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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

427修都:2023/07/30(日) 18:44:13 ID:Iwso9WKY
桑原牧子「フランス領ポリネシアの歴史」
1767年、サミュエル・ウォリス船長のドルフィン号が西洋船として初めてタヒチ島を訪れた→イギリスの占領を宣言
→1768年、ブーガンヴィルがタヒチ島に訪れる→ウォリスのことを知らず、フランスが占領したと信じた
1788年、バウンティ号がタヒチ島に到着→船員の多くは島の女性たちと性関係を持った→89年、島を出発すると船員が叛乱→船員たちは島に滞留した
→首長トゥは船員を味方につけ義兄との戦いに勝利→ポマレと改名して王朝を樹立→船員の叛乱はタヒチ島への楽園幻想を西洋社会に広めた
ポマレ2世は宣教師団を全面的に支援した→島民は疫病や死傷に対してオロ信仰が無力であると疑念を抱き始めておりキリスト教を信仰する人々が現れる
1815年、反キリスト教を掲げてポマレ2世に対抗する首長オプハラがキリスト教礼拝の現場を攻撃→ポマレ2世は勝利を収め、全島を支配する
→キリスト教への改宗が進むなかで、伝統信仰は異教徒の信仰となっていく→1836年、フランス人カトリック宣教師が上陸
→女王ポマレ4世助言者のイギリス人プロテスタント宣教師はカトリック宣教師らを追放する→1838年、フランスはカトリック宣教師追放の賠償請求を行う
→女王は賠償に応じるが、イギリスはカトリックの締め出しを強化→フランスは女王不在時に他の首長たちに保護領化同意の署名をさせ、女王にタヒチ島をフランス保護領とする条約を締結させた
→ポマレ4世は逃亡。1844年、ポマレ王朝を支持する首長たちがフランスに反発、フランコ・タヒチ戦争勃発→1847年、フランス勝利→ポマレ4世はタヒチに戻り、77年に死ぬまで政権掌握
→保護領ではポマレ王朝とフランス人総督による執政が併存→ポマレ5世は80年、主権をフランスへ譲渡→第二次大戦後、海外領土となり、住民にフランス国籍が与えられる
20世紀後半、ポリネシア人による植民地統治への抵抗が起こったが、1958年、国民投票が実施され、フランス残留支持率が64%だった
アルジェリアが独立するとフランスの核実験地はアルジェリアからツアモツ諸島となった→核実験は1992年まで行われたが95年に再開決定されると暴動まで勃発した。96年までに193回の核実験


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