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他宗教、他思想のエッセンス(過去ログ)

1jaja:2005/08/08(月) 03:52:22

1 名前: jaja 投稿日:2004/11/07(日) 23:20
真光教団にかかわらず、他宗教、他思想の中でもス神様の働きがあると思われるものがあります。み教えの理解に役にたつ部分もあると思いますので紹介したいと思います。


2 名前: jaja 投稿日:2004/11/07(日) 23:41
1920年頃英国のモーリス・バーバネルという人に降りた霊言より。
地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂はちゃんと自覚しております。なにも知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境で、こういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに「埋め合わせ」の原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。人生には目的があります。しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。笛に踊らされる人形ではないのです。人間の一人一人に分霊が宿っており、一人一人が無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなた方には、個的存在としての責任と同時に、ある限界内での自由意志が与えられているのです。・・・つづく


3 名前: jaja 投稿日:2004/11/08(月) 22:22
自由意志といっても、大自然の法則の働きを阻止することが出来るという意味ではありません。ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。運命全体としての枠踏みは出来ております。しかしその枠踏みの中で、あなた方が計画した予定表に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第だということです。
もしかしたら、すのブループリントさえ自覚できないかもしれません。
でも魂は神性を宿すが為に、常に活動を求め、自己表現を求めて波のようにうねります。時にはそれが悲観、無念、苦悩、病苦という形をとり、無気力状態のあなたにカツを入れ、目をさませることになります。もしも神があなたに創造活動へ参加させ、そうすることによって潜在的神性を開発させることを望まないのであれば、あなたがこの世に生を受けた意味を無いことになりましょう。そこに「埋め合わせの原理」が働いていることを理解しなくてはなりません。つまり創造活動に貢献する仕事に携わりつつ、潜在能力を開発していく生活の中で、あなたの人間的発達が促進されていくという仕組みです。
つまり2重の仕組みになっているわけです。進歩の誘発は内と外の両側から行われるのです。


4 名前: jaja 投稿日:2004/11/08(月) 22:54
魂の奥には物質界のいかなるエネルギーよりも大きい威力が秘められています。宇宙の大霊の一部だからです。それが無ければ生命は存在しません。なぜならば生命は霊そのものだからです。物質は影にすぎません。この2重のエネルギーをどこまで活用できるかは、その魂の悟り程度にかかわっています。霊は生命そのものであり、生命は霊そのものです。霊のないところに生命はありません。物質は殻にすぎません。霊という実在によって投影された影にすぎません。物質それ自体には存在はないのです。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、勘案し、熟考する事ができるのは、あなたが霊であるからこそです。

88jaja:2006/01/16(月) 21:55:01
210 名前: jaja 投稿日:2005/04/25(月) 00:18
霊の宝は楽々と手に入るものではありません。
もしそうであったら価値はないことになります。
何の努力もせずに勝利を得たとしたら、その勝利は本当の勝利といえるでしょうか。
何の苦労もせずに頂点を征服したら、それが征服といえるでしょうか?
霊的進化というものは先に進めば進むほど孤独で寂しいものとなっていくものです。
なぜなら、それは前人未踏の地を行きつつ後の者のために道しるべを残していくことだからです。
そこに霊的進化の真髄があります。

89jaja:2006/01/16(月) 22:05:21
14 名前: jaja 投稿日:2005/04/27(水) 13:39
魂が感動を覚えないうちは、霊力は働きません。
ですから、たとえば病気そのものは治っても、
その体験によって魂が何らかの感動を覚えるまでに至らなかったら、
その治療は本来の目的を成就できなかったことになります。


215 名前: jaja 投稿日:2005/04/28(木) 23:08
私は原初のことは何もしりません。
終末についても何もしりません。
知っているのは神は常に存在し、これからも永遠に存在し続けるということだけです。
神の法則は完璧に機能しております。
あなたはもともと完全な光りをお持ちです。
が、それを磨きの悪い鏡に反射させれば完全な光は返ってきません。
それを、光は不完全だ、光は悪だとは言えないでしょう。
まだ内部の完全性を発揮するまでに進化していないというに過ぎません。
地上で悪と呼んでいるものは不完全な段階で神を表現している「不完全さ」を意味するに過ぎません。

