したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

119 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/05/02(火) 17:18:08 ID:Ylvok7Dc
輪島裕介「美空ひばり(歌手・女優)」(『ひとびとの精神史7巻 80年代』)
 1937年、美空ひばり(加藤和枝)は横浜市に生まれた
 →43年、父の出征の際に歌ったことが評判となり、しばしば壮行会や慰問に招かれるようになった→父の復員後、素人楽団を作り、近所で演奏するようになる
 →46年、地元の劇場に出演→47年から美空ひばりと名乗るようになる(それまでは美空和枝)→48年、横浜国際劇場と専属契約
 49年、日本コロビアム所属歌手による公演に笠置シヅ子の代役として出演→そこでディレクターから認められる
 →松竹の『踊る竜宮城』に出演。挿入歌を日本コロビアムから発売→日本コロビアムと専属契約
 →松竹『悲しき口笛』で初主演。主題歌も大ヒットし、一躍脚光を浴びる→50年、ハワイでのロケを含む『東京キッド』が大成功
 51年、横浜国際劇場副支配人だった福島通人社長がつくった新芸術プロダクションに所属。52年が美空の最初のキャリア絶頂期
 戦時中、壮行会や慰問という場での演奏は天才少女のみに開かれた場所では当然なかった。敗戦後に美空が出演した劇場も、戦後急ごしらえに作られたアマチュア劇場である
 →敗戦直後は素人の唄が娯楽になった(象徴的なのがNHK「のど自慢」)→戦時中の壮行会・慰問からの連続性
 美空は「のど自慢」予選で失格になっている→何を歌ったのかは諸説あるが、子供が歌謡曲を歌うということが望ましくないとされた
 美空は松竹を中心にしながらも、58年の東映と専属契約以前は日活以外の各社に出演→きわめて異例
 →ちょうど、五社協定が確立する狭間の時期だった。所属する新芸術プロダクションが制作機能も有していた→新芸プロ自社製作、福島社長がプロデューサーの映画に多く出演
 美空の音楽映画は、その時々の流行をいち早く取り入れ、あらゆる役柄、あらゆる曲調を歌いこなすものだった(ただし全て「ひばり調」になる)→和洋折衷
 57年、ファンに塩酸をかけられる事件→山口組との関係が深まる
 →山口組興行部は神戸芸能社と改称。58年、福島通人を排除する形で設立されたひばりプロダクションの会長に山口組3代目組長の田岡一雄が就任
 →東映と専属契約。福島がいなくなったためだと考えられる→当時の東映で美空は実質的に唯一の主演女優(男役や男装も多かった)
 62年、小林旭と結婚→この頃、日本映画が退潮していき出演映画数も激減→64年、離婚。活動場所を舞台に移し、テレビ出演も行うようになる
 当時は古臭い曲調が流行だった(村田英雄、森進一ら)→それに対応したのが「柔」「悲しい酒」
 GSブーム→「真赤な太陽」。このヒットを最後に美空がヒット曲を出すことはなくなる→弟の暴力団との関与が取沙汰され会場使用禁止、紅白歌合戦落選などのトラブルや批判
 美空が「女王」だったのは、ありとあらゆる曲調を歌いこなしたからである→美空の楽曲のなかで「演歌」と呼べるものは必ずしも主流ではない
 →そもそも美空全盛期に「演歌」というジャンルは存在しない。60年代末から70年代にGSやフォークと区別するために用いられるようになったのが「演歌」という言葉
 65年、竹中労『美空ひばり』→ひばり礼賛。美空は日本の民衆的な、民族的な音楽の伝統を守ってきた存在として描かれる
 →竹中は当時の左翼系音楽運動の論理に美空を当てはめている(黒人ジャズの民族性賞賛、日本の音律「七五調」重視)。美空側は竹中のパイプ・人脈を利用したかったと思われる
 →竹中は「演歌」という言葉は使用していないが、竹中の主張は「演歌」ジャンルの成立において決定的な役割を果たしていく
 70年代以降の美空は、新語である「演歌」に包摂されること(演歌の女王)でキャリアの延命が可能になったが、見失われたものは小さくない
 87年4月、美空は倒れる→本田靖春『戦後―美空ひばりとその時代』刊行→美空は戦後という時代と結びつけられるようになった
 美空が死去した89年、日本の大衆音楽は大きな転換の最中にあった→『夜のヒットスタジオ』(90年終了)や『ザ・ベストテン』終了
 →日本レコード大賞も「ポップス/ロック部門」と「演歌/歌謡曲部門」が分離。90年代前半にJポップという呼称が定着
 →演歌ジャンルは主に高齢者を中心とするニッチ市場に追いやられていった
 →その中で、美空を「演歌の女王」や「戦後の象徴」として語ることに対しての批判も出てきた(都はるみ、小林信彦)
 →小林による「美空ひばりのオリジナリティは、えたいの知れぬ和洋折衷だ」という主張は熱心な音楽愛好家の共通認識となってゆく
 現在、名曲とみなされている「愛燦燦」や「川の流れのように」は90年代以降のJポップの音楽語法と共通する特徴をもっている
 →美空は死後、「演歌の女王」というイメージから解放された→美空の別の側面が注目されるようになった


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

■ したらば のおすすめアイテム ■

坂本ですが? 1 (ビームコミックス) - 佐野 菜見


この欄のアイテムは掲示板管理メニューから自由に変更可能です。


掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板