したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

忠臣蔵って何なの?

1吉良:2008/11/30(日) 09:42:38 ID:???
切れた若者に暴行された老人を喧嘩両成敗じゃない、アンフェアーだって因縁つけて部下が夜中に押し入って皆殺しにする話でしょ
どこが美談なの!?
超恐え〜凶悪事件じゃん
こんな話しを美談だと思う奴や美談として放送するTV局、頭膿んでない?

2JIN:2008/11/30(日) 11:45:06 HOST:softbank126112104038.bbtec.net

 なぜそんな「理不尽」な事が起きたのかについては当時の政相や世相も大きな効果があったといいますよね。

 そしてまた後世への影響も大きいと。

3kazuhide:2008/11/30(日) 11:59:35 HOST:P222013038099.ppp.prin.ne.jp
昔のことを考えるときにはむやみに現代の常識を当てはめてはいけない。

少なくとも、語り伝えられたと言うことはそれはそれなりに受け入れられるものだったのでしょう。

4JIN:2008/11/30(日) 12:10:12 HOST:softbank126112104038.bbtec.net

 「歴史は政治」というように、後の為政者や大衆がそれをどう理解し利用したかもポイントですよね。

 徳川吉宗などは武士の綱紀粛正に利用したみたいですが、結果的にそれが一種のモラルハザードとして幕府の命取りの一つにもなったと。


 もっとも小刀で「切り付けた」ということで、浅野は乱心でなければ武道不覚悟だったと解釈する意見も大きいですよね。

 本当に殺すなら「刺す」べきだったと。

5kazuhide:2008/11/30(日) 12:15:36 HOST:P222013038099.ppp.prin.ne.jp
今で言うなら、やっぱりキレちゃったんだろうと思いますね。

日ごろ殿様と持ち上げられる人がいきなり気難しい爺さん相手に難しいことをやらなきゃいけないんだから。

実際、事件自体は本当に単純なんですよね。将軍様がちゃんと通例どおりに捌いていれば、ですけど。

6kazuhide:2008/11/30(日) 12:18:16 HOST:P222013038099.ppp.prin.ne.jp
赤穂事件はやはり、法的な問題であると見た方が実像としては正しい。

でも忠臣蔵となるとそうでもない。

それが一番わかりにくいのでしょう。

7JIN:2008/11/30(日) 12:25:53 HOST:softbank126112104038.bbtec.net

 「キレる」のも「乱心」かどうかですよね。

 御典医の記録によると、やはり浅野は以前から相当にアブナイ奴とみなされてたみたいですが。

 また「ありのままの歴史」と「あってほしい歴史」は当然に違うわけで、これは日本とて例外ではないと。

8猫草:2008/11/30(日) 12:36:40 HOST:w32.jp-k.ne.jp
演じる俳優によって淺野匠のイメージ違いますよね。吉良様は領地では年貢減免して領民に慕われてたそうです。まあ、それも賄賂貰って裕福だったからってのも有りますが。仮名手本忠心蔵は本来幕府に対する不満を吉良様を悪役にして作り上げたものとか。それも室町幕府の別の話にして。
現代に見立てれば礼儀のなってない中学生を年寄り教師がしつこく指導して逆切れされたってところでしょうか?昔は吉良様一方的に悪役イメージでしたが最近は違うようですね

9VSBR:2008/11/30(日) 13:40:44 HOST:softbank220000127157.bbtec.net
 喧嘩両成敗という中世戦国のルールを、近世である江戸時代に当てはめるべきか否かという問題ですね。ここから、近世法治国家への道を歩み始める。

10VTO:2008/11/30(日) 13:50:41 HOST:pv02proxy02.ezweb.ne.jp
あと、ここでの注目は将軍家の権威がハリボテになってきたところでしょうか。5代将軍綱吉はこの件を半ば独断で下したらしいですが、実はその裏で柳沢をはじめとする思惑が絡んでいましたし、

11kazuhide:2008/11/30(日) 13:55:09 HOST:P222013014250.ppp.prin.ne.jp
いや、実際のところ柳さんもかなり困惑していたようですけどね。格好の陰謀ネタになるけど、実際は将軍様のわがままを通しただけみたいですし。

