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人生
1
:
やなぎ
:2014/08/26(火) 07:39:12 ID:LPKKwDUU0
いつだったか、数年前だったか、どこかの掲示板で書き込みをした。よろしく
2
:
やなぎ
:2014/08/26(火) 07:44:03 ID:LPKKwDUU0
おはよう。昼夜逆転している。無気力で仕方ない。また仕事を辞めてしまった。おれがこんな風になったのは両親の影響。でも両親のせい誰かのせいにしても何もはじまらないよな。自分を変えるしか方法はない。理解してるのだけどとにかく気力がない。目標を見失った。
3
:
やなぎ
:2014/08/26(火) 08:02:25 ID:LPKKwDUU0
人生最大の目標はインドに行くことだった。ニューデリーから入国して西のジャイサルメールの砂漠に圧巻された。
イスラエル人たちとツアーに参加した。日本人のように優しい子たちだった。
お決まりのタージマハル、でも実際、あの体感は写真でみるものと異なり墓とはおもえぬ明るく美しい風景だった。
バラナシはガンジス川でチャイを飲みタバコを吸い漂流する遺体をこの目でみた。とてもナチュラルな風景だった。
ブッダの悟りを開いたブッダガヤ、シンプルに澄んだ空気だった。なによりも動植物人間が矛盾なく存在している風景は幸せな気分になったものだった。
ダージリンはネパール道中で通った。色々あった一人旅。これらはもう達成された。かつての目標だった。
思い出したけど他国で何度か危険に遭遇した時、本当に死ぬんじゃないかっておもった。
結局の所、死ぬのかと自分に問うと躊躇するだろう。
死に対する見解はカルマを信ずる老人たちを傍観しガンジスで悟ったつもりなのだけど。
死に対して恐怖心を持つのだから小心者だよおれは。そしていつも中途半端。
今日も暑いね本当に。インドの暑さとは比べものにならないけど。アジアを旅の名残りから日本の夏でも扇風機さえ不必要になる。
4
:
やなぎ
:2014/08/26(火) 08:33:12 ID:LPKKwDUU0
フィリピンに住んでいた数年前。
彼らの一部は気に入らなければすぐにカッなって怒る。時にはあやめる。
食生活の影響だろうか。肉ばかり食べる彼ら。
そして深く考えようとしない彼ら。
お金をたかるのはいつも外国人などのお金持ち。
この国で教えられたのは感化しないことだった。
フィリピンでは悪人と善人の区別がはっきりしやすい。
人道軽視な側面は嫌いだった。
日本では皆忙しそうにスマホを触り街角を、ダイヤルをみて足早に去っていく。
無表情で去っていく。世話しない。
日本だとヒマにしてると何してんだ?って目でみる、或いはどうやって生活してるの?といった目でみる。
仕事するのが当たり前だと考える人が大半でしょう?ほっといて欲しい。
フィリピンで体験した良い側面。他人のことにとやかく干渉しない。広く浅く付き合えること。
昼間でもヒマそうに他人がまるでフレンドリーに接する。
おれが人生で一番求めてたもの。本当に欲しかったのは友達。
でも日本では出来なかったな。繋がりは職場だけだったもん。
最も我儘だから友達なんていなかった。いつもひとりだった。結局はひとりが好き。
海外にでて否が応でも欲望をさらけだした結果だったよ。
日本の狭い常識だの年上だから従うだのよく聞く話。
現場主義でない口だけクソ上司に従うなんてまっぴらごめんだよ。
保守的な爺さん達は会社でヒマ潰しのくだらない他人の噂をしてる。
噂して誰の利益になるの?ほっといてやれよ。
居心地わるい日本。お節介のよくある日本。ほっとけよ。
当然だとか常識だとか社畜たちから聞くとムナクソわるくなる。
アジアでバイク飲酒運転を堂々とやってた。でも、とやかく言われない。自由だった。
またアジアでゆったり朝からビール飲んでのんびりしたいな〜でもお金がない。
5
:
やなぎ
:2014/08/27(水) 03:00:00 ID:LPKKwDUU0
ある国のゲストハウスで長期滞在してた時のこと。
そのゲストハウスは家族で営んでいた。
父親は若い軍人で今年帰途についたばかりだった。
軍人にしてはいささか優しい雰囲気の男性だった。
もちろん風潮がそぐわない国もあるのだけど、その国の民度は個人的に好みで彼や妻と気があったこともあり2度そこに来ていた。
彼らの息子である2歳のWと仲良くなっていた。
体を持ち上げて高い高いすると彼は無邪気に笑った。
かくれんぼするとおっかけてくる。
ipadでガンナムスタイルを流すと嬉しそうに自由に踊っていた。
いつしか勢いよく走ってきて抱き付くようになった。
毎日朝夕と部屋へ来てドアを自由に開けはいってきてはおれの荷物を触っては持っていくようになった。
子供と長く遊んだのはこれがはじめてだった。
あんまりかわいかったからプレゼントするために市場で水鉄砲を買った。彼の笑顔を思い浮かべながら。
早速水をいれて空に向かって発射しシャワーのように彼に降り注ぐと嬉しそうにキャッキャと笑っていた。
輸入品で少し高かったけど奮発してチョコレートをあげたら口の周りをべちゃべちゃにして
笑顔で食べていた。飾らず自然な態度でキュートだった。ケチなおれだけど子供の為なら財布が緩くなってもいい。
人生初の子供の友達だった。彼はそうおもってくれてるよね?
