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おしゃべりルーム

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1 : 聖カタリナ学園高校について(1) / 2 : おしゃべりルーム(1071) / 3 : フランス語フランス文化質問箱(446) / 4 : 哲学・宗教質問箱(795)
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1 聖カタリナ学園高校について (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1若生敏由 :2022/10/12(水) 08:32:16
 この学校の欧文表記について、やはり気になって調べてみました.学校法人の聖カタリナ学園というホームページがあり、そこで事情は分かりませんが、事実は分かります。
 法人としてはSt.Catherine, 開設している大学名もSt. Catherineです。高校は,松山以外に京都にもあって、そこも松山校と同様にSt. Catalinaと表記しています。同じ法人下にありながら、異なった表記になっているのはどうしてなのでしょう。不思議としか言いようがありません.

 あるいは、すでに確認済みかもしれませんが、参考までにお知らせしたまでです。

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2 おしゃべりルーム (Res:1071)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1Sekko :2006/03/26(日) 01:15:42
ヴィルパン
フランス語のコーナーみたいになりますが、フランスの呼称って、住んでいたらもちろん分かってきますが、アングロサクソンとは全然違います。イギリスの映画とか観てたら、学校で生徒を姓で呼んでるみたいですが、フランスではほぼ名のほうです。スターはアメリカでは名で呼ぶことが多いようですが、こちらでは少しでも公共の人はドヌーヴとかドロンとか姓で呼ぶことが多いです。だからこそ今のアイドルは、アメリカ風にファーストネームを呼ぶ傾向があります。後、インタヴューなどで、姓名をフルネームで呼べば、ムッシューという敬称は必要ないのです。たとえば、「メルシー、ドミニック・ド・ヴィルパン」と言えます。「ムッシュー・ル・プルミエ・ミニストル」とも言います。雑誌や新聞では敬称抜きのヴィルパンあるいはフル・ネームです。一番多いのは「ヴィルパン」だけ。ドはつけても間違いじゃないですが、有名になればなるほど消えます。ヴィルパンも外務大臣の頃はド・ヴィルパンと書かれていたことがありました。ムッシューの後ではどちらかと言えばド・ヴィルパンかな。ではどうしてド・ゴールはド・ゴールかといいますと、ドがなくなるには、1「有名」、2「ドに続く名がある程度長い」、3「ドに続く名が知られた地名でないか地名以外のルーツを持つ」の条件があり、ド・ゴールは1しか満たしていないからです。日本でも、たとえばシモーヌ・ド・ボーヴォワールとか有名でしたが、ド・ボーヴォワールと呼ばれずに、フランス風にボーヴォワールでしたね。でもフルネームならドが復活します。画家のアンリ・ド・ツールーズ=ロートレックとなると、ツールーズは有名な土地ですが、フルネームでないと誰もド・ツールーズ=ロートレックと言ってくれません。日本同様、ロートレックで通用します。ただし、彼は厳密に言うと、ツールーズ伯爵家とロートレック伯爵家の姻戚で生れた分家で彼の代で途絶えました。本家筋のロートレック伯爵家はまだ存在しますが、姓からドをとっちゃってます。ええと、上に挙げた条件というのは、私の見た経験則であり、別にどこかで成文化されてるわけではないです。おもしろいですね。
 共同体の話ですが、たとえばどこかの優勢な共同体に属しているから安泰というわけでなく、その中で老いたり病んだり落ちこぼれたりしたときに誰が救ってくれるかと言うことですね。アリストテレスは「愛があれば正義はもう必要ない」なんて言っていました。確かに、みなが自然に弱い人をかばってくれるなら、主義も法律もいらないかもしれません。今のユニヴァーサリズムは、起源的にはユマニスムということです。こういうと必ず、「西洋の人間中心主義が地球の環境を壊したから八百万神の多神教の方が地球に優しくベターだ」とか言う人が出てくるんですが、よく見てください。ユニヴァーサーリズムのヒューマニズムの名において、国籍や文化がどうこうを超えて、何の関係もないのに、ソマリアに水を運ぶ人とか、ルワンダに援助に行く人とか世界中の天災現場に駆けつけるグループが存在し、キューバの捕虜収容所で虐待されている人が世界に向けて連帯を求めたりしているんですよ。ユニヴァーサリズムが西洋キリスト教起源であろうとなかろうと、全体主義の国に生れたり貧困国に生れたりするのは、偶然の采配に過ぎず、失業、事故、老いや死など、誰にとっても明日はわが身、強い時に弱い者を思いやり、弱くなったら共同体の枠を超えて助けてもらえるという理想はすごく大事にしたいと私は思います。愛があればすべて解決するかもしれませんが、愛することはアリストテレスの時代からいかにも難しく、永遠の挑戦なのですよね。それと、人間の置かれる状況は一筋縄でいかず、正義のために愛を犠牲にしたり、愛のために正義を犠牲にしたりという局面を繰り返して、相対主義のニヒリズムや絶対主義の誘惑と戦いながら少しずつ連帯していくという希望を捨てたくないです。

