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天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか?

1 烏蛇 ★ :2012/12/14(金) 05:54:27
以下記事のコメント欄でのやりとりの一部をこちらへ移動します。

天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか? - 烏蛇ノート
http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20121212

2 フキハラ ◆YuU3I0CoCo :2012/12/14(金) 05:57:08
自然法によって基本的人権があるなら明文法(憲法)から削除されたとしてもなんら問題ないのでは?。
削除されることをを問題視するのは天賦人権論や自然法を否定しつつ、それを言い訳として国に天賦かつ不可侵なものとして認めるように言っているようにみえますが。
それから、基本的人権を神聖不可侵に見るひとは、どうも国家と国民を不倶戴天の敵同士として語りますね。そしてスターリンとか極端すぎて頭が痛くなる例を出さす。そこに左派的な嫌な匂いのする誘導を感じてとても賛成はできません。

(2012/12/13 01:35投稿、烏蛇により転載)

3 gart_h ◆YuU3I0CoCo :2012/12/14(金) 05:58:31
>自然法によって基本的人権があるなら明文法(憲法)から削除されたとしてもなんら問題ないのでは?

『自然法によって基本的人権がある』という考え方はあくまで最小でも一個人の考えであり、万人に通じる真理的な物では無いと思います。(私個人としてはここに書かれている内容は納得出来ると思っていますが。)

また、仮に現状の政府が『自然法によって基本的人権がある』という認識の元に法の運用を行うとしても、それが未来永劫確実に保証されているものでも無いと思います。

むしろ現状においてすら、政府の法の拡大解釈によるグレーな運用はたまに行われているように見受けられます。

(2012/12/13 04:53投稿、烏蛇により転載)

4 烏蛇 ◆YuU3I0CoCo :2012/12/14(金) 05:59:29
>フキハラ氏
>自然法によって基本的人権があるなら明文法(憲法)から削除されたとしてもなんら問題ないのでは?。

 駄目です。現在も人々が自然状態にあるのであれば(あるいは国家が解体されるのであれば)それで構わないでしょうが、そうではないからです。
 記事を再度読み返してみてください。現に人々は国家に属している以上、法の執行権と裁判権を国に委ねており、国が自然権を無視しても(革命権を行使しない限り)それを自然法に則って排除することは出来ないんです。だから予め明文法にしておかざるを得ないんです。

 ヨーロッパの歴史的な例がお気に召さなければ、最近の日本の、それほど極端でない例を挙げましょう。
 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50400371.html
 オウム真理教元代表・麻原彰晃の子ども達が、地方自治体によって転入届の受付け拒否や退去勧告を受けた、ということがありました。居住・移転の自由を行政府が侵害した非常に分かりやすい例で、まさしく「8割の賛成が2割の人権を侵害した」図式と言えるでしょう。裁判所は憲法に記載された自由権・平等権とそれに基づく法律に則って、この処置を認めませんでした。

(2012/12/13 05:41投稿、烏蛇により転載)

6 フキハラ ◆YuU3I0CoCo :2012/12/14(金) 06:03:05
>gart_h 氏
>蛇氏

>また、仮に現状の政府が『自然法によって基本的人権がある』という認識の元に法の運用を行うとしても、それが未来永劫確実に保証されているものでも無いと思います。

>現に人々は国家に属している以上、法の執行権と裁判権を国に委ねており、国が自然権を無視しても(革命権を行使しない限り)それを自然法に則って排除することは出来ないんです。だから予め明文法にしておかざるを得ないんです。

なるほど、明文化されていないと実効性が無いということですね。
すくなくとも不安でたまらないということですか。

本来、明文化しなくても存在しているはずの天賦人権論や自然法は、国家という共同幻想において、明文化されないと、つまり、天賦人権論は国賦人権論の後ろ盾を得ないと、なんら効果が無いということですか。

天賦人権論では、国は生まれながらにして人間が持つ権利を侵害してはならないと明文化(国賦する)必要があると。
国家を超越した権利を持つと言いつつ、国家に依存している。

ジョン・ロックなら、公権力に対して個人の優位を主張し信じ、そして実行するべきだと言うと思いますがね。
個人が同意の元に政府に対して個人の権利を委託しているのだ、と。
それを認めないかぎり政府に対決姿勢を示すべきだ、と。
国民が主で貴族と国王の政府は従だと。

だが、あなた方は主である政府に認めてもらわないと従である国民の天賦はなくなると考えている。
それでは天賦人権論ではないですな。
国賦天権論とでもいえるような。

ますます胡散臭くなってきました。

国家と国民が分離して抗争していたときの思想を、国家と国民が分離して抗争したことがない国民が国家を作っている時代に持ち出すことは、勘違い甚だしい。

現在、国民と国家は一体なんです。
君主制に対抗した啓蒙主義時代じゃないんですから、分離していません。
貴方にも選挙権あるでしょう?
ジョン・ロックの時代には選挙権はありませんよ。

"なにより、日本はイギリスじゃありません。"

どうもジョン・ロックとかルソーとか持ち出す類の人は、当時の日本がそんなにものを必要とせず、平和と秩序を保ってきたと忘れがちだな(´・ω・`)。
近代化してジョン・ロックとかルソーの思想をつまみ食いはしてみたけど、それはあくまて表層の問題でしかないと気がついてないというか。

そもそも、ジョン・ロックの思想って、王権神授説を上手く運用できずに君民分離・貴族市民労働者分離の階級闘争の末に出てきたもので、日本のように王権神授説を300年ぐらいかけてゆっくりと解体再構成近代化し、イギリスに比べて階級闘争をせずに十分秩序と平和を謳歌してきた国にとっては"いまさら持ち出すことは、ほとんど反政府の言い訳にしかならない害毒"にしかならんし、なにより、権利は政府ではなく、市民にあると考え行動した啓蒙主義初期イギリスやフランスで言うところ"市民"なんて現代日本にもいません。

>ヨーロッパの歴史的な例がお気に召さなければ、最近の日本の、それほど極端でない例を挙げましょう。
極端な例をあげてると自覚あったのね。
スイスの一部のカントンにおいて移民の国籍取得時の人権侵害傾向とか、ロマに対する処置とか、適当なヨーロッパの事例なんていくらでもころがっているだろうに…
なににでもヒトラーを持ち出す人と同等の胡散臭さを感じますよ。

>居住・移転の自由を行政府が侵害した非常に分かりやすい例で、まさしく「8割の賛成が2割の人権を侵害した」図式と言えるでしょう。
>裁判所は憲法に記載された自由権・平等権とそれに基づく法律に則って、この処置を認めませんでした。

結果として侵害されてないでしょ。
きっちり救済されていますね。
仮に自民案の憲法でも判決の根拠となる第22条(居住、移転及び職業選択等の自由等)はいじってませんから、同じ判決でたと思いますが。

八割の人が蒙る被害(公共の福祉を侵害される危険性・転入した子弟をオウム被害者が襲って殺した場合、管理責任を問われるのは誰?等)は無視されているという点についても指摘したいところだね。
ジョン・ロックならば、我々の地方政府に対しての中央政府からの横暴!!と言うかもしれない。
中央政府に抵抗権を行使すべきだ、と。

日本では天賦人権論は日本にあわないけど代替品がなかった輸入品です。
国産品に変える時期ですな。
------------------------------------------
個人の人権は国家を超越しているという思想が国民による民主主義と国家を壊す元凶とはなんという皮肉(笑)

(2012/12/14 00:06投稿、烏蛇により転載)

7 烏蛇 ◆YuU3I0CoCo :2012/12/14(金) 06:04:38
>フキハラ氏
 貴方が記事の内容を全く理解できていないことはよく分かりました。現在国民と国家は一体であるとか、日本には階級闘争はなかった等という歴史認識にはおめでたいとしかコメントのしようがありません。これ以上自説を開陳したければ、ご自分のサイトなりブログで行ってください。

(2012/12/14 03:18投稿、烏蛇により転載)

8 フキハラ(fukihara1551) ◆YuU3I0CoCo :2012/12/14(金) 06:06:14
>フキハラ氏

>貴方が記事の内容を全く理解できていないことはよく分かりました。
いいえ理解していますよ。
反論できない、もしくは、どこが間違っているか指摘できない人がよく「貴方が記事の内容を全く理解できていない」といって議論を打ち切ることがあるのは知っています。
貴方に同意する、貴方が納得する意見以外は受け付けたくないならブログにかかないほうがよいでしょうね。

>現在国民と国家は一体であるとか、日本には階級闘争はなかった等という歴史認識にはおめでたいとしかコメントのしようがありません。

代議員・議会制民主主義、国民国家は国民と国家は一体です。
国家権力の源泉は国民の賛意ではないのですか?
貴方も政府に参加できますよ。

説明しやすいからといって二つを完全にわけて考えるのも実に胡散臭い。

現在国民と国家は一体でないとしたら、どんな状態ですか?
天皇を中心とした華族とその他国民対立がある二重構造ですか?

