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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

449修都:2023/09/28(木) 19:20:25 ID:Wvozer8s
藤永康政「ブラック・パワーとリベラリズムの相剋」
1930年代のニューディール労働政策は、急進的な労働組合の興隆を助けた→しかし労働組合は白人性を確証し他者を排斥する組織であり、黒人の不信感は強かった
デトロイト郊外のフォード自動車は黒人労働者を組合運動の防波堤としていた。デトロイトの黒人成年男子の半数以上がフォードと何らかの労使関係を持っていた
UAW(統一自動車労働組合)には新たな黒人指導層(ホレス・ホワイト、チャールズ・ヒルなど)がおり、彼らはフォードから金銭の提供を受けている黒人指導者たちを批判した
1941年4月のフォード車工場でのストライキでは黒人労働者約2000名がスト参加を拒否→ヒルが説得
デトロイトが白人住宅地が多い地区の隣接地に200戸の黒人向け住宅建設計画発表→UAWには黒人と居住地を共有したくない者もいたが、黒人入居を支持した
→開明的な労働組合と黒人自由闘争の共闘の成立→しかし1943年6月20日流言がきっかけとなって約1万人の白人と数千人の黒人がダウンタウンで激突→死者34名
→逮捕者の85%、死者の25名が黒人、そのうち17名の死には警官が関与→UAWは黒人市民側だった
UWA右派の労働運動家(ウォルター・リューサー)にとって、急進的なことが組合の外から持ち込まれることは大問題だった
→46年UWA会長となったリューサーは左派を追放→黒人労働者の同盟者が失われた。60年代、黒人自由闘争が急進化していくとUAWと黒人労働者の対立が増えていく
57年にデトロイトで結成されたTULC(労働組合指導者会議)は61年のデトロイト市長選でUAW幹部に逆らって対立候補を支援→黒人有権者から支持を受けた候補が当選
63年、デトロイトで自由への行進という大集会が企画されると新世代の黒人たちは運動が黒人だけのものになることを強く要求→10万人ともいわれる黒人がダウンタウンを行進
60年代後半の黒人運動は、自らを第三世界の労働者としている。LRUW(革命的労働者組合連盟)の黒人労働者にとって、UAW幹部は労働貴族だった
→UAWにしてみればLRUWの主張は黒人の利害だけに関心を持つもの


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