したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

356修都:2022/11/07(月) 19:28:31 ID:QPJxpke.
井坂理穂「一九世紀インドにおける植民地支配」
東インド会社は19世紀前半までに、インド亜大陸の大部分を支配下においた→1857年、インド大反乱→ムガル帝国滅亡、1877年ヴィクトリア女王がインド皇帝に即位
18世紀後半のインドにおけるイギリスの司法→刑事訴訟はイスラーム法。民事訴訟はヒンドゥーにはシャーストラの法、ムスリムにはクルアーンの法
→それまでのインドでは、統一的な法が無かったが、ヒンドゥーとムスリムはそれぞれ同じ法が共有されることとなった
1780年イスラーム法に通じた人材育成のためのカルカッタ・マドラサ設立、1791年ヒンドゥー法に通じた人材育成のためのサンスクリット・カレッジ設立
→それまでの知の伝統を引き継ぎつつ、東インド会社の統治体制や権威を築くという会社の方針
19世紀半ば以降、社会・宗教改革運動→推進派、反対派ともに訴訟に関わる→統治のために導入された司法制度は、在地社会の状況にあわせて利用され、インド社会に根づいていった
インド各地でヨーロッパ人と現地のエリートの協力のもとに教育活動発展→在地の知の伝統を重視する人々と西洋の知を積極的に取り入れることを目指す人々の両者がいた
もともとインドのエリート層は複数の言語に精通している→英語はそのなかに加わった一つの言葉にすぎない→英語を重視する主張が優勢に
→ただし、英語教育を受けることのできた層は限られている→そのエリートたちが集う場としてインド国民会議→のちにインド独立運動を率いる
インドでは、在地社会の構造や慣習などを反映しながら多様な教育活動が展開。特定の宗教コミュニティやカーストと結びついた教育機関が存在
在地エリートは女子校を設立→イギリスによるインド社会批判のなかで女性の地位の低さが強調されていたから→しかし、そのエリート達も女性が過度に西洋化することは警戒


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板