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文部スレ
1
:
とはずがたり
:2005/05/22(日) 12:54:46
教育一般。
文部科学省
http://www.mext.go.jp/
2759
:
とはずがたり
:2015/11/16(月) 11:11:22
今朝の天声人語に出てた六車女史。大学辞めて介護職員とは。。
東北芸術工科大学はブラックなんか?
介護の世界でつかんだ
民俗学の新しい可能性
六車由実(民俗研究者)
2013年09月16日(Mon) 吉永みち子
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3083
大学の教員から介護現場への転身。飛び込んだ先は、驚きに満ちた豊かなフィールドだった。介護という関わりを通して、向き合う一人ひとりの人生の知恵や知識、時代の歴史を継承していくこと。そこに民俗学の新しい可能性を確信している。
アカデミズムとの決別
2003年。将来が期待される新進の評論家、研究者に贈られるサントリー学芸賞の思想・歴史部門を受賞したのは33歳の六車由実だった。受賞の対象になった論文は『神、人を喰う─人身御供の民俗学』。生贄、人身御供という人間の野蛮性や暴力性に関わるテーマに、若い感性で真正面から向き合い、従来の民俗学の枠を超えたダイナミックな研究姿勢と内容が評価され、気鋭の民俗学者は学界内に止まらない大きな注目を浴びることになった。受賞の翌年には、東北芸術工科大学(山形県)の東北文化研究センター研究員から同大の芸術学部助教授(准教授)になり、学者としての道を順調に歩んでいるはずだった。
10年後の2013年。六車は静岡県沼津市内にある一般住宅を利用したデイサービス「すまいるほーむ」の管理者・生活相談員として働いていた。名刺には「社会福祉士、介護福祉士、民俗研究者(介護民俗学)」と記されている。
台所と浴室と和室2間。事務所として使用する洋間。この日は、要介護5の車椅子の利用者を含む8人が目前に迫った祭で披露する踊りの稽古をしていた。六車の踊りに色気がないと手厳しい指摘をしているのは、かつては踊りのお師匠さんだったという利用者。スタッフと利用者が、介護する人と介護される人という関係よりも、地元のお年寄りと若者といった感じに見える。踊りの稽古の後は、塗り絵や工作におしゃべり。そしておやつの支度。午後4時過ぎから帰りの準備をして、要支援の人を支え、車椅子を押して送り、日誌をつけ、明日の打ち合わせ……朝8時の迎えから始まった六車の今日の仕事が終わったのは午後5時30分を回っていた。
08年に東北芸術工科大学を退職して、故郷の沼津に戻ったのだという。が、六車の名刺には今も「民俗研究者」の文字がある。
「研究者として聞き書きに入った地域との関わりもありましたし、学生たちとの関係もありましたし、それらを断ち切って大学を辞めるのは辛かった。許してもらえないかもしれないけど、それでも辞めないと私が壊れてしまう。そんな状況でした」
研究員時代に、学生たちと一緒に東北各地に残る民俗や風習を映像に残す試みに取り組むなど生き生きと活動していたはずなのに、それらを断ち切らなければ自分が壊れてしまうほどの苦悩の日々がこの10年の間に横たわっていたということだ。
「今のアカデミズムの世界はあまりに競争社会で、1年でどれだけ論文を書いたか、どれだけ講演をこなしたか、何冊本を出したかという数の成果が求められる。できるだけ論文も書き、講演も精いっぱい引き受けていたんですけれど、自分自身の気持ちがそれについていかなくて焦り、これでいいのかと悩みました。受賞の後、ありがたいことに周囲の評価が高まったのですが、それに応えられない自分がもどかしい。何とかしようとしても、さまざまな仕事が増えていく。入試の委員に任命されれば、高校への営業活動をしなければならない。学生ともっと密に関わりたいのに、研究室にいられない。それらがストレスになって、頻脈など身体の変調も現れてきてしまったんです」
2760
:
とはずがたり
:2015/11/16(月) 11:11:39
期待され、評価され、応えたい思いや研究への情熱が、外に発揮する道をどうしても見つけられずに内で過熱し、ついに焼き切れてしまった。そんな痛ましさが漂う。大学を辞めることで必死に救おうとした自分の核は何だったのだろうか。
