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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

454修都:2023/10/09(月) 17:03:38 ID:Wvozer8s
難波ちづる「脱植民地化のアポリア」
第一次世界大戦で文明を体現するヨーロッパで悲惨な戦闘が繰り広げられたことはヨーロッパの威信に打撃をもたらした
また、戦争協力を求めた植民地住民に与えられた見返りは、期待とは大きく乖離していた。戦後にウィルソンが示した民族自決の概念もヨーロッパに限定されていた
第二次世界大戦で日本の攻撃によって宗主国が不在となると、民族主義者達が活動を活発化させた。一方でフランスは植民地改革は決定したが、自治の可能性は否定した
戦後、オランダとフランスは不在の間に奪われたアジアの重要拠点を手放すわけにはいかなかった→現地住民にとって、宗主国の復帰は受け入れがたい
1947年、スカルノが共産主義運動を弾圧するとアメリカはオランダ政府へ圧力を強め、スカルノへの政権譲渡を働きかけた→49年インドネシア連邦共和国成立
インドシナではフランスが敗北し撤退したが、共産化を阻止するため、アメリカがその戦争を引き継ぐことになる。アメリカの優先事項は共産主義国家誕生阻止
インドではイギリスはもはや抵抗運動を阻止できるだけの軍事力は無かった。経済的にもインドは不可欠な存在ではなくなっていた
インドでもパレスチナでもイギリスは宗教対立に巻き込まれることを恐れ、撤退する
50年代半ばまでヨーロッパ経済復興のための植民地開発が続く(第二次植民地占領)→重視されたのはアフリカ
→戦後の一定期間、植民地は西ヨーロッパの経済復興に貢献したが、長くは続かなかった。アフリカにおける急激な経済開発はインフレを引き起こした
フランス連合への参加を拒否したチュニジアとモロッコでは反仏運動が盛んとなり56年に独立。アルジェリアには約100万のヨーロッパ系住民が住んでいたが、大半が短期間でフランスに退去した
→フランス側についたアルジェリア人は、退去したヨーロッパ系住民以上にフランスでは差別され、アルジェリアに残された多くが虐殺された
1956年スエズ戦争は、アメリカからの強い圧力もあり、英仏はエジプトから撤退した→帝国主義的介入は国際的支持がえられない
イギリスは植民地を直接支配するより、旧植民地と友好関係を維持するメリットの方が大きいとした→イギリスのアフリカ撤退。フランスもアフリカ植民地は利益をもたらさないとして撤退
→ド・ゴールの思惑はアフリカに多数の小国を誕生させ、それぞれと結びつきを強化し、軍事や財政の実権を維持すること→実際に成功している
長期独裁政権が続いていたポルトガルの植民地独立は70年代をまたなくてはならなかった→民主化が達成されるとアフリカから素早く撤退
アフリカに新たに誕生した国民国家は、あらゆる差異を架空の共同体のなかに押し込め、時に強引な統治を行い、内戦や民族浄化につながった
国を独立に導いたという正統性を盾に、政権をとった立役者たちは、しばしば単一政党・長期政権によって、権威主義的な体制をしいた
→独立後の新たな国家は、国民国家という制度だけでなく、軍や非民主的な統治制度、植民地主義そのものをも踏襲した


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