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右大臣家の姫君について

1namino:2006/09/27(水) 22:25:39
今右大臣家の姫君(弘徽殿太后の妹、朧月夜の姉)について調べているのですが、記述が少なくて困っています。
三の君が帥の宮(蛍兵部卿の宮)の、四の君が頭中将の正妻で、五の君は独身(花宴の時点で)六の君が朧月夜ということはわかっているのですが、弘徽殿太后はやはり右大臣家の大君なのでしょうかそれとも中の君だったりするのでしょうか。
どなたか知っている方がいらしたら教えて下さいw

ちなみに弘徽殿太后、結構好きですね。わかりやすくて。
朧月夜も好きです。「朧月夜の尚侍(かん)の君」って呼び方が好きです。

2りな:2006/09/28(木) 21:09:39
こんにちは。
そういえば、右大臣家の姫君…。
私は、弘徽殿大后(大君と思ってます)、三の君、四の君、五の君、朧月夜は母親が同じ(多分正妻)で、
中の君だけ母親が違ってそれで記述がないのだと思ってたのですが…(当時は母親が違えば他人も同然だったそうですから、中の君は大后に親類とみなされていなかったのでは?だから出てこないと)
もしかしたら大后は中の君なのかもしれませんね。じゃぁ大君は誰なんでしょう!

わかりにくい説明でごめんなさい(しかも私が勝手に推測してるだけですし!)

弘徽殿大后、私も好きです。家のために頑張ってたりとか、現実的で人間味があるところとか…。

3namino:2006/09/29(金) 22:48:12
自分でも少し調べてみたのですが、どうやら記述がないみたいですね。
論文などもあって、物議をかもしているようです。
右大臣家の姫君として登場している方々はやはり全員母親が同じなのでしょうかね。確かに母親の違いは大きな違いのようですけれど、育ち方によっては(更級日記のように)仲が良いということもありますし・・・
でも同母と考えるのが妥当でしょうね。少なくとも四の君と朧月夜は性格からいっても同母だと思いますw

そういえば頭中将(と呼んでおきます)の北の方ということは、冷泉帝の弘徽殿の女御はこの四の君の生んだ娘なんですね。柏木も。
柏木の死を二人で悼んでいたことにつけても、結局のところ睦まじい夫婦だったのかもしれませんね。

それから朧月夜とともに独身だった五の君がその後どこへ嫁いだのかも気になります。
源氏が朧月夜の素性を探っているときに、「帥の宮の北の方と頭中将があまり好いていない正妻と、六の君が美人との評判・・・」と言っているので、この三方ほどは美人ではなかった様子ですが・・・

あと弘徽殿の周辺で気になるのは、弘徽殿腹の皇女様ですね。
桐壺の時点で既に記述がありますし、花宴でははっきりと出てきていますが・・・その後どうしたのでしょう。(少なくとも経済的に困ることはないでしょうが


弘徽殿が大君なのか中の君なのかは、謎ですね。
弘徽殿がどちらかであったとして、残りの方は身分の劣る方の子どもかもしれませんね。

4りな:2006/10/06(金) 21:44:04
五の君…美人じゃなかたかも知れないんですね…。
何で五の君のほうが年上なのに六の君である朧月夜が入内したんだろうと、ずっと前から不思議に思ってたのですが、そう考えるとなぞも解けてきますね♪
四の君と頭中将…喧嘩するほど仲がいいといいますしね!ベストカップルです。子供も、弘徽殿女御、柏木、紅梅と少なくとも3人確認されていますし。(3人とも立派に育ってよかったです)

姫宮様たちは…当時内親王さまは殆ど結婚することはなかったそうですし、姫宮様方も結婚はしなかったんじゃないかと思います。
でも、当時は外祖父が落ちぶれたら内親王といえど大変だったそうですし、右大臣亡き後はお2人も困っていたかも…。
女一の宮のほうはどこかに降嫁するということも考えられますが、一度斎院を務めている女三の宮は帝、東宮、最上級貴族のもとでないと降嫁するのは難しかったでしょうし…。
でも、源氏が権力を握ったときは大后に優しくしたそうですし、姫宮様方もそれなりに良い待遇を受けていたかもしれませんね。


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