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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

286修都:2022/03/22(火) 21:43:53 ID:AY2wDrvM
鷹取祐司「漢帝国の黄昏」
漢帝国は物資と労働力を民衆から徴発した→民衆はたやすく逃亡する存在→帝国存続のためには民衆の生活を守ることが必須
武帝崩御、昭帝即位→武帝期の軍事的成果からの負担軽減と休息が政治課題→次の宣帝期頃までに夷狄が帝国西北辺の諸郡に少なからざる規模で移住していた
→一部は選抜されて漢軍に編入
元帝は節約、税の減免を実行→儒学が政治に深く入り込んでいたので経済振興による民衆の生活向上が推進されることはなかった
→元帝が崩御すると王皇后の実子成帝が即位→外戚王氏が権勢→哀帝は高級官僚や豪族が広大な田宅と多くの奴婢を保有していることを問題とした
前漢晩期には辺境防備の傭兵化が進行
王莽が皇帝となると改革が強行されたため、混乱に陥る→文書行政が徹底していたため、その命令は確実に遂行されていた→王莽の混乱で多くの人々が逃亡、流民化
光武帝は郡国の常備兵を廃止→移住していた夷狄の軍事利用が加速→中華と夷狄の混淆
章帝→10歳の和帝→13歳の安帝。安帝の代行として鄧太后→鄧太后が生きている時は鄧氏の専横は抑制されていたが、死去すると外戚と宦官の横暴
安帝の時代107年、羌の大反乱→西域遠征に使役されたことがきっかけ→鎮圧するも帝国の国庫は空となる→134年にも反乱
→郡国の常備兵が廃止されているので鎮圧の戦力は夷狄と募兵
儒学が政治に深く浸透しているので経済積極政策はできない→財政状況は改善しない
安帝期以降、漢人の反乱も発生するようになる→反乱はいずれも帝号や王号を称する→漢帝国はすでに民衆から見限られている
→漢帝国立て直しの最後の希望は清流士大夫→専横を極める宦官を批判→逆に排除される
疫病の流行→人々の不安→太平道などに救いを求める→184年、太平道信者大反乱(黄巾の乱)→各地で反乱
190年、多くの胡兵を率いた董卓が献帝擁立→実質的に後漢王朝滅亡→220年、献帝が曹丕に禅譲、後漢王朝滅亡


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