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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

129 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/05/11(木) 20:10:12 ID:z68wRE6o
吉岡忍「筑紫哲也(新聞記者・キャスター)」(『ひとびとの精神史8巻 90年代』)
 筑紫哲也は1935年生まれの戦中派だが戦争中や戦後の体験については高校生の頃に書いた作文にしか書いていない
 →小中高の全てで入学した学校と卒業した学校が違う。2度の疎開もあった→東京、大分県日田、静岡県沼津、東京と移り住んでおり、故郷がなかったとも言える
 早稲田大学に入学した筑紫は学生運動には参加せず、ボランティア活動を行っていた→アメリカのクウェーカー教徒とともに戦災孤児のための活動を行った
 →アメリカからやってきた活動家たちとぶつかり、自前の団体を立ち上げる→59年、朝日新聞社に入社→池田勇人首相の番記者となる
 →政治家と番記者が酒を酌み交わしながら議論をするというやり方に疑問を抱く
 那覇支局勤務時代(米軍統治下の沖縄)、ワシントン総局時代(ウォーターゲート事件発生)、『朝日ジャーナル』副編集長時代(ロッキード事件発生)が記者生活の山場
 78年、テレビ朝日「こちらデスクです」のキャスターに抜擢される→79年4月1日、報道番組でエイプリルフール企画を敢行。やりたいことをやる制作チームだった
 ベトナム戦争後の日米貿易戦争の取材でも、帰還米兵が軍法会議にかけられるという話を聞くとテーマを変えてしまうぐらい自由だった
 →日本の関税批判をやっている政治家の集会にも出かけ、このオレンジは30セントだが東京では35セント。関税の話は誇張しすぎではないか、という質問をした
 「こちらデスクです」を欠かさず見ていたのが久米宏→84年、テレビ朝日の番組で共演(この時の筑紫は『朝日ジャーナル』編集長として誌面改革を行っていた)
 85年、テレビ朝日は久米宏をキャスターとして「ニュースステーション」を始める
 89年、ニューヨーク駐在員だった筑紫のもとにTBSの2人の幹部が訪れる→筑紫は朝日新聞社を退職し、「筑紫哲也NEWS23」のキャスターとなった
 筑紫はテレビの全体主義性を警戒していた
 →TBSの損失補填事件(株の損失を証券会社から補填してもらっていた事件)、ビデオテープ事件(オウム真理教幹部にオウムに批判的な弁護士の取材テープを見せた事件)
 →自分の番組内でTBSを批判した
 筑紫はゲストを怒らせたことは一度もなかった(首相を辞任した後の森喜朗を呼んだ時も長々と話を聞くなどしており、窮地に陥った政治家が出演することはよくあった)
 →久米宏との違い。久米はスタジオ以外で政治家と絶対に会わなかったし番組内でいきなり質問するタイプだった(黒柳徹子とも食事すらしていなかった)
 筑紫と久米の似ているところ→反自民、反権力(反日、反米)と言われるが、直接的に権力批判はしていない→結論を言わずに番組を終える→視聴者に考えさせる


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