1065小寄道 :2022/06/30(木) 21:59:25
Sekkoさまへ
とても親切なるご助言をいただき、心から感謝しています。
いつもこの掲示板を利用させていただいており、こちらにお礼のコメントを残します。

なお、拙ブログの「ブリコラージュ」に関するフランス語の情報は、普遍的なものであり、追加情報としてブログに反映させてください。
「フランス在住云十年の方」からの情報として紹介するつもりですが、もし差しさわりがありましたら、ご指示のとおりにいたします。

長期にわたるケベック州の記事は、写真の豊富さでいろいろ想像力をかき立てられます。
もちろん、フランスとの比較もありますが、アメリカとカナダのキリスト教受容の差異なども考えさせられます。
もちろん、Sekkoさまご自身の仕事に反映されるかと期待しております。

『疫病の精神史』は中断したままです。
必ず読んで自分なりの感想をブログに書きたいのですが、コロナ禍がこの日本では宙ぶらりんのままで、医学的な成果、決着はない。
また知識人による見るべき思想的な成果もありませんね(私が知らないだけでしょうか?)。
まあ、メディアのせいとはいいませんが、こうした問題の向きあい方がどうも場当たり的であり、西欧のような「精神史」が欠如している、ここに帰結しますかね。
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1066Sekko :2022/07/01(金) 07:24:22
小寄道さま
生徒の発表会と自分のコンサートを控えてばたばたしていましてお返事遅れました。
ブリコラージュのこと、もちろん引用なさって結構です。

日常会話では、これってブリコラージュだよね、というのは「素人仕事」だという揶揄の意味もあります。

その意味では、レヴィ・ストロースの使い方も今の時代では上から目線を感じさせるかもしれません。肯定的な文脈では、今風になら「レジリエンス」っぽいかなあ、という感じです。

(この掲示板のサービスがもうすぐ終了するそうで、その後どうしたらいいかまだ決めていません。今までのやり取りを保存できるのかどうかもよく分かりません。このサーバーのブログの引っ越し先というのは分かるのですが、掲示板の引っ越しや転送が可能なのかよく分からないのです。できなくなったらブログでお知らせして、別の方法を考えます。)


1067テレサ :2022/07/14(木) 13:01:27
ピアノ発表会
「発表会」の記事を読んで、私も大変「幸せな気持ち」になりました。
そして、思わず「お疲れさまでした」とお伝えしたくなり、
コメントしております。

フランスの子ども達は、どんな曲を発表会で弾くのでしょうか?
また、ピアノを習得する過程で、どんな曲を弾くのでしょうか?

日本の子ども達が必ず出会うような、「ブルグミューラー」「バーナム」や、チェルニーの練習曲もやるのでしょうか?

日本なら「音楽の友社」などから出ている「ソナチネアルバム」とかも使用するのでしょうか?