90jaja:2006/01/18(水) 00:05:20
217 名前: jaja 投稿日:2005/05/02(月) 00:37
最大の罪は他人を身体的のみならず精神的にそして霊的に傷つけることです。
他人へはつねに善意で接し、いつでも援助の手が差し伸べられるようでないといけません。
その手が拒絶されたら、せっかくのチャンスをみずから拒絶したその人を気の毒に思ってあげなさい。


219 名前: jaja 投稿日:2005/05/04(水) 20:11
ここにお集まりの皆さんは完璧な信仰を持っていなければなりません。
なぜならば皆さんは死後に関する具体的な知識をお持ちだからです。
霊力の証を手にしておられるからです。
そこまでくれば、さらに、今度は万事が良きに計られていること、
神の摂理に調和しさえすれば幸せな結果がもたらされるとの
信念を持たれてしかるべきです。
無明から生まれるもの−あなた方のいう「悪」の要素によって
迷わされることは絶対にないとの信念に生きなくてはなりません。
自分は神の摂理による保護のものに生き、活動しているのだという信念です。
心に邪なものさえなければ善なるものしか近づきません。
善性の支配するところには善なるものしか存在し得ないからです。
こちらの世界からも神の使徒しか近づきません。
あなた方か何一つ恐れるものはありません。
あなた方を包み、あなた方を支え、あなた方に霊感を吹きこまんとする力は、
宇宙の大霊からくる力にほかならないのです。

91jaja:2006/01/20(金) 00:38:45
220 名前: jaja 投稿日:2005/05/05(木) 19:07
その力はいかなる試練においても、いかなる苦難においても、あなた方の支えになります。
心の嵐を鎮め、絶望の暗闇から知識の光明へと導いてくれます。
あなた方は進歩の大道にしっかりと足を置いておられます。
何一つ恐れるものはありません。
完き信念は恐れを払います。知識は恐れを駆逐します。
恐れは無知から生まれるものだからです。
進化せる魂はいついかなる時も恐れることを知りません。
なぜならば自分に神が宿るからには人生のいかなる出来事も克服できないものは有りえないことを悟っているからです。
恐怖心は自らの魂の牢獄をこしらえます。
皆さんはその恐怖心を達観しそのバイブレーションによって心を乱されることなく、
完璧な信仰と確信と信頼を抱き、独立独歩の気構えでこう宣言できるようでなければなりません。
「自分は神なのだ。足もとの事情などに迷わされない。
いかなる困難も内部の無限の霊力できっと克服してみせる、と。」
その通り、人間はあらゆる環境を支配する力を所有しているのです。
それを何を好んで(恐怖心などで)縮こませるのでしょう。

92jaja:2006/01/26(木) 22:53:28
221 名前: 名無しさん@訪問者 投稿日:2005/05/08(日) 23:50
神は物的なものも霊的なものも支配しております。
神の目からすれば両方に区別はありません。
ですから物の生命を霊の生命から切り離して考えてはなりません。
決して水と油のように分離したものではありません。
両方とも一大生命体を構成する不可欠要素であり、
物的なものは霊的なものに働きかけ、
霊的なものは物的なものに働きかけております。
ですから、あなた方のように霊力の恵みを受けておられる方にとっては、
いついかなる場においても神の存在を意識した生き方をしている限り、
克服できない困難は絶対にふりかからないという信念に燃えなくてはなりません。

93jaja:2006/01/28(土) 18:17:19
222 名前: jaja 投稿日:2005/05/08(日) 23:56
世の中のいかなる障害も、神の目から見てそれが取り除かれるべきものであれば、
きっと取り除かれます。万が一にもあなたの苦難があまりにも大きくて耐え切れそうになく思える時はこう理解してください。
私の方でも向上進化の足を止めてあなたのために精一杯のことをして差し上げますが、
今はじっとその苦難に耐え、それがもたらす教訓を学び取るように
心がける方が賢明である場合がある、ということです。

94jaja:2006/01/29(日) 20:34:08
223 名前: jaja 投稿日:2005/05/10(火) 01:23
その昔
《この世を旅する者であれ。この世の者となる勿れ》
という訓えが説かれました。
死後の生命への信仰心に欠ける地上の人間にはそれを実践する勇気がありません。
金持ちを羨ましがり金持ちの生活には悩みが無いかのような口を利きます。
金持ちには金持ちとしての悩みがあることを知らないからです。
神の摂理は財産の多い少ないでごまかされるものではありません。

