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文部スレ

86とはずがたり:2005/05/24(火) 16:15:37
難しいねぇ〜。

新花巻農高 統合両地域が綱引き
http://mytown.asahi.com/iwate/news01.asp?kiji=7972

 花巻と北上の農業高校が、03年4月に統合して生まれた新「花巻農高」。新校舎の場所が決まらないまま、旧花巻農高の校舎で授業が続き、新しい校歌もできていない。花巻側は今の場所に、北上側は北上市内への移設にそれぞれこだわり、綱引きが続く。県教育委員会も、結論を出せない。使っている校舎は老朽化が進み、安全面から改修などが必要とされているが、決着するまではそれもできない。生徒や父母らからは「これが、教育環境をよくするはずだった高校再編の結果か」と、不満の声も上がっている。
(山田理恵)

 旧花巻農高と旧北上農高の統合を巡る対立は根深い。統合が決まった99年から、まず、新校名をどうするかで、それぞれのOBや地域住民がもめた。02年に県教委が、「宮沢賢治の心を継承する」として「花巻農業」に決めたものの、今度は新校舎の設置場所を巡り、花巻と北上の間で綱引きが始まった。

 県教委は昨年9月、「新しい花巻農業高校の農業教育の在り方に関する検討委(仮称)準備会」をつくり、両校の校長やOBら10人を集めた。しかし、新校舎の設置場所など肝心の問題には触れずじまいだった。「地域エゴを排除して、学識経験者など第三者で構成される検討委を、県教委は早く立ち上げるべきだ」と、準備会に出た花巻市の小原守企画生活環境部長は話す。

 新校舎の候補地として挙がっているのは2カ所ある。花巻側が推すのは、現在使っている旧花巻農高の校舎。ここは、21(大正10)年から4年ほど、宮沢賢治が教壇に立ったゆかりの場所で、思い入れも強い。

 一方、旧北上農高の敷地は、04年4月に開校した北上翔南高が使っている。そのため、北上側は北上市内の県農業研究センター隣接地を推す。研究センターと連携できることなどを強調しているが、「校名を譲ったのだから、場所まで譲れない」との気持ちも根強い。

 「結局、一番の被害者は生徒たちだ」と話すのは、花巻農高の昆野安志校長だ。使っている校舎は築30年。老朽化が深刻だ。壁にはひび割れが目立ち、屋根のヘリも腐食している。2年前の宮城県沖地震では、2教室のモルタル製の壁が、タテ5㌢、ヨコ4・5㍍ほどにわたってはがれ落ちた。

 学校財務課は「新校舎の設置場所が決まれば、改築などを考えたい」とするが、出口は見えていないだけに、学校関係者はいら立ちを隠せない。「これでは、生徒が安心して勉強できる教育環境とは言えない」と、昆野校長は不満を漏らす。

 県教委の藤原忠雄・高校改革推進監は、懸案の新校舎の場所について「県中部地区の農業の方向性を定めてから決めたい。今のところ、二つの候補地から選ぶかどうかについても、決まっていない」という。いつまでに決まるのかについても「当面は後期再編計画を優先したい。今後どのようなスケジュールで進めるかも、見通しは立っていない」と話す。

 この影響で、新しい校歌もできていない。新校舎の位置が決まらないと、歌詞で学校周辺の風景などを描けないからだ。そのため生徒たちは、賢治が教師時代に作詞した「精神歌」を、校歌代わりに歌っている。

 「校舎の場所が決まらないなんて落ち着かない。来年には、新しい校歌を歌いたい」と、ある生徒(1年)は話す。「大人だけで決めないで、私たちの意見も聞いて欲しい」と話す生徒(1年)もいる。

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