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【分野】おすすめの本を書くスレ【不問】

1名無しさん@中島ゼミ:2007/11/10(土) 16:26:12
おすすめの本を書いていきましょう。
1レスに1冊。分野は問いません。法律専門書でも、小説でもOK。
できれば理由も一言ほどあると嬉しいな。

86:2009/02/14(土) 01:27:39

夏目漱石『こころ』(新潮文庫)。

7〜8年ぶりに読みました。前回はサッパリ解りませんでしたが。
野暮なことは言えません。が,本多顕彰の手になる解説は,私には役に立ちませんでした。私なりに,解った気がします。

87:2009/02/14(土) 22:22:26

野中尚人『自民党政治の終わり』(ちくま新書,2008)。

さしあたり,「リーダーシップ」よりも「それでも権力分立を」ではないでしょうかねえ。

88:2009/02/17(火) 01:36:35

阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書,1995)。

とりわけ,「序章」と「おわりに」。

89:2009/02/17(火) 22:37:46
関連して,

阿部謹也『近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本』(朝日新書,2006)。

90:2009/02/21(土) 19:02:06

山本祐司『最高裁物語(上)(下)』(講談社+α文庫,1997)。

面白かったです。最高裁発足前〜発足直後のことは,判決はともかく,
あまり「知識」がなかったもので。ただ,「ノンフィクション」といえど,
どこまでが「史実」かはよくわかりませんが。

91:2009/02/23(月) 18:15:59

門倉貴史『貧困ビジネス』(幻冬舎新書、2009)。

92:2009/03/01(日) 23:55:55

丸山真男『日本の思想』(岩波新書,1961)。

以前,第2章がわからなくてそこで放置していました。
今度も,第2章はよくわかりませんでしたが,最後まで読みました。
第1章,第4章が特に面白かったです。

93:2009/03/02(月) 00:03:41

丸山真男といえば,「超国家主義の論理と心理」『世界』1946年5月号(同『丸山眞男集<第3巻>』〔岩波書店,2003〕所収)も,大変面白かったです。

94:2009/03/04(水) 00:56:45

トマス・ホッブズ(永田洋訳)『リヴァイアサン(1)〜(4)』(岩波文庫)。

万人の万人に対する闘争か,それとも,絶対的主権者への服従か?

95:2009/03/04(水) 20:53:53

ルソー(中山元訳)『人間不平等起源論』(光文社古典新訳文庫,2008)。

新訳で読みました。
ホッブズの「自然状態=万人の万人に対する戦争」観念を否定し,真の自然状態は,人間=野生動物=基本的には争わない,と。人間の始原的な不平等から,どうしようもない後天的制度的不平等にいたる,一種の「人類進化史」。

96:2009/03/15(日) 21:53:56

ルソー(中山元訳)『社会契約論/ジュネーブ草稿』(光文社古典新訳文庫,2008)。

その「どうしようもない後天的制度的不平等」をやめて,「自由と平等」を「とりもどす」ための「社会契約」について。個人的に,ジュネーブ草稿の方がすっきりしてる感じがあります。

97よしはら ◆7lqX359TUk:2009/03/18(水) 23:37:54
船越資晶「法的思考におけるポストモダンの条件――ダンカン・ケネディのウェーバー論を手がかりに――」法学論叢163巻4号(2008年)1頁以下。

私がかつて受けた授業内容が、ほぼそのまま論文化されています。

万人におすすめできる文献ではありません。
たとえば、「ラング」「パロール」「リゾーム」などの概念が、ほとんどまったく説明なしに援用されています。
憲法の勉強を深めたいのであれば、もっと他の文献を、たくさん読んだ方がよいです。

しかし仮に、上記「ラング」などの概念についてご存知であれば、非常におすすめです。
「社会科学としての憲法学」など、憲法解釈学説群を、違った角度から眺めることができます。

98名無しさん@中島ゼミ:2009/06/09(火) 14:49:23
あるオープンの授業で勧められた本です。
上川あや 『変えていく勇気 性同一性障害の私から』

99名無しさん@中島ゼミ:2009/06/25(木) 22:07:38
>>発表班の人へ

日比野勤「外国人の人権(1)(2)(3)」法学教室210、217、218号(1998)
安念潤司「『外国人の人権』再考」芦部信喜先生古希祝賀『現代立憲主義の展開(上)』(有斐閣、1993)
長谷部恭男「外国人の人権」同『Interactive憲法』(有斐閣、2006)

