理論はあるかもしれないが
>既に自分の中に出来てしまった価値観を自分で敢えて意識し分析しようとしても、ある面では不可能では?悪い言い方をすれば君が言った「何となく」になってしまう。
別に全てを理論化する必要はないよ?つーか、こっちが理論を少しでも構築しなおしてそれで、相手に新たな価値観を持たせるって案は?価値観の始めは理論なんでしょ?それとも価値観を理論にしなおすのは完全にムリ?最初は理論であったものなのに?
>「俺ってトランスが好きなんだよね」『アレって単純なリズムの繰り返しじゃん』「そこが良いんだよ」『なんで?飽きるだけじゃん』「何でって言われても…」
>最早理論なんかどこにも存在しない。心理の奥底に何かしらの要因があるのかもしれないが、口先で語る理論では説明がつかない。ま、極端な例だがね。
ゴメン、これは相手がただの頑固か君のやる気が足りないとしか思えない。つーか、根本的に討論でするような会話じゃないわ。相手も君もマジメに聞く気・話す気ないじゃん。もしかして大マジメなの?
>理論での議論が無駄→多数決とは言ってない。自分の選ぶ意見が少数派だって一向に構わない。
そしてそれは曲げ様のないことでしょうがないと。その世論を変えることは不可能だと。そうなれば結局物を決めるのは理論なき多数決しかないよ?ほかに何があるの?君の少数派の勝手な判断じゃ、それは異端、キモイものだよ?一向に構わなくても、それは貫けない可能性が高いよ?それを甘んじて受け入れるんだよね。
>実力行使or多数決が大きな力を占めているのが実情だと思うが。
俺はこの前に討論をすることで多数決の割合、武力を持った国の意見を変えれる可能性があると思っているんだが。

つーか、詰まるところなんで君はこの討論をしてるの?結局価値観の違いじゃないの?理論なんか無理矢理なこじつけ、結局根底にあるのは変わらない価値観。これは水掛け論じゃない、「ヲタクはキモイか?」は水掛け論になる。この差は?もし、これも水掛け論なら何故君は続ける?それともこの議題に一発で完全な理論証明を繰り出してくれる?
この解答次第じゃこの討論は俺は次で止めるぞ。そこまで強固な意志をもっている君を納得させるだけの術は持たない。君に聞く価値もない討論ってことなんだろうから。それじゃ俺が何言っても無駄だろう。君がそういう態度でいる以上、その時点で討論じゃなくなってるんだから。

君はこの討論をしてるのに、俺の意見を否定するのははっきり言っておかしいと俺は思うんだけど。矛盾してない?これって完全な理論証明できる議題?

180名無しもぬ:2003/06/24(火) 01:14
そうさなぁ。要するに、俺の見解としては>>170で触れたようにだな。

俺は完全にキモイキモくないと思う事と理論とは別離していると考えてるからな。だから俺にとっては「ヲタクは論理的にキモイか?」という命題から納得出来ていない事になる。
そういう意味で、君やろいの立っている土俵とは根本的に異なっている。
違う土俵で話をされている以上、互いの話がしっくり来ないのはある程度当然かと。
それでも此処で話していたのは、もしかして俺が完全に「ほぉ…成程」と芯から納得出来る意見にお目見え出来るかな、と思っていたから。
実際、色んな発見が出来たし、違う視点からの意見も聞けたという点で貴重だったしね。

でだ。違う立場に立って聞いている(少なくとも俺はそう思っている)故に歯車が上手く噛み合っていないのを、強固な意志でもってハネていると受け取られるのはいささか遺憾だが。
「水掛け論」という言葉を使ったが、むしろお互いに水を掛けても届いていない状態に思えたしな、俺は。
何やら>>179を読むと俺が聞く耳を持たずして放棄したような感を受けるのだが、そんな気は毛頭なかったと言っておこう。それでもそう思われていたのなら仕方がない。

181名無しもぬ:2003/06/24(火) 01:17
補足
ちなみに俺は、「ヲタクがキモイと思う事」と「ヲタクがキモイと発言する事」は同意だと解釈している。
実際に発言する=迫害 という解釈があるようだが、ヲタクがキモイと思った時点で既に心ではヲタクへの迫害が始まっているわけだし。
まぁここにも色々と思う所があるかのかもしれないが、とりあえずは俺は同意だと思っていたんだが。

182ろいろい:2003/06/24(火) 20:54
>>181
「君にとって」「ヲタクがキモいと思う事」と「ヲタクがキモいと言う事」は同値だ。
だけど、他の人にとって(特にヲタクにとって)両者はとっても違う。
それが今回の君への追求の本質だ。
君は「自己」と「社会」との違いを認識できて無いのか?もしくは「自己」と「現実」の違いとでも言うべきか。

矛盾した論理武装も気に入らないけど開き直られたらなおさら納得出来ないよ。
それに、開き直るという態度が論理武装していた態度と矛盾してるし。
なぜ、論理武装していたのか、それはやっぱり「押し付け」が無意識にしろあったんだろ?
それを反省してくれればまぁ、許してやらない事も無い。

それはおいといてもう1つ。
君はさぁ、「俺はヲタクを見るとキモいとしか思えない」とか言ってるけどさぁ、それ、君自分に嘘をついて無い?
いや、邪推なら別にいいんだけど。
まがいなりにもかつてヲタクだった人間がそんなことヘーキで言うとはちょっと思えないんだよなぁ。そんな例を聞いた事無いし。
社会に対して自己防衛してるんじゃないの?戦争前後のイラク国民みたいだ、端から見るとさ。どっちもある程度本音なんだろうけどさ。

俺は君が1年の夏の頃に言っていた輝かしいヲタク発言をここに公開してもいいんだぜ?
あ、今のは冗談。それが君の痛手になるのかも知らないけどさ。

183名無しもぬ:2003/06/24(火) 22:15
どうだろうね。、
かつてヲタクだった(その道を進んでいた)俺が今は・・・というのは、自分でもよく分からん。
だから余り自分の確固たる意見として述べられていないのが実情だが。

例えば、GAなんかは、多分今見ても面白いと思うであろう事は自分で分かっている。
ただ、自分的にそれを見た結果、「あぁ面白かった」だけでは済まない(もっとディープになっていく)事も容易に想像出来る。
それを何らかの理由で拒否ってる自分がいる。
何故拒否ってるのかについては、君の言うように社会に対しての防衛という面もあるのかもしれない。実際。

俺のヲタク発言公開?
多分公開されたら自分に対して「あぁ〜、イタタタタ・・・」と思うだろうな。ただその当時はそれが本音だった事は事実だ。
多分、俺がヲタクの道から外れた要因としてサクラがあると思う。
俺のその道の入り口はサクラだったのだが、そのサクラに対しての魅力やら興味やらが薄れたのが最大の原因かと。足場を失った建築物は簡単に崩壊するみたいに。
と、自己分析してみる。

あぁ、あと一つ。何故理論で説明してもヲタクがキモくないというのが受け入れられないかについて。
前に言ったように、俺は理論では「ヲタクがキモくない事を証明する」事は出来ず、「ヲタクがキモイという意見の矛盾点を指摘する」のが限界だと思っている。
ゆえに、説かれる方にとっては、ヲタクがキモイという自分の意見を否定されているだけで、反対意見を立証されていない状態なので、納得出来ない状態にあるのかな、と。
今日パッと思い付いただけなので余り突っ込まれると困るのだが、一応ね。

184ろいろい:2003/06/25(水) 21:26
サクラについては、お察しします。

納得出来ないのは理解できるけど、そこで「キモいものはキモいんだっ!」って意地張っててもしょうがないだろ。

散々言うけどさ、「自分の感覚」と「社会的な真実(常識も含めてもいい)」はハッキリ区別すべきだ。
それは、君の感覚が間違ってるって事じゃない。
ただ、本質的に「主観」というのは「客観」と相容れない物だから、2つが一緒の見解を示さない方がフツーなの。
それをごっちゃにしてるって事は、最終的には「現実と自分の世界を区別出来て無い」ってことになるんじゃない?

紙面(?)が余ったから「ヲタクは現実と虚構の区別がついて無い」はウソだ!その2。
確かに、ヲタクは「現実と虚構がいっしょになったらいいなぁ」とは思ってる。すなわち現実逃避。
でも、「現実と虚構が区別出来て無い」人にとっては、「現実逃避」はあり得ないだろ?
虚構という領域が無いんだから(まぁ、全てが現実だと思うのがフツーだ)、現実から逃避する先が無い。
つまり、「現実と虚構の区別が出来て無い」なら「現実逃避」というのは逆立ち論理だ。

まぁ、状況証拠だけどさ、幼女を誘拐して監禁したりするやつが、もし現実と虚構を完全にごっちゃにしてるとする。
だったら、そういう奴らって鬼畜ゲーとか好きなのかなって思うんだけどなぁ。
でも、意外にそういう奴らはKanonとかのほうが好きなんだよな。
もちろん、犯罪を実際に犯しちゃうやつが現実に適応してるとは思わないけど、彼等は「Kanonのような恋愛」が「現実」には実現出来ないという非情な「現実」をきっちり認識してたんじゃないかな?
それ以上の事は、本人に聞かなきゃわからん。

実際問題、現実と自分の世界の区別がついてない奴ほど、「自分は絶対正しい」なんてホンキで思っててタチが悪い。
ま、良く考えれば当たり前だな。
そして、現実と自分の世界の差を知る事こそが、「汝自身を知れ」という意味に他ならない。

185名無しもぬ:2003/06/25(水) 23:11
>>納得出来ないのは理解できるけど、そこで「キモいものはキモいんだっ!」って意地張っててもしょうがないだろ。
俺は別に納得出来てないわけじゃないぞ。それに俺は自分の意見と社会の意見を混同してる気もない。
あくまで俺は社会がどう判断しようと、とりあえず俺は「キモイ」という感情を抱くだろうと推測しとる。
&俺は自分の感情や主観が「絶対的に正しい」と思った事は一度もない。

幼女誘拐犯が鬼畜ゲーが好きなのか純愛ゲーが好きなのかはココでは分かりようがないと思うが。
むしろ、俺は「ヲタクであるかどうか」と「現実と虚構の区別がついているかどうか」と「純愛ゲーが好きか鬼畜ゲーが好きか」というのは全くリンクしない条件だと思うのだが。

186ろいろい:2003/06/26(木) 22:34
>>俺は自分の感情や主観が「絶対的に正しい」と思った事は一度もない。
もし「本当の自分の主観」ならそれは「絶対的に正しい」。というかそういうふうに定義すべきだと思う。
問題はそれが「本当に自分の主観」かどうかって事だ。
私見だけど、「天才とバカが紙一重」なのは、どちらも「本当の自分の主観」で自分の世界を観ているからなんだろうと思う。
その世界を社会に適応させる能力を兼ね備えている(あるいはたまたま上手く社会に受け入れられた)場合、「天才」と呼ばれ、理解されないやつが「バカ」と呼ばれるんだろう。
ぶっちゃければ、「社会への貢献度」ってことだけど。

君は自分の意見と社会の意見を混同してはいないようだけど、「ヲタクはキモいと思う事」と「〜と言う事」の違いも同じことなんだけどなぁ。
それが言いたかったんだ。

幼女誘拐犯のエロゲ嗜好を判断は出来ないけど、単に昔の事件で未成年者略取で逮捕されたやつの同人誌が週刊誌かなんかで晒されて、それがKanonだったってだけの話。
もしも部屋から鬼畜ゲーが山程出てきたら当然そっちに食いつくだろうからさぁ。推理だといわれりゃそれまでだけど。

俺が>>184で言いたかったのは「ヲタクが現実と虚構の区別がついて無い」という常識は矛盾している、と言う事を言いたかっただけ。
エロゲの好き嫌いがどーこーじゃ無くて、「エロゲの好き嫌い」と「現実の性欲嗜好」がリンクしてない事がその状況証拠と言えないか、と言いたかったのよ。

とりあえず誤解を解いて終わり。

187ろいろい:2003/06/29(日) 21:00
みんな忙しいのですか?ま、暇人なんで>>154の続きでも。
註:このレスには性に関してかなりぶっちゃけた表現が出てくる予定なのですっごい不快感を覚える人は無理しないでね。
いや、別に濡れ場があるわけじゃないんですけどね。

先日、少子化についての討論会かなんかで、出生率が下がってる事に関連して某政治家がW大の方を引き合いに出して「レイプしてるやつの方が正常」とか言ってましたね。
とりあえず、政治家としての立場は見逃しておくとして、これは多分「性欲があるだけまだマシ」って意味らしい。
年中ハァハァしてるヲタクも正常だろうか?

まぁ、冗談はおいといて、この発言のどーしよーも無い誤謬は、「子供を生む」ことといわゆる「性欲」をごっちゃにしてるって事だな。
レイプしたやつは孕ませようとしてやったわけじゃ無い(、と思う)。むしろ孕んでもらったら困る。
「子供が欲しい」という欲求と「性欲」という欲望は全く別物にいまやなっている。
少なくとも、性的快感を得るために交尾の間中試行錯誤している動物に俺は今だかつて出会った事が無い。

んで、何が言いたいかと申しますと、良く「2次元にハァハァしてるからキモい」理由として、「人間の本能としておかしい」=「人間じゃない、狂ってる」みたいな論調があるんで、それを論破。
そういうやつは、まずセックスする前に避妊するのを止めろ。

動物的本能を基準にすれば、エッチな絵に性的に興奮するのも、コンドームつけながら勃起するのも同様に「狂ってる」。
結局は「気持ちよくなりたい」んだからさ、自分が一番興奮する方法を採ればいいんだろ?
いいじゃん、2次元だって。

余談だけど、多分江戸時代の人に、「アニヲタと、コンドームつけてるやつとどっちがキモい?」って聞いたらまず間違い無く「コンドーム」って言うだろうね。
江戸時代には春画という物があったぐらいだから。(冗談だけど)伝統的な価値観で言えば、ヲタクは江戸文化の後継者と言えない事も無い。
論拠が無いんだからさ、結局。

次回は、多分もう一方の「恋愛感情」についてもやるっぽい。レスが無ければ。

188名無しもぬ:2003/06/29(日) 22:27
話の流れとは関係ないが参照
ttp://pink.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1053447350/l50
ttp://game4.2ch.net/test/read.cgi/arc/1043167386/l50の360過ぎ辺りから

189名無しもぬ:2003/06/29(日) 22:32
前から思ってたんだけど、ハァハァ=性欲なの?
俺はあくまでハァハァ=萌えであって、萌え≠性欲だと思っていたんだが。

2次元に萌える奴が2次元に対して性欲を感じているというのは確かだが
だからといって萌える→性欲を感じるという意味ではないと捉えてきたんだが
俺の間違いだった?


でさ、純粋な疑問なんだが
コンドームが出来る前ってどーやって避妊してたんだ?してなかったのか?
してなかったら遊郭とかどうなってたんだ?

190ろいろい:2003/07/03(木) 21:48
>>189
萌えっていうのはただの性欲じゃ無くて、現実逃避性の強い疑似恋愛感情みたいなもの、と言えば一番近そうです。
でも性欲という側面も多大に存在するわけである。
恋愛を考える時でさえ性について無視出来ないのだから、「性欲処理」的な利用のされ方が強い「萌え」的なアイテムについて考察する場合には、性欲について考える事は避けられないと思うのです。
ただ、性欲について語ったから萌えの全てを語ったことには当然なりません。
だから、「疑似恋愛」という面についても語ろうと思っております。

昔の避妊については、よく知らないので調べないと分かりません。
ただ、昔は安全な中絶も同時に存在しなかったはずだから、たぶん風俗業界にはいる女性の方は昔の方が「自己管理」とか「覚悟」とか「責任」とかに対する考え方がしっかりしてたんじゃないかなぁと勝手に推測しております。
今の風俗従事者を批判するつもりもないけど、あらできちゃったでほいほい中絶っていうのが人口妊娠中絶の市民権獲得を妨げてるのは明確な事実であるわけで。
閑話休題。

小説とかのイメージだと、日本に限らず昔の王様が一夜の迷いで世俗の女ともうけた子供が暴君を倒す、とかいう話がよくあるから、結構風俗従事者は妊娠する時はするし、そうしたらちゃんと産むって事らしい。
しろーと考えなんで断定はしないけど、昔は「避妊はおそらく『危険日』とかの認識ぐらいしか無くて、できちゃったら望まない子でも産んで、大概育てていた」と推察する。

191ろいろい:2003/07/07(月) 22:05
レスが無い…。

萌えの第2要素「疑似恋愛感情」について。

それも大体言いたい事は「性欲」の話と同じで、「一般人」とやってることは大差ないだろ、って事なんだけど…。
若干俺の希望的観測やら主観やらが含まれるので、納得できるかは微妙ですね。

何をもって恋愛とするか、なんて事はまともに恋愛した事の無い私が語るのは出過ぎたマネだとは思うのですが、あえて。
恋愛は恋と愛がくっついたものなんだろうけど、それってなんだろうな。テキトーに定義をでっち上げてみると、
恋:相手(あるいはそれから得られる何か)を欲する強い衝動・欲望。
愛:相手が喜ぶ(欲する)事を欲する欲望。
単なる理想かもしんないけど、俺の思う恋や愛はこんな感じ。

さて、何をもってヲタクに恋愛は真の恋愛では無いと言われるんだろうか?
察するに、恋の領域に関してはまだしも、仮想の相手には愛を感じ得ないから、だろうか?
世俗的な言い方をするならば、「あらかじめ決められたリアクションしかとらないようなキャラを(本当に)喜ばせる事は出来ない」という事。
そもそも「萌え」っていうのがそういう感情だからね。征服欲の一種の変種というか。

でもさぁ、今どきのこの世の中にどれだけまともな愛があるか。
具体例をあげると気分が悪くなるのでやめとくけど、所詮やってるのは恋愛ごっこだろ?
本気の愛が有れば、離婚や暴力がこんなに蔓延するわけねえんだし。

「プログラムされたリアクション」うんぬんについても同じ事が言える。
所詮恋のレベルでは、相手のリアクションは「自分の利益」の一部に過ぎない。
自分が思ったようなリアクションをとってくれなきゃすぐキレる。
それで「価値観が合わない」とかいって別れてみたり。バッカじゃないの。
だったら、「自分の利益になるリアクション」の集合体により強い恋の感情を抱くのはまったく当然の成りゆきである。

モテようと頑張ってる人やアイドルと呼ばれる連中と、想像上のキャラクタを分ける基準が、この論点においては存在しない。
多分アイドルには直接合う事は可能だろうし、モテようとしてるやつには現実に遭遇するけど、アイドルもモテようとする人もそれは対外用のそれこそ「キャラクタ」であってそいつの本質じゃない。
どっちもどっちでフェイクしか観て無いんだから、そういう批判はまったくもって筋違いとしか言い様が無い。

192ろいろい:2003/08/09(土) 21:52
さて、ちょっと目立ってみよう。

最近、特に思うのは、「リアリティ」ってなんだろう、ってことだ。

近頃の仮面ライダーや戦隊シリーズ、ガンダムはもちろんの事、あのディズニーですら単純な正義や悪、勧善懲悪を語らなくなっている。
それに引き換え、某大統領の「正義」「自由」一点張りはとってつけた昔の勧善懲悪物語をなぞってるようでなんとも。
日本人の世論は圧倒的に「報復は暴力の連鎖を生むだけだ」という主張にのっかっている。
それでいて、どっかの誰かは「子供がいじめられたからいじめた奴に仕返しした」とかなんとか。
昔の人は「子供のけんかに親は出ていくな」とか言ったもんだけどなぁ。

つくりものの世界の話だから「フェイク」なのか?
現実の世界の話だから「リアル」なのか?

イデオロギーで人を動かす事が正当だとは言わないけれども、まともなイデオロギーを提示することすら出来ない連中がのさばっている現状をとても「リアル」とは認知出来ない。
大体、民主主義なんて物は基本的にただのイデオロギーに過ぎない。
誰かが権力を握るためのイデオロギーが、「神」や「王」によってでは無く、もっと目に見えない「大衆」によって保障されるシステムだ。
お題目がキレイだから、すばらしいシステムだと勘違いしてる連中がいるけど、まったく理解出来ない。
もちろん、最初に考えて人は本気だったかもしれない。
でも、それを含めてもみんながだいっきらいな社会主義と何の違いが有るのだろうか?
イデオロギーとして利用されている現状には、なんの違いも見出せない。
閑話休題。

要するにだね、イデオロギーの「リアルさ」は社会の「実体」と切り離せないと思うんだよね。
イデオロギーがイデオロギーとしてではなく評価されてる場合は、大概「リアルさ」を補完する目的が多い。
また、「リアル」だという事が必ずしも良いというわけでも無い。
うぅん、リアルという言葉で語ると上手くいかないけど。

実際の善し悪し、という単純な評価基準があるとすれば、の話だけど、あるイデオロギーが「フェイク」になったら、昔か今かどっちかの「現実」が「悪」であるはずである。
そんな時代に現実逃避する(あるいはそのように他人に評価される行動をとる)事がそんなに悪いんでしょうかねぇ?
それは、正しい物をしっかり見ている、ということなんじゃ?

