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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ
414
:
修都
:2023/07/04(火) 19:48:38 ID:Iwso9WKY
飯塚正人「イスラーム主義の盛衰」
ムスリム諸王朝の近代化は、国家財政の破綻を招き、列強への従属を深めてしまった→イスラーム主義者は、没落はムスリム個々に非があると発想した
エジプトは1876年、財政破綻→イギリス人、フランス人がそれぞれ国家の収入と支出を管理するヨーロッパ内閣に→民族運動
→運動は成功したかに見えたが、イギリスの侵攻を受け、70年に及ぶイギリス占領期→第一次世界大戦が起こると、反乱を恐れて、保護国とし、戒厳令を布く→戦後、反英運動
→1922年、イギリスはエジプトの独立を宣言。エジプト王国誕生→独立は形式的なもの
オスマン帝国が第一次世界大戦で敗北すると、ムスタファ・ケマルが武力反乱。勝利→スルタン・カリフ制をスルタン制とカリフ制に分離、スルタン制廃止→1924年にはカリフ制も廃止
→政教分離への決意→新たなカリフの選出をめぐって各所で議論。1928年、エジプトでムスリム同胞団が生まれる
→1930年代、イスラームを後進的と非難してきたヨーロッパは混沌としており、ムスリム側にヨーロッパの先進性に関する疑問が生じていた→真に優れているのはイスラームなのではないか
同胞団は政治に一定の距離を置いていたが、パレスチナにユダヤ人移住者が急増すると、ジハードを強調するようになり、イギリスに警戒される存在となっていった
同胞団は、女性と男性が同じ空間で一緒に教育を受けることには反対だったが、服装と行動さえイスラーム道徳に則っていれば、何にでもなれると説いた
第二次世界大戦後、エジプトは極めて深刻な不況→政府との決定的な対立だけは回避する構えだった指導部の意思を無視して政府関係者を襲撃する同胞団
1952年、エジプト革命→同胞団はクーデタに協力したがやがてクーデタ側と対立→クーデタ指導者ナーセルが亡くなるまで同胞団冬の時代
ナーセルは同胞団がイスラームを歪める者だとして弾圧。ナーセルは67年の第三次中東戦争でイスラエルに惨敗→同胞団など大衆イスラーム主義運動の復活
1970年、ナーセルが急死すると同胞団幹部は大量釈放された→大統領サーダートは左翼勢力に対する勢力として同胞団を利用
→サーダートが対イスラエル単独和平路線を歩むと、81年、同胞団幹部は一斉検挙された→81年、サーダートはジハード団員によって暗殺される
→エジプトのイスラーム主義運動は、法の枠内でイスラーム国家を目指すムスリム同胞団と武装闘争派の地下組織に分かれる
2011年、30年続いたムバーラク政権が倒れると、同胞団は自由公正党を結成、政権を獲得→13年、軍事クーデタで非合法化、テロ組織に指定される。再び冬の時代となっている
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