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漫画・ライトノベル以外の書籍スレ

110 修都 ◆7VC/HIVqJE :2017/04/22(土) 15:36:07 ID:uq8Rg0iQ
保阪正康「中曽根康弘(首相)」(『ひとびとの精神史7巻 80年代』)
 1918年、中曽根康弘は群馬県高崎市の木材業の次男として生まれた。東京帝国大学法学部を卒業後、内務省に入省→海軍の経理学校に入り主計将校となる
 →敗戦後は内務省に戻り、警視庁などに勤務→内務省を辞めて政治家を目指す
 →協同党から出馬したかったが支持者に拒否され、47年、民政党の流れを引く民主党から群馬3区に出馬し29歳で当選
 →吉田政治批判で名をあげていくことになるが、田中角栄のように庶民的人気を得る人物ではなかった。最初から中曽根は思想や信条を全面に出す政治家だった
 中曽根は有権者の利益を代弁する政治であっては意味がないと考え、青雲塾をつくった
 中曽根は、鳩山一郎総裁の政友会の流れを引く自由党には関心を持たなかった(自由党は自由社会の建設を目ざすと謳った)が、河野一郎には共鳴しており後に河野派に入る
 一方で日本進歩党(→民主党)の政治方針は旧勢力に近い体質だった。保守勢力の最左派には日本協同党があった(資本主義、社会主義とは異なる第三の道)
 中曽根の思想的特徴→強烈なナショナリズム。戦争への反省、自省は個人レベルで行い、国家のレベルに引き上げない
 中曽根の吉田批判→吉田茂は擬似一国平和主義者。政権維持のためなら何でも行うずるい官僚
 中曽根は、国民が厭戦思想を捨てなければ独立自衛国家は無理だと判断した。中曽根は政界では特異な存在でありタカ派の代弁者だったがしだいに実力をつけていった
 中曽根内閣は82年11月から87年11月まで続いた→もともと田中派の支えによって成立し、新自由クラブの協力を得て政権を維持した内閣
 戦後政治の総決算→吉田ドクトリン(軽武装、経済重視、憲法擁護)への批判。大政翼賛会型の政治方式→大統領的首相、民間人を中心とする諮問委員会設置
 戦争体験者中曽根の政治哲学(戦後民主主義の否定、軍事国家化)が実行できなかったのは後藤田正晴ら田中派が賛成しなかったから
中曽根が首相を退任してから30年、戦争を知らない世代が軍事国家化を進めている


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