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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

8 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/02/11(土) 11:52:48 ID:MDyIz2QM
安倍潔「スポーツ教育における人格陶冶と暴力制御」
 2012年末から13年初頭にかけてスポーツと体罰をめぐる2つの事件
 →大阪市立桜宮高校バスケットボール部顧問による体罰と主将の自殺、日本代表女子柔道選手たちによる指導陣の暴力に対する告発
 体罰否定の論調が盛り上がる光景は、これが初めてではない。70年代後半以降から体罰に関わる事件は繰り返し起きており、現在に至るまで現場の状況は変化していない
 →しかし、一見すると同じことの繰り返しであるかのように映る事柄の背後に、変化した現実があるのではないか
 桜宮高校の事件が、スポーツ指導の域を遥かに逸脱した暴行であることは間違いない→だが、現場に近いところから聞こえてくるのは教諭非難や体罰否定の論理ではなかった
 →加害者は被害者に対する熱意や愛情があったから行為に及んだという論理→こうした体罰擁護もこれまで繰り返されてきたことである
 本音と建前のダブルスタンダード→少なからぬ人々が、場合によっては体罰は必要と考えている。特にスポーツ指導ではその感覚が強いように思われる
 これに対し、スポーツ指導が近代化され啓蒙活動が進めば、体罰容認は減少していくと想定している立場の議論がある
 近代スポーツは剝き出しの暴力をコントロールすることで成り立ったという議論→これに沿えば、体罰という暴力を持ち込むことはスポーツの意義それ自体を否定することになる
 →しかし、スポーツは抑圧された暴力への欲求を発散する場でもあるということも語られている
 体罰は前近代的であるという議論→しかし、近世日本で体罰は必ずしも容認されていない。日本の体罰強化はむしろ明治期の教育の近代化のなかで生み出された
 体罰の現代性→体罰経験者はそれをアイデンティティーとし、自らの成長につなげようとする→体罰は経験者にとって意味あるものと受けとめられている
 →体罰を受けることが当事者にとってなにかしらの意味を持ってしまう事態。体罰容認の背景にはこうした現実があるのではないか
 体罰する側・される側の感じ取る事柄は重なり合わない→される側にとっては不条理でしかない→なにかしらの意味づけを強いられる→体罰容認的な解釈に向かう
 →精神的に強くなれた、苦しい経験が役立ったなどの意味づけを行う→意味あることとして成り立ってしまう
 現代の不安定かつ未確定な状況で、言語ではなく物理的な力を受けることで人格形成する人々がいる→体罰がコミュニケーションとして意味を持ってしまっている現代的な現象


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