別れ際、母親に抱かれた彼は泣いていた。寂しいらしい。それが嬉しかった。ジブンの存在意義があったから。
またあの国へ行くことになったら彼に会いたい。
成長し大きくなった彼を想像すると寂しくなる。
日本だと子供が見ず知らずの誰かと遊びはじめると親が引き離すこともあるだろう。
暗いニュースが大人たちを不安にさせているからだ。
国によっては子供たちは人懐っこい。
珍しがってたくさんの笑顔がワーッと群がってくる。
今まで日本で子供と遊ぶ機会なんてなかった。だからおれにとってそれは幾度と珍しかった。
幸せってこういうことなんだろうな。
子供ってかわいいと体感した瞬間だった。
かつて両親はこんな風におれをかわいがったのかな。
これって父親が子に対するナチュラルな感情に似たようなものなのだろうか?
大人であっても、大人らしくなく、子供たちのように、無邪気に、自由に、感情を自然に、生活したい。
長い間、父親に気分で罵られた。母親に侮辱された。実の親に苦しめられた。自尊心を傷つけられた。
かつて両親をころしてやりたいとおもっていた。
「気に入らないのなら出ていけ」と権限を利用し支配欲満々が許せなかった。
だから出て行ってやった。
「大人が子供たちに恐怖心を与えると将来有害になる」を地でいった。
だから、子供たちがジブンのような苦しい思いをして欲しくないから結婚を諦めていた。すべきでは、ないと。
今ならどうだろう?複雑だ。今理解できていることは子供たちは無邪気でかわいいってこと。
6
:
やなぎ
:2014/08/27(水) 03:05:14 ID:LPKKwDUU0
半年ほど前に手に入れた真っ白いビーチサンダルの根本が切れた。
深夜自転車で海を眺めに行く時にいつもはいてたお気に入り。
ビーチサンダルだと外出時切れた時に裸足で歩かなければならなくなる。
そこでブランドのメッシュサンダルをamazonで購入した。昨日届いた。
足がすっぽりはいるから切れる心配はない。
以前そういう体験をしたからこそ今度は別タイプにしようって決めて手に入れた。
ちょっとはジブンが進歩した。。
物を享受したい欲があるからこそ生きてるんだよな。
まだ死ねそうにない。
わかっているとおもうけど深夜の街は人の気配が少ないよね。
深夜迷走するのは何よりもジブンが他人の目を気にしているから。
小物臭丸出しなんだ。笑っていいよ。
何年経ってもニンゲン関係は煩わしい。
深夜アーケード街を通る。昼間は多くの人が所忙しく行きかうが深夜は静寂で無人に等しい。
まるでハリーポッターにでてくるおとぎ話のような世界を錯覚する。
ショーウィンドウの絵画が語りかけてくるのではないかと。
何キロもあるアーケードの中央を堂々と走っていると世界が自分のものになったようで心地よい。
誰もいないジブンだけの世界。
ねえ、ところであなたはどんなサンダルが好きですか?
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