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天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか?

1烏蛇 ★:2012/12/14(金) 05:54:27
以下記事のコメント欄でのやりとりの一部をこちらへ移動します。

天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか? - 烏蛇ノート
http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20121212

197ポポイ:2015/07/27(月) 17:50:13
>>2での発言《自然法によって基本的人権があるなら明文法(憲法)から削除されたとしてもなんら問題ないのでは?。
削除されることをを問題視するのは天賦人権論や自然法を否定しつつ、それを言い訳として国に天賦かつ不可侵なものとして認めるように言っているようにみえますが。》


その理屈だと、天皇についても、憲法に記述は不要と言う事になります。
でも、明治憲法でも現行憲法でも、記述はされています。
それは、「天皇が必要」と言う認識が有るからであり。
憲法での担保が無ければ、実際に国家権力によって危害を加えられる可能性を無視出来ないからです。

天賦人権(自然権としての人権)も同じ事でしょう。
戦後の日本国にとっても(伊藤・森論争を見るに、明治にも、その考えは有りますが)、自然権としての人権、人権の前国家性は、必要とされたのです。
天皇だけでなく、人権の前国家性が、国家に正当性を付与すると言う考えでは。

アメリカはじめ、多くの国が、自然権としての人権を重視する考えであり(そして、国連には「世界人権宣言」というものも有ります)、そして国家は、事実上、他国に承認されることにより、主権国家として成立し得ます。

憲法改正に関する自民党の考えに、それが希薄なのは、現実の人権の国による制限がやり易くなる点でも問題ですが。
所謂「価値観外交」的にも問題ですね。

198( ´∀`)さん:2018/05/17(木) 18:05:25
天賦人権論の最大の誤謬はそもそも証明不可能な「神」によって権利が保障されているという点にある。
ホッブズのいう自然権の定義とは、神ではなく人間同士の社会契約によって人間自身の権利を守ろうとしている点に価値があるのであって、「万人による闘争状態」を「人類の歴史は苛烈な闘争が継続していたわけではない」という論法で否定するのはズレた反論だ。
自由と平等を究極的に実行すると必然的に殺人も強盗も正当化可能な権利であり、それを社会契約で可能な限り無害化しようというのがホッブズの理論。これに対して「人類は常に権利を究極的に行使してきたわけではない」って、いやそりゃそうだろう。国家が成立する前だろうが後だろうが、パン一つ手に入れるために常に殺すか殺されるかの環境に身を置きたい人間は少数派だろう。
議論のずれが生じるのは天賦人権論を否定する立場の人間は現在の「人権」の価値観そのものを否定しているわけではないというところにある。
「人権」は素晴らしい価値観だろうが、それは「神」によってではなく「人間の自発的意思」によって守るべきだと主張している。

199( ´∀`)さん:2018/05/17(木) 18:16:59
「権利を所持している事」と「所持してる権利を実際に行使する(orできるか)かどうか」の違いを理解しないといけない
例えば後進国で餓死している子供たちはパンを食べる権利を持っているが、実際に食べるパンが存在しないので餓死している。

200えど:2021/02/25(木) 01:34:37
アリシアさんの説明が一番納得いくかな


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