「民俗学の研究者は続けたいと思っていました。大学でなくても、フィールドがあり、学会に所属していれば発表の機会はありますから」
民俗学の研究者であり続けたい。ボロボロになりながらも最後にその灯りを守るために断腸の思いで大学を去ったのだろう。
驚きのフィールドへ
地元静岡の大学・大学院で比較文化論を学び、大阪大学大学院、東北芸術工科大学と関西や東北で暮らしてきて、再び故郷の沼津に戻って実家に身を寄せた六車は、3カ月ほどは外との接触も絶ち、何もしないで家にこもっていたという。
「しばらくは何もできなかった。自分に何ができるのか見通しも立たないし」
3カ月後、六車は外に出た。というより、外に出る必要性に迫られた。
「雇用保険の手続きが必要になって、ハローワークに行くしかなかったから。給付を受けるには、とにかく就職活動しているという条件を満たさなければならないんです」
そこでホームヘルパー2級の講習を受けられることを知った。福祉に関心があったわけではなかったが、これまでフィールドワークで地域の高齢者に話を聞いてきた。介護の技術や知識があれば、これまでとは違うアプローチが可能になるかもしれない。3カ月の講習を受けることにした時は、民俗学者としてフィールドに戻る自分を想定していたのである。しかし、根が真面目、どんなことにも全力で取り組む気性なのだろう。適当に折り合いをつけられないその気性ゆえに苦しみ、その気性ゆえに核心に向かってまっしぐらに進むエネルギーもまた生まれる。
「これまでと全然違う勉強だから、真面目に本を読んで、論文みたいなレポートを一生懸命書きました。知らない世界を知り、新しい知識を得る行為は面白いですから」
資格の取得後は、ハローワークだから仕事に結びつく。3カ月後には県内の特別養護老人ホームの介護職員としてデイサービスセンターに配属された。1日45人、全体で150人の利用者や家族が最も求める入浴サービスに6人の職員があたり、デイルームでも3、4人で対応する。それでも段取りが悪いと間に合わない。流れ作業にならざるをえないほど、介護の現場は忙しく重労働でもある。
そんな中でも、利用者のちょっとした仕草や呟かれた一言が六車の好奇心を刺激した。例えば、立ち小便の動作をする女性には、戦前から農業をして生きてきた歴史がある。「ただ生きているのは地獄だ」と呟いた男性に、かつて携わってきた仕事の話や経験してきたことを尋ねると、目を輝かせていろいろな話をする。現場があまりに忙しくて、入所者やデイサービス利用者たちが発している言葉に気づかないだけで、実はいろいろと話しているのではないか。どんな暮らしがあり、どんな思いで生きてきたのか、その背景には何があったのか。聞きたいと思う。知りたいと思う。だから細切れの時間を繋ぎ合わせながら、話を聞くことが楽しみになった。
「最初はただ純粋に知りたかった。でも、話を聞くとメモをとりたくなったんです。ポケットにボールペンとメモ帳をいつも用意して書きとめ、夜に家でパソコンに打ち込んでいるうちに、もったいないなあと思うようになって、ほかの職員に見てもらったりしていました」
メモ片手に話を聞き書きしている姿は、まるで尋問しているようだと非難されもしたが、六車の経歴を知っている職員の中には、回想の時間を与えるからやってみなさいと理解を示してくれる人も出てきた。
2761
:
とはずがたり
:2015/11/16(月) 11:12:03
>>2759-2761
2762
:
とはずがたり
:2015/11/16(月) 11:12:23
>>2759-2762
「週に1日とか2日とか回想の時間をもらえたんです。回想法*には、話を聞いてあげることで気持ちを安定させるとか認知症状の進行を抑えられるとか目的があって、目的がある以上結果が求められる。話の内容よりも、リアクションをメモしていくという感じで、何かちょっと違うなあと思ったけど、せっかく時間をもらえたので聞き書きを進めました。回想法って、話に突っ込んだり、質問してはいけない。受け身に徹してただ聞いて差し上げるんですが、介護される人と介護する人という関係性ではなく、人生の先輩と後輩という立場で向かい合えば、いろいろ聞きたくなる。それってどういう意味? その時、どうだったの? 話す人が落ち着いて心地よいだけでなく、当時の感情が呼び覚まされて興奮してしまうことだってある。でも、その人の生きてきた人生そのものを教えてもらうことで、受け継いでいきたい。そんな思いで話を聞きます。かつてできたことができなくなっている現実を受け入れることは難しいけれど、自分の生きてきた人生を人に話し、『凄いよね』と言われて初めて自分の人生捨てたもんじゃないと気づくことはあると思うんです」