こんな感じで、「イデオロギーの一人歩き」は一種の「現実逃避」のモデルをとってると思う。
現実逃避を正当化するのも現実逃避と言えなくも無いけど、やっぱりそんなに悪い物ではないのではないだろうか?
ちなみに、今回は「現実」とは何か、というのは取りあえず棚上げして語ってみました。

193:2003/08/09(土) 22:55
読んでて思ったんだがさ
これは二次元にのめり込むヲタクさんをモデルとして書いたの?それとも一般論?
それと、今は『あるイデオロギーが「フェイク」になった』時代なの?君の仮定を前提として話すと、今現在が『あるイデオロギーが「フェイク」になっていない』時代ならそれは悪として君自身は納得して認めるのかな?
むしろ『リアル』や『現実』の存在や意味を問いかけておいて、その次にそれを前提とした話をするのは・・・と思ったら最後の一行にあったよ(´・ω・`)

194ろいろい:2003/08/09(土) 23:16
主に一般論だけど、もちろんスレの主旨にそってヲタさんをメインに考えて下さって結構。

少なくとも今まともに機能しているイデオロギーは資本主義ぐらいしか存在しないと思うけどな。
「強いやつ、賢いやつが生き残る」という思想は善し悪しを無視すれば大概の時代&社会で「リアル」足り得るからな。

もちろん別に私はなにも結論を述べてはいないね。単なる問題提起ってやつだよ。
ただ、現実やリアルがそのようにあいまいなのに、「現実逃避」という批判は筋違いに当たらないかな?とりあえず言いたい点はそこだけ。
「現実への適応」のみを価値判断の基準とするなら、その批判はまったく妥当ではあるけどね。
それはいくらなんでも志とかが低いと思うけど…。
一番問題なのは、その他の判断基準もイデオロギーでゆがめられかねないという所だ。
あーややこしい。

やっぱり「現実逃避」と批判してるやつが「現実認識」から「現実逃避」してるんだよな。

195:2003/08/09(土) 23:53
まともに機能してるイデオロギーが資本主義だけ? ・・・大きな目で見ればそうかもね。
でもヲタクがどうこうっていうのはもっと細かい話になるわけで。それをイデオロギーとしなければこの話はなかったことn(ry

現実やリアルが曖昧というが、現実世界のリアルさを否定したトコロで二次元のリアルさは肯定されないぞ。
しかも>>192らへんで言ったのはあくまで「現実っぽい」という事であって、「現実=現在生きている3時限の世界」以外には存在しないと思うのだがどうだろう。

196ろいろい:2003/08/11(月) 14:22
もちろん、2次元を肯定する気は無いんだけど。
ただ、2次元がフェイクなのとおんなじくらいに現実だってフェイクだ、って言いたかったの。

あと、一番前から疑問だったのが、2次元に萌える事がいくら現実逃避、現実離れしてるからって、それがどう「キモく」なるのかがさっぱり。
君は過去の発言で「そんな連中に良い感情を抱くわけ無い」とか言ってるけど、それを肯定しても「キモい」はどこからも出てこない。

現実とリアルの線引きは微妙なところだけどね。
あと、資本主義も近々イデオロギーの資格を失う予定です。
このままじゃ「永遠に経済成長をつづける」という原則を保てなくなくなるからね。
構造上の欠陥ってヤツ?

197:2003/08/11(月) 16:17
この場合、2次元に萌えるというのがキモイと思われるのは、2次元の女の子に対して恋愛感情を抱いたりある種のときめきを覚える事が問題で・・・
それがいくらキャラとして描かれていたとしても悪く言えば結局ただの「イラスト」なわけで。人の手によって作り出されたただの絵に浴場してるわけで・・・
しかもそういう萌えには「現実」(と言ったらややこしいな)つーか3次元では考えられない設定があるわけで・・・
例えば、常識的に考えて今の時代に女戦士やらメイドやら猫耳はいないわけで。言わずもがな超昂天使なんて存在しないわけで。
大体萌えを感じる人ってのは「3次元では考えられない状況」に萌えてるのが大半であって。

それが3次元を見てる人には理解出来ない領域なわけさ
だから2次元だから・・・という問題じゃない
実際、3次元のAVだって「現実では考えられにくい」メイド設定やナース設定やスッチー設定であったりが沢山あるが、世間的に公言するには肩身が狭いだろうし

同じクラスの女の子に恋する というのなら万人に理解されるし キモイとも思われない
だけどナースに恋する という限定された職種(=シチュエーション)に対して何かしらの感情を抱くというのはいわゆる特異な体質であって(人数比に関わらず) キモイと思われる可能性を秘めている

なんか纏まらないねぇ
また今度ね

198ろいろい:2003/08/11(月) 23:42
まとまって無いらしいから、あんまり書かないけど。
オレが言ったのはさぁ、「理解出来ない」から「キモい」が論理的に出てくるのか?という疑問なのだよ。
そういう論理なんなら、それはそれでそう説明して。オレはそんなわけねえと思うけど…。
そうじゃないなら、その間を他の条件で補完してもらわないと。

あと、「『人数比に関わらず』特異な体質」ってのはおかしくないか?
少数派だから特異なんだよね?違う?

あと細かいことはいちおう>>191に書いたから参照。

199:2003/08/12(火) 00:37
じゃあ今言える事だけ

「特異」という言い方がマズった
『女の子を好きになる』という基本ベースがあって、それにイロイロと付加すると考えれば
その要素が多々あるわけで、「顔が良い」女の子がイイと思うのは万人共通。(ここで言う顔が良いってのは一般論じゃなくてあくまで個人が思う意味での事。それと、敢えて「顔が良い」と微妙な書き方をしたのは、「かわいい」とか書くと「綺麗」とかとの比較として御幣が生まれそうな為
誰も自分が不細工だと判定する女の子と積極的に付き合おうとは思わないしね。

ただ、他の要素「強気」とか「看護婦」とかは万人がイイ!と思うもんじゃなくてそれを否定する人もいるでしょ?
そーゆー意味で、これらの要素は「好みの性格」と言うべきか・・・

でも、俺にしてみれば「特異なのは少数派だから」というのが既に「多数派の意見」であって
多数いたって少数派から見ればそれは特異と言えば特異なわけで。
君の言う「特異」というのは世間からの「特異」でしょ?
ここで言ったのはそーじゃなくて上で言ったような好みなんかで現れる性格の違いみたいのを言い表したかっただけ

200:2003/08/12(火) 00:37
で、無駄に200ゲトズザ

201ろいろい:2003/08/12(火) 23:02
>>199
はい、了解。
君の「特異」=「理解不能」、という感じでいいかな。投げやりだけど。

あと、そういう考え方はロジックが合っていても実状に合わない場合が有るから注意が必要。
毎度君は理解不能と言っているが、普通は「女を好きになる」のが先で、理由は後からついてくるもんだ。
もちろん、マイナスは目につくから、「ブスと付き合おうとは思わない」というのは合ってるんだけど、「好みの属性」が沢山ついてる程高得点、とかそういう風にはいかない。
論理的に常に、なんでもかんでも考える人ならともかく、ふつーの人は理由なんて後から勝手にでっち上げちゃうんだよ(無意識に)。
ヲタクがキモいのだって、理由はどーであれともかくキモい、ってそんなもんだろ?
これまた善し悪しは別問題だけどなぁ。

「理想のタイプなんて言ってたって/好きになっちゃえばそんなかんけー無い」(ピンクのバンビ/しんたにりょーこ)

202ろいろい:2003/08/21(木) 23:56
突然だけど、こんな証明はどうでしょう?

前提:
人間は(生きるために)社会(or共同体)に所属しなければならない。
社会とは、「構成員の利益を追求するための『最低限』の経済的システム」である。
社会の構成員はみな平等(であるべき)である。

結論:
「ヲタクはキモい」という命題は、真偽はともかく正当化は出来ない。

証明:
前提1より、全ての人間は社会に属し、社会システムに拘束される。
前提3より、社会では「階層」とか「役割」とか、なんでもいいけど構成員を種類分けしてはならない(望ましく無い)。
ところが、前提2にあるように社会は構成員の幸福追求を効率良く実現しなければならないため、どうしても経済的に必要な「役割分担」が生じるし、危険回避の為に隔離する必要のある集団もあるかも知れない。
つまり、社会において正当化される構成員の部分集団は、その分類が「構成員の幸福追求」という目的にかなっているとみなされる場合だけである。

さて、ここで「ヲタクはキモい」という命題を検証する。
ここで述べられている「キモい」というのは今までの検証により、具体的特徴を表しているというよりは、「(発言者は)ヲタクが嫌いです」という意味に近いと言える。
ここで、この命題を同値変換して、「ヲタクは有害だ」という命題に置き換える。
この変換が可能な理由:
まずこの命題は形式からいって、ニュアンスとしては「嫌い」という個人的な感情としてではなく、まるで「普遍的事実」を述べようとしているようである。
ここで、そのニュアンスを表すために「私はヲタクが嫌いです」を普遍化しようとすると、「(社会構成員全般)はヲタクが嫌いです」になる。これは「ヲタクは有害だ」と同値である。

さて、「ヲタクは有害だ」という命題が社会で正当化されるかは、「ヲタク」と称されている集団が「有害か」を「経済的基準」で判定する必要がある。(ちなみに、その基準が満たされていなく、同時に有益でも無い場合、「ヲタクが〜」で始まる命題は全て社会にとって無意味だよね?)
その判断を厳密に証明するのは割愛というか、このスレを最初から見れば明らかだよねぇ?

よって、題意は示された。

203ろいろい:2003/08/22(金) 00:11
>>202に自分で解説&つっこみ。

まず、個人的にこの証明に注目して欲しい点は、前提に「ヲタク」に関する物を含んでない、という事。だから、もしある集団がいじめられてて(おだてられてて)、その集団が有害で無いなら(有益でないなら)、この論理形式で対抗する事ができる。
有害、有益をどう持ち込むかが重要な所だけど、有害でない、という印象を与えるのは結構簡単。このスレがいい例だ。っていうかそれが無理なら救いようが無い。
役にたつ、たたないは有害よりはずっと検証が難しいだろうね。
多分社会は主に「危険回避」の性質が強いからだろう。

次に、この証明の問題点。
1つは、「社会」の定義がこれで実体に沿っているかどうか?
2つは、「平等」という言葉の意味が曖昧すぎる。
3つは、「嫌い」という印象を与えること自体が「有害」だという反論が成り立つ。
特に3つめが重要で、同値変換の時に「嫌い∽有害」を使っているからここが結構イタい。
それにもいっかい反論するならば、「ヲタクを社会一般が嫌っているというのは発言者のひとりよがりであって、マクロで見れば正しく無かったというが事実だ」というのがせいいっぱい。
別の言い方をすれば、「社会」の定義で(明文化せず)「最大多数の最大幸福」を密輸入している。これは受け入れる人と受け入れない人がいるから、びみょー。

あとは追加で一言。
自分で「真偽はともかく」って書いておいてなんだけど、「社会では受け入れられない真実」なんて物が(人間にとって)あるわけ?もし有るとしても、それに何の意味があるわけ?共有出来ない真実は、それこそひとりよがりでしかないのでは?それが真実だってどうしてわかるの?

204ろいろい:2004/01/26(月) 22:50
age。

さて、なんたら東北さんの御意見にツッコミ。
まず第一に、論理の普遍性に欠けている。言い方を変えれば、自身の発言によって自説を反駁出来る構造なんだよね。
例えば、もし彼が彼の言うところの「権力主義者」だと仮定しよう。そこで質問です。なぜ彼はこんな「権力主義」に対して懇々と説くなんてマネをしたんだろうか。
「権力主義者」は「自分の意識充足」を目的に「姑息」に生きる「軽率でない」人間である。ところが、「権力主義」を広げる、という行為は、「権力主義者」にとっては百害あって一利無しなのは御理解いただけるだろうか。周りの連中が「道徳」を信じる「愚者」で居てくれないと都合が悪いし、愚者を利口にすることにどういう利益があるんだろうか?
そこでオレは(邪推かもしれんが)こう思うのである。「結局、君は頭の悪い一般大衆に頭に来てるだけじゃないの?」と。それを称して「若い」と言っているのです。

まだまだツッコミ所満載ですが、とりあえずレス待ってみます。

205:2004/01/26(月) 23:07
権力主義者という書き方はされているが、それは別にヒトラーや麻原やといった、思想の布教を求めたり、権力によって他人をどうにかしようという目的がないからね。
ただ彼が説いたのは、「ただ存在している事でさえ、それは他人への暴力・権力の象徴とも解釈できる」という事で
そういう意味で“権力主義”という言葉をあてているに過ぎない

一般大衆にアタマに来てるという邪推については正解だと思うがね
彼はしきりに愚昧・凡庸といった言葉を使うし、それに当てはまる人間を蔑視している

206ろいろい:2004/01/26(月) 23:20
その2。
権力主義者が増えると権力主義者が困る、というのはある学問体系においては「権力主義は悪だ」という風に解釈されます。その体系とは、倫理学です。
まぁ、専門的なことを言うのは抜きにしてだな、「一般大衆にその行為を(無条件に)為せ」という命題を発言できる(発言して損しない)場合、その行為を「正しい行為」と呼ぼう、という取り決めがあるのだよ。大雑把に言うと。「人を殺すな」とか「モノを盗むな」とかいった類いの命令がこの定義によくマッチしてるのは分かるよね?

権力主義がこの体系で「悪」なのは、世界人類が権力主義に陥った場合を想定すれば分かる。のぶる君が良く御存じのハズの「囚人のジレンマ」的なゲームが発生して、結果的には「全員が合理的な行動を取り、全員が損をする」ことが容易に予想される。
大体、道徳を信じる方がずっと効率的なんだよ。

207ろいろい:2004/01/26(月) 23:30
あ、間違えて送信しちまった。
無論、彼の主張はこの手の「善悪」自体を否定することを出発点にしてるから、>>206を反駁することができる。

ここで、3つめ。
1つめとかぶる部分もあるけど、彼の「権力主義」という指針自体も彼のいうところの「神話」の域を出ていない。この点において、この主張は論理的にフェアでない。
道徳家が道徳を支持することと、権力主義者が権力主義を信じることには構造的な差は無い。この手のねじれにはこのスレッドで何度も論じてきたが、「何も信じない」とか「全てを疑う」とかいう行動指針はそれを採用する時点で「何かを信じている」のだ。大体、前提無しにモノを疑ったりできるわけが無い。

単に、これは価値観の問題に収斂する。「正しい」ことに比重を置きすぎると、こういう方向に思想が飛んで行っちゃう。道徳家は「道徳的に正しい」ことに比重を置いている、もしくは(大概の人はホントは違うんだろうけど)「他人が幸せになること」に比重を置いている。そしてこれらの価値観は彼にとっては「幻想」らしい。

それを幻想だと非難するのは簡単だが、それを取り除いて真実をあらわにすることは出来ない。これを称して「幻想は幻想としか交換できない」と言うのだ。
この点についてはコミケで発売された(らしい)モエかんのSS作者のほうがずっと自覚的だな。

208poco:2004/01/26(月) 23:33
混ぜてもらう気はほとんどないけどレスと気がついたことだけ。
一般〜の>>268
この意見が筆者に否定されてることぐらいは読んだからわかる。俺は凡庸だけど、それがそこまで悪いことかどうか、あれを読んだところでわからない。

討論じゃないのだが、とつげき東北の麻雀論は大好きです。莫大なデータ、論理から正着を割り出してるとこも、根拠のないオカルトを否定するのも。オカルトを否定するに足る証拠がある。
でもこれは、理論というよりも価値観めいているというか(こういうところが俺の無知たるところかな?)こうもはっきり凡庸なものを定義・批判していいのかと思うわけですよ。
俺は基本的に人が何考えてようと別にいいと思うが、それは逆に言えば人それぞれの考えを蔑視することを否定するわけで。こういう考え方が正しいって定義されても理解できないんだよね。むしろこういう語り方は憤りすら覚える。
多分俺の無知とスタンスからして、この文章とは相容れないのだと思います。
うーん、自分でも的外れなこと言ってる気はするんだが、この文章をこれ以上理解できないんだよね。ま、今の俺じゃこれで完結してしまう。

で、最後にどーでもいい質問。
こういう文章が哲学と呼ばれる学問なの?

209:2004/01/26(月) 23:36
彼は、その「一般大衆が損をしない」という論理そのものを否定している。
「人を殺すな」というのは単なる大衆の道徳でしかなく、それは即ちマイノリティーへの権力行使・排斥だとしている。
彼の記述の繰り返しになるが、「正しい」とは普遍的に解釈出来るものではなく、もしある人が「自分は神であり、全世界の人間を好きに出来る」と心の底から信じているとすれば、その人にとっては自分以外は全て「正しくない」事になる。
ここで「自分は神だ」と信じている人がオカシイと考える人間も多いだろうが、それはキリストを信じたりする事と本質的に何ら変わっていない。
それが彼の説いている「正しい」という解釈であり、一般的に解釈されている「正しい」を否定している。

そもそも、「〜の方が効率的」「〜の方が合理的」という考え方を批判しているのがあの文章なのだが。
そういった現実問題の話は彼は全く問題にしていない。
現に彼は人を殺さないしモノを盗まない。思想の追求と現実世界の話は全く独立の存在である。

210:2004/01/26(月) 23:46
>>209>>206へのレス。おまいら書き杉

道徳家が道徳を支持する≠権力主義者が権力主義を信じる
権力主義者は、権力主義を信じようとするが故に権力主義者ではないのだ。
合理的云々や疑う事についてはこのあと本文から抜粋しよう
書いてあるって

211:2004/01/26(月) 23:48
>>208
>こうもはっきり凡庸なものを定義・批判していいのかと思うわけですよ。
彼は「凡庸なもの」だからこそ定義して論理・解明してそれを批判すべきだとしている、と俺は思う

まぁ思想や語り口が相容れないなら俺にはどうしようもない
ただ単に俺は波長が合った

212:2004/01/26(月) 23:49
本文からの抜粋

筆者の記述に色々の反論もあろう。
「そういう合理的な考え方はつまらない」といった的はずれの反感から、「正しいものがないなら、この記述も正しいとは言えない」などのありがちな反論、その他種々の反発や批判が想定されるが、結局それらは全く問題ではない。
要するにそれらを含む全てが解釈に過ぎず、どんな解釈も、常に「そうではない」と解釈され得るということが重要なのである。
もし仮に神や科学や、筆者の記述に対する何らかの反論などが「絶対のもの」であるとしても、それが筆者と何の関わりがあろう?
──ない。たとえ「絶対のもの」だろうと、筆者にそうと解釈されない限り、筆者にとってはそうではないのだ。
そしてこのように解釈する筆者がいる限り、あらゆる判断、あらゆる「正しさ」は、決して絶対的でも原理的でも、客観的でさえもあり得ない──(筆者の記述はあまりにも非常識だ、と思う者は、例えば現代思想を少しでもかじってみると良い。筆者がいかに学問的常識を語っているかが一目で解るだろう。自然科学を見ても同様である。数学や論理学の原理的な正当性は証明されないということを、ゲーデルが数学的に証明している。「常識」もまた解釈なのだ)。

213ろいろい:2004/01/26(月) 23:50
>>権力主義者は、権力主義を信じようとするが故に権力主義者ではないのだ。
言語ゲームか?それとも敗北宣言か?誤植か?形式的に矛盾してるんでは??
正直にもうちょっと親切に解説してくれ。

214ろいろい:2004/01/27(火) 00:00
>>212
だからぁ、その発言自体が「私のこの証明が正しいということは証明できません」とかいう意味不明な論理式を生み出してるって言いたいんだよ。
この点において、権力主義者と道徳家に差は見出せないが?

