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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

87 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/03/25(土) 15:14:08 ID:MDyIz2QM
鈴木邦男「三島由紀夫(作家)」(『ひとびとの精神史5巻 70年前後』)
 1970年11月25日、45歳の三島由紀夫は自衛隊市谷駐屯地で割腹自決した
 2年後、連合赤軍事件がおき、若者から変革も革命も取り上げられたが、この事件の参加者は「三島が生きていたら」と言っていた
 →三島は東大全共闘とも議論していた。三島は敵として呼ばれたのではなく、左右を通して全共闘と話が出来る人が三島しかいなかったのである
 楯の会は事件に参加した5人以外は平和的なサークルだった。楯の会は初めは三島ファンクラブだったが、民間防衛を目指したりと試行錯誤があった
 三島の小説(『英霊の聲』)や映画(『憂国』)は右翼から批判、攻撃されたものが多く右翼には「不敬な作家」と警戒されていた
 60年「風流無譚」事件(小説「風流無譚」が不敬だとして掲載した中央公論社の社長宅が右翼に襲われお手伝いさんが死亡、妻が重傷を負った事件)
 →三島がこの作品を絶賛していたという噂が流れ三島宅にも右翼が攻撃に行った→三島は右翼嫌いになる。三島の自決後、一転して右翼は三島絶賛に変わる
 70年頃は、左翼運動が潰れていたが同時に敵がいなくなった右翼運動もほとんどなくなっていた時期だった。だからこそ、三島の事件は衝撃的だった
 三島は自衛隊が一緒に行動してくれるとは思っていなかっただろう。自決することは決まっていた
 一緒に自決した森田必勝は自決を命じられたのではなく、むしろ森田の方が積極的に行動していた
 よど号ハイジャック事件を三島は「先を越された」と感じた→同じ時代を生きた右翼と左翼は同じように思いつめ、一つはハイジャックになり、一つは自衛隊立て籠もりとなった
 現代には連合赤軍もオウム真理教もない→しかし連合赤軍やオウム真理教の排他性、攻撃性、非寛容性は日本全体に拡散しているのではないか
 三島は、愛国心という言葉があまり好きでない。愛ではなく恋でいいと言っている。恋は見返りを求めないが、愛は見返りを求める
 三島は寺山修司との対談で、石原慎太郎は功業しようと思って政治家になった、自分は忠義をするつもりだから政治家にならないとも語っていた


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