それから、"イギリスに比べて階級闘争をせずに"と、言っているのに"日本には階級闘争はなかった"と発言を改竄しないように。

>これ以上自説を開陳したければ、ご自分のサイトなりブログで行ってくだ
敗北宣言ですか?。

貴方が言いたいのは

「国家が人権を作り出して国民に賦与したのであれば、国家がなければ人権は存在し得ないわけですから、国民には人権を侵害する政府を倒す権利(革命権)はもちろん無いことになります。またそもそも、国家が人権を規定しているのですから、国家は人権を制限することも出来ます。」

だから天賦人権説が必然でなければならない、ということですよね。
国家は必ず人権を侵害するから国家の手の届かないところに人権をおいておこう、と。
つまり、天賦人権説を背景として国が明文化して保障している天賦人権で必要である、と。

だが、

>現に人々は国家に属している以上、法の執行権と裁判権を国に委ねており、国が自然権を無視しても(革命権を行使しない限り)それを自然法に則って排除することは出来ないんです。だから予め明文法にしておかざるを得ないんです。

なるほど、国が保障をやめることが可能であるのは天賦人権説だとろう国賦人権説だろうとまったくかわりありません。

たとえ天賦人権説をとっていても人権侵害は無くならないのと同じで、天賦人権説によってなくなりようが無いものを無くすのはかえって秩序を乱す行為であると指摘しましょう。

いくらでも国家に粉砕される理念で遊ぶのはやめて現実に帰ってきてください。

ジョン・ロックの思想は"エデンの園での自然権と天賦人権"を背景としてそこから出ているのです。
ちなみに、日本には今も昔もそんなものはありません。

(2012/12/14 05:27投稿、烏蛇により転載)

9 penpenWeeds ◆YuU3I0CoCo :2012/12/14(金) 06:07:33
>フキハラさん
横から失礼します。
自然権のうち、「人々が委ねたのはあくまで法の執行権・裁判権」であるので、
その契約書である憲法が、例えば国家ができることを書き連ねただけのものであればその明文は不要でしょう。
しかし実際の現行憲法は「これしかできない」「これ以外はしてはならない」の記述がないため、
法の執行権・裁判権以外の権限を委譲していない旨の記述を削除するのはまずいのではないでしょうか。

ただし、今回の草案に関しては最後の念押しの削除が主なもので、また基本的人権の項目でも
「国が保障する」とは書かれていないため、さらなる改憲や国民の定義の変更がなければ影響はないかと思います。

(実は昨晩書こうと思っていたのですが、失念しており投稿しあぐねてしまった文章を、
 せっかくなので今更ながら投稿させて頂きます。)

(2012/12/14 05:30投稿、烏蛇により転載)

10 penpenWeeds :2012/12/14(金) 06:38:50
おー、転載お疲れ様です。

>フキハラさん
再度失礼します……。
国家と国民が一体でも、契約行為は成立するのではないでしょうか。

まず前提として、国家は組織であり国民は一個人であると考えます。
例えば、ド○モという組織と、ド○モ社員つまり組織内の一個人が回線契約を結ぶ場合でも、
契約は成立し、お互いにその約款に記載されたすべての項目を遵守しなければなりません。

もちろん、そのような約款は特別なことのみ明記し、その他は日本法に準拠すると書かれているはずです。
ですので、自然権で決まっているならば明記は必要ないという主張はわかります。
ただしその場合は、憲法の最後に「この憲法が保障する権利は自然権に準拠する」と明記するべきであり、
必要であれば自然権の詳細な定義もされるべきなのではないでしょうか。


恐縮ではありますが、お二方の立場を素人ながらとても簡単に説明させていただきますと、
烏蛇さんは、国家は根元ではなくその上に自然権を含む自然の秩序が存在する、
フキハラさんは、国家が根元でありその上には何も存在しない、
という立場から話されていると思うんですね。
そしてそのどちらにも、革命がおこった事実と、圧政が行われた事実、という裏打ちがある。
であれば、これについて別の切り口から話し合わなければこのまま平行線で終了してしまうのではないでしょうか。

拙い文章失礼しました。

11 フキハラ :2012/12/14(金) 10:10:12
時間が無いのでがっちりレスではなく、軽く。

烏蛇氏へ
混沌としてきたので分離とは良い手です。
ただし私は私の表現の自由の侵害という人権侵害だと指摘しておきます。
貴方が嫌う貴方の中の少数派(二割)を侵害することはやめてください(笑)。
貴方が自らのブログにおいては八割ですが、私は二割です。
二割を排除するのは貴方の中では"不適当"になっていたと思いますが、どうして排除するのですか?

うん?

>penpenWeeds氏
GDGDな私の文章の大枠を汲み取っていただけたようで感謝します。

>烏蛇さんは、国家は根元ではなくその上に自然権を含む自然の秩序が存在する、
>フキハラさんは、国家が根元でありその上には何も存在しない、

纏めるとそうです。
細かいこと言うと、国家が根元でありその上には"日本においては原罪なきエデンの園"存在しないというところです。

12 yama :2012/12/14(金) 12:11:38
そもそも自民案のいう「基本的人権」は
他に手がかりがない以上
現行憲法の自然権から来ると考えるのが普通だと思いますが。

これだけ批判されるなら、その辺り明文化した方がいいですよね。

13 アリシア :2012/12/14(金) 13:11:43
フキハラ氏の指摘は重要だと思いますので、僕もわざわざ別ページに移さずに論議を続けて欲しかったですね。
長くなると何か問題でもあるんでしょうか?


ズバッと言えば、そもそも社会契約は自然法とは関係ありません。
自然状態→社会契約、であって
自然状態→自然法→社会契約、ではない。

鳥蛇さんによーく考えを振り返っていただきたんですが、
確かにロックの思想の過程では自然法を通過しますが、
だからといって社会契約の必要条件に自然法があるわけではないんです。

社会契約は自然状態で自由(まったく鎖につながれていない)な人間が、社会をつくってお互い得するために結びます。
その人たちが自然法を持っていようと、持っていまいと、それは契約とは別問題。

つまり自然状態の上に自然法が生まれるし、また自然状態の上で人は社会契約しているんです。
自然状態→自然法 & 自然状態→社会契約。
言ってみれば、根本的にはふたつは異なる次元の話なんです。

だからこそ民主主義(社会契約)は、自然法とバッティングして抑圧してしまうことだってあるんです。
だからこそ憲法に基本的人権を書き込んでいるんです。僕もその価値をよーく踏まえるべきものではあると、もちろん考えています。


また鳥蛇さんの最初のエントリーにある
>天賦人権論を否定した場合の人権概念は、大抵の場合「国賦人権論」になります。〜

、自民党案は別の考え方を主張しているのに、
天賦人権論の否定=国賦人権論、で話が終了しているのはとてもアンフェアだと思います。
自民党の主張は天賦人権論の考えを理解し尊重しつつ、
(保守思想の立場から)それを乗り越えた新しい日本独自のスタンスを提示しようという、いわばチャレンジなのですから。

僕がすごく疑問なのは、自民党案に敏感な人がなぜ、
現行憲法の十二・十三条で人権を「公共の福祉」などという曖昧な概念で国家が調停することには
何も言わないんだろう?ということです。
なぜ「『公共の福祉』と銘打って、国家が国民を好き勝手に抑圧しかねない!」と叫ばないんでしょうか?