95jaja:2006/01/30(月) 22:40:12
225 名前: jaja 投稿日:2005/05/13(金) 06:59
人間が地上にあるのは人格を形成するためです。
ふりかかる問題をどう処理していくかがその人の性格を決定づけます。
が、いかなる問題も地上的なものであり、物的なものであり、
一方あなたという存在は大霊の一部であり、神性を宿しているからには、
あなたにとって克服できないほど大きな問題は絶対に生じません。
心の平和は一つしかありません。
神と一体となった者にのみ訪れる平和、神の御心と一つになり、
神の大いなる意思と一つになった人に訪れる平和、魂も精神も心も神と一体となった者にのみ訪れる平和です。
そうなった時の安らぎこそ真の平和です。
神の摂理と調和するからです。それ以外には平和はありません。
その昔、神の御国は自分の心の中にあると説いた人がいました。
外にあるのではないのです。
有形転変の物質の世界に神の国があるはずはありません。
魂の中に存在するのです。

96jaja:2006/02/01(水) 00:03:10
226 名前: jaja 投稿日:2005/05/15(日) 01:44
神の摂理は精細を極めて完璧ですから、一切のごまかしが利きません。
悪の報いを免れることは絶対にできませんし、善が報われずに終わることもありません。
ただ、永遠の摂理を物質という束の間の目で判断してはいけません。
より、大きなものをご覧にならずに小さなものを判断してはいけません。


227 名前: jaja 投稿日:2005/05/15(日) 23:38
いかなる事態に立ち至ろうと、それはあなたにとっての挑戦課題として受け止めなさい。
魂はその根源において神性を帯びているがゆえに、
その挑戦を真正面から受け止め克服し一段と強力になって行くだけの力を秘めております。
いかなる事態も歓迎し、決して悲観的になったりグチをこぼしたりしてはいけません。
みなさんほどの霊的知識をそなえた方ならば、
毎朝の訪れを内的な喜びを持って迎えることができてしかるべきです。
永遠の魂を傷つけるほどの事態は決して起こりえないからです。

97jaja:2006/02/04(土) 00:38:48
28 名前: jaja 投稿日:2005/05/17(火) 00:51
宇宙は神の反映です。神が宇宙組織となって顕現しているのです。
ハエに世の中のことが分かるでしょうか。
魚に鳥の生活が理解できるでしょうか。
犬に人間のような理性的思考ができるでしょうか。
星に墟空が理解できるでしょうか。
すべての存在を超えた神という存在をあなた方人間が理解できないのは当然です。
しかし、人間も、魂を開発することによって、
一言も語らずとも魂の静寂の中にあってその神と直接の交わりをもつことができるのです。
その時は神とあなたとが一体であることを悟られます。
それは言葉では言い表せない体験です。
あなたの、そして宇宙のすべての魂の静寂の中においてのみ味わえるものです。

98jaja:2006/02/04(土) 21:59:51
229 名前: jaja 投稿日:2005/05/17(火) 23:15
動機が何であるか−これが最後の試練です。
魂の奥の静かな、そして小さな声が反発するがゆえに戦争に参加することを拒否する人間と、
これが国家への奉仕なのだという考えから、
つまり一種の奉仕精神から敵を殺す覚悟と同時にいざとなれば
わが身を犠牲にする覚悟を持って戦争におもむく人間とは、
私たちの世界から見て上下の差はありません。
動機がもっとも優先的に考慮されるからです。

99jaja:2006/02/04(土) 22:01:54
230 名前: jaja 投稿日:2005/05/21(土) 00:48
背後霊(守護霊)にはあなたの困難、問題、願望がすべて分かっております。
又、ここが物質の世界であり、それなりの物的必需品というものがあるということも承知しております。
あなたが真理に忠実に生きておれば、飢えや渇きに苦しむことはありません。
絶対に必要なものは必ず用意されます。

100:2006/02/05(日) 16:32:58
うまれてこのか恋人ができないといいこともでしょうか

101jaja:2006/02/08(水) 20:32:38
231 名前: jaja 投稿日:2005/05/23(月) 05:17
いかなる極悪人といえどもその存在を失ってしまうことはありません。
神性の花火が衰えて微かに明滅する程度になることはあっても、
完全に消滅してしまうことはありません。
なぜなら、神と結びついている神性は永遠不滅のものだからです。