とりあえずこれくらいにしておきます。

100名無しさん@中島ゼミ:2009/07/03(金) 19:29:30
CiNii(http://ci.nii.ac.jp/)を使って検索しなよ。
本文のあるやつをたくさん検索して読むと良いよ。

101名無しさん@中島ゼミ:2009/07/08(水) 17:22:18
「表現の自由」と「政治」の関係を考える人のための本として
2冊ほど紹介します。

【専門書】

「放送法を読みとく」(2009.7)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4785716649.html

概念的、抽象的な「マスメディア論」「ジャーナリズム論」ではなく、
法学者の観点から、現代の放送法制の抱える問題点、そして、2011年に予定されている
「情報通信法」構想の概要と問題点を法律的観点から、わかりやすくまとめた一冊。
放送業界の現状と課題から、行政機関の在り方とその国際比較、放送法の逐条解説まで入っていて、
これ一冊を読めば放送行政のすべてがわかる、かも?

【小説】

「虚像の砦(文庫版)」(真山仁著)
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/3480379/s

『ハゲタカ』著者が描き出すテレビ局の実像
中東で日本人が誘拐された。その情報をいち早く得た、民放PTBディレクター・風見は、
他局に先んじて放送しようと動き出すが、予想外の抵抗を受ける。
一方、バラエティ番組の敏腕プロデューサー・黒岩は、次第に視聴率に縛られ、自分を見失っていった。
二人の苦悩と葛藤を通して、巨大メディアの内実を暴く。

‐‐
NHK番組改編事件など、放送局への政治介入が問題とされた例は枚挙に暇がないが、
この小説で題材として扱われているイラク人質事件報道もその一つであり、
それがちょうど放送局の再免許の年にあたっていたことも指摘がされている。
従軍慰安婦、台湾統治など、歴史認識問題での政治介入が話題となる中、
放送と政治はどのような関係にあるべきか、放送法制、免許法制はどうあるべきか。
気軽に読める小説でありながら、本質的な問題を突き付ける一冊。

102よしはら ◆7lqX359TUk:2009/07/11(土) 00:22:44
現在進行中の長谷部恭男=毛利透論争を、私の把握しているかぎりでご紹介します。


長谷部恭男『憲法とは何か』(岩波新書、岩波書店、2006年)。

毛利透「市民的自由は憲法学の基礎概念か」井上達夫編『岩波講座 憲法1 立憲主義の哲学的問題地平』(岩波書店、2007年)3頁以下。

長谷部恭男「自己目的化の陳腐さについて」UP417号(2007年)47頁以下。

毛利透「市民的自由は憲法学の基礎概念か」同『表現の自由――その公共性ともろさについて』(岩波書店、2008年)25頁以下。
←上掲同名の論文に、長谷部教授に対する反論が付加されている。

長谷部恭男「学説の誤解」法学教室345号(2009年)75頁以下。

毛利透「公私区分の意味――長谷部教授への反論」法律時報1011号(2009年)98頁以下。


論争の概要としては、長谷部教授のきわめて厳格な公私二元論(彼はそれを「立憲主義」の名で語ります)に対して、毛利教授が、表現の自由の場面に着目して、長谷部教授の立論を批判している、というものです。
毛利教授の主張は、長谷部教授のような公私二元論は、表現の自由に関するかぎり、現実に成立しようがない。
また長谷部教授の立論は、表現の自由に関する従来の憲法学説の前提、および国会議員の責任に関する憲法条項の方向性に反する、というものです。

長谷部教授は毛利教授に対して反論を試みていますが、私のみるかぎり、毛利教授の批判は、相当鋭いです。
長谷部教授は論文「学説の誤解」で、従来の彼の学説の理論的先鋭さを、かなり鈍らせています。
「学説の誤解」は、捉え方によっては、長谷部流立憲主義に、法的拘束力はないかのような書きぶりになっています。
立憲主義に法的拘束力がないなど、語義矛盾ではないか、との批判もありえましょうが、実際そう読める叙述になっています。
長谷部教授の「学説の誤解」における理論的「転回」は、後の学説史理解において、ジョン・ロールズの「転回」同様の、重大なものと受け取られる可能性が、大いにあります。

103名無しさん@中島ゼミ:2009/07/13(月) 19:09:56
「誤解」を読み込みすぎではないでしょうかね。また、毛利先生への評価が随分甘い気がしますが。