>喧嘩両成敗という中世戦国のルール

現代ではもちろん当てはめちゃいけないけど、あの時代なら当てはめなければならない。それだけのことなんですがね。

12VSBR:2008/11/30(日) 14:37:02 HOST:softbank220000127157.bbtec.net
 あの時代においても、戦国時代のルールを江戸時代に当てはめるのはよくないと考えている人が、幕府中枢は大半だった(だから浅野だけが切腹となった)。殿中における抜刀という罪こそ裁かれねばならず、喧嘩とかは法秩序においてはどうでもいい事だった。

 そもそも浅野殿がきっちりと吉良を切り殺しておけば済んだ話。武士にもかかわらず刀を抜いても人を殺せなくなっている時代において、戦国時代のルールをもはや適用しないという考えは、当時においても普通の考え方だったわけです。

 ところが下の人達は、古い価値観を優先していた。そこにこの物語の発端がある。
 幕府中枢は法に基づいた国家形成を目指しだしていたのに対して、周辺はまだ武が法に優先する世界に生きていた。

13新堂涼:2008/11/30(日) 14:47:09 HOST:softbank218119098027.bbtec.net
吉良への処分が軽かったから「悪者」として認識された。
そして家臣達がその悪者を倒した。

単純に言えばこうですね。

14:2008/11/30(日) 14:56:12 ID:???
討ち入りへの期待感は当時の町民の間でも高まっていて、
奉行所が上野介へ吉良邸から避難することも提案していたそうですね。

15JIN:2008/11/30(日) 14:58:02 HOST:p4035-ipbffx02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

星新一のショートショート「町人たち」でもこの時の世相を実に皮肉っぽく描いてますね。

16kazuhide:2008/11/30(日) 15:10:03 HOST:P222013014250.ppp.prin.ne.jp
いや、そうではないでしょう。

喧嘩両成敗とは、当事者の双方に責任があるという原則論です。つまり、刀を抜いた方も、抜かせた方も同じ責任を負うということである。(これが一番現代的ではない概念)

つまり、浅野も吉良も切腹になっていれば特に問題はなかったものの、自分ひとりだけ先に近代人になっていた綱吉があの当時ではKYなことをしちゃったから、斜め上な事しちゃったというのが本当のところだし。

17JIN:2008/11/30(日) 15:17:13 HOST:p4035-ipbffx02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

喧嘩といっても吉良は刀を抜いてませんからね。

だから当時の法としてもむしろ狂人に一方的に襲われたというのが当然で。

18kazuhide:2008/11/30(日) 15:34:56 HOST:P222013014250.ppp.prin.ne.jp
結局、浅野の精神状態こそが問題にされると。

正常と判断されたなら、間違いなく吉良と喧嘩したと言うことなるんですから。(刀を抜いた有無は喧嘩の絶対的条件ではない。抜く暇無く斬殺された事例もある。)

19天空星:2008/11/30(日) 16:07:32 HOST:ed76.AFL10.vectant.ne.jp
オリジナルである本人達が消えてしまった時、
民衆はそのオリジナルであった本人達を使って物語を作り始める。

そもそも、歴史小説とか大河ドラマは「事実の歴史にいかに忠実であるか」ではなく、
「いかに歴史を使ってメッセージを伝えるか」に重点を置かれていますからね。

そういう意味でも忠臣蔵は現実がフィクションに呑まれていった一例でもありますね。

20JIN:2008/11/30(日) 20:47:31 HOST:p4035-ipbffx02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

「あらまほしき歴史」が時代を動かすことの恒例ですよね。

どうしてそういう風な歴史が編まれたのかも国民性の特徴というか。

21武図書:2008/12/02(火) 00:19:20 HOST:U049036.ppp.dion.ne.jp
 『忠臣蔵』と『元禄赤穂事件』、この二つは別のものです。

 前者はフィクションであり、後者は歴史事件。『三国志演義』と『三国志』が別物であるように、この二つは分けて考えるべきです。

 日本人の殆どが拍手喝采するのは、前者です。これは、権威を有する側が弱い立場の人間を姦策を弄して嬲り者とし、且つ自分から手を出した訳では無いから自分こそ被害者だと居直る虐めやパワハラの如き構図に対して、一命を以って反抗する物語です。

