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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

114 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/04/28(金) 17:06:35 ID:Ylvok7Dc
長谷正人「宮崎駿(アニメーション監督)」(『ひとびとの精神史7巻 80年代』)
 1979年、宮崎駿初めての映画監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』を発表したとき、世界的映画監督として成功するような可能性はほとんどなかった
 →82年まで次回作品の企画は次々と頓挫した→アニメは未だ子供向けの文化でしかないと思われていた。80年前後のSFアニメブームからも宮崎は疎外されていた
 →宮崎の映画作品はアニメ文化のオタク的・サブカルチャー的な変容プロセスのなかでは最も周縁的な位置にいた
 →さらに当時は映画産業が衰退していた。東映動画も辞めていた宮崎らには長編フルアニメーションを作るだけの製作環境がなかった
 宮崎は背景に徹底的にこだわった→背景の自然描写がそのまま思想や世界観になっているような作品になった
 →宮崎的エコロジー世界は、アニメーション表現の困難な条件を乗り越えようとした結果生み出された
 主人公を飛翔させることでマンガ的なキャラクターに生きているかのような躍動感を与える。落下の危機を乗り越えさせることで登場人物に生命感を与える
 宮崎が目指したのは、実験的な短編作品ではなく、大衆文化的な長編アニメーション映画だった→大勢のアニメーターが分業体制を取るしかない
 アメリカ(ディズニーなど)のやり方→人間の動きをそのままアニメーションにする。日本(手塚治虫など)のやり方→止め絵やバンクの多用などによる省力化
 →アメリカのやり方はリアルだがアニメーターの個性は失われる。日本のやり方は絵の代わりに作家の演出が重視されるが動きが少なくなる
 →宮崎は、絵をダイナミックに動かして見せるアニメーションの職人労働に徹底的にこだわった。機械的合理化や作家的知性ではなく職人的知性にこだわった
 →職人的アニメーターであると同時に作家でもあるというのは宮崎独特の立ち位置
 宮崎らが東映動画と対立しながらつくった『太陽の王子ホルスの大冒険』は緻密な動きを伴った長編アニメーションを大勢の労働者が集団で助け合って作ったもの
 →この経験以来、集団的な職人労働によるアニメーション製作にこだわり続けた→85年、スタジオジブリ設立
 →宮崎は集団で絵を描く共同労働を演出と結びつけてアニメーション製作の中核に据え続けようとした→これは最も困難な道でもある
 『未来少年コナン』や『カリオストロの城』は一般的な評価を得ることはできなかった。子供向け作品としてしか扱われなかった
 →宮崎なりの青年向けアニメとして作られたのが『風の谷のナウシカ』→ハッピーエンディングは不可能な設定。ナウシカはアンチ・ヒロイン→そこがそれまでの映画と違う
 →アニメのエンディングは鈴木敏夫と高畑勲の意見で、妥協案的な擬似ハッピーエンディング的な終わり方になっている→作家としての宮崎は妥協せず漫画で続きを描いた
 →ナウシカを転機として、ハッピーエンディング的な作品(職人的)と、意味がよくわからないエンディングの作品(作家的)の両方を生みだしていくことになる
 『風の谷のナウシカ』は同時代のハリウッド映画の変貌とシンクロしていたとも言える→60年代のアメリカン・ニューシネマや79年の『地獄の黙示録』など、それまでの映画のお約束や定番を突き崩した映画


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