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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ
383
:
修都
:2023/01/04(水) 20:02:51 ID:QPJxpke.
荒木圭子「パン・アフリカニズムとアフリカ」
19世紀以降、ロンドンには多岐にわたる分野で黒人たちが集った→人種差別的待遇を共有し、パン・アフリカニズム的思考を形成・発展させた
1897年、ロンドンにアフリカ協会が設立される→1900年、ロンドンでパン・アフリカ会議→米国内の黒人への参政権等の付与、ハイチやリベリアといった黒人国家の独立保障などが求められた
→会議後、パン・アフリカ協会となるが、数年後に活動休止
第一次世界大戦後、黒人たちは連帯して人種主義的な国際秩序の是正を求めた→従軍して連合国の勝利に貢献した見返りとして、黒人たちは自決権を旧ドイツ領アフリカへ適用することを訴えた
1919年、パリでパン・アフリカ会議→政治的権利に関しては、漸進的にアフリカ人に参政権を付与することが求められたのみ
1921年、第二回パン・アフリカ会議→黒人労働者問題への注意喚起、委任統治委員会への黒人任命などを求める程度
パン・アフリカ会議は欧米のエリート黒人、植民地経営に取り込まれたアフリカ人エリートによる会合という性格が強い
1914年、マーカス・ガーヴィーが英領ジャマイカで万国黒人向上協会(UNIA)設立→ガーヴィーは旧ドイツ領アフリカの独立を求める
19世紀末、教会における人種差別に不満を抱いたアフリカ人牧師は独立教会を設立、エチオピアニズムと呼ばれる黒人教会独立運動を広めた
→エチオピアニズムはアフリカ人たちを政治化し、主体的に参加する初めての組織抵抗運動となる
南アフリカではアフリカ内で最も多くのUNIA支部が設立される→異なる民族集団に属するアフリカ人がひとつの集団として地位向上を目指すとき、ガーヴィーのメッセージは有効だった
南アフリカの黒人たちの関心事はあくまで国内の人種問題だったが、パン・アフリカニズム的要素を含みながら展開された
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