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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ
113
:
修都
◆7VC/HIVqJE
:2017/04/24(月) 21:11:55 ID:uq8Rg0iQ
西尾漠「高木仁三郎(物理学者)」(『ひとびとの精神史7巻 80年代』)
脱原発という言葉は、1986年のチェルノブイリ原発事故の後で、原子力資料情報室代表だった高木仁三郎が日本の運動に導入した
東京都立大学を辞職していた高木は、79年3月28日のスリーマイル島原発事故が起きていなかったら、運動に深入りすることはなかったかもしれない
スリーマイル島原発事故は日本の電力会社や自治体にも動揺をもたらしており、徳島県の阿南原発と山口県の豊北原発は幻に終わっている
→もともと強い反対があったところに事故がとどめを刺した。70年代以降に浮上した原発計画は強い反対運動がおきており、現在も実現していない
公開ヒアリング阻止闘争→住民の声を聞いたとする見せかけ、国が前面に出ることで勝ち目がないと住民のあきらめを誘うこと、この2つをともに突き崩すのがねらい
加害国としての脱原発運動→放射性廃棄物の海洋投棄反対(海洋投棄は現在、完全に禁止されている)など
86年のチェルノブイリ原発事故の際、日本での反原発運動は大きな盛り上がりは見せなかった→盛り上がるのは事故の2年後
→事故によって汚染された食品が輸入され、送り返されるという報道が出てきたことと四国電力の伊方原発2号機で出力調整試験が行われたことがきっかけ
→反対運動で調整試験の日程は1日のみとなり、急激な出力上げ下げは行われないようになった
高木は脱原発法制定を呼びかけた→すぐに署名運動を始めず議論を行った→署名運動が始まる頃には運動が落ち着いてしまっていた
→328万人ほどの署名を提出したが、成果をもたらせなかったため、高木はうつ病になった
高木は2000年に死亡しているが、11年でも72歳であったから福島原発事故の後「高木が存命だったら」と言われた→健在であっても、国は変わらなかっただろう
→いまの反原発・脱原発運動は高木のように先を、さらにその先を見通せていないのではないか。推進側に振り回されている
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