質問ばかりで、申し訳ありません。

子ども達の楽しそうな光景が、伝わってきて、
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1068Sekko :2022/07/14(木) 17:32:41
テレサさま
ありがとうございます。

終わった後で、トリオの仲間が生徒全員のmusicalitéが素晴らしかったと言われたのが最高の賛辞でした。

私の使っているのはこちらのコンセルヴァトワールに準じたもので、子供は

Méthode de piano pour débutants de Charles Hervé et Jacqueline Pouillard

とそのサブ曲集。このPouillardさんは直接知っていて、できる子だけとる最低の先生だと思いましたが、このメソードはよくできています。

少し大きい子や集中力のある子や大人の初心者には


Méthode de Piano ? Partition aux édition Henry Lemoine  Robert-Charles Martin
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1069テレサ :2022/07/14(木) 21:54:20
(無題)
早速のご返信、ありがとうございます。

「Le lac de Côme」をネットで検索して聴きましたが、
やはり聴いたことがない、知らない曲でした。
ゆったりとした綺麗な曲ですね。

エリック・サティは、
アラ還の私の中で、最近、全音のピースや楽譜が出たという感じです。


やっぱり「バッハの平均律」とか「インベンション」は、
フランスの子ども達もやるんですね〜。
そして、チェルニーも・・・

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1070小寄道 :2022/07/29(金) 03:20:19
宗教二世について
ご連絡ありがとうございます。
『「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜』の連載打ち切りの件は、コロナやウクライナのなかでも、なんとなく記憶に残っていました。

日本のタブーである、天皇制の裏、新興宗教、部落問題、人種差別などいろいろあります。
とはいえ、マイナーなメディアでは、気骨ある編集者なり出版社が、その表現力を維持したきたわけです。
この「宗教二世」の漫画は、大手の集英社ではありますがいわゆるウェブマガジンであり、まあメジャーとはいえない。よく言えばマイジャーですかね(笑)。

作品自体にも該当する団体名を明示しなかったらしいですし、5話まで継続していたという。全話削除されていて、今まったく読めませんが、幸福の本体から抗議がきたら、即連載休止だったという。

私は常々、昨今のメディアのていたらく、腰抜けぶりに激しく怒りを覚えていますが、そこまでの忖度ぶり、世間体への配慮は、なにか世代的な共通認識じゃないかと思っています。

宗教二世という存在がまさにそれで、作者も含めて、親や権威、上位権力者への気づかいが半端ない気がします。
日本人特有なんでしょうか、周囲の視線を過剰に気にして、自分の意見、感じ方さえも封印している。
その意味でいえば、作者の「きくちまりこ」さんは女性ですし、それを自分の作品として昇華させたのですから、とても立派な方だと思います。
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1071Sekko :2022/07/29(金) 15:28:13
小寄道さま
宗教二世の問題、あるいは子供がカルトやテロリズムにはまってしまった親の問題、あらためて「カルトか宗教か」を読んでほしい人はたくさんいます。
80年代後半からこの問題について中沢新一くんといろいろ話し合ってきました。それでもいろいろ食い違ったこともあり、難しい問題です。私はフランスから見ているので距離を置ける分、役に立つかもしれません。(彼にもまた相談するつもりです。)
この掲示板も閉鎖のようですので、新しい掲示板ができたらまたご連絡します。


