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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

416修都:2023/07/06(木) 19:48:10 ID:Iwso9WKY
篠原琢「中央ヨーロッパが経験した二つの世界戦争」
第一次世界大戦時、オーストリアにおける政治と社会の軍事化、軍部独裁は極端であった。二重帝国の東側ハンガリー王国では議会も文民政府も機能を続ける
オーストリア=ハンガリーは最も早く配給制度を導入した→1916年の冬から、必要最低限の栄養すら供給できなくなる→1917年春、飢餓暴動
→日常生活に直接介入した帝国権力は、介入の使命を果たせないまま支配の正統性を失っていった
1916年11月フランツ・ヨーゼフ1世死去→新帝カールは軍部独裁廃止、帝国議会を召集→1918年、帝国の連邦化案を発表
1918年、チェコスロヴァキア国民委員会はチェコスロヴァキア共和国の独立を宣言。新国家は市民権の認定にあたってネイションへの帰属を問うた
1939年、ミュンヘン協定により、ドイツ人が集住するチェコスロヴァキア西部国境地域ズデーテンはドイツに併合された。翌年にはスロヴァキアがチェコスロヴァキアから独立
→翌日にはドイツ軍がチェコを占領してボヘミア・モラヴィア保護領が設置された→ユダヤ人コミュニティは破壊された→保護領総督はドイツに同化可能なチェコ人を選別
→チェコの抵抗運動はチェコスロヴァキアからのドイツ人の大規模追放を要求→1945年9月、ドイツ人の追放、財産の略奪が始まる
→チェコスロヴァキアはナチスドイツの人種主義を拒絶したが、市民権の付与・剥奪でその実践を継承→チェコ的価値に忠実かが問われた
→ユダヤ人も占領中の反ファシスト活動を証明しなければ市民権を獲得できず、7500人のうちチェコスロヴァキアに残ったのは500人程度とされる
チェコスロヴァキア西方の国境地域の新しいチェコ人は出自が非常に多様であった→地域コミュニティの中に差異をつくりだした


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