104よしはら ◆7lqX359TUk:2009/07/13(月) 20:17:26
>>103

>>「「誤解」を読み込みすぎではないでしょうかね」

それはそうかもしれません。
私は、「学説の誤解」により、長谷部教授がこれまで「立憲主義」の名で語っていたところは、「まっとうな政策論や憲法論であるため」の「常識的な話」であることが明らかになった、と考えています。
これをもって、長谷部教授が立憲主義の法的拘束力を否定したものだ、と捉えるのは、「読み込みすぎ」といわれれば、そうかもしれません。
毛利教授の「学説の誤解」に対する理解としても、長谷部教授が立憲主義の法的拘束力を否定したとまでは捉えておられないでしょうが、かなり立憲主義の拘束力を弱めた、と捉えているであろう点では、私と同じ方向にあります。
長谷部教授が、毛利教授の理解に対して、やはり「トンチンカン」と主張する可能性は十分にありますから、現段階で、「学説の誤解」をもって長谷部教授の「転回」と断定するのは、たしかに時期尚早です。

>>「毛利先生への評価が随分甘い気がしますが」

私はかねてから、長谷部教授のきわめて厳格な公私二元論に対しては、非常に批判的でした。
そのために、毛利教授への評価が「随分甘い」ものになっている可能性があります。
もちろん、毛利教授にも批判されるべき点はあって、たとえば毛利透「市民的自由は憲法学の基礎概念か」井上達夫編『岩波講座 憲法1 立憲主義の哲学的問題地平』(岩波書店、2007年)7頁の最終段落2文目「この文からは」ではじまる文は、そのような反対解釈をしてしまってはまずいのではないか(実際長谷部教授が、この点について反論しています)、と思います。
しかし、長谷部教授の厳格な公私二元論に対する批判として、全体的に捉えれば、毛利教授の批判は当たっているところが多いのではないでしょうか。
たとえば言論を、公的言論・私的言論(私的価値観というほうが精確かもしれません)に二分し、 一方は公的言論の場に載せ、他方は排除する、という制度が、現実離れしているというのは、そのとおりだと思います。

105よしはら ◆7lqX359TUk:2009/07/14(火) 14:34:57
長谷部=毛利論争をご紹介するだけのつもりだったのですが、べらべらと私見を述べてしまいました。
あらためてスレッド名を読み返してみると、「おすすめ本」スレッドとしては、スレ違いもはなはだしいです。
申し訳ありません。

>>103でご批判をいただいたことですし、これ以上憶測・深読みで物を言うことはせず、論争の行く末を見守りたいと思います。

106名無しさん@中島ゼミ:2009/07/14(火) 15:46:53
>>105
>>103とは別人ですが、まあ「おススメの理由」としては、
別にスレ違いでもないし、よろしいかと思います。

107名無しさん@中島ゼミ:2009/07/14(火) 15:56:27
ただし、ゼミ生へのおススメとしては、>>102よりも先に、

Jurist増刊 新・法律学の争点シリーズ
『憲法の争点』(有斐閣、2008.12)をおススメしたいですね。

これは、憲法上の争点について、現在論争となっている点について
幅広く取り上げられていて、ゼミでの発表・論点探しにも使いやすいですし、
特に、p.114『表現の自由の保障根拠』は、現在の東大学長である浜田純一先生がお書きになっていて、
表現の自由の根拠をどこに求めるかによって、保障の範囲や理論構成がどう変わってくるのか、
ということが見開き2ページでわかりやすく説明されています。

まずはこれを読んで、全体像を掴んだ上で、>>102に紹介されているような、
毛利透『表現の自由――その公共性ともろさについて』(岩波書店、2008年)
などを読むほうが良いように思います。

108:2009/07/14(火) 19:47:29
長谷部毛利論争については考えるところはありますが,それはさておき,盛り上がっているところで私も紹介します。

三宅雄彦「保障国家と公法理論 : ドイツ規制緩和における国家任務の位置」社会科学論集(埼玉大学)126号,S.31ff.(2009)。
http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=KY-AN00109186-0126-02
ここの「Download」から読めます。なかなか専門的ですが,興味深く読みました。

入門といえば,有賀弘他編『政治思想史の基礎知識』(有斐閣,1977)もいい本だと思います。

109よしはら ◆7lqX359TUk:2009/09/08(火) 23:09:37
雑談スレッド>>195でもご紹介した、内田樹先生と、社民党の福島党首との対談です。
http://www5.sdp.or.jp/policy/policy/other/peace0908.htm

内田先生の書かれる文章は、エマニュエル・レヴィナス(やジャック・ラカン)を扱う専門的論文も非常に興味深いのですが、彼の政治的言論も、大変刺激的で、参考になります。