102jaja:2006/02/10(金) 00:39:55
232 名前: jaja 投稿日:2005/05/26(木) 00:06
人間のオーラには身体の状態と精神の状態が反映しますので複雑は波動をだしております。
オーラを霊視しその意味が読みとれる人には、その人物のすべてが分かります。
言ってみれば一冊の書物のページが開かれているようなものです。
思ったこと、言ったことすべてが記録されています。
外見をどう繕っても、オーラには本当のあなたがありのままに表れています。

103jaja:2006/02/11(土) 03:26:58
233 名前: jaja 投稿日:2005/05/28(土) 01:13
地上のいかなる賢人も、問題のすべてに対する回答を手にすることはできません。
三次元の世界に閉じ込められている以上、叡智のすべてを手にすることは不可能なのです。
その三次元の殻を破らないことには悟れないことがあるのです。
そこに「信じる」ことの必要性が生じるわけです。
私は「信仰だけではいけません。信仰に知識を加えなさい。」
と申し上げていることは事実ですが、その段階をさらに進むと、
その知識にも三次元ゆえの限界があるために「信じる」しかない段階に至ります。
すべて理性で片付けるわけには行かなくなった時、
直感的洞察力の必要が生じます。

104jaja:2006/02/11(土) 22:28:36
暗黒と光、陰と日向といった、まったく対照的なものも、実は一個の統一体の側面の反射に過ぎません。
陰なくしては日向も有り得ず、光なくしては暗黒も有り得ません。
それと同じ理屈で、困難は魂が向上するための階段です。
困難・障害・ハンディキャップ―こうしたものは魂の試練なのです。
それを克服した時、魂はより強くなり、より純粋になり、より充実し、かくして進化が得られるのです。

105jaja:2006/02/13(月) 22:53:58
235 名前: jaja 投稿日:2005/05/28(土) 21:52
地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。
何も知らずに誕生してくるのではありません。
自分にとって必要な向上進化を促進するには、
こういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。
ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、
通常意識に上がって来ないだけの話です。

106jaja:2006/02/14(火) 22:05:50

236 名前: jaja 投稿日:2005/05/30(月) 22:26
困難な仕事は頑健な人間に当てがわれます。
タフな人間にやさしい仕事を与えるのは無駄というものです。
厳しい使命が与えられるということは、
その人が霊的に有能であることの指標です。
無知と迷信との闘いに臨む人は厳しい教練によって
鍛えていなければなりません。
さもないとその任に耐えられません。
ですから、矛盾しているように思えるかもしれませんが、
仕事が困難であればあるほど、
それだけ成就されるものも大きいということになります。

107jaja:2006/02/16(木) 00:30:30
238 名前: jaja 投稿日:2005/06/02(木) 09:27
世間でいうところの成功者になるかならないかはどうでもよいことです。
この世的な成功者によって手に入れたものは、
そのうちあっさりと価値を失ってしまうのです。
大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、
自分でこれこそ真実であると確信するものに目をつぶることなく、
本当の自分に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。
それさえできれば、世間があなたをどう見ようと、
自分自身では最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。
そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来たとき、
死後の待ち受ける生活への備えが十分に出来ているという自信を持って、
平然として死を迎えることができるのです。

108jaja:2006/02/16(木) 23:52:45
霊の側では人間側がどう祈りをするかを待つ必要はありません。
なぜならば祈りの本質そのものが、
その波長の感応する階層の単数または複数の霊を即座に呼び寄せるからです。
それも魂の進化の程度によって自然に決まることです。

109jaja:2006/02/16(木) 23:57:22
241 名前: jaja 投稿日:2005/06/04(土) 21:10
ギャンブルの弊害について
そうした催しは道徳的雰囲気を乱し、われわれを(神霊)を近づき難くします。
そこには、われわれに敵対心をもつ邪霊が終結し、物欲を満たさんとして集まった人間に取り入ろうとして、
スキを伺うのです。
邪霊達にとって彼らは絶好の標的です。
アルコールが入り、野獣のごとく肉欲に燃える者、
大金を当てにして興奮する者、その当てが外れて絶望の淵に落とされる者、等々がいます。
邪霊の誘いにもっとも乗りやすいのは、この最後に挙げた人達です。
たとえそこまで落ち込まないまでも、道徳的感覚が狂い、
感情を抑制し邪霊から守る盾となるべき冷静さと心の平衡がくずれ、つけ入るスキを与えることになります。
こうしたものは、絶対的悪とまではいわないとしても、自制心を失い狂乱状態に陥った精神が、
攻撃の格好の条件を用意することになります。
ですから、極力避けねばなりません。
その種の心は霊的悪影響、未熟にして有難からぬ低級霊にまんまと掛かりやすいのです。
興奮のあまり節度と理性を失った精神には、くれぐれも用心されたい。
モーゼスの霊訓

