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戦争 兵器3
13
:
WS
:2020/05/21(木) 16:20:20
装甲艦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%89%A6
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/Meyers_b12_s0661a.jpg
鉄ないし鋼の装甲を施した軍艦を指す用語
日本では甲鉄艦ともいい、明治時代にはより一般的な名称であった。
1854年に、世界で最初の装甲艦がフランスで建造。110mmの鉄板と440mmのオーク材で強固に装甲されていたが、帆走と150馬力の蒸気機関による最高速力はわずか数ノットの浮き砲台だった。
日本史における装甲艦
織田信長が伊勢の大名九鬼嘉隆に建造させた、「鉄甲船」という木造の船体の外側に鉄板を貼り付けた大型の軍艦が初の装甲艦の例として挙げられることもある。
これは1576年(天正4年)の7月13日の第一次木津川口の戦いの際、毛利輝元麾下の水軍に焙烙火矢攻撃を受けた事を戦訓として、建造されたものである。
ただし、鉄甲船の装甲はあくまで防火のためのものであり、防弾を目的とした装甲とは意味が違うものである。そして後世の装甲艦とは技術的なつながりは全く存在しない。
産業化以前の装甲艦
https
://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E5%8C%96%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%89%A6
厚い金属板により装甲がほどこされた木製の、または鉄骨に木板張りなど数種の材料で作られた軍艦である。
1854年にフランスにおいて世界初の航洋装甲艦ラ・グロワールが建造される以前から、ヨーロッパにおいては船を建造する際衝角として利用するために金属製の船骨を用いており、また金属板張りの軍船についての記述も存在する。
それらのなかには艦砲が装備されているものもあった。
東アジア においては16世紀から艦砲を持ち金属の装甲が施された軍船についての記録がある。
鉄甲船
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%94%B2%E8%88%B9
戦国時代から江戸時代初期にかけて大型の安宅船に鉄板を張った船。
主に織田信長と、豊臣秀吉が建造を命じた鉄甲船が知られる。
織田信長の鉄甲船
信長が伊勢志摩の豪族であり水軍を率いた九鬼嘉隆に命じて作らせたといわれる
本船の存在は信長の側近・太田牛一の著した『信長公記』、多聞院の英俊が記した『多聞院日記』、宣教師オルガンチノのルイス・フロイス宛の報告書などに記載が見られるが、詳細については詳らかではなく、未だ定説を見ていない。
本船は船体を厚さ3mm程度の鉄板で覆い、村上水軍が得意とした焙烙火矢に対する装甲としたと伝わる。
しかし、これを直接的に示している同時代の史料は『多門院日記』しかなく、その『多聞院日記』も「鉄の船なり。鉄砲通らぬ用意、事々敷儀なり」という伝聞の記述である。
豊臣秀吉の鉄甲船
秀吉が文禄・慶長の役時に鉄の装甲を持った大型船を建造したことは『フロイス日本史』に文禄2年(1594年)のこととして明確に記述されている。
「関白はこのたびの朝鮮征服のために幾隻か非常に大きい船舶を建造させました。
それらの舟は、すべて水面から上は鉄で覆われ、中央に船楼を有します。
相互に通じる船橋は、いずれも鉄が被せられ、木(造部)は露出していません。
そして全て甚だしく美しく塗金されています。」
亀甲船
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%94%B2%E8%88%B9
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9f/Turtle_boat.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5e/TurtleShip1795.jpg
李氏朝鮮時代に存在したとされる朝鮮水軍の軍艦の一種。
亀甲船についての記述が初めて登場するのは15世紀の太宗実録である。
豊臣秀吉による文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)で実際に5隻が運用されたとされる。
日本側の記録には登場しない。
李舜臣行録
「亀甲船の大きさは、板屋船(当時の主力戦艦)とほぼ同じく上を板で覆い、その板の上には十字型の細道が出来ていて、やっと人が通れるようになっていた。
そしてそれ以外は、ことごとく刀錐(刀模様のきり)をさして、足を踏み入れる余裕も無かった」、
「前方には竜頭を作り、その口下には銃口が、竜尾にもまた銃口があった。
左右にはそれぞれ6個の銃口があり、船形が亀のようであったので亀甲船と呼んだ」、
「戦闘になると、かや草のむしろを刀錐の上にかぶせてカモフラージュしたので、敵兵がそれとも知らず飛び込むとみな刺さって死んだ。
また、敵船が亀甲船を包囲するものなら、左右前後から一斉砲火をやられた」
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