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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

378修都:2022/12/21(水) 21:06:50 ID:QPJxpke.
武内進一「中部アフリカ」
中部アフリカの熱帯雨林周辺部には、植民地期以前、数多くの国家があった→16世紀以降、大西洋奴隷貿易が本格化すると奴隷獲得のための戦争や混乱で、これらの国々は衰退
熱帯雨林では、集権的な王国は成立しなかった
ルワンダの内戦でクローズアップされたトゥチとフトゥは社会階層を含意する言葉→トゥチが貧困化すればフトゥ、フトゥが豊かになればトゥチ
ルワンダ王国周辺部の人々がそうした自己認識を強く持つこともなかった→19世紀後半、トゥチの支配が強まると集団間対立が起こるようになる
中部アフリカ北部にはイスラームを受容した王国が多数存在したが、熱帯雨林地域への浸透は限定的。ヨーロッパ勢力の侵入も遅れた
コンゴ自由国を誕生させたベルギーのレオポルド2世はアフリカ人に狩猟・採集させ、低価格でゴム・象牙を買い付けた
→1890年代以降、ゴムの採集は義務化され、量を集められなければ刑罰が科せられた→糾弾の国際世論が高まると1908年正式な植民地であるベルギー領コンゴとなった
→ベルギー領コンゴではコンゴ自由国の反省からアフリカ人の保護と生活改善がうたわれた→中部アフリカでは多様な集団が移動を繰り返していたが、領域とメンバーシップが固定化された
ヨーロッパではトゥチがフトゥを征服して国家が成立し、人種が異なると考えられていた→ベルギーは両者を明確に区別し、トゥチに行政ポストや近代教育を与え、フトゥをそこから排除した
1960年、コンゴの独立が決まるが、洞掘採集の権益が独立国家の手に渡ることを恐れたベルギー資本が政治指導者チョンベを焚き付けた結果、コンゴ動乱が起こる
ルワンダでは、政治権力が一部トゥチに独占されていることが好ましくなかったベルギーはフトゥと親密な関係を築く→フトゥがトゥチ達を襲撃、追放→10万人を超えるトゥチが国外に放逐された
コンゴ動乱を収拾したのはアメリカの支援を受けたモブツだった→モブツ個人が国家を操作する仕組みをつくり、国名はザイールとなった
ルワンダなど中部アフリカでは一党体制の国々が次々と成立。いずれもモブツ政権と同様の性格で冷戦体制のなか、先進国から支えられた
→冷戦が終結すると西側諸国は民主化しない国には援助しない政策を打ち出したので、複数政党制に移行する国々が続出
1990年、30年前にウガンダに亡命したルワンダ難民の第2世代(RPF)が祖国に侵攻した→一旦は戦いは止まったが、94年ルワンダのハビャリマナ大統領の搭乗機がロケット砲で撃墜された
→政権はRPFによると主張し、報復→民兵らがRPFとトゥチを同一視し、トゥチ市民を無差別に殺戮。少なくとも50万人が殺害された
→和平協定を訴えたフトゥ政治家も多数暗殺されている→RPFと交渉するかどうかの対立が、エスニックな装いをまとって急進化した→殺戮が進むなか、RPFは首都を制圧し、新政権樹立
→政権側の勢力がザイールなどに逃亡。多数の難民キャンプが建設される→RPFがザイール国内ルワンダ系住民(AFDL)を動員して難民キャンプ掃討作戦
→AFDLはザイールのモブツ政権打倒を掲げて進軍開始。モブツ体制崩壊→カビラが政権を握り、国名がコンゴに戻った→政権の軍事部門はルワンダとウガンダが掌握
→カビラは両国と衝突、内戦→アフリカ大戦→2002年に紛争が終結したが、東部の治安は現在も回復していない
ルワンダは、RPFの統治下で軍事的性格を帯びるようになった。社会変革への強烈な指向があり、ルワンダの国会議員の女性比率は世界最高水準


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