その結果、元気になる。自信を取り戻せるかもしれない。でも、それはあくまで結果であってそれを目的にするのではないと六車は言う。
*回想法:介護現場で取り入れられている心理療法の1つ
介護と民俗学の可能性
ほぼ1年間続けた聞き書きは、『驚きの介護民俗学』(医学書院)という一冊の本になった。六車のその後の人生に大きな影響を与えた『神、人を喰う』から長年の沈黙を破って、民俗学者・六車由実が世に問うた労作である。
タイトルに「驚きの」とあるように、介護の現場は六車には新鮮な驚きの連続だった。無口にうつむいて無為の日々に耐えているかに見える人たちが、内に豊かな言葉を秘めていることの驚き。こちらが心から驚くことで、表情まで豊かになっていく驚き。さらにそんな入所者との関わりの時間すら生み出せない介護現場の過酷さへの驚き……さまざまな驚きが「介護民俗学」という耳慣れない言葉の背後から立ち上ってくる。
「介護民俗学という新しい学問の分野をどう発展させていくのかとよく聞かれるんですが、そういうことにはあまり興味がなくて、介護民俗学ということで問題提起をしたまでなんです。人の価値は、自分だけで見出すことは難しくて人に話したり関わったりすることで、気づいていく。民俗学にもそういうところがあって、地元の人にとっては受け継いできた他愛ない日常に、外からやってきた学者が興味をもち、評価することで、その価値に気づき、自覚して守っていこうと文化の客体化ができる。それと同じことが介護の現場でも起きているということなんです。この聞き書きが、民俗学とは何だろうということを考えるきっかけになりました」
同時に、介護とは何だろうと考えるきっかけにもなった。しかし、入所者や利用者一人ひとりに何をしたらいいのかという具体的なケアについては話すことができても、もっと広い意味で、介護とは何だろう、人と人との関係はどうしたらいいのかといった話はなかなかできない。そんな思いを抱えていた頃、『驚きの介護民俗学』を読んだという長く福祉の世界で仕事をしてきた人物が訪ねてきた。大きな施設ではなく、小さな施設の中で人と人が関わり合っていくことを目指したい。ハードはあるが、ソフトを充実させていきたい。熱く語るその人と意気投合し、一緒に仕事ができれば新しい展開が生まれるかもしれない、そんな期待を胸に、今「すまいるほーむ」の運営にあたっている。
ここで利用者たちと一緒に過ごすことは楽しい。研究者として興味の尽きないフィールドであると同時に、まだ迷いの場所で、どう生きていったらいいのか戦っている自分に、エネルギーを与え自信をもたせてくれる場所でもあるという。
「研究者としても、ひとりの人間としても欠かせない場所です。大学にいた頃は、民俗学者と自分で言うのに戸惑いがあったんです。でも今は周囲が認めるかどうかはどうでもよくて、胸張って民俗学者ですと言える気がします」
民俗学の豊潤なフィールドに日々身を置いて、たくさんのお年寄りとともに過ごす時間が、六車を人間としても学者としても豊かにたくましく育んでいる。民俗学が介護の世界で生かされることで、高齢者が自分を肯定して最期を迎えられれば、介護の現場に希望が生まれる。が、一方で過酷な仕事である厳しい現実も立ちはだかる。新鮮に驚ける六車のナイーブな感受性が再び消耗しないことを祈りながら、ホームを後にした。
(写真:赤城耕一)
2763
:
とはずがたり
:2015/11/16(月) 12:31:55
>>2759-2763
六車由実(むぐるま ゆみ)
1970年、静岡県生まれ。大阪大学大学院博士課程修了後、東北芸術工科大学東北文化研究センター研究員を経て同大准教授に。08年に退職、翌年から静岡県東部地区の特別養護老人ホームに介護職員として勤務。12年より沼津市のデイサービス管理者。社会福祉士、介護福祉士。
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