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3 フランス語フランス文化質問箱 (Res:446)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 3
1Sekko :2006/04/19(水) 18:13:31
話し方
 学校関係のだいたいすべての試験にはORALがあります。数学や物理でも、問題をもらって、黒板の前で解説するという形の。国語(フランス語)も、口頭試問の日に籤で問題を選んで、別室で30分準備してから試験官たちの前で発表し、その後質疑応答ですね。バカロレアなどではテキトは20冊くらいの古典系のリストが分かっていて、それをリセですでに準備してるわけです。だから古典や名作文学はリセアンに最も多く読まれます。その発表の仕方は、まず、結論を言い、次にそれを説明し、最後にもう一度結論に導くというのが基本です。センテンスは一般に、短ければ短いほどエレガントだとされます。私は大学時代フランス語の先生の授業で、サルトルの戯曲のについてフランス語のレポートを書かされましたが、日本語でなかなかいいことを考えてからフランス語に訳して出しましたら、あらゆるところに疑問符がついて返ってきました。それからは関係詞などを一掃して、短いセンテンスだけで書くようにしたら分かってもらえました。でも今から思うと、思考の流れそのものが違ってたのだなあと思います。今日本の学生の仏語レポートを見てあげたりすると、その学生の日本語の頭の中が手に取るように分かるんですが、フランス語としては通じないということもはっきり分かるんです。でも、それは「何となく」分かるんではなく、はっきり言語化できるので、テクニックを伝授できます。これってフランスバロック音楽みたいです。内的ロジックがしっかりしてるので、偶然はないんですよ。これを知らない、ロマン派に毒されたような先生に当たると、「そこは、もっとクレシェンド、なぜって?そう感じるからさ」「作曲者の気持ちになって・・・所詮日本人には無理かも」ということになったりします。本当はフランス語やフランス音楽は、内的ロジックを言語化できるという点で、とてもユニヴァーサルで(だからと言って万人に分かりやすくハードルが低いという意味ではないですが)、教えやすいですよ。日本語の方が当然難しいですね。言語化されてない共有の認識、それが実は風化してるとか、日本人同士でも通じなくなってると感じさせられることはこのごろとみに多いですから。
 後は学校で、幼稚園から、韻文系やラ・フォンテーヌの寓話とかの暗誦がとにかく多いです。音とイントネーションでまるごと覚えさせます。それをクラスで暗誦させられます。グランゼコールのカリキュラムにヴィデオを使った面接の自己アピールの練習もありますね。
 もちろん政治学院なんかはもっとすごいですけど。サルコジにヴィルパン、あれだけ正反対なのに、二人ともフランス語うますぎで、聞きほれたりします。

440Sekko :2021/01/30(土) 03:57:46
若生さま
わざわざの「改訂」ありがとうございます。

日本人って、「世間の標準」と「世界の標準」との間でうろうろ迷っているのかも。

って、もうこれって「小話」という感じじゃないですね。
比較文化の小論文みたいな。

逆に、昔、フランス語のレポートがフランス人の先生に理解不可能だったようで、二度目は会話文だけにしたことを思い出します。https://spinou.exblog.jp/15666988/

私は、今は、バカロレアの哲学の小論文の予習をしているリセの生徒などに、困ったら哲学小話風のエピソードをいくつか用意しておいて堂々と書きなさい、とアドバイスすることがあります。採点者も延々と同じような引用や論の展開ばかり見てうんざりしているので、新鮮で高評価してくれる可能性大ですから。

また何かおもしろいお考えがありましたらどうぞ!

http://www.setukotakeshita.com/


441若生敏由 :2021/03/05(金) 20:25:55
「自然の中で深呼吸」その2の最後の写真について
??フォンテーヌブローの写真を見ていると、パンデミックのことなど忘れそうです。自然を人間の都合に合わせながらとりいれ、そうすることで人間もまた自然の延長にあることを実感できる場所が都市の近郊にあることは大切なことだとおもいます。

「自然の中で深呼吸」その2の最後の写真についてお尋ねします。

 タンポポの脇に点在している小粒の花は、オオイヌノフグリではないでしょうか。その花だとすると、仙台近郊に住む私も真冬から3月いっぱいくらいは、周辺の野辺で見かけているものです。雪でも降らなければ一面が枯れ野の一帯に、鮮やかな青色を保ちつづけている、けなげな花です。冷え込もうが、風が吹こうが、大地がことごとく枯れ衰えることはないのだという意志を示しながら、大空に語りかけているようにも見えます。

 その花の学名がVeronica persiaであると知ったときは、かなり驚きました。現在の日本のオオイヌノフグリは西洋種らしいですが、和名は花ではなく実のかたちの印象を表しているとのことです。和名は、なんだか、学名に失礼におもえます。

 ほんとうかどうか分かりませんが、その花を見ているとイエスの顔が見えてくるというのが学名の由来という説明に出会ったことがあります。その真偽とは別に、真冬の土手にその花の群落を目にすると、枯れ果てたなかで再生を促す役目を果たしている花として、希望を感じさせられています。

 写真の花がオオイヌノフグリだとして、フランス語の俗名はどうなっていますか。


442Sekko :2021/03/06(土) 02:58:45
若生敏由 さま
この花は今の季節、至る所に咲いています。
植物の名に疎いのでネットを検索しました。

