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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ
116
:
修都
◆7VC/HIVqJE
:2017/04/30(日) 12:03:55 ID:Ylvok7Dc
想田和弘「奥崎謙三(元日本平)」(『ひとびとの精神史7巻 80年代』)
奥崎謙三は太平洋戦争でニューギニアに工兵として送られ、戦友のほとんどを失いながら奇跡的に命拾いをした
→復員した後は、昭和天皇と日本社会の戦争責任を過激に追及し続けた。数々の事件を起こしたため、24年間以上を刑務所の独房で過ごしている
1956年、金銭トラブルから不動産業者を殺害、懲役10年。69年、一般参賀で天皇にパチンコ玉を打ち、暴行罪で懲役1年6ヶ月
76年、皇室の顔写真をポルノ写真とコラージュしたビラをデパート屋上からばらまき、猥褻図画頒布で懲役1年2ヶ月
81年、『田中角栄を殺すために記す』を自費出版、殺人予備罪で書類送検、不起訴
83年、ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』の主人公となる→その撮影過程で、元中隊長の殺害を決意、応対に出た長男に発砲。殺人未遂で懲役12年
奥崎は良い結果をもたらす暴力を肯定し、積極的に行使した。テロリストと呼ぶことも十分可能である
奥崎は日本兵たちの怨霊のメディア(代表者)であり、怨霊そのもの。訴えから逃げようとする人間に対しては激烈な暴力を振るうが、訴えに向き合う人には礼儀正しくなる
→日本兵が仲間を殺して食べた事件の真実を話そうとしなかった元軍曹に対して暴力を振るったが、真実を話し始めると謝り救急車も呼んだ(『ゆきゆきて、神軍』の後半)
奥崎は、1920年兵庫県明石市に生まれた。家が貧しかったため、小学校を出るとすぐに木綿問屋で住み込みで働き始めた→職を転々とする
19歳になると、早い内に兵役義務を果たしておきたいと考え、戦死者がゼロに近かった海軍に志願するが、身体検査の結果門前払いを食らった
→しかし翌年の40年、徴兵検査で合格(状況が変わっており、本来は不合格の者も合格になっていた)。41年、中支九江工兵隊に入る
→上官に呼ばれた時に「忙しいから」と断ったら殴られそうになったので営外に脱走、売春宿で一泊→部隊の体面を保つために何の制裁も受けなかった(出すぎた杭は打たれない)
→反抗するなら派手に大胆に反抗すべき→戦後もそれを実行していた
43年、貨物船の中で5度頭上をまたいだ軍曹を殴った→これも不問になったどころか、一目置かれるようになった。以来、上官に暴力を振るうことを躊躇しなくなる
ニューギニアでは戦った相手は米軍ではなく、マラリアと飢餓だった(それどころか、身軽になるため兵隊の大部分は銃を捨てていた)
→奥崎は仲間とはぐれ単独で行動することになる。右手の小指も失い、餓死寸前にまでなった→殺してもらうつもりで現地住民の村に投降したが捕虜となって助かった
→今まで両親以外からは受けたことのないような親切を米軍からは受けた→オーストラリアでの捕虜収容所生活も奥崎にとっては幸福だった
復員船の中では食糧を横領しようとした船長に対して刃物で傷害を加えた→復員兵から感謝され、食糧配給も改善された→正しい目的のための暴力の必要性を確信
復員後は人なみの生活を送っていた。バッテリー商を開業→不動産業者とトラブルになり復員船の時と同じ要領で刺してしまうと相手が死んでしまい、自首した
→独房で奥崎は、殺したくもない不動産業者を殺すことになったのは、自分のことだけを考える動物的な生き方をしてきた天罰だと考えるようになった
→さらに、悪因そのものを除去しなければ、悪果としての人間が次々と生まれるはずだと考えるようになる→悪因は、天皇や天皇的な存在、不平等な構造の社会
奥崎は、天皇や権力者たちは死刑になるか社会的に抹殺されると確信していた→現実はそうではなかった。奥崎にとってそれは許しがたかった
天皇へのパチンコ玉発射は、世の中の人々を目覚めさせるために行った→マスコミは、ムシャクシャしてマスコミを騒がせるために事件を起こしたと論じ、すぐに忘れられた
2005年6月、奥崎は85歳で死んだ。奥崎と奥崎が背負っていた戦死者たちの怨霊はいまだ鎮まっていないのではないか
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