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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

419修都:2023/07/09(日) 12:33:00 ID:Iwso9WKY
中村隆之「ネグリチュード運動の形成」
ネグリチュード運動の中心人物は、この語を発明したマルティニックのエメ・セゼールと、この語を普及させたセネガルのレオポル・セダール・サンゴール
アフリカ系住民は、西洋の人種イデオロギーを通じて形成された白と黒の優劣意識を長らく内面化してきた
→カリブ海の黒人エリートは文明の地はヨーロッパ、アフリカは未開で野蛮の土地だという社会進化論的な考え方を身につけていった
→しかし、黒人エリートも宗主国に渡ると野蛮な黒人として多数の白人に見られることに気づく
→マルティニック出身のナルダル姉妹がパリ郊外クラマールで開いたサロンが黒人意識の目覚めを可能とする交流の場となる→ここから『黒人世界評論』という雑誌が出る
→この雑誌やそれ以外のさまざまな交流と影響のもとに『黒人学生』が刊行される
1944年、ドゴール将軍は植民地諸制度の改革を約束した→第四共和政は植民地住民にフランス人と同等の市民権を認める
セゼール(共産党)とサンゴール(社会党)も政治家としてのキャリアをスタートさせた
しかし、フランスは独立運動は容赦なく弾圧した→セゼールがカリブ海の四つの植民地を県に昇格させる法案を提出し可決される
1956年、セゼールは、スターリン主義に追従し、アルジェリアの武力弾圧を支持するフランス共産党を批判し、離党を表明→マルティニック進歩党結成
1958年、ドゴールが、フランス共同体に加盟する是非を植民地や海外県に問うた→加盟を拒否したのはギニアのみ
1960年、セネガルではフランスとの関係を維持したままサンゴールが初代大統領となる。セゼールはフランス共同体加盟に賛成した
→サンゴールとセゼールは後続の世代からの支持を得られなくなった


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