ヴェロニック(ヴェロニカ)と呼ばれているものには200種類もあって、西南アジア原産という印象です。この花はペルシャのヴェロニック(Véronique de Perse)と呼ばれているそうなのでやはりオリエントっぽいですが。

和名は確かに夢がないですが、フランス語も俗に「猫の腸」boyau-de-chatにという異名もあるそうです。和名よりましかも。

ヴェロニックは聖女なのでフランスによくある名前です。でももともとイエスの顔をぬぐった女性の名は伝わっていず、「真実のイコン」というのがそのまま聖女の名になりました。で、その布をローマ皇帝ティベリウスの「癩」の傷にあてると治癒したという伝説があります。

それで、皮膚病の治療に使われるハーブが「Veronica officinalis」ヴェロニカ薬草と呼ばれたとありました。日本語で調べたらそれは「(コモン)スピードウェル」という万能薬草のようです。

オオイヌノフグリとスピードウェルが同じヴェロニカ種に属しているんですね。

若生さまのおかげで花の名前が分かったので、これからこの花にヴェロニックと呼びかけることにします。
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443愚者 :2021/07/07(水) 12:10:04
パンと葡萄酒
Sekko様
ベルナノス「田舎司祭の日記」の日記を書く司祭は、パンと葡萄酒しか口に入れない、あるいは体が受け付けないと書いてあったと思います。胃病には悪い食生活ではないでしょうか。
この小説において、司祭がパンと葡萄酒だけで生きているというのは重要な点だと思いますが、Sekko様はどういう意味だと思われますか?


444Sekko :2021/07/10(土) 06:33:27
愚者さま
旅行中でお返事遅れてすみません。
この小説の舞台であるノール地方に行っていました。リールにも。

ベルナノス、読みかえさないとニュアンスがつかめませんが、もちろん「パンと葡萄酒で生きる」というのは聖餐と同じシンボリックな意味です。

でもこの司祭が毎日のミサで葡萄酒を飲んでいるうちに依存症になっていたことも考えられますし、実際村人たちからそう思われていたようですね。

葡萄酒に砂糖をたくさん入れていて、そこに固くなったパンを浸したものしか胃が受けつけなくなった、というような記述も確かあったと思いますが、ワインの水割りを子供の時から普通の食卓で水代わりにしているというのはフランスでは昔からありました。あるいは、固くなったパンも、焼き立てのパンも、大きな容器に入れた牛乳に浸して食べるというのも昔は基本スタイルでした。

私がフランスで暮らし始めた頃にはトーストも、食パンも、シリアルも、ほとんど見かけませんでした。
今はアングロサクソン化して、何でもありですが。

ですから、この小説の舞台においては、この司祭の食生活自体はそれほど奇矯ではない「苦行」パフォーマンスだった気もします。

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445愚者 :2021/09/13(月) 10:23:40
ありがとうございました。
sekko様

いまさらですが、解説ありがとうございました。
昔の田舎司祭のイメージが根強いものだったなら、ベルナノスの田舎司祭が村人たちに受け入れられない理由がよくわかります。
この新司祭は受難のキリストの寓意のように思えます。
ところで、L'art de coire を久しぶりに読もうと思ったのですが、情報の量と濃度がこちらの読解の能力を圧倒的に超えているので今日は断念しました。

ところで、sekko様は「資本論」をお読みになったと思いますが、凡人には退屈で難しい本だと思われますか?
こちらの最近のベストセラー斎藤幸平「人新世の「資本論」」を読んで、やっぱり読むべき本だったのか、と思いながらなんとなくやる気が起きません。
近年日本のエライ人達が人権というものをまるで理解していないことがいやでもわかる出来事がたくさんあったので、呆れはてる上に恐怖を感じていますが、斎藤幸平や白井聡ら30代の正統的な論逆がいることに、一筋の希望を見いだしています。
2015年の「ラウダート・シ」の思想を、おおざっぱに言えば、神学から離れてだれにでもわかる形にしたのがこの本だと感じましたが、「資本論」がテーマという点で抵抗を感じるカトリックが少なくないのにやや驚いています。
「人新世の「資本論」」は、「惑星の物質代謝」の概念を核心とする実践的な書でもあります。
マルクスがプロテスタントであったことはあまり知られていなくて、私自身無神論者だと思い込んでいました。
岩波文庫は活字が小さくて、そもそも本屋の店頭にはありません。もし読みやすい日本語訳をご存じでしたら教えていただけますか。