ちなみに、「科学の常識」を一つ。
「論理的に反駁される余地の無い主張は無意味である」というのがあります。どういう意味かっていうと、「間違ってる可能性を含む主張は意味がある」ってことなんだけど。つまり、(科学の領域においては)その間違ってる可能性は実験とか観察とかによる「証拠」によって(主張とは独立に)潰すことができる。ところが「論理的に反駁することの出来ない命題」っていうのはおかしい。だってそれって、前提を単に論理的に展開しただけで、仮定と論理的に同値なんだぜ?つまりそれは「仮定を言葉巧みに彎曲しながら主張しているだけ」すなわち「何も主張していない」と言われる。

だから彼は「ありがちな反論、その他種々の反発や批判が想定されるが、結局それらは全く問題ではない」という発言により、自分で「この主張は無意味だ」と主張していると私の常識は判断する。

215ろいろい:2004/01/27(火) 00:04
あ、そうそう。
>>208
こういうのを哲学って言う人もいるけど、オレの主張からすればこんなものは「子供の火遊び」。哲学を真面目にやると、言語上の問題と価値観の問題に全てが帰着して、「哲学は役立たず」ってことはすぐ分かる。
だから、オレの想像するpocoたんの価値観によれば、哲学なんて学ばずして役立たずの火遊びレベル。

連続投稿スマソ。そいやsage進行という説があるね。

216:2004/01/27(火) 00:25
言い方が悪かった

後者は、「権力主義」という一つの考え方の見地から意見を述べているのではない
権力主義というから誤解されがちだが、権力主義者は自分の中に「正しい」を持たず、それを押し付ける事をしない

あとはココ
権力主義とは、一つの世界解釈の姿勢である。自分の意識を世界の中心に置くこと、全ての意識外の存在を意識充足の手段と捉え、それを技術として利用すること、世の中の全ての連関を権力連関として解釈すること──そしてこれらが理論的に一貫され、把握されているということ。

あとココ
彼らにとって科学や論理は、高度な権力の技術にしか過ぎない。

これからすると、「化学からの常識」は意味を為さない

何だか互いの話の流れが相容れないな
両者の主張する所が見地の違いから完全に背反するものになっている

217:2004/01/27(火) 00:32
-何故か関係ないレス-

頭使って文章書くって久しぶりにやったけど何かイイな

218poco:2004/01/27(火) 00:37
なんで俺も本文マトモに読んでない上に、理解力もないのにつっかかるのか自分でも疑問ですが。
>>212
んーと、「筆者」って部分は何にでも置き換わるよね?そうすれば、正義も悪もない、すなわち人それぞれ何考えてもいいよって言えるんじゃないの?これを言ってなお凡庸批判を胸張って言えるのはどういう理論なの?
証拠のはっきりとしたものですら批判できるなら、(俺からすれば)証拠も薄いこの文章に意義を見出せないのですが。というか、世の中のほとんどの証明、説明は意味を成さないんじゃ?
というか、どれもこれも一人よがりの主張でしかないと。それについて、証拠はどうだ、理論の組み立てはどうだっていうこと自体が無駄って話になるが。
俺の中では価値観に帰着しそうだ。あ、完結?
っていうか、こういう文章に難しい理論くっつけて語る必要あるのかなぁ。人に委ねればいいと思うけど。なーんか、無駄に思えてならないや。もう考えるのやめっていうライン作らないと堂々巡りになりそうだし、俺は傍観してます。
じゃ。こっから傍観(するようにします)

219:2004/01/27(火) 01:22
http://www.interq.or.jp/snake/totugeki/saikyou.htm
ここの00/12/6

http://www.interq.or.jp/snake/totugeki/saikyou2.htm
ここの00/12/15

これらを参考するよろし
凡庸というのは立場でも見地でも意見でも主張でもなく、ただただ愚かである状態の事
流れを語る際に流れの定義すらしない奴は、「何考えてもよい」とかそういう以前の問題だからね


先に言っておくと
最後の>>212>>216辺りから、氏の文章を読んでそれを解釈した俺が反論してるのではなく、単に氏の文章が反論している形になってるんだが
氏の文章そのものの意味についてなら読んだ俺がいくらでも受け答えするが
それの背景や思想の問題になると氏の文章を読んだだけの俺にはどうにも反論しようがない

220ろいろい:2004/01/27(火) 21:54
>>217
じゃあこの掲示板を続ける動機が発生したね!嬉しい限りだ。

>>218
pocoさんの言う事は私には納得できますが、たぶんのぶるは納得してないだろうから。
とつげき東北さんは、要するに「正しい」ということを「相対化」したいわけだ。「正しい」ということは、「誰かにとって」「正しい」のであって、「常に」「正しい」ということは無いと。この主張(つーか前提)は基本的には同意できる。だが、その「正しい」を疑ってかかるためには、(前も言ったけど)別の前提が必要でしょ?
冷静に考えてみろ。「美味しいカフェオレ」についてでもいいや。これは「誰かにとって」「美味しいカフェオレ」であるけど、それは「本当は美味しいカフェオレじゃ無い」って永遠にやっていたらおかしいんじゃねーか?一般的な手法を用いれば、「美味しく無いカフェオレ」っていうのを反対の手にも用意して、それもガンガン否定していくとしよう。すると全てのカフェオレは「美味しく無くて」「美味しく無く無い」。やれやれ。
っていうのは実はジョークで、ホントは次のような論拠による。(ちょっと似てるけど)これは言語上の問題で、「美味しく無い」という発言をするならば、「ならばどういうのが美味しいのよ」という反論が出てくるので、全てが「美味しく無い」状況は創りだせないのである。それはすなわち、一般的に言えば「相手を反駁したり論破したりする際に、前提無しにやることは出来ない」。彼の「まず定義せよ」という主張にも合致している。ところが、「まず定義」したり「前提を持ってきたり」すると、これまた彼の主張によりそりゃ「君にとっての定義とかでしょ」という反論とか、「その定義を疑えよ」とか云々。
これを称して、poco氏の発言となるわけである。遠回りすぎたか。

まだまだセコイことはいくらでも言えるんだが、本質的なところはまずはここの所だ。何度でも言うが、「幻想は幻想としか交換出来ない」。
あ、ちなみにこれを覆す方法ならあります。「悟り」。たぶんとつげき東北さんは「悟ってる」人は一番嫌いだろうね(藁

221:2004/01/27(火) 22:11
ん〜、何だろう。
彼が前提としてる事に突っ込むと俺には反論のしようが・・・
前提の上に成り立つ事に関してならまだしも。

222ろいろい:2004/01/27(火) 22:31
ageちゃった…てへ。

レスを待つのもたるいから、どんどん書いちゃいます〜。
どーでもいいことだけど、この「権力主義」とかいうの、ちょっと違った表現を使った「利己主義」だと思うんだよね〜。だから別に目新しくも無いし。詳しい事は「倫理とは何か〜猫のアインジヒトの挑戦」という大学生協で売れる本を見て頂きたいが、そこで身に付けたツールを使って一席。

彼は「道徳家」を「凡庸で愚か」な人間の代表と上げているけど、ホントでしょうか?
オレはこういう道徳家を知ってるけど。すなわち、「意識充足の対象」として第1位に「道徳的に正しい事」をする事をかかげ、それを達成するためには非常に「権力主義的」な立場を取る人。こういう人は他の道徳家から「それは真の道徳では無い」という非難を受ける恐れがあるが、とつげき東北さんは「真の道徳」を放棄しているからこの非難は使えない(はずである)。でも、そのエセ道徳家はその道徳に従い、人々を正しい行為に導くために辻説法を続けるのだが、東北さんは彼が道徳をかざす事を否定する。だが、この道徳は単に「意識充足の為の技術」に過ぎない。
さらに、このエセ道徳家は権力主義者(というかとつげき東北)より権力主義的になれる可能性がある。道徳家として生きれば、社会的評価は得やすいし、何より「道徳を忌み嫌う権力主義者」に「懇々と道徳を説く」という構図を用いて、権力主義者より強い権力を社会的に手に入れる事が可能なのだ。凄い。

まぁ、後ろのパラグラフは極端にしてもだ。はじめの文章に戻って考えてみると、この手の「自己中道徳家」を東北は忌み嫌っていたはずなのに(それは引用可能だと思うが)、彼等は「権力主義者」であることが明らかになった。それどころか、同様の論理を用いて、ほぼ世界中の凡庸な人間が「権力主義者」であることが立証できそうな勢いである。
かくて私はまさしくこの命題を声高に叫ぶのである。

「彼は権力主義者であるがゆえに権力主義者ではない」。あーこりゃこりゃ。

223ろいろい:2004/01/27(火) 22:43
書きまくり。あ−誤植発見。>>222の「売れる」は「買える」な。

>>221
別に前提にツッコミを入れてる訳じゃ無い。前提を(つまり定義を)吟味すれば彼の主張がそのまま彼の主張を否定するという単なるパラドックスを指摘しているに過ぎない。

セコいことをいくつか。
「常識」を相対化しながらも「私は現代思想の常識を語っている」とはこれいかに。恥を知れ。
「権力主義とは何か」の2つ目、「道徳を利用するか」「道徳を盲目的に信じるか」の二通りだ、というのは「盲目的だ」。道徳を信じる事=道徳を利用する事であることがあり得る(彼の言葉を使えば解釈可能だ)。既に上げられている「信じるフリをする技術」や「でっちあげ道徳」の他に、「本心から道徳を信じる」ことによる「精神の安定」を「意識充足」とみなすことが十分に可能だと思う。うーん、この手法は悟りへのファーストステップと成り得るな。そしてその後「権力主義者」だった事を「忘れる」ことによって権力主義者を超越できるぞ(戯言だから気にするな

224:2004/01/27(火) 22:48
社会的な「権力」と権力主義者でいう「権力」は全く別物。
故に権力主義者より強い権力を社会的に手に入れる、という文章は反論として成り立たない。

【引用】
権力主義者は必ずしも社会的な権力を目指す者ではない。
最も強大な社会的権力者であることと、彼が権力主義者であることは独立である。

225ろいろい:2004/01/27(火) 23:04
>>224
あーやっぱりそう来た?でもね、こういう事なのよ。
エセ道徳家は、社会的権力を手に入れることを意識充足の中で高ランクにおいている、もしくは第1位だろう。道徳を社会的権力を手に入れるためのツールとして使う場合には特に。
この前提を明白に導入しておけば、反論としては十分成り立つ。権力主義者は他の権力主義者に利用されるようじゃあ敗者だと思うがねぇ…。
個人的にはこの引用文が「社会的権力」を「無価値」とする前提を著者が密輸入してる証拠だと思うんだがなぁ。独立なのは明々白々だし、それであっても「軽率」じゃなければわざわざ社会的権力を「放棄」する必要は無い。もし「社会的権力」が優先度が低くても、権力主義者が二人いて、片方がもう片方を「社会的に」「殺した」としたら、やっぱり「権力主義度(?)」は殺された方が弱いだろうよ。

226:2004/01/28(水) 23:24
先生!熱しやすく冷めやすい俺はすでに温度が下がってきました!(ぇ

と、とりあえずバイト帰りで反論考える気力ないのでまた明日・・・は、1日中家にいないから明後日?

227ろいろい:2004/01/28(水) 23:43
>>226
反論が思い付くところだけ反論してると思ったら今度は言い訳かよ、と煽ってみるテスト。
大体反論なんて一生懸命考えるもんじゃないぞ?自然と思い浮かぶもんだ。

まぁそれはオレにも責任の一端は有るけど。わざと論理を一ケ所不完全にしておいて君を誘導して、打ち負かすとかいう小手先のテクニックを使ってるからなぁ。

人の意見をずたぼろに言うのは趣味が悪いし、そろそろ代替案でも書いてやるか。
と言っても「幻想は幻想としか交換できない」と言った人の意見をほぼコピるだけなんだけど。
プラスアルファとしてはつい昨日読み終わった「光速より速い光」の影響があるけど、まぁのぶるのレスをもう少し待ってやろう。

228:2004/01/29(木) 00:16
煽られましたヽ(´ー`)ノ
じゃあとりあえず

前者の常識とは、社会的に存在している人々が妄信している“常識”で(〜なのは常識だ、等と使われるような)、彼の言う常識とは、彼の言葉を借りれば“学問的常識”である。しかし「常識もまた解釈なのだ」と書いてあるのは、暗に自分の学問的常識も解釈の一つであり、その解釈に反論があろうとも『要するにそれらを含む全てが解釈に過ぎず、どんな解釈も、常に「そうではない」と解釈され得るということが重要なのである。もし仮に神や科学や、筆者の記述に対する何らかの反論などが「絶対のもの」であるとしても、それが筆者と何の関わりがあろう? ──ない。たとえ「絶対のもの」だろうと、筆者にそうと解釈されない限り、筆者にとってはそうではないのだ。』とここに通じるのだろうか。
ここでは道徳を利用する事と蒙昧に信じる事は背反の状態として挙げられている。というか、蒙昧に信じていれば上手いように利用するなどという芸当は出来ない。出来ていると本人が思っていてもそれもまた道徳の範疇で足掻いているに過ぎない--のでは?

似非道徳家≠権力主義者だろ?
権力主義者は社会的権力とは独立の存在だというだけで混在しない可能性はない。彼等が道徳や科学や論理を技術・また武器として誇示する場合とか。
それに、例え権力主義者が社会的に殺されたとしても、彼等は道徳を持たないタメにそれを悪としたり恥としたり弱としたりはしない。殺されたのが権力主義度が低いと見なすなら、それは権力主義に乗っ取っていない事になる。

229ろいろい:2004/01/29(木) 22:48
>>228
まず前半。残念ながら最初からずっとそれが出てくるのを待っていたんだよ。
『』でくくってあるところをちょっといじってみるとこうなる。
『要するに無神論を含む全ての神々が信仰に過ぎず、どんな信仰も、常に「そうではない」という信仰があり得るということが重要なのである。もし仮に他の宗教や科学や、私の信仰に対する何らかの反論などが「絶対のもの」であるとしても、それが私と何の関わりがあろう?──ない。たとえ「絶対のもの」だろうと、私が信じない限り、私にとってはそうではないのだ。』
この論法で行く限り、そこら中の盲目バカを正当化するだけだと思うが…。
こういうのをふつう「価値観の差」とかいったりするわけで。
どーでもいいが「学問的常識」を特別視すると>>216のうしろの方が死ぬぜ?あと>>223の真ん中辺参照な。

後半。なんかちゃんと文章読んでるかと煽りたいぐらい話がすれ違ってるんだが。
まず、オレは「エセ道徳家は権力主義者である可能性がある」という話をしてたんだが。
権力主義者が社会的権力を当然(程度の差こそあれ)欲求するだろうと言ったのもオレなんだが。混在しない可能性は無い!とか言われても…。
権力主義者が社会的に殺されて、恥に思わないとしたって、不便だろ。っていうかふつう恥ぐらいで済むんだったら社会的死とか言わないし。
要するに後半は意味がわからんぞ、ぶっちゃけ。

230:2004/01/30(金) 23:33
そこが出てくるのを待っていたと言われても、前に一回そこ引用したが…

でだな
解釈or常識云々については、彼は“現代思想の常識”から語っているからそれは良いんじゃないの?
現代思想の常識が常識を相対化する事、と言ってるんだから。それに対しての解釈の違いも認めてる…んじゃないの?そこまでは書かれてないけど。あとは作者さんの思う所だわよね。

いや読んだが。どこにエセ道徳家が権力主義者である可能性について?むしろ社会的権力に触れてる部分が大半だと思うが。
まぁどーでもいいや。
で、繰り返すが、似非道徳家は権力主義者には成り得ないだろう。
似非道徳家ってのは、「人にメイワクかけちゃいけないんだよ。」とあくまで盲目的に道徳的見地からの思想を持つ人でしょ?それは権力主義者とは全く背反の立場だと言ってるわけだし。
分からんならココ読め『彼らはどんな行為に対しても「道徳的怒り」を感じないし、理性的冷静さを持っているからである。』
ココとか『権力主義者は道徳を持たない。どれほど卑怯な手口で搾取されようと、いかなる不平等があろうと、それは自身の、状況に対する権力の低劣以上のものを意味しない。』
社会的な死っつーのは極論でしょうよ。恥=死っつってるんじゃなくてさ。

231ろいろい:2004/01/31(土) 23:52
私的な理由により今日は長くは書けません。ちょっとだけ。

前半:『現代社会の常識とは「常識を相対化」することだ』という論理式は破綻してる、問いう話をもう2回ぐらいしてると思うのだが。前者の常識と後者の常識に違いがあるなら、別の用語を導入してくれ、分かりにくいから。
ちなみにいうと、私の観点からすれば「現代社会の常識」なんてものはない。今は「ポストモダン」と呼ばれている事から分かるように、「モダン」は終わった、という共通認識はあるものの、その後のビジョン(万人が受け入れるもの)を誰も示せずにいるわけで、そんな時代に「常識は相対化せよ」とか言いたくなる気持ちも分かるが、それは「常識が無い」という現状認識を穿った見方をしただけだと思う。

後半:自分の発言をコピペしたいけどめんどいから明日ね。
あ、エセ道徳家っていうのの定義が違う疑惑。おれは「盲目的に道徳を信じる人」をふつーの道徳家として、「道徳を利用する人」をエセ道徳家と置いたんだな。その上で、ふつーの道徳家とエセ道徳家を観察によって分類する事が不可能であることをしっかり指摘せずにスルーしたのが原因かも。とりあえずこれでどう?

まだまだ書こうと思ってた事はあるけど、すべて明日にまわします。じゃね。

232ろいろい:2004/02/01(日) 23:51
すごい誤植が。よほど疲れたらしい。>>231:問いう→という

まぁ、ここでちょっと趣向を変えて、>>170-176を読んでみろよ。最後をオレの発言にしたのはオレの都合だが、最初をyouの発言にしたから許せ。
何が言いたいってさ、この人は最初の最初に密輸入した前提は、きっと「オレは頭がいい、世の中はバカばっか」なんだろうなぁと思うんだよ。その前提が正しいかはどうでもいい。
君に同意はもらえて無いけど、これは『「美人だから好き」なんじゃ無くて、「好きだから美人に見える」』と同構造だ。すなわち、『「論理的にやつらはバカ」なんではなくて、「やつらはバカだとすればこういう論理が成立する」』んだと思う。人はそこの前後関係を(しばしば無自覚に)ひっくり返すのだ。
それも責めるのは酷だと思う。ただオレはここをもう一度引用しよう。

「冷静になれっ!」

今日はきょうとて疲れてるし、レスが無いのでまた明日。

233ろいろい:2004/02/03(火) 21:52
日記は補足しているものの、これでは逃亡と言われても仕方が無いと思われ。

参考:http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41133&amp;pg=20030615

234:2004/02/03(火) 23:11
何?これはまとめに入ってる?w

えぃっとね。じゃあ一言だけ言って終わるわ。
訴えたいのは、今キミが討論(と呼べる物ではない事は自分でもわかってるが)しているのは、悲しいかなとつげき東北ではない。氏が書いた文章を読んだイチ読者だ。
彼はあの文章を書く際に、“現代社会の常識”を前提に書いている。まぁキミが言う自分は頭が良い、他は阿呆だという論理があるのはよく分かる。特にあの文章だけじゃなくて氏の書いた他の文章(別に思想系じゃなくてただの毒吐き文とか麻雀論とかも)を読めばそれはすぐ分かる。
で、ここで重要なのはそーじゃなくて、彼が現代社会の常識を踏まえて文章を書いていて、俺はその文章を読んだだけという立場である事が重要なのよ。
俺は読者である以上、“『現代社会の常識とは「常識を相対化」することだ』という論理式は破綻してる”と言われてしまえばそれ以上俺には踏み込めない領域になってしまう。
ただそれだけ

とりあえず>>170->>176読んだが
やはり脳死や死刑制度と、ヲタク論議なんかは一線を画した所にあるとは思う
これは今この文を書く段階では上手く纏められん。どう書けば良いか迷う所だ。
何て言うんだろう。えーとね。
一つ言える事は、命題はやはり間違っていたという事だ。
論理で語るのが討論じゃないというのはよく分かったし、言い負かしたら良いという概念も理解した。
なら、命題は「ヲタクは論理的にキモイか?」ではなく「ヲタクはキモイか?」であるべきだった。
そこに論理的にを付けた事によってややこしくなった点も多々あったろうと、今更に思う。
とはいえ、別に過去の討論をここにほじくり返すつもりはないので了承頂きたい。

で最後に美人と好きの関係だが
つい前の木曜にpoco氏にはサラリとそれ関係の事をこぼしたんだわ。ナイスタイミング俺 <?
簡潔に言えば、昔はあれ程心酔していた某SWの音楽が今ではそこまでではない、ということ
あの時は一種の宗教観念みたいなものにハマった、いわば信仰状態のようなものだったのかなぁ・・・
別に今聞いても悪いとは思わないんだよ。普通に良いなぁと思う物も多いんだが、どうも昔程の情熱が湧かない。
かと言って完全にその論理に同意したわけではないんだが。

つかね、例えが美人だの好きだのである時点で、面食いの俺には受け入れ難い。

235ろいろい:2004/02/03(火) 23:12
>>233
補足→捕捉。
良く似てるし(言い訳

じゃ、最後に話の流れを無視して、自分の意見を書いて終わりにするかな。
と思ったけどまた先延ばしと。

236:2004/02/03(火) 23:13
補足

パラグラフ1:つまり、君の反論は、討論の相手が氏本人であればとても有効だったのかもしれないね、という事です。

237:2004/02/03(火) 23:13
>>235
激しくカブらないで下さいw

238ろいろい:2004/02/04(水) 21:41
>>236
君の言う事はもっともだが、君は氏の意見に共感したんだろ?そのへんはどうよ。

次から私の意見。

239ろいろい:2004/02/04(水) 22:12
さて、議論の前提から。
「常識は相対的である」。これは認めよう(そうしないと意見を述べる意味がないからな)。ただし、オレはこの前提もどうしても持ち込まざるを得ない。「何の前提も無しに疑ったり討論したりすることは出来ない(もしくは無意味)」。定義を前提と置き換えれば似たような事を氏も言ってるけどね。

で、一足飛びに結論に行くと、「人は自分の都合で好みの前提を選択しており、また当然すべきである」。まぁ平和主義的な注釈をつけるなら、「みんなが自分の前提を持っている事を世界人類の前提とすべし」。

今までヲタ論において多く語られた事に「先入観」とか「主観」とかの問題があったけど、それと大体同じ事を繰り返す。前提の2にあったように、人は考えるための武器としてまず「前提」を与えられる(大概は「言語」という形をとる)。そんでもって、その「前提」をつかって「好き嫌い」や「善悪」を判断する(あるいはその価値判断系を放棄する;一部生物学的理由に起因するものは除いてくれ、たのむ)。なぜなら「前提」無しに物事を判断することは出来ないから。そして、「前提」を持たない系についての価値判断は、ほぼ間違い無く「前提」を持つ系と(意図するしないの差こそあれ)混同(同一視でも可)することによって先に価値判断し、そこから逆に「前提」を引き出す(萌えの派生メカニズムを思い出す事)。

だから、どっちが先かの差に眼をつぶれば、「前提」の差はダイレクトに「利害関係の差」に帰着する。人によって「利害関係」が違うのは当然(ですよね?古代からの常識!)だから、「前提」が違うのも当然。ここで前提を常識と置き換えてね。

「〜すべきである」について。「人間は自分の幸福を最大化する」というのを認める限りにおいて、この「〜すべきである」は成り立つ。別にその人の常識に「人を幸せにするのは良い事だ」とかが入ってたって全然問題は無い(人を幸せにして自分が幸せになるのはその人の勝手です)。最初の前提にはあえて入れなかったけど、これに逆らう人、いますか?

