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わんこの部屋 バイク 雑談掲示板
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雲の上の存在
teruさんのことは 数週間前にこの掲示板に書かせていただきました。
もし 書かれていることがご気分を害されたら済みません。
私にとって国際A級で走ることは本当にすごいとおもうのです。
その思いを書かせていただきます。
当時 オンロードが全く同じかは分かりませんが オフロードレースは繁栄して
いまして 底辺が広かった。小中学生の子供にオフロードバイクを買って与え
練習させる親も沢山いました。
メーカーのワークスライダーがいてスターが居ました。世界チャンピオンになる
日本人もいました。
底辺の人口も多く レースを見に行くとコースを取り巻き見えないくらいでした。
そんなバイクが今よりずっと盛んな頃 高校生の私は原付きMR50を成績アップの
ご褒美として買ってもらえ 必然的にオフロードで走るようになりました。
その後は何度か書かせてもらったとおりです。
家から2kmくらいで多摩川の河川敷に行ける環境も特別だったのです
(レーサーを押していける)
レースをする人は初心者クラスから 相撲の番付みたいに、階層があったのです。
私の記憶ではこんなです。
河川敷をナンバー付きで走る人たち
オフロードに興味を持って遊ぶことから始まる。とにかく楽しい。
そこにナンバー無しのモトクロッサーが来ると本気な奴 だと思う。
基本的にトランスポーターで運び レースの練習にくることも
あるので。当時は今より河川敷の使い方がうるさくなかった。
実際には ゼッケンがついていて それが色分けしてある。
確か 白>黄色>緑>赤の順。河川敷で緑のナンバーがくると大変
スゲー人が来た〜 になる。
高校生のガキンチョはそこで走って怪我して直して タバコを吸って
うだうだ、 私は浪人してもそれをやっていた。
ノービスクラス(白)
当時団体が たしかMFJとMCFJA?の2団体あって、本格的なのはMFJ 通常両方に
登録し ノービスから始まる。 車で言うJAFの国内A級か。
私は 大学に入ってレースを始めたけど いやレースをするために大学に
はいった。それでやっと自分の力が試される時が来た と360ccの軽トラと
新車のYZ125を買ってもらい満を持して菅生サーキットのレースに参戦した。
スタート時の興奮 緊張 恐怖感は今でも鮮明に覚えている。
MCFJAでは地方で予選が無く 最初から入賞できたりした。これは行けるかも(^o^)
ところがMFJのレースでは予選があり 何とか通過するものの結果はいまいち。
入選はできなかった。
ジュニアクラス(黄色ナンバー)
年間ポイントがたまると上に行ける。仕事をしながらモトクロスを楽しむおじ
さんたちはこのクラスが多い。
私はMCFJAではジュニアに行けそうだった。それは参加者が少なかったから。
でも 関東の桶川で開かれたMFJのレースに参戦 予選が何と12組 ハイスピード
コースが初めてでまるで走れなかった。レベルの差を知る。
25台くらいが死ぬ気で1コーナーに突っ込む気合いで物怖じし 2台しか予選通過
しない中で虚しい気持ちで走ったのを今でも覚えている。
「俺はツーリングしているのか・・」
その年 菅生でぶっ飛んで怪我をしてモチベーションがなくなり 挫折
と言うか 元々 基礎も出来ていない 練習量も少ない、そして学生の甘チャンで
大した根性もなかっただけ。
大体車やバイクで過去のことをウジウジ言うのはこのタイプが多い。
私は学生時代のその未達感をモチベーションとして初心者向けのモータースポーツ
で発散 達成できたと思っています。要はスポーツというスタンスから、
楽しみに変換すればいい。
国際B級
ジュニアで年間ポイントを取ると上がれる。こうなると本物。 プロになれる
人は若くしてここにいる。
サポート体制が整っていなければ勝てないし、マシーンもタイヤもそれなりの
レベル。こうなると気合いが違う。
私が多摩川で色々とお世話になった方も このクラスだった。
メーカーのサポートがなく、全て自腹。生活は大変そうでした。
A級でプロになれる位の実力があるように思えたけど サポートやマシーンの
差が如実に感じられていた。
国際A級
プロは当然このクラス。 私の職場の側の鈴木秀明さん そして東福寺 鈴木虎夫
その黄金時代の選手が走っていた。世界選手権で渡辺明選手が125ccスズキで
年間チャンピオンになったのは快挙だった。
こんなです。
ですからteruさんが国際A級で そこまで行くのに どんなに大変だったか!
私には少しは分かるのです。スポーツでも予選を勝ち抜き全国大会って大変です
よね。それ以上に大変、だって原資も時間も そして失うモノの並大抵ではないから。
当時は雲の上の人。そんな経歴のある方とお話できることがとても嬉しい。
その大変さと楽しさのエッセンスに触れたい。
今は そこそこ楽しめる脱日常の遊び として車やバイクと触れあえるようになれた。
それは 私なりにやってきたから。若いときにやらない人は年をとってもやれない。
借金や家族がなければ サーキット走行を教わりたい。
そんな気持ちです。
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