446Sekko :2021/09/13(月) 19:33:26
愚者さま
『資本論』を通読したことはありません。

私が高校一年の頃、駒場の社会思想史の講義で習ったヘーゲル=フォイエルバッハ=マルクスの流れを兄が解説してくれたので、前二者の本の方をかなり読みました。難解でしたが、弁証法、疎外論、支配と隷属、類的存在としての人間、など新しい世界に「開眼」された思い出は強烈です。

その頃にマルクスで読んだのは『経済学=哲学手稿』です。

人間と人間を取り巻く対象を社会的諸関係の中でとらえるということに納得しました。
(あらゆる「実力行使」や「暴力」には昔から一貫して反対の立場ですが。)

それに関してやはり高校時代に読んだ本で今もフランスの書斎にあるのはマルクーゼの『[改訳版]初期マルクス研究--「経済学=哲学手稿」における疎外論』(未来社)です。
(レーニンは中央公論社世界の名著シリーズで読みました。)


今距離をもって思うと、労働の概念そのものが劇的に変わったことに感慨はあります。
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4 哲学・宗教質問箱 (Res:795)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 4
1 :2005/05/10(火) 02:09:43
美しい日本語
竹下さんに是非お聞きしたい事があります。携帯からだとおしゃべりルームに入力できなかったので内容は異なりますが、こちらで質問させてください。竹下さんは以前フランスのリセで日本語を教えられてましたよね?そこでくだらない質問ですが、日本人が美しい日本語を喋るにはどいしたらいいと思いますか?私は東京に出てきてまだ一ヵ月ですが、こちらの人の喋り方ってきれいだなと思いました。私は関西風のイントネーションがなかなか抜けません。仕事でもきれいな言葉が必要なので、方言を頭の中から消したいです。やはり時間をかけるしか方法はないでしょうか?

789Sekko :2018/10/02(火) 18:19:05
マルヤさま
ごめんなさい、確かに、他の参考文献はサイトでにあるような書き方をしていますね。

聖ヨセフはカトリックではビッグネームですから私の本の後にもたくさんの論文などが出ています。

google.frではこういうものが最初に出てきます。よくまとまっています。

http://voiemystique.free.fr/saint_joseph_04.htm
https://questions.aleteia.org/articles/135/qui-est-vraiment-saint-joseph/

英語なら、saint joseph theologyで検索するといろいろあります。

日本語では検索したことがありませんが、神学研究があると思います。

ドン・ボスコ社から出ている月刊の「カトリック生活」の今年の3月号は聖ヨセフの特集で、私もフランスの聖ヨセフ崇敬について書いています。バックナンバーを購入できると思います。
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790マルヤ :2018/10/02(火) 18:45:39
ありがとうございます。
参考文献に関する質問へのご返信ありがとうございました。
参考にさせていただきます。
また何かありましたら質問させていただくことがあるかもしれません。よろしくお願いいたします。


791清眞人 :2018/10/30(火) 09:11:47
献本先
清眞人と申します。先日、藤原書店から『フロムと神秘主義』を出版しました。同書で竹下さんの『キリスト教の謎』を取り上げさせてもらいました。第?部につけた補注13と第?部第五章360〜361頁の箇所です。同書を献本させていただきたいので、送り先をご連絡くださいませんか?藤原書店にご連絡ください。


792グラ :2018/11/07(水) 10:55:38
新刊を拝読させていただきました
ご無沙汰しております。
「神と金と革命がつくった世界史」を読ませていただきました。
一度の通読では理解不十分なのは、私の力量の無さだと感じております。