110jaja:2006/02/18(土) 01:31:17

242 名前: jaja 投稿日:2005/06/07(火) 01:18
光と闇、日向と日陰は一つのものの2つの側面です。
闇がなくては光の存在が分からず、
日陰がなくては日向のありがたさがわかりません。
人生の苦難も魂を成長を促すための手段なのです。
困難、障害、不利な条件、こうしたものはみな魂の試練です。
それを一つ一つ克服するごとに魂は一段と強さを増し、
一段と清らかさを増し、一段と深みを増し、
一段と霊格を高めるのです。

111jaja:2006/02/19(日) 11:16:13
43 名前: jaja 投稿日:2005/06/07(火) 22:18
霊的真理の普及にマスコミを使用しないのはなぜかについて

知識が普及すること自体は良いことに決まっております。
しかし、あなたは魂というものが、いついかなる状態で真理に感動するものかをご存知ないようです。
私たちは私たちなりの手段を講じております。計画はちゃんと出来ているのです。
あとはあなたがた地上世界の協力を俟つのみなのです。
忘れないで頂きたいのは、私達は「魔法の杖」は持ち合わせていないということです。
「魔法の呪文」をお教えするのではありません。
宇宙の自然の摂理を明かしてさしあげようとしているだけです。
その理法を知って魂が目を覚まし、自分も神の分霊である事、
自分を通じて神が地上へ働きかけることもありえることを理解してもらいたいと願っているのです。
そのために私達なりの普及活動は行っております。
が、地上の雑音(マスコミを通じての宣伝)によってそれを行ってみても
必ずしも効果は期待できません。
一個の魂、一つの心に感動を与えていくこと、
つまり神とのより密接な一体感を体験させることによって成就していくほかはありません。

112jaja:2006/02/20(月) 22:19:31

244 名前: jaja 投稿日:2005/06/08(水) 23:23
祈りの言葉を何の目的もなしに繰り返すだけでは、ただの空気中に一定の波動を起こすだけです。
が、誠心誠意、魂の底からの祈り、神の御心と一体となり、
神の道具として有意義な存在でありたいと願う心は、
その波動そのものがその人を神の僕としてより相応しく、
そしてより逞しくします。
祈るということ、真実の自分を顕現すること、心を開くこと、
これが背後霊との一体化を促進するのです。

113jaja:2006/02/21(火) 21:48:31
245 名前: jaja 投稿日:2005/06/10(金) 03:03
日没と日の出の美しさ、夜空のきらめく星座、楽しい小鳥のさえずりは神のもので、
嵐や雷鳴や大雨は神のものでないとなどということは許されません。
すべては神の法則によって営まれていることです。

114jaja:2006/02/22(水) 23:58:08
246 名前: jaja 投稿日:2005/06/11(土) 00:14
奉仕は霊の正貨です。奉仕に勝る宗教はありません。
人のために自分を役立てることは尊い行為です。
あなたの望みどおりの分野で仕事ができなくても、
人のためになると思うことを、その時その時に行えばよろしい。
ドアを押してみてすぐに開ければ、その道を行けばよろしい。
カギの掛かったドアをしつこく叩いてはいけません。
時間とエネルギーの無駄です。
次々と生じる難題に動じてはいけません。
困難は挑戦すべき課題です。
困難もなく難問もなく、障害もないようでは、潜在する能力を発揮するチャンスがないことになります。
人間は危機に直面してはじめて、自分の奥に思いも寄らなかった力があることにきづきましす。
ふだんはその貯えの表面をひっかいている程度にすぎません。
その潜在力と背後霊の導きをもってすれば、克服できない大きな困難はありません。