 対して、後者。

 この場合、実際に吉良上野介による虐めの事実は無かったでしょう。ただ、失言癖のある人物で、高貴な人物に特有の無自覚な厚かましさを持つ人物なので、接して気分の良い人物ではなかったでしょうが、それを理由に刃傷事件が起こるのであれば寧ろ上杉家中こそ刃傷沙汰を起こしかねない程に悩まされていました。

 そして、浅野内匠頭。この人物、家系的に式典など重要な儀式の最中に突発的に乱心を起こす親族が少なくないので、遺恨により斬りつけたのではなく本当に乱心しての犯行だったのでしょう。当時の記録にも、いきなり背中から斬りつけていますし、眉間の傷は「烏帽子の縁に当たりて止る」とあるように、刃筋を立てて斬りつけた訳ではなく、実際には背中の傷痕は残ったものの、眉間のそれは皺に埋もれて識別できない程度のものだったそうですし。

 当時は精神の障害や病について未解明な部分は多く、それを恥とする考えが一般的でした。が、同時に処罰は当人のみで、家や親族に対しては常人の時よりも手加減されるのが慣例でした。但し、現代のように無罪放免では有りませんが。

 問題は、その時の内匠頭は「勅使饗応役」です。幕府として見れば、精神に障害を持つような人物に五万三千石を襲封させ、禁裏造営の勤めを任せ(その功績で、内匠頭に叙目されました)、江戸に下向する勅使を接待させたとなれば責任問題です。

 同時に、浅野家の側としても、主君が精神を病んで乱心したとされるよりも、喧嘩の末の刃傷と言う事の方が対面が救われます。

 故にこそ、内匠頭切腹から速やかに赤穂城が明け渡されたのです。無論、当時の慣習として五万三千石の半分、最悪でも一万石を浅野大学(弟)が襲封する事で、浅野家の再興が赦される事を期待して、です。

 しかし、実際に幕府は一年後、浅野大学を芸州広島の浅野本家に預処分と決定しました。
 
 あの事件は喧嘩である。故に、播州赤穂・浅野家の再建は無い、と。

 大石内蔵助以下の赤穂浪士は、それで討ち入りを決意しました。なるほど、主君は乱心ではなく喧嘩だった。宜しい。だが、乱心であれば吉良上野介は不幸な犠牲者であるが、喧嘩であれば両成敗されるべき敵(かたき)の片割れである。その一方のみが即日切腹で、一方はお咎めなしでは鎌倉幕府以来の武家の法に悖る。

 ここまで長文を読んでくださった方であれば、

「それなら、幕閣の責任だろ? 吉良は無関係で責任ないだろ?」

とお思いでしょう。無論です。高家筆頭は名誉職であり、政策に関与できる職責ではありませんから。

 しかし、現代人の論理からすれば無茶苦茶ながら、この場合に赤穂浪士が幕閣を討ち取った場合は、公儀の御政道に意義を唱える謀反人となり、浅野本家すら断絶の危機となります。また、鎌倉以来の武家の慣習法にも叛く事になるのです。

 だからこそ、彼らは十二月十四日に吉良邸に討ち入る必要があったのです。公儀の御政道に異を唱えず、武家の慣習法を正すという形で、弱者を切り捨てた幕閣を断罪する為に。

 実際、これで対して歴史もない浅野家の分家、本来であれば誰の記憶にも残らなかった筈の田舎の小大名が日本史に不朽の名を残したのですから。

 ……吉良の立場にすれば、踏んだり蹴ったりで堪ったものではありませんが。武士は、不意に襲われて殺された場合は同情などされません。武道不覚悟と断罪されるのが、武家の建前でしたから。以って瞑すべし。

22JIN:2008/12/02(火) 15:05:09 HOST:124x39x10x242.ap124.ftth.ucom.ne.jp

この辺りの諸事情については『元禄繚乱』でいろいろ手広くやってましたよね。

少なくとも赤穂と吉良の二者だけの問題ではないと。

23kazuhide:2008/12/02(火) 15:29:06 HOST:KD121111217171.ppp.prin.ne.jp
感情の上ではわかるけど、どこか納得の行かない話と言うのが今の我々の感覚でしょうね。