ただ、権力主義者と一番違う点は、オレはこの常識の差についてもっとオープンになった方がいいと思うのだよ。みんなが「みんな違って当然」と思い、お互いに「オレはこうして欲しい」と提示することにより、うまくトレードオフが成立してみんな幸せで嬉しいな、というのを推奨する。なんてたって、ここでこのトレードオフ段階での裏切り者を排除するのは簡単だ。法律、悪いウワサ、その場での報復、ほとんどあらゆる手段で自然に淘汰されるだろうな。ただ、これを「悪いやつだ」という前提で裁くのは否定しているのは分かる?「オレに損をさせたから」だというベースですよ?

と、基本はこんな感じ。補足及び応用もあるけど、とりあえずここまで。

240:2004/02/04(水) 22:46
確かに彼の意見に共感はしているが、細部にわたって全て関して同意してるわけじゃないよ、一応いっとくと。
全体的な流れとか、合理的な考え方をしているなぁ、という部分に惹かれた。
俺は基本的に無駄な事が好きだからね。こーゆー考え方は現実的ではないとか言われても意に介さないし。

俺が思うに、権力主義者ってのは一番常識の差についてオープンな人種じゃないのか?
むしろ価値観・常識・前転の違いを認めず道徳という一つの常識に縛られているのが彼が文章中で非難する蒙昧な道徳家であり愚昧な人間であると。
「俺に損をさせたから」という怒りや裁きは道徳的観点からくる最たるものではないかと。

241ろいろい:2004/02/04(水) 23:18
>>240
権力主義者は常識の差に自覚的かも知れないけど、オープンでは無いぞ。
なんしろ、人それぞれ違う常識を「否定」してるんだからさ。
「オレに損をさせたから」というのが裁きの実体であるのは多分その人の思想とは関係ない。ただ「そう被告に説明できるか」の違いはでかいだろ?それをわざわざ「悪い事だから」というのがダサい道徳家であって、オープンに「お前気に入らない」と(正当化する論理を持ってこないで)言える人や社会だ、というのがある意味においては非常に「健全」で「効率的」だと言いたいのだ。これはヲタ論でも似たようなこと言ったよね(正当化するから反論したくなるし、それが不毛な議論を呼ぶ)。

補足というかまめ知識というか。
今時の高校生は相対性理論の噂ぐらいは知っているだろう。特殊相対性理論の主張する所によると、我々は光より速く動く事は出来ず(光は制限速度だ)、動いてるひとから見ても止まってる人から見ても光は30万km/sで観測され、速く動くと大きさや時間や質量が増えたり減ったりする。正しい表現とかについては、自分で勉強してね。
でもさ、ちょっと考えたらなんか変だな、って思わない?距離も時間も変動してるのに、光速は変わらないってちょっとねぇ?それって、本当は光速は変わってるって事か?とか思うのはオレだけか?
これに対する解答は「光速がどの観測者からも不変であるように時間や大きさを定義した方がわかりやすいから」なのです、身もふたもないけどさ。

逆に古典物理といわれる高校の物理では、「距離や時間は変動しないと定義したほうがわかりやすいから」そうしてるの。何を基準にしたって別に良いよ?でもボーリングのボールはいつも同じ速度で動いてる事にすると、めんどくさくねぇ?

馴染みが無いとこの手の話には付いてこられなかった?まぁそれはいいとしてだ、ここから出てくるのは、「何を前提に持ってくるかは、なるべく物事が単純になるようにする」という方法論である。
これはそれこそ方法論だから真理じゃないけど、社会っていうのはこういうのを元に出来てる。例外だって少ない方がいい。
それに、「常識を相対化する」話と「相対性理論」の話が関係があっても全然不思議じゃないでしょう?

だから、「光速は不変だ」といきなり言っちゃうように、「人を殺してはいけません」といきなり言うのだ。(註:光速不変性については実験で立証された部分もあり、この説明は相当簡略化してることを御許しください)

242ろいろい:2004/02/05(木) 23:12
もう一点(というか一番重要なとこ飛ばしてた)。

俺は権力主義者の事を「自分の説が自分自身を攻撃してる」として批判した。すなわち、「自分本意の常識を使って人様に文句言ったり迷惑かけてるのは他でも無い君なのだ」と言って。

俺の意見と氏の意見の共通する所は、どんな反論が来ても「それは君の意見でしょ」と言わざるを得ない構造にある。だが、(俺の観察によれば)俺の意見は自己矛盾はしていない。なにしろ、人様に迷惑かけるのは前提(避けた方がいいとは言っているものの)だし、自分が自己中だと開き直ってるし、挙げ句の果てに「君と意見が違って当然。しかも君は間違っていない」と平然といってのけるのが俺なのだ。

これぞ絶対に反論されない理論だ(半分冗談ですよ)。ある意味、前に言った基準で言えばこれは「非科学的」「悪質な」理論である。でも、それさえも開き直る事ができる。

「当たり前の前提から出発して、前提を密輸入する事無く論理的に出てきた答なのだ。反駁出来なくて当然、これが真理なのだよ」

243ろいろい:2004/02/07(土) 21:53
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/
日記(下の方)2/7参照。
「倫理とは何か」の1つ。

244ろいろい:2004/04/16(金) 21:56
topも変更されて、日記に政治色の強いネタが登場するし、管理人は最近創作欲があるようなんで、ちょっと刺激を与えてみるテスト。

前に「バカの壁」読んだとかいってたから、その続編らしい「死の壁」の書評でも。

端的に言うと、今回はかなりつまらん(立ち読みだけど)。
「バカの壁」は発売直後に読んだんだけど、その頃は養老孟司は一般人にはそれほど認知されていなかった。それがプロモーションの高さとタイトルのインパクトでミリオンまで行ったわけだが…。
「死の壁」はそのミリオン作家が書くにしてはあまりにおざなりだと思うのだ。

批判とか批評とかを読む際に気をつけなきゃいけない事は、それが発信者の「自分が抑圧されている事への不満」から来ていると言う事だ。別にそれ自体は非難されるべき事では無い(と思う)。だが、その主張が主流派になった場合、その連中の主張は大体の場合崩壊する。主張に含まれているロジックに少なからず自分達への憐憫が含まれているからだ。
極右も極左もフェミニストも最大野党も、自分達が多数派になったら(今の)自分の主張が無効になるという事は個別には理解できると思う。フェミニストが衰退しつつあるのは、世間にフェミニストの考えが浸透してきたからだ、という本を読んだ事がある。

これは「死の壁」に書かれていた事だ。記憶に基づいて引用すると、「反体制と言われる運動は、大概が反権力と言うべきものだ」とかいう感じ。養老自身もその事を自覚しているらしい。

そんでもって、ここが一番重要な事だが、養老の書く本は全て「反体制」的な事が書かれている(「眼からウロコ」とか美化されてはいるものの、一般的な常識からは逸脱しているのは事実だ)。俺の考えでは、養老の主張も多分多数派への不満が原動力になってると思うのだ(引用する気にはならないし、主観が絡むから省略する)。
さっきあいまい引用した部分についてだけ言えば、学生運動とかについて語ってる段だったと思ったんだけど、彼がそういう主張をする土台としては、1:彼自身は学生運動に参加しなかった。2:周りに連中に運動に参加しない事で白い眼で見られた。という経験があると思われる(そんな事を書いていたように思う)。そういう経験が悲しむべきことで、養老に非が無いのは事実だが、だからといって学生運動が完全悪だということは論理的には出てこない、ということに注意して欲しいのだ。

とにかく、自分の本をばかすか出して100万部も売ってる作家がそんなこどものわがままみたいな事書くのはどうかと思うのだよ。ほとんどレベルとしてはオタクが自己正当化するのと変わらん。今まさに多数派になろうとしている言説としては失格に値する。

という私の主張も多数派になった養老に対する不満が原動力となってるのだった。事実、ヒットする前の「バカの壁」には共感できるパートもあったのだから。とほほ。

ま、読んで無い人には聞いても分からん話だとは思うが、ちょっとね。
ちなみに、イラクの人質さんの話も。君の意見は間違ってるとは思わない(むしろ若者層の間では多数派だ)が、人質に同情する言説(の甘さ)に対する不満だけが全面に出て、主張の客観性を損なう一歩手前なのです。
事実、愚かな2ch住人は人質達を三バカ呼ばわりして死んでしまえとまで(半ば本気で)言うのですから、これはいくらなんでも、と私は思います…。
あと、犯人と交渉するのはテロに屈服するのとは違うと思います。端から「自衛隊は撤退しない」と大見得を切って(ある意味人質を見捨てて)見せるのは逆の意味でテロ行為に対して屈服してるんだと思うよ。打つ手が無い、という点において、ね。

245:2004/04/16(金) 22:36
養老の続編については読んでない俺にはどうにも・・・
一ついえるのは、大方俺はアンチ世間・アンチ大多数の気があるらしい

まぁイラク問題については機を見てまた日記に書こうじゃないか

246ろいろい:2004/04/16(金) 23:03
>>245
インテリ(かぶれ含む)な皆さんは少なからずアンチ世間ですからなぁ。
ひねくれ者の超インテリかぶれとしてはアンチ・アンチ世間として第3の道を行きたくてしょうがないんじゃ。

こんな世界中に対してアンチアンチと言い続ける姿勢を称して、やじうま主義と命名するつもり。
いつかそんなものを確立したいと思うわけだ。確立しちゃったらやじうまにならんけどな、とほほ。

247ろいろい:2004/04/18(日) 00:07
日記と掲示板で議論するのはやりにくすぎる。ただでさえtextで討論のようなことをするとすれ違いが必要以上に多くなると言うのに。

とりあえず、俺が一番嫌いな政治関係の用語が「国益」なんですけどね。
国益を定義せよ、とか無茶な事は言わないけどね、押さえるべき点は自分が考えるのは3点。
1:国益とは「日本国の利益」なのか「日本国民の利益」なのか。
極端な想定をすれば、日本がどっかの植民地になりそうになった(アメリカの州だと思えば割と現実味があるだろ?)。もし、国益が「日本国の利益」だとするならば、日本という国家が存続することが至上命題であるのだから、戦争してでも植民地化は回避するべきだ。だが、「日本国民の利益」だとするならば、戦争のコストと、ホスト国に支配されるコストを天秤に掛けて判断しなきゃならんだろう。
世間一般の認識に従うならば、北朝鮮の国益は「朝鮮民主主義人民共和国の利益」なんだろう。
2:もし国益が「日本国民の利益」ならば、国民の利害が一致しない時にどうするのか。
多数決等によって決定することになるだろうけど、多数決が民主主義を脅かすのは言うまでも無いと思う。
3:もし損得勘定をする時の現状認識に差が有る時はどうするのか。
利害が一致していても、認識が違うことがある。例えば、今後アメリカの同盟国でいる事は長期的に得か、とかね。

以上の議論もなく、「自分の利益」をさも国益だと言って退ける連中には耳を傾けない事にしている。自分の利益じゃないかも知れないけど、反駁する価値が無い。

前々から疑問なんだけど、「非戦闘地域」に行くのに、なんで武装集団を派遣しなきゃいけないの?自衛隊が軍隊じゃ無いと言い張るぐらい無理があると思うんだが、この理屈…。「戦闘地域」と「非戦闘地域」が境界で分かれている状態も想像出来ないし。

それからですね、「自衛隊派遣はするべきだ」という主張を認めたとしても、だから自衛隊を派遣しましょう、ということにはならんと言う事。
自衛隊派遣のデメリットを考慮して(それが存在する事はその記事も認めてるようだし)、どっちが重いかを誰も議論してないんだよね、まったく。
例えば聞くけど、イラクで何人民間人が殺されたら撤退します?自衛隊員が何人やられたら撤退します?日本でイスラム系のテロで何人犠牲者が出たら撤退します?それでもまだ「自衛隊派遣は正しい」だけで粘るおつもりでしょうか…?

あと、「交渉」という言葉に多少誤解がある模様。
別に私は自衛隊を撤退しろ、と言っているのでは無い(どちらかと言うとまだ撤退しなくていいと思う)。ただ、相手には相手の言い分があるのに(正しいかは別にして)、人質取られてるのにいきなり「撤退しない」ってTVに言い放つのはどうかと。
相手を説得するとか、時間を稼ぐとか、そういうのを含めた総合的な「交渉」なのですよ。ホントはこの話は対北朝鮮外交に対して言いたいんだけど…。
あと、「ポジティブな意味で打つ手が無い」って、冷静にもう一度読んでみ?自己正当化もいいとこだぞ?

今回の話、「正しい事をハッキリ言えるようになって日本国民は成熟した」とか書いた人がいるようだが、あきれちゃう。昔の人は多分「正しい事を盾になんでも押し通そうとする」弊害の方に敏感だったんだと思う。若干敏感すぎたのと、実際のパワーバランスが欧米にかないっこなかったから、自己主張が以前より必要なのは事実だったんだろうけど、それは単なる政治的スタンスに過ぎない。どっちが良いかは、何を実現したいかによる。
世界平和を実現したいなら、もっとネゴシエーションするんじゃない?世界平和と国益がバッティングしたらどうすんだろうな…。
「和をもって尊しとなす」と言う事だろ、きっと。

長過ぎる。疲れたよ。

248:2004/04/18(日) 00:40
今回の問題を考える際に国益をいう言葉を用いた場合
その決断が国自体の利益、ひいては国民全体の利益になるのは明白だと思うが
それが齟齬になる場合はまた別。ここで論じる問題ではない

戦闘地域と非戦闘地域がはっきり分かれていない状態だからこそ武装集団を派遣する必要があると思うのだが
丸腰で行くのなら自衛隊じゃなくてそれこそ民間人にボランティアにでも行かせれば良い

イマイチ日記での俺の言いたい事が伝わってないようだ
今回、自衛隊を派遣すべきか否か、という問題は、「誰それが何人殺されたら撤退するか」とかいう次元じゃない
じゃあ○○人殺されたら撤退する、というのならまだ行かない方がマシ

もうちょっと小さい規模で考えよう
近所のI家で火事があった。近隣の住民はみんな消火作業をしている。
某N国だけ、遠くから「あー、みんな頑張ってるわー」と傍観するわけにはいかない。
同じ町内会の一員として、消火作業に携わる責務がある。それをせずに、消火作業が終わった後にノコノコ出て行って「よかったねー、さぁ、石油頂戴」
これが許されると思うかね。

今、東京はいつイラクからテロを受けてもおかしくない状況にある。
また、北朝鮮がいつミサイルを撃ってきてもおかしくない状況でもある。
両者が未だそれをしていないのは、ひとえにアメリカが睨みをきかせているからの他ならない。
今ここで自衛隊派遣について尻込みすれば、国際情勢上日本は非常に分が悪い立場に立たされる。当然アメリカとの関係にも少なからず亀裂・わだかまりが生じることになる。
そうなれば、余計にイラク・北朝鮮からの攻撃が容易になり、より一層の危険に晒されるという事を分かっていない。

では、今自衛隊派遣に反対している国民で、拉致問題を抜きにして「日本はイラクへ自衛隊派遣をすべきではない」とする、明確な根拠を示せる奴が一体どれだけいる?
また、「3人が可哀想だから撤退してあげて」というのは道徳的に見れば正しい事であるし、「見捨てる」という言葉を使ってしまえば人道的にも問題がある。しかしそれだけの理由で「自衛隊は撤退しろ」とするのは余りにも浅はかである、ということだ。


なんか「自衛隊を派遣すべきか否か」の問題と「拉致問題に際して自衛隊を撤退させるべきか否か」の問題が混同してきている。

249ろいろい:2004/04/18(日) 21:58
オレとしては全然混同してはいないが、整理して書いた方がいいならそうする。
こっちの認識としては、「自衛隊派遣の正当性」と「自衛隊派遣の政治性」の2点に分けるべきだと思ってるけどね。君の基準からすれば混同してるかも知れんが、最後まで読めば理解できると思う。整理して書くから。

まずは「正当性」から。
国益に齟齬が無かったら、国内でこんなに揉めないと思うのですが?
この現状が、何らかの齟齬(利害関係か、認識差かは不明)が存在することの証拠に他ならないだろ?
「〜は自明だ」という文体がマイノリティーを抑圧し、体制を崩壊させるのは歴史が証明してるぞ。

君のイラク状況に関する認識は良く分からんが、とにかく政府は危険じゃ無い「非戦闘地域」に軍隊じゃ無い「自衛隊」を派遣する、と言ってるわけで。それに君の日記を読むと「非戦闘地域」での「人道支援」だから撤退する必要は無いと書いてあるように思われるのですが、結局どっちなのですか?
現に小泉クンはこの「戦争じゃ無いよ」的傍証を持ってきて誘拐犯に対して(というかメディアに対して)「何で撤退する必要があるの?」とか言ってたね。
ホントはどうかについては私は何も知らないのですが、多分「グレー戦闘地域」に「グレー軍隊」を送ろうとしてるから、こういう物言いになるんだろうな。身内がどう言おうと勝手だが、現地人は結構危ない場所に軍隊が来たと思ってるんじゃ無いの?
暴論だけど、武器が必要なところは「戦闘地域度」があるんだから、「軍隊」が「戦争」しに行かなきゃだめでしょ。
どっちにしろ、こんな稚拙な理論で正当性を主張するとは、中国の武器商人か?