哲学がお好きな方であれば、彼の政治的議論を、レヴィナスの他者論などと照らし合わせる、といった楽しみ方もできます。

110名無しさん@中島ゼミ:2009/10/30(金) 01:47:36
西原博史『自律と保護』(成文堂、2009)。面白かったです。

111名無しさん@中島ゼミ:2009/12/02(水) 13:30:32
安念潤司「判例で書いてもいいんですか?」中央ロー・ジャーナル6巻2号85頁

「判例は神、学説はゴミ」の真意。

112名無しさん@中島ゼミ:2009/12/07(月) 17:29:49
>>111
読みました.いかにも安念先生といったところですかね.

113よしはら ◆7lqX359TUk:2009/12/25(金) 22:28:17
「法科大学院コア・カリキュラム第一次案」
http://www.congre.co.jp/core-curriculum/result/index.html

私の所属するロースクールでは、「まだ、中間案の段階ですが、みなさんの学習にとって参考となるものと考えられますので、目を通すようにしてください」との通知がなされています。

とりあえず、憲法に目を通してみました。
「共通のミニマム・スタンダード」(「総論」より)とされてはいますが、なかなか難しい問題も、かなり含まれています。
これを網羅的に知識として定着できれば、かなりの力がつくと思われます。

統治機構編のあとに人権編が配置されているな、と思ったら、土井真一先生が主任を務められているのですね。

114名無しさん@中島ゼミ:2010/03/23(火) 18:42:25
あまんきみこ(文)二俣英五郎(絵)『きつねのおきゃくさま』

「はずかしそうに わらって しんだ」キツネの顔の表情こそが,
この絵本の神髄だと思います。

115名無しさん@中島ゼミ:2010/04/24(土) 02:33:51
これおもしろいよー
http://www.nhk.or.jp/harvard/

116よしはら ◆7lqX359TUk:2010/04/27(火) 00:31:12
土井真一「憲法判断の在り方――違憲審査の範囲及び違憲判断の方法を中心に」ジュリスト1400(2010年5月1-15日)号(2010年)51頁以下。

新司法試験受験生は、必読の文献です。
憲法訴訟論の諸概念・論じ方が、きわめて明確に説明されています。

日本の最高裁の違憲判決は、そのほとんどが、立法事実に基づいて法令自体を違憲とする方法によっています。
適用違憲の例は、第三者没収事件くらいだといわれます(私自身は、政教分離に関する諸判例のほとんどは、適用審査が行われたものだ、というべきではないかと思っていますが)。
しかし、これら違憲判決の大半は、芦部信喜先生の用語法だと、文面審査にも、適用審査にも、分類することができません。
彼によれば、文面審査は、立法事実を顧慮せずに、法令の文字面だけを判断材料にするものです。
けれども最高裁は、違憲判決を下す際、ほとんど常に、立法事実を顧慮します(森林法判決しかり、最近の国籍法違憲判決しかり)。
そのため、芦部先生の用語法だと、これを文面審査と呼ぶことはできません。
適用審査を行ったものということも、もちろんできません。

上記土井論文を読めば、最高裁の違憲判決のほとんどをなす、立法事実に基づく法令自体の合憲性審査についても、適切に呼称することができるようになります。
立法事実に基づく客観的審査(佐藤幸治先生をはじめ京都学派の用語法)、あるいは立法事実に基づく広義の文面審査(法令審査)、と呼べばよいのです。

さて憲法訴訟論は、学部はもちろん、ロースクールでも、あまり時間が割かれないので、理解が不正確な人が多いです。
たとえば、世間に出回っている「答案例」の類では、(広義の)文面審査(=法令自体の合憲性審査)をする際には、一定の違憲審査基準を採用して、目的・手段審査を行っているのに、適用審査になると突如、なんら違憲審査基準を省みず、当該事案の事実関係を羅列して、合憲/違憲の結論を導き出すものが、非常に多いです。
広義の文面審査で目的・手段審査をした以上、適用審査だからといって、いきなり比較衡量法によるのは、不自然ですし、誤りです。
広義の文面審査で、一定の違憲審査基準を採用したのならば、適用審査でも、制約されている人権・制約の態様が同じであるかぎり、基本的に同じ違憲審査基準を用いて合憲性審査をしないと、おかしいです。
ですが、学生のなかでは、これを理解している人のほうが少ないようです。