「生命・自由・財産」権と言いますが、これらそれぞれだってバッティングします。
例えば財産に徹底的に固執したために、命の危険にさらされることだってあるでしょう。
法理の次元でこれらの優劣を決着づけることはできない。
では何によってそれらを調停するのが”よりよい結果を産む”と思われるのか。
ここで話は法理的な抽象概念から、現実の次元に降りてこざるを得ません。

西洋では「法の支配」のルーツの言葉にみられるように、
「国王といえども神と法のもとにある」、実はキリスト教の『神』がこの調停の役割を担っています。
『神』では宗教的過ぎるのでもう少し現実に落とせば、キリスト教文化圏の価値観(慣習やモラル)ということになるでしょう。

これを日本に置き換えれば”日本(という国民国家の共同体イメージ)の価値観”で調停されているということになるのではないでしょうか。

ではある文化の中の価値観というものはどう育まれるのでしょうか?

ここで天賦人権論の問題とも絡んできます。
天賦人権論の問題は、それがフィクションだ、ということです。
人は生まれ落ちて崇高な権利を持ち合わせている、という近代的な個人主義がフィクションなのです。

人は周りの環境、特に挙げられるのが家族、その中で自我を育んでいく。
自我を形成してはじめて自由を獲得し、権利を行使するし契約も結びます。
前の世代というものが存在しない人間はひとりたりともいません。
時間の流れの中に生れ落ちることは人間の必然です。

この発想はいわゆる「保守思想」の根源であり、ゆえに保守系政党自民党の案では
日本という共同体イメージの中で育まれた価値観を尊重する(つまり「調停」の前提にする)ことが、
おそらく”よりよい結果を産む”だろう、という立場なのです。

「おそらく」というのは、神ならざる人間のこと、予言者にはなれないので
最終的にはどんな思想であれ100%の保証なぞありませんからね。

ただフィクションは現実と齟齬を産みます。フィクションに意味がないわけではありませんが、
ひとつの観念に固執しすぎれば当然悪い方向にも働きます。
全方位、100%善なる価値観を備えた観念、なんて人間は持っていませんから、あたりまえですね。

天賦人権論という極めて近代主義的・観念的なフィクションを守ることも絶対安全などということはありえず、
そこに懐疑をさしはさむことこそむしろ健全なのです。

14 烏蛇 ★ :2012/12/14(金) 22:11:19
>フキハラ氏・アリシア氏
 コメント欄が長くなると掲示板へ移行する場合がありますよ、というのがウチのローカルルールで、以前のエントリでも結構あります(ここ http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/00000001 に書いてます)。コメント欄のやりとりが100レス以上にわたって続く場合が珍しくなかったためです。
 表現の自由の侵害であるというご指摘ですが、この掲示板のURLがコメント欄に貼られているので見に来た人は参照できるはずですし、「排除」にはあたらないと主張します。ただ、リンクになっておらず分かりにくいため、記事の方に追記しておきます。というか、普段は追記でリンクを張ってるんですが、朝方バタバタしてて忘れてました(;´∀`)ごめんなさい。

15 烏蛇 ★ :2012/12/14(金) 22:13:12
>>6 フキハラ氏
 さて、それじゃ、お望みどおり(?)個々に反論していきましょう。

> だが、あなた方は主である政府に認めてもらわないと従である国民の天賦はなくなると考えている。
> それでは天賦人権論ではないですな。
> 国賦天権論とでもいえるような。

 天賦の意味を誤解している、というか、ちゃんと記事を読んでおられないと判断したのはここです。
 繰り返しになりますが、自然権とは「何もしなくても絶対的に維持される権利」って意味じゃないですよ。「自然状態でもともと持っていたと仮定される」「国家を形成することでその保護を国家に委託した」権利です。「国が与えた」と「国に保障する義務がある」の違いは分かりますよね?

> 日本のように王権神授説を300年ぐらいかけてゆっくりと解体再構成近代化し、イギリスに比べて階級闘争をせずに十分秩序と平和を謳歌してきた国

 これについては私は「おめでたい認識としか評価しようがない」と言いましたが、根拠があるというのであれば具体的なソースを示して頂きたいですね。
 王権神授説とは通常ヨーロッパの絶対王政期に固有の概念で、日本にはそもそも存在しないと思いますが、日本におけるどのような思想を「王権神授説」と相同だと仰っているのか。敢えて言えば最も近いと思われるのは、大日本帝国憲法の「天皇は神聖にして侵すべからず」でしょうか。これには300年も歴史はありませんし、戦後に一気に解体されていますが。
 また、イギリスに比べて階級闘争がなかったというのは、江戸時代後期の日本で頻発した一揆などは階級闘争ではないということか、それともイギリスに比べると大したことはないということなのか。

> 結果として侵害されてないでしょ。
> きっちり救済されていますね。

 そうですよ。憲法がきちんと「歯止め」として機能した例です。

> 八割の人が蒙る被害(公共の福祉を侵害される危険性・転入した子弟をオウム被害者が襲って殺した場合、管理責任を問われるのは誰?等)は無視されているという点についても指摘したいところだね。

 貴方は、犯罪被疑者の家族に対し「被害者の逆恨みを買うかもしれないからウチの市に住むことは許さん」という論理が居住を阻む理由として妥当だとでも思うんですか? 女性に対して「痴漢される危険があるから満員電車に乗るのを禁止する」と言ってるようなものだと思いますが。

>>8
> 代議員・議会制民主主義、国民国家は国民と国家は一体です。
> 国家権力の源泉は国民の賛意ではないのですか?
> 貴方も政府に参加できますよ。

 政府に参加できることと、政府と一体であることは全く違いますよね。
 国家と国民が一体であるなら、例えば「国を相手取っての裁判」などというものは原理的に不可能でしょう。

> たとえ天賦人権説をとっていても人権侵害は無くならないのと同じで、天賦人権説によってなくなりようが無いものを無くすのはかえって秩序を乱す行為であると指摘しましょう。

 この一文は何が言いたいのか意味不明でした。そのためこの前後の文章も何が言いたいのか分かりません。



アリシア氏へのレスはまた後で。

16 ダアト :2012/12/14(金) 23:56:25
虐殺や奴隷制とか過去の歴史を見れば天賦人権説なんて嘘っぱち、とは思うのだけど、そもそも民主国家の主権者は誰なのかと
考えると国賦人権説はまずいな、とここの議論を見て思うようになりました。主権在民という言葉に疑問を持っていたのですが、これで
答えが出たように思います。

17 くっぱ :2012/12/15(土) 00:18:30
はじめまして。

>「自然状態でもともと持っていたと仮定される」「国家を形成することでその保護を国家に委託した」権利です。

その権利は、国家を形成しない自然状態において本当に存在し得るものなのでしょうか。

私から見ると、「天」あるいは「見えざる手」が我々に与えてくれる権利は時刻依存であって、今現在は「国家が『自身が国家として存在する権利』を行使するための義務」として国民に保障するという形で与えてくれているものの、過去における無政府状態の時刻においてはそれ相応の権利しか与えてくれていなかったのではないかと思うわけですが。

この意味で「自然状態でもともと持っていたと仮定される」権利について詳しく教えて欲しい気がします。

18 烏蛇 ★ :2012/12/15(土) 09:19:45
>>13 アリシア氏
> そもそも社会契約は自然法とは関係ありません。

 はい、そのとおりですよ。社会契約という概念そのものは自然法や自然権を前提しなくても成り立ちます。社会契約説を(おそらく)最初に唱えたトマス・ホッブズの議論がそうです。ロックの議論はホッブズ流の社会契約説に対抗するものという側面がありますね。

> なぜ「『公共の福祉』と銘打って、国家が国民を好き勝手に抑圧しかねない!」と叫ばないんでしょうか?

