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プロレス・格闘技クリッピング▲6▼

1さらばサイモン:2007/03/10(土) 14:00:32
クリッピングが大素敵。
プロレス・格闘技クリッピング
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1132763826/
プロレス・格闘技クリッピング▲2▼
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1140241291/
プロレス・格闘技クリッピング▲3▼
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1148182284/
プロレス・格闘技クリッピング▲4▼
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1154468379/
プロレス・格闘技クリッピング▲5▼
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/4073/1163033562/

2名無し部員:2007/03/11(日) 08:07:49
【HERO’S】柴田が山本粉砕宣言!「ボッコボコにする」
 12日ゴングのHERO’S名古屋大会に向けた会見が10日、名古屋市内で行われ、HERO’S初陣となる柴田勝頼が、柴田の師匠船木誠勝氏との対戦をブチ上げた山本宜久に、粉砕宣言だ。

 この日、山本が新弟子時代から遺恨を持つ船木氏に対し、「柴田君の技はボクには通用しないから、師匠に出てきてほしい」と、00年5月に引退した船木氏との対決を要求。だが、05年1月に退団した新日本で棚橋、中邑と新闘魂3銃士として期待された柴田は「挑発には乗らない。相手をボッコボコにするだけ」と言い切った。桜庭和志は「練習に専念したい」と会見を欠席した。

http://www.sanspo.com/fight/top/f200703/f2007031102.html

3名無し部員:2007/03/11(日) 08:09:21
「オレはいい」蝶野が社長就任否定

初のプロモート興行に集まったファンに手を振る蝶野



 新日本・サイモン社長の辞任表明から一夜明けた10日、敵対していた蝶野は次期社長就任を否定した。自身初のプロモート興行であるこの日の幕張大会で、次期社長就任について聞かれ「社長就任?オレはいいよ」と完全否定。逆にサイモン社長に「サイモンもかわいそうだ。やりたくないのに社長になったんだからね」と同情的だった。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/11/01.html

4名無し部員:2007/03/11(日) 08:10:20
GBH圧倒!ブラック曙が大暴れ

真壁(下)に襲い掛かる曙は、蝶野になだめられる



 【新日本】初のブラック軍入りした曙が大暴れした。メーンの6人タッグで登場し、リングインから真壁に突っかかる。その後も突っ張りからのボディーアタック、蝶野との連係を見せて天山らGBHを圧倒。最後は蝶野が12分19秒、体固めで石井を仕留めた。心強い仲間を得た蝶野は「横綱を真っ黒くしていきたい」と完全な軍団入りを勧める。曙も「黒い方がいい。少し暴れ足りないし、まだまだこんなもんじゃない。蝶野さんと組んでいきたい」とブラック軍入りを示唆していた。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/11/02.html

5名無し部員:2007/03/11(日) 08:10:54
19年前の恨み…山本が船木挑発

 【HERO’S】12日の開幕戦(名古屋市総合体育館)で柴田勝頼と対戦する山本宜久が、柴田の師匠・船木誠勝を戦いに引きずり出す意気込みを口にした。「船木さんには19年前の僕の気持ちがある。UWFの時のことは忘れていない」。因縁については口を閉ざしたが、先輩から猛烈な“しごき”を受けたことは想像に難くない。「向こうのチームは2人しかいない。柴田が負けたら誰が出るの?って感じ」。将を射るために、まずは馬を射る。
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2007/03/11/03.html

6名無し部員:2007/03/11(日) 10:28:57
柴田が20キロ減量成功!格闘家で再出発
※画像クリックで拡大表示


血マメができた右手をグッと握り締める柴田勝頼 元・新闘魂三銃士の柴田勝頼(27=ARMS)が格闘家に生まれ変わった。10日、初参戦するHERO’S開幕戦(12日、名古屋レインボーホール)の会見に出席。師匠の船木誠勝(37)とのマンツーマン特訓で、新日本時代から20キロ近い減量に成功したことを明かした。対戦相手の山本宜久(36)の挑発を軽く受け流す余裕も見せるなど、心身ともに完全リセットした「ニュー柴田」でリングに上がる。

 会見場に現れた柴田の顔は、1日の参戦会見時より細く、鋭さを増していた。絞り切った体は85キロを下回っていた。

 103キロだった04年の新日本時代から20キロ近く減量したことになる。それでも「意識はしていない。船木さんの言った通りにやったらこうなった」と本人は淡々と話した。

