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新・鉄道綜合スレ

1とはずがたり:2015/08/11(火) 14:41:44
前スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1047289790/l50

333とはずがたり:2016/01/06(水) 00:33:46
>>332
解説有り難うございます&お久しぶりです!

特急・快急・急行とばらばらの列車種別を直通特急とかF特急みたいに統一出来なかったのかなぁとも思います。。

334とはずがたり:2016/01/07(木) 12:09:31
JR中央線の「終電時刻」は、どうして遅いのか
東洋経済オンライン 2015年12月22日(火)5時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151222-00097689-toyo-bus_all

 首都圏で最終電車の時刻が遅い路線としてよく話題に上る路線といえばJR中央線だ。山手線各駅から放射状に伸びる路線の中では終電の出発時刻がもっとも遅く、新宿駅の発車時刻でいうと午前1時1分発の三鷹行きが最終だ。同駅を午前0時41分に発車する高尾行きの終電が終点・高尾に到着するのは午前1時37分で、JR高崎線と並んで全国の鉄道で最も遅い。

■ 終電の「遅さ」は路線によってまちまち

 「終電の(発車時刻の)遅さ」は、各路線で距離などの違いもあるため一概には言えない面もある。例えば川越行きの最終が新宿発午後11時55分で「終電が早い」と言われがちな埼京線も、池袋発赤羽行きに関していえば午前0時41分発まで、赤羽発池袋行きは午前1時3分発まで走っており、首都圏でもかなり遅い部類になる。逆に、終着駅の到着時刻が中央線と並んで遅い高崎線の最終電車が、始発の上野駅を発車するのは午後11時46分。上野〜高崎間の距離は101.4kmで、新宿〜高尾間42.8kmの倍以上あるため、発車時刻はどうしても早くなる。

 とはいえ、中央線は終電の発車時間、終着駅に着く時間のどちらも遅く、便利な路線として知られているのは事実だ。中央線の終電が遅くまで走っている理由は何かあるのだろうか。

 中央線の終電時刻はなぜ遅いのか。JR東日本八王子支社によると「特に遅くできる理由があるわけではなく、ご利用されるお客様が多いため」という。確かに、同じ時間まで走っている路線が他にもあることを考えれば、もっともな理由だ。

 では、中央線が遅くまで走るようになったのはいつからなのだろうか。

 中央線の開業は明治時代にさかのぼるが、現在のように東京〜高尾間で電車の運転が始まったのは1930(昭和5)年の12月20日からだ。

 いまから81年前、1934(昭和9)年12月の時刻表を見てみると、浅川(現在の高尾)行き最終電車の新宿発は午後11時50分で、浅川着は午前0時49分だ。現在の高尾行き最終電車は新宿を午前0時41分に発車し、高尾には午前1時37分に着く。

 さすがに80年前の終電時刻は今よりも早かった……と思いきや、近距離の電車はもっと遅くまで走っている。立川行きは新宿発午前0時52分(立川着1時30分)、三鷹行きは午前1時8分(三鷹着1時30分)、中野行きはなんと午前1時27分(中野着1時34分)まである。現在だと、立川への終電は新宿発午前0時41分、三鷹、中野へは午前1時1分が最終だ。近距離でいえば、戦前のほうが遅かったことになる。

■ 戦前の終電のほうが遅かった

 中央線に限らず、戦前の電車は現在よりも終電の時刻が遅いケースが見られた。例えば1940(昭和15)年10月の時刻表によると、山手線の最終電車が終点の品川に到着するのは午前1時49分。現在、この時間まで走っている電車は夜行列車を除けば日本全国どこにも存在しない。

 ちなみに現在のダイヤでは、内回りの終電が品川に着くのは午前1時19分で、75年前は今より30分遅くまで走っていたことになる。今もこの時間まで走っていれば……とも思えるが、当時は他の交通機関が未発達だったこともあるだろう。

 戦前から遅くまで走っていた中央線といえども、さすがに戦時中は終電の時間も早くなり、終戦直前の1945(昭和20)年6月25日のダイヤ改正を報じる新聞記事によると、浅川行きの最終電車は東京駅発午後9時59分、中野行きも午後11時と大幅に繰り上げられている。


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