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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

361修都:2022/11/14(月) 19:35:29 ID:QPJxpke.
小林亮介「一九世紀の清・チベット関係」
ダライ・ラマ政権の母体であるチベット仏教ゲルク派は新興勢力→カルマ・カギュ派の勢力を打ち破り、1642年ラサにダライ・ラマ5世を最高権威とする政権樹立
→カムの東半分やアムドには多くのチベット系在地有力者が割拠、多くはグーシ・ハーン一族の支配を受けていた
乾隆帝の時代は清とダライ・ラマ政権の関係が良好に保たれた時代→背景にアムドの僧侶達の活躍→以後の皇帝には、乾隆帝のチベット仏教への敬意は必ずしも継承されていない
ダライ・ラマ九世以降はラサの一握りの寺院出身の僧たちが摂政として代々大きな力を振るうようになる
カムの争乱→中央チベットに対する清の影響力後退、内地との交通が阻害された。ダライ・ラマ政権も四川からの茶の輸入が断絶した
→カムの秩序回復が必要→チベットはカムの多くの首長に服属を誓わせた→管轄をめぐり、ダライ・ラマ政権と清四川当局の間で紛糾→イギリスがヒマラヤ・チベットで情報活動
→ダライ・ラマ政権は英軍に敗北→ダライ・ラマ政権は反英姿勢を貫いたが、清内部ではチベット喪失の事態に備えてニャロンを四川省へ回収すべきという強硬論→実行
→清はもはやチベット仏教の護持者ではなかった→ただし、清も関係悪化は回避すべきと判断し、ニャロンを返還→ダライ・ラマ13世はロシアと接触→イギリスはラサへ進撃、ラサ条約締結
→イギリスの経済進出。しかし、ダライ・ラマ政権にとって最大の脅威は、清だった→清はチベットを支配しようとした→ラサに進軍、ダライ・ラマ13世はインドに逃れる
1912年に誕生した中華民国は清朝版図の継承を唱え、チベットにも新国家への参加を呼びかける→1913年ダライ・ラマは独立宣言


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