 真の格闘家を目指し、05年9月から約1年半、修行僧のような生活を続けてきた。練習時間は1日1時間ほどだが、1分の休みも取らずに動き続けた。

 食事は鶏の胸肉などを決まった時間に、決まった量だけ食べる。一般男性の平均が15〜20%とされる体脂肪率は7%。スポーツ選手の限界と言われる5%に迫った。

 新日本時代は棚橋、中邑とともに「新闘魂三銃士」と呼ばれ、将来のスター候補だった。だが05年1月に自分の理想と会社の方針のずれを感じて退団。その後、参戦したビッグマウス・ラウド(BML)で船木と出会い、格闘技に目覚めた。昨年8月にBMLを退団。「(プロレスと)2つはできない」と、総合格闘技専念を船木に直訴した。

 精神面でも成長していた。対戦相手の山本からの「プロレスラーなら体はでかくするもんだろう」との挑発を、「それは個人の自由ですから」と冷静に切り返した。新日本時代の04年、K−1の武蔵戦(KO負け)前に「キング・オブ・スポーツはK−1」と挑発され、乱闘を仕掛けた子供っぽさは消えていた。

 プロレスラー時代に武蔵戦のほか、03年の天田ヒロミ戦(K−1ルールで対戦しKO負け)など格闘技を経験しているが、今回の戦いをあくまで「デビュー戦」という。心身ともにこれまでの自分とは全く違うという自負がある。「まずは試合を見てください」。12日に格闘家・柴田がベールを脱ぐ。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070311-168009.html

7名無し部員:2007/03/11(日) 10:30:21
プロレスの証言者 藤波辰爾(4)
 1971年(昭和46年)5月に藤波は待望のプロレスデビューを果たした。その直後にはアントニオ猪木の付け人に指名された。入門から1年。目の前に、初めて明るい未来が見え始めた。しかし、このわずか半年後、突然の転機が訪れた。同12月、師匠と慕っていた猪木が会社乗っ取りの容疑で追放処分を受けた。藤波は迷わず猪木の後を追った。

 藤波「当時は中堅選手が若手に酒を飲ませていじめる『指導』がまかり通っていた。猪木さんはそれを止めてくれた。付け人としてもきっちり仕事をしていれば怒られなかった。『猪木さんが呼んでる』と言われて、夜逃げ同然で猪木さんの事務所に転がり込んだ」。

 翌72年3月6日、猪木は新日本プロレスを旗揚げした。すべてゼロからのスタートだった。当時18歳の藤波は団体が軌道に乗るまでの約半年間、事務所のソファをベッド代わりに生活した。猪木の自宅に道場を建設するため、作業員と一緒に資材を運んだ。練習後は街をはいかいして、ポスターを張り、チケットを売り歩いた。

 藤波「猪木さんは後援者を回って支援をお願いしていたし、当時の奥さんの美津子さんも女優なのに宣伝カーに乗って来場を呼びかけていたね。オレも負けられないと思っていた。この団体を大きくしてやるという気持ちが強くて。レスラー生活の中で最も充実していた時期だったね」。

 その強い責任感はリングの上の藤波も成長させた。旗揚げ戦は第1試合でメキシコ人のエル・フリオッソ。3〜4年してようやく外国人との対戦が許されるこの業界では異例の大抜てきだった。人材不足という事情もあったが、藤波自身も急成長していた。浜田広秋(グラン浜田)ら弟弟子が入門すると、さらに力がみなぎった。

 浜田との一戦は新日本の第1試合として定着した。シングルで47試合も戦った。ほとんどが藤波の勝利だった。手抜きのない全力ファイトは評判になった。翌73年には後のライバル木村健悟、キラー・カーンらが入門。前座のリングが熱く活気づいてきた。その分だけ藤波も発奮した。

 藤波「生え抜きの責任感があったね。猪木さんの一番弟子という意地もあった。ふがいない試合をすると猪木さんに殴られるから。自分もボコボコにされたことがあった。今は年俸制だけど、あのころは1試合ずつファイトマネーが支払われていたから、試合に出るためみんな必死だった」。

 旗揚げから2年半後の74年12月、メーンイベンターへの登竜門として「カール・ゴッチ杯」が誕生した。この若手NO・1を決める大会が、藤波のプロレス人生の大きな転機になった。苦しみながらも勝ち進み、決勝では相撲出身で二回りも大きかった後にキラー・カーンと名乗る小沢正志にフォール勝ち。もう以前のひ弱な藤波ではなかった。

 藤波「決勝は初めてテレビで放送されて極度に緊張したよ。小沢よりレフェリーを務めた猪木さんが怖かった。下手な試合はできないなって。その猪木さんが試合後こう言ってくれたんだ。『おう、いい試合だったよ』ってね」。

