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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

394修都:2023/02/26(日) 14:41:38 ID:I9ttHEEY
中村元哉「中華民国における民主主義の模索」
中国語の民主は、民の主宰者(帝王や君主)を意味する言葉→20世紀初頭、清末民初に国家の主権=人民に属する政体を意味する言葉に
当時の政治家や知識人たちは、立憲君主か立憲共和かを争った→立憲君主(立憲派)は専制(政体)で立憲民主(革命派)は共和制(国体)だという論点→双方とも憲政に立脚
1908年、憲法大綱→皇帝の権力を一部制限したが、権力を日本の天皇以上に認める。1911年、イギリスの責任内閣制に通じる制度を採用したが、時すでに遅し→1912年、中華民国成立
中華民国臨時約法→強い議会制が誕生(議会専制)→袁世凱は1914年の中華民国約法で行政権を強化しようとした→大総統に日本の天皇以上に強い権力(事実上の立憲君主制復活)
→袁世凱死去後、旧約法復活→議会は継続したが、孫文らは南方に拠点を移し、中華民国は南北分裂→1920年代半ば、北京の国会は解体を余儀なくされる
→各界の職能団体を介して憲法を制定すべきとする機運が盛り上がる
南京国民党中華民国政権の立法院は任命制→選挙制に基づく議会としていくつもりだったが日中戦争で中断→国民参与会が設置されるが諮問機関でしかない
→第二次世界大戦後はデモクラシーが世界を席巻すると予測→憲政への移行を本格化させる→中華民国憲法の土台完成
→国民党は敵対していた共産党や政治グループを排除して1946年11月、制憲国民大会→憲法には孫文の三民主義を明記
国民大会と立法院という2つの議会が誕生。国民大会が形式的な議会、立法院が実質的な議会


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