アメリカの中間選挙はどちらが勝利しても分断が解消することはありません。
世界規模で、分断や格差が拡大しているのは、この竹下先生の本を読むと、合点がいきました。
原理的に、偶像崇拝化による「帝国主義化」しているグループのガチンコ勝負の観があるのだと思いました。
超克とは、目を覚ますことなのでしょうが、「気違いに刃物」の現状では、冷たい水をどのように用意できるかということかもしれません。
偶像崇拝のメカニズムも学びたくなりました。
新刊の出版を感謝します。


793Sekko :2018/11/08(木) 01:47:54
グラさま
ありがとうございます。

この本はサイトのコメントにも書いたように、私の拠って立つ普遍主義というものの実現がいかに危ういものかを過去に学ぶために考察したものです。

特定の民族、特定の文化、特定の宗教の優位を担保するような偽の普遍的思考とは違い、脱共同体の地平を視野に入れて、1930年代のムニエの人格主義(他紙のブログの修道経済のところで少し触れました)のような新しい社会的な紐帯を、たとえミクロなレベルでも実践しなくては、と思っています。

http://www.setukotakeshita.com/


794若生敏由 :2021/03/02(火) 11:30:57
「神の愛と試練」について
「神の愛と試練」に学ぶところがたくさんありました。
 イエスの荒野での試練をエデンの園の禁断の実の話と結びつけた説明は、とても説得的です。

 自由を神とのかかわりで考えることは、けっして無益ではないのでしょう。対立や矛盾の根源を受けとめたり、特定の方向への誘惑を調整できる力がなければ、自由は人間どうしで共有し合う価値を備えられないでしょうから。

「神は全てを与える。全体性以外は」という言葉は、だれのものなのでしょうか。人間どうしが自由であるためには、人間につきまとう不完全さや不可知を失念せずに、与えられている生と世界の現実に向き合い、何が可能かを考えつづけることが問われるのだろう、とおもいました。

「聖霊がイエスを荒野に追いやった」というマルコの一節について。
 ご存じかもしれませんが、田川健三が自身の訳著で興味深いことを記しています。興味深いというのは、本人が若い頃に出した『マルコ福音書・上巻』(1971)での注解を、『訳と註』(2008)では、不正確だったと率直に認めて、「この箇所は霊が何ほどか強引にイエスを荒野にほうり出した、という意味」であると記していたことです。学者であっても、通念や通説との的確な距離を保ち、確信を提示するのはやさしくはないのだなと感じました。

 それにしても、その箇所が三位一体のベースとなるところだという指摘は、信仰のない者を新境地に立たせるはたらきになりました。ほとんど繰り返しでしかありませんが、人間が求める自由に広がりのある秩序が備わるかどうかは、イニシエーションのような試練を経ることが条件になる、と捉え直せそうです。


795Sekko :2021/03/03(水) 04:07:48
若生敏由 さま
コメントありがとうございます。


>>>「神は全てを与える。全体性以外は」という言葉は、だれのものなのでしょうか。<<<

特定の引用ではありません。Dieu donne tout sauf la totalité.というものですが、あらためて考えると意味は二つあります。

ひとつは、親が子供に「ここにあるものはなんでも好きなように遊んでもいいよ、でも、電気のコンセントには触っちゃいけないよ、危ないから」というように、神は「ここにあるものは何でも食べてもいいよ、でも、あの木の実は食べちゃいけないよ、死ぬ体になるから」と、子を思っての自由の制限。それは、制限を設けることで自由というものを探り獲得し選択することを教えるという「教育的?」意味。「‥以外は全部」という言い回しです。

もう一つは、逆で、神のくれる「全て」は「無限」であり、その「無限」は、人間が実存世界、現象世界では理解できないし到達もできないものです。「全体性」というのは人間の想像できる範囲での「全体」を網羅したもので、そのような有限の全体性は、神から来るものではなく人間が自分の都合のよいように他の人間に押し付ける逸脱にもなるという感じです。(そのまた逆で、全てを与えるけれど、無限を含む全体性は与えられない、とも読めますが、無限というのは「含まれない」ので無理かも。)

ともかく、この世にある限り、「全て」を得ることはできないし、やはり超越的感性にインスパイアされた理念みたいなものに拠って、たえず生き方を更新していくことを促されているのかなあと思います。

>>>「聖霊がイエスを荒野に追いやった」というマルコの一節について。
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