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労働運動

1とはずがたり:2005/04/29(金) 21:14:23
連合…民主党系
http://www.jtuc-rengo.or.jp/new/
全労連…共産党系
http://www.zenroren.gr.jp/jp/
全労協…新社会党系
http://www.zenrokyo.org/
大原社会問題研究所
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/
戦後の労働組合の歴史
http://homepage3.nifty.com/54321/roudouundoushi.html

2130とはずがたり:2020/09/16(水) 20:42:26
怒りの神津,渾身の論攷。
玉木や岡崎(いずれも推定)を背徳者と断じる!

新「立憲民主党」結党 政局本位から脱却しポストコロナの新しいモードへ 
神津里季生・山口二郎の往復書簡(9)政局モードの思考パターンはもういらない
神津里季生 連合会長
2020年09月16日
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020091400005.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter



「背徳者」はどこにでもいる?

 前回の先生の書簡「『日本沈没』寸前! 新たな『社会契約』で日本の再構築が必要だ」のなかにこういうくだりがあります。再掲させていただきます。

 対抗勢力の結集の話し合いのなかで、自分の地位を守るために変革に背を向ける政治家が現れるなら、そのような人物は社会全体の生存よりも、自分の地位や利権を優先させる背徳者という非難を浴びなければなりません。
 あえて自民党に対抗するという苦難の道を今まで歩んできた政治家なら、どのような行動をとるべきか、わかっていると期待したいところです。それは、政治家を応援する労働組合も同様です。

 先生の直截な表現に対して私はあのとき、ちょっときついのではないでしょうかという意味のことをメールで申し上げました。今振り返ってみて、穴があったら入りたい思いです。

 そのときの私の心配は、仮にこの部分が特定の人物を想定した表現ではないとしても、読み手にそのような誤解を生じさせてしまうのではないかというものでした。もちろん今も、この表現が直接Aさん、Bさんを指したものではないと私は解釈します。

 ただ、どこにいっても、どの党においても、このような「背徳者」はいるのだというのが、この間の様々な状況を直接間接にみてきたうえでの私の実感です。政治家であれば皆一家言を持ち、思想信条にこだわりを持っているのは当然ですが、そのような純粋な側面だけではどうしても解釈しきれないことがあちこちに見受けられるのです。

 「お盆の前には」と言われていた立憲民主、国民民主の両党の合流は、紆余曲折を伴いながらも、ようやく日の目を見ることとなりました。正直言って、心身をすり減らす日々でした。

3年前の政変劇を繰り返さないように
 労働組合と政治の関係についての一般的な理解は、世上あまり肯定的なものではないかもしれません。そういう視線からすれば、「心身をすり減らす」とはなんと大げさなとか、もっとやるべきことがあるだろうといった声が出るかもしれません。

 そのような批判に対する反論は山ほどあるのですが、それはまた別の機会に譲るとして、ここでは、私が今回の局面で深く心に刻んでいたことを述べておきたいと思います。それは、3年前の政変劇のように、理念・政策が、政局に破壊されるようなことだけは、絶対に繰り返されてはならないということなのです。

 先日、ある全国紙の記事で、3年前の希望の党騒動が神津のトラウマになっており、そのためしゃにむに合流新党に入れ込んでいるのだ、という趣旨の説明がありました。しかも、いまだに世の中に残る誤解を利用して、私自身が政変劇を仕掛けた一員であるかのごとき内容です。

2131とはずがたり:2020/09/16(水) 20:42:51
>>2130
 拙著『神津式労働問題のレッスン』(毎日新聞出版)でも詳述したように、私の立場は小池百合子東京都知事・前原誠司民進党代表(当時)を中心とした安易で未熟な計画の被害者です。しかも当時の陰の立役者は、まさにその全国紙の政治部出身の某氏であり、彼が小池側近として差配をしていたのですから、あきれる他ありません。

理念が吹き飛ばされることはなんとか回避
 この政変劇で幻となった当時の民進党のマニフェストは、オール・フォア・オールを軸においた、確固とした理念を表現したものであったと言われています。私たち連合もそれと軌を一にした政策協定を民進党と結ぶはずでした。しかし、あの混乱の中で、どの政党も協定を結ぶ対象とはなりませんでした。

 トラウマと言われようがなんであろうが構いません。ただあの時のような有権者不在の政局の爆発で、理念が破壊されるようなことだけは許せないのです。

 先日の書簡でも触れさせていただいたように、今回、私たち連合は、新型コロナウィルスが巻き起こしているインパクトを社会改革の契機としていきたいという問いを立憲民主党・国民民主党に投げかけ、相呼応する状況を醸し出してきました。6月18日の中央執行委員会がそのスタートでしたから、時系列でみると、立憲と国民の今回の合流協議はそのあとから浮上してきたわけです。

 途中から合流協議の難航に巻き込まれ、お盆の前の合意という目途は流れてしまいましたが、理念がふたたび吹き飛ばされるようなことだけはなんとか回避をさせてきたというのが、この間の実感です。これこそが心身をすり減らしてきた所以(ゆえん)です。



 立憲民主党にしても国民民主党にしても、あの希望の党騒動によって辛酸をなめてきた方々のはずで、そこに「背徳者」などいないはずだという私の思い込みは、あまりにもナイーブなものであったのでしょう。しかし、分断や対立構造そのものに価値観を持つような政局本位の政治からは、永遠に新しいモードへの転換は実現しません。

 われわれ自身、有権者自身がしっかりとグリップしていくという、政治に対する本来の形での向き合い方が不可欠であるということを、あらためて強く認識した2カ月でした。



働く者の思いに向き合う政治家を育てていく
 ところで、今回の一連の対応の中で、合流協議の結果両党で合意された綱領のなかにある「原発ゼロ」の表現が大きくクローズアップされたことはご承知のとおりです。メディアの取り上げ方を含めて、どこまでその後の私の対応の真意が理解されたかはわかりません。

 私が問題にしたのは、エネルギー政策のかかわりというよりは、その分野で働いている人たちの思いをないがしろにするな、彼らの思いにしっかりと向き合え、ということなのです。そもそも、残念ながら日本の社会は働く者ファーストには全くなっていません。




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