ここから「政治性」。
「人が何人殺されるか」というのと「石油の取り分はどれだけか(もっとはっきり対応させれば、何ガロンもらえるか)」というのはどっちも低次元で現実ベッタリの議論で、同列に論ずるべき問題だと思うが?つまり、「人がx人殺されるリスク」と「石油がy円分もらえるメリット」を天秤にかけた上で、自衛隊派遣が得かを判定すべきだという事。
同様に「アメリカとの関係」とか「北朝鮮の動向」とかも、定量化できないという差こそあれ、自衛隊派遣の「損得勘定」という意味で同列だ、と私は言っているのだ。
「損得勘定」と「正当性」は独立に論じた方がいいと思うが(どっちも「派遣すべきか?」という日本語をとるからややこしい)、「油は条件に加味するけど、NGOやジャーナリストは条件に加味しない」というのは『余りにも浅はかである』。

敢えてややこしいことを言えば、「人道的見地」とかは「正当性」の方に含まれると思うけど、「正当性」は「人からその行為が正当に見えるか」という「政治的」ファクターとも混同されやすい。「正当性」は「自分が自分で納得するか」だから、極端な話『どーでもいい』。でも人からどう見えるかは政治戦略として大いに語られるべきだ。そして、『自分が正当だと思っても、人からもそう見えるとは限らない。特に敵からは絶対に正当には見えない』というあったりまえな事を念頭に置けば、「自衛隊派遣は正しい」という発言がいかに「間違ってる」かが御理解いただけるかと。

以上の事を念頭に置いて、一応オレが自衛隊派遣をどう思ってるかを書いておく。
自衛隊派遣は「正当」だとは思わないが、派遣したほうが「得だ」。でも反発が予想以上ならとっとと撤退しとけ。1度派遣しておけば、しなかった時に比べれば大分ましだろ。

250ろいろい:2004/04/20(火) 22:36
なぜ放置?
一応君のリアクションを期待しているのですが…。実質匿名じゃない環境だからできる事ではありますが。

結局、何に重きを置くか、という問題に最終的には収斂するので、相手を説き伏せることができるとは思ってません。毎度のことですが。
ただ、討論を通してお互いの視点をトレースし多角的な眼を養うこと、自分が正しいと思ってた事を正しいと思わない人がいることをもっと知る事。それは肥やしになるんでねーかと思うのであります。
「正しい事を減らす」のを続けるのは精神安定上よろしくないかも知れないけど、それを止めた状態こそが「思考停止」と俺が何度も言っていることに他ならない。

自分の意見に周りが同意してくれるのは嬉しいことである。相手に説き伏せられるのは不快なことである。これはある程度は変えられない事実だ。でも相手を喜ばせないと自分が喜ぶようなことは多分してもらえないし、相手に説き伏せられるのは「新たな事を知る」快感へと昇華させられるはずなのだ。
仮定でもいいから、相手の言う事を信用してみる、というのもいいもんだ。

前レスでは、最後のパラグラフ以外にはなるべく価値判断を含まないように努力した。また、君の意見については疑問は呈しているが、否定はまったくしていない。
特に、「石油確保」ファクターについては、まったく正しいものとして議論を進めています。ただ、「人命」ファクターも同列に認めてくれたっていいじゃん、というネゴシエーションなのよ。
俺なりの譲歩なんです。

君の譲歩を聞かせておくれよ。
正直こんな位置にオレのレスが晒されてるのは酷いよ(そこか

251ろいろい:2004/04/20(火) 23:45
とりあえず「死の壁」レビューには消えてもらおう。

>>日記
すごい英語を取るようですね。がんばって。
俺のはずれ英語より更に凄いようです。自分がラッキーだと思えました。

言語による去勢…。あはは、俺が英語最後の課題で書いたことと内容は一緒ですね…。
ただ、そんなかっこいい言葉を使っちゃって、誰に向かって喋ってるんだろうね?
薄っぺらい日本語の文庫で「構造主義入門」みたいのを一冊読めば大分楽になるんじゃない?
お勧めは内田樹「寝ながら学べる構造主義」。俺の眼を信じるなら、読んでおけ。損は無い、と俺は思う。

252ろいろい:2004/04/21(水) 22:50
短いレスで埋めてこのスレッドを短くしよう。

日記がblog化するようですね。
ちなみに、http://blog.tatsuru.com/archives/000080.php
フランス人にはこう考える人もいるらしい、ということ。
俺自身はこの意見には別に賛成ではない(どっちかっていうと反対かな?)が、こういう人の方が多数派だったら、と考えると、微妙ですよね。

253:2004/04/21(水) 23:02
えーと、正直すまん
絶対レスするからちと待ってくれ

254ろいろい:2004/04/21(水) 23:21
>>253
了解。

255:2004/04/22(木) 00:31
自衛隊派遣についての自分の意見だけ書いておく
親と色々話した時にも言ってたんだが

今回の派遣には、前向きな、というか正当性のある理由が存在しない
国際情勢にしろ何にしろ、日本には「行かざるを得ない」とか「行った方がメリットが多い」といった理由だけ
これを良い意味で言い換えると「派遣すべき」と言えるのかもしれない
今回の派遣で何が問題かって、派遣の大義名分があまりにも希薄である所にあると俺は思ってる

細かいレスはまた後で

256ろいろい:2004/04/22(木) 22:32
>>255
抽象的な話ではあるが、同意。
どっちかっていうと、大義名分が無いのに、まるで大義名分があるかのようにして派遣しようとする小泉のやり方が気に入らん。

257:2004/04/25(日) 23:45
なんかさ、今頑張って細かいレス書こうと思って今一度読み返してみたんだけどさ
何となく書いた>>255に俺の言いたい事が全部含まれてる系で書く事ないんだが・・・
まぁそれだけだと御粗末なのでちょっと書こう

今君のレスを見て納得しつつ思ったのが
俺のような、というか派遣肯定派は(別に俺が肯定派ってわけじゃなくてこの議論でって事ね)、自衛隊を派遣した方が得だ、という観点で話していて
君のような派遣否定派は人道的立場や道徳的な観点からの意見であると思う

俺が前から思ってたのは、議論するにあたって、肯定派・否定派がそれぞれ違う観点から物を言うとただの水掛け論になって不毛になるんだよね
勿論それでも相手をねじ伏せて説き伏せられればそれで問題ないんだけど、大抵は互いが前提としてるものの相違のせいで意見がすれ違うだけになりがち
たとえ相手の意見が理解できて、納得できたとしても、「それは分かるけどやっぱり」みたいな感じになる
同じ観点の両端に立って議論するって出来ないのかなぁ。それだと分かり易いと思うんだよね。

258ろいろい:2004/04/26(月) 23:44
>>257
結論から先に言えば、出来ない。
というかだね、利害関係が完全に一致してる相手とだったら(世間話はしても)論争には端からなりっこ無い。これは「論争の目的は対立する利害関係をなんとか解消するため」という命題の対偶だから(柔軟に読んでくれよ)、かぎかっこ内の命題が真なら論理的に出てくる。

所詮ここのような場で行われる「当事者」じゃない人たちによる議論では、「ま、結局立場の違いだよね」とかいう諦めの境地的合意形成が出来て話が終わっちゃうんだけど、実際の現場で戦ってる人たちにそういう事は期待しても無駄だ(正当だったりフェアだったりするよりも、行動する方がよっぽど重要な局面に立っている方々で、私には手に負えない領域です)。我々にはなりふりかまわず自分の主張を通さなくちゃいけない動機が無いのだからしょうがない。

逆に言えば、現場に立てるようなパワフルな人間の原動力は、「何かを実現したい!」という具体的でワンサイドな欲求で、「正しい事をしたい!」とかいう抽象的な理念を崇高に追い求める人は多分毎日本でも読んで一生を終えるだろう。
あえてどちらがいいとは言わない。でも実効性と正当性が両立しない、ということは念頭に置く事。

でも一方で、そんな正当性を重要視したいという欲求が人間一般には少なからず存在するようだ。他人事でも。その正当性を保障すべく立ち上がったのが我々「やじうま主義者」なのだ!
つまり、前説での政治家や官僚の皆さんを「当事者」とし、それに対する我々を「やじうま」と呼ぼうと言う事。なんで「やじうま」かっていうと、2つの狙いがある。

1:我々は決して「当事者」よりも偉く無い(例え明らかに我々の方が絶対に正しくても)、ということを自覚する事。別にへりくだったりする必要もないけど。
2:「やじうま主義」が確立した暁には、世界人類が「やじうま的発言」にもっと眼を向けるようになって欲しい。その結果世の中から自己中言説が少しは減少するのではないかと思う。

ま、批評家と被批評者の歩み寄りだ。馴れ合いと言えばみもふたも無いが、今や名も無い市民も批評家になれる時代(これこそ我々だ)、こういう人たちの声を拾い上げるにはこれしかない!あと、Internetというのがメディアとして生き残るのにもこれしか無い、とか思っている。

政治みたいなシビアな話だけじゃなく、趣味だって同じ事だ。
「ファン」と「アンチ」は必死だから、フェアな視点は持ちっこないのだ。
具体例をあげるまでも無いと思うが、だからこそこれまでのオタク叩きもオタク擁護も本質的には成功してこなかったのだ。「やじうま」なら、もうちょっとクールでいられる。
でも、「やじうま主義」宣言の1で書いたように、クールでも必死な人たちよりカッコイイわけじゃないのだよ。

結論:客観的な視点に立ったり、同じ観点で出発して議論したりすることは出来ない。
正当性を保障された議論には実効性は無い。
だが、正当性を保障された「やじうま的やりとり」は別個に存在すべきだと私は信ずる。

259ろいろい:2004/05/06(木) 23:39
流れを切るのが俺ならば、新たな話題を振るのも俺の仕事だとばかりに。

憲法記念日恒例(?)の「憲法改正」論がGW中新聞を中心に盛り上がってました。ちょっと面白い話があるような無いような。

一番印象的だったのは、「どのような改正がなされるか不明にもかかわらず、『改憲に賛成か、反対か?』という世論調査(及びそれに類するもの)をするのはおかしい」という主張。それを書いた人によれば、海外でよくされる憲法改正というのは、「大統領の任期を7年から5年へ」とか「議員の選挙の方法を間接から直接投票へ」みたいな「現実ベタベタ」な改正らしい。それに対して「9条改正」というのは、多分改正しても「法解釈という専門家たちの手に委ねられる」。だから、なんか変だぞ、と。その人のその後の主張は何やら幼稚だったけど、この着眼点はなかなかよろしいんではないかと。

もう1つ。似たような話にはなってしまうが。
「自衛隊を派遣するべきだ」という命題が真だとしよう。
もし、結論として「憲法9条を改正すべきだ」という命題が出てくる為には、「憲法9条があると自衛隊が派遣出来ない」という命題が真である必要がある。ふつうは。
「自衛隊を派遣するのに9条が邪魔」という命題はある程度正しい。でも、「〜出来ない」という命題は現実から見て明らかに偽であることを得る。
要するに、「法解釈でその場凌ぎで自衛隊を派遣する自民党には、自衛隊派遣のために9条改正を唱える大義は無い」という主張である。
これも誰かのパクリだけど、これはなかなかシャープで好きだった。

PS:ブッシュは凄いね。感心するよ。アメリカ兵が捕虜虐待してたというのが明るみに出た時の対応が「彼等は厳正に処罰する」だもんな。アンタ総司令だろ!
民間の会社だったら古今東西まず謝罪、日本だったら100%辞任だぞ(辞任するのが正しいとは言いませんが、ブッシュにはやめてほしい)。
これほど当事者意識の低い最高為政者も珍しいのでは無いだろうか。

260:2004/05/28(金) 23:05
うへぇ。すっかり存在忘れてた。放置プレイッ!・・・いやスマソ。

9条改正を唱える大義は無いが、9条を改正した方が自民党の判断に大義があったように見せかけられるからそれでヨシとするのが今の情勢らしい

PS:ブッシュは凄いね。感心するよ。旧アブグレイドだけじゃなく、他の刑務所でも虐待が行われていたことが次々と明るみに出て、ただの末端兵士じゃない将校クラスの兵士まで関与していた事まで明らかになってきたのに、「一部の兵士の行動」で済まそうとするのが逆に清清しい。
上手い回避の仕方も分からず世論悪くするだけの猿ならさっさと大統領やめたら?

261ろいろい:2004/05/31(月) 23:14
うわお、すっかり忘れられてると思ってた。でも俺の方が気付くの早〜い。

×アブグレイド
○アブグレイブ
ブッシュも演説の時間違えてたけど、奴はどう間違えたんだっけな?

何にしても、小手先で本論を摺り替えようとするのは古今東西どこでも使われる手だと言う事だな。
9条だけじゃないけど、憲法というのは「何を定めてるのか良くわかんない」ものが(部分的に)含まれてるわけで。
きっと法学的には「理念」とか「概念」とかだと思うんだけど。
三権についての「何を定めてるか良く分かる」部分を改正するのはすんなり議論出来ると思うけど、そうじゃない部分は、ねぇ。
まず「何を議論してるのか」について議論しないと…。

262:2004/06/01(火) 01:35
憲法だけにとどまらず、法に定めてあることなんてごく一部のことで、しかも曖昧。
ようは考え方。だからこそ法解釈学ってのがあるくらいで。
ちゃんと一本化された矛盾のない完璧な法なんて作成不可。

263ろいろい:2004/06/02(水) 22:43
専門家(相対的には、ね)にぶっちゃけられると話が続かないなぁ。

この話だけに限らず、ニュースを見てて日々思う事はさぁ、「世の中の人が合理的な行動を取るとは限らない」どころか、「どいつもこいつも全然合理的な行動を取って無い」つー事です。

理由は「感情系」と「能力不足系」に大別されるけど、とにもかくにも非合理的な連中ばかりで予測もコメントも出来ずに困るこの頃。
相手の行動と「相手は目的に向かって合理的にいろいろ画策している」という仮定のもと相手の目的を逆算して交渉を上手くやる手がかりを掴もうと思うのに、これが全然ダメ。
だから憲法改正もホントは何のために改正するのか分からんし、人を殺しちゃう理由も、自爆テロする理由も、リコール隠しする理由も、急に経済が回復したように見える理由も、隣の友達がいきなりキレちゃう理由も分からんのだ。

結論:想像もつかない事につけるコメントはございません。

何やらストレスが溜まってるらしい。自分の行動が非合理的だったり自分が交渉下手だったりするから、逆にこんな事言うのかな?

264ろいろい:2004/06/03(木) 23:21
日記にレスですよ〜。

小6の話ですけど、短絡的「ネット悪い」論調はもちろん気に喰わないし、君の主張は正しいと思うのですが。
ネット中毒者がネットでそんな話をしても説得力のかけらもないわけで、もうちょっと違う話を。

ま、なんつーかですね、オレが気に喰わないのはそういう短絡的な「悪い原因を特定する」姿勢もさることながら、問題が発生すると、「まずこいつはイレギュラーだ」という前提から出発するってことだ。
いや、今の大人の人はネットで対人トラブルを抱えたことはないだろうけどさぁ。
子供のころはケンカして頭きて「こいつぶっ殺してやる!」とか思ったことあるだろ?
それを実現しちゃうのと思うのとは凄い隔たりがあるし、その思いがどれほど持続するかは人によりけりだと思うが、何が言いたいかと言うと。

特に少年犯罪において、動機を探ることほど無意味な事は無い。
頭のイイ大人が考え抜き耐え抜いた結果殺したのとは違って、「ムカつく」即斬なわけだ。
それは嘘をついちゃいけないよって言われて、嘘をついたらバレるという経験則を持っていてもなおその場を乗り切るために嘘をついてバレて怒られる子供が減らないのと同型だ。

今日の結論:人を殺したくなるのは当たり前。夜泣きする赤ん坊が憎いのも当たり前。そこから始めた方がいいのでは?

ついつい自戒の念がこもってしまうので、今日はここらでやめときます。

265ろいろい:2004/06/04(金) 22:26
つづーき。
とりあえず殺しの話は一区切りで、「因果的決定論と自由意志」の話。

えぇっと、この手の話は自分で納得して解決したことにして忘れてるのでどういうふうに落とし所を作ったのかよく覚えてないのですが。
少なくとも言えることは、「因果的決定論」と「自由意志」と「両立」の意味する所が非常に広範囲で曖昧だなぁと。特に一つめ。

自分の信じている因果決定論は「全ての物事にはなんらかの原因がある、しかしそれが『単一』であるとは限らない」という感じです。後ろの注釈をわざとらしくつけておくと、自由意志と上手く両立できそーな感じ。
この問題の基本的な構造は曖昧な言い方をすれば「貴方の意志は因果論に支配されてる」という指摘に立ち向かえないことだが、ちょっと小細工を1つ。

自由意志というのは、先程「『単一』だとは限らない」という物事の原因を「これだっ!」と特定することに起因している。なぜなら、論理的に無限に存在しうる原因をいくつかに絞らないと物事を考えられないわけで、それを考えるようにしてるのがその人の意志なんじゃないかと。言い換えれば、「自由意志」とは「選択」である。
でだ。この人の意志決定も誰かに「原因」がある事を指摘されうる。「経験」とか「文化」とか「原初的抑圧」とか。が、その指摘をしたBさんは自分の「自由意志」でその原因を見つけたことが自由意志の定義から自明に引き出される。というわけでいつまでたっても自由意志を取り出す事ができるので、因果的決定論と自由意志が両立されました。

と思いつきで詭弁を展開してみましたが、参考になりましたか?
かなり逃げの姿勢での反論だけどね…。ちなみにこれは俺の本心とはまったく無関係です。自分の納得のしかたはもっと単純お気楽です。

266:2004/06/05(土) 00:54
真面目に考えるなら問題提起から真面目にやろう。

因果的決定論=全ての自然界の出来事は(一つに定められた)過去と(人為では変えられない)自然法則によって導かれる。故に未来は一つしかない。
ここで扱ってるのは、一つしかない過去と自然法則による「単一の」原因から、単一の未来が生み出されるってことやね。
てなわけで、この授業で君の意見を述べるとすると因果的決定論を否定していることになるのだが。だってこの前提だと物事の原因は論理的に一つに定められてるからね。
自由意志でその原因を見つけた事が因果的に決定されてた、とするとどうでしょう。

俺の意見だと、こうなってしまうと因果的決定論はどこまで行っても因果的に決定されていた、で帰結してしまうので、反証可能性なし→因果的決定論排除。という方向で。

また一歩先の問題提起もあるんだがどうしようか。まぁこれはまた後にしよう。

267ろいろい:2004/06/05(土) 22:52
えぇっと、理系に対する挑戦ですか?
君の言う所の因果的決定論は理系コトバで言えば「適切の初期条件の組を使ってある系にかかる全ての力を組み込んだ運動方程式を解けば任意の時間tにおける位置及び速度が分かる」という事ですが、これ、ちょっと待って欲しい。
まぁ量子力学の範囲ではこれは成り立たないことは見逃すとしても、問題は2点ほどある。まず第1に、「全ての力を組み込んだ」運動方程式を用意出来るか、という問題。だって、これが全部だって保証してくれる人はいないですから。第2に、観察者の系や座標の取り方によって話が変わるという問題。哲学の世界だけでなく、物理学というか科学の世界でも「観察者」無しの現象は存在しない。ま、仮定に突っ込むのはとりあえずこのぐらいにしておくが、個人的にこの因果論は信じない。だって前から「かわいいから惚れたんじゃなくて惚れたからかわいい」って言ってるじゃない?

さてと、君が反証可能性が無いからダメなんて言うなんて驚き。授業受けてるのね!
どちらにしても、とある現象の原因として「これは原因ですが、これは原因ではありません」と断言できる局面を想像出来ないので。数学的に想定することが可能かも知れないけど…。
っていうかあれだ。こんな決定論が矛盾しない体系かどうかのほうが怪しい。
そしてきっと授業でやったかやるか知らないが、矛盾した前提からはどんな結論でも引き出せますから、こんな議論は無意味ですね。

とかテキトーにごまかしたものの、自分の嫌いなことを理系コトバを使わずに論破する方法が思いつかなかった。理系でついてこれそうでしたら、やりますが…。

268:2004/06/09(水) 01:14
俺の言う所の、じゃなくて哲学のK先生の言う所なんだが。
つかそこに突っ込まれたら授業内容否定されるので糸冬。

ここで一つ小さな提起。
かわいいから惚れたのではない、惚れたからかわいいのだ
もしこの人が面食いな人であったなら
惚れたからかわいい、しかしそもそも何故惚れたのか?→かわいかったから
かわいいと思ったのはその子に惚れていたから→惚れていたのはかわいかったから

あんるぇー。てか俺このパターン

269ろいろい:2004/06/09(水) 23:21
じゃあ君と討論する、という土俵においては「惚れた問題」について語る方が生産的だな。
というわけでいつもよりもうちょっと丁寧にこの話を。

「かわいいから惚れたのではない、惚れたからかわいいのだ」というのは、ちょっと響きをよくするために説明を端折ってる部分がある。格言には良く有る話だ。

通常、「A、だからB」という時には、「Aだったとする。すると、当然のごとくBとなる」、もっと言えば「『今』Aになりました。『その後』当然の帰結としてBになりました」というわけで、少なからず「時間的」概念と「因果的」概念が含まれている。
君の哲学の先生の言う所では、因果的概念は時間的に一方向に対応するわけなんで、この混同は何ら問題ないわけだが、私の哲学はそこを問題にしているのだ(だからこそ、これを例としてあげているわけだし)。

俺が「かわいいから惚れたのではない、惚れたからかわいいのだ」と言う時、以下の命題は真では無い:「惚れる前にはかわいくなかった」
しかし、これは真だ:「惚れる前にはかわいいことに気付かなかった」

つまり、「かわいい」ということが「惚れる」ということの原因である事は十分に「ありうる」。しかし、その子が「かわいい」という事実はその子に「惚れる」行為によって「間接的に」観察されるはずなのだ(惚れなくてもかわいいと思う事が有るのは大いに認めるが、それは言語上の問題で惚れてるときのかわいさとそれ以外のかわいさには天地の差があると私は思うのでこの問題には関係ない事にしていただく)。
そこの観察が「一意的」であるかどうかがちょっと前の俺の論点だったわけだが、とりあえずこれも今は関係ない。
重要なのはこれだけだ:「惚れて無い」けど「かわいい」ということは無い。かわいいと思った瞬間(もしくは直前)にもう惚れているのだ。

これは多分純粋に科学的問題にも言えることだと自分は思うのだが。
ふつーの人は(理系文系問わず)ここに「長さ」や「重さ」や「時間」があって、そこに力が加わって『運動』が発生すると思っているだろう。
でも、この1重かっこでかこわれた全ての概念は運動を介してでなければ観察出来ない、という致命的な問題がある。
俺の中の哲学ではこれが(特殊)相対性理論の柱だと思ってるのだが。
相対性理論ではこのへんの1重かっこが変化するという技が出てくるけど、これは古典的な意味でのこれらの量の定義を無視してるわけで、目くらましと言うほか無い。要するに、基準点を物理量から運動の方に移しちゃったわけだ。

まぁいいや、物理の話はここまで。
結論:「惚れることによってかわいいことに気付く」を短縮してセンセーショナルに言うと、「惚れたからかわいい」ということになる。
今日のポイント:原因があるから結果がある、というのが「原因」と「結果」の定義だが、「原因→結果」の順序で見つかるわけでは無く、往々にして逆である(ちなみに、この主張は「未来予測が出来ない」という現状から自明に引き出される。未来予測が出来ない哲学的理由はとりあえず略)。

270:2004/06/10(木) 23:35
>「惚れて無い」けど「かわいい」ということは無い。
理解不能。
何故だ?もしかして可愛いというのは顔だけの範疇を超えた話をしているのか?

