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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

4修都 ◆7VC/HIVqJE:2017/02/09(木) 20:20:15 ID:MDyIz2QM
波戸岡景太「学習者たちの青春小説」
 1960年代、寺山修司『家出のすすめ』→当初『現代の青春論』として刊行されたが、あまりにも挑発的として退けられた
 大江健三郎『世界の若者たち』→大江はエッセイ「善き若者たちの危険」で、『世界の若者たち』で脚光を浴びた若者たちをも標的に現代の日本の青春に失望している
 60年代→大衆化、民主化、学生たちの匿名化(非エリート化)。大江は、現代日本の若者は優等生タイプの子どもたちであるとして失望している
 69年、庄治薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』→お行儀のいい優等生である主人公の高校生は作者の分身でありながら完全なる虚構でもある(作者は30歳を越えている)
 『ライ麦畑でつかまえて』も『赤頭巾ちゃん気をつけて』も、もしも自分(作者)がこの現代社会に生きる10代だったらという、未来志向の郷愁
 →この思考実験がときとして魅力的な青春小説となる→作家になった自分が、一介の学習者であった頃の自分に声をかける関係性が魅力的なのでは
 村上春樹→青春の終焉。村上以後、ただひたすら遠い過去のように現在を生きる若者を描く作家が次々に登場した
 60年代、若者は家を捨てることで自由になれた→80年代、おたくの登場。80年代の若者は、趣味という個の喜びに充満された家を殻のように背負い始めた
 90年代、バブル終焉後、オタクは日本文化における選ばれし者として語られるも、90年代の終わりとともに大衆化し、匿名化(非エリート化)していった
 2010年代のオタクは、岡田斗司夫にオタクではないと言われるほど、かつてと違う「平成の価値観」をもっている
 ライトノベル→新世代の青春がテーマ。上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』、滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』、谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』など
 →これらの作品の特徴的な独白スタイルは、以後のライトノベル全体の語りの基礎を築いた
 →これらの作品の語り手も、もしも自分(作者)がこの現代社会に生きる10代だったらという思考実験を経ている
 『涼宮ハルヒの憂鬱』に描かれる若者は、アニメ的特撮的マンガ的物語にノスタルジアを持ち続ける高校生→読者の視点(かつての生徒(高校生))でもある
 かつてはオタク予備軍であったが、高校生の今は「フツー」であるというスタンスの若者(その姿が仮の姿であるとも感じている)→「中二病」をノスタルジアの対象としている
 虎虎『中二病でも恋がしたい!』→「ぼっち」な状況へのシンパシーが恋愛の中核
 →語り手の前に現れる異性は、過去の自分を想起させる、俺と限りなく近い存在として描かれることが好まれる
 新しい作家たちのキャラクターは、学校を出ることなく、内部に自分たちのスペース、制度を確保しようとしている(SOS団など)
 →作家たちは、学校に個と共同体との緩やかな中間地域を見出そうとするいまだ学びの只中にいる学習者


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