そういった点も含め、ぜひ一度、土井論文をご覧ください。

117よしはら ◆7lqX359TUk:2010/04/27(火) 00:37:05
安西文雄「政教分離と最高裁判所判例の展開」ジュリスト1399(2010年4月15日)号(2010年)56頁以下。

最近の、砂川市空知太神社事件違憲最高裁判決に関する判例評釈です。
同判例の評釈は、いくつか出始めましたが、現時点では、上記論文が最良のものです。
きわめて精緻かつ網羅的に検討しています。

もちろん、まずは、ジュリストの同号に収録されている最高裁調査官解説を読む必要がありますが、同解説は、判決文を読んで分かる以上のことは、あまり説明していません。
そのため、判例分析をするには、他の評釈を読む必要があります。

118よしはら ◆7lqX359TUk:2010/04/27(火) 01:03:28
>>116に追記。

政教分離に関する諸判例は、公権力の行為が合憲性審査の対象となっているので、精確には処分審査というべきですが、処分審査は適用審査に含めて論じられることが多いので、>>116のように書きました。

119名無しさん@中島ゼミ:2010/05/07(金) 21:58:16
プラトン(北口裕康訳)『ソクラテスの弁明 関西弁訳』(パルコ出版、2009年)

これは読み進めるのが速かったです。岩波文庫版はどうしても眠たくなってしまうもので・・・(笑)半ば上方落語ですね(笑)

120名無しさん@中島ゼミ:2010/05/10(月) 21:27:32
必要あって,高橋和之=佐藤幸治=棟居快行=蟻川恒正「(座談会)憲法60年」ジュリスト1334号(2007)を読んでいたのだが、高橋=佐藤VS棟居のやり取りにおもわず噴出してしまった(17-21頁)。

121名無しさん@中島ゼミ:2010/07/15(木) 23:33:27
中島徹「『公務員は一切、政治活動をしてはならない』のか――猿払の呪縛」法学セミナー668号(2010)

122名無しさん@中島ゼミ:2010/09/22(水) 02:02:29
山口いつ子『情報法の構造――情報の自由・規制・保護』(東京大学出版会、2010年)。

非常に勉強になる本です。

今までほとんど日本の憲法研究者が扱ってこなかったテーマについて、深く掘り下げています。
叙述のスタイルはオーソドックスで、アメリカの判例や学説を、手際よく整理しています。
アメリカの判例からマイナーな理論に至るまで、非常にフェアに扱っており、内在的な解説がなされています。
判例・学説の紹介に当たって、主として支持者による議論の蓄積をしっかりと論じたうえで、批判説を紹介しています。
著名な判例からマイナーな理論まで、まずは支持者による内在的な議論をしっかりと分析する、という点は、当該判例・理論を学ぶうえで、大変役に立ちます。

現在日本で、日本やアメリカの判例を紹介するアプローチは、内在的なアプローチと外在的なアプローチとに、二極化しています。
内在的なアプローチとは、時代背景まで史料によって把握し、判例に関する学説の蓄積を踏まえたうえで、判例を内在的に理解しようとするアプローチです。
外在的なアプローチとは、判例に関する学説の蓄積にはほとんど言及せず、自己の独自の理論体系に適合するように、判例を外在的に読み替えるアプローチです。
たとえば、日本の判例を、アメリカの法思想・社会思想によって正当化しようとするアプローチや、日本の一定の判例は、ドイツの歴史的な国法学説に依拠したものだとするアプローチなどです。
後者のアプローチは、十分に判例を理解した者にとっては、興味深いものですが、これからはじめて当該判例を理解しようとする際に、参考書として用いるのは、不安が残ります。
山口先生の本は、判例・理論を内在的に理解しようとするものなので、内在的アプローチに属しますが、非常に新しい問題を扱っていることもあって、時代考証まではなされていません。
しかし、さまざまな判例・理論を非常にフェアに扱っているので、アメリカの判例・学説に疎い人間にとっては、大変安心感があり、勉強になる本です。

123名無しさん@中島ゼミ:2010/10/03(日) 00:53:56
法セミの駒村新連載の展開にわくわく。
あと法教の青井演習の展開もわくわく。

124よしはら ◆7lqX359TUk:2010/12/08(水) 23:56:17
ジョン・ロールズ(川本隆史・福間聡・神島裕子訳)『正義論 (改訂版)』紀伊国屋書店、2010年11月24日。

