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習志野原の掲示板2022-3
14
:
エル・アルコン
:2025/09/09(火) 21:08:00
昨夜のNHK「映像の世紀」は高度成長期を取り上げていましたが、近代的な団地から都心へ寿司詰めの電車に乗っての通勤風景が懐かしいですね。当然非冷房の101系による中央快速線で、「押し屋」なんて生易しいものではなくドアが閉まらないから「剥がし屋」が活躍した時代です。高度成長は1955年から1973年までという定義でしたが、非冷房で寿司詰めというのは1970年代いっぱいは普通にありましたね。
そうした通勤風景で到着した電車からの奔流の映像にどうも見覚えが。電車の正面に三角形の行先札。旧型国電も同様でしたが、半流貫通の40系(60系)や切妻非貫通の63系とは全然違います。往年の京成スタイルで調べたらどうやらモハ1100系のようです。となるとこの微妙にカーブした相対式ホームの駅は3代目の新津田沼のようです。三角形の行先札は新津田沼行きです。前原から新津田沼行きと藤崎台経由京成津田沼行きに分かれていた時代。1960年代の話ですが、頭端部の改札ではなくその先の大栄車両や京成工場に向かう引込線の線路の上を走る人も。細い道を走る人の背景にある電柱に取り付けられた広告に「つるや」の文字が。今は富士そばが入っているビルのあたり、パンや食料品を扱う店がありました。そして前方に狭い駅前広場に入るであろうバスの姿が見えるカットの後、地上駅舎の津田沼駅に辿り着くところで場面は中央線に映りました。
1970年代、駅前広場整備前は新京成の踏切に向かって斜めに道がありアーケードになっていましたが、さらに一時代昔の光景です。なお3代目の新津田沼駅は踏切の左手にありました。(駐輪場などで幅が広くなっているのがその名残)
その当時から通勤客の行軍は映像に残されるくらい有名だったようです。
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