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Tohazugatali Economic Review
1
:
■とはずがたり
:2003/02/24(月) 18:56
経済(学)スレです。個別ネタは各スレッドでしますが一般スレが無いので立てます。
景気やマクロ動向なども。
1766
:
とはずがたり
:2016/12/08(木) 15:04:43
説得力有るわ〜。腐ってる京大教授陣ども。彼らの功績は真面目に教育しなかった事で優秀な人材が育った事。変に教育熱心だったら変なのが育ってた筈やw
伊東光晴(京大)人脈の「特別な親交関係」
http://www.geocities.jp/poti_daddy/R12.htm
学園側準備書面(2002/7/31)は、「本件採用人事は申請人らが特別な親交関係にあった近隣国立大学の教授を被申請人大学に招き入れようとした情実人事であったと断定して憚らない」という言葉で結ばれています。しかし、当時の鹿児島経済大学の公募採用システムでは情実人事が入り込む余地はありませんでした。むしろ、「特別な親交関係」や「情実人事」をいうのであれば、学園の最高顧問である伊東光晴氏(事件が発生した後、理事に就任)や菱山泉学長(現理事長)が構想していた京大人脈による人事が、完全公募制がじゃまになって思惑どおりに進まず、あせったあげくに引き起こされたのが今回の事件だったというのが真相ではないでしょうか。
事件の舞台となった教員選考委員会は、1999年12月17日の第3回委員会のときに「全員一致」でA(仲村政文)氏を採用候補者に決めました。次点は京都大学大学院博士課程在籍中のB氏ともう1人のC氏でした。原口主査は最初B氏を推す気配を見せましたが、馬頭副査がB氏の論文に対して高い評価を与えなかったため、それ以後はとくに推すことはありませんでした。そもそも、選考基準を定める内規によれば、B氏を採用したくても研究年数が不足していて無理だということを主査は熟知していたはずです(原口氏は教授申請を6回していますが、1回目は申請が1年早すぎたために却下されたのです)。その原口氏が、調査委員会の事情聴取では、学長の前でさかんにB氏をほめているのです。科目適合性でも将来性でもB氏が1位だと考えていたと言っています(その主査が、自ら否を投じて委員会を紛糾させたあと、馬頭副査の研究室で「Cさんでどうか」と持ちかけたことを調査委員会で認めているのにはあきれます)。学長もB氏が採用されなかったことを残念がっていて、審査教授会後の3月8日に学長室で「京大大学院からの応募者がいただろう。なぜ彼が採用されなかったんだ。」と学部長に憤懣を述べたそうです。
菱山学長は第1回の大学問題調査委員会(2000/4/5)で、B、C氏を抑えて仲村氏を1位にした委員会の選考の仕方を問題にしています。「最後に残ったのは2名、京都大学のB氏とA氏です。B氏は菊池さんが推薦なさった方で、この度博士論文が受理されたという話を聞いております。ところが、B氏については、副査が痛烈な批判をしております。(中略)しかし、結局「選考基準を満たさない」と判定したことと副査が痛烈な批判をしたことで、B氏は最終的に落とされたのであります。それで私は、念のために、B氏の論文を読んでみました。なかなか良いものでありました。」こんな調子です。2001年8月4日の第4回調査委員会では、副査に対して、「彼は菊池さんのお弟子さんですね。菊池さんの推薦書は読まれましたか」と聞いています(付記参照)。学長の憤懣の行き着いた先が、「最も適当な応募者が排され、適当でない応募者が採用候補者となった可能性が非常に高い」(「田尻利教授 懲戒理由書」乙24-2号証)という断罪のことばだったのです。
ところで、上記の調査委員会には、菱山学長の大学改革に協力するために設置されていた外部評価委員会の瀬地山敏京都大学名誉教授(現鹿児島国際大学学長)と赤岡功京都大学教授が同席していましたが、赤岡氏は、話題になっているB氏に関して一切コメントしていません。B氏とは知己の間柄であることを知られたくなかったのでしょうか。菱山氏とおなじく赤岡氏の同僚でもある菊池氏を主査とするある研究プロジェクトにおいて(下の資料参照)、菊池氏のお弟子さんであるB氏とは同じ研究グループのメンバーでした。
1767
:
とはずがたり
:2016/12/08(木) 15:04:59
>>1766-1767
このことは、赤岡氏の外部評価委員という立場を考えれば大きな問題だといわざるをえません。赤岡氏が大学問題調査委員会から業績再評価を依頼された仲村氏は、同僚の弟子であり自身の研究仲間であるB氏をおさえて採用候補者に選ばれた人なのです。菊池氏、B氏、赤岡氏が研究プロジェクトのメンバーとして顔をそろえたのが1999年10月、赤岡氏が委員を引き受けた外部評価委員会の発足が2000年4月です。業績再評価を頼む方もどうかしていますが、「特別な親交関係」にある者として引き受けるべきではありませんでした。
もう一つ、B氏の推薦書を書いた菊池氏ですが、応募者の指導教授がたまたま学長の元同僚だったというだけではありません。学長(というより伊東光晴氏か?)が依頼して大学院開設準備委員会の委員を引き受けてもらった人なのです。大学院の新設に関与した人がその大学に自分の弟子を就職させようとしたのですね。あるいは、学長(または伊東光晴氏)から菊池氏に推薦依頼があったのでしょうか。どちらにしろ学長がB氏のことをよく知っていたのもうなずけます。
事件の少し前に、社会学部では、学長推薦人事2件が教授会(選考委員会)で否決されています。その失敗につづいて、意中の人を採用できなかった学長の胸中はいかばかりだったでしょう。
公募では思うような人事ができないことをさとった菱山学長は、その後、「公募方式がすべてではない」、「優秀な人材は公募では採れない」として学長直轄の「人事委員会」制度を、教授会でも評議会でも一切審議することなく学園理事会の決定だけでつくり、2002年度からは縁故採用ができるようになりました。その結果、菱山学長が退任(理事長就任)するまでの3年間に、下の表にあるとおり京都大学大学院出身者が毎年1人ずつ採用されることになったのです(2002年度:助教授1名、2003年度:講師1名、2004年度:講師1名)。
追記:菱山理事長は、本訴証人調べにおいて、元同僚の菊池光造氏から応募者のB氏について「推薦するのでよろしく頼む」と電話で依頼されていた事実を明らかにした。すなわち、「菊池さんが電話で私の所に,推薦したからということを言ってきました」、「優秀な人だからひとつ頼むと」(本人尋問「速記録」(平成16年6月7日第9回口頭弁論)149,157項)。
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