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欧州情勢・西洋事情

3334チバQ:2019/11/12(火) 18:31:38
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201911/CK2019110702000152.html
<消えぬ分断 ベルリンの壁崩壊30年> (上)反難民、新たな「壁」

2019年11月7日 朝刊


ハンガリー南部アシュトホロムのセルビア国境にあるフェンス

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 ハンガリー南部アシュトホロム。セルビアとの国境に続く畑を遮るように高さ約四メートルのフェンスが立ちはだかる。二重フェンスの間には監視塔が設置され、監視カメラが不審者に目を光らせる。「そこで何をしている」。すぐに国境検問所のパトカーがやってきた。

 一九八九年に隣国オーストリアとの国境を開放し、ベルリンの壁崩壊につながったハンガリー。中東などから難民・移民が殺到した二〇一五年、欧州への「玄関口」となった。国際移住機関(IOM)によると、一五年には約四十一万人が流入し、約十七万七千人が難民申請した。人口四千人足らずのアシュトホロムにも難民らが押し寄せ、静かな町は一変した。

 「畑が荒らされ、物を盗まれた家もあった」。パブ店主のフューディ・ジョルトさん(50)は「フェンスのおかげで難民はもう来ない。元の生活に戻った」と安堵(あんど)する。

 難民危機を受け、オルバン政権は、欧州連合(EU)加盟国で真っ先に国境のフェンスを築いた。難民認定数は一七年、千人台に激減。当初高さ二メートル足らずだった有刺鉄線は、高圧電流が流れる二重フェンスになり、全長約五百キロに及ぶ。

 難民を押し返す新たな「壁」は今、クロアチア、スロベニア、オーストリアなど周辺国に連鎖した。オランダのシンクタンクによると、欧州にある国境のフェンスは一七年時点で十五カ所総延長千キロ。その距離はベルリンの壁(百五十五キロ)の六倍を超える。 (アシュトホロムで、近藤晶、写真も)

     ◇

 東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊して九日で三十年。依然として消えない分断の現場を歩いた。

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