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政治思想総合スレ

640さきたま:2017/10/05(木) 15:50:07
非共産の野党再編・民進党解党論者である、松井孝治の「リベラル」論。
鳩山内閣官房副長官、参議院議員(京都府)2期、前原・鳩山らの側近と呼ばれ、
政界引退後、慶應義塾大学総合政策学部教授。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1960785804135606&id=100006126152789&notif_id=1507109782515417&notif_t=feedback_reaction_generic
【私の「リベラル」体験と違和感】

希望の党の民進党「リベラル派」排除が話題になっているが、今日某大手新聞社(保守系)の記者さんから取材の電話があり、リベラルって何ですかね?という質問を受けた。
現在の日本の政治状況では、リベラル=左派というように使いがちだが、本来は自由主義者という意味なのだと思う。もっとも現代の日本では、全体主義者や共産主義者は少数になっているので、単純に自由主義ということでは差別化されにくい。
私が12年間の議員生活を民主党という政党で送って、党内の「リベラル派」と呼ばれる代表的政治家について、これは感覚が違う!と実感した事例を2つ挙げて、私なりのリベラル政治家像と、それに対する個人的違和感を申し上げたい。
(私が感じた違和感よりも、以下の二人の政治家の考え方にむしろ共感を感ずるという方もおいでだと思う。個人の思想や価値観の問題なので、それはそれで尊重するしかない。例えば、保守の論客とみなされていた小林秀雄氏がご存命ならば、政治が国民の意識のどこまでに関与すべきと考えられたであろうか、と思いを巡らすに、必ずしも定かでない。)
一つ目は、枝野幸男氏の考え方である。
2002年の9月の代表選挙で、若手から勝てる候補者を出そうということで、20人の推薦人を確保した前原陣営と野田陣営でどちらかに候補者を一本化のため予備選をやろうということになった。
公開討論会をネット中継するなど正々堂々と論争の末、世論調査で雌雄を決し、敗れた陣営は勝者を応援することを合意し、その前提として、二人の間で共有する時代認識、国家観、政治手法を文書にまとめようという話になって、その文書を私が起案した。
その中に
「国民の生命、財産と名誉を守ることが国家の第一使命であり、現実の国際関係を直視し、尊厳ある外交・安全保障政策を樹立・展開する。」
という一文があった。
これに枝野さんが異議を挟んだのである。
枝野さんの意見は、国民の生命、財産を守るのは国家の使命だけれど、国民の名誉を守るのが国家の使命というのには違和感があり(「少なくとも自分の趣味ではない」と明言されたことを覚えている)、出来れば、名誉という文言を削るべきというものだった。
前原さんも野田さんも原案通りで構わないという意見だったし、枝野さんも最終的にはお二人がよければということで拘られなかったので、枝野さんの異議は取り入れられなかった。
しかし、枝野さん流のこの「リベラリズム」は、私の中に強い印象を残した。
折しも今週はノーベル賞週間だが、日本人がノーベル賞を取ったり、オリンピックでメダルを獲得したりすること、もう少し抽象的に言えば、平和国家であることや世界に誇る芸術文化国家であることは国家・国民の名誉であり、それを推進・振興することは、当然、国家の第一使命と思いこんでいた私には、枝野さん異議は正直驚きであったし、世の中には国民の名誉、すなわち国家の名誉というものを随分クールに捉える政治家もいるものなんだなと視野を開かれた思いすらした。が、それ以降枝野さんとは距離を置くようになった。


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