115jaja:2006/02/24(金) 01:06:27
247 名前: jaja 投稿日:2005/06/11(土) 21:09
信念に迷いが生じた時は、かつて自分がドン底にあった時に立ち帰ってみることです。
もう絶対に救われる見込みはないと思われた奈落の底にいたのです。
そしてその絶対絶命のピンチで道が開かれたのです。
これからも必ず道は開けてまいります。
あなたはあなたなりの最善をつくしていればよいのです。
所詮あなたは完全な存在ではありません。
地上においても霊界においても、完全というものは達成できまないのです。
完全への道のりは永遠に続くのです。
しくじってもまた立ち直ることができるのです。

116jaja:2006/02/28(火) 00:56:42
248 名前: jaja 投稿日:2005/06/13(月) 00:21
イエスは本当にはりつけになってのでしょうか?という質問に

そんなことについて私に意見をご所望ですか。
どうでもいいことではないでしょうか。
大切なのはイエスが何を説いたかです。
はりつけにされた時にどういうことが起きたかは、
いくら論議してもラチが明かないでしょう。
私にはその立証はできません。
ですから、そのことについてはお答えしません。
無意味に人を断罪するのは私の趣味ではないからです。
それは私の使命ではありません。
(訳者注−イエスの処刑についてはいろんな説がある。
 無論真実を知っているはずだが、人間がとかくこだわる証拠となると
 なにも提示できないからと言って返答を断っている。
 無論これは言い訳であって、本心は最後で述べている通り、
 自分が述べることによって右の諸説のどれかを、あるいは全部を否定することになるのを避けたのだろう。)
私の使命は人生の基本である霊的原理に関心を向けさせることです。
人間はどうでもよいことにこだわり過ぎるように思います。
イエスが本当に処刑されたかどうかは、
あなたの進化にとって関係もありません。

117jaja:2006/03/01(水) 01:56:01
249 名前: jaja 投稿日:2005/06/13(月) 00:29
肝心なことに関心をむけなさい。
あなたは今あなたなりの役割
人を助け霊性を開発し悟りを深めるためのチャンスを提供してくれる、
この地上という生活の場に来ていらっしゃるのです。
火星にも人間のような存在がいるだろうかとか、
千年後に間違いなく復活するだろうかとか、
そんなことを心配してはいけません。
大切なのは日常生活での身の処し方です。
あなたなりの最善を尽くせばよろしいのです。
それによって神とのより大きい調和が得られます。
それは晴れやかさ、静けさ、安らぎ、自信という形をとります。
神の心をわが心としようと心掛ける者すべてに必ず訪れるものです。

118jaja:2006/03/03(金) 00:53:06
250 名前: jaja 投稿日:2005/06/14(火) 05:42
悲しいかな、霊的発達の未熟さゆえに人間は、
自分を生かしめている霊力が地球を共有している他のすべての生命体を
生しめている霊力と同じであることに理解がいかないのです。
動物も人間と同じく
「物質身体を具えた霊」
であることが理解できないのです。
われこそは万物の霊長であると信じているのであれば、
それゆえにこそ動物に対する責務があるはずなのに、
人間はそこが理解できなのです。
上の者が下の者を手助けするのが当たり前です。
しかるに、現実は、罪もない動物に無用の残虐行為を情け容赦なく行っております。
しかもそれは人間の健康増進のためと信じてのことなのです。
それは間違いであり、そういう手段から健康は得られません。

119jaja:2006/03/04(土) 05:26:38
254 名前: jaja 投稿日:2005/06/18(土) 01:11
私はつねづね人生とは対照の中で営まれていると申し上げています。
愛の倒錯したのが憎しみであり、
勇気が倒錯したものが臆病です。
いずれも本質においては同じ一本の棒の両端を表現したものです。
私はまた、低く沈むことができただけ、それだけ高く上昇することができると申し上げております。
臆病を勇気に、憎しみを愛に転換することができるということです。
人間の精神にはさまざまな複雑な感情や想念が渦巻いております。
それをうまくコントロールするところに貴方の成長があり、進化があり、
低いものが高いものへ転換しれていくのです。

120jaja:2006/03/06(月) 00:28:26
255 名前: jaja 投稿日:2005/06/20(月) 23:03
私が摂理をこしらえたのではありません。
私に許されているのは摂理がこうなっていますと申し上げることだけです。
毎朝の到来はより高い霊性の開発の可能性を秘めた一日の到来を意味します。
その一日が終わった時に少しでも霊性が高まり、
人間的に大きくなり、明日がもたらすものを受け入れるのに
より相応しくなっている
そういう一日とする気迫で毎朝をむかえましょう。

