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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

401修都:2023/03/07(火) 19:48:34 ID:I9ttHEEY
村田奈々子「模索する現代ギリシア」
1830年、ギリシアは独立したが、国家を建設する資金もなければ、まとめあげる指導者もいなかった→ヨーロッパ列強の介入を許した
ギリシアの国境外にはギリシア語を母語とする正教徒が国内の3倍残されていたと言われる→領土を拡張し、かれらを包摂することが国家の使命であるとみなされた(メガリ・イデア)
→1879年、ギリシア初の戦争としてクレタでオスマン帝国と戦う→30日足らずで惨敗→ただし、クレタは実質的にオスマン帝国支配から脱し、1913年にギリシア領となる
マケドニアはヨーロッパの火薬庫として危険視され、1912~13年のバルカン戦争で、オスマン帝国の手を離れ、ギリシア・セルビア・ブルガリアに分割された
第一次世界大戦→連合国側での参戦を主張するヴェニゼロス首相と中立を望む国王の対立→ヴェニゼロス解任→ヴェニゼロスは別の政府を樹立→イギリスとフランスが介入してヴェニゼロス勝利
→第一次世界大戦で戦勝国となったがトルコ革命政府軍との戦闘中に反ヴェニゼロス派政権樹立→国民には厭戦気分が高まっていた→ただし、戦いは続きギリシア大敗
→紀元前から続く小アジアのギリシア世界消滅。1923年、ローザンヌ条約でギリシアは獲得した領土のほぼすべてを失う→ギリシア人の居住地は歴史上はじめてバルカン半島南端に集約された
→ヴェニゼロス派のクーデタ。1924年、国民投票でギリシアは共和制となる→この時期の最大の問題は、小アジアから流入した大量の難民
ヴェニゼロス首相はメガリ・イデアを完全に放棄。ギリシア領の現状維持を支持したのはトルコ大統領ムスタファ・ケマル→トルコとの和解
世界恐慌→1933年、反ヴェニゼロス派の人民党が政権掌握→ヴェニゼロスはパリに亡命、1936年死亡→1935年、国王支持勢力により共和制廃止、君主制復活
1936年、国王は極右政党党首メタクサスを首相とする。第二次世界大戦では、連合国側で参戦→1941年、全土が枢軸国に占領される→政府と国王は亡命
民族解放戦線(EAM)の設立に主導的役割を果たしたのはギリシア共産党→ただし、EAMは多様な思想信条を持つ人々が参加している
イギリスはEMAの共産主義者がソ連と手を組むことを恐れていた→EMAの支援を控える→1943年、EMAは他の抵抗組織の殲滅を開始する
→ドイツは共産主義の脅威からギリシアを防衛するとしてEMAへの攻撃を正当化→1944年、ドイツ撤退。亡命政府帰還→EMAと政府の対立
→白色テロ。左翼・共産主義思想を疑われた者、EMAで抵抗運動に参加した者が、暴力の餌食となった→標的となった人々は山岳地帯に逃れた→1946年、民主軍結成
→1947年、全面的な内戦→アメリカのトルーマン・ドクトリン。ギリシアは自由世界防衛の最前線としてアメリカが政府を経済的・軍事的援助→共産党が非合法化される
→1949年、民主軍潰走→8~10万人と言われる左翼・共産主義者が政治難民に→1974年、軍事独裁政権崩壊後、共産党は合法化される。政治難民が帰国を認められたのは1981年


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