 「公共の福祉」という概念は「人権がバッティングした場合の相互調整」という解釈が定着しているためでしょう。
 もっとも、曖昧な表現なので他の解釈の余地があるのはどうか、という意見も分からなくはありません。「他者の基本的人権を侵害しない限り」とした方が明快だったでしょうね。

> 西洋では「法の支配」のルーツの言葉にみられるように、
> 「国王といえども神と法のもとにある」、実はキリスト教の『神』がこの調停の役割を担っています。
> 『神』では宗教的過ぎるのでもう少し現実に落とせば、キリスト教文化圏の価値観(慣習やモラル)ということになるでしょう。

 キリスト教の「神」が比較的古い文献で前提とされるのは、かつてはキリスト教会の権力が強く、教会にあからさまに反することを書くのが難しかった、という事情があるため、ヨーロッパ思想史におけるキリスト教は過大評価されている部分もあります。

> これを日本に置き換えれば”日本(という国民国家の共同体イメージ)の価値観”で調停されているということになるのではないでしょうか。

 これは類似の保守系の思想に対していつも不思議に思うんですが…。
 「日本という国民国家の共同体イメージ」が出来るのは普通に考えて明治維新以降でしょう? キリスト教の歴史に比べて非常に短いうえ、それ(国民国家という概念)自体も欧米から取り入れたものなのに、なぜそれが「日本の伝統に基づく」ことになってるんでしょうか。日本の伝統ってそんなに浅いんですか?
 ヨーロッパにおけるキリスト教にあたるものを考えるなら、日本だったらまず仏教でしょう。英語にキリスト教に由来する表現が沢山あるように、日本語にも仏教由来の用語が大量にありますね。仏教的な価値観を国に反映させよう、という保守派の言説を見たことがありませんが。

> 人は周りの環境、特に挙げられるのが家族、その中で自我を育んでいく。
> 自我を形成してはじめて自由を獲得し、権利を行使するし契約も結びます。
> 前の世代というものが存在しない人間はひとりたりともいません。
> 時間の流れの中に生れ落ちることは人間の必然です。
>
> この発想はいわゆる「保守思想」の根源であり、ゆえに保守系政党自民党の案では
> 日本という共同体イメージの中で育まれた価値観を尊重する(つまり「調停」の前提にする)ことが、
> おそらく”よりよい結果を産む”だろう、という立場なのです。

 「家族」と「日本という共同体」はどう繋がるんでしょうか。
 「日本という国民国家の共同体」は明らかに「家族」ではありませんし、先に述べたように「日本の伝統」と呼ぶにはおこがましい位の歴史しかありませんね。
 「日本という共同体」というフィクションに、もう少し懐疑をさしはさまれた方が良いのでは?

19 烏蛇 ★ :2012/12/15(土) 09:20:22
>>17 くっぱ氏
 実はこれがロックを土台にした自然権概念の泣きどころではあるんですよね(笑)
 ロックは自然権として「生命・自由・財産」を挙げています。記事本文でも述べたように、これは「国家成立以前の個々人が、互いの生命・自由・財産を侵さないことを前提として生活を成り立たせていたはずだ」という理屈が立てられます。
 しかし、20世紀になってから認められた社会権については、当然ロックや他の啓蒙思想家は言及していません。この論理だけで擁護するのはちょっと難しい、という問題があったりします。

 では日本国憲法では自然権の根拠をどう考えるかというと「個人の尊厳」こそが根拠である、という解釈が主流のようです。こちらのまとめで解説されていますね。

司法試験受験生のガチ自民党改憲案検討 ①改憲案は個人主義否定→天賦人権否定か?
http://togetter.com/li/421774

20 くっぱ :2012/12/15(土) 14:03:26
>これは「国家成立以前の個々人が、互いの生命・自由・財産を侵さないことを前提として生活を成り立たせていたはずだ」という理屈が立てられます。

その生活を成り立たせていたのは自然ではなく個々人そのものなのではないかというのが私の意見です。個々人が自ら防衛・報復・結託などを駆使しない限りその権利を有する状態を維持し得ないという意味で、個々人の利害に関する価値観に依存することなしに生じる権利とはとても思えないわけです。

つまり、自然権こそ個々人が防衛・報復・結託を駆使したマネジメントを行うという義務を果たさなければ与えてもらうことのできない権利なのではないでしょうか。

別の言い方をすれば、「権利」とは「秩序」によって維持されるものであり、「秩序」を維持するためには「エネルギー」が必要であるが、その「エネルギー」の源泉は「義務の遂行」とはならないでしょうか。

個人の尊厳についても同じだと思います。絶対真理としてそのようなものが存在するのではなく、人々による義務の遂行という不断の努力をもって初めて維持できるものなのではないでしょうか。この意味で生じる権利を「自然権」と呼ぶのならば、何をもって「自然」という言葉が選ばれたのかとても不思議に思えます。

21 烏蛇 ★ :2012/12/15(土) 14:38:25
>>20 くっぱ氏
> その生活を成り立たせていたのは自然ではなく個々人そのものなのではないか

 はい、そうですよ。記事本文にそのように書いていると思いますが。

> 別の言い方をすれば、「権利」とは「秩序」によって維持されるものであり、「秩序」を維持するためには「エネルギー」が必要であるが、その「エネルギー」の源泉は「義務の遂行」とはならないでしょうか。

 その場合の「義務」とは何を指すかですね。
 本文で述べたように、ロックの議論に従えば自然状態では個々人に自然法の執行権・裁判権があります。これを行使しなくては自己の生命・自由・財産を維持できない、ということを「義務」と呼ぶのであれば、国家が形成されている状態では法の執行権・裁判権は国家にあるわけですから、その義務を負うのは個々人ではなく国家ということになります。

> 個人の尊厳についても同じだと思います。絶対真理としてそのようなものが存在するのではなく、人々による義務の遂行という不断の努力をもって初めて維持できるものなのではないでしょうか。

 これも同様で、まず「義務」とは具体的に何を指すのかはっきりさせなければ話になりません。

> この意味で生じる権利を「自然権」と呼ぶのならば、何をもって「自然」という言葉が選ばれたのかとても不思議に思えます。

 国家が形成される前からあったと想定できる権利、という意味での自然権ですから、何もおかしな点はないと思いますが。

22 くっぱ :2012/12/15(土) 16:29:04
>国家が形成されている状態では法の執行権・裁判権は国家にあるわけですから、その義務を負うのは個々人ではなく国家ということになります。

立法権は国家ではなく個々人にあるのだから、国家による法の執行権・裁判権の行使を受け入れる義務を負うのは国家ではなく個々人ということになるように思います。

逆に言うと、国家による法の執行権・裁判権の行使を受け入れる義務を国民が負うことをもって初めて、国民が立法権をもつと言えるのではないでしょうか。つまり、「執行権・裁判権行使の受け入れ義務」こそが「立法権」という概念の必要条件の一つであるように思えるのですが。

23 くっぱ :2012/12/15(土) 18:21:05
>国家が形成される前からあったと想定できる権利、という意味での自然権ですから、何もおかしな点はないと思いますが。

見落としていましたが、それは国家が形成されたことによって初めて生じた権利と比較して遥かに小さな権利のことでしょうか。あるいは、国家成立によって生じた権利と比較して小さくなかったとして、その権利を行使できるだけの義務を果たせた個人はどの程度存在したのでしょう。特殊な一部の人しか行使できない権利をもって「自然」とよぶのはやはり不自然であると思います。

24 アリシア :2012/12/16(日) 00:15:06
>「日本という国民国家の共同体イメージ」が出来るのは普通に考えて明治維新以降でしょう?