121jaja:2006/03/07(火) 09:30:11
256 名前: jaja 投稿日:2005/06/22(水) 23:39
地上での生活は一日一日が挑戦課題であり、いかなる次元の問題であれ、
みずから克服すべきものとして受け入れるべきです。
内部の霊性さえ発揮させれば、前進を阻むものは何一つありません。

122jaja:2006/03/10(金) 00:46:30
257 名前: jaja 投稿日:2005/06/23(木) 03:29
霊的知識を手にした者にとって大切なことは、二度とこの世的な悩みごとのために
塞ぎこむようなことがあってはならないことです。
悩みごとは影にすぎません。
実在ではないのです。
実在は霊です。霊とは内部の神性です。
それがあなたに生命を与えているのです。
内にも外にも霊にまさる潜在力は存在しません。

123jaja:2006/03/11(土) 01:30:38
258 名前: jaja 投稿日:2005/06/24(金) 00:30
皆さんはキリスト教の聖職者にも、ユダヤ教の聖職者にも、
世界のいかなる宗教の指導者にもできないことがお出来になります。
神は聖なる職にある人だからということで霊力をお授けにあるのではありません。
霊力を授かるにふさわしい資格をそなえた人にお授けになるのです。

124jaja:2006/03/13(月) 02:03:25
259 名前: jaja 投稿日:2005/06/25(土) 01:23
身体に係わる義務をおろそかにしてまで霊的なことに専念しなさいとは決して申しておりません。
しかし、同時に、霊に係わることも大切にしなければならないことも事実です。
地上ではその2つとも大切なのです。

125jaja:2006/03/15(水) 00:38:05
260 名前: jaja 投稿日:2005/06/26(日) 18:41
日本の国は肉食なぞはしれぬ国であるぞよ。
明治三十一年旧十一月一日 大本神諭(国常立尊)

126jaja:2006/03/17(金) 01:23:20
261 名前: jaja 投稿日:2005/06/27(月) 22:43
獣、鳥、魚などはいったん食物が消化されたものが肉となったのであるから、
それらを摂取してもあまり益はない。
獣肉をたしなむと情欲がさかんになり、性質が獰猛になる。
肉食をする人は本当の慈悲の心はもたない。
神に近づくときは肉食をしてはよくない。霊覚を妨げるものである。
肉食の害 昭和七年 出口王仁三郎

127jaja:2006/03/20(月) 22:19:33
272 名前: jaja 投稿日:2005/07/10(日) 23:26
睡眠中に暗黒の世界を訪れる人がいることは事実です。
それは魂の本性がそこの波長に合っていて自然に引き付けられる場合と、
一種の犠牲的奉仕精神から自発的にそういう環境に身を置く場合があります。
地上に籍を置く人間の霊的身体を利用することによって暗黒界の霊を救う方法があるのです。
聖書にイエスがいわゆる地獄界へ降りていく話があります。
睡眠中の話ではありませんが、原理は同じです。

128jaja:2006/03/22(水) 00:50:03
274 名前: jaja 投稿日:2005/07/11(月) 22:49
現代の啓示も過去の啓示も同一線上にあります。
私達はイエスが説いた真理を否定していませんし、
そのイエスもモーゼの説いた真理を否定しませんでした。
われわれの後に来る人も、私達が説いている真理を否定することはないでしょう。
しかし、未来の子は一段と高い進化のレベルにありますから、
啓示される真理も今の時代に啓示されている真理より
進歩したものであらねばなりません。

129jaja:2006/03/23(木) 00:23:14
外国の四つ足の真似を致して、結構な家の内で、牛や馬の肉を煮たり喰うたり、
首に四つ足の皮を巻いたり、四つ足の毛で織った者を肌に着けたり、
それが薩張り4つ足の将来が現れて居るのであるぞよ。
大正六年旧十一月二十三日 大本神諭 (国常立尊)