 この大会の優勝で藤波は海外武者修行の切符を手にした。大会の冠にもなったカール・ゴッチの故郷ドイツ遠征が決まった。この初の海外修行が、藤波を一気に世界へと羽ばたかせた。【来田岳彦】

http://www.nikkansports.com/battle/f-bt-tp0-20070311-168063.html

8名無し部員:2007/03/11(日) 10:31:37
「ちょいワル」横綱曙が誕生/新日本
<新日本:千葉大会>◇10日◇幕張メッセ国際展示場10ホール◇2558人

 「ちょいワル」横綱が誕生した。曙(37)が蝶野、中邑と組んで、石井、真壁、天山と対戦した。蝶野に弟子入りした曙は、いすを振り回すなど、ワルぶりを発揮。最後は得意のボノボンバーから蝶野のシャイニングケンカキックの好連係で石井を仕留めた。

 相撲時代からあこがれていた蝶野とのタッグを前に、ここ数日は興奮して眠れなかった。蝶野からは「ブラック横綱だ」とヒールぶりに太鼓判を押された。「気持ちを前面に出す、蝶野さんのスタイルを勉強する。真っ黒に染まっていきたい」と、「ちょいワル」から「ワル」への進化を決意した。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070311-168012.html

9名無し部員:2007/03/11(日) 10:32:06
フロントのゴタゴタ気にせず試合/新日本
<新日本:千葉大会>◇10日◇幕張メッセ国際展示場10ホール◇2558人

 サイモン猪木社長(33)の辞意表明から一夜明けたが、現場への影響はほとんどなかった。この日は蝶野の初のプロモート興行だったこともあり、普段より観客は多かった。「うちの選手はそんなことは慣れっこですから」と蝶野。フロントのゴタゴタは日常茶飯事とあって、気にした様子はなかった。

http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20070311-168014.html

10名無し部員:2007/03/11(日) 16:43:50
サイモン余波なし!新日は一枚岩だ

天山(左)にフライングショルダーアタックを見舞う蝶野=幕張メッセ  新日本プロレスは揺らがない-。サイモン・ケリー猪木社長(33)の電撃辞任発表から一夜明けた10日の幕張大会は“黒のカリスマ”蝶野正洋(43)がプロモーターを務めた。蝶野自らがメーンに出場した大会にファンは大満足。黒一色の興行を成功させた新日本は、サイモン・ショックのないことを証明した。

 社長が辞めても、新日本全体の熱が冷めることはなかった。サイモン社長の辞任発言の余波もなく、詰めかけた満員のファンは純粋に興行を楽しんだ。

 蝶野が全面プロデュースした大会は大成功だった。サイモン社長は電撃辞任を発表した翌日の興行だったが「偶然重なったっていうだけ。レスラーとしてだけではなく、行動を起こさないといけないというのは去年からあったこと」と、団体の将来を以前から案じていただけに影響はなかった。

 試合前は演出家としてバックステージを奔走。関係者との打ち合わせの末、客席付近には黒いハーレーを9台並べる“らしい”演出で度肝を抜いた。また、試合では“黒の総帥”の顔もみせた。曙、中邑と組んでメーンに登場。試合を完勝で飾り、超満員の歓声を受けながら「リングに上がって試合するだけの方が楽。でも興行当日を迎えて、裏方の大変さをみせてもらった」と充実の表情を浮かべた。

 蝶野がリング上でマイクを握ると「次期社長ー」という絶叫も響いた。「社長?いやないない」と、本人はきっぱりと否定したが、今後も同種の興行を行うことを示唆するなど「新日本はオレが立ち直らせる」と宣言した前日の言葉にうそはない。

 この日ばかりは、永田も「(辞任は)関係ないなと思った。ここまで素晴らしい興行を作ってくれた蝶野さんに、敵ながら感謝したいね」と率直に賛辞を送るしかなかった。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/11/0000267047.shtml

11名無し部員:2007/03/11(日) 16:44:17
予告通り!中西が越中のケツ割った
 サイモン・ケリー猪木社長(33)の電撃辞任発表から一夜明けた新日本・10日の幕張大会は、中西が越中を野人ハンマーで葬り、NJC1回戦を突破した。2・18両国国技館大会では越中のヒップアタックにまさかの敗戦。NJC発表会見では越中の縦に割れてるケツに、横から野人ハンマーをたたく“越中のケツ十字割り”宣言でリベンジを誓っていたが、言葉どおりの試合運びとなった。完勝に「シャー!」と笑顔で絶叫。11日名古屋大会では「IWGPタッグにも勝ってやる」と大森と組んでのトムコ、バーナード組とのタイトル戦へ向けても自信満々だった。

http://www.daily.co.jp/ring/2007/03/11/0000267049.shtml




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