>ジャック・ザ・リッパー(Jack the Ripper)または、その訳で切り裂きジャック(きりさきジャック)とは、1888年にイギリス・ロンドンのホワイトチャペルとその周辺で犯行を繰り返した正体不明の連続殺人犯。
>切り裂きジャックの標的となったのは、ロンドンのイーストエンドのスラムに住み、客を取っていた娼婦たちであった。被害者たちは喉を切られた後に、腹部も切られていたことが特徴であった。少なくとも3人の犠牲者からは内臓が取り出されていたことから、犯人は解剖学や外科学の知識があったと考えられている。1888年9月から10月にかけて、これらの事件が同一犯によるものという噂が高まり、メディアやロンドン警視庁(スコットランドヤード)には、犯人を名乗る人物からの多数の手紙が届いた。「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」という名称は、犯人を名乗る人物が書いた手紙(「親愛なるボスへ(英語版)」)に載っていたものを、メディアが流布したことに端を発している。この手紙は、世間の注目を浴びて新聞の発行部数を増やすために記者が捏造したものではないかと疑われている。ホワイトチャペル自警団(英語版)のジョージ・ラスク(英語版)が受け取った「地獄より」の手紙(英語版)には犠牲者の1人から採取したとされる保存された人間の腎臓の半分が添付されていた。このような一連の経緯によって世間は「切り裂きジャック」という一人の連続殺人鬼を信じるようになっていったが、その主因は、犯行が非常に残忍なものであったことと、それをメディアが大々的に報道したことによるものであった。
>ジャック・ザ・ストリッパー(英語: Jack the Stripper、和訳: 剥ぎ取りジャック[1])とは、1964年から1965年にかけてイングランドのロンドンで起きた連続殺人事件の犯人である[2]。被害者は全員売春婦であり、遺体は服を脱がされた状態でテムズ川の中やその付近で発見された。これにより、報道を通じて「ジャック・ザ・リッパー」をもじったあだ名がつけられた[3][4]。この事件よりも前に起こった1959年と1963年の殺人事件もこの人物が関与しているとする説もある[4][5][6]。この事件は「ハマースミス裸体殺人事件」 (英: Hammersmith nude murders) とも呼ばれる。