130jaja:2006/03/24(金) 00:54:12
275 名前: jaja 投稿日:2005/07/12(火) 23:58
物的なものはいずれ朽ち果て、元のチリに帰ります。
野心、欲望、富の蓄積、こうしたものは何の役にもたちません。
所詮はあなた方も霊的存在なのです。
真の富はその本性に宿されているものだけであって、
それ以上でもありえませんし、それ以下でもありまえません。
そのことを生涯を通じて悟っていかなくてはいけません。
それを悟ったとき、あなたは真の自分を見出したことになり、
自分を見出したということは神を見出したことになり、
そうなった時のあなたこそ真の意味でも賢者と言えるのです。
私の目には、あれこれと「大事な事」があって毎日あっちこっちへ走り、
忙しく暮らしながらその実「一番大事な事」を見落とし、なおざりにしているために、
心が絶望的でヤケになっている大ぜいの人々の姿が見えます。
このあたりに私どもが説く教えの核心があるのですが、お判りになりますか。
その人達が日々の生活の中で生きる喜び−神の子として当然味わうべき充足感を見出してくれるようにと
願って舞い戻ってくるそもそもの目的がそこにあることが判っていただけるでしょうか。
それはいわゆる宗教、教会、信条、教義といったものより大切です。
人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱の原因となってきた、その類のもののいずれにもまして大切です。
が、それは自分という存在について(霊的存在であるという)いたって単純な事実にすぎないのです。
なのに、それを悟っているのはごく僅かな人たちだけで、大多数の人は知らずにおります。

131jaja:2006/03/26(日) 02:47:53
277 名前: jaja 投稿日:2005/07/19(火) 04:34
地上の体験、たとえば戦争、苦難、精神的ならびに肉体的受難、病気、悲しみ、憎しみ等々は
人類の進化と発達にとって不可欠のものとして神の計画の中に組み込まれているのでしょうか?

いえ、そんなことはありません。戦争は神が計画されるものではありません。
病気は神が与えるものではありません。
人類が自由意志の使用を誤ってみずから招来しているのです。
その中にも学ぶべき教訓があるのは事実です。
しかしそれは、何も人類どうしで野蛮な行為や恐ろしい残忍行為をし合わなくても学べることです。
人類が勝手にやり合っていることを神の行為と取り違えてはなりません。

132jaja:2006/03/29(水) 23:18:35
277 名前: jaja 投稿日:2005/07/19(火) 04:34
地上の体験、たとえば戦争、苦難、精神的ならびに肉体的受難、病気、悲しみ、憎しみ等々は
人類の進化と発達にとって不可欠のものとして神の計画の中に組み込まれているのでしょうか?

いえ、そんなことはありません。戦争は神が計画されるものではありません。
病気は神が与えるものではありません。
人類が自由意志の使用を誤ってみずから招来しているのです。
その中にも学ぶべき教訓があるのは事実です。
しかしそれは、何も人類どうしで野蛮な行為や恐ろしい残忍行為をし合わなくても学べることです。
人類が勝手にやり合っていることを神の行為と取り違えてはなりません。

133jaja:2006/03/29(水) 23:21:11
281 名前: jaja 投稿日:2005/07/20(水) 00:30
偉大な霊ほど困難な地上生活を耐え忍ばねばなりません。
魂の偉大さは試練と洗練の過程をへずしては達成されません。
つまり霊性の強度がみせかけのものでないことを、
その美と光輝と雄大さの中で示せるようでないといけないのです。
困難は魂にとって薬です。
身体にとっても薬になることがあります。
内部の潜在力を表面に呼び出すための挑戦課題です。
かくしてその人は成長し発達し開眼して神性が発揮されるようになります。

134jaja:2006/04/02(日) 21:34:29
282 名前: jaja 投稿日:2005/07/22(金) 00:00
故意に悪いことをするよりも無知から犯す間違いの方が多いものです。
全体からすれば悪人といえるほどの人間はごく少数派に属します。
些細なしくじりを裁くために大ナタをふるようなことは慎まなければなりません。
そういう人を憎むということは、それも罪をおかしていることになります。
良心が咎めることをするのは全て霊的摂理に反します。

135jaja:2006/04/07(金) 00:55:50
283 名前: jaja 投稿日:2005/07/22(金) 22:40
思念は思念の世界において実在そのものです。
が、地上においてそれは物質でくるまないと存在が認識されないのです。
肉体により束縛をまったく受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。
思念の世界だからです。
私の世界では霊の表現、または精神の表現が実在の基準になります。
思念はその基準的表現の一つなのです。
勘違いなさらないでいただきたいのは、
地上にあるかぎりは思念は仕事や労力や活動の代用とはならないということです。
協力な補助となっても代用とはなりません。
やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。
労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。
これも正しい視野でとらえないといけません。

137jaja:2007/09/19(水) 01:04:17
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