>惚れなくてもかわいいと思う事が有るのは大いに認めるが、それは言語上の問題で惚れてるときのかわいさとそれ以外のかわいさには天地の差があると私は思うのでこの問題には関係ない事にしていただく
ここを関係ないことにしていただいても。ここが重要なのに。可愛いと惚れるは全く別問題だと思うが。
てか俺が可愛いと思ったコに全員惚れてたら㌧でもないことになる。そうでなければ俺と君の"かわいい"の概念が根本から違うことになる。

271ろいろい:2004/06/11(金) 13:45
ひょっとして議論がかみ合わない理由はこの辺にあるのかなぁと思ったらやっぱりそうか。

>てか俺が可愛いと思ったコに全員惚れてたら㌧でもないことになる。そうでなければ俺と君の"かわいい"の概念が根本から違うことになる。
君の主張は「かわいいと思っても惚れないことがある」ということだ。
だが、その文章が真だという世界認識の上で「かわいいから惚れた」という言説を吐く事はできないと思うが。
「この子はかわいいです。惚れてます。あの子はかわいいです。でも惚れてません。ちなみに惚れた理由はかわいいからです」とか言うやつがいたら俺は切りつけてるぞ。
君の言いたいことは感覚的には大いに賛成だが、全然論理的じゃない。

いいか、自分のことだと思わずに客観的に文章を眺めろよ。
科学、哲学、この世の学問と呼べそうなすべての領域において経験則による原因と結果の法則っていうのはこういうことだ。
「もし、原因となる出来事をある系に与えたら、必ず結果が起きる」
万が一、原因だと思った出来事が起こったのにもかかわらず、結果が起きてしまったら、科学者はこう結論する。
「あぁ、これは原因じゃなかったんだな」

もし「かわいいから惚れた」というのを生かすなら、解決策は2つしかない。
1:気づいてないだけで、かわいいと思ったやつには全員惚れている、とする。
2:「惚れるぐらいかわいい」と「惚れない程度にかわいい」の2種類があってそれを混同している。

これに同意できないとしたら君は世界中にある「因果論」と呼ばれる言説をすべて否定することになるぞ!

272:2004/06/11(金) 18:33
携帯からなので手短に。
そもそも"かわいい"という概念を論理に組み込もうってのが間違いだ。
そうしようとするから"かわいい"を1種類ないし2種類に限定する必要が出てくる。
現実には程度ってもんが存在するだろ。ちょっとかわいいと思うのも死ぬ程かわいいと思うのも同じ"かわいい"の一括りの中じゃねーの?
それを感覚論だとして切り捨てるなら議論の意味無。
じゃあ惚れた奴以外の世界に存在する全ての女は"かわいくない"と?
かわいいの取り方が違って互いに譲らないならこれ以上は無駄かと思うのだが。

273ろいろい:2004/06/11(金) 21:38
今度はこちらがさっぱりわからない。
かわいいの取り方なんて関係ない。程度があろうがなかろうが御自由に。
惚れるボーダーラインがはっきりしてようが曖昧だろうがそれもフリー。

俺は単にこう言ってるだけだぞ。もう一度言うぞ。
「『かわいいから惚れた』のなら、その文章の意味において『かわいい』場合には必ず『惚れる』という事だ」
かわいいの定義なんかこの論理形式には一切関わって無い。『かわいい』を『波動関数の量子数nlmsが一致するエネルギー準位に属している』に変えたって論理的意味には違いがない。今重要なのは「原因」と「結果」の話だ。原因と結果の定義しか問題になってない!

『かわいい』という単語が君にとって曖昧だという事はとりあえず認めてもいい。でも完全一致した『かわいい』ならば上の命題は自明!その上で、『かわいい』についてどんなファクターが一致すれば十分なのかを再検討すべきなんだ(「程度」なのか、「質」が違うのか)。そこが上手くいかない可能性があるが、まずはこの順序について整理しておきたいのだが?

君はこの議論に対して「『量子数』というのがよくわからんので話ができません」と言ってるのだぞ?
これが理解できないはずは無いと思うのだが。純然に論理の問題だ。
このレベルが無駄だと言うのなら、君と討論は出来ないという結論に達する他無い。

274:2004/06/11(金) 21:51
全くかみ合わないな。
何故かわいいの程度を認めた上でそんな見解が出てくるのか?

思うに君は[かわいくない<惚れる<低度のかわいい<高度のかわいい]
と解釈しているのではないか?

俺は確かに"かわいい"が惚れるまでいかない度合いがあるんじゃないかと言ってるんだが。

>じゃあ惚れた奴以外の世界に存在する全ての女は"かわいくない"と?
この疑問に答えて欲しい。

俺はかわいい=惚れるという等価の関係、またそれら二つだけの間における因果関係はないと思ってるが。

275:2004/06/11(金) 21:56
誤解がないように補足
>俺はかわいい=惚れるという等価の関係、またそれら二つだけの間における因果関係はないと思ってるが。
この部分はかわいいから惚れるというのが有り得ないという事を言っているのではない。

俺は理系じゃないんでどーのこーのってのはイマイチ分からんがこう言うとどうだ。
かわいい度が1〜100まであるとする。この程度の差は君も認めてるんだから問題ないよな?
この相手に対するかわいい度が80に達した時点でそのコに惚れるとすると、50かわいいと思っていてもそのコに惚れてはいないことになる。

276ろいろい:2004/06/11(金) 23:42
むーん?

>思うに君は[かわいくない<惚れる<低度のかわいい<高度のかわいい]と解釈しているのではないか?
NO。なぜ「惚れる」が「かわいいランキング」中に入る?

>じゃあ惚れた奴以外の世界に存在する全ての女は"かわいくない"と?
「かわいいから惚れた」という文章内の意味においての「かわいい」なら、YES。

>かわいい度
これじゃ「高度のかわいい」と「低度のかわいい」に分けても変わらんじゃないか。

>俺はかわいい=惚れるという等価の関係、またそれら二つだけの間における因果関係はないと思ってるが。
そういう事を認めるのが重要だ。
ていうかこれはもうちょっと前で言った「俺の因果論」で一般的に言ったことなんだが。「原因は1つとは限らない」。
その上で、何故君は「かわいいから惚れた」と思うのか、もしくは言うのか、ということが重要なのだ。
だって、かわいいだけじゃ惚れないんでしょ?
それは君の「解釈」や「観察」や「推測」が介在してるのではないか、と問うているのが>>269だ。
もっとも、前提が変わった今そのまま読むと反論できてしまうが…。

別に俺は原因を特定しろと言っているのでは無いし、かわいいを定義しろと言っているのでは無い。そんなもの曖昧で当り前だ。
だが何度でも言う。
何故「かわいいから惚れた」のだと言い切れる?

277:2004/06/12(土) 16:52
かわいいという一つだけの理由で惚れるという事ではないぞ
…そうしたら無意味になるのか?

他の内面まで加味した結果全体的な人間を考慮した結果惚れる。
まぁ実際惚れる時にはこんな冷静じゃないだろうが。

その人を判断する材料がいくつかあった上で、その比重が一番重いのが"かわいい"であればかわいいから惚れた、と言えるのでは?

278ろいろい:2004/06/12(土) 23:43
うーむ、非論理的な答弁。

>その人を判断する材料がいくつかあった上で、その比重が一番重いのが"かわいい"であればかわいいから惚れた、と言えるのでは?
比重は比重で役に立つ概念だが、もう一度言うぞ。しかももっと丁寧に言うぞ。

「かわいくなくても惚れた」のなら、「かわいい」は全く「惚れた」の原因では無い。
「かわいいけど惚れなかった」のなら、「かわいい」の全体は「惚れた」の原因では無い(一部は原因かもしれない)。
「かわいい」に程度や種類を許せば、部分的に原因となりうる、と言う事。


これは原因と結果という言葉の定義だ、何度でも言うぞ。
これに不満があるならここに意義を唱えろ。てきとーにごまかすな。

原因が単一である必要は無い。でも「原因のセット」は単一である。
君も聞いたことあるはずの数学用語で言えば、「原因のセット」と「結果」は必要十分条件である、もしくは同値である。
原因のファクターをAnで表し、結果をBで表せば、
「A1かつA2かつA3…」ならば「B」、かつ「B」ならば「A1かつA2かつA3…」
ちょっと考えてみれば分かる事だが、Aの要素は増えても減ってもこの関係は崩壊する。

実際のAとBの関係の仕方を調べれば、比重とかが分かるかも知れない。
けど、Aに属しているか居ないかは構造を調べなくても表面的な実験の繰り返しで(ほぼ)判定出来る。
特に、「惚れた」というような問題に対して構造を調べるのは現実的では無い。

で、Bが「惚れる」だとして、Aに「かわいい」は入っているのか、その時の「かわいい」は一般的日本語のかわいいとは何が違うのか、というのが第一の問題。
第二の問題は、もうとりあえずいいや。

279:2004/06/13(日) 00:40
>「かわいくなくても惚れた」のなら、「かわいい」は全く「惚れた」の原因では無い。
かわいい、が惚れる原因の第一順位だと仮定してるのだからかわいくなかったら惚れないだろうよ。

>(一部は原因かもしれない)
だから惚れる原因の一部としてかわいいという理由があると書いたつもりだったが。

俺のどこが誤魔化したのか聞きたい。
殊討論に関しては君は俺より上だと思ってるみたいだし、俺も全くその通りだと思う。
しかし今回の件に関しては君の言ってる事に反論どうのこうの以前に全く理解出来ん。

>で、Bが「惚れる」だとして、Aに「かわいい」は入っているのか
だから惚れるの一因がかわいいだと(ry

>その時の「かわいい」は一般的日本語のかわいいとは何が違うのか
どういう違いがあるのか俺が知りたい。"顔カタチ"がかわいい以外に何かあるか?

じゃあもう一例。
道路歩いていてすれ違った女の子に対して"あ、今のコかわいい"と思う事は?皆無ですか?
皆無だとすれば俺の常識では考えられないが君の理論は素直に受け入れられる。
で、その子と何かで知り合って、性格激悪ならかわいくても惚れない。性格も良くウマが合うなら惚れる。
えらく単純化したが。

280ろいろい:2004/06/13(日) 22:51
俺は君がなぜ理解出来ないのか理解出来ん。
>殊討論に関しては君は俺より上だと思ってるみたいだし、俺も全くその通りだと思う。
別に今の俺は君を論破するモ−ドでは無い。ただ君に自説を説明してるモードだ。
それに、ハッキリ言って君が俺の想定よりバカなのか、それとも自分がバカなこと言ってるのか分からなくなっていてちょっと悩んでる。感情的になりつつあるのは事実だが、そんな風に言われちゃうとちょっとショックだす。

さて、一言。
俺は「かわいいから惚れるのでは無い」とか、「かわいいから惚れたと何故言い切れる」とかいう主張をしているのだよ、ずっと。そんな人に「かわいい、が惚れる原因の第一順位だと仮定してる」とか言うのはどうよ。それじゃお話にならんだろ。萎えちゃうよ。
繰り返すぞ、何度でも。俺の明示的な前提は「原因と結果の定義」だけだ。

新たな説明方法を思い付いたが、長くなるので一度送信する。

281ろいろい:2004/06/13(日) 23:15
いや、レスがまだ終わって無かった。3連投になるかも知れんが許せ。

>どういう違いがあるのか俺が知りたい。"顔カタチ"がかわいい以外に何かあるか?
いや、私は知りませんけど、「かわいい」の中に種類がいくつもあったら、惚れるに対応するかわいいは「かわいい」全体とは違ったものになると。
まぁ、今までの話が分からないとなるとこれじゃダメかなぁ。

>道路歩いていてすれ違った女の子に対して"あ、今のコかわいい"と思う事は?皆無ですか?
ありますよ。だからそれは違うかわいいなんじゃないかと言いたいの。

雲ってあるでしょ。空気中に浮いてる水滴のあつまりだけど。
雲の中にも種類があるわけ。気象の世界では10種類あるんだけど。
分類方法としては、出来る過程で分けるとか、形状で分けるとか思い付くけど。
所詮曖昧なんですよ。気象の世界では存在する高度と形状で分けますが。
特に、積雲系と層雲系は「成立過程」が明らかに違うのですが、実際は「形状」でしか判別できません。
でも、全部雲ですよ。当り前です。雲といえば「空気中に浮いてる水滴の集まり」。それしか無い。
『それ以外に何がある?』。それでも分類は出来ますとも。
実は霧と区別が難しい雲があるので、話はさらにややこしいのですが…。
かわいいの種類も、「惚れたかどうか」という結果=形状=観測結果から分類してもいいんじゃないかと思うのです。

ま、とにかく長文を待て。

282:2004/06/13(日) 23:27
途中みたいだから一言だけ。
>俺は「かわいいから惚れるのでは無い」とか、「かわいいから惚れたと何故言い切れる」とかいう主張をしているのだよ、ずっと。
例が悪いかもしれないが、いくら全体的な人間がよくても、顔が果てしない不細工ならば(かわいくなければ)惚れないから。

>雲
その例ならば、俺は雲とは顔で、それぞれの雲に特徴があるように顔にも特徴がある。
入道雲が好きで筋雲が嫌いなら、小西真奈美が好きでサトエリが嫌いってこともある。
と解釈した方が上手くいくと思うのだが・・・

283ろいろい:2004/06/13(日) 23:34
仮定1:論理構造が同じなら、代入される言葉が違っても基本的には論証の正しさは変わらない。
仮定2:以下の論証Aは正しいとする。

論証A:
おたくだから必ずキモいわけでは無い。だが、経験的には無関係でも無い。
だから多分「キモいおたく」と「キモくないおたく」がいるに違い無い。
そこで、前者を「ヲタク」、後者を「オタク」と呼ぶ事にする。両者を合わせたものがひらがなの「おたく」。
尚、ここでの命名は暫定的なものであり実社会で使われている意味とは無関係と考えて下さい。
現段階では「ヲタク」と「オタク」を分類する方法は確立されていない。
例えば、「鉄道おたくはオタクだ」とか、「バンダナはヲタクだが、ビームサーベルはぎりぎりオタク」とか言うような命題は検証出来ない。
そういう意味ではこの分類は未だ曖昧だが、確実に分かる事がある。
「ヲタクだけどキモく無いという事は無い」「キモい時は(対象がおたく集合に属してることがわかるなら)必ずヲタクだ」
この2つの命題は100%正しい。
また、このような分類は正当である。

結論:次の論証Bを得る。

論証B:
かわいいから必ず惚れるわけでは無い。だが、経験的には無関係でも無い。
だから多分「惚れるかわいい」と「惚れないかわいい」があるに違い無い。
そこで、前者を「カワイイ」、後者を「萌え」と呼ぶ事にする。両者を合わせたものがひらがなの「かわいい」。
尚、ここでの命名は暫定的なものであり実社会で使われている意味とは無関係と考えて下さい。
現段階では「カワイイ」と「萌え」を分類する方法は確立されていない。
例えば、「アイドルに感じる感情はすべて萌えだ」とか、「」とか言うような命題は検証出来ない。
そういう意味ではこの分類は未だ曖昧だが、確実に分かる事がある。
「カワイイけど惚れないという事は無い」「惚れた時は(原因がかわいい集合に属してることがわかるなら)必ずカワイイと感じている」
この2つの命題は100%正しい。
また、このような分類は正当である。

主張:以上の様に分類した上で、私はまず「カワイイけど惚れないという事は無い」(上で述べた)を認めて頂きたい。

注意:反論する場合には次の手順に沿ってもらいたい。これはお願いです。
まず、論証Aへの反論を述べてください。
しかるのちに、論証Aに無くて論証Bにある不満があるなら区別して述べて下さい。
これによって話が噛み合わない理由をあぶり出そうと思っております。

284:2004/06/14(月) 01:13
論証A→正しい

論証B
かわいいからといって必ずしも惚れるわけではないのは、他に惚れるための要素があるから。
君の話は、どうも惚れる惚れないの原因をかわいいだけに求めているような印象を受ける。
なので、惚れる惚れないという違いが出てくるのは、かわいい、という要素の違いから生まれるのではなく、それ以外の要素の組み合わせによって得られるのである。

なので、俺はかわいいを分類すること自体に疑問を覚える。
かわいい、それはそれとして、他の要素も加味した結果どうなるかって話。

285ろいろい:2004/06/14(月) 21:34
ふーん。前進があったような無かったような…。予想通りのようなそうでもないよな。

じゃあさ、君の論証Bへの反論を論証Aでの言葉で表現してみようよ。

おたくからといって必ずしもキモいわけではないのは、他にキモくなる要素があるから。
(君の話は、)どうもキモいキモくないの原因をおたくだけに求めているような印象を受ける。
なので、キモいキモくないという違いが出てくるのは、おたく、という要素の違いから生まれるのではなく、それ以外の要素の組み合わせによって得られるのである。

この反論も成立するってことになる?ならない?それを聞いた上で、原因-結果論を吟味し直そう。

>かわいい、それはそれとして、他の要素も加味した結果どうなるかって話。
前からそうだけどさ、かたや「惚れる第一要因はかわいい」だといい、かたや「かわいいだけじゃ惚れない」といい、きっと君の中では矛盾して無いんだろうけど、そこが納得行かない。第一要因が満たされても十分じゃ無い、ということでは「かわいい」はそれ単独では「惚れる」の原因足り得ない、ということに思える。
だとすれば、「かわいいから惚れた」という命題自体が否定される気がするわけで。

286:2004/06/14(月) 23:19
おたくに関して。正しいんじゃねーの?

かわいいだけじゃ惚れないってのは一般的な話。
他に色々要素があって、ただそん中で俺が顔の好みを重要視してるだけの話。
極論言えば別に"かわいい"じゃなくても成り立つじゃん。性格が良かったから、でもいいし。
かわいいから惚れたってのはあくまで俺の話だ。もとい面食いの人。

じゃあさ、普通に出てくる疑問として、何故惚れるの?
例えば何をして君は女の子に惚れるのか?それが聞きたい。
ここから違いも分かるだろうて。

287ろいろい:2004/06/15(火) 22:18
>>286
手短に行こう。

第1段落:何故おたくに関しての反論が正しいと思えるのにも関わらず、貴方は論証Aに問題を感じなかったんですか?それも、君が論証Bに疑問を感じた感じ方なのにだ。それが知りたい。

第2段落:
別にかわいいじゃなくても結構ですよ。じゃあ、やっぱり一部の人はかわいいから惚れたのだと言い張るのですね。その人達の間では「かわいいけど惚れないと言う事は無い」は真になりますか?(当然のごとく、あとでかわいいは他の価値観に置き換えられることは念頭においている)

第3段落:
うむ、ふつーだな。そこには事態が収拾してから行こうと思ったのに。
というかそれを説明して納得できるなら話は終わってしまうのだが。
結論から言えば、私個人に限れば「何故惚れるのかはわからない」。ただし、原因なく惚れる、と言っているのでは無い。
なぜならば、惚れてからでないと惚れた理由は調べる事は出来ないが、惚れてからじゃ惚れる前の事なんか全然分からないからだ。
その上で、もし惚れる前にそれほどかわいいと思って無かったにもかかわらず、今かわいくてたまらないと思うなら(そしてその変化こそが惚れるというものだと個人的には思うのだが)「惚れたからかわいい」と言える。
特にここで「かわいい」を前段で使った「カワイイ」に置換すればこの主張はより強固になる、というか条件文がほとんど意味を成さなくなる。

偶然今日拾ったニュースにいいものがあったので貼っとくぞ。
http://www.japanjournals.com/dailynews/040614/news040614_4.html

288:2004/06/15(火) 23:28
ごめんね。おかしいと思って今論証A読んだら明らかに同意ではない。
ヲタクの例での俺の意見は>>285だね。

>やっぱり一部の人はかわいいから惚れたのだと言い張るのですね。
んー、だからさ、この表現自体が惚れる原因を"かわいい"一つだけに絞ってるじゃん。それじゃ語弊がある。
いくら顔が好みで絶世の美女だったって相手が妲姫並の悪女だったら誰も惚れないでしょ。

惚れたから主観的なかわいさがUPするのは分かるけど。
というか「何故惚れるのかはわからない」といわれたら後に何も続かん。
惚れる前には惚れた後は論じられないし惚れた後には惚れる前を論じられないなら全ての論理が覆されるし。

289ろいろい:2004/06/16(水) 23:42
失恋に近いダメージを喰らったので恋愛について語る気にもなりません。
もうちょっとで結論に辿り着きそうなんで、やめたくないのですが、こんな話をすると精神分裂しそうなくらい鬱なんで。
くわしくはヲタスレ参照ということで、今日は勘弁。

290:2004/06/17(木) 00:06
2次元の失恋ね。はいはい。
人として断れない用事が知りたいと思う今日この頃。

291ろいろい:2004/06/17(木) 23:00
>>290
用事はヲタスレに少し書きました。2次元じゃないから!新谷良子をバカにするやつはオレが許さねえ!
とか言いつつヲタスレで自虐的バカにしてる発言をしてる自分が可哀想。こんな事で失恋などと大騒ぎする理由については自分の悲しい過去について語らねばいかんのでお断りします。

さて、本題。
えっと、書く事整理してたんだけど忘れちまった。

>この表現自体が惚れる原因を"かわいい"一つだけに絞ってるじゃん。それじゃ語弊がある。
こだわるね。若干数学的素養が必要になるから物事を単純にしようとしてたんだけど、ダメならしょうがない。
惚れる原因は単一である必要が無い、と前から言っている。
だから、惚れる原因というのは「一定基準以上かわいい」「一定以上性格がいい」「一定以上スタイルがいい」(以下略)という複数のパラメータの組み合わせによって表現すればいい。
パラメータは無限に存在してかまわない。「オレはルックスにはこだわらない」という人は「かわいい」パラメータの基準を0にすればいいだけ。
つまり、マニアックなパラメータ(例えば、「一定以上萌えボイス」「一定以上オタクに理解を示す」とか)もあらかじめ全部組み込んであると想定すれば、これはどんな人にでも適用可能なモデルとなる。
このモデルの上でも、前の議論は成立するはずだ。
すなわち、「ある人の『一定基準パラメータセット』を満たす娘が居たら、その人はこの娘に必ず惚れる」。
繰り返すけど、これは「原因と結果の定義」だよ。
そして、自分個人としてはこれには違和感を感じるのだが、どうよ?

