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文部スレ
168
:
小説吉田学校読者
:2006/03/13(月) 20:31:20
>>167
昔は、「経済の横国」とかいわれていたような・・・・
まあ、それはそれ。いい話です。いい時計台と職人を持って京大は幸せだ。
惜しむらくは京都新聞の文章で、何がメインなのか、なんともつかない中途半端な文章だ。
京大「時計台守」大学紛争から35年 左京の電気屋・75歳の杉谷さん
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060313-00000024-kyt-l26
京都大学(京都市左京区)のシンボルである時計台を、町の電気屋さんが35年に渡って守り続けている。左京区の杉谷ムセン社長杉谷鉄夫さん(75)。大学紛争で壊された時計の修理に携わった縁で、歯車や電気部品を整備し続ける。大学は卒業、入学シーズン。35年前を思い起こしながら、「時計を壊すまでとは言わないが、もっと若いエネルギーを見せてもいいんじゃないか」と、学生にエールを送る。
時計台は、建築学科の武田五一初代教授の設計で、1925(大正14)年に建設された。誤差年1秒以内という精度を誇ったが、大学紛争最中の1969(昭和44)年、立てこもった学生によって壊された。
杉谷さんは翌70年の修理に加わった。「とにかく動かすために、部品は寄せ集めでした」と振り返る。その後、点検補修を請け負うようになり、動きの不安定な時計との格闘が始まった。大正時代の姿に復元するため、工学部の聴講生として電磁気計測や電波などの基礎知識を学んだ。資料写真を参考に失われた部品をこつこつ作り直し、「メード・イン・杉谷」の歯車も多い。
毎月1回、最上階まで約100段の急で幅の狭い階段を上る。歯車に油をさし、時間のずれや、文字盤の照明などを入念に確認する。年を重ねるにつれ、階段がきつくなってきたが、「点検後はいつも、学生食堂での昼ご飯が楽しみ。学生気分に戻れます」と笑う。
35年間通い続けるうち、時計台はもちろん構内も大きく変わった。いつも立ち寄った事務室は、今ではフランス料理のレストラン。大学紛争時に学内を埋めたビラやのぼり、アジ演説もなりをひそめた。
「人も建物も時代とともに変わる。特に学生はおとなしくなって、大学紛争のころが懐かしい。若いんだから、もっと社会に情熱をぶつけてもいいんじゃないか」と、行き交う学生を眺めて時計台に向かう。
(京都新聞) - 3月13日16時9分更新
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