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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ
293
:
修都
:2022/03/29(火) 21:47:05 ID:AY2wDrvM
佐川英治「十六国北朝隋唐政権と中華世界」
十六国期ほど華北が分裂した時代はない→劉淵が漢の劉氏の後裔として皇帝に即位→漢の将軍だった石勒は趙王になるが撤回されたことで袂を分かち、漢は分裂(漢と前趙)
→劉氏を倒し石勒が皇帝に即位(後趙)→やがて内乱が起こり、好機として前燕が河北に進撃→皇帝に即位
関中では後趙の滅亡後、前秦が建国される→皇帝に即位→前燕を滅ぼす→やがて華北を統一→東晋に敗れる
→皇帝・天王が複数いたのは前燕と前秦が対峙した18年間のみ→前秦敗北後は皇帝・天王を称する国が常時併存する状況
鮮卑の拓跋部は曹操の時代に勢力を築き、4世紀の初めには晋から援軍を要請されるようになっていた→338年、後趙の人質だった什翼犍が戻って王となると君健安定
→376年、前秦に滅ぼされる→386年、前秦崩壊後、魏を名乗る→398年、皇帝に即位(北魏)→北魏は十六国のなかで唯一モンゴル高原の草原世界に君臨
436年、北魏が華北の全域を支配、北は柔然、南は宋と対峙した。北魏では皇帝と可汗の称号を併用(これまでは併用されなかった。可汗は非漢民族の称号)
十六国期は華北に仏教が普及。仏教振興は前秦崩壊後。中華を相対化する仏教を王権に取り込む素地は北魏にはあった→皇帝・可汗を併用する北魏はもともと中華を相対化している
466年、宋の皇位継承をめぐる乱で逆臣となった人物が北魏に降伏してきたことで北魏の領土拡大→膨大な兵力が必要→兵役の公平化と租税の負担軽減→均田制
→兵力を民に担わせる反対給付としての均田制
孝文帝は洛陽に遷都し、宮中での鮮卑語を廃止、漢化政策
北魏内で爾朱氏の力が強くなる→爾朱氏を高歓が倒す→孝武帝が宇文泰の下に出奔→高歓は孝静帝を擁立(東魏)。宇文泰は孝武帝を殺し、文帝を擁立(西魏)
東魏では高歓の子が即位(北斉)。西魏では宇文泰の子が即位(北周)→574年、北周の武帝は仏教と道教を禁止→577年、北斉を滅ぼす
→幼帝を補佐した楊堅は仏教・道教禁止を解く→581年、楊堅が即位(隋)→589年、陳を滅ぼして中国統一
都城制は北魏の洛陽城にはじまる
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