板情報 | 学問/人文/科学 ]

鷹目遊里史板セブン

スレッド作成:
タイトル:
名前: E-mail(省略可)
内容:

1 : ごあいさつ(1) / 2 : 鷹目遊里史板(845)
  (全部で2のスレッドがあります)

掲示板の使い方 / 新着をメールで受信 / 過去ログ倉庫 / スレッド一覧 / リロード


1 ごあいさつ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1鷹目 :2022/08/01(月) 21:32:24
無事、引っ越しが完了しました。

ただ仕様が違うので過去記事が見づらくなっているのはご容赦ください。

名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード


2 鷹目遊里史板 (Res:845)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1鷹目 :2006/03/12(日) 14:04:22
一流への道
≫活魚料理店の水槽を撮らずして一流とは言えないでしょう。

 道は険しいな・・・。

>bananaさん
 情報ありがとうございます。そちらも次回候補に入れておきます。会場選定が一番悩みます(笑)。

839鷹目 :2020/07/01(水) 20:32:39
2020年前半
尾久花街
大店はハイツ、駐車場に。
おそらく料亭料理屋もしくは旅館であったと思われる建物が片手5件ほど。
それも若干改装、ペンキの塗り替えをしている。
八幡神社の玉垣に料亭の銘あり。ただし摩耗が激しい。

沼津花街
神社玉垣に沼津芸妓寮組合、割烹の銘あり。


840新今里X :2020/12/05(土) 23:49:56
土橋
ご無沙汰してます。
寝かせて一回忘れてたネタをば…(笑)

「中の川整備 豊坂町から北柳井町にかけての通称中の川筋には、終戦直後の混乱期に、バラック建ての飲食店が、道の中央よりやや南寄りを流れる幅約三メートルの小川をはさんで立ちならび、当時で五〇軒が不法占拠していた。川の汚染で不衛生となり、火災、児童への悪影響や交通妨害などが心配されていたが、昭和三九年三月、付近の町内会長が中心となって「中の川を守る会」が結成され、市に対策を要求していた。七月になっても、具体的な対策を打ち出さない市の対応に業を煮やした守る会のメンバーの一人が、「不法には、不法をもって戦う」と、不法建築の飲食店街から約五〇メートル東側の市道にバラック二軒を建てはじめるという事件も起こったが、市もこの実力行使にようやく動かされ、問題解決のために諮問委員会を設置することを決めた。一〇月、市議会議員一一名からなる専門委員(中の川北通り線道路上建物除却臨時専門委員)が設置され、四二軒の不法建築を立ち退かせる方法が検討され、昭和四一年三月一〇日、四二軒の不法占拠者に五ヵ月以内の移転命令を出した。移転先について、市は市有地を賃貸借契約を結んで提供し、住宅建設資金のあっせんをするなどして、一〇月一四日までに全戸が移転することになり、翌一五日には道路として復元された。昭和四九年六月には地下駐車場が完成し、川幅も狭くなって昔の面影が失われたが、新しい中の川通りとなった。」松山市史 第4巻 現代

戦後の一時期、今は広い車道になってる中の川通りの真ん中にある中の川に沿ってバラックの飲食店があるというのを知り、どこにあったのか確認しようと昭和30年代の住宅地図から探したところ、松山市駅の目と鼻の先、末広町交差点から裁判所前通りと交差するところまで50軒近く並んでたようです。
昭和40年の地図が最後で、その後は記載がないので、松山市史の通りに移転により撤去されたのが地図でも確認できます。

ついでに市内の各地や今治などの地図を見て楽しんでたところ、土橋の始まりが意外と遅いのが分かりました。
赤線青線時代どころか昭和42年にはじめて掲載され全店埋まってない状態で、翌年の昭和43年で全店掲載。
そこでやっと中の川筋のバラック飲食店の移転先が土橋だと気付いて、屋号を比較すると昭和43年の地図で3分の2ほどが中の川筋のバラック飲食店と同じでした。
その後は地図上では昭和50年頃までが全盛期のように見えました。

土橋の建物は赤線青線時代のものかと思ってたのに自分より年下でショック。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


841ガーゴイル :2020/12/19(土) 13:21:26
どこのドイツ
ノーパン喫茶やノーパンしゃぶしゃぶのブームの話は本当は北極や南極の島の話である。


842鷹目 :2020/12/27(日) 21:20:50
2020年後半
泉佐野花街(再訪)再訪
置屋と言われている建物は存在。
街灯についていた新地通りの看板は、現在は一つもない。

貝塚近木新地(再訪)
2018年から特に変わりなし。
深川は建物は健在だが扉を閉ざしたまま。

京都橋本(再訪)
13軒ほど残っているが、空き地や建て替え、外壁等の改装が目に付く。
旧歌舞練場は夏に取り壊され、石碑だけが残っていたが、こちらも9月後半に撤去される。


843鷹目 :2021/12/30(木) 19:59:04
2021年総括
かんなみ街
21年11月1日付で市役所と警察により行政指導・警告が行われたため営業停止。
11月半ばごろから飲食を提供する店へと転業、改装を行っている店もある。

河内長野
新地の痕跡ほとんどなしだが、雰囲気のある建物ある。
普通の料理旅館は現役で一軒あり。
電柱の表示が「ユウエンチ」。

あと現地確認はしていないが、火事により松島新地料亭2軒焼失。


844夕凪 :2022/01/05(水) 17:18:49
新天地の隣は写真館?
●やっぱし和歌山の「新天地」は映画館みたいですネ。
昭和初期、手平地区には紡績関連工場が多数立地していて、
そこで働く女工さんの休日の楽しみの一つが
「新天地」で映画を見る事だったみたいです。
※下記リンク P.28(8/10)参照
ttps://www.hannan-u.ac.jp/doctor/tourism/matsumura/mrrf4300000091ub-att/mrrf43000000bgwy.pdf

紡績工場は女性が多かったけど、染色工場は男性労働者が多かったとの事です、
と言う事は・・・・

●また和歌川を挟んでだ西側の芦原新地の辺りは皮革産業が盛んだったようです。

(参考)ttps://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/zoomify/mapview.php?m=002455475_o


845鷹目 :2022/07/30(土) 18:52:44
おしらせ
teacup.掲示板サービス終了に伴い、ログごとしたらば掲示板に引っ越し予定です。

引っ越し後ものんびりやっていきます。

https://jbbs.shitaraba.net/study/13448/


名前: E-mail(省略可)
全部読む 最新50 1-100 メール受信 掲示板トップ リロード