忠臣蔵は元禄プロジェクトXって感じじゃないかな。なんせ、一番の見せ場である討ち入りシーンはほとんどないし、切腹まではシーンがない。

あくまでも過程を魅せるドラマではないんだろうか・・・

24YF-19k(kyousuke):2008/12/02(火) 16:06:26 HOST:210-20-222-108.rev.home.ne.jp
某架空戦記ではこの事件が徳川幕府終焉となった事件でもありますが……。


この事件で如何に武家社会がストレス社会だったのか……それが最悪の形で噴出し、幕府の裁定が赤穂浪士による討ち入りを招いたとなります。ただ仇討自体は認められていたとは言え大集団(四十七名)による仇討と言ったらコレ。

 ちなみに撃ちいりの際には吉良邸の両隣の武家屋敷にちゃんと使いが挨拶し、その屋敷の大名は使用人達に照明(大きな提灯)を掲げるように指示して事の成り行きを見守っていまいました。面白いが赤穂浪士の誰もが吉良の顔を見た事が無い言う点、そこで手掛かりにしたのが亡き主人が付けた刀傷を持つ老武士を探す言う方法、最終確認は吉良邸に務めている使用人が確認させました。

25VSBR:2008/12/02(火) 20:56:18 HOST:softbank220000127157.bbtec.net
 昔、紅白で三波春夫が「俵星玄蕃」を歌ってた。紅白の後半なんて興味も無かったんだけど、これに関しては三波春夫のすごさにきっちり聞いてしまった。

サク、サク、サクサクサク、サクー
「先生!」
「おぅっ、そば屋か!」

 ストーリー?は、蕎麦屋に扮して討ち入りの機会を窺う赤穂浪士の一人に同情した槍の名手のお話です。

26新堂涼:2008/12/02(火) 21:34:23 HOST:softbank218119098027.bbtec.net
世にも奇妙な物語の「携帯忠臣蔵」

中井貴一の演じた蔵野介が素敵。
なんか軽いけど流されていくうちに成長していく。

27武図書:2008/12/02(火) 22:51:34 HOST:U048198.ppp.dion.ne.jp
 実は、浄瑠璃坂の仇討ちと言うのが少し前に行われました。これも元禄赤穂事件に匹敵するぐらい大規模な集団による仇討ちでした。

 その過程も、山あり谷あり。芝居の筋書きとしては忠臣蔵より盛り上がるのでは無いかと思うような内容なのですが、現代では余り認知されていません。

 おそらく、その理由が「ハッピー・エンド」であるからでは無いでしょうか?

 討ち入りした面々は天晴れ武士の鑑よと、時の大老・井伊直澄は死一等を免じて遠島処分とした上に、数年後に恩赦を与えて彦根家中に召抱えると言う『美談』で終わっています。

 しかし、【三大仇討ち】とされる『曽我兄弟の仇討ち』『鍵やの辻の仇討ち』『忠臣蔵』の全てが現代まで芝居や物語として語り継がれている理由は、全て仇討ちした人物が武士としての死を全うしているからでしょう。
 そういう意味では『高田馬場の仇討ち』で高名な堀部安兵衛も、『忠臣蔵』の活躍が無ければ無名で終わったのかもしれません。

28ミスターロボ:2008/12/03(水) 05:51:50 HOST:proxy3121.docomo.ne.jp
世にも奇妙な版の私も見ましたラストで決意を決めるとことか短い時間でよくまとまっていて感動的でしたね。

29kazuhide:2008/12/06(土) 09:13:49 HOST:P222013017027.ppp.prin.ne.jp
それもありますけど、資料の事件経過を見ると、どうも一族内の内紛・・下世話な言い方をすればやくざの内部争いみたいなことなんですよね。

派手ですけど、あんまり面白みのないネタだったのかも。

日本人の感性には、どこか形のないものに対して命をかけようとする姿を美しいと見るのかもしれない、現実にそう出来ないことが多いからかもしれないですが。

30天空星:2008/12/06(土) 12:50:46 HOST:ed183.AFL50.vectant.ne.jp
世にも奇妙な物語版は自分も見ました。
しかし、討ち入りまでの決断が最初から最期まで大石の意思によるものではなく、未来の人間達の携帯電話による間接的な指示によるものだったというのがどうもなぁ・・・。

