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重工業・造船・航空機スレッド

354とはずがたり:2012/11/04(日) 08:57:42

三井住友重機械製鋼はよぉっw

日本製鋼所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E9%8B%BC%E6%89%80
概要
旧株式会社日本製鋼所は、1907年(明治40年)、英国の技術を導入して国産の兵器を製造する会社として、北海道炭礦汽船株式会社、英国アームストロング・ウイットワース会社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)、英国ビッカース会社(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)の出資によって北海道室蘭市に設立された。第二次世界大戦敗戦に伴い、企業再建整備法により後の1950年(昭和25年)に解散した。
(現在の株式会社日本製鋼所は)解散された旧会社の資産と人材をもとに新たに設立された…

設立経緯

当時代議士でもあった、北海道炭礦汽船の専務取締役の井上角五郎は、鉄道国有化による売却収入を利用して、北海道の地に製鉄事業に進出することを計画して、伊藤博文、松方正義ら元老に働きかけた。
一方、海軍においても日露戦争の経験から兵器国産化を目指していたが、そのためには先進国から技術を導入する必要があった。そこで、この計画に乗る形で呉鎮守府の山内万寿治中将を参画させる(現役将官が民間企業の顧問となるのは極めて異例である)ことで、兵器国産化を目的とした、製鋼事業を起業することが急速に具体化していった。当初、井上は追分で産出された石炭から作ったコークスと、倶知安などで産出した鉄鉱石を用いて高炉製鉄とそれに付随して製鋼を行うことを企図していたが、海軍側の説得により製鋼と兵器製造を中心とすることになっていった(井上の念願であった製鉄事業については、1909年に北炭輪西製鉄場を開設して、現在の新日本製鐵室蘭製鐵所へとつながっていく)。

先進国からの技術導入であるが、当時の海軍は英国のアームストロング・ウイットウォース會社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)から軍艦や兵器を多く買い付けていた。山内はこれを北炭に紹介するとともに、日英合弁事業とすることを勧めたとされる[2]。そこに英国ビッカース會社(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)が参加して、日本製鋼所を室蘭に設立することが決まった。
なぜ室蘭に日本製鋼所が設立されたかについてであるが、もともと、室蘭には海軍の鎮守府の設置が内定しており、軍港として指定されていたが、地勢的に太平洋側からの攻撃に対して防御が困難であるという理由により、鎮守府の設置は見送られたという経緯がある(大湊警備府を参照)。そこで、使われていなかった室蘭港を使用することとしたのである。


日鋼情報システム株式会社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%8B%BC%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0
日鋼情報システム株式会社(にっこうじょうほうシステム、英: NIKKO INFORMATION SYSTEM CO., LTD.)は東京都府中市日鋼町1-1に存在するシステム会社である。 なお、本社所在地はかつての日本製鋼所東京製作所の跡地に再開発された『府中インテリジェントパーク』内に建設されたJタワーの最上階である。

日本製鋼所東京製作所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E9%8B%BC%E6%89%80%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%A3%BD%E4%BD%9C%E6%89%80
日本製鋼所東京製作所は、1938年(昭和13年)東京府北多摩郡府中町に武蔵製作所として起工され、1941年(昭和16年)から営業を開始した。
同所では長く油圧式パワーショベルを主力とした製造が行われていたが、その製造を打ち切るのを期に1987年(昭和62年)に閉鎖され、跡地は『府中インテリジェントパーク』として再開発された。

パワーショベルについて
ドイツO&K社と技術提携し、6tクラスから40tクラスまでの油圧ショベルを製造していた。提携終了後も東京製作所閉鎖まで自社設計で製造を続けており、最盛期にはアメリカPETTIBONE社へOEM供給を行っていた。油圧部分は横浜製作所にて、ホイールローダーは酒井重工業が製造していた。
提携先のO&K社は油圧ショベル以外にも様々なモデルを製造していたが、日本製鋼所では油圧ショベルのみ製造しており、これらの販売は日鋼商事や三井物産系の建設機械取扱店で行われていた。
なお、製造終了後にも石川島建機(現在のIHI建機)からOEM供給を受けてJSWブランドのモデルは数年存在した。

三井精機工業
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E7%B2%BE%E6%A9%9F

三井精機工業株式会社(みついせきこうぎょう)は、埼玉県比企郡川島町に本社を置く、三井グループの工作機械メーカー。かつてはオート三輪を製造し、日野自動車の販売網で売ったこともある。
2008年現在ジェイテクト(旧・豊田工機)が筆頭株主で、今もなおトヨタグループと古いつながりを持っている。また同社の関連会社に該当する。


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