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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

431修都:2023/08/03(木) 19:50:52 ID:Iwso9WKY
石原俊「小笠原諸島史」
小笠原群島の発見に関する最古の記録は、1670年→徳川幕府は1675年、探検家の島谷市左衛門を派遣
硫黄列島の発見は、1543年のスペイン。北硫黄島には、紀元前1世紀から紀元後1世紀頃にかけて定住者がいた
1830年、シチリア島出身とされるマテオ・マッツァーロがハワイ・駐ホノルル英国領事から支援を引き出して約25人の移民団を組織し、小笠原群島に渡航
→小笠原群島には、入植者・寄港者・逃亡者・漂流者・掠奪者がいた
ペリーは1853年、小笠原群島の領有宣言をしている→英国からの強い抗議と米本国での政権交代で白紙
→日本は1862年、咸臨丸を小笠原群島に派遣→父島に幕府の役所を設置し、統治業務を開始→英仏との軍事的緊張から1863年、官吏と入植者を引き揚げさせる
1875年、明治政府は官吏団を小笠原群島に派遣→先住者に服従を求め、外国からの移住を禁じた。先住者は1882年までに日本国民に編入→扱いは帰化人
先住者は経済的に豊かであったが、1911年、世界初の本格的な野生生物保護条約でラッコとオットセイの海上捕獲全面禁止、第一次大戦後の米国との軍事的緊張
→1920年代には、先住者の子孫の多くが貧困層に転落
硫黄列島は1887年、巡航団が派遣され、91年、領有宣言→硫黄の採掘事業が行き詰まると、糖業が主産業に。開拓農民の大多数は小作人
→1920年代半ば、糖業危機が起こると、コカの生産地となり、コカインも精製された。コカインは、インドの闇市場やナチスドイツにも密輸された
1920年代、日本は父島に米国を仮想敵国とする要塞建設→帰化人と呼ばれた人びとは、潜在的スパイとみなされた
1944年、小笠原群島で本格的な島民疎開開始→先住者系島民は疎開先の本土でも潜在的スパイとみなされ、地域住民から暴力を受けることもあった
一方で、16歳から59歳までの小笠原群島・硫黄島民男性は軍属として徴用された。地上戦に動員された103人の硫黄島民のうち、生存者は10人
戦後、小笠原群島・硫黄列島には島民も日本軍関係者もいない状態になった→1946年、日本併合以前から小笠原群島に居住していた先住者の子孫に限り、再居住が許可された
1968年、小笠原群島・硫黄列島を含む南方諸島の施政権が日本に返還された。本土系島民にも居住が認められた
硫黄島は海上自衛隊の駐屯が始まり、硫黄列島のインフラ整備を行わないことで民間人の再居住を事実上阻んだ
硫黄列島民は、約80年にわたって全島民が帰還を認められないという状況に置かれ続けている


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