31kazuhide:2008/12/14(日) 23:51:24 HOST:P222013014013.ppp.prin.ne.jp
折角ですので当日に一言。

個人的な結論としては忠臣蔵とは「武士と言う存在に対しての憧憬」の表れなのかもしれませんね。

この時期に同時に武士道と言うものが理論的に構築される。しかし、それはあくまでも現実に戦乱を生きたもののそれではない。

それは平和を享受する時代だからこそ必要とされるファンタジーなのかもしれない。

武士と言う階層が存在している社会であるがゆえにそれは生まれてきたのでしょう。

32JIN:2008/12/15(月) 07:54:59 HOST:203-179-93-204.cust.bit-drive.ne.jp

別スレで出した『将国のアルタイル』で芝居の座長が言ってるんですよね。

「お客さんてのはここに素敵な虚構を見に来るのよ」と。

33ラインハルト:2009/10/12(月) 15:17:29 HOST:softbank221016214171.bbtec.net
赤穂浪士は誰も死んでないですよね。47人もいて。
よっぽど腕が立つ連中だったのか。劇中では、凄くチームワークが良かったような描写になってましたけどね。
それとも、吉良邸にいた連中はただの烏合の衆だったのか。
もっとも寝起きを襲われたからっていうのもあるでしょうが。

あれは基本的には何人かのチームを組んで表門からと裏門からの組みに別れて突入したんですよね。
でも、中にはほぼ一回もスポットの当たらない集団もいたんだろうなと思ってしまう。

34kazuhide:2009/10/12(月) 15:25:19 HOST:P222013014225.ppp.prin.ne.jp
装備もがっちりと固めてきましたからね。全員が鎖帷子をつけていましたし、3人一組で必ず当たるようにとも徹底していたようです。

時間も日付が変わるぐらいの頃だったそうですから、大半が深く眠っていた時間でもありますね。

35武図書:2009/10/12(月) 23:50:15 HOST:U047126.ppp.dion.ne.jp
 細川家とかの記録によれば、全員が鎖帷子の着込みを着けていて、刀は実戦向けの古刀を中心に金拵えのガタつきが無いものを佩き、槍は当世風の籠槍ではなく戦場往来の太く頑丈な槍を短寸に切り縮めたものを装備していたそうです。

 加えて、浪士の過半は槍の鞘代わりに穂先に巻いていた紙を無くしていても、刀を抜いた者は少なかったそうです。槍で片がついたので、抜刀するまでもなかったと。

 余談ながら平成になって、幕末の町屋をイメージしたサバイバルゲームで新撰組と維新志士に準えて剣や槍の心得のあるプレイヤーが集ったところ、竹刀装備の剣士は誰一人として槍仕に歯が立たなかったそうです。

36kazuhide:2009/10/13(火) 00:21:09 HOST:P222013029152.ppp.prin.ne.jp
出会いがしらに手槍で一撃・・・ですか。

確かに槍の殺傷力は刀より上ですからね。短いと言っても一メートル程度あれば槍としては十分ですからね。

37新堂涼:2009/10/13(火) 05:09:39 HOST:softbank218119008057.bbtec.net
この間「世にも奇妙な物語」を見て映画版の「携帯忠臣蔵」を思い出しました。

最後の最後まで悩み続けて覚悟を決める、中井貴一の演技力に脱帽ですw

38JIN:2009/11/15(日) 21:15:59 HOST:ntgnma003049.gnma.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp

現在放送中のN響アワー大河特集で、『赤穂浪士』と『元禄太平記』を冒頭から一気に演奏。

やはり代表イメージということか。

39てす:2009/12/05(土) 07:52:34 HOST:proxy20013.docomo.ne.jp
討ち入りの日が近付いてきたね
ボクが思うに武士は厨二病なんだと思う
だから傷害事件を喧嘩と呼んだり
殿に乱心のけがあったのを知りつつ無念の切腹と妥当な解釈をねじ曲げてまで
過剰な自己演出をしたんだと思う
893さんみたいだね

40JIN:2012/12/10(月) 21:59:13 HOST:113x39x164x58.ap113.ftth.ucom.ne.jp

中村勘三郎氏が死去。

やはりこの人といえば、『元禄繚乱』の大石役。

ご冥福をお祈りいたします。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板