いいえ、それは天皇家が、歴史的資料に基づき少なく見積もったとしても1300年、公称2600年以上続いていることを根拠にしています。
もはや諸外国の王政の(世俗的な)「支配」という実感すら無いかもしれませんが、
そういう意味では日本で、天皇を頂点とする序列をひっくりかえすようなつまり「革命」というものは起きたことがないんです。
例えば明治維新も革命ではなく「維新」であり、その大義は王政復古ですからね。
世界各国の王家と比べてもこの長さは類例をみません。

もちろん近代国家の概念は明治維新のときに当時の人々が一生懸命知恵を絞って輸入したものでしょうが、
どんなかたちの国民国家にせよいろいろな宗教にせよ、
その中心に絶対性を置くためにある種のフィクション性を帯びることはしかたのないところでしょう。
僕は未読なのですが、著名な文化人類学者のレヴィ=ストロースは、日本は神話時代から現在まで歴史が繋がっていることに驚嘆し、
日本人自身はあたりまえで気づかぬ、西洋では失われたその連続性の価値を語っているそうです。

あと仏教については、中心点のようなものが無い宗教で、
「全てに迷い続けること=悟り」というような(仏教徒が読んだら乱雑すぎると怒られる言い方かもしれませんが)考え方なので、
それをベースに国民国家を作るのに向いてないように思えますがどうなんでしょうか。
実際反国家的な考えをもっている仏教宗派もあるようですが。きっちりしたところは僕も分かりません。


>「家族」と「日本という共同体」はどう繋がるんでしょうか。

自民党憲法案でも大きくフィーチャーされていた「家族」という考え方、
重要なのは、それが連続性を意味することです、親がいなければ子は産まれませんからね。

ちなみに「個人」はそれを断絶させます。
これははもとをたどれば西洋の「近代的自我」という考えから産まれたものですが、
やはり観念的なフィクションであり危険性をはらんでいます。
顕著な例では共産主義は「個人」が連帯してるという考え方のため「家族」を否定しますね。

なぜこのような例を挙げたかというと、現行憲法の草案を書いたGHQのケーディスらは
局内でピンキー(アカっぽい=共産主義かぶれ)と言われており、
幾人かは占領期後半、米ソ対立が表面化してくるあたりで左遷された人たちです。
彼らの思想的な影響が日本国憲法に反映されているとする指摘もあるのです。

ともかく、果たして「個人」というフィクションを強調することが人間の自然なありかたに合うのかどうか、
また自然なありかたよりも観念を優先してしまう危険性はどういうものか、十分考えておく必要があります。
そのような視点から、「個人」をいたずらに強調しすぎないことも明らかに自民党憲法案のひとつの柱になっていますね。

さてさて話は「家族」「連続性」と「日本という共同体」に戻ります。

日本を象徴する天皇家の権威も、その根拠は家系が男系で連続しているということです。
島国のせいもあってかわりと単一民族的である、という事実
(例えば中国は異民族の侵入と虐殺によって王朝が民族ごと変わる例が多々あるが、日本はそういうことが無い)とあいまって
言ってみれば家父長制的なイメージが、日本を国民国家として統合を図るときに使われているのです。

25 アリシア :2012/12/16(日) 00:16:41

身も蓋もなく言えば、結局のところどのフィクションが好みか、ということになってしまいそうですが、
それは実際そのとおりだと思います。それによって保守派であったりリベラルであったり立場が当然分かれるでしょう。

ただ時代は、共産主義も疑問符、そして今アメリカの方向転換に代表されるように新自由主義にも疑問符がつきはじめています。
どちらも、もとを辿れば実は、西洋の近代主義(モダニズム)から派生した双子とも言えます。

この行き詰まりを解決するために、
例えばモダニズムをさらにモダニズム的に分裂させたところからシステムを構想するポストモダンの思想をとる人もいるようです。
ですが僕はそれで問題は結局解決しないと考えています。
むしろ西洋の近代主義を、その成果は尊重しつつも、懐疑しながら
現実と真っ向から向き合ってバランスをとり続けることが求められているように思えるのです。

ゆえに僕は保守主義の立場をとり、天賦人権説や個人主義に一定の懐疑を表明した自民党憲法案にも
おおまかな方向性としては支持しています(各条文を読むといろいろ思うところはあります)。

そんな思想的な問題意識を自民党議員が本当に持ってるの?と言われるかもしれませんが、
このような現状認識を踏まえている議員は間違いなく何人もいます。実際テレビや動画で語っているのも見たことがあります。

日本ではいわゆる左寄りな思想ばかり出回っていますが、
保守派の思想も深い洞察にもとづくものが多々あります。
国会議員はダメだとか、ただただ権力を行使したがってるとか、イメージで思考停止して
そこから論議をはじめてしまう方が多いのには困っています。

お互いの立場を理解しながら論議したほうが実りが多いでしょうし、
そうでないとつまらない潰しあいか押し問答にしかならないでしょう。

まあ最近は頭に血がのぼりすぎてるいわゆる「右?」側の人も多いのでお互い様かもしれませんが
そういう人たちに捉われてばかりいても意味がないので
まっとうな保守思想というものにもう少し理解をしめしつつ、法律論議を進めていただけたらなと思います。

26 烏蛇 ★ :2012/12/16(日) 14:04:01
>>22-23 くっぱ氏
> 立法権は国家ではなく個々人にあるのだから、国家による法の執行権・裁判権の行使を受け入れる義務を負うのは国家ではなく個々人ということになるように思います。

 国家が形成されている前提では立法権は国家にあるのが通常だと思いますが…。

> 逆に言うと、国家による法の執行権・裁判権の行使を受け入れる義務を国民が負うことをもって初めて、国民が立法権をもつと言えるのではないでしょうか。つまり、「執行権・裁判権行使の受け入れ義務」こそが「立法権」という概念の必要条件の一つであるように思えるのですが。

 まぁそうだと思いますが、それで何が仰りたいのかよく分かりません。

> その権利を行使できるだけの義務を果たせた個人はどの程度存在したのでしょう。

 これも意味がよく分かりません。自然法の執行権・裁判権の行使が可能な個人という意味でしたら、言語でコミュニケーションが取れて通常の理性を持った個人であれば可能だと思いますが。

27 烏蛇 ★ :2012/12/16(日) 14:04:44
>>24-25 アリシア氏
> それは天皇家が、歴史的資料に基づき少なく見積もったとしても1300年、公称2600年以上続いていることを根拠にしています。

 天皇家が王家としては非常に長く存続していることには特に異論はありませんが、そのこと自体に何か意味があるんでしょうか。
 天皇による政治が機能していたのは平安時代まで、ある程度政治的権力を有していたのもせいぜい鎌倉時代までで、以降は明治維新までほとんど形式的に存続していたに過ぎません。対外的にも、例えば室町時代の明との外交では将軍が「日本国王」と認識されています。
 精神的・思想的な意味で影響力があったかどうかもおおいに疑問で、実態は「明治維新の立役者たちが古い形式的にだけ残っていた王家を祭り上げた」に近いと思います。明治期まで少なくとも庶民層は天皇の存在をほぼ意識していなかったでしょうし、当時の学問をみても、天皇の存在を意識しているのは国学くらいでしょう。ヨーロッパにおけるキリスト教はそうではなかったはずです。

 ここで私は別に、天皇よりもキリスト教の方が近代国家形成の支柱となるにおいて優れていたとか、そういうことを言いたいわけではありません。歴史的事実として、天皇の神聖性の強調は明治政府が開始したものであり、古代にあったと思われる天皇の神格化などとは断線している、と考えているだけです。
 ヨーロッパにおいてキリスト教が近代国家形成の支柱になったという論にそもそも私は賛同しませんが、「日本という国民国家の共同体イメージ」は天皇という存在の解釈も含めてほぼ明治政府に端を発するものだと考えます。

> 日本を象徴する天皇家の権威も、その根拠は家系が男系で連続しているということです。
> 島国のせいもあってかわりと単一民族的である、という事実
> (例えば中国は異民族の侵入と虐殺によって王朝が民族ごと変わる例が多々あるが、日本はそういうことが無い)とあいまって
> 言ってみれば家父長制的なイメージが、日本を国民国家として統合を図るときに使われているのです。