>惚れる前には惚れた後は論じられないし惚れた後には惚れる前を論じられないなら全ての論理が覆されるし。
そうだねぇ。「全て」かどうかは疑問だが、今までの話は無意味だなぁ。
無意味だと言ってもらうためにこれまでがんばってきたわけで。
オレはこの前提を信じてるから、「なんで『かわいいから惚れる』って言い切れるの?」と言い続けてる。

結局のところ、原因なき宙ぶらりん状態に人間は耐えられないわけだ。
だから、「恋」などという精神疾患にも原因を求めたがる。
オレも、原因が無いとツラい。
でもさ、原因がある「恋」なんて、全然ロマンチックじゃないよな。
だってさ、上の方の議論から出てくる(出すつもりだった)話で、「今惚れてる女よりかわいい(パラメータ評価が高い)娘が出て来たら、そっちに惚れるのか(もっと言えば、両方に惚れるのか、前の感情は廃れるのかという問題もある)」。
そんなの「惚れてる」って言わない、とロマンチストは思うわけだ。

結局、「かわいいから惚れる」も「惚れたからかわいい」も現実を正確に言い当てる事は出来ない。
要は自分が「どちらの物語を選択するか」。

「かわいいから惚れる」を取れば、原因無き病気と闘う苦しみから解放されるが、「恋」の甘さは半減する。
誰かと付き合ってたって、街を歩く美人に眼を奪われ、その当然の帰結として心も奪われかねない。

「惚れたからかわいい」を取れば、原因不明の病気を抱えて生きる事になるが、「恋」は終わらない。
だって、「惚れたからかわいい」のだから、(同時に2人に惚れないとすれば)この女よりかわいい奴は存在し得ない。
街を歩く美人とは、「かわいい」の種類が、次元が、違うのだ(2次元とかじゃなくて)。
思う存分「恋」をエンジョイ出来る。

なんとなく疑っちゃうんだけど、君、「恋」したこと有りますか?
オレは、アイドルとか抜きにしても、ちゃんと有りました(懐かしい話だ)。
「天駆ける硬派天才ロマンチスト」を自称する私としては、自分を騙せないし、スイートじゃない恋もイヤ。
だから、正々堂々と開き直る選択をしたのだ。「何で惚れたかは分かりません」。

さて、君と僕、どちらがホントのバカなんだ?
どっちがホントに痛いやつなんだ?
オレが現実逃避してるのか、君が現実が見えていないのか。
そして、これは「オタクはホントに現実逃避してるのか」という問題と同型ではないか?

292:2004/06/17(木) 23:11
1:パラメータが∞に存在するならばそれは正しいんじゃないの?
そこには必ずしも外見とか内面とかのパラだけじゃなくて気が合う度とかフィーリング的なパラも含まれてるとすればね。

>「なんで『かわいいから惚れる』って言い切れるの?」
これに答えようとすると全てが無意味になるからどうとも微妙なんだが。

>「今惚れてる女よりかわいい(パラメータ評価が高い)娘が〜
だからこの世に浮気ってのがあるんじゃないの?そりゃ浮気は色々それはそれで事情があるんだろうけど、浮気相手を選ぶにも何か基準があるだろうってことで。
そこらへんは重婚(婚じゃないけど)はいかんとか道徳的観念やら、君の言う惚れてるから(もしくは付き合っているから)主観的に余計かわいく思える理論で補えるんじゃ?

そうねぇ。恋という恋は小学生ん時までかなぁ。中学で色々と鬱になる出来事があったりしたし。
そのまま高校で男子校入ったし。そして今現在は恋してない状態かと。

293ろいろい:2004/06/17(木) 23:32
>>292
だから無意味で何が悪い?

浮気が有るのは「かわいいから惚れる」理論を選択してる人間が多いからだ。
今までうやむやにしてきた突っ込んでこなかったのが不思議だが、こいつは「惚れる」の定義による。
っていうかそのようにちゃんと書いたが。
>そんなの「惚れてる」って言わない、とロマンチストは思うわけだ。
浮気した時点で、「もう惚れて無い」。

まぁ君のトラウマを話せとは言わないが、オレのトラウマには勝てないぜ。自信があります(何が)。

294:2004/06/18(金) 00:17
無意味に互いの意見がすれ違うのはもう散々やったんで何ともニンニン。

惚れるのは理論の選択の問題かいのぅ。
じゃあ惚れるの定義が違ったのかもしれないね。

浮気した時点で惚れてないってのはちょっと「ぉ」と思った。
しかし浮気の定義もあるし、浮気するには必ずしも惚れなければならないわけでもないのではないかと思う18夜。

別にトラウマでは勝たなくていいや。
というか俺の消極的性格、もとい言い方を悪くすれば準引き篭りみたいな性格は絶対に中学生ん時に形成されたと断言できる。
俺は小学生ん時までは積極的で活発な少年だった。クラスの面白い奴ランキングとかにも載ってたような良少年だったのに。
横浜市立○○中学校ぬっころ。マジ中学時代を俺の歴史から排除したい。

295ろいろい:2004/06/18(金) 22:20
選択について。
「母性愛」というのは、男が女が子育てをしっかりするように作った「幻想」だという人がいる。殊に最近、虐待とか多いからね。
生物学的根拠も有るかも知れないけど、その指摘は間違って無いと思う。
でも、その「幻想」から眼を覚ましてどうするつもりなんだろうか。「子供はシカトして自分の好きな事をする」とか?まぁ、なんでもいいですけど。
今言いたい事はこれだけだ。「幻想は幻想としか交換出来ない」。
ならば、自分に都合のいい幻想を信じるのがベストではないかね?

本来の話に戻って、原因と結果の話。
原因と結果がそうそう断言出来るものではない、という象徴的な話がある。
身体に誰かが触ったとする。すると皮膚上にあるいくつかの感覚点がその刺激を電気信号に変え、神経経路を使って(化学物質と電気信号の交換を繰り返し)脳まで信号を伝える(と考えられている)。つまり触られてから「触られた」事を認識するにはタイムラグがあるはずだ。
ところが、目隠しなどした上で実験した結果、触ると同時に脳が触られた事を知覚した(正確には、知覚した事が分かるような脳波が出た、というようなこと)。らしい。
この現象は「脳内タイムマシン」と呼ばれている。上で語られたような神経経路が作動しているのは疑いが無い。だが、「原因→結果」というのでは語れない何かがある。
果たして、自分は触られるまえから触られる事を知っていたのだろうか?

SF世界のタイムマシンを持ち出さなくても、原因と結果は入れ子になって複雑にからみ合っている。だから因果論で未来が全て決定される、というのは事態を単純化し過ぎていると思う。
そうで無くても、こんな話もある。
「因果論を信じたのは君の自由意志だ。その時点で因果論と自由意志は両立する。もしこれで不満があるなら、因果論を信じなければ良いだけでは無いか?」

自分はトラウマの幻想を捨てる事にした。
小学生から続く呪に今こそ決着をつける時だ。
でも「幻想は幻想としか交換出来ない」。そこで、最高にパワフルで阿呆らしい幻想を採用した。阿呆らしければ、信じるのに根拠はいらない。

「オレは天才だ」「新谷良子はオレの運命の人だ」
全ての現実と闘う事は出来ない。片方の現実に眼をつぶり、もう1つの現実に闘いを挑むのは現実逃避ではない、とオレは断言する。
ま、オレの話だ。気にする事は無い。
君は君の幻想を選択し、君の現実と闘えば良い。

296:2004/06/18(金) 22:29
すばらしいまとめをどうも有難うってな所なんだが、一つだけ。

>だから因果論で未来が全て決定される、というのは事態を単純化し過ぎていると思う。
単純化しなきゃ大学の哲学の講義で語れる内容にならんだろうが・・・まして俺のような今まで哲学に触れた事にないような学生相手にするのに。俺が因果論信者のような言い方しないでくれ。

最近、その忘れかけていたトラウマが鮮明になる事件があったもんでね。まぁ今となっちゃどうでもいいことなんだが。

297ろいろい:2004/06/20(日) 22:55
>>296
別に君が、とは言ってないよ。

はてさて、論理学を再学習ちう。古典論理学にはカタがついた。
良く分からないけど、法学を学ぶのには論理学は必修だと今読んでる本に書いてあるよ?
法律の条文同士が矛盾してるかどうかをチェックしたりするには役に立つかな?

哲学を楽しむために哲学の先輩(?)から1つ助言を。
哲学するって事は、自分にとっては「問いを問う」と言う事です。
その質問はどういう意味?なんでそんな事聞くの?その質問には答えがあるの?ひねくれたこどもの質問みたいだね。
例えば、「生きる意味はなんですか」というのはオレに言わせりゃ哲学じゃない。「どうして生きる意味が必要なのか」と問うてそこから哲学が始まるのだ。
そして、自分の事さえ分かればじゅーぶんだと思います。一般論を語るのは哲学研究家にやらせればいい。
ちなみに、「オレの生きる意味」なら答えられる。オレが生きる意味が必要な理由は「無意味に生きて満喫できるほど人生は長く無いから」といったところか。
哲学する楽しみは、こんなセリフをしゃあしゃあと吐けるようになることかな?

298ろいろい:2004/08/08(日) 22:48
討論スレにこんにちは。

>>日記
えっと、何の話でしたっけ。えぇっと、まずはブーイング問題に的を絞ろうか。

サッカーファンに御高説を垂れる気は元々ないので、早い時間のTVでやってるような知識でしか対抗出来ないですが、よろしいですか?
まずですね、自分の記憶が正しければ、ヨーロッパの方の大会で「ナチ死ね」みたいなプラカード出してる連中は見たことあるぞ。
それと全く同じだと思うわけ。今の現役の若い人にとっては全く他人事だけど、自分の先祖が酷い事したのは事実、という構造をコミで。
それ以前になんだっけ、「フーリガン」とかいう無意味な戦闘種族がいるじゃん。あれの縮小コピーだろ?

もちろん、大前提として中国が日本に対して良い感情を持って無いというのは有るでしょう。
ですが、ホントに日本が嫌いだったらサッカーの試合見に行ったりはしないと思うけどなぁ…。
多少個人的感情が含まれてるのでアレですが。

どっちにしたって、これで中国の事を非難しても意味ないし、下手したら相手の思うツボだと思うが。
黙って耐えて、実害を被ったらどっかに泣きつけばいいんだから。日本が中国に一対一で非難するのは、中国側の視点から考えれば「本末転倒」なのだから。
そういう時に、黙って耐えるのが、ホントに日本人の美徳だと思う。なんでも耐えればいいってもんでもないが、有効な手段として考慮すべきだと。
そして、ホントに問題を起こしたら困るのは中国なんだよ。

韓国はともかく、北朝鮮に対する考え方と今回の考え方は基本的に俺は同じ。
中国の今回の言動レベルは低いとは思う。だが、というか、だからこそ、というか、こう考える。
必死こいて政府が抗議したり、中国をいろんな手段(まぁ、webだろうな)を使って非難したりするのはアホだ。
なぜなら、バカと同じ土俵に降りていって戦う事になるからだ。しかも、やってる事に失礼さからこの下らないケンカは日本側には勝ち目が無いときてる。
故に、相手が「俺ってバカかも?」と思うまで、黙ってるか頭下げてるかしてりゃいいんだよ。
それを応用すると、心の中で「バーカ」とか思いながらも「あなたの事が好きなんです、受け入れてください!」と(少なからず本気で)言う、という戦術になる。
そうすりゃ相手を精神的に叩きのめし、しかるのちに仲良くできるという非常にオイシイ結末を迎えることが出来ます。

いや、君が本気で諸国が嫌いなら強制はしないさ。
でも、俺はそういう人間はスタジアムの中の中国人と同一視するけどね。
本気で嫌いなのが、不憫だ、という意味で。あぁ、かわいそうな洗脳された中国国民!

PS:ちなみに、一番バカだと俺が思うのは、本気で中国に向かって半ギレで「バカ」だのなんだの言ってるI都知事です。
あぁかわいそうな石原(伏せ字の意味無し

299ろいろい:2004/08/08(日) 23:16
ttp://blog.tatsuru.com/archives/000262.php
良いサンプルを発見してきた。
これでいろんな人の意見を読む事が出来ます。私は途中で飽きちゃったけど。
でも笑っちゃうのは、神速のレスを入れるやつはまず間違い無くアホってことだな(失笑

300名無しもぬ:2004/08/08(日) 23:18
討論というものまではする気はないので簡潔に。

日記で言ったのは、要は平気で裏切れる体質なんだなぁ、って話。別に良し悪しじゃなくて。

本当に嫌いだからこそ応援席まで来て横断幕掲げてピッチに物を投げ入れたりするんだと思うけど。
応援に来ないのは嫌いな人じゃなくて興味がない人でしょ。

俺が嫌いなのは中国国民や韓国国民や国そのものじゃなくて、その国民性。同じに思えるかもしれないけど違う。
君の言葉を借りれば、国を挙げて洗脳し、洗脳されているその体制。いつまでやってんだろう、って。
北朝鮮に対しては国そのものというより、国の某トップ以下一部の層。

スタジアムの前で日の丸燃やして喜んでた奴らがいるけど、別に俺は日の丸が燃やされようと国家にブーイングされようとどーだっていいわけだ。ただ馬鹿な事やってんなって。
そんな意味で道頓堀に飛び込む人たちの気がしれないのも正直な意見だがね。

301のぶ:2004/08/09(月) 00:36
全部呼んだよ。とりあえずレスは無視して、氏の意見にだけ。

>第一段落
"そういうものだ""他に例がある"ということだけでは今回の件の正当化は為されない。
むしろ、"ほんらいニュースとして取り上げられるべきではない事態"がフーリガンやその他事件と同列に扱われ、(望むべくではないが)政府間の問題にまで発展した事を考慮し、余計に問題視するべきではないか。

>第二段落
その度に反日デモが繰り広げられた、とあるが、この反日デモの横行こそ今回のブーイング事件の根底となり得る精神の問題だ。

>第三、第四段落
反日思想が中国国民を一つにまとめた効果の如何は俺には計り知ることは出来ない。恐らくは効果はあったのだろう。
しかし、その効果の有無に関わらず、国民をまとめる方法として敢えて反日思想を取ったその在り方を問うべきだ。

また、今までその反日思想によって国益を得られたと考えよう、とあるが、まぁこれまでの事ならそこまで議論することもないだろう。それが例え本当に国益になっていたとしてなっていなかったとしても。
問題は、これから反日思想がずっと続くような事態になれば、将来的にこれは日本にとって利とするものではないのではないか、ということ。実際にその発端としてこの問題が浮上してきたのだから。

>第五段落
親同士がケンカしたのだから、子同士の諍いがあっても然るべきだ、というのはいささか飛躍した論理に思える。
最後の文で"まさか〜とは思うけど"とあるが、実際日本のファンでその事実を知らない人は多くいたと思う。これは完全に推測の域を出ないが。対して中国国民でこの事実を知らない人は皆無だったろう。

302mutty </b><font color=#FF0000>(OK/MuttY)</font><b>:2004/08/09(月) 01:48
いきなり漏れが発言するべきなのか疑問があるところだが、一つ発言してみたい

今回のケースほぼ最初からこういう結果になることは火を見るよりも明らかだった
だからこそ中国政府は一生懸命努力したんだろう。結果的に止められなかったが…
たしかに普通のフーリガンだったら報道はされないだろう。
しかし日本を始め世界各国で報道されているのはこの暴動が単にフーリガンや
その他事件とは違い、戦争から生まれた「反日」の思想からきていると言うのは
もはや世界で周知の事実だからである。

漏れから見たら今回の事は日本人が巻き込まれた対岸の火事に過ぎない。
漏れは中国は嫌いではないし、中国人がどう思おうが関係ないと思っている。

しかしね、許せないのは今回の報道のインタビューでスーパーでは雰囲気と書いてあるのに
明らかにインタビューを受けてる奴は「ふいんき←なぜか変換できない」と言ってるんだよ
まぁこんなところでふざけてる漏れの台詞ではないが許せないね。

303ろいろい:2004/08/15(日) 23:43
ついつい旅行中で放置してしまったよ。スマンスマン。

というわけで(どういうわけだよ!)、8/15記念、なんとなくエッセイ。

大分曖昧な記憶だけど、たしかのぶが日記で「なんで日本だけ未だに悪者扱いなのか」みたいなことを言っていたような気がする。そんな話とか。

まぁ、単刀直入に言うと、それは以下の2点ぐらいに集約される。
1:最後の「しかけておいて負けた国々」のひとつだから。
2:日独伊は当時の「世界の空気」を読めて無かったから。
別にこれは橋本治「二十世紀」からの自分流の抜粋ですから、オリジナルではない。
だが、今の自分の意見はこれである。
勝手に解説させてもらう。

1について。
これは意味は分かるだろう。
ケンカを裁くルールとしては、「先に手をあげた方が悪い」というのがある。
戦争を裁くルールとしては、「負けた方が悪い」というのがある。
だから、「先に手をあげて負けた」日本は「どうしようもなく悪い」のである。

2について。
当時の世界の空気、というのは「戦争で植民地を広げるっていうの、もうやめない?」というものである。
その真偽とか理由とかは良く分からないけど、それ以前においては戦争とか植民地というのは「先進国のたしなみ」だったのだ。全然悪いことではなかった。
それで、軍縮とかを話し合ってる最中に、ちょっと必死すぎて頭いかれちゃった連中が戦争おっぱじめちゃった、ってこと。
ちなみにその理由と言うのは、
独:第一次世界大戦の経済的打撃及びトラウマ
日:結構先進国になりつつあるのに「かつての欧米」の背中を追い掛けていた、世界恐慌後の経済失策とか
理由は一つである必要は無いが、言いたいのはこれだけだ。

「日独伊は戦争を悪いと思って無かったが、連合国は世の流れに乗って『戦争=悪』という図式を完成させてしまった」
だから、日独伊は世界で最初の悪者なんです。
その後「昔気質の戦争」というのは一つも無い。あくまで「武力行使」とかそんなん。

補足して言えば、ドイツはその後象徴としてのナチスが叩かれ、分裂したりしたから「当時のドイツ」と「今のドイツ」が別物、という感触が世界に馴染んでるし、御近所のヨーロッパはドイツと戦ってるのが昔からの腐れ縁みたいなところがあって、アジアとは大分状況が違っている。
日本は昔と憲法ぐらいしか変わって無いし、アジア諸国は日本にやりこめられたのは初めてという事も関係しているのでは無いかと思っている(これは私観

そんなこんなで、アジアと日本の関係としては、「まだまだケンカしたりない」とか思うである。別に戦争しろというのではない。
むしろサッカーとかでナショナリズム全開で大げんかしちゃえよ、みたいな話かな?
フェアな(定義が曖昧だが)戦いを積めば仲良くなるんじゃね?