長らく熱望されていた訳書です。
学部のうちに、またマイケル・サンデルを読む前に、本書を読んでおくことをおすすめします。

125名無しさん@中島ゼミ:2011/01/17(月) 22:51:47
ここを見てる人はもはやいるのか疑問ですが。

山口進=宮地ゆう『最高裁の暗闘』(朝日新書、2011)
面白いですよ。非常によく調べられていると思います。

126よしはら ◆7lqX359TUk:2011/06/09(木) 18:39:41
櫻井龍子「行政法講座――福島第二原発訴訟」自治実務セミナー2011年6月号。
福島第一原発の事故と原発訴訟との関係に興味があれば、読むべきです。
著名な行政法研究者による論考ですが、行政法教義学というよりは、行政法社会学の要素を強くもった論文です。

127よしはら ◆7lqX359TUk:2011/06/09(木) 22:32:08
すみません、上記論文の著者名を、最高裁判事の名前と、間違えていました。
正しい著者名は、「櫻井敬子」です。

128名無しさん@中島ゼミ:2011/06/17(金) 17:59:30
大前研一『日本復興計画 Japan; The Road to Recovery』(文芸春秋、2011)
原発関連で、私からも1冊ご紹介を。著者は原子力工学博士号を
取得した後、原子炉プラントの設計にかかわった経歴の持ち主です。
なぜIAEAが、その予算の多くを日本に割いてきたのか。その理由の
一端が見えるような気がします。

「国策といえば、『夢の原子炉』高速増殖炉やプルマーサルも国策である。
使用済み燃料の中からフェニックスのようにプルトニウムが再生し、これを
循環させれば、日本のエネルギー問題よ、さようなら。だから国策として
やりなさいというのが日本の政策である。
 これをオモテの国策とするなら、実はウラの国策がある。プルトニウムを
抱えていれば、90日で原爆が作れる。だから、国内に使用済みプルトニウムを
貯蔵して持っておくこと自体が日本の抑止力となり、安全保障になるという
理屈である。」
(上記書籍より抜粋)

129よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/22(金) 20:24:21
山本真敬「藤田裁判官の「判断過程統制」の検討」早稲田大学大学院法研論集138号(2011年)201頁以下。

1、はじめに
著者の山本真敬君とは、今も親しくさせてもらっています。
彼の初めての公表論文、しかも後述のように、大変な力作が公にされたことは、誠に慶賀の至りです。
研究者でもない私には、彼の論文についてとやかく言う資格も能力もないとは思いますが、より多くの人に本論文に接していただくため、若干のコメントをさせていただきます。

2、特筆すべき特長
(1)藤田意見自体の分析
本論文は、藤田宙靖最高裁元判事が、議員定数不均衡訴訟において明らかにした「判断過程審査」の手法について、「考慮要素審査」と「時宜適合判断審査」とに分かったうえで、両者が藤田判事の意見においてどのような意味をもっているのかを探究しようとするものです。
従来、毛利透先生の著作などにおいて、考慮要素審査ではなく時宜適合判断審査こそが、判例にとって重要な意味をもっていることが、明らかにされてきました。
本論文も、そのような理解と軌を一にします。
しかし本論文は、それにとどまらず、藤田意見の文言を丁寧に読み解くことから出発しつつ、意見の帰結にとって真に意味のある判示とそうでない判示とを具体的に摘示し、考慮要素審査よりも時宜適合判断審査のほうが、意見にとって重みをもっていることを、明らかにしています。
判示の峻別手法も、あくまでも判文を基礎にしつつ、大変周到になされています。
(2)藤田意見の多数意見に対する影響
藤田意見が、最高裁の多数意見に対して影響を及ぼしたかについては、学界の関心も高いです。
本論文は、考慮要素審査・時宜適合判断審査のそれぞれについて、最高裁の多数意見に影響を及ぼしたことを、明らかにしています。
その手法は、考慮要素審査については、多数意見が挙げるようになった種々の考慮要素を、具体的に挙示し、また時宜適合判断審査については、藤田意見の背後にあった政治的意図をも考慮に入れつつ検討する、という綿密なものです。
藤田意見の多数意見に対する影響について、考慮要素審査と時宜適合判断審査とを明示的に区別しつつ論じた著作は、従来あまり見当たりません。
両者を明確に区別しつつ検討することで、藤田意見の多数意見に対する影響の存在が、非常に見やすくなっています。
(3)このように、本論文は、判決の文言にしっかりと定位しつつ、説得力のある新たな分析の視座から、藤田意見を精緻に分析するものであり、きわめて有益な著作です。

130よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/22(金) 20:24:59
3、アドバイス
僭越ながら、若干のアドバイスもさせていただきます。
(1)表記
ア、「考慮要素審査」
本論文が用いる「考慮要素審査」は、一般的な用語なのでしょうか。
本論文は、「当然考慮に入れるべき事項を考慮に入れず,又は考慮すべきでない事項を考慮し,あるいはさほど重要視すべきではない事項に過大の比重を置いた判断をしてい」ないかの審査を、「考慮要素審査」と呼称しています。
しかし、行政法学では一般にこの審査を、「考慮不尽・多事考慮」の審査と呼んでいるはずです。
イ、「判断過程統制」
「判断過程統制」のなかに、考慮要素審査のみならず、時宜適合判断審査をも含めていることには、違和感を感じます。
従来、考慮要素審査は、行政裁量に関する判断過程審査のなかに含めて論じられてきました。
しかし、時宜適合判断審査は、行政裁量統制において問題とされてこなかったために、いきなり判断過程統制のなかに含めて論じられると、用語法上違和感を感じます。
実質的にも、時宜適合判断審査においては、立法府がなんら判断を行わず、漫然と制度を放置した場合も審査の対象となります。
立法府がなんら判断をしていないのに、「判断過程」統制を云々することは、不自然です。
このようなことが生ずるのは、本論文において「判断過程審査」の定義が示されていないことによります。
立法裁量統制と行政裁量統制のあり方は、異なるものであり、行政裁量統制の場面で使用されている「判断過程審査」の定義は、立法裁量統制の場面では、一定の変容を被る可能性があります。
にもかかわらず、立法裁量統制について論じた本論文で、「判断過程審査」の定義が示されていないことには、問題があります。
そもそも行政法学においてすら、「判断過程審査」は必ずしも頻用される概念ではないだけに、よりいっそう、本論文での定義が求められました。
ウ、判示
判示が、多数意見のものなのか、個別意見のものなのか、一つ一つ説明がないために、非常に読みづらくなっています。
たとえば、209頁後半の判示引用は、多数意見の引用に読めますが、実際は藤田意見の引用です。
また、判示が衆議院に関するものか、参議院に関するものかの摘示がないのも、非常に分かりづらいです。
215頁以下では、もっぱら参議院に関する叙述が展開されていますが、同頁なかほどでは、衆議院に関する分析もするかのような論述があります。
そのため、その後の叙述が参議院に関するものなのか、衆議院に関するものなのかが、とても分かりにくかったです。
エ、「又は」「若しくは」
「又は」「若しくは」の使い分けは、法律学の基本なので、正確に理解しておきましょう。

131よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/22(金) 20:28:19
(2)内容
ここからは、本論文に刺激を受けた私見、という形でコメントします。
裁判所の判断過程審査の手法を、立法府に対する敬譲の観点から分析すると、おもしろいかもしれません。
本論文では、行政裁量統制に関する手法を、そのまま立法裁量統制にスライドさせることに対しては、慎重な態度がとられています。
これは、非常に重要なことです。
ア、一般論としての立法裁量の尊重
まずは、憲法上の人権の具体化という面をさておいて、一般論として、裁判所は、行政裁量よりも立法裁量に対して、より敬譲的であるべきだということを述べます(以前に作成していた文章をコピー・ペーストするので、少し長くなることを、ご了承ください)。
裁判所は、立法裁量について、行政裁量と同様に、判断過程審査をすべきである、と安易にいうことはできません。
行政裁量統制における判断過程審査の手法は、裁判所が、行政府の判断過程の合理性を審査しようとするものです。
そのため、判断過程統制を徹底させると、次第に裁判所による判断代置に接近していくことになります。
そうなると、行政府の判断に裁量を認めた趣旨が、失われていくことになります。
ところで、裁判所による行政裁量の尊重は、三権分立のほか、司法審査の民主的正統性の観点からも、根拠づけることができます。
すなわち、裁判官は国民に選挙によって直接選出されるわけではありませんから、裁判所の民主的正統性の基盤は脆弱です。
一方、行政府(さしあたり中央政府を念頭に置きます)の構成員のうち、圧倒的多数は、国民が選挙によって選出するわけではありません。
しかし、国会議員は国民が直接選挙で選出するため、国会の民主的正統性は強固であるところ、内閣の首長である内閣総理大臣は、国会議員のなかから国会が指名するため(憲法67条1項前段)、民主的正統性は強いです。
また、内閣は議院内閣制の下、国会に対して連帯して責任を負います(憲法66条3項)。
そのため内閣は、国会に準ずる民主的正統性を有しているということができます。
さらに行政各部は、内閣の下位に組織され、また内閣総理大臣の指揮監督を受けます(憲法72条後段)。
したがって行政各部は、強固とまでは言いがたいものの、民主的正統性を、一定程度備えています。
ここで話を初めに戻すと、裁判所による行政裁量の尊重は、民主的正統性の脆弱な裁判所が、民主的正統性を一定程度備えた行政府(内閣総理大臣あるいは内閣の場合は、民主的正統性は相当強固です)の判断を尊重するためのものである、と根拠づけることができます。
一方国会は、前述のように、行政府に比べて、民主的正統性が非常に強固です。
裁判所が、行政裁量統制に際して判断過程審査をすることが許容されるとしても、立法裁量統制に際してまで判断過程審査をした場合、ややもすると裁判所による判断代置に接近し、立法裁量を無に帰する危険性があります。
それゆえ、民主的正統性の微弱な裁判所は、民主的正統性の強固な立法府の裁量的判断を尊重するため、判断過程審査を控えるべきである、との議論がありえます。
少なくとも裁判所は、行政裁量の場合と比べて、立法裁量統制の場合には、判断過程審査をするに当たって、立法府の裁量的判断に、より敬譲的でなければなりません。
ゆえに、行政裁量統制における判断過程審査の手法を、安易に立法裁量統制の場面へスライドさせることはできません。

132よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/22(金) 20:29:30
イ、憲法上の人権を具体化する立法裁量の尊重
次に、選挙制度のように、憲法上の人権を具体化する立法裁量についても、やはり裁判所には、立法府に対する敬譲が求められることを述べます。
本論文は、藤田意見や近時の最高裁多数意見が、考慮要素審査において、憲法上の人権を他と並立する考慮要素の一つと位置づけ、また時宜適合判断審査において、国会が努力する姿勢さえ見せればよいかのような審査を行っていることに対して、批判的です。
つまり本論文は、藤田意見や近時の最高裁多数意見が、憲法上の人権の価値を、不当に軽視するものであることを、批判しています。
しかし、これらの意見の態度を、単に人権価値を軽視するものであって不当である、と言い切ることはできません。
すなわち、憲法上の人権を具体化する制度立法にせよ、その他の立法にせよ、立法府は、裁判所に先んじて、立法の合憲性審査を行っています。
違憲立法審査権は、裁判所だけではなく、立法府も有するという議論です。
裁判所が、国会の立法裁量に対して敬譲的であるということは、国会が人権を具体化する制度立法をするに際して行った合憲性審査を、裁判所が尊重するということをも、含意します。
前述のように、裁判所は、民主的正統性を強固に備える国会の判断を、まずは尊重することが求められます。
人権を具体化する制度立法の場合、国会は、類型的には、通常の立法の場合以上に、当該人権に関し、より多くの(時間をかけた・多数の法律条項にのぼる)合憲性審査を行っているはずです。
裁判所が、国会の立法裁量を尊重することは、裁判所が、国会による人権尊重に対して敬譲的であるということをも意味します。
単純に、裁判所が人権価値を軽視している、と言い切るわけにはいかないのです。
これに対し、行政府は違憲審査権を有しませんから、裁判所は、人権に関連する行政裁量を尊重する必要性は、高くありません。
以上のような点から、藤田意見や近時の最高裁多数意見が、選挙制度について立法裁量を尊重する姿勢を見せているのは、理由のあることといえます。

4、おわりに
あれこれとうるさい注文もつけましたが、本論文は、先述のとおり非常に精密な分析を行っており、大変大きな価値があります。
山本君の研究のさらなる進展を、心待ちにしています。

133やまもと:2011/07/23(土) 00:38:20
大変ご丁寧なコメント誠にありがとうございます。
ここで私が解説やら言い訳やらをすることも適切ではないと思いますので,
ご指摘に感謝しつつ,今後の研究に取り組みたいと存じます。

134よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/23(土) 00:49:49
すみません、一点誤字の訂正をお願いします。
>>130の「多事考慮」は、正しくは「他事考慮」です。
失礼いたしました。

135よしはら ◆7lqX359TUk:2011/08/27(土) 15:53:34
空知太神社事件政教分離違憲最高裁判決(最大判平成22(2010)年1月20日)の、最高裁調査官解説が公にされました。
清野正彦「判解」法曹時報63巻8号131頁以下。
本判例で、目的効果基準が用いられなかった理由についても、詳論されています。
特に、168頁以下が重要です。


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