 「家系が男系で連続」していることと、国民と国家の関係とは特に何の繋がりもありませんね。天皇は別に国民の父親ではありません。
 もっとも、明治政府が、天皇制を統治のため(国の統合を図るため)に利用したのは事実でしょう。「日本という共同体イメージの中で育まれた価値観」とはつまり、明治政府が国の統合を図るために作り出した価値観を指すことになると思います。
 これを「西洋の近代主義」と対置するのはおかしな話です。なぜなら、明治政府はまさに「西洋の近代主義」を積極的に輸入して統治の体制を作り上げたのですから。国民国家という概念ももちろんですし、天皇を中心とした政体を目指した大日本帝国憲法は主にドイツの憲法を参考にしたものです。「家族」についても、「西洋の近代主義」に則った「近代的な家族」を目指して法制度が整えられ、旧来の上流階級にあった一夫多妻的な家族制や、伝統的な性愛文化(例えば男色の文化)は抑圧されました。

 私は、明治以前の国の体制や伝統文化が素晴らしかったと取り立てて主張したいわけではありません。「日本という国民国家の共同体イメージ」という実質的にはほとんど「西洋の近代主義」から輸入したもので構成された概念を、「西洋の近代主義」への懐疑の結果として持ち出すのは矛盾しているのではないか、と言っているだけです。

28 くっぱ :2012/12/16(日) 18:26:57
>まぁそうだと思いますが、それで何が仰りたいのかよく分かりません。

つまり、何人たりとも義務を負うことなしに有する権利などなく、この意味で自然に備わっている権利などこの世には存在しないのではないのかと思うわけです。

国家が立法権を有するための必要条件は、国民に自身が立てた法についての執行権・裁判権の行使を受け入れさせる義務を国家が負うことであるということです。

別の言い方をすると、国民が国家の立法権を認めるということは、国家が立てた法について国家による執行権・裁判権の行使を受け入れる義務を負うということとも言えるのではないでしょうか。

>自然法の執行権・裁判権の行使が可能な個人という意味でしたら、言語でコミュニケーションが取れて通常の理性を持った個人であれば可能だと思いますが。

よく解りません。その「自然法」が法として機能するためには、それを適用される人がその法を立てた人(あるいは集団や系)による執行権・裁判権の行使を受け入れる義務を負っていなければなりません。だとすると、その「自然法」ははたして法として成立していたと言えるのでしょうか。

もちろん、「自然界の物理システム」や「集団内の個の相互関係により協調や争いを自然発生させる見えざる手」によりもたらされる結果については、我々は嫌でも受け入れざるを得ないという意味で、「自然法」と呼んでも差し支えないような気もします。しかし、それらは我々の生存権などを何ら保障してくれるものではありません。もしもこのレベルのものを意図していないのだとしたら、どのようなものが「自然法」なのかについて興味があるわけです。

29 アリシア :2012/12/17(月) 19:22:12
>非常に長く存続していることには特に異論はありませんが、そのこと自体に何か意味があるんでしょうか
>天皇による政治が機能していたのは平安時代まで〜
>明治期まで少なくとも庶民層は天皇の存在をほぼ意識していなかった〜

いいえ、庶民の意識にのぼらなかったということは、無意味になったのではなく、
むしろその体制が非常に安定していたことを意味するのです。
「意識しないから取っ払っても同じ」などということになるはずないのは論をまちません。

そのような体制下でも戦いはあったとおっしゃるかもしれませんが、
政治という世俗の世界の長の争いではなく、
天皇という聖性を司る存在がもし複数あって(もしくは国外からやってきて)、その次元から抗争が起きていたなら
もっと血みどろの、互いを殲滅するような争いが起きていた可能性は十分あります。
それは諸外国にかんがみれば、異民族との戦いや宗教戦争と似たようなものだからです。

むろん日本人の国民性(共同体の中で育まれた価値観)も今とはだいぶ違ったものになったでしょう。

また体制の継続には安定した相続が欠かせないことも言うまでもありません。
跡目争いなんて起きてもらっちゃ困りますからね。


ローマ法王も中世には極めて政治的な存在でしたが、今はそういうカラーはかなり薄いと言っていいでしょう。
天皇も法王もただ単に、司祭としての役割を持っているから政治性が薄い、というのではないのです
(政教分離なんてのはあとからでてきた発想ですからね)。
2000年以上も時間が積み重ねられる中ではじめて、
あのような立場として人々が自然に感じられるようになったのです
(『権威』のありかたに感情的な面を無視するわけにはいきません)。

だから簡単に交換は効きません。
まさにレヴィ=ストロースが言ったように、日本人自身にとってはあたりまえ過ぎて気づいていませんが、
しかしとてつもなく大きくて、一度失えばまず二度と手に入らない価値なのです。

一例を挙げれば英王室には、天皇や法王と違いまだ世俗の支配者のイメージは若干残っているように感じます。


余談ですが天皇は司祭として聖性を司る側面と、政治という世俗の世界にも特別なときに顔をのぞかせる側面を
兼ね備えた特殊な存在であることは付言しておきます。



>「家系が男系で連続」していることと、国民と国家の関係とは特に何の繋がりもありませんね。天皇は別に国民の父親ではありません。

言葉が足りなかったかもしれませんが、天皇の系譜は直接神話の世界に続き、日本建国の神・天照大神に繋がっています。
西洋風に言えば王権神授説のようなものですね。
神から権威を受けた日本の王の家系が有史以来断絶せずずーっと続いており、その連続は家父長制によっているということです。


>「日本という共同体イメージの中で育まれた価値観」とはつまり、明治政府が国の統合を図るために作り出した価値観を指すことになると思います。
>これを「西洋の近代主義」と対置するのはおかしな話です。

これまで書いてきたことを踏まえれば、明治政府が自分の都合で好き勝手に作り出したのではなく、
もともと日本にあったものを、西洋の近代主義を輸入する際にうまく組み合わせたのだとご理解いただけるのではないでしょうか。
近代主義と『対置』ではありません(保守主義も反近代主義ではありません)。
日本で育まれた価値観と、近代主義のよいところを組み合わせて、より良い形に昇華(止揚)したのです。

例えば福澤諭吉は、日本の近代化に貢献しながら、
明治に入って世間でただの西洋のモノマネが流行る風潮には警鐘を鳴らしています。
優秀な志士たちはおどろくほど勉強家で教養深く、
日本的なるものを生かしながら、西洋の近代主義的な思想・文明をとりいれる、ということに極めて自覚的でした。
また西洋思想・文明の危険な部分も十分分かっていました。

止揚の発想は保守主義にとっても重要なものですが、そのためには必ず『懐疑』が必要です。
そして伝統の中にも継承されたものがあり、残されなかったものもあり、
近代主義も取り入れられた部分があり、取り入れなかった部分もあるのです。

どうも鳥蛇さんは明治維新を、近代vs伝統というように対置してとらえる革命史観に、
無意識に毒されてはいないでしょうか。
しかしそれは実際にあった出来事とは大きく違うと思いますし、
また革命史観のような見方はよりよい答えを導くこともできないと思います。

30 アリシア :2012/12/17(月) 20:35:00
↑でつい「2000年以上も時間が積み重ねられる中ではじめて〜」と書いちゃいましたが、
キリストが生まれたときからローマ法王がいたわけないね、訂正します。

いずれにせよ極めて長い時間をかけてはじめて人々の意識下で起こっている変質
(制度的な変質にとどまらないところが重要)を見逃してはならないし、
それはさらに時間の中で価値観にフィードバックし、国民性を大きくかたちづくってゆくということです。