おまけ:なんで今回中国に行ったサポーターの皆さんには「自己責任論」が出ないんでしょうか?首相や政府も中国に抗議する前にサポーターに文句をいうべきでは?(別に私は自己責任論者ではありませんよ?)
あと、スタジアムの外(比喩的な意味ですよ)では日本人がいじめられたりはあまりしなかったらしいです。

304:2004/08/16(月) 00:42
>なんで日本だけ未だに悪者扱いなのか
俺はそんな意図の話はした覚えはとんとないんだが話は面白く読ませてもらったよ

んで自己責任論
思うに、それは前から挙がっているようにスポーツと政治の問題でしょ。
スポーツの応援に行くのとボランティアに乗り込むのとはまたちょっと違うさ。少なくとも俺にはちょっと性質が違うように思えるけど。

今回のブーイングとかもさ、ホントの反日感情じゃなくて、日×中の試合っつーことで、少なからず(過去の事例に関わらず)日本に対して敵意が生まれる。
それが元々中国人に根付いてる反日感情と上手く反響し合ってそれが増幅した形なんだと。
だから、ブーイングは日本に対する敵意というより、スポーツにおける相手への感情の行き過ぎが現れたものと考えれば何となく合点がいくような気がする。
要は大袈裟な慣例行事みたいな。それが大袈裟すぎたから問題になったのかな、とか。

スタジアムの外でイジめられなかったのは、完全に中国人と日本人が隔離された状態で出入りしたりしたからじゃね?
完全に両者が顔を突き合わせる場面とかはなかったはず。

305ろいろい:2004/08/16(月) 23:55
うん、じゃあもう一人の方に言われたんだな。
ほかの人とともこんな話をしたんで混じっちゃってさ。

応援とボランティアの違いは、前者は趣味で後者は善行だ(と世間体では見える)ってことぐらいしか思い当たらない。
そして、善行をしてるやつを妬いているから見当違い(でもないか)な批判が無責任に噴出したりしたんだと思う。
別にサポーターがスタジアムで惨殺されても、かわいそうということにはなるだろうが英雄とまでは言われんだろ。そのあたりの問題かと。

比喩的、というのはサッカーのサポーターでない中国人が同じくサポーターでない日本人に暴行を働く、というような事態を指している。
だから、出入りしていた人はまぁそれとして、別の話。
そして多分サッカーの応援に主体的に参加しなかった人たちは日本人をとって喰おうというような考えは起こさなかった、ということなんだ。
そこから「元々の反日感情<サッカーのテンション」というのが強引なのは重々承知している。
でも、君自身が>>304で書いたように、国際試合特有の、そしてサッカー特有の流儀がそれなりのウェイトを持っているのは事実だろう、ということ。
自分としては単に、あれはお祭りだったと思った方が両国ともに気持ちがいいんじゃないのぐらいの感覚ですが。君とも似てるかも。

さて、今日は「ぶっちゃけ憲法改正論」について。
日本では「憲法改正」というと9条のこと、ということになっている(らしい?)。
なんで9条を改正するのか、という理由で俺が把握してるものを並べてみる。

事実上軍事的に自衛するのに障害になるから。
アメリカに媚びを売るのに(同盟上の、ということ)障害になるから。
アメリカに無理矢理押し付けられた憲法だと思うので気にくわないから。
(とにかく憲法を改正してみたいから)
(戦争をするのに障害になるから)

最後のをかっこ付きにしたのは無視したいからです。今回は。
逆に、9条を改正してはいけないという人の意見も。双方とも海外からの意見も念頭に入れています。

戦争に向かう歯止めとなっているから(=改正したらまた日本は戦争すると思うから)。
世界に一つしかない(素晴しい!)平和憲法だから。
(とにかく改正したくないから)

「とにかく〜」のペアは形骸化した某政党と某政党の論争を揶揄したものです。

さて、こう比べてみると、意見の対立とは別の軸で9条に対する認識のズレ、戦争に対する認識のズレというのもあるというのがわかると思います。
ともかく、こんな状況で「改正是非」だけを論じるのは相当歪んでると思うのです。
もっと本質をやれよと。

とか思ってたらこいつを全部黙らせるいい方法を思いついたんですよ、最近。
こんな新9条はどうでしょう?
「日本はアメリカの属国として自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入る。当然交戦権は無い。集団的自衛権はアメリカ軍との間にのみ認める」
ほら、完璧!(そうか?
アメリカ嫌いでも「主体的に」アメリカにすり寄るのを断れるやつはいないだろ!(ということに今回はしといて

しかし、これで怒る人たちもいるんだなぁ。こういう人たち。
「アメリカの味方は敵だ!!」
さて、私は誰でしょう?

まぁ長々と冗談を書くのもどうかと思うが、こういう考え方も良いんじゃない、という極端な例を出してみました。どうでしょ?

306:2004/08/17(火) 00:48
その話はイラク問題の流れか?
そうだなぁ、こっからは議論とかじゃなくて完全に俺の私見だが

俺は改正とかいらん事せんでえぇと思うけどね。現状維持。
現に憲法を改正しなければ国の存亡が危うくなる事態とか起こってないわけだし。
何故そこでわざわざ改正する必要があるのか俺の納得する理由は見た事がない。
先のイラク派遣とかは俺は全然9条違反だとは思ってないわけで。理由はもうここではいいや。
妙に戦争でも起こされて俺らの世代が狩り出されるとか迷惑この上ないし。

問題なのは、確固たる正当理由もなしに蒙昧に改正だけを叫び続ける奴と、憲法9条を良いように盾にする奴。両方。

しかし、憲法改正ってアメリカの実質的な属国から完全に独立せんが為に叫ばれてんじゃないの?

307ろいろい:2004/08/18(水) 14:56
まあ話の唐突さはおいておけ。

この話はどいつもこいつも真意が見えないから、どうにもやりにくいのですが。
自分が本当にしたかったのは、「国という形態にこだわる必要はどれくらいあるのですか?」というよーなことなの。
説明しよう。

某朝鮮半島の上の方の国は、「国民を省みず国家体制の存続のみを求める一部の幹部による独裁政権だ」云々といわれております。
かたや、俺の>>305での意見を縮めて極端に言うと、「日本国民の国益のために日本国はアメリカの属国になるべきだ」となる(その正否はおいとけ)。
多少言いたいことが見えてきたと思う。つまり、「一体現存する国という枠組にどれほどの価値があるんだろうか?」
もちろん、国家無き世界では暮らすことはできない(少なくとも現在の日本国民に限れば)。
だが、それが「日本」である必要性ってどれほどあるんだろうか?
それに必要性を見出すことは危険なナショナリズムにつながらないだろうか?

常々俺が思ってることっていうのは、「侵略戦争」を受けた「主権在民」の「民主主義国家」が、「国家存続」のために命を張って戦争する、というのはどうも理解できないんだよね。
指導者が命令するから戦いにいく、というのなら分かるし、愛国心(弱いナショナリズム)に突き動かされることを否定はしないけど。
君自身「妙に戦争でも起こされて俺らの世代が狩り出されるとか迷惑この上ないし」と言っていて、それは同意する。
もし全国民が「迷惑この上ない」と思ってる戦争をする意味って、じゃあなんだ?
それがもし「侵略戦争」だとしたら、さっさと降伏しちまえばいいんじゃないの?

と、このまえ友達に言ったら、「降伏すれば許してもらえるってわけじゃないだろ」というなんだか気のない返答をされてしまいした。
確かに、侵略してくるような連中に支配されたら国民は不幸になりそうな気もするが。
で、君はどう思うよ?

ちなみに同様の理論により「属国で何が悪いの?」という疑問がある。
そんな考え方に裏打ちされて「積極的アメリカ属国政策」を提示してみたんだけど。

あ、念のために言っておくけど、そーゆーの全部国民投票とかはしてもらいたい。
現首相のアメリカ追従政策を100%否定はしないけど、黙って向こうで決めてくるのはさすがにいかがなものかと。

そうそう、憲法改正しないと安保理常任理事にしてやんないよ〜とパウエルに言われたらしいね。

おまけ:http://ngp-mac.com/kumarin/index.php?p=632
この投稿をえらく左翼的だと思ったら、一読してください。
自分とは対立する意見を展開してはいますが、「個」の論理、という点で共通するかも。
あと左のリストから飛べる「小泉レイプ事件」って知ってる?あはは&へぇ〜。

308:2004/08/18(水) 20:57
それは君は体裁を気にせず実質的な利益を重要視してるだけの話でしょ。
むしろ君はそれを体裁の問題として捉えてないのかもしれないけど。

集団に属してればおこぼれに預かることは可能だけど、一人で自立してやっていきたいと思う人もいるってそれだけの話。
別にそれが本当に自立してるのかどうかじゃなくて。目指すものの話で。

309:2004/08/18(水) 21:00
>この話はどいつもこいつも真意が見えないから、どうにもやりにくいのですが。
>自分が本当にしたかったのは、「国という形態にこだわる必要はどれくらいあるのですか?」というよーなことなの。

といわれてもそれは君が勝手に置いた問題でしょうに。

310ろいろい:2004/08/18(水) 22:37
体裁を気にして利益を得られない場合に体裁を気にするやつがあるか?
だから利益レベルで話をしようとするなら体裁の問題なんていうものは無い。

自立とかそういう事じゃなくて、集団の維持を目的にするのはバカバカしいですね、という話です。
会社を守るために情報隠したり、政権守るために国民を虐げたり。
本来組織というのは個のレベルで実現不可能な利益を達成するためにあるもんだから。
そのメリットと弊害についてもっと意識的になろうというような提言(?)。

それでも国というのにこだわりたい人はいると思う。大いに結構だと思いますが。
そこで顕在化する問題というのは、それこそ体裁の問題でも集団にコミットすることでリターンされる利益の事でも無い、と思う。
もちろん利益は利益なんだけど、リターンされるモノでは無く、人間が(おそらく先天的に)持っているある欲求に関わる問題である。
このスレでも割とお馴染み感のある、「どっかにコミットしておきたい」病である。

ナショナリズムが蔓延るのも、世の中の大概の現象が「ファン」と「アンチ」という構図(カッコよく言えば、二項対立)で説明出来ちゃうのも、この病気のせい。
まぁ、1人で自立してるという人だって、好きなものというのがあって、それは義務=保障という契約を結んで無いだけでゆるい集団へのコミットに変わり無い。
好きなものが無い人は悟りを開いている疑いが濃厚なので、利益レベルで話をしても埒が空かないので無視。
多分この禁断症状に陥るのを回避するには、「自分が誰かにコミットされる」しか無いでしょう。
で、そういうカリスマな人たちはしくじれば叩かれるので大変です。そうでなくても嫉妬されます。

結論:利益を追求すると誰かにウザがられる。オレはそういう人がウザい。
ワシが一番嫌いなのは「自分の事は棚にあげる」人たちだから。
意識的にやってるならまだ良いんだけど、気付いて無いからな。

>>309
オレが自分勝手で回りくどいのはいつものことだろうが。

311:2004/08/18(水) 23:05
それを自慢するなw

君が馬鹿馬鹿しいと思うのはそりゃ最もなのかもしれんが、それに拘る人はそういう理論以前の問題でしょ。
そういう人は利益以前に国が崩壊した時点で自分の意見が根本から崩壊するし。

312ろいろい:2004/08/18(水) 23:19
忍法・開き直りの術だ!

うん、きっと理論以前の問題だろうね。
それでもそういう問題があることに変わりは無いわけ。
国を愛するのは当然だとか、侵略されたら追い返さなきゃいかないとすぐ思う人は、そういう問題に対して「思考停止」してるわけ。
自分がそれで納得するのは一向にかまわないと思うのですが、他人にそれを強制しないで下さい。
以上終わり。

>そういう人は利益以前に国が崩壊した時点で自分の意見が根本から崩壊するし。
いい着眼点だと思います。
つまり、そういう人は国が崩壊する危機を訴えるけど、本当に国が崩壊したときの事は考えていないんだな。
そういう一連の運動にコミットする事で満足感を得ちゃってるんでしょうね。
私も人の事言えませんけど。自分の場合、「とりあえず人とは違うことを言う」ことで満足してるからな、あはは。
意外と、「本気で国の将来を心配する」のは難しいのかも知れませんね…。

313ろいろい:2004/08/30(月) 21:15
このスレッドは今から俺が思った事を書きなぐるコーナーとなりました(ブログやれよ

アテネオリンピックが終わった。
そういや、昔管理人に「スポーツと試合は違う」と言った事があったなぁ。
そして、今回そういうところがかなり前面に出たオリンピックだったと思う。いや、我々(私だけ?)が歳をとったからかも知れないけど。

スポーツと政治を切り離せと人は言う。
じゃあとりえあずオリンピックとかやる時に国単位でやるのを止めたらどうかな?
何故スポーツするのに国を背負わなきゃいかんのじゃ?

スポーツで国同士の交流を計ろうと言う人もいる。
はて?どうしたものかね。結構な事だとは思うのですが。

スポーツ:自分のベストを尽くすもの
試合:勝つためにやるもの=誰かに「お前がベストだ」と認めてもらうこと
この、「自分にとって」か「誰かにとって」かの違いが、スポーツと試合の違いです。
ハッキリ言って、採点競技(特にシンクロ)はスポーツ性はかなり低いです。
逆に、割と判定基準が明白な陸上競技などはスポーツ性が高いですねぇ。
また、その点から、真のスポーツは健康維持のためにのんびりやってる所とかにあったりするわけですよ。切ないけど。
ちなみに、スポーツをやると健康になるけど、試合をやるとどんどん不健康になります。ストレス溜まるわ、怪我するわ。観てれば明白だし、経験者ですから、一応。

314:2004/08/31(火) 00:10
そうだ。ブログやりなさい。別に不定期更新でもいいし。そうしなさい。

んで感想→ふーん、納得。みたいな。

でもスポーツで試合をすることは欠かせない、ってか切り離せない部分があるからまたややこしいんだろうね。

でさ、とってもヲタな発想で申し訳ないんだけど
ビーマニをね、普通にやったらめっちゃ楽しいの。
でもね、インターネットランキングとか、スコア競うと使命感みたいのに駆られて全っ然楽しくねぇの。
むしろ失敗したりしてストレス溜まんの。これじゃ本末転倒だよ、といつもながらに思うのよ。

でもビーマニをやる上でスコアを狙う事っていうのは欠かせないんだよね。
同じだけど二面性を持つ、って感じ?

315ろいろい:2004/08/31(火) 22:55
ブログ、どれにしようか決められなくてさ。
はてなが良いかと思ってたら、最近利用者規約が改悪されたらしくて。

>>314
まぁ、スポーツだけの話じゃ無くなってくるけどさ。
それに今までに語って来た事の繰り返しに近いものにもなるけどさ。

やっぱりヒトというのは他人に認められないと落ち着かない生き物らしいんだな。
だから自己満足で自己満足出来ない(うわぁ!形容矛盾!)んで、試合とかくらべっことかむやみやたらにしたがるわけで。

そこで本当に問題になるのは、「本当は何をしたいのか?」というやつですな。
あるいは、「手段が目的化する」というやつですな。
君のビーマニ問題はこの部分による所が大きい。
というか、誰かに提供される各種サービスというのは気がつくと本末転倒というのは珍しい話では無い。

もう1つの問題は、「システム/ゲームの内部と外部の境界」が曖昧であることにある。
多少前レスで語った事だが、スポーツというゲームは外部と切り離されていることを前提として構築されたシステムと捉えることができる(これは正確な表現では無く、外部と内部を分けること自体がシステムの重要な機能の1つだ、と言うのが正しい)。
が、当然切り離される事は無い。
だから、試合で勝とうとするといつのまにかスポーツの外へ飛び出して行く事になる。各種の政治的争い、ルールに明記されてない慣習法、連盟等の組織構造、うんぬん。
そしてそれがいつの間にか目的と手段を摺り替える原動力となる。

さて、君はなんでビーマニをやるのかね?
同様に、なんで君はビーマニが好きなのかね?
ランキングがどうかは良く知らないが、自己新を目指すんじゃダメなんですかね?
それとも、自己満足じゃ自己満足できないクチですかい?

316:2004/08/31(火) 23:48
ビーマニをやる理由。いつか日記に書いた気がする。簡略化して書こう。
1:上手くなるのが楽しいから。
2:身近にライバル(俺の場合実力がちょっと上の人=身近な目標)がいるから。
3:ネットでの動画、またリアルで全国トップクラスの人のプレイを見られて刺激を受けたから。

で、フラストレーションが溜まるのは、別に全国順位が上がらないからじゃないのよ。
自己新が出ないからなの。いつも自己新を目指すんだけど上手く更新出来ないのがもどかしいわけ。
自己満足にすら達してない段階かね。ていうか自己満足の到達点なんかないよ。

317ろいろい:2004/09/04(土) 23:00
Blog開設する可能性もアリ。

>>316
ふーん、良く分からないや。
別に君のカウンセリングをしてやる義理も無いしな(冷たいなぁ
でも、「自己満足の到達点なんかないよ」というのは鋭いぞ。
そのあたりを騙し騙しやっていくのが人生ですかね。その辺は自分でなんとかしてね。

ただ、カウンセリングっぽい事を1つ言うなら(嘘、カウンセラは絶対にこんなことは言わないだろうな)、
「そのやる理由の中には『ビーマニである必要性』が見受けられないが、その辺どーよ?」

>>日記
哲学のレポートに役立つ保証はしませんよ?
っていうかそういう文脈で紹介したのか記憶が定かで無い…。
でも、「倫理とは何か」の方は自分でもかなり刺激を受けた方の入る本なので、是非御一読を。

318:2004/09/04(土) 23:17
今更ビーマニやる意義を問うつもりなんかさらさらないよ。
ビーマニやってることに迷いとか後悔とか微塵もないし。

別にビーマニである必要性なんて何もない。
君が所謂オタクのような趣味を持ってるのも、サッカー少年がサッカーやってるのも、雀荘にいる人が麻雀やってるのも全部同じやん。
たまたま俺はビーマニに出会ってそれが面白いからずっとやってる。

どうやら直接役立つようなものではないな。レポを書く上での基礎知識かな。
もう少しレポの内容に肉薄した本も今度借りてくるつもり。

319ろいろい:2004/09/05(日) 22:30
お、レスポンスがいいねぇ。
実はもうBlog借りていじってるんだよね。どうも使い方が手に馴染まないので、慣れたらアドレス公開するっぽいぞ。

あー、ちょっと表現が悪かったかねぇ。
なんつーか、「ビーマニがビーマニだから面白い理由」が分からないよ、と言いたいのです。
君が>>316で言っている事はスポーツ一般にそのまま当てはまる話じゃない!?

自分の趣味の話をするのは弱味を晒すようで嫌ですが(被害妄想)。
自分は今や一応「声優オタク」を自認しているわけでございます。
で、「声優オタク」である理由と言われますと、正確に言えば「声優オタク」を選択したわけでは無くて、声優アイドル「新谷良子」を選択したわけで。
そこで質問が間違ってるというか、すり変わるというか。

さらになんで「新谷良子」なんですか、と聞かれれば、こちらお得意の「惚れたから好き」理論を繰り出して、「気がついたら好きでした」と言って逃げるわけだ。いや、本心だけど。

さて、何が言いたかったかというと、恋愛じゃなくたってどこかで幻想を信じないとやってられないということです。
幻想を信じるのに疲れたら、違うのに変えるのも悪くないと思うぞ?
そういう意味で、君の「幻想」を聞き出して、それを維持する気力があるかを調べる事は「カウンセング」としては間違って無いと思った次第。

で、そんな解説をしちゃった以上もう一回聞く。何故ビーマニが好きなんですか?

320:2004/09/05(日) 23:57
ごめん、ビーマニを例に出した俺が悪いんだが、ビーマニに関してそんな"ビーマニがビーマニであるが故に面白い理由"を哲学的に考察しようと思わん。
敢えて一言言うなら、ビーマニがビーマニとして面白い理由なんてないだろ。

あと一ついつもながら思う事があるが、これはまぁいいや。

321ろいろい:2004/09/08(水) 23:46
以後新規のネタはhttp://yajiuma.seesaa.net/に書く事になるが、ちまっと書いてみる。

>>320
>敢えて一言言うなら、ビーマニがビーマニとして面白い理由なんてないだろ。
う〜ん、カッコいいけど悲しいな。
哲学的に考察する必要は無いけど(っていうか、精神衛生上あまりよろしく無い)、その理由が無いってことは、さぁ。
それが一般的に拡張されちゃったり「もしも」すると、「生きてる意味無し」になっちゃうよ。
ま、それもまたカッコいいと思えればいいんだけど、俺はそれはヤな人種なんで。

>>昨日の日記
ものわすれ症もアルツハイマー病も「痴呆症」の新しい呼称の案です。
ただしアルツハイマー病というのは多分医学的に正しい病名で、「痴呆症」の部分集合にあたるんだと思います。つまり、アルツハイマーとは呼ばれない痴呆も医学的には存在する。
詳しく無いけど、新聞知識ではこのぐらい。

322名無しもぬ:2004/09/09(木) 01:06
ビーマニが面白いのはビーマニそのものにあるんじゃなくて
それをプレイする俺の問題だろう

ってこと

323ろいろい:2004/09/09(木) 23:30
なんか終わらないと気が済まない嫌な性格が災いしてる予感。

>>322
もちろん君の問題である。大いにそうだ。っていうかそうじゃなかったら全人類がビーマニオタにならなきゃいけなくなるし。
そうでなくて、君の問題であるにしても、その君に対してトリガーを引くのが「ビーマニ」であって、他のものでは無いという事実はやっぱり変わらないんじゃないかと。
例えば、俺は歌舞伎とか講談とかが割と好きで(と言っても伝統的なものより斬新なほうを好むあたり邪道なのだが)、時々見に行ったりするけど、俺の記憶では君は「何が面白いのか分からん」とかもうアレルギーかという勢いで嫌ってたような気がする。
それはもちろん君と俺の違いに還元する事もできるけど、やっぱりこれだって相対的な問題だよね。
事項の違いが先か、パーソナリティが先か。
もちろん答は、両方であるべきだ。あるいは、同じ現象の別表現だ、という見解もアリですね。

つまり何が言いたかったかというと、君の問題だからってビーマニを分析することに対する意義は一向に薄れないと言う事です。
ある意味、「俺の問題だろ」というのは単なるコミュニケーション拒否というか逃げに見えて、あまり良く無いと思う。
まぁ無理にやれとは言わんが、論理的に見えて案外そうでも無いよと言う話でした。

324:2004/09/09(木) 23:43
他のことなら一向に構わんが、これに関してそういうのを持ち込む気にならん。
別にそれが拒否やら逃げになるならそれでもいいよ。と、こういう言い草がまた問題なんだろうけど。
ここが討論スレだからそうなるんだろうな。このスレにビーマニ持ち出した俺が悪かったよ。

というか俺そんなアレルギー反応してたの?俺は歌舞伎やら講談やらを聴きにいった事もないのでどうにも。
行けば面白いのかもね。


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