31 烏蛇 ★ :2012/12/18(火) 00:58:40
>>28 くっぱ氏
> よく解りません。その「自然法」が法として機能するためには、それを適用される人がその法を立てた人(あるいは集団や系)による執行権・裁判権の行使を受け入れる義務を負っていなければなりません。だとすると、その「自然法」ははたして法として成立していたと言えるのでしょうか。

 んー、つまり、言語でコミュニケーションが取れて通常の理性を持った個人であれば、自分の生命・自由・財産を侵害されたくないのと同様、他人も生命・自由・財産を侵害されたくないのを理解するはずであり、それが自然法の基礎になるとロックは考えたわけです。そして、そのような理性を備えた人間が多数派であれば、仮に「自分の生命・自由・財産を侵害されたくないが、他人のそれは平気で侵害する」ような人物が現れれば、他の人によって弾劾されるであろう、と。
 もしこれが成り立たず、国家が成立するまで「自分の生命・自由・財産を侵害されたくないが、他人のそれは平気で侵害する」ような人間が多数を占めていたなら、それはトマス・ホッブズの言うような「万人の万人に対する闘争」状態になるでしょう。しかしながら、国家は人類史においては比較的近年に現れたものであり、それ以前の数千年以上にわたる長い期間、人類が「万人の万人に対する闘争」状態に置かれていたとは考えにくい。

 もっとも、「自然状態」とは実際の人類史における段階をそのまま指すものではないので、上記の説明はあくまで仮想的なものではありますが、「自然権」及び「自然法」のイメージとしてはこんな感じで理解できるんじゃないかと思います。

32 烏蛇 ★ :2012/12/18(火) 00:59:54
>>29 アリシア氏
> 天皇という聖性を司る存在がもし複数あって(もしくは国外からやってきて)、その次元から抗争が起きていたなら
> もっと血みどろの、互いを殲滅するような争いが起きていた可能性は十分あります。

 天皇が聖性を司っていたと何故言えるのか?が問題だと思うんですが…。
 仮にそのような要素があったにしても、たとえば仏陀も明らかに「聖性を司る存在」として認知されていたはずですよね。その時点で既に「聖性を司る存在が複数」あることになりますが。

> また体制の継続には安定した相続が欠かせないことも言うまでもありません。
> 跡目争いなんて起きてもらっちゃ困りますからね。

 天皇の跡目争いなんて腐るほど起きてるし、南北朝で分裂すらしたじゃないですか。

> 言葉が足りなかったかもしれませんが、天皇の系譜は直接神話の世界に続き、日本建国の神・天照大神に繋がっています。

 そりゃ繋がってるでしょう。そういう風に天皇の血統を神格化するために作られた建国神話なんですから。

 今のところ「天皇が日本人の精神性の中心にあった」根拠らしきものとして挙がっているのは、天皇の血統が男系で長く続いていたこと、日本が比較的平和であったこと、くらいですよね。いずれも論拠には全くなりえていません。たまたま天皇家の皇位相続権が男系のルールであり、また、たまたま日本で酷い争いが比較的少なかった、ということが言えるだけでしょう。

> 明治政府が自分の都合で好き勝手に作り出したのではなく、
> もともと日本にあったものを、西洋の近代主義を輸入する際にうまく組み合わせたのだとご理解いただけるのではないでしょうか。

 明治政府が100%捏造したとは流石に言いませんよ。明治政府を立ち上げた藩閥出身者たちが、天皇制を自分たちの統治にうまく利用しやすいように、天皇に纏わる神話やその他を利用したのだと思います。

 日本古来の伝統と西洋的近代主義との止揚などと言えば聞こえはいいですが、その実態はどうでしょうか。

 万世一系の思想を強調するために、戦前の歴史教育では皇室内の争い(壬申の乱や南北朝など)は無視されるか誤魔化されました。
 天皇の陵墓とされる一部の古墳は今でも宮内庁が管理し、歴史学的な研究を拒んでいます。
 天皇主権の大日本帝国憲法は、後々に悪影響を多々及ぼしています。中でも最悪なのが天皇の統帥権で、これによって内閣はさんざん軍に振り回され、日本の軍国主義化の原因の一つにもなりました。
 皇統崇拝を形にする国家神道の設立とともに民間の神道的な土着信仰が抑圧され、地方の宗教的伝統を破壊しています。

 いずれを見ても、明治政府が「自分の都合で好き勝手に」皇室の歴史と神話を利用しようとしたとしか私には思えません。

33 アリシア :2012/12/19(水) 07:26:27
>天皇が聖性を司っていたと何故言えるのか?

それは神事を司っているからです。王が政治と神事の両方の長であることは珍しくありませんし、
それが1000年も2000年も安定して継承される中で、法王などと同じような変質が起こっています。


>仏陀も明らかに「聖性を司る存在」として認知されていたはず

それはないでしょうね。前にもちょっと触れたけど、仏教はそういう宗教じゃないので。意味合いがだいぶ違います。


>「天皇が日本人の精神性の中心にあった」根拠らしきものとして挙がっているのは
>天皇の血統が男系で長く続いていたこと、日本が比較的平和であったこと、くらいですよね。
>いずれも論拠には全くなりえていません。

論拠にはなりえていますと思います。
聖性を司る者のことを改めて意識する必要がないような安定、それこそが日本人の集団的無意識を大きく形作ってきたと主張しているのです。
そして集団的無意識を象徴するには、日本の流れとともにいわばただ連続してきた、ということが重要なのです。

また(国民国家の)フィクションに大義を与えるには、それなりの論理性や事実も必要ですが、また自然な感情に一致するかということも極めて重要なポイントです。
パズルのように組み合わせられればなんでも大義になる、というもんじゃありません。
福沢諭吉もそのような国民国家の自然な感情について語っており、同時に天皇を中心とする国体についても語っています。
つまり諭吉は、当時の多くの日本人が「天皇を中心とする国体」について自然な感情で納得しうる捉え方だ、と考えていたことになりますし、読者も実際共有できたから広く読まれたのでしょう。


>明治政府を立ち上げた藩閥出身者たちが、天皇制を自分たちの統治にうまく利用しやすいように、天皇に纏わる神話やその他を利用した

いち早く天皇を中心とする国体について語り、のちの維新の志士たちに読まれた水戸の会沢正志斎は倒幕派ではありません。
むしろ幕府の力を強化する目的を持って尊王を語っていました。
そんな彼の論が倒幕・佐幕を越えて影響を与えたのは、その国体論が特定の政治体制や権益の枠内の話でなく、多くの人の理解をうるものだったからではないでしょうか。

つまり天皇家の連続性と、日本人の集団的無意識を重ね合わせるというフィクションを皆で共有できる…そう思えるだけのそこそこの論理性、そこそこの事実、そして共感があったのです(今の目でなく当時の人々の視点で考えなければなりません)。
そうでなければ維新のようなムーブメントになるはずがない。パズルだけで人は動きません。

34 アリシア :2012/12/19(水) 07:28:34
>万世一系の思想を強調するために、戦前の歴史教育では皇室内の争い(壬申の乱や南北朝など)は無視されるか誤魔化されました。

日露戦争が近づいて記述が削除されていき、それに問題がないとは言いませんが、それまでは封殺せず教えていたはずです。だから明治政府が利用した論拠にはなっていません。
また南北朝時代の記述をどうするかという問題は明治時代にはじまったことではありません。


>天皇の陵墓とされる一部の古墳は今でも宮内庁が管理し、歴史学的な研究を拒んでいます。

考古学が日本に入ってきたのは明治維新より後です。これも明治政府が利用した論拠になっていません。


>天皇主権の大日本帝国憲法は、後々に悪影響を多々及ぼしています。中でも最悪なのが天皇の統帥権で、
>これによって内閣はさんざん軍に振り回され、日本の軍国主義化の原因の一つにもなりました。

天皇主権というか、もともとは天皇機関説だったはずなのに、政治的に利用される隙があったのは、あとから見れば事実と言わざるを得ません。
しかし大日本帝国憲法は発布当時例えばアメリカの法律家として高名なオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアにも高く評価されており、
なかなか先進的な憲法でした。通読したことありますか?一度読んでみるといいですよ。僕は作った当時としては全く恥じることない内容だと思います。
またうまくいかなかった部分はそれを修正すればいいのであって、天皇の主権が全部悪いという論拠になりえてないことにも気づかねばなりません。


>皇統崇拝を形にする国家神道の設立とともに民間の神道的な土着信仰が抑圧され、地方の宗教的伝統を破壊しています。

国家神道のためでもありますが、どちらかというと財政と行政の整理のほうが主眼の政策だったはずです。
しばらくしてやめており中途半端なところからも、宗教的な目的が一義的だったわけではないことが分かります。


>日本古来の伝統と西洋的近代主義との止揚などと言えば聞こえはいいですが、その実態はどうでしょうか。

そもそもですが、完璧な制度などなく、ミスや問題のない政治などないのですから、たかが4つ例を挙げたくらいで何の実態の証明にもなりません。結論ありきの論法と言わざるを得ません。
だったら(清やアジア諸国のように)植民地獲得合戦に燃える欧米列強にズタズタに分割統治されることなく、
ロシアの侵攻を切り抜け、不平等条約撤廃にまでこぎつけたのも、帝国憲法下の日本です。うまく止揚したゆえにアジア諸国ができなかったこの大事業をできたのだと言うことだってできます。

それとも別の方法の近代化だと、これらがクリアできた上に、さらになお良い社会になったとでも?そんなことどうやって証明できるでしょうか。当時選びうる現実的な選択肢としてそういうものが何かあるんでしょうか?


もともとは、保守主義・近代主義いずれの立場にせよ、政治からフィクションを消し去ることはできない、という前提のもと、互いのフィクションのよい部分悪い部分を話していたはずなのに、
どうもあなたはやっきになってこちらのフィクションの存在を否定するための理屈を並べはじめたようで、これでは実りある会話になりせん。

言えと言われれば、自然法のベースにある理性主義や、近代的自我の個人主義の、論理的破綻を指摘することなんて簡単ですが、そんな水掛け論は望みません。
完璧な主義や制度などなく、ゆえに政治はフィクションをはらみつつ、実際よりよい社会になりそうかどうかで進路を決めていくしかないのですから。

お互いこれ以上の議論の発展はなさそうに思いますのでこの辺で終わりにしたいと思います。

35 烏蛇 ★ :2012/12/19(水) 09:50:16
>>33 アリシア氏
> それはないでしょうね。前にもちょっと触れたけど、仏教はそういう宗教じゃないので。意味合いがだいぶ違います。

 仏陀が聖性を司る存在でない、という根拠がよく分かりませんが、仏陀でなくても、菩薩や如来・観音、あるいは神道に属する数多くの土着の神々がいますよね。

> また(国民国家の)フィクションに大義を与えるには、それなりの論理性や事実も必要ですが、また自然な感情に一致するかということも極めて重要なポイントです。

 万世一系の天皇を中心とした日本、という思想が、当時のナショナリズムによく合致した、ということは間違いないと思います。それはナショナリズムを刺激されるような対外情勢があり、それに合致するような思想が必要とされた、ということであり、古来からの「日本人の集団的無意識」を根拠としなくても説明できます。

> それとも別の方法の近代化だと、これらがクリアできた上に、さらになお良い社会になったとでも?

 そんなことは分かりません。総合的に見て、明治政府の担い手達はよくやった、という評価はもちろんあるでしょうし、それを別に否定はしません(この点はちょっと書き方が悪かったと思います)。

 そうではなくて、明治政府が天皇中心の政体を作ったことを「日本古来の伝統と自然な感情」に基づいていた、と評価して良いのか?ということです。
 明治政府の施策が基本的に「日本の近代化」を志向していたことに議論の余地はないと思いますが、その過程で、「日本古来の伝統」を近代主義と折衷させるよりはむしろ作り変える方向に政策を進めていたように見えます。国家神道の設立と民間土着信仰の抑圧はその典型です。
 万世一系に反するような歴史教育や歴史的調査を抑圧しようとしたのはなぜか? 仰っているように、フィクションとしての「天皇中心」を強化して近代的な国民国家の統合をはかるためでしょう。大日本帝国憲法は言うまでもなく、近代化を志向して作られたものですが、天皇の地位は室町中期〜江戸時代にかけてのそれとは(もちろんそれ以前のものとも)はっきり異質なものになっています。

 良く言えば、明治政府は「天皇家のシステムと歴史を近代的に書き換えることで、日本の近代化を滞りなく達成した」とも言えます。ただし、その過程で日本人の宗教観・家族観などは大きく変わりました。従って、天皇の存在とその歴史の長さが「日本という国民国家の共同体イメージ」が古来から連続性を持っていることを証拠立てはしない、ということが言いたいんです。
 むしろ「日本という国民国家の共同体イメージ」が日本古来からの自然な感情に基づく、という議論は、明治政府の国民国家形成への寄与を不当に軽んじることにもなるでしょう。

 まぁしかし、「どちらのフィクションを選択することがより有意義か」という問いに落とし込んだ時点で有効な議論になりにくいのは明らかだとも思いますので、この辺で終わりにすることに異存はありません。

197 ポポイ :2015/07/27(月) 17:50:13
>>2での発言《自然法によって基本的人権があるなら明文法(憲法)から削除されたとしてもなんら問題ないのでは?。
削除されることをを問題視するのは天賦人権論や自然法を否定しつつ、それを言い訳として国に天賦かつ不可侵なものとして認めるように言っているようにみえますが。》


その理屈だと、天皇についても、憲法に記述は不要と言う事になります。
でも、明治憲法でも現行憲法でも、記述はされています。
それは、「天皇が必要」と言う認識が有るからであり。
憲法での担保が無ければ、実際に国家権力によって危害を加えられる可能性を無視出来ないからです。

天賦人権(自然権としての人権)も同じ事でしょう。
戦後の日本国にとっても(伊藤・森論争を見るに、明治にも、その考えは有りますが)、自然権としての人権、人権の前国家性は、必要とされたのです。
天皇だけでなく、人権の前国家性が、国家に正当性を付与すると言う考えでは。

アメリカはじめ、多くの国が、自然権としての人権を重視する考えであり(そして、国連には「世界人権宣言」というものも有ります)、そして国家は、事実上、他国に承認されることにより、主権国家として成立し得ます。

憲法改正に関する自民党の考えに、それが希薄なのは、現実の人権の国による制限がやり易くなる点でも問題ですが。
所謂「価値観外交」的にも問題ですね。

198 ( ´∀`)さん :2018/05/17(木) 18:05:25
天賦人権論の最大の誤謬はそもそも証明不可能な「神」によって権利が保障されているという点にある。
ホッブズのいう自然権の定義とは、神ではなく人間同士の社会契約によって人間自身の権利を守ろうとしている点に価値があるのであって、「万人による闘争状態」を「人類の歴史は苛烈な闘争が継続していたわけではない」という論法で否定するのはズレた反論だ。
自由と平等を究極的に実行すると必然的に殺人も強盗も正当化可能な権利であり、それを社会契約で可能な限り無害化しようというのがホッブズの理論。これに対して「人類は常に権利を究極的に行使してきたわけではない」って、いやそりゃそうだろう。国家が成立する前だろうが後だろうが、パン一つ手に入れるために常に殺すか殺されるかの環境に身を置きたい人間は少数派だろう。
議論のずれが生じるのは天賦人権論を否定する立場の人間は現在の「人権」の価値観そのものを否定しているわけではないというところにある。
「人権」は素晴らしい価値観だろうが、それは「神」によってではなく「人間の自発的意思」によって守るべきだと主張している。

199 ( ´∀`)さん :2018/05/17(木) 18:16:59
「権利を所持している事」と「所持してる権利を実際に行使する(orできるか)かどうか」の違いを理解しないといけない
例えば後進国で餓死している子供たちはパンを食べる権利を持っているが、実際に食べるパンが存在しないので餓死している。


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